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 暗い道をひたすら歩いていたが、暫くすると光が差し込んで来た。
「…ルルがいる。」
 ムーは飛ぶスピードを速めて、一目散に光の先へと向かったが、辿り着いた途端「うわあぁ」と悲鳴を上げて、ばちばちと雷撃に捕まった。雷撃に絡みつかれて動きが取れずにいるムーに気付いたニタは慌ててムーを引っ張り出した。ニタにも軽く雷撃が走りびりびりと痛みを感じたが、なんとかムーを救出することが出来た。
 ムーからは湯気が立ち、その藍色の鱗に包まれた小さな体躯は少しだけ焦げていた。
「ムー、大丈夫?」
「うう、大丈夫です。でも、ルルがいました。この空洞の奥に、ルルがいました。でも…」
「でも?」
「ひたすら魔法障壁を張り続けているから、近づけない。僕の声さえ届けられれば…。」
 一行は安全な場所からルルがいるであろう最深部を覗く。中は広い空洞になっており、空間一杯にパチパチとスパークのようなものが放たれ続けており明るかった。そのスパークの中心部に緑色のふかふかした生き物が身を縮こませて、ぶるぶる震えていた。顔も体に埋めているので、こちらに気付くことはないだろう。
「あれが、ムーの友達のルル…。なんか、ククのバチバチに似ているね。」
 ニタが言った。“ククのバチバチ”とはクグレックが自身の魔力を制御できずに溢れ出て、魔力が尽きるまで破壊し続ける暴走状態のことだ。拒絶の破壊魔法『ヨケ・キリプルク』の原型と言える状態のことである。
「バチバチを制御できないのは、恐ろしいな。」
 と、ハッシュが言った。彼もクグレックの暴走を何度も目にしている。
「ルルの場合はただ寄せ付けないだけなんです。…先ほどの偽の岩壁のように、攻撃性の少ない魔法障壁だって張れるはずなのに。どうしてこんな誰も来ないような場所でこんなに強い障壁を張っているんだろう。」
「よっぽど怖い目にあったんだろうな。」
「こんなに近いのに、僕の声は全く届かない。」
「石とかぶつけたら、気付くんじゃない?」
「怯えるだけの気がするけど…。」
 ニタは足元にある石を拾い、ルルに向かって力の限り勢いよく投げつけた。ぶんと強く風を切る音がしたが、スパークに絡みつかれるとその勢いを失くしぽとりと地面に落ちた。
 ニタはあっけらかんとして「いやぁ、怖いね」と感想を述べた。
「フィンはどうしたらいいか分かる?リリィの加護的な力でなんとかならない?」
 ニタが聞いたが、フィンは首を横に振り「分からないです。こういった現象を見るのは初めてで、本当にどうしたら良いのか。」と言った。
 一行は出来ることをやれるだけ試してみた。ムーが炎を吐き出してみたり、クグレックの拒絶の魔法を少しだけ試してみたり、大声を出してみたり、思いつく限りのことをしてみたが、どれも功を奏しなかった。
「あーもう、どうしたらいいか分からないよ!ルルに気付いてもらうことも出来ないし、バリアを壊して近付くことも出来ない。お手上げじゃないか。」
 クグレックも杖にもたれかかりながら、出来ることを考える。拒絶の魔法も先ほど試してみたが、圧倒的なルルの力に、ククの魔力は一気に持って行かれそうになった。寸でのところで詠唱を中断したから良かったものの、ククの魔力の全てを使ったところで破壊できるような障壁ではなかった。
 とはいえ、この状態であれば、頼れるものはクグレックの魔法であるのだが。いかんせんレパートリーが少ないのが悩みどころだ。
 ふよふよと漂う光の玉が一行を照らし出す。
 こんな光の玉を出したところで、障壁に吸収されるだけだ。なぜかこの洞窟でまとわりつかせる術を急に思いつけたのは良かったが、障壁の前でどう役に立たせればいいのか。
 と、クグレックの脳裏に一つのアイディアが浮かんだ。
「こっちもバリアを張るのは、どうだろう。」
 クグレックが小さく呟いた。
 ニタは耳をピクリとさせて、その話に食らいつく。
「え、クク、バリアの魔法出来るの?」
「…それが出来たらいいんだけど。でも、『ヨケ』をちょっとだけ変形させれば何とかなるかもしれないって。ただ、上手く行くかは分からないけど…。」
「『ヨケ』ってあのバチバチの魔法か?」
 ハッシュが尋ね、クグレックはこくりと頷いた。
「うん、そう。『ヨケ』をムーに纏わせてルルの元に行ってもらうの。ムーへの障壁からの干渉を拒絶するように出来ればいいんだけど…。障壁を破壊するよりかは、まだなんとかなるかな、って。」
「大丈夫なの?」
「とりあえず、全魔力を込めるから、私は動けなくなるかも。でもそれまでにムーがルルのところまで辿り着ければ、どうにかなるでしょ?」
 と言って、クグレックはムーに視線を移す。ムーは力強く頷いた。
「でも、途中で魔力が尽きたら…」
 ニタが心配する。
「魔力が尽きたら…、ムーはバチバチに取り込まれちゃうかもしれない。でも、そんなことはさせない。命が尽きたとしても成功、させて見せる。」
「うわー、ククが急に頼もしく見えるよ…。」
「…うん、私は、魔女だからね…!」
 普通の女の子ではない。クグレックが自分を魔女であると認識することは、これまでは自虐的な気持ちが強かったが、今は一つの個性のように思えて来たのだ。普通の女の子はあこがれなのかもしれない。だが、クグレックには生まれ持った宿命があるのだ。それを失くす方法は今は分からない。ならば、今は精一杯その宿命を利用すればいいだけの話なのだ。
 早速、クグレックはムーに拒絶の魔法をかける。
「ヨケ・キリプルク・フィオラメイル!」
 クグレックの杖の先から雷撃が放たれ、ムーの周りを這う。ムーは「ぐ」とうめき声を上げたが、普通に動けるようであった。
「割と痛いんだけど、ルルのバリアほど致命的ではないよ。僕にはこの竜王族の鱗もあるし、きっと大丈夫。」
 そう言ってムーは最深部中央に位置するルルを見つめる。

