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 ニタとクグレックが二人の兄弟の運命を変えてしまってから数日が経った。

「おーい、ディッシュ!ちんたら歩いてんじゃないよ!」
 大きな荷物を背負ったニタが振り返って大声を張り上げる。同じく大きな荷物を背負ったハッシュは渋い表情でため息を吐き、身の丈にあった荷物を背負ったクグレックは乾いた笑みを浮かべた。
 はるか後ろには、元トリコ国王ディレィッシュが大分離れたところで、とぼとぼ歩みを進めていた。伏し目がちに言葉少なだった。
 ディレィッシュは天才的な頭脳を持っている反面、体力や力は女性並にか弱い。引きこもって暮らしていたクグレックと同等である。国王という肩書がなくなれば、ただの人。いや、彼の場合は『ただの人』を下回ってしまうのかもしれない。
「ククの方がまだ根性あるよ。」
 ニタが呆れたように言った。
「…うーん、でも、前の方が徹夜も出来てたから、まだ体力はあったと思う。多分、ディッシュから悪魔がいなくなった副作用でもある気がするが、それにしても…。」
 ハッシュが実兄をかばうように語るが、呆れた表情は隠せずにいる。
 事実、ディレィッシュの体力が著しく落ちたのは、ハッシュの言う通りかつて彼の中に潜んでいた魔がこの世から消えたからだ。トリコ王国で彼を元気に動かしていたのは、はからずとも魔のおかげだったのである。
「ね、ねぇ、でも、私もちょっと疲れた、かも。そろそろお昼時だし、休憩しない?」
 そんな中、クグレックはディレィッシュに同情して休憩を取ることを提案した。確かにクグレックも歩き通しで疲れたのだ。さらに道も整備されておらず、非常に歩き辛い足場であったため、余計に疲労は溜まっていた。
「お昼か。じゃぁ、お昼ご飯を食べなきゃね。」
 本能に忠実なニタで良かった、とクグレックは安心した。3人はディレィッシュが追いつくのを待ちながら、お昼休憩の準備を始めた。トリコ王国からの支給物資が入った荷物の中には簡易的な野営セットが入っており、外で暮らすのに便利な道具が沢山入っていた。

 さて、存在は消えることなく歴史上から消えてしまった元トリコ王ディレィッシュとその弟ハッシュがトリコ王国から立ち去り、クグレック達と共に辿り着いたのはコンタイ国である。
 トリコ王国の南に位置するコンタイ国は自然豊かな国である。気候は亜熱帯気候で温かい。蘇鉄やガジュマルの木と青々とした植物が林立し、沢山の種類の亜熱帯植物が生えた土地である。鳥や獣の鳴き声があちこちで聞こえて来て、冬の装いであった北国のドルセード王国やリタルダンド共和国とは異なる活気と賑やかさがあった。
 コンタイ国は国民が古くから信じて来た民間信仰のために、自然と共生する生き方を選んでいる。トリコ王国の隣国であるが、その性格は真逆である故に、干渉しあわない国交関係を結び、ちょうど良い距離関係を保っていた。
 
「さてさて、ニタとクグレックはアルトフールに向かうんだけど、一向に、アルトフールがどこなのか分かりません。」
 缶詰に入ったパンを頬張りながらニタが言った。
「ディッシュさぁ、トリコ王国にいた時に調べてくれるって言ってたけど、結局どうだったの?」
 じとっとした視線をディレィッシュに向けるニタ。
「あぁ、それならな、滅亡と再生の大陸にあるそうだ。」
 ちびちびと紅茶を啜るディレィッシュがあっさりとした様子で白状した。彼は疲れている。もともとは王宮と研究所を往復する程度の生活しかしていない。歩き続けるだけでも彼にとっては激しい運動だった。
「滅亡と再生の大陸…?」
「そういうことだから、コンタイに来たんだ。」
「どういうこと?」
 ニタは首を傾げた。
「密航のため。」
 さらりと答えるディレィッシュ。ディレィッシュは缶詰を開け、パンを頬張った。
「コンタイからは滅亡と再生の大陸へ向かう船が出ているらしい。どこにあるかは分からないが。」
 もぐもぐと咀嚼するディレィッシュ。ごくんと頬張った分を呑みこむと、次の言葉を発した。
「あと、御山に行くぞ。」
「御山に?」
 ニタが首を傾げた。
「あぁ、御山〈オンヤマ〉。霊峰御山は支配と文明の大陸一神性が強い山だとされる。高さは2376メートルで、決して玄人のみ受け付ける山ではない。誰でも、というわけではないが登山者の間口は広い山だ。心迷う者は御山に登り、頂上にて神託を受け取るという。そうして光を見出す者が多数いるらしい。私達は“滅亡と再生の大陸”の“アルトフール”という地に行くが、具体的にそれがどこにあるのか分からない上に、魔物が多く出現する危険な大陸を進むことになる。生半可な状態で足を踏み入れたら、私達はただ無駄に命を落とすことになるかもしれない。だから、御山に登るんだ。御山でアルトフールの情報を仕入れるんだ。」
「結局神頼みってわけか。科学の国の申し子が。」
「何とでも言え。」
 開き直るディレィッシュにニタは悪態を吐く。彼は疲れているので、態度がなおざりだ。
 心迷うものは御山に登り、光を見出す――クグレックはその光がどんなものか気になった。
 もしも、叶うことならば、祖母に会いたい。今の彼女が望む願望はそれ以外になかった。思わず鎖骨のあたりに手を遣り、祖母の形見である黒瑪瑙のペンダントに触れようとしたが、存在しなかった。常に身に付けているはずなのに。
 そういえば、ディレィッシュを魔の闇から救おうとして、黒瑪瑙のペンダントをディレィッシュに託してしまったのだ。不可思議な空間にいたため、黒瑪瑙のペンダントは空間の消滅と共になくなってしまったのかもしれない。
 ただ、完全なる闇に支配されることなく、目の前のディレィッシュが存在していることが祖母の形見のおかげであるならば、それはそれでよかったかもしれない、とクグレックは思った。一抹の寂しさは拭えないが。
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 2016_08_19


********

 それから、1週間ほど野宿を繰り返し、4人は霊峰御山の麓までやって来た。
 ディレィッシュは初めての野宿生活で戸惑うことも多々あったが、案外適応するのは早かった。食事に関するニタからの洗礼も、ディレィッシュは怯むことなく喜んでいた。コンタイ国は野生動物が沢山いたので、食料調達は北国のドルセード王国やリタルダンド共和国よりも楽だというのがニタの弁。
 一方でクグレックは未だにニタの野外料理には慣れなかった。ディレィッシュはもともと王様だったので流石に野蛮な料理は口に合わないだろうと思っていたが、彼はなんでも美味しく喜んで食べた。クグレックは出し抜かれたような心地がして寂しかった。ちなみに弟のハッシュも平気な顔で食べており、慣れてくればニタと狩りに向かうようにもなっていた。
 霊峰御山の麓の集落は登山者が多く訪れる拠点だとディレィッシュが言っていたが、思っていたよりも人はいなかった。むしろ、閑散として寂れていた。
 この集落では簡素な作りの小さなトタン張りの平屋がひっきりなしに多く立ち並んでいた。壁にはカラフルな布が垂れ下がっており、色鮮やかである。後ほど現地の住民に聞いて分かったことだが、これは御山登山者が登頂に成功し、光を見出した者が残した布である。新しいものから、刷り切れてボロボロになった布まで多くの布がひらひらと棚引いていた。
 4人は、集落の中でも一番大きな宿に泊まった。大きさで宿を選んだわけではないが、たまたま一番最初に立ち寄った宿が一番大きな宿であった、というだけのことだ。それに、この宿が大きい理由は、酒場が併設されているからである。
 クグレックは着いて早々シャワーを浴びた。夕食まで時間があったので、仮眠もとった。初期の頃よりも僅かばかりに野宿生活も慣れて来つつあったが、やはり、温かいお湯で身を清め、ふかふかのベッドで眠ることは何にも替え難い。実際はそこまでふかふかではないぺったんこベッドだったが、堅い地べたに寝袋で眠るよりは格別に良い。
 しかしながら、クグレックはこの麓の集落に着いてからと言うものの、なんだかそぞろな気持ちを感じていた。何かがそわそわするのだ。野宿で疲れた体だったが、仮眠を取っても、夕食の時間まで爆睡することはなかった。怖い様な、わくわくするような、畏れるような、不思議な感覚がクグレックを包んでいた。
 
 夕食は併設されている酒場で取ることとなった。
 ポルカの宿屋を彷彿とさせるが、ポルカの宿屋ほど清潔なテーブルでもないし、食べ物もそこまで美味しいものではない。だが、野生動物の丸焼きよりは全然美味しいので、クグレックも安心して口に運ぶことが出来た。
 外と同じように酒場は閑散としていた。本来であれば情報交流の場として多くの人達で賑わうのだが、今酒場にいるのはクグレックたちと2組の客だけだった。テーブルは沢山あるというのに、がらんとしている。
 と、そこへ、二人の美しい女性とギターを持った男性が現れた。綺麗な衣装を身に纏った女性だった。一人はふわふわのブロンドヘアで花の妖精のように可憐な女性で、もう一人は黒髪ロングでスタイルの良い凛とした女性。観客はわずかしかいないが、ギターの音楽に乗せて彼女たちは魅惑的な踊りを披露した。
「素晴らしい!トリコ王国のヴェールダンスも素晴らしいが、彼女たちの踊りも素晴らしい。」
 ディレィッシュは一人立ち上がり、大きな拍手を贈った。踊り子たちは満更でもなく嬉しそうな様子だった。
 そして、彼女たちはそのままクグレックたちのテーブルに降り立った。通常ならばパフォーマンスが終わればすぐに引っ込むのだが、客があまりにも少ないからという理由で降りて来たのだ。黒髪の女性はティア、ブロンドの女性はリマといった。
「それにしても、あなた達、こんな物騒な時に何しに来たの?」
 黒髪ロングの女性、ティアが言った。
「御山に登りたいの。」
 ニタが答えた。
 ティアはきょとんとした表情でニタを見つめた。
「…あなた達、ハンターなの?」
「え、えっと、ハッシュはハンターだよ。」
「そうなの!?」
 ティアの表情が明るくなった。「あなたがハンターね!」と言って、嬉しそうにハッシュの手を握る。
「それが一体何なんだ?」
 戸惑いながら、ハッシュが尋ねた。ティアは目を輝かせて話し始めた。
「あのね、今、御山に狂暴なドラゴンが住み着いてて、御山には立入禁止になってるの。そのせいで登山者も激減しちゃって、私達の集落の商売も上がったりで。狂暴なドラゴンの影響か、魔物も狂暴になっちゃって。結構危険な任務になるから、ハンターじゃないと依頼できなくて…。」
「…」
 ハッシュは困った表情で押し黙った。実はハッシュはハンターではないのだ。ポルカではハンターとして雇われていたが、あれはランダムサンプリとの停戦協定を結ぶための任務の1つで、ハンター免許証は偽造したものだった。ディレィッシュもそのことは把握しているが、目の前のティアを見ては真実を打ち明けることが憚れる。
「ドラゴン退治!ニタ、ハンターじゃないけど、強い奴と戦ってみたい!ティア、ペポ族の戦士って知ってる?結構強いんだよ!」
「えぇ、そうなの?ニタ、こんなかわいいのに、ドラゴンと戦えちゃうの?」
「可愛さだけでなく、強さも兼ね備えた勇敢なるペポなんだ。」
 ドラゴン退治と聞いて意気揚々と名乗りを上げるニタ。ティアはニコニコ笑顔になりながら、ニタの話を聞く。
 ハッシュはちらりとディレィッシュに耳打ちをした。
「ドラゴン退治、いけるか?兄貴が大丈夫って言うならば、このままハンターの振りをして請け負ってしまおうと思うが…。」
「あぁ。ニタもハッシュも頼りになるしな。ましてやこんなに美しい女性からの依頼だ。断ることは出来ない。」
 と、ディレィッシュは囁き、親指を立てた。そして、いそいそとブロンドのふわふわヘアのリマの隣に座り、話を始めた。
 ハッシュは少々安心した表情に戻り、大きく頷いてから
「分かった。ドラゴン退治、承ろう。」
と答えた。
「あぁ、良かった。じゃぁ、よろしくお願いします。私、御山のガイドも出来るけど、腕にも自信はあるわ。明日中に手続きを行っておくから、明後日以降に出発しましょうね。ニタはハッシュの雇った用心棒ということで申請を上げとくけど、ディッシュとククはどうする?」
「もちろん、行くに決まっているだろう。」
「私も、行く。」
「じゃぁ、二人もハッシュが雇った用心棒にしておくけど、…」
 ティアはクグレックを見つめた。クグレックは同性ではあるが、整った凛としたティアに見つめられてドキドキした。美人だし、胸も大きくて柔らかそうな魅惑的な体をしている。
「ククは、もしかして、魔女?」
「はい。」
 何故わかるのだろうか、とクグレックは思い、首を傾げた。クグレックはまだ自身が魔女であることをティアに明かしていなかったのに。
「…そっか。ククみたいな若い女の子が魔物が巣食う御山に登るのは危ないからやめておいた方が良いと思ったけど、魔女なら、大丈夫ね。魔物と戦える。…うん。」
 ティアは自身の手のひらを見つめ何回か開いたり閉じたりした。
「ティア、どしたの?」
 ニタが尋ねた。
「え、うん、魔女なんて久しぶりに会ったなぁって思って。」
 ティアはクグレックに向けて屈託のない笑顔でにっこりと笑った。魔女と言われると、きゅっと心が掴まれるようなあまり心地良くない気持ちになるクグレックだったが、ティアの笑顔には安心感を覚えた。ティアからはどこか懐かしい感覚を覚える。それは祖母に思うものと似たようなものの様な気がした。

