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 それから一週間が経った。
 ニタとクグレックは案の定部屋に幽閉された。名目としては、来賓を危険な目に合わせられないため。騒動が落ち着いたら、解放するという約束であるが、この先どうなるかは分からない。
 1日に1回、部屋の片づけをするために侍女が入って来る以外は部屋の外に出ることが出来なかった。魔法によるセキュリティ解除も出来ない。
 これまでの実験により、クグレックの鍵開けの魔法が解析されて、セキュリティに魔法が効かないように施されたのだ。
 また、外の状況はどんどん悪化していた。
 公式に研究所の爆発はランダムサンプリのテロリストの仕業によるものと発表され、国民はランダムサンプリに対する憎悪を日増しに強くしていった。
 トリコ王国は先月、ランダムサンプリと関係を悪化させ、開戦一歩手前という状況になっていたが、第1皇子であるハーミッシュことマシアスの外交手腕により、なんとか関係改善へ向かうことが出来ていたのが記憶にも新しいところだった。
 しかし、ランダムサンプリ国は一か月もたたないうちに手のひらを反してきたのだ。トリコ王国の民は怒りに打ち震えた。公にはテロリストがどうやってセキュリティを突破したのかということや、実行犯たちが今どこにいるのかも明らかにされていなかった。
 しかし、じきにテロの首謀者は第1皇子ハーミッシュであることが発表され、トリコ国王が断腸の思いで実の弟であるハーミッシュ=トリコを処刑するのだろう。それがトリコ王の描いたシナリオだ。
 なんとも気味の悪い状況だ。
 すべてがディレィッシュの思う通りに進んでいて、手の中にある。クグレックもニタもマシアスもイスカリオッシュもクライドも、トリコ国民も、皆彼の手のひらの上で踊っている。彼はあの優しい微笑みを浮かべて、掌で踊る大切な人たちを見つめているのだろうか。
 クグレックはソファに腰掛けながら、ミルクティーを飲みため息を吐いた。
 その傍ではニタがぼんやりとしながら4D2コムから映し出されるニュースを見つめていた。
 今、二人が外の情報を得るにはこの4D2コムを頼るしかない。毎日来る侍女は常に別の人だ。片づけのたったの1時間で心の距離を詰めるのはさすがのニタでも難しい。
 とはいえ、4D2コムから映し出される情報は、連日研究所での死傷者だったり、テロリストに対する考察だったり、ランダムサンプリという国家に関するマイナスイメージな情報も多く流されていた。この映像を見続けていれば、あっという間に反ランダムサンプリ主義に刷り込まれそうだ。
 情報がいとも簡単に操作されている。そんな印象をクグレックは感じていた。

 と、その時、映像にちらつきが見られたかと思うと、瞬時に別の映像が映し出された。
 毎朝、昼、晩に放映される、トリコ王国の最新情報を伝える番組に切り替わった。
 いつもならば、こんな昼下がりの変な時間に映ることはないスタジオ。
 いつも最新情報を伝えてくれる金髪の美しい女性が手に持った原稿を読み上げる。
『緊急ニュースです。たったいまトリコ王国政府から入った情報によりますと、本日正午過ぎ、トリコ王国北東部の国境で爆発事件が発生しました。ランダムサンプリとの国境付近ということで、ランダムサンプリの工作活動によるものと政府は見ていますが、詳しい状況はまだ分かっていません。先週のエネルギー研究所の爆発事件と合わせて、政府は調査し、声明を出す模様です。』
 真剣な表情で、かつはっきりと滑舌よく原稿を読み上げる女性。
 ニタは「あーぁ。」とため息を吐いた。
「これは、もう戦争が始まっちゃうのかな。」
 どこか他人事のように話すニタ。それは勿論、トリコ王国がニタの故郷ではないのだから、他人ごとになるのは当たり前だ。
「戦争って、こんな簡単に始まっちゃうのかな。」
 クグレックは顔をしかめた。
「そんな、まさか。」
『ここ最近のランダムサンプリからの挑発に関しては、ランダムサンプリに直接抗議すると共に、こちらからも報復制裁を考えている。私の国民の命を巻き込んだランダムサンプリには、それ相応の責任を取ってもらうことで、我々トリコ王国としての誇りを取り戻す。』