――今から行くから、安心して。僕はすぐそばにいるんだから!

――やだ、怖い、怖い、死人使いが、死人使いが、あぁぁぁ!!!

 ルルの魔法障壁は一層強さを増したが、ムーは臆することなくルルに向かって今まで見せたことのない速度で飛んで行く。身体を守ってくれる『ヨケ』の魔法は、ルルの障壁のスパークに干渉され、激しくバチバチと光と音を立てて反応する。直に障壁のスパークを喰らうほどひどくはないが、熱さや痛みは感じた。が、負けていられない。クグレックの魔力が尽きる前にルルの元へ辿り着かなければならないのだ。
 ムーがルルに近付けば近付くほど、光と音は激しくなる。爆発が起きているかのようだ。
 そして、クグレックに掛かる魔力の負担は増していく。ムーが離れれば離れるほど、杖先から発せられる雷撃は伸びていく。だが、ムーの『ヨケ』のバリアを持続させるためにはクグレックからの魔力の供給が必要なのである。まだ途切れさせるわけにはいかない。
 汗はだらだらと出て、立つこともままならないクグレックはハッシュとニタに支えられている。
 意識はくらくらして来て、呼吸をするのもしんどくなってきた。鼻血が出て来たら限界は近い。だが、まだ出て来ない。まだ、大丈夫。
 ムーとルルの距離は4分の1ほどに迫って来ていた。
 が、ここで、クグレックは鼻血を垂らした。目の前が白くなっていく。だが、まだ倒れてはいけない。最後の力を振り絞り「オール・フェアーレ!」と叫ぶと、クグレックの意識は遠のき、気絶した。
 クグレックからムーへの魔力の供給は切れた。が、残りすべての魔力はムーが纏う『ヨケ』の鎧に全て託されている。どの位耐えられるかは分からないが、ムーはひたすら翼を動かす。
 ルルに近付けば近付くほどに『ヨケ』と障壁の抵抗が強くなり、スピードが落ちていく。また、身体へのダメージも大きくなり、翼を動かすのも辛くなって来ていた。が、ルルとの距離は目と鼻の先だ。これで、ルルに触れることが出来ればきっとルルもムーのことを気付いてくれるに違いない。そう思って手を伸ばしたところ、大きな光と音を発して『ヨケ』の鎧が破壊された。強力な魔法障壁のスパークに捕えられたムーは身動きもとれず、ただその強力な魔法障壁の雷撃になぶられるだけであった。「うわあああああ」と大きな悲鳴をムーが上げても、雷撃の音でかき消され、目の前のルルには届かない。本当にわずかな距離なのに、届かない。
 実はムーにとってルルは友人以上の存在であった。親友をも超えた、いうなれば恋人同士であったのだ。種族は異なるが、二人はお互いを助け合って生きて来た。辛い時も苦しい時も楽しい時もずっと。ところが数年前にムーは密猟者に捕えられてルルは離れ離れになってしまった。それからはずっと会えずにいたが、ルルは一生懸命追いかけた。そして数か月前、何とか思念で連絡を取ることが出来る距離まで近づいたというのに、今度はルルに異常が発生したのだ。ようやく念願かなって会うことが出来るというのに、喋ることも出来ずに終わってしまうのか。抱き締めることも出来ずに終わってしまうのか。
 
「ぐわあああぁぁぁぁ」
 ムーは咆哮を上げて、力を振り絞る。大きく翼を羽ばたかせると、目の前のルルを上から包み込むようにしてばたりと倒れた。動く力はムーには残っていなかった。
 そして、暫くの後、魔法障壁のスパークは止み、クグレックの光の玉も失くなってしまった洞窟内は真っ暗になった。