 2016_08_20


********

 それから3日が経った。本来であるならば昨日出発予定だったが、登山準備に時間がかかってしまったのだ。
 朝日も曇り空に隠れて薄靄漂う早朝に、登山準備をした5人が集落を進む。
「私、皆強い人達だと思ってたから日帰りでも大丈夫って思ってたけど、ククもディッシュも登山は初めてだなんて思わなかったわ。途中に洞窟があるから、そこで一晩過ごして、ドラゴン退治だからね。もう、準備に時間がかかっちゃった。」
「ニタはティアが誰もが皆登山をしたことあると思いこんでる方がびっくりだ。ディッシュはともかくククみたいな子が登山になれてると思う?」
「思ってた!」
「ティア、君は頭弱いよね!」
 ニタが呆れたように言った。直情的なティアはその言葉に頭にカッと血が上る。
「何ですって!」
「まぁまぁ、二人とも。アルトフールのためには私もクグレックも山に登らないといけないんだ。ティアならばしっかり頂上まで案内してくれると信じている。な、クグレック。」
 ディレィッシュはぽんとクグレックの方を叩く。
「は、はい。私も、足手まといにならないように頑張って山を登るし、魔物やドラゴンもしっかり倒します。」
 杖をぎゅっと握って動作でも意思を表明するクグレック。そんな健気なクグレックにティアは絆され、ぷりぷり苛立つ様子も収まった。
「ククが頑張るってなら、私も張り切らなくちゃね。さぁ、頑張るわよ!」
「おー!」
 元気に返事をしたのはニタとディレィッシュだった。クグレックも恥ずかしながら返事をした。ハッシュはやれやれというような表情で4人を見ていた。
 5人の目の前にそびえ立つ御山は本来ならば神聖な姿であるはずなのに、早朝のぴりりとした冷たさと曇天という天気の悪さも相まって、どこか禍々しい雰囲気を放っていた。山頂付近は靄に囲まれて見ることが叶わない。狂暴なドラゴンと魔物に支配されてしまった御山は果たして5人に希望を与えるのか。
 ティアの後を着いて行きながら、4人は霊峰御山に足を踏み入れた。
 すると、その瞬間であった。
「う!」
 ニタがくぐもった声を上げた。ニタは苦しげな表情で一歩一歩足を進める。
 クグレックはいつもと違う様子のニタに不安を感じた。だが、クグレックも御山に足を踏み入れてから、ずっと背筋に悪寒を感じていた。麓の集落に到着してから感じていた不安定な気持ちがより強くなったようなのだ。
 その様子に気が付いたティアは振り返ってニタとクグレックを見つめた。そして、4人に向かって声をかけた。
「4人とも、具合は大丈夫?なんか気持ち悪いとか嫌な気分がするとか、そういうの、ない?」
 ニタは周りをみる。ニタのことなので誰かが何かを言わない限り、弱音を吐こうとはしないだろう。
「クグレック、大丈夫か?ニタも変だけど、お前も顔色が悪いぞ。」
 ハッシュが声をかけた。
「…わかんない。なんか麓の村にいた時から変な感覚はしてたんだけど。」
「ティア、これはもしかして瘴気ってやつか?」
 ディレィッシュが尋ねた。
「あら、良く分かったわね。」
 目を細めながら、ティアが答えた。
「そうよ。瘴気。本来の御山には瘴気なんてもの、存在しないんだけどね。そうとうやられてるのよ。御山は今。だから、手慣れたハンター以外には頼めないの。ディレィッシュとハッシュは大丈夫なの?」
「私は、…少しだけ頭が重いが、大丈夫だ。」
「ハッシュは?」
 ハッシュは3人を眺めた後、困ったように頭をかき
「いや、俺は何も感じない。至って普通だ。」
と答えた。ティアはふ、と口元を歪めると「さすがハンターさんね。」と言って妖艶な笑みを浮かべた。
「しょ、しょうきって何?」
 具合が悪そうな様子でニタが尋ねた。ティアは妖艶な笑みをうかべたまま説明を始めた。
「悪い空気のこと。今は御山は狂暴なドラゴンが支配しているから、そのドラゴンが発しているの。瘴気から魔物は生まれるし、身体だけでなく、精神にまであまり良くない影響を及ぼすわ。多分、ニタは自然と共に生きて来たであろう希少種だから、一番合わない空気だと思うわ。しんどいでしょう。」
「む、そんなことない、と言いたいんだけど、結構しんどい。これ、どうにかなんないの?」
 へたりと座り込むニタ。
 ティアはごそごそと鞄を漁り、小さな小瓶を取り出した。そして、その蓋を開け、中からひとかけらの金平糖にも似た直径2cm程のキラキラした透明なものを取り出した。そして、一番具合の悪そうなニタに近付き、そっと差し出す。
「白魔女から貰った酔い止めならぬ瘴気止め。個体によって効能はまちまちだから、効くかどうか分からないけど。舐めてれば大丈夫。」
「ありがとう。」
 ニタは安心した様子で瘴気止めを受け取り頬張った。瘴気止めは金平糖の様に甘い味もするが、薄荷の味も効いていてスースーした。瘴気によって重くなったニタの身体と気持ちが一気に軽くなった。
「…白魔女、知っているのか?」
 ハッシュが尋ねた。白魔女とはリタルダンド共和国のどこかにあるという白魔術師の隠れ里出身の治癒術の天才だ。同国のポルカという村では、白魔女が原料集めに立ち寄る村であり彼女の秘薬で村人の健康が維持されていた。さらにかつてハッシュが負った銃創はポルカの村が所蔵していた白魔女の秘薬で治った。
「古くからの知り合いなんだけどね、別に仲が良いってわけじゃないわ。あんな性格ブスのクソ女。ハッシュこそ、白魔女と会ったことあるの?」
「リタルダンド共和国に行ったときに一度だけ、会ったことがある。蛇のように狡猾な女だったな。あのディッシュさえも手を出そうとしなかった。」
「それで正解。あの女にはあまり深くまで関わらない方が良いのよ。」
 と、ティアは白魔女に対して冷たく言い捨てた。
 その横で、薬が効いて来たニタが立ち上がり、ウォーミングアップを始めているのに気付いたティアは「じゃ、ニタも元気になったことだから、出発しましょうか。」と言って、歩き始めた。
 が、ディレィッシュがそれを止めた。
「ちょっと待ってくれ。私とクグレックにはその薬、くれないのか。」
 ティアは振り返り、にっこりと微笑んでこくりと頷いた。
「残念ながら、この薬は貴方たちには効かないの。ディッシュはともかく、クグレックはちょっと辛いけど、頑張って。」
「何故私の心配はしてくれない!」
 ディレィッシュの嘆きをティアは無視して、5人は御山登山を始めた。
 御山には現在魔物も存在するので、ティアを先頭にニタ、ディレィッシュ、クク、ハッシュの順番で隊列を組み、進んで行った。御山は瘴気なのか自然発生した霧に包まれているせいなのか、数メートル先で靄がかってしまい、視界が非常に悪い状態だった。迷子にならないようにそれぞれが背負っているリュックサックにロープを括り付けて歩みを進める。
 クグレックは瘴気の影響を受け、体調が優れなかった。杖を突きながら歩いていたので、杖の存在が物理的にこれほど心強く思えたことはない。頭の中ではティアが何故薬をくれなかったのかということをずっと気にしていた。ティアはサバサバした人間なので、好き嫌いがはっきりとしている。クグレックとディレィッシュは体力がない人間だからあまり好きではないのかもしれない、とクグレックは考え、悲しい気持ちに陥っていた。
「クグレック、大丈夫か?」
 ニタよりも落ち着きがあるという理由から殿を務めるハッシュがクグレックに声をかける。
 クグレックは杖を突きながら、「うん。」と頷いた。
 本当は全然大丈夫じゃない。ドキドキ動悸はするし、頭も痛いし、気持ち悪い。しかも、瘴気はどんどん濃度を増していくので、症状は徐々に酷くなる。
 と、その時だった。先頭を進むティアが大きな声で叫んだ。
「魔物よ!」
 その声に応じて、ハッシュは真剣な表情に変わる。ロープを辿って、前方を行くニタとティアに合流した。少し遅れて、クグレックとディレィッシュも3人の後ろに合流した。
 3人の背に守られながら、クグレックが見た魔物の姿は真っ黒な姿をした大きな蜘蛛の様な多くの節足を持った生き物だった。黒色をした個体なのかと思いきや、よく見れば縁のあたりは靄がかっている。黒い靄の集合体であるようだ。
 クグレックは魔物を前にして背筋がゾクゾクとした。それは恐怖が大半を占めていたが、どこかに期待があった。瘴気による具合の悪さはどこかに行ってしまうようだった。
 クグレックは杖を握りしめ、目の前のティア達同様臨戦態勢を取る。
「ニタ、魔物と戦うのは初めて?」
「多分。」
「あいつ、もやもやしてるけど、殴れるから。」
「おう!」
「ハッシュは余裕だよね。」
「あぁ。」
「じゃ、行くよ!」
 3人は魔物に向かって駆け出し、魔物に攻撃を加えた。ニタの力強い拳、ハッシュの強烈な蹴り、ティアの音速の拳が蜘蛛型の魔物を襲う。強力な攻撃を受けた魔物は状態を維持することが出来ずに霞の様にかき消えた。もうそこには何の跡形も残っていなかった。
「ヘーイ!」
 ティアはニタとハイタッチをかわす。ティアはハッシュにもハイタッチを求め、手を掲げた。ハッシュはやれやれというように、ティアの手を叩く。更に後衛にいたクグレックとディレィッシュにもハイタッチをした。ニタもティアの後をついて、クグレックとディレィッシュとも手を叩きあった。ディレィッシュは嬉しそうにノリノリで、その気ではないハッシュにもハイタッチを求めたが、ハッシュは「別に良いだろ」と言ってそれを拒否した。
 2016_08_23


 それから、魔物を数体ほど倒しながら5人は頂上を目指す。倒すのは勿論ティアとマシアスとニタの3人だ。クグレックとディレィッシュは3人の後で荷物を守る。
 目の前のディレィッシュはそろそろ疲れてへばって来るであろう頃だと思っていたが、以外にも頑張っている。クグレックは瘴気で具合が悪くて、登るのも一杯一杯だというのに、なんだか裏切られたような心地でいた。
 クグレックの落ち込みぶりは後姿からでもハッシュが気付いたのだろうか、ハッシュはクグレックの隣に着いた。
「どうした?具合、しんどいのか?」
 クグレックは訴えかけるようにハッシュを見つめるも、首を横に振った。
「…みんな平気で山に登れるし、魔物とも戦えるし、私、全然だめだなって。」
 クグレックの不安は言の葉となって零れ落ちる。
「疲れたか?魔物と戦うのは、怖いか?」
 ハッシュの問いにクグレックは静かに頷いた。正直、魔物と戦うのは怖かった。
「こういう山登りも初めてだろ。しんどいのは仕方がない。瘴気ってやつで、クグレックの体調もあまり良くないんだろ?それに、お前は魔女とはいえ、ただの女の子だ。普通の女の子なら、ニタやティアみたいに嬉々として戦うことはないし、俺達でまだ全然余裕だ。別に戦えないことくらい、なんの問題もない。いざとなった時に魔法の力で助けてくれればいい。ずっとそうだったろう。」
「ずっと?」
「ずっと、ってほどいたわけではないけれども、ポルカでもトリコでも最後はお前が俺達を助けてくれたじゃないか。クグレックはクグレックのペースで良い。クグレックなら、瘴気の影響も時期に和らぐってティアも言ってたし、自分を責める必要はないだろ。」
 そう言って、ハッシュはぽんとクグレックの頭に手を置く。大きくてがっしりとしたハッシュの手に、クグレックは不思議と瘴気による具合の悪さが和らぐような心地がした。
「とはいえ、ティアのペースには合わせなければいけない。日没までに目的の洞窟までたどり着けないと、暗闇の中進むことになって非常に危険だ。なんとか頑張ろう。」
 クグレックはこくりと頷く。ハッシュの言葉は挫けそうだったクグレックの心を救い上げてくれた。クグレックはハッシュのことをぶっきらぼうな性格だと思い込んでいたが、案外優しいところがあるのだなと思い直した。
 それからしばらく、ハッシュはクグレックの隣について進んだ。クグレックは疲労と体調不良で何度も挫けそうになったが、そばにハッシュがいてくれたことで、なんとか頑張ろうという気になった。