 映像から、聞き覚えのある声がした。
 白いターバンを身に付けたトリコ王だ。トリコ王が声明を発表している。
『また、テロリストの行方も未だ分かっていない。トリコ王国の威信を賭け、エネルギー研究所爆破事件の真相を究明していきたい。』
 彼の王のシナリオでは、このテロリストの首謀者はトリコ王国第1皇子ハーミッシュ。
 きっとそのうち、王からハーミッシュが国家転覆を狙う国賊であると吊し上げられ、国民は混乱に陥るのだろう。
 それはいやだ。絶対にいやだ。
 クグレックの心はもやもやとした嫌な気持ちに包まれ、もやもやは心のキャパシティを越え、爆発した。
「ニタ、ディレィッシュを止めよう!」
 クグレックは突然すくっと立ち上がり、普段は出さないような大きな声で宣言した。
 のんびりしていたニタは体をびくっと反応させた。、クグレックを見た。
「クク?突然、どうしたの?」
 ニタから見たクグレックは、いつもの引っ込み思案で大人しい様子のクグレックではなかった。意思をしっかりと固めた、クグレックだった。
「うん、ディレィッシュを止めるの。」
 ニタは目を丸くした。目の前の気弱な女の子が、自ら動こうとしている様子を見て、なんだか泣きたい気分になったが、事態はそんな状態ではない。
「でも、鍵は開かないよ?」
 ニタが言った。
「全身全霊の魔力を込める。」
 そう言って、クグレックは杖を手に取り出入り口のドアの前に立った。
 大きな深呼吸を2回行い、呼吸を整える。そして、ドアに向かって杖を構えると、目を閉じて自身の魔力の流れとドアのロックに意識を集中させた。
「アディマ・デプクト・バッキアム」
 杖から扉へと放たれた霞の様な白い光。常であれば、光を放った瞬間に杖から意識を離しているが、クグレックはどうしてもこの扉を開けたかった。光から意識を離すことなく、集中する。
 ぐるぐると回る魔力の流れ。旧式の鍵であれば、多少はぐるぐるするものの、水が流れ出るように魔力は流れて開錠する。しかし、機械のロックはそうとも行かない。さらに複雑に魔力が流れていく。終わりのないらせん構造の中を突き進んでいくが如くだったが、まるで茨に締め付けられ固まってしまったかのように魔力は科学の力に囚われて開錠することが困難であった。昔、祖母がクグレックの鍵開け魔法に対抗してかけられていた魔法の感覚に似ている。
 が、量で押してみればどうだろう。クグレックはさらに杖に魔力を込めた。光はぐっと照度を増した。
 しかし、どうしても魔力は扉のロックを貫くことはなかった。
 クグレックは杖を降ろして鍵開けの魔法を使用することをあきらめた。
 額は汗をかき、前髪が張り付く程度には、魔力疲弊による疲労度を感じていたが、クグレックは諦めることは出来なかった。思考を巡らせて、脱出する方法を考える。
「この扉を壊せばいいんじゃないの?」
 ニタがすっと立ち上がり、扉に向かって強烈な一撃をお見舞いする。
 ドン!という大きな打撃音がしたが、扉はびくともしなかった。何か特別な素材で作られているのだろうか。と、ニタは首を傾げる。
 ニタの生態実験の際に、ニタの発揮できる最大の力をデータとして取っていたので、ニタの力では開けないように、扉が耐久度を上げていた。いつの間にか頑丈な扉に交換されていたようだ。
「あ、そうだ。ディレィッシュのプライベートラボに行く道はどう?」
「機能するかな?私達はディレィッシュに監禁されているんだよ。」
「やってみなきゃわからないよ。」
 ニタは4D2コムを持って、バスルームへ向かう。
 エネルギー研究所で実験が行われるようになってから、ディレィッシュのプライベートラボに訪れることはなくなったので、久しぶりのエスカレベーターの扉を起動する。
 ピロリーンという音と共にバスルームのバスタブがなくなり、代わりにエスカレベーターの扉が出現した。
 扉に4D2コムをかざすと、扉は自動的に開いた。エスカレベーターの内部は薄暗く、このままでは動かない。ニタは再び4D2コムを弄ると、エスカレベーター内の灯りが点灯し、ブゥンと低い起動音がした。そして、独特の浮遊感を持って動き始めた。