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 2019_08_01


********
 
 先頭を進んでいたムーがぴたりと進むのを止めた。
「…ルルはこの先に居るんだけど…。」
 そう呟いて、クグレックから宛がわれた灯を前方に掲げる。目の前は行き止まりなのだが、様子がおかしい。周りは岩壁で覆われているのだが、目の前だけ色が薄くなっている。
「僕、道を間違えたのかな…?」
「…うーん、でも、この壁なんか変だよ。触った感じもなんか微妙に違う。」
 ニタが周りの岩壁と目の前の岩壁を交互に触りながら言った。触感はゴツゴツざらざらとした岩なのだが、目の前の壁は何か違和感も付随する。岩だというのに僅かな静電気を感じるような、目に見えない触感だ。
「別の道を探してみるか?」
「でも、ルルが通って行った気配は感じられるんだ。…え?」
 ムーは押し黙った。きっとルルとコンタクトを取っているのだろう。
 しばらくしてからムーは口を開いた。
「ルル、一層怯えてるみたい。来ないで来ないでってしきりに言ってる。」
 しょんぼりと頭を下げるムー。
「とりあえず、別の道を探してみよう。」
 そうして一行はもと来た道を戻ろうとした。
 クグレックも戻る前に、目の前の壁を触ってみた。すると、バチッと強い静電気が発生した。思わず「わ」と声を上げると、皆振り向いて「どうしたの?」とクグレックを心配する。
「静電気がバチバチっとしてびっくりしちゃった。」
「こんなところで、静電気?」
「うん。なんでだろう。」
 と言いながら、クグレックは再び壁を触る。すると再び「わぁっ」と悲鳴をあげた。皆の耳にもバチバチという音が聞こえた。
 一行は不思議に思い、再び岩壁の前まで戻り、ペタペタと触ってみる。が、クグレックの様な静電気は発生しない。おかしいなとクグレックは思い壁を触ってみると、やはりバチバチと静電気が発生する。
「…うわ。ルルがうるさい。」
 そう言ってよろけるムー。どうやら彼は友人がより一層恐怖に怯えて泣き喚く声が聞こえているようだ。
「あれ、でも、もしかすると…。」
 ムーはふと思い出す。この先にいるであろう友人は防壁を張る名手であったことを。
 何かに怯える友人は一切を近寄らせないために防壁を張っているだろう。何者も立ち入ることが出来ない強力な障壁を。
 彼の友人ならば、その障壁に触れたものを弾き飛ばし消滅させるほどの強い障壁を生み出すことは難しいことではない。
 目の前の壁が魔の力が強いクグレックのみに反応し、友人がその魔の力を恐れるのであれば、目の前の壁は友人が作りだした防壁なのかもしれない。
「ククさん、この壁は偽物かもしれません。僕の友人が作りだしたいわゆるバリアです。」
「…偽物?」
「ククさんは魔女であり、魔の力が強い。この壁はそれに反応してるんだと、思う。」
「そう、なの。」
「…僕たちはこの防壁を破らないといけない。」
「えーでもこれ岩だよ?ニタで砕けるかな?」
「物理的な防壁であれば、衝撃を加えれば破壊は出来ます。具体化されたものはその時の作り手の力の結晶体ですから。」
「いやーでも、素手なんだよねーニタ達は。」
 と言いながらも、ニタは偽物の壁を蹴ってみる。ポロリと僅かに岩が剥がれた程度で、本物の岩壁と同じ強度であるようだ。
「…うーん、無理無理。」
「ハンマーを取りに戻ろうか。」
「私が壊す。」
 クグレックは杖を握りしめた。決して殴るわけではない。頑丈な樫の杖とはいえ木製の杖だ。折れてしまう可能性の方が高い。
 自然物でないのならば、クグレックの空間を破壊する拒絶の魔法で破壊できるかもしれないのだ。この魔法は魔法の力により閉ざされた空間をも破壊してきた。
「ヨケ・キリプルク!」
 杖先から雷のような雷撃がバチバチと音を立てて出現し、壁に向かって放たれた。壁にバチバチと雷撃が這うと一瞬にして壁は砕け散った。壁の先は空洞になっており、壁自体もそんなに厚いものではなかったようだ。この魔法を使うと、疲労感がどっとクグレックを襲うのだが、魔物スポットや特殊空間ほどのものを壊したのではなかったので、元気でいられることにクグレックは驚いていた。
「この先です。多分魔法障壁がかかってるかもしれません。ククさんは一番後ろに居て。もしかすると焼け焦げちゃうかもしれない。」
「焼け焦げる…!」
 クグレックはぞっとした。
「そして、僕達になにがあっても、魔法障壁を壊そうとしないでください。どうやらその魔法は僕も使われた覚えがあるから分かるけど、友人の魔法障壁はどんな最強の矛も通さない最強の盾なんです。きっとククさん一人の魔力でもってしても打ち勝つのは難しい。」
「分かった。」
 クグレックはフィンと共に殿を勤め洞窟の最深部へと向かった。
 2019_07_26