 と、その時、再び戦闘を行くティアから魔物の出現が告げられる。例に習って、ハッシュがクグレックとディレィッシュを追い越して、前衛のティアとニタの元へ駆け寄る。その後をディレィッシュとクグレックが追う。
 今度の魔物は人の大きさの黒い靄であった。何の形かと形容することが出来ない、ただの黒い靄である。
 通常通り、ニタとティアとハッシュの3人が戦闘態勢を取りながら、魔物へ近付く。
 その後ろにただ潜むディレィッシュとクグレック。だが、クグレックはハッシュとの会話により瘴気の影響が軽減され、魔法を使う余裕も出て来た。杖をぎゅっと握りしめ、意識を集中させる。
 クグレックを中心に静電気がパチパチと発生し、瘴気もクグレックに吸い込まれていく。
 瘴気は悪い空気であるが、性質的には魔と似たようなものである。クグレックは初めての瘴気に体も精神もやられてしまったが、本来であれば、魔を扱う魔女と瘴気の愛称は悪いわけではなかった。御山の麓の集落についてからクグレックはそぞろな気持ちを感じていたわけだが、不安だけでなく、どこかに何かを期待する感覚もわずかながらに存在した。それこそが魔力の増長だったのかもしれない。
「レーゲスト・ダ・ライアモ!」
 クグレックの周りの瘴気が彼女に集中すると、杖から雷撃を伴ったダイヤの様に鋭利なこぶし大の魔力結晶体が魔物へ向かう。魔力結晶体はザクザクッと魔物に突き刺さり、魔物は苦しそうに低いうめき声をあげ、四散した。。
 突撃しようとした3人は呆気にとられた様子で立ち止り、後方にいるクグレックに振り返る。
 そこには満足そうな表情をしたクグレックがいた。
「クク…。新しい魔法?」
 ニタが尋ねた。
「うん。なんだか使えそうな気がして、やってみたの。」
 嬉しそうににっこりと微笑むクグレック。一発魔法を打ち込んだら瘴気の影響は吹き飛び、すっきりとした気持ちになった。
「クグレック、やったわね!」
 ティアが言った。
「魔女の力、強くなったわね!」
「どういうことですか?」
「瘴気の力で、魔力が強くなっているのよ。瘴気は魔を呼ぶ。勿論、魔女のあなたの魔の力も呼応したの。慣れるまで時間はかかったけどね。」
「クク強い!」
 クグレックはなんとも言えない充足感を得て、自身が握る杖を見つめた。自分の力で魔物を追い払うことが出来たこと、新たな魔法が生み出せたことが嬉しかった。
「ティア、私も、こうやって覚醒するのか?」
 ディレィッシュもどこか期待を胸にしながらティアに尋ねる。が、ティアはきっぱりと
「いいえ。」
と否定した。
「なぜだ!」
「別にディレィッシュは魔法使いじゃないでしょ。」
「そうだ。もはや住所不定の無職だ。」
「でも、マヌケだから、瘴気がマヌケで不足してしまった分を補っているはずよ。」
「ティア、今私のことをマヌケと言ったか?」
「ええ。マヌケだもの。」
「ハッシュにアホとかバカは言われたことがあったが、マヌケは初めてだ!」
「…は?何言ってんの?」
 ティアはきょとんとして首を傾げる。が、すぐに自身の発言に気付き「あぁ」と軽い様子で話を続けた。
「マヌケって、悪口じゃないわよ。魔が抜けた人のことを指すのよ。魔抜け。ディッシュ、最近まで魔に憑かれてたでしょ。」
 ディレィッシュはハッとしてティアを見つめた。ティアにはまだディレィッシュ自身の身の上を話していなかった。なのに、目の前の美女はそれを知っていた。腹の中で潜んでいた魔がつい先日、彼の中から消滅したということを。
 ティアはディレィッシュの警戒心を解くかのようににっこりと微笑む。
「私、ディッシュの魔が抜けた以上のことしか分からないわ。」
「…なんで、そんなに魔について詳しいんだ?」
 ディレィッシュが尋ねる。
「…えっと、私のこの武闘の師匠がね、悪魔祓いやってて、一緒に世界を放浪してたの。私もずっとそれに着いて行ってたから、魔に対して感覚が鋭くなったのよ。だから、クグレックが魔法使う人なんだなって言うのはあの集落に入ってきた時から分かったし、ディレィッシュのことも魔抜けだってことはあってすぐに分かったわ。」
「なるほど。…もっと早くティアに会っていたら、人生が変わっただろうか。」
「それはどうだか分からないわ。私自身は悪魔祓いは得意じゃないし。」
「…そうだな。未来志向でいこう。」
「えぇ、今のあなたなら、魔抜けの分を瘴気が補ってくれてるから、体力も増えてるし、頑丈になってるはずよ。」
「…そうか。」
 そして、一行は再び登山を再開した。
 2016_08_24



 早朝からずっと登り続けているが、瘴気の靄は一向に薄くなる気配はなかった。太陽の姿を見ることもないままどんよりとした御山を進む。そろそろ暗くなり始めて来た。
「もうちょっとで今日の目標の場所の洞窟に辿り着くわ。ただ、そこには沢山の魔物がいる可能性が高いから、気を付けて。」
 一番前を進んでいたティアが立ち止り、ハッシュまで到着するのを確認してから、全員に向けて発信した。
 先へ進むにつれ、瘴気が濃くなってくる。クグレックの場所からニタを確認することが出来ないくらいに霧が濃くなっている。クグレックは一抹の不安を覚えながらも、ディレィッシュの背中を見つめながら前に進む。その間、魔物も出現した。あっという間に追い払えるものの、その出現間隔は徐々に狭くなって来ている。敵地へと進んでいるということが実感できた。
 程なくして、洞窟の目の前まで到達した。
 そして、ニタ達は目を疑った。そこには今までの魔物の出現からは想像が出来ない程の多くの魔物たちがひしめき合っていたからだ。沢山の黒い生き物たちがぼんやりと佇んでいる。ニタ達は思わず声に出してしまいそうなところをティアに抑えられ、少し離れた草陰から、間合いを取る。
「一体一体の魔物はそれほどの力もないけど、それでも沢山の魔物たちが相手では厄介よ。」
 ティアが声を潜めて言った。
「まずはクグレックの魔法で一気にやっつけましょう。それから、魔物たちはこちらに向かってくるから、私とニタとハッシュで一掃するわ。クグレックとディレィッシュはここで荷物を守ってて。」
「分かった。」
 クグレックは力強く頷くと、杖に魔力を集中させた。
 先程の魔法を広範囲に放つことが出来れば、多くの魔物を相当することが出来るだろう。クグレックは魔力の動きをイメージしながら、杖を構え詠唱を始めた。
「レーゲスト・ディア・ライアモ・フルオトリテ!」
 周りの瘴気を取り込みつつ、杖からは雷撃を伴ったダイヤの様に鋭利なこぶし大の魔力結晶体が魔物の群れへ5つ程連射された。魔力結晶体は魔物の群れの中で一時停止したかと思うと、すぐに炸裂し、更に鋭くなった無数の魔力結晶体のかけらが魔物達を貫く。
 ぎゃぁ、という断末魔の叫びが聞こえ、群れの何体かは霧となって四散した。それでも魔物はまだまだ沢山残っており、クグレックたちの存在に気付いた魔物たちは一斉に襲い掛かって来る。
 ティア達も駆け出し、魔物の群れに突撃する。
「うりゃーーー!」
 まるで虫けらを捻り潰すかのように、魔物達を倒すティア。その表情は楽しそうでどこか恍惚としていた。一体あんな華奢な体のどこからニタと同等以上の攻撃を繰り出すことが出来るのか。ニタもニタで、ティアと同様に楽しそうに魔物に攻撃を加えている。ペポ族の戦士としての血が疼くのだろう。可憐な体躯から繰り出される強烈なパンチで魔物をなぎ倒す。
 一方、ハッシュは冷静さを保ったまま、戦いに夢中になるティアとニタが取りこぼした魔物を倒していた。そのおかげで、クグレックたち荷物番の元には魔物が来ない。
 あっという間に洞窟前の魔物たちは一掃された。
 そして、そのあとには、直径50cm程の黒い球体の靄が残っていた。黒い靄は呼吸をしているかのようにシューシューと音を立てて、膨張と収縮を繰り返している。
「うん?なんだあれ?」
 ニタが首を傾げながら呟いた。
「あれは、魔物スポットよ。」
 ティアが答えた。
「魔物スポット?なにそれ。」
「魔物が生み出される場所。これがあるから、魔物が出て来るの。」
 魔物スポットと呼ばれる黒い靄は、シューシューと音を立てながら、赤黒く輝き始める。クグレックがやったように、周りの瘴気を取り込みながら球体型の靄は膨張していく。まるで鼓動の様に赤黒い輝きは激しく点滅する。2倍くらいに拡大すると、一体の植物型の魔物が出現した。靄は先ほどの50cm程の球体に戻り、再び落ち着いた。が。すぐに赤黒く輝き始め、膨張と収縮を繰り返す。
「本当だ。うまれた…。」
「今まで倒してきた魔物はここから生まれたものね。生まれたばかりの魔物だったから、弱かったみたい。」
 と、言いながら、ティアは新しく生まれた魔物を蹴り飛ばす。魔物は瞬時に霞となってかききえた。
「とはいえ、この魔物スポット、結構な勢いで魔物を生み出しちゃうから、壊さなきゃいけないわ。」
「どうやって?」
「魔に近い力で打ち消せば壊れるわ。」
「じゃぁ、ククの出番だ!」
 クグレックは皆の期待に応えようと大きく頷き、真剣な表情で両手で杖を掲げる。
「魔物スポットを越える魔力で打ち壊して!」
 分かった、と言わんばかりに、クグレックはティアを見つめて大きく頷いた。
 先程使った魔力結晶体を放つ魔法では、多くの魔物を生み出す魔物スポットの力を凌駕することは出来なさそうである。それならば、クグレックはこの魔物スポットを拒絶するのみ。今晩はこの魔物スポットの後方に存在する洞窟で休まなければならない。そのためには魔物を生み出す魔物スポットは邪魔だ。
 トリコ王国や色んな所で発現された拒絶の力をここで発揮する。
「ヨケ・キリプルク!」
 それは詠唱となって、クグレックの支配下に統率される。杖からは雷のような雷撃がバチバチと音を立てて出現し、魔物スポットに向かって放たれた。杖からは雷撃が断続的に放たれ続け、光と激しい音と共に魔物スポットにダメージを与える。
 そして、しばらくすると、魔物スポットはバリンと音を立てて砕け散り、跡形もなく消滅した。
 同時にまわりの瘴気も和らぎ、視界がはっきりとしてきた。辺りは夕闇が広がり、橙色に染まっている。
 クグレックは汗だくになり、息を切らしていた。それなりの魔力が消費され、倒れて意識を失うほどではないが、疲れがどっとやって来た。
「流石、クク!」
「やったわね!洞窟で休めるわ!」
 ニタとティアは手を取り合って喜んだ。
 クグレックはその様子を見て、ふと笑みを浮かべた。皆の役に立てたことが嬉しかった。
「さすが、クグレックだな。…トリコ王国に居た時よりも、魔法の威力が上がっているように感じる。」
 ディレィッシュが言った。
「…うん、私も、そんな気がする。」
 はぁはぁと肩で息をし、額から落ちる汗を腕で拭いながら、クグレックもディレィッシュの意見に同意した。この霊峰御山に充満する瘴気がクグレックを強くしているのか、もしくは成長によるものなのか。
「さ、行こうぜ。」
 ハッシュが軽々と全員分の荷物を担ぎ、一行は休憩地点である洞窟で休むこととなった。