「…反応するとは思わなかった…。」
 ニタは4D2コムに視線を落としながら呟いた。
「え?」
「だって、ディレィッシュはニタ達のこと、外に出したくないはずでしょ。ましてや、ディレィッシュの研究データが残るプライベートラボに無断で入らせたくないと思うし…。なんか嫌な予感。」
「ディレィッシュの手の上で踊らされているんだね。」
「いつからなのかは分からないけど。」
 ニタとクグレックは胸の内に言いようもない不安を抱えながらもエスカレベータ―の到着を待った。
 ガタンと音を立ててエスカレベーターの動きが止まった。
 自動で開いた扉の先には誰もいない。いつもであれば、笑顔のディレィッシュが迎えに出てくれていた。そのせいか分からないがいつもの廊下の青い灯りが無機質で冷たいものに感じられた。
 二人は緊張した面持ちでラボへ続く廊下を歩き、行き止まりに到達した。
 ここは一件行き止まりに見えるが、パスさえクリアすれば目の前の壁が開いてラボに通じるようになっている。傍にある小さな箱の中に暗証番号を入力する装置がついているのだが、ニタはそこではたと動きを止めた。
 このラボへの暗証番号はいつも出迎えてくれていたディレィッシュが入力してくれていたのだ。ニタ達に分かるはずがない。しかも、指紋認証によって暗証番号入力が起動されるため、二人が小さな箱の中の機械をどう弄ろうとも何の反応もなかった。
「万事休すだね…。」
「ここまで来たのに…。」
 がくりと肩をおとして項垂れる二人。と、その時、ニタが持っていた4D2コムがけたたましい音を発した。
 2016_06_07


 行動指針が決まった二人は再びマシアスがいる第1皇子居室へと向かう。
 城内は慌ただしく、二人を気に掛ける人はいなかった。特に問題もなく、マシアスが控える金細工と極彩色の細密彫刻の扉に辿り着いた。
「無事について良かった。」
 安心した様子でニタが言った。
「うん。」
 クグレックも安心した表情を浮かべるも、次の瞬間、表情が強張った。
「王の邪魔はさせない。」
 低く冷たい声が二人を捕えた。二人はゆっくりと振り向くと、そこには金髪碧眼の端正な顔立ちの男性が立っていた。トリコ王国の国民が持つ水色の瞳とは異なる青い瞳を持った男。軽装が多いこの国で彼だけ重装備している、トリコ王国にはどこか似つかわしくない存在。
 トリコ王親衛隊隊長クライドだ。
 クグレックが懐かしさを感じるその深い青の瞳はどこか殺気立っていた。
「クライド…?」
 クライドの右手が帯刀してる剣の柄を掴む。
「ここで何をしている。」
「なにをって、ねぇ…。」
 クグレックに視線を遣りながらニタは言葉を濁すが、クライドは二人に鋭い眼差しを向け続ける。
「昨日から何か怪しく思っていたが、これ以上王の邪魔をするな。」
 クライドは二人を睨み付ける。その眼差しの鋭さに、クグレックはおろかニタすらも思わず閉口し、たじろいだ。クライドの深い青の瞳はまるで雪の日の夜の様に冷たくて暗く、そして静寂を湛えていた。
「おい、ニタとクグレックか?」
 扉の向こうから、マシアスの声がする。ニタとクグレックは返事をしたかったが、クライドの気迫に気圧されて反応することが出来ない。
 クライドはちらりと扉を見たが話しを続けた。
「王はトリコ王国を更に繁栄へと導くために、これからランダムサンプリと戦争を始める。だが、これも全てトリコ王国繁栄のため。科学の力は確かに万能だ。しかし、その裏に隠された恐怖を知っておかなければならない。そのためにも、トリコ王国は科学で他を圧倒する。それの第一段階として、独裁国家であるランダムサンプリを制覇し、他国にその強さを知らしめる。」
 深い青の瞳は揺らぐことなく、ニタとクグレックを捉える。その鋭さと圧迫感に二人は圧倒されて、動くことが出来なかった。
「だからこそ、王が進むべき道はハーミッシュが邪魔なのだ。ハーミッシュとイスカリオッシュは王にとって立った二人の血の繋がった兄弟。いくらハーミッシュが邪魔であろうと、王はハーミッシュを殺すことが出来ない。殺せないからこそ幽閉しているというのに、ハーミッシュはどうして王に反していることに気付かない?正しいのは王だ。この国の絶対は王であるディレィッシュだというのに。」