 歩くこと3時間。あの陰鬱な山道を抜けると、ごつごつとした岩場が広がる海岸に出た。天気は相変わらず良くない。砂浜で見たエメラルドの海はそこにはなく、荒々しい黒色の海が一行を待ち構えていた。白い飛沫を上げてざざぁんと岩間に打ち砕かれる波は、一行を呑みこまんと手招きしているようだ。
「おそらくお友達はこの辺りかと…詳しい場所は分かりませんが…。」
 フィンが言った。ムーがピクリと反応してみせた。
「…すこしだけどルルの気を感じる…。」
 ムーは目を閉じてジッとした。数分程じっとしていたが、小さくため息を吐いて目を開き
「だめだ、コンタクトは取れない。」
 としょんぼりした。そんなムーを励ますかのようにハッシュが
「まぁ、この先にいるのなら、会いに行けば良いだけだ。」
というと、ムーは気を取り直した。
「…そうだね。ルル、待ってて。皆、この先は僕が先頭を行くよ。」
 かすかな友人の気を辿って、ムーは先頭を進む。
 海から吹き付ける風は強い。肌寒さを感じる海岸線を20分程歩いたところで、ムーがぴたりと立ち止った。目の前には真っ暗な洞窟が存在していた。
「ルル…!?。」
 ムーが小さく呟くと、「うわ」とよろけた。
「どうした?ムー」
 ムーの小さな体を受け止めるハッシュ。
 ムーは困った様子で
「今、ルルとコンタクトが取れたんだけど、様子がおかしいんだ。僕の声が届かないくらいに怖がって、混乱している…。」
「それは心配だね。早く行こう。」
 と、ニタが先導を切って洞窟に立ち入った所、「キャッ」とフィンが小さく悲鳴を上げて前に倒れてしまった。なんと岩場の隙間から現れた靄がかった白い手がフィンの足首を掴んでいたのである。気味が悪い魔物だ。
 すぐにハッシュがその白い手を蹴り飛ばすと、白い手は掻き消えた。そして、ハッシュは倒れたフィンに手を差し伸べ、優しく「大丈夫か?」と声をかける。
 フィンは「ありがとうございます。転んだだけなので大丈夫です。」と言って、ハッシュの手を取り立ち上がった。
「…私は、魔物と戦う力を備えておらず、何もお手伝い出来ずに申し訳ありません。」
「無理しなくていいよ。魔物からは俺達が守るから。見てただろ、結構強いんだぜ、俺達。」
「そーだそーだ!フィンがいないとここまで来れなかったんだし、とりあえず、ハッシュの後ろに隠れてな。いや、また白い手に引っ張られても怖いから、抱き着いてれば?」
「そうだな、また何かあると危ないから、俺の傍にいると良い。ニタだと、放って置かれる可能性もあるしな。」
「…ありがとうございます…。」
 と、フィンは言った。そして、彼女はハッシュの腕に掴まった。
 その瞬間クグレックの胸がちくりと疼いた。なんとなくざわざわと胸騒ぎも感じた。フィンから視線を外し、先頭のムーの方を見ると、ざわつきは収まった。更に、ニタにも視線を移し、丁度目が合うと不安な気持ちも和らいでくるようだった。
 クグレックはハッシュとフィンを追い越し、ニタの隣を歩いた。
 洞窟の奥へ進むめば光は届かなくなり真っ暗で何も見えなくなったため、灯りが必要になった。
 調子が悪いクグレックの魔法だったが、いつもの灯りの魔法は何も苦労することなく発現し、一行の足元を照らし出してくれた。

 やはりクグレックは普通の女の子ではないのだ。魔物に対して成す術もないか弱い女性ではないのだ。それならば、クグレックは魔女として皆のためにその力を存分に発揮したくなった。
 魔女。魔の力を増幅させ世界を闇に包んでしまう恐ろしい魔女。
 上等だ。
 魔女であることに抗えなければ、クグレックがすべきことは、力をコントロールして世界を闇に包み込まないようにすること。
 灯りとして光り輝く杖の頭。
 クグレックは杖を握りしめ、魔力を込める。身体の奥底から何かが溢れ出るような感覚があった。その感覚は無意識的に言の葉に紡ぎ出される。
「イエニス・レニート・ランテン・ランタン・フェアーレ!闇の中に光を照らし出せ!」
 とクグレックが唱えると、杖から離れていた光はまるで蛍のようにふわふわと宙に浮かぶ。光は5つに分裂しそれぞれムーやニタ、ハッシュ、フィンの傍へと漂った。
「うん?クク、なにこれ?蛍みたい。」
 ニタがクグレックに尋ねる。
「…みんなの分の灯り。多分、着いて来てくれると思う。」
 とクグレックは応えた。
 ニタはクグレックの言うことを試してみようと2,3歩ほど歩みを進めた。すると光の玉はふわふわとニタと共に着いて行く。歩みを止めると、光もぴたりと止まる。
「おおう、なんか可愛い。」
「おとぎ話でよく聞く妖精みたい。」
 と、フィンが言った。
「でも、突然どうしたの?いつもは杖が光っていたような気がするけど…」
「…わかんない。けど、なんか使えるような気がしたの。」
「へぇ、凄い。あ、これ、触れるよ。熱くないし。」
 ニタは自分の周りを漂う光の玉を掴んだ。こうすることで任意の場所を照らすことも出来るというわけだ。光の玉を離せば、再び光の玉はふよふよとニタの周りを漂う。
「なかなか便利な魔法だね。」
「うん。」
 こんな感じで家とか美味しい食べ物を出すことが出来れば良いのに、とクグレックは思ったが、そのような魔法はまだ使えそうになかった。

