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 ぼんやりとした様子で目だけを動かして周りの様子を伺う。
「ディレィッシュ…」
 ハッシュは奇跡でも目にしたかのように、ディレィッシュに声をかける。
「おお、ハッシュ。なんだか大分楽になったな。看病、ありがとう。」
 目覚めたばかりのかすれた声でディレィッシュは言った。と、そこへ少年クライドを連れた白魔女が割り込む。
「ほら、どう?クラ君、なんか思うことはある?」
 と、白魔女が問うが、少年クライドは特に言葉を発しなかった。
「ん、クライド?随分若くなったな。元気にしてたか?」
 とディレィッシュが声をかけた。彼はすぐにこの少年をクライドであると判断できたようだ。少し弱っているが、ディレィッシュ特有の不敵な笑みが浮かべられている。
 少年クライドは、白魔女を振り返り意見を求めるようにじっと見つめる。
「なぁに?この人、クラ君の知り合いじゃないの?」
 白魔女は怪しい笑みを浮かべながら、少年クライドに問いかける。少年クライドは再びディレィッシュを見つめた。すると、少年クライドはつうと涙を流した。そして、か細い声で
「…もうしわけ、ありません…」
と、一言。少年クライドは突然しゃがみこんで、えづき始めた。
「うーん、まだ駄目ね。まだ馴染めてない。」
 白魔女はそうぼやくと、懐に入っていた小瓶から錠剤3粒を取り出した。少年クライドの腕を引っ張って無理やり立ち上がらせ、錠剤をその口に放り入れると、口を手で塞いで無理矢理嚥下を促す。少年クライドは苦しそうにもがくが、白魔女にしっかりと関節を抑えられているため、脱出を試みることが出来なかった。しばらくすると、少年クライドは落ち着きを取り戻した。
「お外で待ってなさい」
 と白魔女が少年クライドに囁くと、クライドは素直に部屋の外へ出て行った。
「クライドに、一体何をしたんだ?」
 つとめて穏やかな口調でディレィッシュが尋ねた。
「今?今は精神安定剤を飲ませただけよ。ちょっとね、あの子は今精神不安定なのよ。」
「おかしくしたのは、お前だろう?」
「いやなこと言うわね。もうあの子はおかしくなっていたわよ。無理矢理望まない世界に生きなければいけなくなることの苦痛はいかなるものなのかしら。」
「…どうして、知っているんだ?」
「それは、秘密。」
 白魔女は唇に人差し指を当てて答えた。
「それにね、アタシ、わざわざここまで来て薬を届けてあげたし、白魔術師の奇跡である生命魔法も披露してあげたわけ。でも、アンタ達からは惚れ薬の効果しか見返りを頂いてないのよ。ねぇ、これって割りに合わないわよね。」
 白魔女はちらりとクグレックに視線を移した。緑色の瞳は何かを企んでいるように怪しく輝く。すぐに不穏な空気を察したニタがクグレックを守るように前に立った。
「いや、見返りは十分払っているだろう。」
 ディレィッシュが言った。
「私の腹心の部下であったクライドを貴様のおもちゃにした。あいつの人生すべてをぶち壊したんだ。私を治療で、等価交換ではないか。」
「それ、この先あの子にもっとひどいことをやって良いってことよね。ご主人様の許可、得たってことよね。でもまぁ等価にはならないわね。アタシね、やっぱり、クグレックが欲しいのよね。」
 そう言って白魔女はゆっくりとクグレックに視線を向ける。ニタは毛を逆立たせて威嚇を始めた。
「お前、やっぱり!」
「アタシの目的はずっと黒魔女ちゃんよ。」
「なんでククを狙うんだ!」
「黒魔女の力が欲しいからよ。黒魔女の力さえ手に入れば、アタシは全てを支配できる。この世の全てを、この世の理を。」
「意味が分からない!」
 と、ニタが叫ぶと、白魔女はにんまりと笑った。
「…ま、アタシたちはまた会うことになるわ。多分、その時は、黒魔女も喜んでアタシに身を捧げたいと思うようになっているはずだから、その時まで、今回の件は貸しにしてあげる。んふふ。」
 そう言って白魔女は部屋を出ていった。その場にいた者達はぽかんと呆気にとられた様子でいたが、ハッシュが慌てて部屋の外に出た。
 あの少年クライドが本当にクライドならば、白魔女の元に居てはいけない。連れ戻さねばと思い、部屋を出たが、白魔女の姿は見つからず。外に出ても、白魔女と少年クライドの姿は見つからなかった。ハッシュが外に出たのが遅すぎて見失ったというわけではない。2人は消えた、という方が正しいだろう。
 ハッシュは部屋に戻った。
「白魔女とクライドはいなくなっていた。」
 と、ハッシュがいうと、ニタはぷんぷん怒った様子で
「あの女、本当に気味が悪い!」
と言った。1度ならず2度までもクグレックを狙いに来たのだ。しかも、3度目もある様な言いぶりだったのが気に喰わない。
「でもディレィッシュのことを治してくれたのは確かですし、そこまで悪い人なんですかね。」
「…昔からあいつの腹の底は知れない。用心すべきなのは間違いないぞ、ムー。」
と、ディレィッシュが言った。
「それに、…残念ながらクライドのこともあいつに任せなければいけない。あの状態のクライドを引き取ったとて、私達に出来ることは少ない。私が熱に浮かされただけで、大変だったろう?幸い、次に会う機会はあるらしい。その時を待とうじゃないか。」
 ベッドの上で横になったままディレィッシュは話す。
「クライドの身が危険だとは考えないのか?」
 ハッシュが尋ねる。
「少しだけ心配ではあるが、クライドは今少年の姿になっている。だから、トリコ王国の追っ手に捕まることはないだろうし、それに白魔女の一番の狙いはククなんだ。おそらくあいつは再びクライドを交渉のネタにして連れてくるだろう。その時のクライドがどうなっているか心配ではあるが、きっと死ぬことだけはないだろう。」
「そうか…。」
「私達は私達の旅を続けよう。時期が来ればまたクライドにも会えるはずだ。」
 ハッシュは仕方なしに「あぁ」と応じるが、完全に納得しているようではなかった。
「ねぇねぇ、トリコ王国の追手って何?」
 ニタが尋ねた。
「あぁ、トリコ王国を勝手に抜け出した者は死罪なんだ。意図がないにせよ情報を持ち出すことは重罪だからな。」
 ハッシュが当たり前だと言わんばかりに答えた。
「おっかない国!」
 ニタは竦み上がった。
「それにしてもみんな。」
 ディレィッシュが横たわったまま声をかけた。
「みんなには心配をかけてしまったな。おかげさまで熱も下がって体はだいぶ楽になった。今日は皆ゆっくり休んでくれ。」