 王ディレィッシュに対する頑なな忠誠心。おそらく、マシアスやイスカリオッシュよりも、クライドはディレィッシュを病的なまでに慕っている。
 王の忠実なる僕であるクライドは鞘から刀剣を抜く。しっかりと手入れされている剣の刀身がきらりと力強く光った。
「ク、クライド、何をする気?」
 ニタが、たじろぎつつも答えた。
「ここで殺されたくなければ、もう二度とハーミッシュに関わろうとするな。ここで誓え。」
 クライドは白く輝くその剣をニタとクグレックに向かって構えた。
「…多くの人の命を犠牲にすることが、ディレィッシュの意志なの…?」
 とクグレックは静かに質問した。
「…そうだ。」
「それって、良くないこと…」
「だが、王の意志だ。」
 間髪入れず、クライドは答えた。
「クライドは、それでいいの…?クライドの意志は、それでいいの?」
 怖気づきながらも、クグレックはクライドに尋ねる。傍にいるニタは、黙ってクグレックとクライドを見つめ、事の成り行きを見守っていた。
「俺の意志は王の意志だ。何があっても、王に追随すること。王がどんな判断をしたとしても。」
 海の底の様に、揺らぐことがないクライドの青の瞳。
 彼はディレィッシュに従うことに関して、並々ならない覚悟を持っていた。

 そもそも、クライドはドルセード王国の上流階級に生まれ、誉れ高きドルチェ騎士団に所属し、エリート街道を突き進めば良い人生だった。それなのに、彼は家名を捨て、国を捨ててまでしてトリコ王国、いや、トリコ王ディレィッシュに完全服従しているのだ。
 2人の間に何があったのか知るところではないが、クライドはおそらくトリコ王国一トリコ王に絶対的な信頼を寄せている。だから、彼の王に対する思いは、決してぶれることはない。
 その時、急にけたたましい警報音が鳴り響いた。ニタとクグレックは慌てて辺りをきょろきょろと見回す。一方でクライドは落ち着いた様子で懐から手のひらサイズのコンパクトを取り出した。クライドの4D2コムである。クライドは4D2コムの液晶に表示されているものを見て、一瞬目を見開いたが、すぐに4D2コムを床に置き、持っていた剣は鞘に納めた。そして、膝をついて静かに傾付いた。
 4D2コムからは、王ディレィッシュの立体映像が現れた。立体映像のディレィッシュは相変わらずの余裕を持った笑みを浮かべている。
『どうも、物騒だね。クライド、ダメじゃないか。勝手な行動は。今は研究所爆発の後処理で大変な時なんだから、勝手に動くのは良くないぞ。それに私が考えているシナリオがあるのだから。』
「大変申し訳ございません。」
 クライドは立体映像のディレィッシュに向かって深々と頭を下げた。
『よろしい。さて、クグレックとニタ、そして、ハーミッシュ。安心してくれ。お前たちの話は、昨日から、しっかり聞いている。トリコ王国の監視体制は素晴らしいだろう。』
 ディレィッシュはにっこりと微笑んだ。
『私は高出力エネルギー装置を製造し、その実験体としてランダムサンプリを選んだ。高出力エネルギー装置を用いた兵器は、どれほどの威力なのか、試すにはとてもいい相手だ。独裁軍事国家(笑)という国際的に不安を煽る様な国家には少し痛い目を見て貰っても良いだろう。』
 ニタは奥歯を噛みしめ、立体映像のディレィッシュを睨み付ける。
『だが、そうなると、ハーミッシュ、アイツの存在は邪魔になる。』
 ディレィッシュはちらりとマシアスが幽閉されている扉に視線をやった。「なにが起きてるんだ、ニタ、クグレック、答えてくれ!」とマシアスが喚く声が聞こえるが、流石に反応できる状況ではない。
『アイツの行動力と目的遂行能力は高すぎる。ピアノ商会の件もほぼ単独で全て片付けた。野放しにしたら、何をしでかすか分からない。ハーミッシュにはいずれ死んでもらう。私とアイツは進むべき方向を違えてしまったようだ。もう取り返しがつかない程に。』
 クグレックはアッチェレの宿屋で安心しきった様子でいたマシアスとディレィッシュという二人の兄弟のことを思い出した。あの時の二人は間違いなくお互いを信頼し合った兄弟だった。