********

 洞窟の中は広かった。奥まで空間が続いているようだが一行は入り口付近で火を起こし、体を休める。簡易テントもこしらえた。
 魔物スポットを破壊したクグレックは魔力疲弊が起きているため、火の魔法を使う以外は特に何もせず、座って食事や就寝の準備を見ているだけだった。
 食事は麓の集落からティアが持って来た非常食だった。大して美味しくはなかったが、野生動物を食べるよりは全然ましであった。きちんと穀物もあるし、肉もある。デザートもあったので、外でとる食事にしてはそれなりに豪華だった。
「ドラゴンのところまではあと少しよ。この洞窟の先を進めば到着する予定。ただ、ドラゴンの近くの魔物は強いから、気を付けてね。」
 豪快に肉にむしゃぶりつきながらティアが言った。
「ニタ、ドラゴン見るの初めてだから、ドキドキする。」
「私もだ。」
 ニタとディレィッシュが言った。
「ティア、その、ドラゴンってどんな奴なんだ?ティア自身は見たことはあるのか?」
 ハッシュが尋ねた。
「えっと…、分からないわ。見たことはないの。御山登山に来た生存者が言ってたのを聞いただけだから、詳しくは分からない。ただ、その、人伝えに聞いた話だと、その大きさは私達人間の5倍くらいはある真っ黒な大きなドラゴンだって。火を吐いたりするらしくて、…多くの登山者が殺されたみたい。」
「ハンターも登ったのか?」
「…うん。でも、ハンターの人は皆、戻って来なかった。」
「ドラゴンに、殺されたのか…。」
「それか、周辺の魔物に。」
 会話を聞いていたクグレックの顔が青ざめていく。ニタがクグレックの様子に気付き、
「クク、大丈夫だよ。ククはニタが守るし、それに、クク自身にも強力な魔法がついている。安心してよ。」
と声をかけた。
「うん。大丈夫。このメンバーなら、私も行けると思うの。だから、安心して。」
 ティアもにっこりとクグレックに微笑みかける。クグレックは幾分心が和らいだ。
「ところでティア、その山頂に住むドラゴンはこの御山の希少種とかそういう類なのか?」
 ディレィッシュが尋ねた。
「…いいえ。御山にはドラゴンははいないはず。だから、山頂のドラゴンは外来のものよ。」
「そうか…。どこから来たんだろうな?」
「…分からないけど…、瘴気が発生して、登山者の被害が出始めたのは昨年の11月中旬くらいだったわ。」
 ディレィッシュの眉毛がピクリと動いた。
「ふーむ。…まぁ、色々探ってもキリがないな。」
「なにか心当たりがあるのか?」
 ハッシュが尋ねた。ディレィッシュは頭を横に振って
「いーや、何にも。」
と、あっけらかんとした様子で答えるのだった。


 2016_08_25



 食事を終えると、魔力疲弊の残るクグレックは簡易テントで就寝した。クグレックはこのメンバーの中でも一番の要である。今ここで疲れを抜いておいて、魔物スポットやドラゴンと対峙した時に力を振る舞わなければいけないからだ。
 残りはまだ就寝せずに、今宵の見張りの順番を決める。魔物スポットを破壊して安全が確保されたが、いつ別の魔物スポットから出現した魔物がやって来るか分からない。
「全部、アタシが見てても構わないけど…。」
「一睡もしないでドラゴンに挑むのか?少しでも休めよ。女性なんだし、肌に悪いぞ。」
 一晩見張りを行おうとするティアにディレィッシュが待ったをかける。
 そうして見張りの順番はティア、ハッシュ、ディレィッシュ、ニタの順になった。
 テントではクグレックとティアとニタが眠り、外の焚火の周りではトリコ兄弟が寝袋に包まれて睡眠をとる。
 ティアの見張りの時間が終わり、ハッシュの番となった。ハッシュはティアと共に起きていたので、引き続き火の番をしながら周りを警戒する。ディレィッシュも一緒に起きていたので二人はひそひそと会話をする。
「ハッシュ、寝てていいぞ。私は…、その、…あまり眠れないんだ。」
 ぼんやりと火を見つめながら話すディレィッシュ。ハッシュはその姿を見つめながら、ちくりと心が痛んだ。彼の兄は元々あまり眠らない。寝る時間を惜しんでなのか、眠れないからその余った時間を費やすためなのかは分からないが、その起きている時間で研究に勤しんでいたのだ。
 それは、魔のせいだったのかもしれない。
 ハッシュは、彼の兄が眠れなくて苦しんでいるのをトリコ王国時代から知っていたので、なんだかやるせない気持ちでいた。
「それに、私は御山ではどうにも役に立てないようだから、せめて弟の睡眠くらい取らせてくれ、な。」
 そう言って微笑みかける兄に、ハッシュは仕方なしに寝袋に入り横たえ、目を閉じた。
 瘴気の中魔物を倒しながら山を登って来たことが、流石のハッシュでも体力を使っていたらしく、目を閉じればすぐに眠気が襲ってきた。
 ディレィッシュは弟の落ち着いた規則正しい寝息が聞こえてくると、安心した表情で紅茶を啜った。トリコ王国を出てからは機械いじりも研究も何もせずに夜を明かすことが多くなった。それは、開放的なものでもあったが、どこか物足りなさもあった。やはり、機械いじりは彼にとって、手放し難いものだった。
 彼は自分の荷物を漁り、手慰みになるような何かを探す。

********

 ディレィッシュははっとした。
 見張り中だったのに、意識が飛んでしまっていた。
 眠気を覚ますかのように頭をぶんぶん振って周りを見渡し、周りを確認する。
 幸運なことに、洞窟内には焚火の薪が爆ぜる音とハッシュの規則的な寝息だけが響いている。
 ディレィッシュはほっと安心して、立ち上がり、ぐうんと背を伸ばした。
「はぁ。暇だな。」
 ぽつりとディレィッシュは呟いた。すると、その呟きに返事をするかのように
「そうなの?」
と言う女性の声が聞こえた。
 ディレィッシュはてっきりテントの女性陣が答えてくれたのかと思い、ちらりとテントの方を見遣ったが誰も外には出てきていなかった。
 ディレィッシュは首を傾げた。
 不思議に思いながらも、テントの中の起きている誰かに向かって声をかけてみる。
「…だれか、起きたのか?」
 しかし、テントの中からは返事は帰って来ない。
 一体なんなんだ、と思いながら、ディレィッシュは再び焚火の方へ視線を戻すと、「うわ」と声を出してびっくりした。
 焚火を挟んで向こう側に、見たこともない女性がしゃがんでいるのだ。鴉の濡れ羽のような真っ黒のおかっぱの髪型で、白い袴を着た女の子だ。クグレックよりも若く、12、3歳くらいの女の子だった。幽霊に見間違えてしまうほど、生気がないように感じられる。彼女は頬杖を付きながら、ディレィッシュを見つめていた。
 ディレィッシュはたじろぎながらも「き、きみはいつからここに…?」と尋ねた。
 少女はじっとディレィッシュを見つめた後静かに口を開いた。
「どうしてそんなことを聞くの?」
「ど、どうしてって、突然君が現れたように見えたから、びっくりして。」
 少女は相変わらず無表情だったが、彼女が纏っていた空気がピリッと張り詰める。ディレィッシュは失礼なことを言ってしまったのかと思い、敢えて表情を緩ませ、笑顔を見せた。
 少女はそれに応じることなく、再び口を開いた。
「山の上のドラゴンは、苦しんでる。早く助けてあげて。」
「狂暴なはずのドラゴンが苦しんでいる?どういうことだ?」
「膨れ上がった魔の力に囚われて、自身を失いかけてる。」
「魔…。」
「追い出してあげて。彼はあなたたちをアルトフールへ導いてくれる。」
「アルトフール…!」
 ディレィッシュは驚いた様子で目の前の少女を見つめた。目の前の幽霊みたいな謎の少女は、ディレィッシュ達が知りたい情報を知っているようだ。
「君は、一体…。」
 かすれた声でディレィッシュは尋ねたが、少女は返事をしない。
 それどころかディレィッシュは強烈な眠気に襲われ、次第に意識を手放した。
 2016_08_26


*******

 クグレックは目を覚ました。皆から翌日のドラゴン退治に向けて体力を温存させるために優先的に休むように言われて休んでいたが、急に心がざわついて目が覚めてしまったのだ。
 クグレックの隣で寝ていたニタはいなかった。ニタの見張りの順番は最後だったはずなので、今はニタが見張りをしているのだろう。夜はもうじき明けるということになる。
 クグレックは再び目を閉じて眠りにつこうとした。が、テントの外から声が聞こえて来て、意識はそちらの方に集中した。
 話しているのはニタだけではないようで、クグレックは耳を澄ます。
「君は一体何なんだ?ククと何の関係があるの?」
「私とクグレックは運命共同体。あなたたちは邪魔なの。」
「君、ちょっとおかしいよ。ククの魔女の力が利用するって言うなら、ククのことは渡せないけど。」
 耳を澄ませてて話を聞いていると、どうやらニタと女性が口論をしているようだ。しかも、中身はクグレックのことに関してだ。ティアは傍らで気持ちよさそうに眠り呆けている。だから、外の女性の声はティアではないのは確かだ。
 クグレックはなんだか無性に胸がざわついたので起き上がった。荷物から杖を取り、背中に装着してそろりとテントから顔を出して外の様子を伺った。
 外ではニタだけでなく、ハッシュもディレィッシュも起きていた。3人とも洞窟の奥の方に視線を向けている。クグレックも洞窟の奥の方に視線をやると、そこには白い袴を着た黒いおかっぱ頭の女性が立っていた。彼女の顔は青白く、まるで幽霊のように見えた。
「まぁまぁ、二人とも、ここはもうちょっと落ち着いて話をしていこうじゃないか。お嬢さん、私達は君に会うのは初めてだ。クグレックもがどうなのかは分からないが、まずは自己紹介からして行こう。私はディレィッシュ、元トリコ国王だ。君は?」
 ディレィッシュの問いに、女性は何も答えない。人形のように無機質な表情を浮かべて、三人に対峙するばかり。
 クグレックはこの白袴姿の女性をどこかで見たことがあるような気がした。だが、どこで見たのかが全く以て思いだせない。ただ、そんなに昔でもないことだけは間違いない。クグレックは記憶を辿るが、全く彼女にあったという事実が思いだせなかった。
 と、その時、クグレックは3人越しに女性と目が合った。まるで人形のように生気の感じられない瞳。
 クグレックは突然ぞっと背筋に悪寒が走るのを感じた。
 その瞬間、女性は足音立てずにすっと勢いよくクグレックの元に近づいて来た。その動きは非人間じみたものであり、魔物に近しいものがあった。
 クグレックは慌ててテントから出た。
「クグレック、会いたかった。最近、狭間の世界で会えなくなったから、どうしたのかなと思って心配だった。でも、頑張って迎えに来た。だから、行きましょう。」
 そう言って、女性はクグレックの腕を取り、引っ張る。クグレックは身に覚えのないことを言われて、たじろぐ事しかできなかった。
「え、ど、どこに?」
 
「アルトフールに。」

 女性は無理矢理クグレックの腕を掴んで、洞窟の奥に連れていこうとする。
「ちょっと待って。」
 クグレックは立ち止り、腕を強く振って、少女の手を振り払った。
 女性は目を見開いてクグレックを見つめた。
「どうして?」
「だって、突然すぎて…。」
「アルトフール、行かなきゃいけないでしょう?」
「…それは、そうなんだけど…。」
「じゃぁ、いいじゃない。」
「皆は?」
「アルトフールが呼んでるのはクグレック。」
「皆を置いて行くってこと?」
「それが何か?」
 女性はじっとクグレックを見つめる。
「クグレックは私と一緒に行くでしょう?」
 女性は再びクグレックに向かって手を差し出した。クグレックは首を横に振りながら後ずさる。「どうして?」
 女性はこてんと小首をかしげる。
「だって、私は…」
 クグレックは女性越しに、ニタ達のことを確認する。3人とも真剣な表情でクグレックたちのことを見ている。クグレックは、口を真一文字にして再び少女に会いまみえた。
「私はアルトフールに皆で辿り着きたい。」
「私とは、一緒に行ってくれないの?」
 クグレックはゆっくりと力強く頷いた。
「どうして?クグレックは私と一緒に居てくれるんじゃないの?クグレックは私のことだけが好きなんじゃないの?おかしいおかしいそんなのおかしいうそつきうそつきクグレックのうそつきゆるさないゆるさないゆるさない」
 少女はまるで呪いの言葉を吐くかのようにぶつぶつと呟く。その瞳は怒りを伴い、じっとりと睨み付けてくる。呪いの言葉に呼応するかのように少女の周りに黒い靄が集まって来て、次第にそれは大蛇のように細長く形を作っていった。そして、その靄は銀色に輝く鱗を持った大蛇に足をつけたような姿の水龍に変貌した。
「クク!」
 ニタが女性に気付かれないように、その隙間を掻い潜って、クグレックの元まで近寄り、手を取った。そして、トリコ兄弟のところまでもどる。
「ニタ!」
 女性はクグレックのことを睨み付けながら、ぶつぶつと呪詛を吐く。その傍らに突如出現した銀の鱗を持つ水龍は、女性を守るかのように宙に浮かんでいる。
 水龍は一度激しく尾を動かせば、大きな波を発生させた。至近距離で発生した背丈の倍もある波に対して、4人は逃げることも出来ずにその場にとどまることしかできなかった。
 そして、あっけなく波にのまれ、洞窟の奥へと4人は流された。
 クグレックはニタと手を繋いでいたが、押し寄せる波に剥がされた。ニタとクグレックは何度も手を伸ばすが、届かない。小さくて体重の軽いニタはあっという間に先の方へと流されてしまう。
「ハッシュ、ククとディッシュを任せた―!」
 ニタはそう言い残して、流されてしまった。
 クグレックはバタバタともがきながらなんとか水面に顔を出すが、泳ぎ方の知らない彼女は無駄に体力を使うばかりであった。服もぐっしょりと濡れ重みで沈んでしまいそうだ。クグレックはもがくことをを諦めかけた時、身体をハッシュに抱えられた。
「俺に抱き着いとけ。」
 クグレックは死に物狂いで、ハッシュに抱き着いた。
「兄貴もこっちだ!」
 ハッシュはクグレックに抱き着かれたまま、ディレィッシュへと手を伸ばす。
 が、そこへ現れたのは水龍の背に乗った白袴の女性だ。水龍が尾を振り上げ、ディレィッシュに一撃を喰らわせる。「ぎゃ!」とディレィッシュは叫び声をあげ、濁流の中に流されていった。
「兄貴!クソ!」
「ディレィッシュ!」
 先に流されたニタは運動神経が抜群に優れているのでなんとかなるであろうが、ディレィッシュの場合は一抹の不安がよぎる。だが、もうどうしようもないことをハッシュは受け入れ、離れ無いようにぎゅっとクグレックの腰に右腕を回して、波に流された。この洞窟を抜ければドラゴンがいるという山頂に近付くとティアが言っていた。奇跡さえ起これば、皆そこで合流することが可能だ。
「クグレック、絶対に離すなよ。」
「…うん…!」
 声を発するのもしんどかったが、クグレックは根性で声を出した。必死にハッシュの熱い胸板にぎゅうとしがみつく。