 幾分進みやすくなった暗闇の洞窟だが、道中は度々魔物が出現した。洞窟と言う場所に似つかわしい蝙蝠の様な魔物や蛇の様な魔物も出現した。
 森での戦いとは異なり、この洞窟での戦闘においてはニタもクグレックも参加することが出来た。
 特にクグレックが戦闘に対して積極的だった。ニタと倒した魔物を競い合うほどに珍しく活発だった。
「クク、やるね!」
「…私だって、出来るんだから!」
 と、その時であった。クグレックとニタが仕留め損ねた大きなカニの姿の魔物が、丁度ハッシュから離れてしまっていたフィンに狙いを定めて石を投げた。突然のことで驚いたフィンはその場から動くことが出来なかったが、石がフィンにぶつかろうとしたその時、ハッシュが身を挺して石を体に受け、間一髪のところでフィンを助けることが出来た。
「悪い、大丈夫か?」
「えぇ、大丈夫です。ハッシュさんこそ大丈夫ですか?」
 フィンは心配そうに石がぶつかったであろう箇所をさする。少しだけ赤くはれていた。
「あぁ、これくらい大したことはないよ。取り合えず、フィンが無事で良かった。
「うふふ、ありがとうございます。ハッシュさん、頼りになりますね。」
「…。」
 ハッシュは照れ臭そうに頭をかいた。
 カニの魔物は瞬時にクグレックの魔法で焼かれて消滅した。
 二人が無事であったことに安心すると同時に、クグレックは再び胸の内がざわつくのを感じたが、再び現れた蝙蝠の姿の魔物に魔法を当てて倒したらそのざわつきは収まった。魔物を倒すのは意外と気持ち良いのかもしれない。
 奥へ奥へと進むがムーの友人の姿は一向に現れない。途中、クグレックの背丈ほどある崖を登らなくてはならなかった。ムーは自分の翼を使って、ニタは持ち前の運動神経を使って余裕で登って行ったが、どんくさいクグレックが簡単に登れるはずがない。2、3回ほど滑り落ち膝に擦り傷を負いつつも、ニタの手を借りてなんとか登ることが出来た。
 登り切ったところでふと横を見遣れば、ハッシュがフィンが壁を登るのを手助けしていた。
「大丈夫か?そう、そこに捕まって、そうすれば俺の腕に捕まれるから。」
 というやり取りを見て、クグレックはこれまではフィンのポジションは自分だったのにと少し寂しい気持ちになったが、すかさず魔法を唱える。
「ラーニャ・レイリア」
 と唱え、フィンに向かって杖を向ければ、フィンはふわりと浮かび上がり、ゆっくりと崖の上に降り立った。
「わぁ、クグレックさん、ありがとう。」
 フィンはにこりと微笑んだ。
 クグレックはちらりとハッシュを見遣ると、ハッシュもニコニコして
「クク、やるなぁ。」
とクグレックを褒め称えるのだった。クグレックは顔を赤くして
「…私だって、助けられるんだから。」
とぶっきらぼうに答えるのだった。内心は嬉しかったのだが。

 2019_07_18


********

 それからクグレックは大人しく浜辺でムーと遊んだ。ニタと海で遊ぶのは海初心者のクグレックには危険とハッシュに判断されたためだ。ニタはクグレックと遊びたがっていたが、ハッシュが代わりにニタと遠泳勝負を行っている。
 そして、夕暮れが近付いて来る頃、フィンが夕食をバーベキューにしてはどうかと提案をしにやって来た。一行は海を十分に満喫したので海の家にてシャワーを浴びて身を清めてから、バーベキューの準備を始めた。
 道具などは海の家に準備されたものを運び出すだけだったが、火起こしなどは自分たちで行う。何故ならば、そちらの方が楽しいからだ。それに野宿慣れしている彼らなので、バーベキューなど余裕であった。
 ハッシュが炭に火を起こしている間にニタとククとムーで海の家からバーベキュー用の食材を選ぶ。串に刺さった豚肉や牛肉、鶏肉、野菜や魚などがありニタとクグレックは嬉々として好きな具材を持って行く。二人が戻って来る頃にはハッシュも火起こしを終えていたので、すぐに具材を焼くことが出来た。野宿生活でニタが狩って来た野生の肉よりも断然美味しいバーベキュー。海に沈んでいく夕日を眺めながら一行はバカンスを満喫するのであった。