『情報は書き換えよう。ハーミッシュはランダムサンプリのテロリストを招き入れた首謀者だった。昨日、ハーミッシュの部屋までのセキュリティが発砲しなかった理由はテロリストを招き入れるため。テロリストによるセキュリティ開錠のログはクグレックとニタが開けたものとして成立する。二人がここまでやって来た監視映像も、テロリストの侵入に見せかけるために少し手を加えさせてもらった。テロリストなんて虚構の存在にすぎないが、トリコ王国にはこれが真実となる。テロリストを呼び寄せたハーミッシュは、国民の総意思により、信頼を失い処刑されるだろう。』
 ディレィッシュは終始微笑みを湛えたままだった。血の繋がった兄弟の命を奪おうとしているのに、どうしてこのような表情が出来るのか。クグレックは背筋がぞっとするのを感じた。
『さぁ、クライド、クグレックとニタを自室に戻してやりなさい。二人とも騒動が落ち着くまで、部屋で待機だ。こんな血なまぐさいことに、来賓を巻き込むわけにはいかないからね。あ、そうだ、クライド、目を閉じて。』
 と、ディレィッシュが言い終えた瞬間、ディレィッシュが映る立体映像が、急に激しく光った。あまりの眩しさにニタとクグレックは目が眩み、目を開けるのが困難になった。
 その隙を着いて、光を直視しなかったクライドはニタを拘束し、クグレックからは杖を奪った。
「く、ディレィッシュ、マシアスは兄弟でしょ…。どうして、こんなことを…」
 ニタは目を閉じながら呟いた。
『もちろん、苦しいさ。血の繋がった兄弟を謀略に嵌めて処刑するなんてね。だけど、私は最初から、この国を統べると誓った時から、情けは捨てているんだ。ハーミッシュは私とはもう異なる人間だ。血の繋がりなどもはや関係ない。』
「…そんな悲しいこと…。」
 視力がなくなって、真っ暗闇の中で、ニタは一瞬クライドの拘束する力が弱くなったのを感じた。
 しかし、ディレィッシュの
『なぁクライド。そんな私を慰めてくれるのはお前しかいないよ。お前だけは裏切らないでおくれよ』
 という懇願するような甘い声が再びクライドの力を強くさせた。
 ニタとクグレックは視力が一時的に落ちて成す統べなくクライドに引っ張られて、自室に戻された。


 2016_06_06


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 クグレックはハッとして目を覚ました。
 科学の力でこの部屋は快眠をもたらすために様々な工夫がなされているというのに、嫌な目覚めだ。クグレックは大量の汗をかいていた。
 そして、目覚めると同時にクグレックは声を潜めて泣いた。涙が勝手に溢れてくるのだ。
 とんでもない悪夢に、クグレックは非常に怖い思いをした。そして、それが現実ではなくただの悪夢に過ぎないということに安堵したという二つの思いが複雑に混じった涙がとめどなく溢れて来る。
 夢の中では、実験が失敗して、多くの人が死んでいた。夢だったというのに死の感覚は非常に生々しい現実味を持っていた。もし、マシアスの言う通り、ディレィッシュが大量破壊兵器を完成させ、ランダムサンプリの多くの人達の命を奪ったとしたら、あの地獄絵図が現実のものとなるのだ。なんて恐ろしい。クグレックの涙は嗚咽と共に止まることを知らない。
「クク、どうしたの?」
 すすり泣くクグレックに気付いたニタは心配そうにクグレックの傍に佇む。背中を優しく撫でながら、クグレックの気持ちを落ち着かせた。
「怖い夢を見て。」
 呼吸を落ち着かせながら、クグレックは答えた。まだ気持ちがざわざわして、夢の中身を話す気にはならない。ニタのふかふか感に癒されながら、心を落ち着かせる。
「今日はなんだか大変なことがあったらしい。ニタ達は部屋から出るなって言われたよ。」
 クグレックを撫でながら、落ち着いた様子でニタが言った。
「でも、別に部屋は出れたから、いつものおっちゃんのところに行って来たんだ。」
 いつものおっちゃんとは、トリコ王国でニタが仲良くなったトリコ城の専属料理人のことだ。いつ仲良くなったのか分からないが、トリコ王家に仕えて46年の陽気で気の良いおじさんである。ニタはこのおっちゃんを通してトリコ王国の情報を入手していた。