********

 それから3日後、熱によって消耗されたディレィッシュの体力も半分ほど回復し、一行は港へと向かった。ディレィッシュは本調子ではないが、療養するならばハワイ島の方が良いとムーが判断したためだ。当人であるディレィッシュもそれに同調した。
 宿屋を出る際は、アニーが大泣きして大変だった。が、宿屋の主人がアニーに一喝したことで、アニーの癇癪は収まり、ニタはなんとかアニーから離れることが出来た。親はしっかりと子供をしつけなければいけない。
 港には小型の木製の船が就航していた。
 桟橋から歩み板を渡って船に乗り込み甲板に出ると優しい海風が5人の頬を撫でた。
 目の前には水平線がくっきりと見え、ゆるくカーブを描いている。この世界は平面であると思い込んでしまいがちだが、実は球体なのだ。
 この海の向こうに『滅亡と再生の大陸』が存在し、アルトフールも存在する。
 まだまだ先に見える旅の終着地はゆっくりと近づいて来ている。それはとてもゆっくりと近づいて来ているのだが、一行が歩みを止めない限りは近付き続ける。



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 2018_02_13



 と、その時であった。突然部屋の扉が勢いよく開いたのだ。ニタは驚いて白い毛が逆立っている。
「こんばんは~!」
 と艶めかしい声で挨拶してきたのは、白いローブにフードを被った背の高い女性だった。フードの下からは獅子のようにうねる紅い髪とエメラルドの様な緑色の瞳が覗いている。
 白魔女が来訪したのだ。
「お前は、あの時の…!」
 ニタは立ち上がって、警戒するように戦闘態勢に入る。
 (ニタは白魔女にあったことがあるのだろうか。)
 と、クグレックはニタの様子に首を傾げた。
「あら、ペポ族の戦士かしら?まだ一緒にいたのね。」
 隠れ家に居た時の彼女とは打って変わって元気な様子の白魔女。二日酔いは無事おさまったのだろう。
「ククに何の用だ!」
 ニタは険しい表情で大声をあげる。白魔女が一歩たりとも近付けば襲い掛かりそうな様子だ。
「黒魔女にはいつだって用事があるわ。でも、むしろ、今用事があるのは黒魔女の方がアタシに用事があるわよね?」
 そう言って白魔女は懐から小さな透明の小瓶をちらつかせる。中には群青色の液体が入っていた。
 クグレックはその小瓶が意図するものに気付き、ニタに声をかける。
「ニタ、その人は白魔女さんだよ。二人の間に何があったのかわからないけど、落ち着いて。」
 と、クグレックに宥められるもニタは
「でも、こいつはメイトーの森でククを殺そうとしてきた奴だよ?覚えてないの?」
と、言った。
 クグレックは数か月前のことを思いだすのに少々時間がかかったが、確かにあの紅い髪と意地の悪い性格の女がメイトーの森出口辺りに居た。
 メイトーの森を出てから色々なことがあり過ぎた上に、昨日会った白魔女が二日酔いでグロッキーだったこともあって、すっかり忘れていたが、この白魔女と呼ばれる女性は確かにメイトーの森でニタとクグレックを襲った人物だ。今日は持っていないが、杖でニタのことを吹き飛ばし、クグレックの首を絞めて殺そうとした女だ。たしか、祖母のエレンとは旧知の仲だと言っていたが。
「そういえば!」
 と、クグレックは声を上げた。が、白魔女が持っている薬を見ると、抵抗することは良くないと感じた。
「ちょっと、黒魔女ってばアタシのこと忘れてたの?薄情な子ねぇ。」
 眉間に皺を寄せて白魔女が言った。
「そうよ、アタシこそが天下最強の白魔女サマよ。覚えておきなさい。」
 白魔女はニタにも目をくれず、ゆっくりとクグレックのもとへ近付いて行く。
「ま、今日はこのアタシが直々に出向いてあげたんだから、感謝しなさい。」
 そうして、白魔女はクグレックに群青色の液体が入った小瓶を渡す。
「解熱剤よ。で、第一皇子の薬の効き目はどの位だったのかしら?」
「第一皇子?どうしてそれを?」
 ニタが会話に割って入ろうとしたが、クグレックがニタの方に手を向けて制止する。
「今朝には元に戻っていました。寝る前はまだ、効果があったと思います。」
「へぇ、そう。まだまだ効き目が弱いわねぇ。改良の余地ありだわ。で、熱にうかされたトリコ王はどこかしら?」
 白魔女はディレィッシュがトリコ王であることも知っていたことにクグレックは驚く。
「…隣の部屋にいます。」
「そうそう、じゃぁ、案内して。ちょっと試したいことがあるのよ。ふふふ。」
 上機嫌な様子で白魔女が言うので、クグレックは部屋を出た。すると、部屋の外ではクライドにそっくりなあの時の少年の姿があった。少年は冷たい瞳でクグレックを一瞥した。この仕草もまたクライド本人にそっくりだなとクグレックは思いながら、白魔女を隣のディレィッシュ達の部屋へ案内した。
「こんばんはぁ。」
 ハッシュとムーは白魔女の姿に驚き戸惑いの色を隠せずにいた。そして、その傍らにいるクライド似の少年の姿にも驚いていた。
「薬の受け渡しは明日では…?」
 ハッシュが言った。
「日付上では受け渡しの日よ。ちょっとだけ面白いことがありそうで、こっちまで来ちゃったの。あ、薬は黒魔女に渡したから。」
 と、白魔女が言ったので、クグレックは白魔女の後ろからこそっと小瓶を二人に見せてみた。
 ハッシュとムーは安堵の表情を浮かべた。が、目の前には白魔女が存在するので下手に警戒心を解くことは出来ない。
 白魔女は少年を二人の前に出した。
「この子、現トリコ王国の軍団長をやってたんだけどね、ちょっと拉致しちゃった。トリコ王国では騒ぎになっているでしょうね。でも、可哀相だったんだもの。精神と体がちぐはぐになっていて、生きづらそうだった。だから、天才である白魔女サマが治療してあげようと思ったの。ちょっと投薬しすぎちゃったんだけどね。」
「じゃぁ、その少年は本当にクライドなのか?」
「そうなのよ。ちょっと薬のせいで記憶がめちゃくちゃになったり、感情に乏しくなっちゃったりしちゃったんだけど、あ、感情が乏しいのは元々だったわね。とにかくこの子は元トリコ王国軍団長のクライドなのよ。ちっちゃくなってもイケメンよね。あ、黒魔女、薬をトリコ王に飲ませたげて。」
 と、白魔女に言われたクグレックはディレィッシュの傍に立ち、白魔女から受け取った小瓶の蓋を開けた。ハッシュが「俺も手伝うよ。」と言って、ディレィッシュの上半身を抱き起した。ディレィッシュは息苦しそうに眠り続けるが、ハッシュに「ディッシュ、薬だ。起きてくれ。」と、声を掛けられると、目は開かなかったが、うっすらと口を開いた。ハッシュはクグレックから小瓶を受け取ると、ゆっくりと薬をディレィッシュの口に流し込んだ。
 こくん、こくんとディレィッシュの喉が動く。
「あ、杖忘れちゃった。」
 白魔女が呟いた。
「ちょっと黒魔女、アンタの杖貸しなさいよ。本当は薬飲んで1日くらいで熱は下がるんだけど、ちょっとトリコ王と話したいから、力を使っちゃうわ。特別サービスよね。」
 白魔女はクグレックに向けてウインクを放った。謎の言動にクグレックは特に何も感じることなく、自室の樫の木の杖を取って来てそれを白魔女に渡した。
 白魔女は樫の木の杖を品定めするように振り回す。「エレンの魔力もちょっと残ってるのね。うーん、ていうかわざと残してるのかしら。アタシの魔法と相性は悪そうだけど、まぁやってみないと分からないしね。しかし古くて汚い杖だこと。」などとぶつくさ独り言をつぶやいて、杖をディレィッシュに向けた。
「うーん、やっぱり重いわね。」
 白魔女はしっくりくる持ち方を探った。先を持つのがいいのか、真ん中を持つのがいいのか。両手持ちか片手持ちか。試行錯誤した結果、白魔女はクグレックの杖の真ん中を両手で持つことで落ち着いた。ふと力を込めると白魔女からぽわぽわとした淡い色をした光の玉が発生する。
「彼の者の生命の龍脈よ、地の力を介して今一度活性化し癒しを齎せ。」
 と、白魔女が詠唱すると、ディレィッシュの周りにも淡い色をした光の玉が次々と発生し、彼の中に吸収されていった。みるみるうちに顔色も元の色に戻り、呼吸も落ち着いていく。
「はいっと。これでオッケーよ。」
 白魔女はクグレックの方へ杖を向ける。「邪魔だから返すわ」と一言添えられて、クグレックは自分の杖を受け取った。
「今のは、生命魔法…?」
 ムーが呟いた。
「白魔女様の生命魔法でーす。一番簡単な奴だから、体力まで回復したわけじゃないからね。とりあえず熱は下がった感じ。」
 白魔女はあっさり答えた。
 と、その時、ディレィッシュが目を覚ました。