 そうして一行は目一杯ハワイでの行楽を楽しみ、ついにその日を迎えた。
 ハワイ滞在3日目は、霧雨が立ち込めて、これまでの青空は全くと言い程見えなくなっていた。

「最高のおもてなしのためには常に晴れていて欲しいと思うのですが、そう上手く行かないのが現実です。」
 フィンは残念そうに雲に覆われ靄がかった空を見つめながら言った。
「…もしかすると、リリィは神域に来て欲しくないのかな。」
 ムーが言った。
「それは、そうです。常時閉鎖している位なので極力来てほしくないと思ってますよ。」
 クグレックは(神域に私みたいな魔女なんか入れたくないんだろうな…)と思って、この天候の悪さに責められるような心地がした。
「リリィはただ普通にハワイでの行楽を楽しんでほしいと願っています。だから、皆さんのことが嫌なわけではないんですよ。海で泳いだり、浜辺でバーベキューしたり、ダイビングをしたり、トレッキングをしたりしてただ純粋に楽しんでもらいたいだけなのです。『楽しむ』という観点から見ると神域で過ごすことはリリィの意志に反してしまうんですよ。私達みたいな従業員が業務のために入る場合は何にも起こりませんから。」
 と、フィンはクグレックの頭を撫でながら言った。まるで、心の中を読まれていたかのような心地がしたが、クグレックはそのフィンの言葉に安堵の気持ちを覚えた。
「…1つだけアドバイスしますと、神域は少しだけ険しい道のりかもしれませんが、楽しんでください。リリィは皆さんが楽しんで充実している様子が見られれば、満足してくれます。」
「なんだ、そうなの。じゃぁ、ニタは大体いつも楽しいから、いつもの調子でいるよ。」
 と、言って、ニタはクグレックの手を握った。そして、ぐいっと引っ張り駆け出した。クグレックはよろめきながらもニタと共に走った。ニタは自分本位で騒がしい奴だけど、ニタがいてくれれば、不安になりがちなクグレックの気持ちは穏やかになるのだ。
「…ま、そういうことなんだな。ムー。」
 二人の後姿を見ながら、ハッシュが言った。
 ムーはパタパタと翼を羽ばたかせながら、押し黙る。常に不安になりがちなクグレックだけはなく、今はムーも友人の安否が心配であり、正直なところ楽しんでいる余裕はなかった。
「…前を見てようぜ。俺達が進む先にお前の友達が待ってるんだ、絶対に。」
 この時、ハッシュはあえてムーを一瞥することなく歩を進めたが、ムーは不安を吹っ切ったのか、猛スピードでハッシュを追い越し、先を行くニタ達を追いかけた。すぐに山門に辿り着いたのだろう。くるりと振り返ったムーは
「ハッシュ、遅いよ!早く、早く!」
と、どこかからかうように叫ぶのであった。
 ハッシュは一緒に歩いていたフィンと顔を見合わせながら、ふっと鼻で笑った。

 山門は木の根の様なものが複雑に絡み合い門の態を成していた何となく門の様に見えるが、どのように開くのか。そして、山門と良いながらも、眼前に広がるのは山と言うよりも鬱蒼とした森である。大きな樹が立ち並び、あまり光が差し込んでるようにも見えない。陰のオーラが立ち込め、楽しいハワイの雰囲気はそこには全く存在していないであろう。

「いやぁ、なんか不気味だねぇ。」
 さすがのニタも神域の不穏さに気圧されるも、臆することなく山門に手を触れる。すると、木の根はするすると左右へと退いて行き、森への鬱蒼とした道が開かれた。
「リリィは許してくれたみたいですね。」
 フィンが言った。
「道は整備されていませんが、そんなに大変な道のりではありません。山の中の道は案内しますね。」
 薄暗い山の中の道を一行は進む。
 コンタイのジャングルの道やポルカの山道も鬱蒼としていたが雰囲気が違う。コンタイのジャングルは、木々の隙間から日の光が差し込まれて明るかった上に、色とりどりの植物は目にも美しく、鳥や獣たちの鳴き声が聞こえることから生命活動が活発だったし、ポルカの山道は晩秋の山道で少し物悲しくはあったが赤や橙の落葉が敷き詰められる様はまるで絨毯のようで風情があった。ところがこの山中の道はうっすらと暗く『陰気』と言う言葉が似合う。生気がないと言うよりも、生気を吸い取ってしまいそうな禍々しさがある。華やかで楽しいハワイの雰囲気は全くない。
 時折、魔物も現れた。御山程魔物が現れることはなかったが、人間ほどの大きさの白い靄が宙に浮いていた。一見、幽霊のように見えたが、魔物は一行に気が付くとまるで何かに吊るされているようにぶらんぶらんと動いたかと思うと、突然黒い靄を発してきた。その黒い靄は一過性の毒の様なもので、触れた瞬間息苦しさとキーンという耳鳴りと視界が真っ白になり、一種の臨死体験なようなものが味わえた。
「…斬新なアクティビティだね…。」
 息切れさせながらニタが言う。靄に触れて症状が発生するのはせいぜい1,2秒で大したことではないのだが、身体は吃驚する。
 しかも、この魔物はニタの背では届かない場所に浮いていた。ハッシュが手を伸ばしてようやく届く位の高さにいたものだから、ニタは歯を食いしばり低い唸り声をあげて威嚇することしかできなかった。
 ではクグレックが魔法で応戦しようと杖を構え詠唱を試みたが、魔法は発せられなかった。
 ハワイへと向かう船依頼に魔法を使ってみたが、やはり魔法が使えなくなってしまっている。
「…どうしよう、やっぱり魔法が使えないよ…!」
 と、クグレックは焦るが、傍にいた小さな竜が
「大丈夫です。僕に任せて。」
 と言って、単身白い靄の魔物に立ち向かって行った。そして大きく息を吸い込むと、ムーの口からは拳位の火の玉が吐き出された。大きいとは言えないかわいいサイズの火の玉だが、勢いよく白い魔物へとぶつかると、白い魔物は霞となって掻き消えた。
 その後、白い魔物は数体発生した。ムーとその辺の太い木の枝を武器にしたハッシュが対応して撃退に成功した。クグレックも諦めずに魔法で応戦したところ、一度だけ魔法が使えたが、安定したものではなかった。
 魔物が発生する場所は決まって大木の傍であったため、応戦するごとに学んで行ったニタは木登りをして戦いに参加しようとしたが、途中で魔物の攻撃に遭い、木登り途中で落ちてしまったために、無理に手を出そうとはしなかった。