「おっちゃんが言うには、エネルギー研究所の方で大規模な爆発があったんだって。今は事態の把握や原因の解明、救助活動でてんやわんやな状況らしい。」
「エネルギー研究所で…?」
 クグレックは背筋が凍りついた。先ほど見た夢が鮮明に思い出される。
「なんか、テロリストの仕業かもーって。新年会で浮かれてるところを狙って、城に侵入したとかなんとか。」
「テロ、リスト?」
「政治的、もしくは宗教的信条で、暴力的な破壊活動を行う集団のこと。まぁ、ランダムサンプリが怪しいとされてるんだけどね。」
 ランダムサンプリの人が鉄壁セキュリティのトリコ王国に侵入して、破壊活動を行った。現実での研究所の爆発事件は、部外者からの故意的なものということになる。
 ニタ曰く、一瞬だけトリコ城の全てのセキュリティが機能しなくなった時間があるらしい。その時にテロリストたちは城の中に潜入し、機密情報を持ち去り、研究所に侵入したということだった。マシアスに会いに行った時、セキュリティを解除しても警報が鳴らなかったのは、丁度テロリストたちがセキュリティをダウンさせた時であったのかもしれない、とニタは勝手に推論を推し進める。
 だが、ニタはクグレックが人の話を聞くどころではない様子を見て
「クク、なんか飲む?ココアとかあるよ。」
と、尋ねると、クグレックはコクリと頷いた。しかし、同時に夢の中で焼け爛れた人達が渇きに苦しみ、水を欲する様子がフラッシュバックして、吐き気がしてきた。
「やっぱり、いい。」
 クグレックは首を横に振って、ニタの申し出を断った。
「そう…」
 しょんぼりとするニタ。
 クグレックはニタの様子に気付くことなく、ぼんやりとベッドの上で塞ぎ込む。
 ニタはやるせない様子で、クグレックから離れ、ローテーブルの上にある4D2コムを手に取った。慣れた手つきで操作すると、液晶から立体映像が映し出される。4D2コムではトリコ王国が全国民に向けて、国の情報を提供している。天気情報、催事、事件、政治など、様々な情報が映像付きで提供されるのだ。
 4D2コムは、雲一つない青空の下、真っ黒に崩壊しつくした研究所の様子を映し出す。そこではガスマスクをつけた救助隊が、研究所に取り残されていた人々の救助活動に精を尽くしていたり、その場で応急手当てをしている人達の姿を映し出しながら、沈痛な面持ちで一人の女性が現場の状況を必死に説明していた。

『本日未明に爆発を起こしたエネルギー研究所は建物は大破し、多くの犠牲者が出たとされています。その人数は未だ調査中ですが、数十名の研究者、作業者たちが体にやけどを負ったり、瓦礫の下敷きになり負傷したとされています。救助隊の懸命な救助活動が行われていますが、爆発の原因については今のところ分かってはおりません。年明け早々、凄惨な事件が発生しております。』

 ぼんやりと映像を見つめる無表情のニタ。
 研究所で一緒に実験を行った研究員のの無事が気になっていた。担架で運ばれていたり、応急手当されて横たわっている人の中にいるのか、ニタはじっと映像をみつめていた。
 しばらくして、ニタの背後から衣擦れの音が聞こえた。クグレックが動き出したのだ。のそのそとニタの隣に座り、一緒に4D2コムからの映像を見つめる。
 クグレックは映像を見つめながら、ボロボロと涙を零していた。
「クク…」
 ニタは心配そうにクグレックを見つめるが、クグレックは涙を流してばかりでニタを気にする様子がない。ニタは再び映像に視線を戻した。
 だが、その瞬間クグレックはようやく口を開いた。
「ニタ、これは、テロリストの仕業じゃない。」
 クグレックは涙を零しながらも、抑揚のない声で言った。
「これは、単なる実験の失敗。情報が改竄されてる。」
 クグレックの脳裏には青空の下で不敵に微笑むディレィッシュの姿があった。
 夢だとはいえ、妙に生々しい印象が残っている。夢の中の爆発の瞬間はおそらく虚構のものだが、研究所が爆発したという事実は夢のものと一緒だ。研究所は廃墟と化し、研究員たちは生死も判別できない凄惨たる状態に追いやられた。この事実だけは夢も現実も同じなのだ。
 ディレィッシュがこの爆発に関わりがあるのならば、クグレックにも責任が発生する。