 2016_08_29


*******

 ぱちり。

 クグレックは目を覚ました。瘴気に包まれた洞窟の外にいるようだ。瘴気のせいで薄暗いが、周りは見えるので、夜だけでないことは分かる。
 結果、クグレックは息継ぎが上手く出来なくて、気を失ってしまったのだが、多分しがみつかせてもらった人のおかげで、目を覚ますことが出来た。
 げほげほと咳き込みながら、水を吐き出す。
 そして、クグレックは顔を赤らめた。
 目覚めた瞬間、目の前にはハッシュの顔があり、口と口が触れていたのだ。人工呼吸と言うものだろうが、今まで男性と至近距離で接したことがなかったクグレックは急に恥ずかしくなってしまったのだ。しかも、目の前のハッシュは上半身が裸で、目のやり場に困ってしまう。
「大丈夫か?」
 ハッシュはクグレックの背中をさすりながら声をかけた。
 クグレックは顔を真っ赤にしながら、コクコクと頷くことしかできない。
「ニタと兄貴は無事だろうか…」
 と呟くハッシュに、クグレックははっと我に返った。人工呼吸をされて恥ずかしがっている場合ではない。濁流にさらわれたニタとディレィッシュの姿が見えないのだ。
 ハッシュは木にかけて干していた自身のシャツを手に取り、再び身に付ける。クグレックも濡れた服を乾かしたいと思ったが、替えの服がないのでこのままでいる他なかった。
「クグレック、ニタと兄貴を探して来るが、歩けるか?」
 クグレックは目を逸らしながら、「大丈夫と」と一言、こくりと頷いた。
「残してきたティアのことも心配だが、まずはニタと兄貴の方が心配だ。波はこの先まで侵食しているようだから、もしかするとこの先にいるかもしれない。」
 先を見ると、濁流が過ぎ去り、地面は泥でぐちゃぐちゃになっていたが、木々はなぎ倒されて道は開けていた。ニタとディレィッシュはこの先にいるだろう。
「ニター、兄貴ー、どこだー?」
 と声を上げながら二人を捜索するクグレックとハッシュ。不思議なことに、瘴気は漂っているが、魔物は出現しなかった。魔物も波に飲み込まれて、消滅してしまったのだろうか。
 クグレックはハッシュの背中をぼんやりと見つめた。そして、不意に先程の唇の感触を思い出して、顔が赤くなる。
 今はニタとディレィッシュの生死も分からないのに、余計なことを考えてはいられないと、クグレックは頭を強く振った。ハッシュはクグレックを助けるために、人工呼吸を施しただけで、他意はない。むしろ、クグレックと人工呼吸だなんてハッシュは本当は嫌だったかもしれないのだ。
 などと悶々と考えていると、傍の草叢からディレィッシュが飛び出してきた。
 彼もまた上半身は裸であった。思いの外、ぴんぴんしており、ハッシュもクグレックも安心した。
「ハッシュ!クグレック!」
 ディレィッシュもまた、安堵の表情を浮かべた。
「兄貴、無事だったか。」
「あぁ、あの濁流だったが、無事に洞窟の壁にぶつからず、そして、溺れることなく外に出ることが出来た。あの子たちのおかげで。」
「あの子たち?」
「あのおかっぱの子だ。」
「あんな敵意剥き出しだったのに?」
「あぁ、あの子たちは多分、悪い子じゃない。きっと瘴気に充てられたんだ。」
 自信満々になんの曇りもない表情ではっきりと言い切るディレィッシュに、ハッシュは言葉を失った。
「あの子はいなくなったけど、あの銀色の龍は私のことを背に乗せて、洞窟の外まで連れて行ってくれたんだ。だから、私は無事だったんだ。」
 ハッシュはため息を吐いて、頭をわしわしとかいた。自分たちを吹き飛ばした張本人である銀の龍がなぜわざわざ助けてくれる必要があったのか分からないし、何を根拠にあの女性を悪くないと言い切るのか、ハッシュには理解できなかったが、兄が無事だという現実はそこにあった。
「まぁ、兄貴が無事ならば何よりだ。ニタはどこに行ったのか、知らないか?」
「あぁ、そうだ。そうなんだ。ニタ、ティアから貰った薬の効果が切れたみたいで、もう歩けないくらいに重篤な状態なんだ。」
「それは大変だ。」
「行かなきゃ。」
 ディレィッシュの後を追うと、木陰の下で幹に寄り掛かって息を荒らげるニタの姿があった。
「ニタ、大丈夫?」
 クグレックがニタの傍に駆け寄り、様子を伺う。ニタはクグレックの存在に気付くと、にひひと顔を緩ませ「ククが、無事で良かった。」と、苦しそうな声で言った。
「ハッシュがね、守ってくれ…」
 と、ニタに報告しようとしたが、クグレックは口を噤んだ。濁流から身を守ってくれただけでなく、助けてくれたことも思いだしたのだ。思春期真っただ中のクグレックが心を揺さぶられるのに、ちょうどいい事件だった。
 ニタは急に口を閉ざしたクグレックに首を傾げる。
「ニタ、体の調子はどうなんだ?」
 ハッシュが声をかける。
「いやぁ、頭が痛いし、眩暈もするし、気持ち悪いし、…とてもじゃないけど、歩けたもんじゃないんだ…。」
 瘴気は山頂に近付くほど濃くなってきている。洞窟にいた時は魔物スポットを壊したから、瘴気がない状態だったから、ニタ自身も気づかなかったのだろう。外に出てみれば、瘴気に弱いニタにとっては猛毒でも振り撒かれているかのように危険な空間だった。
「いったん、洞窟まで戻るか?ニタ位ならおぶって行けるだろうし。逆に待っていた方がもしかすると、ティアと合流できるかもしれない。」
「…あぁ、ティアは…?」
「ティアは、あの子の後ろにいたから、多分波の被害はなかったと思う。現に俺達の荷物が一切流れ着いてないんだ。」
「ハッシュ、そんなところまで見ていたんだな。」
「…流石に、土地勘のない良く分からない場所ではぐれることほど怖いことはないからな。死に至る可能性が高いし…。クグレックは俺と一緒だったから良いものの、サバイバル力のない兄貴のことだって心配だった。魔物が出て来ても危険だから、とにかく洞窟まで戻ろう。」
 そう言って、ハッシュはニタを背負い、流れ着いた洞窟まで戻る。瘴気がない洞窟まで戻ると、ニタは水を得た魚の様に元気を取り戻した。
 2016_08_30



それから1時間ほどで、全員分の荷物を持ったティアがやって来た。クグレックたちの姿を見つけると泣きそうな表情で駆け寄り、荷物を全て降ろしてからニタとクグレックを抱きしめた。
「もう、起きたらみんないなくなってるんだもん!なんか周りはびしょびしょになってるし、ヤバい魔物に襲われたのかと思って心配したんだから!わーん!」
「ティア、ちょっと痛い。」
「痛いよう…」
 怪力の持ち主のティアに抱きしめられ、ニタとクグレックも低い声をあげる。。
 するとティアはハッとした様子で下した荷物を漁り始めた。荷物の中から小さな小瓶を取り出すと、瘴気酔い止めを一粒掌に取り出した。
「ニタ、そろそろ薬が切れる時間よね。まだ瘴気止めはあるから、飲むと良いわ。」
 ティアはそう言って、ニタに金平糖にも似た瘴気止めを一粒口の中に入れてあげた。
「それにしても一体なんでこんなことが起きたの?」
 再会の喜びも落ち着いたティアが、全員に向かって尋ねる。
 4人はお互いに目配せをしあった。正直なところ、昨晩の出来事に関して、彼ら自身も何があったかということは話せても、どうして起きたのか、ということまでは分からなかったからだ。
 とりあえず、ニタがこの顛末をティアに説明すると、ティアはちんぷんかんぷんな様子だった。
「全く!その女って一体何なのよ。」
 クグレックは彼女をどこかで見たことがあった。その声も聞いた覚えがあった。だが、いつ、どこで彼女に会ったのかがはっきりしない。 
「あぁ、そう言えば私は彼女の妹にあったぞ。私達を襲った彼女よりも大分若い女の子だったが、顔や姿かたちはそっくりだった。だから妹だと思う。私が見張りをしていた時に、彼女が突然現れたんだ。彼女はドラゴンは魔の力に囚われて、苦しんでいるから助けてあげて、そうすれば、アルトフールへ導いてくれるって言っていた。お姉さんだと思われる彼女ほど禍々しい様子は感じ取られなかったな。」
 と、ディレィッシュが軽い様子で言った。ティアはしかめっ面になりながら
「なにそれ。しかも姉妹だなんて。」
と、呆れた様子で言った。
 ディレィッシュは続ける。
「ただな、ちょっと夢うつつな時だったから、もしかすると、夢かもしれない。でも、夢のような感じはしなかったし、私は現実だと思うんだよな。」
 どうにも軽い様子のディレィッシュにニタやティアは肩を透かす。ハッシュは「居眠りする位なら、強がらずにちゃんと寝れば良かったのに!」と語気を強めた。
 ディレィッシュはへらへらと3人の追及を交わすが、クグレックだけは彼の話に思うところがあった。というよりも、ようやく思いだしたのだ。夢かもしれない、いや、妙に現実的な質感を持った夢のような空間であの黒髪の少女に出会ったことを。
 クグレックたちを襲った彼女はクグレックの夢で出会った彼女よりも大人だったのだ。だから、クグレックは気付かなかった、というよりも思いだせずにいた。
 「夢」と「少女」という言葉の鍵がクグレックの記憶を呼び起こす。

 そこは、真っ白な空間だった。
 時間は祖母が亡くなり、ニタに出会う前。クグレックが自らを思い出の詰まった燃え盛る住居に身を隠した後。
 クグレックよりも小さな、齢にして12,3歳くらいの白い袴を着たおかっぱの女の子がしくしく泣いていた。
 彼女はクグレックになんと言っていただろうか。
 確か、あの時彼女は『お姉ちゃんを、待ってる』と言っていた。
 待ってるというのは、アルトフールで待っているということなのか。彼女はアルトフールと一体何の関係があるというのか。
 クグレックはその後、祖母の声を耳にして、それどころではなくなってしまったので、彼女のことは全く気に欠けることなく意識の底に追いやっていた。そう言えば、あの時の祖母が何と言っていたのか、クグレックは思いだせない。
 
 次に彼女と会ったのはポルカのニルヴァ防衛戦時。魔力が尽きたクグレックは気を失って倒れてしまった。その時の夢でも彼女と出会った。彼女はクグレックを鼓舞してくれ、そして、尽きた魔力を元に戻してくれた。
 最初にあった時と異なって、泣いている様子でもなく、比較的落ち着いていたと思う。
 それ以降、彼女はクグレックの夢には現れなかった。トリコ王国ではクグレックの夢に出現したのは、ディレィッシュに潜んでいた魔だった。