 2019_07_14


********

 先の憂いが晴れた一行は、思いっきりハワイ島を楽しむことに決めた。
 まずは浜辺で遊ぶのだ。
 というのも、ニタもクグレックも海を知らない。ニタの提案で、ニタだけでなくクグレックも海を知り、楽しむのだ。
 部屋に戻ったニタとクグレックは荷物と花飾りを置き、用意されていた水着に着替えた。とは言え、ニタは服を着ていないので選ぶも何もなかったが、丁度ニタのサイズにあう赤色のアロハシャツがあったので、ニタは喜んでそれを着て、更に麦わら帽子を被って海への装いとした。
 一方クグレックは悩みに悩んでいた。
 トリコ王国の時にも下着の様な服を着て恥ずかしい思いをしたが、水着もなかなか恥ずかしいものだった。パレオ型だと肌を露出させないで済みそうだと思って選んでみたが、様々なデザインにクグレックは悩んでしまう。いつも着ているのは黒のローブなので、なんとなく黒い水着を選んでしまうが、ニタがその選択を目敏く発見し「黒は大人っぽすぎるんじゃないのかな。せっかくならこっちのピンクとかにしたら?」と言うので、クグレックはピンクを基調とした黄色やオレンジ色が入った水着を選んだ。
「ニタ、変じゃないかな、ハッシュたちに笑われないかな。」
 着替え終わってからもクグレックはニタに執拗に確認を取る。あまりにも何度も確認を取るので、次第にニタは面倒になって来て適当にあしらうようになった。
 クグレックの確認も気が済み、部屋を出ようとすると、クグレックは「あ」と声を上げて部屋に戻って行った。ニタはなんだろうと思い、部屋を覗いてみると、クグレックは杖を準備していた。
「クク、杖はきっと必要ないよ。」
 呆れた様子でニタが言うとクグレックは
「え、でも、何かあったら大変。」
と狼狽える。ニタはやれやれとため息をつくと、壁に飾っておいたハイビスカスの花輪からぷちっと花房を一つもぎ取った。そして、それをクグレックの耳の上あたりに付けてあげた。
「ほら、魔除けのお守りがあるから安心安心。さ、行こう。」
と言って、クグレックの手を引っ張って部屋の外に出た。
「お、遅かったな。早く行こうぜ。」
 部屋の外にはすでに水着に着替えたトリコ兄弟とセーラーを着たムーがいた。ハッシュはオレンジと黄色の派手なボクサー型の水着を着て、ディレィッシュは青や水色のボクサー型の水着を着ていた。ふたりとも白いシャツを羽織っている。
 それにしてもムーのセーラーは可愛らしかった。少し大きめのセーラーだが、ムー用の服があることに驚きであった。クグレックは思わず顔を綻ばせた。
「あ、ディレィッシュ、大丈夫なの?」
「あぁ、少しくらいなら良いだろう。私だって楽しみたい。調子が悪くなったら休むさ。」
 と、ディレィッシュはウィンクをしてみせた。