 なぜならば、クグレックは何も知らないとはいえディレィッシュの実験に協力してしまったからだ。魔法と科学の融合がより高度なエネルギーを抽出し、暮らしを良くするという名目に協力したのは、間違いなくクグレックだ。魔法の力の良い部分も悪い部分も知っているクグレックなのに、彼女はいとも容易く実験に協力した。
 それがこの「失敗」という惨状を引き起こした。
 直接的ではないにせよクグレックの力は何の罪もない沢山の人達を殺したのだ。
「…おっちゃんは、ランダムサンプリのテロリストの仕業かも、って言ってたよ。」
 ニタは懐疑的な様子で言った。
「ニタ、ちがう。多分、マシアスの言う通り、ディレィッシュは戦争を望んでいる。」
 クグレックの涙はとめどなく零れ落ちる。ニタは真剣な表情で、クグレックの言葉に耳を傾ける。
「魔法と科学の力は、あっという間に人の命を奪える。それって、凄く恐ろしいことだよ。」
 クグレックは映像を見つめながら、夢の惨状を重ね合わせていた。真っ黒になった人の形をした塊、皮膚が焼けただれ、剥がれ落ちて苦しむ人。ニコニコ微笑んでくれたあの人たちは、もういない。
 クグレックの異常な様子に、ニタは困った表情を浮かべた。ニタには小さくため息を吐くと、優しく諭すような口調でクグレックに話しかけた。
「クク、ククが決めたことであるのならば、ニタは力を貸すよ。もしニタで良ければ、言いたいこと、言ってごらん。」
 そうニタに優しく言われて、クグレックは憂鬱な気持ちが幾分か和らいだような気がした。
 クグレックは少しばかり落ち着いて昨晩見た陰惨な夢の内容を話し始めた。ぽつり、ぽつりと夢の内容を話していくクグレックにニタは横から言葉を挟むことなくしっかりと傾聴していた。
 そして、クグレックが夢の内容を話し終えると、ニタは
「つまり、ククはそんな夢を見たからこの爆発はテロリストの仕業ではなく、ディレィッシュの魔法実験の失敗による爆発だって考えているわけだ。それで、魔法実験の失敗は、協力したククにも責任はあるから、なんとかして大量破壊兵器の開発をやめさせて、戦争を回避させたい、ってことだね。」
 と、まとめると、クグレックはこくりと頷いた。
「じゃぁ、なんとかしよう。ククがそう言うなら、ニタもそうだと思う。テロリストの仕業じゃない。ディレィッシュの実験失敗による、故意的な爆発だった。」
 ニタがクグレックの夢のことを信じてくれたことに、ほっと安心感を覚えた。
「グレックと行動を共にすること。言ったでしょ。ニタはククがいたいところに着いて行くって。ニタにとって、ククの意志が一番重要なんだ。話してくれてありがとう。」
「うん…。ニタ、ありがとう…。」
 クグレックの涙は止まった。クグレックは空いている方の手で涙の跡を拭い、そのふかふかで可憐な姿の相棒を頼もしく思った。
「とはいえ、頼みのイスカリオッシュもいないし、今お城は爆発事件の対応でてんやわんやだ。…もう一回マシアスのところに行ってみようか。」
「うん。」


 2016_06_05


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 クグレックはエネルギー研究所を訪れた。
 研究所の人達は、いつも笑顔でクグレックたちのことを迎えてくれる。マシアスはこの実験は大量破壊兵器の製造に繋がる行為だと言っていたが、研究所の人達はそれを知っているのだろうか。クグレックにはこんな良い人達が裏の意図を知ったうえで高エネルギー発生装置の研究をしているとは考えられなかった。
 クグレックは目の前の研究員に試しに聞いてみることにした。
「あの、この研究は、最終的に何に繋がるんですか?」
 研究員は意外そうな表情を見せたが、すぐに笑顔になった。いつもは大人しいクグレックが、珍しく自分から声をかけて来たことに喜んでいた。
「科学に魔法を融合させて、高エネルギー発生装置を作るんだ。今のやり方を改良することで、より多くのエネルギーを出力するんだ。これによって、人々の生活がぐっと良くなる。」
「…本当にそれだけですか?」
「…どういうことかな?」
「…いえ。魔法って、機械と同じくらい万能だけど、簡単に人を傷つけることが出来る力でもあるから…、その…」