 ディレィッシュは彼の夢に出て来た幼い彼女と、攻撃的な大人の彼女を姉妹としたが、クグレックはそうではないような気がしていた。どちらも同一人物だと感じたが、理由は分からない。何故彼女が成長した姿で現れたのか、どちらが本物の彼女なのか、クグレックには分からない。
 ただ、現実に現れた彼女はともかく、夢の中の幼い彼女の言うことならば、信用しても良い、とクグレックは考えた。何故ディレィッシュだけに姿を見せたのかは分からないが、きっと、ディレィッシュが会った彼女はクグレックが会った彼女と同一人物で信頼に当たるだろう。
 だから、クグレックは決意した。
 山頂のドラゴンを救ってあげなければ。それが、アルトフールへの道へとつながるのであれば、と。

 2016_08_31



 瘴気が濃くなる御山を一行は再び登り始めた。
 
 足場はだんだん悪くなる。これまでは整備された登山道だったが、洞窟を抜けてからはごろごろとした岩場が続く不安定な道だった。気を抜けばクグレックみたいな鈍臭い人間は転んでしまうだろう。さらに足場の悪さは体力も奪うのだ。大した距離を進んでいないのに、クグレックは足が痛くなってきた。
 その上、魔物も出現する。猿の様なすばしっこい魔物だった。岩場を巧みに駆け回り、ティア、やハッシュを翻弄する。ニタはかろうじて岩場を俊敏に動けるが、魔物ほどではないので、追いつけなかった。クグレックとディレィッシュは後方待機で荷物番だ。
「もう、なんなの、すばしっこいわね!」
「ここじゃ動きづらいな。」
 立ち往生するティアとハッシュ。ニタに追いかけられながら魔物は、石を拾っては投げつけて来る。ニタは済んでのところで石を交わしたり、キャッチしたりて相手の攻撃を回避する。
 すると、荷物番をしていたディレィッシュがおもむろに鞄の中を漁り、長さ30センチほどのケースを取り出した。中から何本か棒を取り出して、手慣れた手つきで組み立て始める。次第に形付くられるそれはボウガンの形をしていた。が、普通のボウガンよりも一回りほど小さく、子どもでも取り扱えそうなくらい可愛らしいサイズだった。
「ディレィッシュ、それ、何?」
 クグレックが尋ねる。
「ん、ボウガンだ。持ち運びに楽なように、分解可能で軽量、小型化してみた武器だ。殺傷力はあんまり高くないが、昨日、手入れをしてまぁ、いい感じだったので、実践投入してみようと思って。」
「ディッシュが作ったの?」
「まぁな。おもちゃみたいなもんだけど。」
 鉛筆程の矢をボウガンに込め、ディレィッシュは片手で小型ボウガンを構え、魔物に照準を合わせる。
「射撃は得意でね。銃器を扱う方が得意なんだが、あの武器は今の世界じゃ物騒だ。」
 余裕の笑みを浮かべながら、ディレィッシュがボウガンの引金をひくと、小さな矢は魔物に真っ直ぐに飛んで行きぷすっと刺さった。
 魔物は不意打ちの攻撃に驚き、動きが鈍った。その隙を着いて後を追っていたニタが魔物に回し蹴りを喰らわせ、魔物は霞となって掻き消えた。
「クク、なんか魔法使った?」
 ニタが不思議そうに尋ねた。クグレックは魔力温存のため、緊急時以外は魔法を使わないことになっている。
 クグレックは首を横に振った。
「私じゃない。ディッシュがやったの。ボウガンで。」
 と、クグレックが言うと、ディレィッシュは小さなボウガンを揚々と掲げた。
「ニタ、落ちた矢は回収してくるとありがたい。」
「分かった。」
 ニタはボウガンの矢を拾い、ディレィッシュの元へ運んだ。
「格好良い武器だね。」
「ニタの鉄拳に比べれば、おもちゃみたいなもんさ。」
 そう言って、ディレィッシュは小型ボウガンを解体する。
「あれ、もうしまっちゃうの?」
「あぁ、山登りに持ち歩くのは邪魔だからな。」
「そう。」
 そして、再び一行は岩場を進み続ける。確かに不安定な足場で、小型とはいえボウガンを持って歩くのはバランスもとりづらく大変であった。
 その後もたびたび魔物は出現したが、なんとか追い払うことは出来た。が、先程の猿の様な魔物のように素早かったり、特殊な攻撃を行ってくる魔物が多かった。強い魔物というわけでもないが、足場が足場なだけに戦い辛く、前衛隊の体力は順調に削られていった。
 が、瘴気が一層濃くなって、魔物も一度に4,5体ほど現れるので前衛隊の骨を折った。
「ティア、魔物が、どんどん増えてるけど、魔物スポットはどこにあるの?」
「この近くにあると思ったんだけど…。うーん。」
 ティアは一旦立ち止り、腕を組んで、目を閉じた。眉間に皺を寄せ、うーんと唸りながら考え込む。そして、開眼した。
「大変。魔物スポットは頂上にあるわ!」
 とティアは声を上げた。
「なんでわかるんだ?」
 ディレィッシュが尋ねた。
「えっと、ほら、悪魔祓いの師匠のせいで、魔に関して敏感になっちゃったから、魔物スポットも感覚でどこにあるかわかっちゃうのよ。」
「へぇ。」
「まぁ、そんなことはどうだっていいの。狂暴なドラゴンと一緒に魔物スポットがあるなんて、厄介すぎるわ。ドラゴンだけでなく魔物も一緒に相手にしないといけないなんて。」
「ふむ、それは厄介だな。」
「でも、行くしかないんでしょ。」
 ニタが問うと、ティアはこくりと頷いた。
「えぇ。魔物も思っていたよりも強いわけではないし、ニタもハッシュも強いわ。隠し玉のクグレックもいるから、勝算はある。ディレィッシュ、アンタにも特別な役割があるから、頑張って!」
「ほう、特別な役割か。」
 一行は気合を入れ直し、頂上へ向かう。頂上へ向かうにつれ、次第に見かけなくなっていた植物たちがちらほら姿を現したかと思うと、樹林帯が広がるようになった。そろそろこの標高では植物も育たなくなる高さだが、草花樹木共々立派に育っている。さらに、どこからか聞こえる動物たちの声。これまで岩や砂利といった殺風景だった景色が、急に生気を持ち始めた。
「山頂はもうちょっとよ…。」
 ティアは周りの景色を見て、そう言った。
 御山が霊峰たる所以はここにある。山頂周辺の神性だ。
 通常の標高では、御山の山頂は森林限界に当たり、樹木が育たない。だが、不思議なことに山頂付近に限り、御山では樹木が低地と同じように育っているのだ。さらに、今現在の季節は冬に当たるのだが、御山では雪が降らない。故に年中いつでも登ることが可能なのだ。
 2016_09_03


 草木をかき分けて、とうとう山頂へたどり着く。そこは開けた場所であり、本来ならば神々しい場所なのかもしれない。だが、今は瘴気により、今にも落ちて来そうな真っ黒な曇天と禍々しい黒の巨体に支配された汚らわしい空間だった。
 そう、そこに、標的であるドラゴンの姿があったのだ。
 大きさはクグレックたちを余裕で越える。2階建ての家屋程はあるだろう。丸太の様な大きな2本の足が巨体を支えており、胴体についた2本の腕には鋭い爪がついている。背には体よりも大きいであろう蝙蝠の様な大きな翼と、ギザギザとした棘が付いた大蛇の様な尾が生えていた。
 魔物のように真っ黒で靄掛かったその巨体の胸の奥の方では、赤黒い何かが輝いている。鼓動の様に輝きは弱くなったり強くなったりしている。その収縮の姿は彼らが昨日みた魔物スポットと同じものだった。
「これが御山のドラゴン…。」
 ティアも実際に見るのは初めてだったので、思わずその姿にたじろいでしまう。
「本物のドラゴンか、魔物か、はたまた魔物スポットなのか、なんなんだろうな。」
 ディレィッシュが呟く。その呟きに対してニタが
「いやぁ、ドラゴンじゃないのかなぁ。見たことないけど。」
と、返した。
 ドラゴンは低いうなり声を上げながら、5人を見下ろす。体内の赤黒い輝きと同じ色をした双眸は殺気立っていた。
 ドラゴンは尻尾を振り上げ、5人に打ち付ける。
 ニタとティアとハッシュの3人は瞬時にその攻撃をかわしたが、クグレックとディレィッシュは瞬時に対応することが出来なかった。かろうじてディレィッシュが身を挺してクグレックを庇ったために、クグレックは地面に倒されかすり傷程度で済んだが、ディレィッシュは勢いよく尻尾に打ち付けられ、吹っ飛ばされた。
「ディレィッシュ!」
 顔から地面に追突したディレィッシュ。が、すぐにむくりと身を起こすと、鼻からつうと血が垂れた。ディレィッシュはきょとんとした表情でいた。
「あれ、私、死んでいないぞ?とっても体は痛いが。」
 ディレィッシュは体をさすりながら、呆然としていたが、一呼吸おいて合点した。瘴気の力が彼の魔抜け分を補ってくれていたとティアが言っていたのだ。そのため、彼は通常以上に頑丈になっていた。
 再びドラゴンがディレィッシュに向かって尻尾で攻撃を繰り出す。
「ディレィッシュ、後ろ!」
 と、ティアが叫ぶと同時にニタが駆け出し、渾身の力を込めて振り回される尻尾に向かって飛び蹴りを喰らわせる。
 ニタの知識ではドラゴンは固い鱗を持ち、どんな攻撃をも跳ね返すという伝説があるということは知っていた。このままドラゴンに飛び蹴りを喰らわせたら、もしかするとニタの足はその堅い鱗に阻まれて折れてしまう可能性もあるが、ニタは臆することなく全力の力をドラゴンの尻尾に捧げる。
 ニタの強力な一撃がドラゴンの尻尾に当たる。ニタの足はドラゴンの尻尾にのめり込んだ。変な感触だ、とニタは思った。尻尾は黒い靄を吹き出して凹んだが、すぐに吹き出した黒い靄がニタに蹴られた部分を包むと元の形に戻った。そして尻尾はびっくりしたようにドラゴンの後ろに引っ込んだ。
 体制を整え、地面に足をつけたニタは力強い視線でドラゴンを睨み付ける。
 本当にドラゴンなのだろうか。それとも、伝説はあくまでも伝説にすぎないのか。
 と、思った矢先、ドラゴンが深呼吸をしたかと思うと、ドラゴンは真っ黒な火の玉をニタに向かって吐き出した。キャベツ位の大きさだった。何かが燃焼したのか、焦げた匂いがする炎だ。しかしこの炎、よく見るとどんどん大きくなっていく。ニタの目の前まで来た時には羊くらいの大きさになっていたが、ニタはその高い身体能力でギリギリのところで炎をかわした。
 しかし、ちりっと耳の後ろが焦げた音が聞こえたニタは
「ぎゃー、焼けた!焼けた!」
 と吃驚して、耳の後ろをバシバシと叩いた。
 さらに、ニタの背後ではニタの耳を掠めた真っ黒な火の玉が地面に衝突して燃え上がっていた。ロバ程の大きさになって轟々と燃え上がっているが、なにか様子がおかしい。炎は延焼することなくその場で燃え上がっているうえ、中では何かが蠢いているかのように形を変化させるのだ。
「ニタ、後ろ!」
 ティアが声をかけるとニタはハッとして振り向き、その異様な黒い炎を視認する。
 炎は不気味に燃え上がり、ニタの姿を捉えているかのように見えた。ニタは背筋がゾクリとするのを感じた。
 炎は大きく燃え上がった。それはまるで炎の中に何かが存在し、もがき苦しむように見えたが、すぐに掻き消えてしまった。後には何も残らない。
「な、なに、今の…?」
 ニタは再び目の前のドラゴンを見上げる。ドラゴンは再び大きく息を吸い込んで、あの真っ黒い火の玉を吐き出そうとしている。ドラゴンの体内の奥に見える赤黒い輝きがより一層明るさを増した。
 ドラゴンが火を吐きだすと、ニタは簡単にそれを交わした。ドラゴンは火の玉を吐くと、その反動でしばらく動けなくなるようだ。身体の赤黒い輝きも弱まり、吐き出したままの恰好で呼吸を整えている。
 ニタ達は再び火の玉の観察だ。異様なのは黒いだけではない。あの炎ははまるで生き物のように燃えているのだ。
 火の玉は地面に衝突すると、不気味に変形しながらも大きく燃え上がる。
 再び燃え尽きるのだろうか、と一同は思ったが、炎は形も変わることなく落ち着いて、安定して燃え続けた。そして、黒い炎は、ゆっくりと、ゆっくりと、亀の歩みの様にニタに滲みよって来た。延焼しているのではない。炎そのものが生き物のように近寄ってきているのだ。そして、勢いをつけてニタに突進した。
「うわ!」
 黒い炎の動きは緩慢だったため、ニタは余裕でその突進をかわすことが出来たが、突進の速度は思った以上に速かった。
「な、なにこれ。この火の玉、襲ってくるんだけど!」
 ティアが駆け寄り、おもむろに炎に蹴りを入れる。すると、炎はティアに蹴り飛ばされた。
 ティアは「熱ッ」と声を上げ、足をすぐに引っ込めた。靴は焼け焦げ、ところどころ黒くなっている。
 ティアは、引きつった表情で不気味にうごめく黒い炎を見つめる。
「あの中に、なんかいるわ。そうじゃないと、炎なんて蹴り飛ばせないもの。…なんか、魔物みたいな感触だった。」
 ティアの呟きに、ニタも表情を引きつらせた。
「…ドラゴンは、炎と魔物、一緒に吐き出しているのかな?」
 と言うニタにティアは「…そうかもしれない。」と言って、ドラゴンを見上げる。
「…あのドラゴンの胸の奥の方にある、あの赤黒い光、魔物スポットみたいに光るよね。」
 ニタが言った。ティアは「確かに。」と言って同意する。
 ドラゴンは再び息を吸い込み、火の玉を吐こうとしている。同時に胸のあたりの赤黒い輝きも光の強さを上げる。ドラゴンは火の玉を連続で吐き出した。
 ニタ達は逃げ回り、直撃を回避したが、その後の火の玉の経過が気になるところだった。半数以上の火の玉は不定に形を変えた後、燃え尽きて跡形もなくなったが、うち二つは先ほどと同様に自ら動き回る炎となり、ニタ達ににじり寄る。
 ハッシュがふと気づいたように言った。
「というよりも、あれは魔物スポットなんじゃないか?光り方がまさに魔物スポットのそれだし。」
 ドラゴンの体内の赤黒い輝きは、炎を吐き出したために消えていた。いや、炎と共に魔物を出現させたためにその輝きが消えていたと言い直していいのかもしれない。
 ニタとティアは顔を見合わせ
「嘘でしょ!?」
と声を上げた。
 目の前には倍に増えた炎と魔物を出現させて小休止するドラゴンの姿があった。