 2017_10_08


********

――――わるいまじょはおおきくてきょうぼうなドラゴンにへんしんして、おうじさまのゆくてをはばみます。

 朝早く起きたアニーとニタはロビーで本を読んでいた。アニーが読み聞かせる側で、ニタはアニーのたどたどしいそれを黙って聞く側だ。
 ロビーには二人の他にクグレックもいた。あまりよく眠れずに早く目が覚めたのだ。朝食が出るまでアニーの朗読をBGMにぼんやりとする。


――――おうじさまはようせいたちのちからをかりてどらごんにたちむかいます。おうじさまのけんはどらごんにささり、どらごんはおおきなさけびごえをあげてしんでしまいました。

 こんな物語をムーが聞いたらどんな気持ちになるだろう。いや、そもそもこのわるいどらごんは元々悪い魔女だったはずだ。わるいまじょはおうじさまに殺されたのだ。魔女であるクグレックは討伐対象になるのは些か辛いと思った。

――――おうじさまはとらわれのみのおひめさまをたすけてあげました。そして、おしろにもどり、ふたりはあいをちかいあいました。ふたりはけっこんしすえながくしあわせにくらしましたとさ。めでたし、めでたし。

 愛を誓い合った二人は結婚した。好きな人と一生を遂げる。
 こんな暖かな幸せな気持ちになるならば、それはとても素晴らしい人生なのだろうなと思った。愛する人と結婚して子供を産んで幸せに生きる。クグレックはそんな平凡な幸せに憧れたこともあった。
 今はどうなのかと問われると、それは分からない。でも、憧れることくらい悪くはないとクグレックは図々しくも控えめに居直った。
 
「ねぇ、ニタ、上手だった?私、ご本読むの上手なの。」
 アニーが誇らしげに言う。ニタは「はいはい、じょうずだね。」と投げやりな様子で褒める。それでもアニーは気を良くしたのか、次の絵本を引っ張り出し、再び読み聞かせ始める。
 