********

 美しい白浜にエメラルドの海を見た瞬間、ティグリミップの時でもそうであったように、興奮したニタは海へ向かって思いきり駆け出していた。
「海だー!!!!」
 猛ダッシュで砂浜を駆け抜け、海へ突入する。足が着くところまではひたすら走っていたが、腰のあたりまで浸って来ると、ニタはばしゃばしゃと華麗に泳ぎ出した。ニタの勢いは止まらない。一体どこまで泳いでいくのか。
 そんなニタを見つめながら、クグレックたち4人は浜辺の拠点作りから始める。
 パラソルを開き、シートを敷く。小さな一人用のテントも設置して、準備は万全だ。
「じゃぁ、私が荷物番をしているから、皆は泳いでくると良いよ。」
 とディレィッシュ。
「具合が悪くなったらすぐに伝えてくれよ。」
 とハッシュは言って、ビーチショップへ向かった。クグレック用の浮き輪を借りに行ったのだ。その間、クグレックはムーと二人で波打ち際で水遊びを始めた。
 ディレィッシュが海に行くならば、サンダルは脱いで裸足になった方が良いとお勧めしてきたので、クグレックは裸足で砂浜を歩いた。砂浜はどうして歩き辛い。坂道を上るのとまた違った重たさが存在する。が、柔らかな砂浜を裸足で歩くのは解放感があって気持ちが良かった。
 さらに波打ち際では波が寄せては返す様子を足で感じることが出来た。波はちょうど良い冷たさで、クグレックの足を覆っていく。が、すぐに波が引いて行くと同時に足の周りの砂も一緒に流れていって、なんだかくすぐったさを覚える。お風呂のように海に浸かってみたが、しばらく進んで行くと海の深さは腰ほどまでになったので、クグレックは怖くなってムーと波打ち際で濡れた砂を山のように集めて、トンネルを掘り、浸食されていく様子を楽しんだ。
 やがて、ハッシュが浮き輪を抱えてやって来た。クグレック用とムー用の浮き輪だ。
「ほら、これがあればククでも海を泳げるぞ。」
 そう言ってハッシュはクグレックに浮き輪を渡す。が、クグレックは不思議そうに浮き輪を眺めた後、これは一体何なのか、と尋ねるようにハッシュを見つめる。
「浮き輪はな、こうやって腰のところにやってしがみついていれば、浮き輪の力で体がぷかぷか浮くんだ。」
「…本当に?」
「あぁ。俺が引っ張ってやるから、着いて来いよ。」
 ハッシュはクグレックの浮き輪の紐を引っ張り、海に入って行った。
「ハッシュ、本当に、大丈夫なの?」
 深さが腹のあたりまで来たところでクグレックはだんだん不安になって行った。
「浮き輪にしがみついていれば、大丈夫だよ。足がつかなくなっても、しがみついていれば大丈夫。試しに足を離してごらん。」
「足を離す?どういうこと?」
 泳ぐこと自体がはじめてのクグレックにとって、海に浮かぶという行為すら分からなかった。
 ハッシュは少々の間の後、浮き輪の紐を引っ張って、さらに沖へと進む。ハッシュの身長ではまだ足がつくが、クグレックの身長ではギリギリ足が届かない深さに至った時、クグレックはパニックを起こした。海水が顔に掛かって苦しい。
「や、ハッシュ、怖い。足が、つかない。」
「浮き輪にしがみついてればいいんだ。それが浮かぶってことだから。」
 クグレックはばたばたもがきながら必死で浮き輪にしがみついた。すると、ハッシュはクグレックを連れて浜辺の方へ少しだけ戻った。
「多分、ここなら足がつくだろう。」
 とハッシュが言うのでクグレックは水底に足を降ろした。地に足がつくことに安心する。
「と、まぁ、これが浮くってことなんだ。分かった?ちょっと足を離して浮き輪にしがみついてごらん。」
 ハッシュに言われるがまま、クグレックは足を離し浮き輪にしがみつく。しがみついてさえいれば、沈むことはないということをクグレックは学習し、海に浮かぶことに対しての恐怖心が少しだけ消えた。
 それどころか、ぷかぷか海に浮かぶことは案外気持ちよい。足が着く浅瀬でクグレックはぷかぷかと海を漂った。
「よし、これでニタに連れ去られても安心だな。」
「え?」
 沖から猛烈な勢いで水飛沫が上がって来る。クグレックたちのもとまで近付いて来ると、水飛沫は止み、ぷはぁと息を吐き出しニタが現れた。
「海楽しいね!」
 海に濡れて自慢のふかふかの白い毛はぺったりとくっついているが、ニタは非常に満足そうな表情をしている。
「ククも沖の方に行こうよ。楽しいよ!」
 そう言ってニタはククの浮き輪の紐を引っ張り、超絶的なバタ足で沖へ向かう。無論クグレックにバタ足で飛び散った海水が全てかかってしまっていたのは言うまでもない。
 足がつかない程の深さにいるが、浮き輪のおかげで浮いていられるし、ニタが傍にいるのだからクグレックは安心していられる。
 と、その時であった。一際大きな波がやって来たかと思うと、波はぺろりとニタを呑みこんだ。そしてクグレックも浮き輪ごとひっくり返った。すぐさま浮き輪にしがみついたおかげで海中へ沈んでゆくことはなかったが、浮き輪の外側からしがみついているためうまくバランスが取れない。 クグレックは必死にばしゃばしゃと水をかきながらもがき続けた。勢いで海水も飲んでしまい、くるしい。
 クグレックは大パニックに陥っていたが、ふと何者かに抱きすくめられた。
「クク、大丈夫か、ニタはどうした。」
 困った時にいつも助けてくれるハッシュの声にクグレックはわずかに落ち着きを取り戻し、御山の時のようにハッシュに抱き着いた。
「ニタ、…沈んじゃった…」
「そんな!」
 ハッシュは浮き輪を掴みながら、きょろきょろと辺りを見回すが、ニタの姿はない。
「…一回浜辺に戻ろう。ニタを探すのはそれからだ。」
 と言って、クグレックを抱えて浜辺へ戻ろうとしたハッシュだったが、突然海面が盛り上がったかと思うとざぱんと元気よく飛び出してきたのはニタだった。ふかふかの毛は海に濡れてしなしなになっているが、黄色のヒトデを手にして満面の笑みを浮かべていた。「見てみて、星落ちてた!」と、呑気な台詞をぶちかまして。
「は?ニタ?」
「いやぁ、ちょっと大きめの波に呑まれた時はびっくりしたけど、海の底に星がいたから、つい持って来ちゃったんだよね。って、あれ、ちょっとなんでクク?」
 ニタはしっかりとハッシュに抱き着くクグレックを見て戸惑った。
「ククは溺れかけたんだ。とりあえず浜辺へ戻るぞ。」
「…はーい…。」
 さすがのニタも怖がってハッシュに抱き着くクグレックを見てしまっては、大人しくハッシュに従うしかなかった。



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