「これはやばいんじゃないの?あの炎、攻撃できるとは言っても、炎だし、熱いよ?」
 ニタが言う。
「もうこいつらは無視してあのドラゴンを叩くしかないわね。今なら魔物スポットの動きも休止してるし。」
 ティアが言った。ニタもそうするしかないと思い、二人はドラゴンに駆け寄り、攻撃を加え始めた。
 2016_09_26


 とはいえ、黒い炎は、攻撃対象を探してゆっくりと這い回っていた。
 黒い炎たちは亀のようなゆっくりとした動きで攻撃対象を探す。ティアやニタ、ハッシュを探しているようだったが、そのうち1体はディレィッシュとクグレックの方へ向かってきている。
「これはマズイな。あの3人は自身の足と拳で戦うスタイルだから、炎には手を出せない。」
 ディレィッシュが言った。クグレックを守るようにして、クグレックの前に立っていた。
 クグレックは杖を握りしめ「私が魔法で…。」と言いかけたが、ディレィッシュに止められた。
「それはダメだ。クグレックの魔力はあの魔物スポットを破壊するためだけに使わなくては。」
「でも…。」
 黒い炎は二人の元へにじり寄って来る。
「いざとなったら、私がなんとかかばって見せよう。私は瘴気の力で頑丈になったんだ。」
 と、ディレィッシュは余裕の笑みを浮かべた。
 黒い炎は、二人を襲える範囲内まで近付くと、それまでの鈍さとは一転して、勢いをつけて突撃し始める。ディレィッシュはボウガンが入っていたケースを手に取り、応戦しようとする。ケースは防火性を備えていた。
 が、二人を守ったのは、防火性を備えた30センチ程度のケースではなかった。
 戦いながらも冷静に場を把握していた彼の弟が、黒い炎を掴んで投げ飛ばし、そして、連続で蹴り飛ばしたのだ。飛ばされた黒い炎は、興奮するかのようにハッシュに突撃してくる。ハッシュはそれをかわせずに直撃を受けて倒れてしまったが、起き上がる反動をつけて、再び両足で炎を蹴り飛ばした。
 炎は攻撃に耐え切れず、魔物のように霞となって掻き消えた。
 ハッシュは低い声を上げて思わずその場にしゃがみ込み、地面に手を着く。
「ハッシュ!」
 ディレィッシュが駆け寄る。クグレックもその後に続く。
「大丈夫か?」
 ハッシュは山登りのために服を着込んでいたので服は大分焦げてボロボロになってしまったものの、突進の直撃を受けた割には直接地肌に火傷を負ってはいないようだった。ただ、手だけは、手袋も何もつけていなかったので、赤く爛れていた。地面に手を置いて冷やしてみたが、気休め程度にしかならなかった。
「やっぱり、ここは、私が…!」
 青ざめた表情でクグレックが杖を構える。
「…そうだな。やるしかないな。」
 ハッシュはクグレックを見上げながら言った。ディレィッシュは弟の言葉にたじろぐが、次の言葉を聞いて、その意見に同意した。
「魔物スポットを壊せ。」
 と、ハッシュが言うと、クグレックは力強く頷いた。ハッシュの眼差しは信頼に満ちていて、クグレックはそれに勇気づけられ、力が湧いてくるような心地だった。
 クグレックは大きく深呼吸して、気持ちを落ち着かせると、杖に意識を集中させた。そして、周りの瘴気を取り込み始める。瘴気はクグレックを取り囲んだ。
 昨日の魔物スポットよりも大きいけど、なんとかなる。そう思い込んで、クグレックは声高らかにのたまった。

「ヨケ・キリプルク!」

 と、クグレックが発すると杖からは雷のような雷撃がバチバチと音を立てて出現し、ドラゴンに向かって放たれた。杖からは雷撃が断続的に放たれ続け、光と激しい音と共にドラゴンにダメージを与える。
 ドラゴンは低いうなり声を上げてもだえ苦しむ。
 ドラゴンに攻撃を与えていたニタとティアは動きを止めて振り返った。山頂のため酸素不足で二人の息は既に上がっていた。動きも少々鈍くなっていた。
 クグレックは目の前の黒いドラゴンの限界値を探して拒絶しようと試みる。が、さすがにドラゴンと同じ大きさを誇る魔物スポットだ。魔力を流し込むが、その限界値が見つからす、破壊にまでたどり着かない。
 クグレックはあまりに集中しすぎて、鼻からつうと血が垂れて来た。だが、彼女の集中力は鼻血など気にも留めない。ひたすら破壊のための魔力を送り込む。
「クク!無理をしないで!」
 クグレックの様子を心配するニタの声は彼女の耳に届いていたが、受け入れることは出来なかった。
 なんとかして、目の前のドラゴンの魔物スポットを破壊しなくては、先に進めないのだ。毎回毎回、彼女はあともう一歩のところで落ちてしまう。今回こそは意識を飛ばさずに済ませたいのだ。

 負けない。
 こんなに皆に大切にしてもらったんだもの。
 皆の期待に応えたい!

 だが、気持ちとは裏腹に、耳は次第に遠くなり、視界も白けてくる。
 万事休す、とクグレックが諦めかけた時、クグレックを優しい温もりが包んだ。その温もりが再びクグレックの意識を復活させた。

――まだ、やれるわ。

 そのぬくもりは、懐かしいものだった。祖母に抱き締められているような、そんな感覚。
 だが、微妙に違う。今、クグレックの意識にかけてくれた声はティアの声だったからだ。
 再び開けた視界には、クグレックと共に杖を支えるもう一つの腕があった。後ろから腰に手を回してクグレックを支えているのは、ティアだった。
 クグレックは杖を通して、ティアが膨大な魔力を流し込んでくれているのを感じ取った。とても濃厚で密のある魔力。
 ティアは一体何者なのだろうか、とクグレックが思った瞬間、目の前のドラゴンは悲鳴を上げた。
 ドラゴンの体内にある赤黒い輝き――魔物スポットに亀裂が入り始めたのだ。ピキ、ピキと音を立てて沢山の亀裂が入る。
「あと一息よ!」
 そういうティアがさらに魔力を注ぎ込むのを、クグレックは感じ取った。
 杖から発せられる雷撃はより光を増し、バチバチと激しい音を伴う。
 そして、しばらくすると、とうとうドラゴンの中の魔物スポットはバリンと大きな音を立てて砕け散った。目の前のドラゴンは悶え苦しみ、のたうちまわる。真っ黒な体躯はボロボロと崩れ落ち、落ちた黒い物体は何かを求めるように蠢いた。
 ティアはニタに向かって、
「ニタ、そいつらはみんな魔物のなりかけよ。ドラゴン共々全部潰しちゃって!」
 と指示をする。ハッシュも立ち上がり、ニタに加勢する。彼は手を負傷したもの、それ以外は問題ないのだ。二人はひたすらドラゴンだったものに攻撃を加える。
 クグレックは振り返り、ティアを見る。そして、彼女に起こっていた異変に驚いた。ティアの瞳の色が血の様に赤く輝いていたのだ。これまでは普通の鳶色だったのに、一体何が起こったのか。
 さらに汗だくになっていたティアはクグレックと目が合うと、にっこりと微笑んだ。
「ふふふ。後で色々お話ししましょう。まずはアイツを倒さなきゃ。」
 そう言ってティアは炎の魔物を倒しに行った。
 ティアの後姿をみて、さらにクグレックは驚いた。ティアの背中には大きな黒い翼が生えていた。ドラゴンと同じ蝙蝠の様な黒い翼だ。
 そばにいたディレィッシュもティアの異様な姿に驚き、クグレックと顔を見合わせるのだった。


 2016_10_03


********
 
 全ての魔物を倒すと、瘴気は掻き消えて、青空が広がった。冬の空は、高度が上がってもすっきりとした高い空のままだった。
 そして、あのドラゴンは、というと、小さくなっていた。
 人間よりも、ニタよりも小さな体躯は堅そうな青い鱗に覆われており、猫の様に丸まって縮こまって眠っている。
「こんなにちっちゃかったんだ。」
 ニタが言った。
「どうやら、魔物スポットと魔物と融合して大きく狂暴になってしまったみたいね。」
 とティアが言う。彼女の瞳はまだ赤く、黒い翼も生えたままだ。
「生物と魔物スポットが合体なんて、…そんなことが、あるのか?いや…」
 ディレィッシュが小さなドラゴンに触れながら呟いた。そして、ティアに視線を向ける。
「ティア、ドラゴンは魔に取り憑かれていたんだよな?魔がドラゴンと魔物スポットを合体させる接着剤の様な役割をしていたということか。」
「そういうことになるわね…。」
 ティアは、眉根を下げ、申し訳なさそうに答えた。ディレィッシュはそんなティアの態度に眉間に皺を寄せた。なにか気になるのだ。いや、この登山中ずっと気になっていたのだ。
「ティア、これはただの私の勘なんだが、ティアとこのドラゴンは何か関わりがあるのか?」
「…!」
「そして、その恰好も一体どうしたんだ?ティアは私達に一体何を隠しているんだ?この御山のガイドをやってるにしても、ティアは魔に対する知識が豊富過ぎることがずっと気がかりだったんだ。」
 ティアは自分の身体を守るようにして、自身の腰に腕を回す。そして、観念するかのように力なく微笑んだ。
「そうよね。こんな姿になっちゃったんだもの。話さなきゃいけないわね。」
 ティアはちらりと小さなドラゴンを一瞥すると
「あの子が起きるまで一休みしながら、説明するわ。」
 