 厨房から美味しそうな匂いが漂い始めて来たころ、客室が並ぶ奥の廊下から部屋が開く音が聞こえた。ムーとハッシュが会話しながらロビーへやって来る。ぼんやりしていたクグレックは慌てて背筋を伸ばし、姿勢を正した。
 ムーがパタパタと翼をはためかせてロビーに姿を現すと、その後ろに続いてハッシュが現れた。
「おはようございます。」
 ムーが丁寧にお辞儀をして挨拶をする。周りは「おはよー」とのんびりした様子で返事をした。
 そして、ハッシュが気まずそうに「おはよう」とあいさつする。ニタはちらりとハッシュを一瞥すると不機嫌そうな様子で「おはよう」とあいさつをした。
 クグレックは、ハッシュを目の前にして緊張で強張っていたが、勇気を振り絞って「おはよう」と声を出した。ハッシュと目が合ったが、ハッシュは気まずそうに目を逸らした。
 ハッシュの様子が昨日とは違う。
 ムーは後ろを振り向き、ハッシュの腕を引っ張った。
「分かった。分かった。ちゃんというから。」
 と、言って、ハッシュはクグレックの傍に寄った。ニタのぎらぎらとした視線がハッシュに突き刺さる。
「クク…、昨日はすまなかった…。」
 ハッシュが申し訳なさそうな様子で謝った。クグレックはどういうことかとゆっくりと首を傾げる。
「昨日、迷惑をかけたみたいで…。記憶は殆どないのだが。」
 ハッシュは気まずそうに頭をぽりぽりと掻いた。が、覚悟を決めたようにしっかりとクグレックの目を見据えて
「…その、怖かっただろう。もう、薬の効果は切れたようだから、安心してくれ。」
 と努めて真摯に言った。
 クグレックはじっとハッシュを見つめる。昨日まで見せていたあの熱いまなざしはもうそこにはなかった。ただひたすらに誠実な眼差しがそこにあった。だが、それでもクグレックはハッシュのその眼差しに釘付けになり、視線を逸らすことが出来ない。顔は熱くなるし、変な動悸もしてくる。
 
(そっか、薬が切れちゃったんだ。もうハッシュは私のこと、好きじゃなくなったんだ。)

 クグレックのことを好きだと言ったハッシュはもういない。
 クグレックはようやくハッシュから視線を外し、「うん、そっか。私はそんなに気にしてないから、大丈夫。」と言った。
 気にしていない、わけでもない。
 やはり少しだけ、クグレックは寂しさを感じた。
 もうハッシュはクグレックのことを愛しているわけでもないし、結婚すると言いだしたりもしない。一瞬でも『おうじさまとおひめさまのようなしあわせなけっこん』に憧れたクグレックは馬鹿馬鹿しく感じた。
 クグレックは深く椅子に座り直し、小さくため息を吐いた。
 
 その後の朝食は、なんとも気まずい空気が流れていた。無邪気にニタと朝食を楽しむアニーの声だけが一人楽しげだった。

 それからクグレックはニタとアニーの面倒を見た。一緒におままごとをしたり、かくれんぼをしたり、人形遊びをしたり。少し疲れるが、それはそれで楽しい時間だった。無邪気なアニーと過ごす一日は悪くない。
 ムーは、友人がいる島までの定期船の切符を予約しに町へ繰り出している。行き先はハワイという島だそうだ。ハワイという島は、誰もが憧れるリゾート地らしい。そのため、ハワイ行きの船は定期便が出るほど人気がある。
 そして、ハッシュは、熱心にディレィッシュの看病をしていた。昨日白魔女の家を出てからの記憶がほとんどなく、今朝目を覚ました時は慌てた。白魔女の家を出たというのに、気が付いたらティグリミップの宿屋で、ベッドには未だ苦しそうに眠っている。薬の入手は失敗したのかと思い、ハッシュは傍で眠っていたムーをたたき起こして事情を聴いていた。
 そして、その瞬間彼は冷や汗をかいたのである。ディレィッシュが死にかけているのに、薬のせいだとは言え、クグレックに嘘っぱちの告白をしたりして困らせていたことを聞かされたのだ。流石に田舎育ちの初心な未成年の女の子を弄んでしまったことに、彼は強い罪悪感を覚えていたのだった。


********


 その夜。ニタはクグレックと同じ部屋で過ごしていた。昼間、ひたすらアニーと遊びまくった結果、アニーは酷く疲れて爆睡状態らしい。ベッドを抜け出してもアニーは起きないくらいぐっすり眠っているので、ニタはクグレックのいる部屋に戻って来た。
 昨晩は一人ぼっちだったクグレックはこうやってニタと一緒に居られるのは嬉しかった。
「まぁ、ニタもアニーの面倒を見るのは大変だったけど、ククも大変だったよね。あのクソバカ男に散々振り回されてさ。」
「…うん。そうだね、すっごく振り回された。」
 主に感情面で。
 薬に侵されたハッシュの口から紡ぎ出される熱烈な愛の言葉は、クグレックの心を大いに動揺させ、『恋』を錯覚させた。しかし、本当に錯覚だったのか。
「ねぇ、ククはそれでも、まだあのクソバカ男のことが好き?」
 ニタはにんまりとした表情で、クグレックに質問した。
 クグレックは俯き、頭の中でハッシュへの恋心を審議し始めた。
 だが、頭で考えても答えは出て来ない。好き、とも言えないし、好きじゃない、とも言えない。
 今朝のハッシュは昨日のハッシュとは違う。元のハッシュに戻ったというのに、あの時に誠実な眼差しを向けられて、クグレックは間違いなくドキドキした。クグレックを愛するハッシュはそこにはいなかったが、もしかするとそこにいたのはクグレックの好きなハッシュだったのかもしれない。ちょっとだけぶっきらぼうなところもあるが、真面目で優しい本当のハッシュの姿。それがあの眼差しに集約されていた。
 そうしてクグレックはぽつりと呟いた。

「…好き、なのかなぁ。」

 クグレックは言葉にしてから、急に恥ずかしくなり、瞬時に顔を真っ赤にさせた。
 その様子を見て、ニタは青ざめた。クグレックの感情は一時の勘違いであってほしいと思っていたからだ。それが、目の前には完璧なる恋する乙女が存在する。
「クク、きっと、まだ勘違いをしているだけだよ。しばらくしたら、なんでもなかった、って思うようになるよ。」
 と、ニタは言った。クグレックは「そうなのかな」と答えるばかりだった。
 多分、クグレックはハッシュに愛していると言われなくとも、ハッシュの頼れる背中や真面目で優しいところがクグレックは好きだった。
 2017_09_17



********

 穏やかな海風が吹き込む。コンタイは高温の国だ。冬だとはいえ、陽射しは初夏のように少し暑い。
 宿屋のバルコニーに取り付けられたハンモックに揺られながら、アニーの可愛い可愛いぬいぐるみになったニタは潮風に鼻をひくつかせながらぼんやりとしていた。お昼を過ぎてアニーはニタと遊び疲れたのか、すやすやと眠っている。穏やかな時間だ。
 ニタの心も穏やかだった。
 元来、ペポ族の戦士は面倒見が良い。ペポ族のほとんどが愚鈍で無知で素直であるということからペポ族は単純に騙されやすく、外部からの攻撃に弱い。そんな大半のペポ族を守るために存在するのがニタの様なペポ族の戦士である。ペポ族を外敵から守ることは勿論、ペポ族の戦士は外敵に知略で憚らないために知識を蓄える。元々が騙されやすいペポ族なので、ペポ族の戦士が逐一危ないことややってはいけないことを教えてあげなければいけない。そうでもしないとペポ族は滅亡してしまうのだ。
 だから、小さなペポの育て方や木の実の採り方、キノコの見分け方などを周りのペポ族に教えてあげた。のんびり屋でおっとりした性格が多い普通のペポ族を守ってあげることこそがニタの喜びであり、生きがいであった。あまりの愚鈍さに時々イライラすることもあったが。
 だから、こういった小さい子の面倒を見るのもニタにとっては慣れたことであった。
 外の世界を知らないクグレックのことも、かつての普通のペポ族の面倒をみることと似ていた。
 そもそもは恩人であるエレンから頼まれたことなのだ。クグレックの唯一の家族で会ったエレンの代わりに、後見人となってクグレックを見守る。クグレックが世界を知って、そして笑顔になってくれることがニタの今の役目なのだ。
 エレンの代わりの後見人として、そして初めての友達として、ニタはクグレックの人生に少しだけ責任を負う。
 例えば、もしもクグレックに好きな人が出来て、さらには結婚するとなったら、ニタはその相手が確かにクグレックに相応しいのか試さなければいけない、その位はやってやろうと思っていた。