 そう言って、一同は腰を落ち着けてティアの話に耳を傾けた。

「色々話さなきゃいけないことはあるわね。私のこと、あのドラゴンのこと。そして、クグレックのことも。」
 クグレックは突然自分のことを言われてびっくりしたが、まずはティアの話を聞くことが先だと思い、黙ったままでいた。
「まずは、…私のことだと少し長くなりそうだから、あのドラゴンのことを話すわね。あの子は私の友達でムーっていう名前なの。あの子が再生と滅亡の大陸で心無い密猟者に捕まったところを私が助けて、支配と文明の大陸へ逃げて来たの。あの子はまだ小さいから、霊峰と言われている御山でひっそりと生活していけば良いかな、と思って連れて来たんだけど…。」
 ティアの声がどんどん沈んでいく。
「その時の私はムーに魔が憑いていたことを気付けなかった。まさかあんなに狂暴になって御山を瘴気で支配するなんて…。」
 ティアは悲しそうに嘆くのであった。
「魔は、もう完璧に抜けたのか?」
「えぇ。魔物スポットの破壊と同時に居なくなったわ。ムーにそれほど溶け込んでなかったから、力で追い出すことが出来た。そこは、良かったわ。」
「魔が溶け込んでると、追い出すのが大変なのか?」
「えぇ。事情は分からないけど、ディレィッシュについてた魔は深く融合してたように感じるから、多分、熟練の悪魔祓いが沢山いても追い出せなかったでしょうね。良く生き残れたわね。」
「そうか…。」
「さ、ムーのことはこれくらいで大丈夫?」
「あぁ。大丈夫だ。」
 ディレィッシュが言った。他の者達も同意するように頷いた。
「次は、そうね、私のことかしら。」
 ティアはロングヘアを耳にかけた。赤くなってしまった瞳は憂いを湛えている。
「私はね、悪魔と人間のハーフなの。だから、クグレックが魔女であること、ディレィッシュが魔抜けであったこと、魔物スポットだとか瘴気に詳しかったことはそこが由来しているの。でも、私、悪魔としては半人前で、まだ力を制御出来ない。だから、こんな風に翼が生えたりするのよね。」
「その赤い瞳も、悪魔の力のせいか?」
 ディレィッシュが尋ねた。
「えぇ、そういうこと。」
「他にも変化するのか?」
「うん。尻尾が生えたり、爪がマニキュアを塗ったように赤くなったりするの。本来の悪魔の姿になるのかな。でも、ここは御山だから、ある程度抑えて貰えてたみたい。」
 ティアはきゅっと目をつむると背中に映えていた翼が跡形もなく消えた。目を開いた時には、瞳の色も元のヘーゼルに戻っていた。
「力を使いすぎると、悪魔になっちゃうみたいで。一応、人間の姿への戻り方は分かるから、なんてことないんだけどね。悪魔化は制御できないの。」
 ティアは力なくへらっと笑った。
「ティア、君が御山の麓にいる理由はその悪魔化を抑えるためか?」
 ディレィッシュが尋ねた。
「ディレィッシュは勘が良いわね。そうよ。まぁ、抑えるため、というか、制御する力を身に付けるためというか。私、もっと世界の見聞を広めて、世界一の踊り子になりたいからね。」
「そうか…。きっとティアなら素晴らしい踊り子になれるよ。私が見た中でも一番だったからな。」
「うふふ、嬉しい。」
 ティアは本当に嬉しそうににっこりと笑顔になった。
「じゃぁ、最後ね。クグレックの話。」
 ティアからまっすぐな視線が向けられて、クグレックはどきりとした。
「と言っても、私が知っている魔女に関することね。」
 一同はごくりと唾を呑んでティアの言葉を待つ。

「魔女って悪魔と契約して初めて自在に魔の力を操ることが出来るようになるの。悪魔と契約してなくても魔の力を扱える魔女はいるわ。でも、それは本来持っている一部の力しか操れない。クグレックだって、そうでしょ?」
 クグレックは頷いた。覚えている魔法もきっと少ないし、魔力も時々暴走してしまう。
「悪魔と契約することは、魔の力を操れるようになるだけではない。契約した悪魔を使役することができるの。魔女にとっていい話でしょ。悪魔にとっても、魔女との契約は、魔女の支配下に入るということになるけども、契約時にも魔女の力の恩恵を受けて力を増大することが出来るし、魔女が死ねばその魔女の力は全て悪魔のものとなるから、いい関係なのよ。」
 大人しくティアの話を聞いていたニタがハッとした。そして、訝しげな視線をティアにぶつける。
「ねぇ、…それって、ククをティアと契約させるつもり…?」
 ティアは妖艶な笑みを口元に浮かべた。が、途端に表情が緩み、お腹を抱えてけらけら笑い出した。ニタ達は狐につままれたような顔をしてティアを見つめた。
「そういうつもりで言ったんじゃないわよ。力のある魔女は近くにいるだけでも悪魔の力を強くしてくれるってことを言いたかったの。だから、クグレックと一緒に居ることが出来て、私は普段では出せない力を出すことが出来ただけなのに、契約って。」
 大爆笑してひいひいと喘ぐティアにニタ達は拍子抜けした。
「そもそも私は悪魔としては半人前だし、契約ってのは悪魔に処女を捧げることよ。こんなうぶなクグレックにはまだ早いでしょ?」
 クグレックは処女の意味が分からず、ニタに意味を求めるように視線を遣ったが、ニタは少々呆れた様子で「…ククはまだ知らなくていいよ。」とだけ呟いた。
「それに、クグレックはポテンシャルは高いわ。まだまだ悪魔の力を借りずとも、なんとかなると思う。もうちょっと魔女の本質が分かってくれば、もっと魔力を操ることが出来るようになるわ。」
 そう言って、ティアはクグレックの頭をよしよしと撫でた。クグレックは、少々不安を感じていたが、撫でられたことで安心し、不安が解消されていくようだった。そして安心しきったクグレックは思わずつぶやいた。
「ティアの魔力、おばあちゃんみたいだった。」
「おばあちゃん?」
 ティアが聞き返す。
「エレンって言うんだよ。もう死んじゃったけど。めちゃくちゃ優しい魔女だったんだよ。」
 ニタが代わりに答えた。
「エレン?」
 ティアがクグレックの祖母の名を繰り返す。唇に手を当てて思案しながら、彼女は呟いた。
「偶然ね。私の父が契約していた魔女もエレンという名の人だった。あの人も…優しい女性だった。」
「もしかすると、同じエレンじゃない?」
 と、ニタが言った。
 ティアは目を細めながら、クグレックを見つめた。
「そうかもしれない。クグレックは少しだけエレンの面影もあるし、それに、魔力もエレンのものと似てた。」
「ティアの魔力もおばあちゃんに似てた。」
 ドラゴンの魔物スポットを破壊する時に注ぎ込んでくれたティアの魔力が祖母のものと似ていたのだ。親の力を受け継いだティアならば、祖母の魔力を受け継いでいてもおかしくはないだろう。
「私達、魔力のつながりで言えば、姉妹みたいね。」
 姉妹。ティアが姉で、クグレックが妹で。肉親は祖母しかいないクグレックは姉妹という響きに嬉しさを覚えた。
「私には弟もいるけど、クグレックみたいな可愛い妹なら大歓迎よ。」
「…私もティアみたいな美人で強いお姉さんがいたら、嬉しい。」
 クグレックも綻びかけた小さな幸せを堪えることが出来ずに、にこにことほっこりした表情になった。


 2017_03_28


********

 しばらくすると、小さなドラゴン『ムー』が目を覚ました。
 クグレックたちの姿を見ると、ムーはびくびくと縮こまる様子を見せたが、ティアの姿を見ると安心したのか落ち着きを見せた。
 そして、5人を目の前にして、ムーはしょんぼりとした様子で立ち上がり。震える声で。
「この度は、魔に憑かれて迷惑をかけてしまったようで、本当にごめんなさい。」
 と言った。そして深々と5人に頭を下げた。暴走していた頃の巨大竜と比べると随分と丁寧で慎ましい様子である。
「いいのよ。過ぎたことなんだし。」
 ティアはぽんぽんとムーの背中を撫でた。
「でも、多分、ぼくは過ぎたことだと流すことのできない程のことをしてしまった、よね。」
 悲しそうに上目遣いで尋ねるムー。
「覚えてないのか?」
 ディレィッシュが尋ねると、ムーはこくりと頷いた。
「真っ暗な世界にいたことだけははっきりと覚えているけど、あとはうっすらとしか分からないんです。でも、…いろんな感情が僕を包んでただただ苦しかった。僕は…」
 ムーの夜闇の様に濃い藍色の双眸がわずかに憂いを帯びた。
「魔が暴れるのは、必然的なことなんだ。」
 ディレィッシュが言った。
「君が魔に取り憑かれていたのが間違いないのであれば、それは必ずどこかで押さえきれない状態になっていた。それがたまたま今だっただけで。むしろ、君が大きくなって力が強くなっていた時に魔が暴れていた場合、もっと深刻な状況になっていたかもしれないだろう。」
 「…でも、僕…」
 間違いなくムーは無差別に立ち向かって来る者達を襲った。その感覚は彼自身になんとなく残っているのだ。
「気にしたらキリがないわ。あなたは特別なドラゴンなのだから、魔が暴れたのが今で良かったわよ!魔のせいでそれなりに大きなドラゴンになってたけど、成長した後に魔が暴れてたら御山どころかコンタイ国も支配と文明の大陸が亡びてたかもしれないのよ!」
 彼の友人であるティアが強い口調で言った。
「だから、あなたはもうちょっと強くなりなさい!また魔に取り憑かれるわよ!」
 腰に手を当てて、まるで姉の様にムーに声を荒げるティア。叱られたムーの首はさらに項垂れていく。
 なんだか張り詰めた雰囲気にクグレックははらはらした。こういう時、彼女はどうすることも出来ない。ところが、そんな状況を打破するかのようにニタがムーに対して質問した。
「そう言えば、ムーってアルトフールについて知ってる?」
と尋ねた。ムーにとってはなんの脈絡もない突然の質問にきょとんとした様子でゆっくりと顔を上げる。
「え?知ってますけど…。」
 さも当然の如く答えたムー。彼らが欲していた情報はあっけなく手に入るようだ。
「ちょうど良かった。あのね、ニタ達、アルトフールへ行こうとしているんだけど、どうやって行ったらいいのか分からなくて。御山は神託を与えてくれる特別な場所だから登ってみたところ、頂上のドラゴンが導いてくれる、ってお告げがあったんだ。」
「そう、なんですか…。でも僕なんかが、誰かを導くだなんて…。」
 ムーは再び伏し目がちに俯いた。
「ニタ達、アルトフールのことは殆ど分からない上にどうしたら辿り着けるのか分からなくて困ってるんだ。ねぇ、ムー、ニタ達を連れてってよ。アルトフールに。」
 ムーは恐る恐るティアを見遣る。ムーと目が合うとティアはにっこりと微笑んだ。
「行ってきたらいいじゃない。御山でひっそりと過ごすよりは、ニタ達と外に出た方が良いと思うわ。ニタ達、腕もあるし。」
「…ティアは?」
「あたし?あたしは行かないわ。あたしの目的地は、違うから。あたしは踊り子として生きたいの。そのためにも、あたしはまだここにいないと。」
「そっか…。」
 クグレックは改めてティアの意志を聞いて少しだけ寂しく思った。ティアと一緒にアルトフールへ行くことが出来たら、きっと楽しかっただろうに、と。だけど、進むべき道がはっきりしているならば、仕方がない。
 ムーは再びニタ達を見据えた。
「じゃぁ、僕、あなた達をアルトフールに案内します。魔から救っていただいた恩もありますし。でも、どうして、あなた達はアルトフールを目指すのですか?」
 と、質問を繰り出すムーだったが、気弱な彼は自信なさげに視線を地面の方に落としていく。
 ムーの問いに一番に答えたのはニタだった。
「幸せになるため!」
 そして、ニタに続くのはディレィッシュだ。
「私達も、ニタがアルトフールに行けば幸せになれるっていうから、便乗しているにすぎない。それに、私達は魔抜けの代償で還る場所がないからな。アルトフールが思ったところと違うのであれば、また別のところを探そうと思う。だけど、アルトフールへの辿り着くまではニタとクグレックを守るのが私達の役目でもある。私達は、二人に救われたのだから。」
 と語るディレィッシュにハッシュは静かに頷き、同意する。
 そして、ムーの視線は必然的にクグレックにゆっくりと移動した。
 クグレックはムーと目が合うと、ピリピリとした気まずさを感じてしまい、視線を逸らしたくなった。だが、クグレックは気付いた。ムーの視線はクグレックを品定めするような視線ではなかった。クグレックの答え次第で、アルトフールの案内をするかしないかを見定めているわけではないように感じられたのだ。
 むしろ、この小さなドラゴンはクグレックと同じ感情を内に抱いている。不安と恐れを抱いている。
「私は…、この世界が明るくてキラキラしてて、…楽しいものであるかどうかを確認するために、アルトフールへ行く。もし、世界が故郷の荒野の様に煤けて寂しいものであるならば、私はニタが幸せになることを願って全ての旅を終える、つもり。」
 クグレックは皆の前で「死ぬ」とは言えない程度には、仲間としてニタ達のことを好きになっていた。心優しい彼女は先立たたれることの悲しさを十分知っている。だから、アルトフールが黄泉の旅路であることを明言することは出来なくなっていた。
 すると、不安と恐れを纏っていた小さなドラゴンの空気がふっと和らいだような感じがした。
 意外にもクグレックの答えが小さななドラゴンの迷いを取りのぞくことが出来たようだ。

「アルトフールは望みさえすれば、あなたたちの願いを満たしてくれる場所です。決して楽な道のりではありませんが、僕の力の限り、案内させていただきます。」

 小さなドラゴンはぺこりと頭を下げた。
 そしてクグレック達の旅の道筋は深い霧が晴れ、果てしない世界が広がり始めた。それは、この冬の青空のように静かなる希望に満ち溢れている。



――第5章、完。



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