 だからこそ、お昼寝から目が覚めた時、クグレック達が戻って来ていて、どういうわけかハッシュがクグレックと手を繋いでいる姿を見て憤りが収まらなかったのである。

「お前、なにクグレックと手を繋いでいるんだー!」
 
 アニーが眠るハンモックから飛び出し、ハッシュに飛びかかるニタ。ハッシュは腕でニタの攻撃を防御する。

「ニタ、一体どうしたんだ?」
 ハッシュが心底不思議そうに問う。その隣ではクグレックが顔を真っ赤にして俯いている。
「だって、お前、あんなにディッシュのこと心配してたのに、ちょっと離れたらすぐに女に手を出して。しかも、よくもククに手を出したね。お前にククをくれてやるわけがないからね!」
 ニタは毛を逆立てながら怒鳴り散らす。
 ハッシュはむっとした様子で
「ニタ、何を言うんだ。俺はククのことを本気で愛している。アルトフールに着いて落ち着いたら、ククと結婚するんだ。そこまでは我慢するから。俺とククのことを認めて欲しい。」
 と言った。その眼差しはいつになく真剣だ。隣のクグレックはもう茹で上がってしまいそうなほど真っ赤になっている。
「ばかもーん!いくら同じ旅の仲間だろうと、ニタがゆるさーん!」
 自称後見人のニタが大声をあげる。
 と、その時。後ろからニタの肩を何者かがむんずと掴んだ。ニタはふと後ろを振り向くとムーが自身の足でニタの肩を掴んでその場から引き離そうと翼をはためかしていた。
 ニタはふわりと宙に浮くと、そのままムーによって部屋の隅へと連れ込まれた。
「あのね、ハッシュさんは今、白魔女の薬のせいでククさんに惚れちゃってるんです。」
「はぁ?どういうこと?」
「結果的に言えば、明後日にはディッシュさんの熱を下げる薬が手に入ります。ただ、その代わり、ハッシュさんは白魔女の薬を飲んでその効果がどれくらい続くか実験することが薬を手に入れるための条件なんです。で、ハッシュさんが飲んだ薬というのがおそらく『惚れ薬』の類かと。」
「え、じゃぁ、ハッシュは今は薬のせいであんな風になっているってこと?」
「そう言うことなんです。薬を採りに行く頃までには薬の効果は切れていると思うんですけど。」
「嘘でしょう…。何が『本気で愛している』だよ…。」
 さすがのニタも呆れかえった。と、同時に事態を把握したため、興奮状態も収まったようだ。
 ニタは落ち着きを取り戻して、再びハッシュとクグレックの元へ会いまみえる。
「ハッシュ、とりあえず、ククにはそういうのはまだ早いから、ちょっと離れてもらうよ。ハッシュはディレィッシュの様子を看ててあげなよ。大事な弟が女にうつつを抜かしてるなんて知ったら、流石のディッシュでも悲しむと思うからね。」
 と言って、ニタはクグレックの手を取り、ハッシュから遠ざけようとした。が、意外にもハッシュはすんなりクグレックを離してくれた。ニタはクグレックを引っ張って、部屋へと戻る。
ニタはクグレックをベッドに腰掛けさせて、自身は彼女の目の前で仁王立ちした。ニタはクグレックに確認しなければならないことがあるのだ。
「で、クク。ハッシュには何もされてない?」
「…う、うん。」
。クグレックはまだ顔を赤くさせてぼんやりとしている。まるで、本当に熱が上がっている人のようだ。その様子を見てニタは不安を感じた。クグレックの体調面での心配というわけではない。
「クク、ハッシュはククのこと好きだって言ってるけど、あれは薬のせいだからね。本当の気持ちじゃないからね。」
「うん…。」
 弱弱しく返事をするクグレック。
「ハッシュ、元に戻ったら、別にククのこと恋愛的な意味では何とも思わなくなるからね。むしろ、この先ボインで美人なおねえさんがいたら、そっちの人の方を好きになるかもしれないからね。」
「…うん。」
 クグレックの声はだんだん小さくなっていく。
 ニタの嫌な予感は現実味を増してきた。
「クク、ハッシュの好きだって言葉、まさか本気にしてないよね?」
 クグレックは収まろうとしていた顔色を再び紅潮させた。が、精一杯の声を振り絞って
「し、してない。ハッシュが私を『好き』なのは薬のせいだって、ムーにも言われたし…。」
と言った。
「でも…」
 クグレックは消え入りそうな声でつづけた。
「もし、ハッシュの『好き』が本物の『好き』だったら、…私、嬉しいと思う。」
 クグレックは顔の火照りを取ろうとひんやりとした手を頬に当てた。
 一方のニタは、表情を強張らせた。なんだか頭痛がして来る。ニタは不安だったのだ。ハッシュからの愛の告白を受け、それをクグレックが本気に受け取ってしまうことが。
 友達もいない上に魔女という理由で村中の人々から嫌われてきたクグレックは、エレン以外から愛の告白を受けたことはないだろう。そんな子が、少し年上で頼れる男性から愛の告白を受けて嬉しくないわけがない。クグレックは華の16歳だ。少し夢見がちなところもあるので、ころっと恋に落ちてしまう危うさをニタは感じていたのだ。
 現実はニタが危惧していた通りだった。
 目の前の華の16歳はぽやぽやと顔を赤らめて『恋』をしてしまっている。
 薬のせいでハッシュがクグレックに惚れることよりも、クグレックが錯覚してハッシュを好きになってしまうことの方が厄介だった。
「あのね、ニタ…」
 クグレックが恥ずかしそうにニタに声をかける。ニタは不安になりながらも「何?」と答えた。
「御山で、津波に襲われた時、ハッシュが私を守ってくれたの。でも、結果的に私は大量の水を飲んで溺れちゃったんだけどね、ハッシュがね、あの、人工呼吸をして助けてくれたの。人工呼吸だけど、…私、…今となっては初めてがハッシュで良かったような気がするの。」
 と少しだけ照れながら話すクグレックにニタは思わず崩れ落ちそうになった。が、ニタは冷静にクグレックの話を聞かなくてはいけないので、平静を取り繕う。
「…クク、それはそうしなきゃいけない状況だったから、人工呼吸をしたわけで、ククのことを愛しているからやったわけじゃないからね。」
 ニタはなるべくクグレックを傷付けない様に、落ち着いた様子で言った。。
「うん…。それは知ってるよ。…でもね、御山とか、その前のピアノ商会とか、ポルカで山賊と戦った時も、ハッシュはいつも守ってくれて…。」
 それならばニタだってクグレックのことを守り続けて来た。それにも関わらず、クグレックが特別な思いをハッシュに抱くことは少しだけ悔しかった。ニタの方がクグレックと長い時間一緒に居るはずなのに。ニタはため息を吐きながらクグレックに質問した。
「…クク、ハッシュのこと、好きなの?」
 その問いにクグレックは「え、そんな、こと、ない。だって、ハッシュは薬のせいで…」と戸惑いながらも否定した。
「でも、多分ククはハッシュに恋をしてると思うんだ。クク、ハッシュのことを考えるとドキドキして来ない?…手を繋いだりとかしたいって思わない?」
 ニタの問いにクグレックは固まった。相変わらず顔は赤い。
「人を好きになることは本能的なモノなんだ。なにせククは今シシュンキでもあるからね。異性に興味を持つのは当然さ。ただ、ちょっと厄介な人をククは好きになっちゃったからね。もししんどかったら、ニタに言うんだよ。きっとハッシュが正気に戻ったらククはちょっと辛い思いをするかもしれないし。」
 と、その時、部屋の外からけたたましい恐竜の鳴き声が聞こえた。昼寝をしていたアニーが目を覚ましたのだ。一緒に寝ていたはずのニタがいなくなっていることに癇癪を起してしまったのだろう。
「ニタ離れさせないとなぁ…。」
 と、ニタは疲れたように呟いた。クグレックのことも心配だが、アニーの面倒も見ないといけない、という強迫観念に駆られてしまうのはペポ族の戦士としての性なのだろう。
「クク、多分ニタは今日はアニーと一緒に寝なきゃいけないかもしれない。けど、ハッシュには気を付けて。」
 男は狼なのだ。と言ってもクグレックには伝わらないだろうが。
 ニタは部屋を後にした。

 扉が閉まるとクグレックはそのままベッドに仰向けになった。
 アニーの泣き声が聞こえるが、次第におさまって行った。ニタがあやしたのだろう。
 
 天井を見つめながら、クグレックは生まれて初めての『恋』に戸惑わずにはいられなかった。
 確かにニタの言う通り、ハッシュのことを考えると、ドキドキして気が気でなくなるのだ。出来ることならばもっと頭を撫でてもらいたいし、あの厚い胸板に抱かれたい。手だって繋ぎたい。
 御山やピアノ商会、ポルカで守ってくれた時のハッシュは格好良かった。それを思い出しても、クグレックの心臓はドキドキするし、悶えたくなる。
 『恋』をするということは、こんなにも不安定で苦しくて、でも幸せな気持ちになるのだ、と言いうことをクグレックは身を持って実感した。
 ただ、ニタが言う通り、クグレックはハッシュに好きと言われて一時的に舞い上がっているだけなのかもしれない。明日、ハッシュが元に戻った時、この複雑な気持ちが無くなってしまうのであれば、その恋はただの気の迷いであるということになる。
 とはいえ、クグレックの目から見たハッシュは格好良い。金髪碧眼で男らしい精悍な顔つき、筋肉が着いた逞しい身体、なんだかんだで優しいところ。今のクグレックがハッシュの良いところをあげたらキリがない。
 クグレックは枕に顔を埋めて足をバタバタさせた。


********

 結局寝る時間になってもニタは戻って来なかった。アニーが解放してくれないのだろう。
 風呂に入り、さっぱりした状態で、クグレックはディレィッシュの様子を見に行った。
 部屋ではムーとハッシュがディレィッシュに水を飲ませていた。熱で意識はほとんどないのだが、水を呑ませようとすると飲んでくれる。
「あ、クク。大丈夫だ。心配するな。明後日には薬が出来上がる。ディッシュもこうやって塩水をのんでくれるからなんとか脱水症状にならずに済んでいる。」
 ハッシュはにこりと緩やかに微笑んだ。相手が愛する人だから見せる笑顔だった。クグレックは思わずときめきそうになったが、目の前の苦しそうなディレィッシュを見たら、雑念は吹き飛んだ。
 むしろクグレックはこれまで浮かれた気持でいたことが申し訳なく思えて来た。
 ディレィッシュは生死を彷徨っているというのに。
 何が恋だ。
 クグレックは浮ついていた自分が嫌になり、優しい微笑みを見せるハッシュのことを思わず睨み付けてしまった。本当のハッシュだったら、今は一番がディレィッシュのはずなのだから。
「クク…?」
 クグレックは居た堪れない気持ちになって「うん、なら良かったよ。私、寝るね。」と言って部屋を後にした。そして、そのまま自室でクグレックは眠りにつく。いつもなら隣のベッドにいるはずのニタもいない、静かな就寝前。一人で寝るのには慣れていたはずなのに、今のクグレックはなんだかとても寂しかった。


 2017_09_12


********

「ということなので、ハッシュは薬の影響で、ククのことを好きになってるだけなんです。薬が切れたら、ハッシュはククのことをただの旅の仲間としか見なくなるだけなので、本気にしちゃいけませんよ。」
 と、ムーに言われたクグレックは、確かにそうだ、と思った。そうなのだ。ハッシュが言うことは全て中身の伴わない虚言でしかない。全部嘘だ、と分かっているのだが、ハッシュからまっすぐな情熱的な言葉を投げかけられる度に心臓がドキドキ跳ね上がって、顔が熱くなって頭が沸騰しそうになるのだ。
 クグレック自身もハッシュと同じ薬を投薬されたのだろうか、と疑いたくなるほどに、ハッシュに心をかき乱されてしまう。
 クグレックの思考はふわふわ浮かれたものになってくるが、ティグリミップの宿屋で苦しんでいるディレィッシュのことを思い出すと、浮かれていてはいけないという気持ちが強くなった。アードルという花を採りに行こう、と気持ちを切り替える。
 長い坂道を下っていくとごつごつとした岩場が広がる海辺に出て来た。次々と押し寄せる波が岩に打ち砕かれる。ティグリミップで見た海と比べるとなんだか荒々しい印象だ。
「この先にアードルがあるのか?足場も不安定だし、滑りやすいから気をつけろよ。」
と言ってハッシュは歩きやすそうな岩を選びながら進んで行く。ムーは翼を使って浮遊しながら後を着いて行くので何も問題はなかったが、クグレックは不器用ながらも気をつけながらゆっくりと足を進めて行く。だが、滑りやすくごつごつした岩の上を歩くのは、鈍臭いクグレックには少し難しかったらしく、案の定バランスを崩して滑ってしまった。
 が、すぐにクグレックの腕をハッシュが掴む。
「危ないって言っただろ。」
 ハッシュはそう言って、腕を掴んだ反動でクグレックを自身の腕の中に納めた。
 ハッシュの厚い胸板に包まれながら、クグレックはふと御山でもハッシュに助けられたことを思いだした。謎の水龍が起こした津波に呑まれた時もハッシュの腕に包まれ、皆と離れずに済んでいた。そして、水を沢山飲み過ぎたクグレックは意識を失い、ハッシュからの人工呼吸で目を覚ましたのだった。
(そうだ、私、あの時…!)
 クグレックは人工呼吸をされたことを思いだして、顔を赤らめた。あの後立て続けに色々あって忘れかけていたのだが、クグレックの初めてはハッシュに奪われていたのだ。
「ご、ごめん、私、大丈夫だから…。」
 そう言って、クグレックはゆっくりとハッシュから離れる。羞恥のあまり、クグレックはハッシュと目を合わせることが出来なかった。
「さあさあ、お二人ともイチャイチャしてないで先に進みますよ。多分、ここは潮の満ち引きがあるみたいなので、長居は出来ません。」
 と、ムーが言うと、ハッシュは「あぁ、そうだな。ククも転んだら大変だ」と言って、危なっかしいクグレックのことを気にしながら先に進む。クグレックもムーの言葉にハッとして気持ちを切り替え、気をつけながらハッシュの後を着いて行った。
「ところで、アードルってどんな花なんですか?」
 洞窟を目の前にしてムーが言った。
「…分からないな。でも、洞窟ってのは暗くて光が届かないところだ。まして潮が満ちてくるような場所に花が咲くとは思えないから、多分洞窟にある花はアードルだと考えていいんじゃないか?」
「そうですね。じゃぁ、行ってみますか。」
 3人は洞窟へと突入した。洞窟の中はひんやりと涼しく、ときおり天井から水がぽたぽたと落ちてくる。足元は丸石がごろごろとしており、さらに海藻がへばりついているので滑りやすい状態だ。天井は割と高く、ごつごつしているようだ。しばらく進むと、外からの光も届かなくなったため、クグレックは魔法で灯りを灯した。
 ひんやりとした真っ暗な洞窟は橙色の灯りにほんのりと照らし出された。照らし出される洞窟の先は御山を彷彿とさせる登り道だった。
「こんなところにあるんですかね。」
「幸いにも一本道だ。…結構な急勾配だけどな。」
 登ること1時間。行き止まりまで辿り着いて、3人は天井から小さく差し込まれる一筋の光を発見した。目を凝らしてみれば光は青い花を照らし出している。おそらくあれがアードルなのであろう。ただ、そのアードルは3人の手の届かない遥か高い場所に存在していた。まさに高嶺の花とも言えよう。
 アヤメにも似たその可憐な花はこの真っ暗な洞窟の中で唯一光が差し込むこの場所でしか自生できない。こぶし大に開いた穴から見えるだろう外の景色は、きっと空しか映し出さない。それがアードルの世界だった。だが、アードルにはそれだけで十分だった。そこに光が差し込まれるのであれば。
 とはいえ、こちらには幼体と言えど翼を持ったドラゴンのムーが存在する。ムーはパタパタと羽ばたき、いとも容易くアードルを入手した。
「かわいらしい花…。」
 根っこから引き抜かれたアードルを見てクグレックは思わず呟いた。菖蒲にも似たその花は孤独の中でも可憐に咲いて見せる健気な花であった。
 この可憐な花がディレィッシュを死の淵から生還させてくれる。
 希望が費えることがなくて本当に良かった、とクグレックは安心した。
 そうしてアードルを入手した3人は再びもと来た道を戻っていく。下り坂なので行きよりは幾分楽だった。ところが、入り口付近まで戻って来ると潮が満ち始めていた。歩行不能とまではいかないが、膝くらいの高さまで潮位が上がっていた。
「…満ち潮の時だったら、洞窟から出られなかったかもな。」
 と、ハッシュが壁を見ながら呟いた。彼の頭よりも少し上とその下では壁の色が異なっていた。満潮時ではこの洞窟は海に隠されてしまうようだ。天井が高かったのも納得が出来る。が、上り坂が出来上がっていた理由は良く分からない。何者かが掘ったという理由しか考えられないが、この世界において自然科学的な理由で解決出来ないことは多いものだ。
「クク、これだとお前のローブと靴が濡れちゃうな。」
 ハッシュが言った。彼は水面を見つめながら、不意に思い立ったようにクグレックを抱き抱えた。お姫様抱っこと呼ばれるスタイルだ。
「え!私、重いから、降ろして。濡れても大丈夫だから。」
 クグレックは突然のことに動揺し、ハッシュから離れようと足をじたばたさせる。
「ここで転ばれても困るからな。大人しく運ばれてやってくれ。」
 そう言ってハッシュはクグレックの瞼にそっとキスをした。
 クグレックは顔をボンと紅潮させ、大人しくなった。逞しい胸板とハッシュの高めの体温に包まれてしまっては、何も言えない。
 そばでやり取りを見ていたムーはやれやれと呆れた表情をしていた。ハッシュはそれに気づいたらしく、片口を上げてにやりと笑い「だって、嬉しいじゃないか。」とだけ言った。ムーにはハッシュが何に対して嬉しいのか分かりそうで分からなかったが、もしもアードルが見つかって喜んでいるのならば、いろいろ言うのはよしておこうと思った。



********

 3人は白魔女の隠れ家まで戻って来た。
 隠れ家は相変わらず人気がなく、静まり返っている。おそるおそる扉を開くとそこには一人の少年がいた。金髪碧眼で整った顔をしている。大人になりつつあるが、まだあどけなさが残る。歳は15,6才だろうか。クグレックと同じくらいの背の高さの美少年は、無表情で3人を見つめていた。深い青色の瞳の輝きはあまりにも無機質で人形のようだった。まるで生気が感じられない。
「アードルを持って来たのか?」
 変声期を終えたばかりのまだ安定しない声で美少年が尋ねた。
「…あ、あぁ。」
 ハッシュがアードルを鞄から取り出す。ハッシュは彼の容姿に戸惑いを隠せずにいる。それは隣にいるクグレックも同じだった。2人は彼に似た人に会ったことがあるのだ。
「ハクアの代わりに預かろう。あの方は今二日酔いで調子が悪い。」
 美少年はアードルを受け取る。
「明後日には出来上がると言っていた。また、臨床実験の結果も楽しみにしているとのことだ。では、用も済んだろう。早く帰ってくれ。」
 少年に促されて、3人は家を追い出される。ハッシュは戸惑いつつも、振り返って問い正す。
「君の名を教えてくれないか?」
 少年はハッシュを見た。一瞬口を開きかけたが、少年は彼らを家から押し出した。そして一言「俺は何も分からない。名前も過去の記憶も何もない。」と言い捨てて、扉を閉めた。
 内側から鍵がかかる音がした。
 もうあの少年にあうことは出来ない。
 次は明後日だ。
 クグレックとハッシュは観念して白魔女の隠れ家に背を向け、ティグリミップへと歩みを進める。

「あ、あの、一体どうしたんですか?」
 少年に出会ってから急に様子が変わった二人にムーが質問する。
 ハッシュとクグレックはお互いに目配せをする。お互いに会話は交わしていないが、思うところは同じだった。
 ハッシュがゆっくりと口を開いた。
「知り合いに似ていたんだ…。大分幼く見えたが、あいつはクライドにそっくりだった。」
「うん…。弟さんとかかな…。」
 クライドとはトリコ王国の家臣である。剣の腕が立ち、大変見目麗しい青年だった。ディレィッシュがいた頃、クライドは全身全霊をかけて彼に忠誠を誓っていた。生きる理由が全て主であるディレィッシュに有るほど、彼はディレィッシュに陶酔していた。なお、ディレィッシュがいなくなった後、クライドはトリコ王国軍団長として国王を補佐している。
 クグレックとハッシュは少年の姿を見た時に、瞬時にクライドの面影を感じた。それどころか、彼がクライドではないかという錯覚すら覚えたのだ。
 倒錯的な感覚に陥った二人はどういうわけか口数が少なくなった。
 クライドはトリコ王国で軍団長として要職に就き、忙しい日々を送っている。彼の愛する人が愛したトリコ王国を存続させ、繁栄させることが彼の使命なはずなのだ。
 名前も過去の記憶も何もないあの少年がまさかクライドな筈がない。そもそもクライドは少年ではない。ディレィッシュよりも年齢は一つ上なのだ。


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