「確かに、魔法の力は凄い。でも、国際規約でも、魔法の力は兵力にしちゃいけないという決まりがあるんだ。魔法使いたちは自身の力を利用されるのを恐れて、ほとんどがその力を封印してしまった。だから、クグレックさんの魔力は兵器にはなりませんよ。それに、我が国は極度の鎖国政策を取っているから外の国と交流を持つこともない。なおさら外の国と争う必要性は存在しないんだ。だから、安心して大丈夫だよ。」
 優しく微笑む研究員。ここの研究員は皆優しい。クグレックは少しだけ安心した。
「でも、王も高エネルギー発生装置の研究、製造を指揮して下さってるから、異常なペースで研究も進み、発生装置に至っては既にプロトタイプは出来上がったんだ。王は、研究者としても、技術者としても本当に凄い方だ。」
 その時、クグレックはイスカリオッシュが呟いた言葉を思い出した。

――もしも王が間違った方向に進んでいるのならば、誰が止めることができるでしょうか。

 初めて研究所を訪れた時の帰り道にイスカリオッシュがふとつぶやいたこの言葉。
 もしかすると、イスカリオッシュもマシアス同様にディレィッシュの狂気に気付きつつあったのかもしれない。
 と、その時だった。ドーンという轟音が響くと共に、研究所内はぐらぐらと大きく揺れた。クグレックは立っていられず、思わず床に尻餅を着いた。
「一体、何だ?」
 研究員は机に寄り掛かりながら、辺りをきょろきょろ見回すと、室内に装着されているスピーカーからけたたましい警報音が流れ始めた。

――緊急事態、緊急事態。研究員は速やかに退避せよ。緊急事態、緊急事態…

 室内の灯りもチカチカと点滅を繰り返し、何かが起きていることを暗示する。
「クグレックさん、逃げましょう。このままでは、危ない。」
 研究員は慣れた様子で棚からマスクを取り出すと、まずは自分に装着し、もう一つはクグレックに装着させた。そして、クグレックの腕を取り、避難を行おうとしたその時だった。
 再び大きな轟音がした。さっきよりも大きい。そして、何かを考える間もなく、爆風と熱線が二人を襲った。さらに風圧で飛ばされた室内の机や棚の資料なども容赦なくクグレックと研究員にぶつかる。熱い、痛い、苦しい、痛い、熱い…。
 消えゆく意識の中、クグレックはニタのことを思い出した。ニタは今どこにいるのだろう。一緒に研究所に来たかどうかも思い出せない。絶体絶命の中、クグレックは喉の渇きを感じ、水が飲みたくなった。だが、すぐに意識は事切れた。

 目覚めると、クグレックは外に横たわっていた。
 青空が眩しく、太陽の光が熱い。
 クグレックは体を起こし、自身の体を確認するが傷一つない。爆風に巻き込まれて、死んだとばかり思っていたが、そうではなかったらしい。まるでメイトーの森で目覚めた時のようだ。
 辺りを確認してみると、クグレックは愕然とした。目の前のエネルギー研究所が真っ黒に焼け焦げ朽ち果てているではないか。付近に備わっているソーラーパネルも焼けて焦げて、溶けている。
 クグレックは廃墟と化した研究所を見つめて呆然としていた。
 ふと傍らに転がっているガスマスクに気付いたクグレックはハッとした。先ほどまで一緒にお話をしていた研究員のことを思い出したのだ。彼は無事だろうか。クグレックはガスマスクを手に取り、生命の反応が全く感じられない研究所へ足を踏み入れた。
 研究所は何とも言えない変な匂いがした。焦げた匂いだけではない、苦い臭いや嫌な臭いがする。クグレックは我慢できずにガスマスクを装着して、研究所の中を探索する。壁は崩れ落ち、鉄骨の柱ばかりが残っており、もともとの部屋がどこにあったのかすら分からなくなっていた。床は壁やら資料やらの瓦礫で埋め尽くされおり、歩くのすら困難な状況だ。崩れ落ちた天井の隙間から差し込まれる自然光だけが頼りの薄暗い廃墟で、クグレックは研究員やニタを探す。
 廃墟の中を進み、クグレックはある部屋に入った。先ほどまでクグレックがいた部屋だと感じた。この部屋も他の場所と同様壁は崩れ落ちて、棚や資料などが落ちて足の踏み場もない状態だったが、入り口の近くで、とうとう発見してしまった。他の瓦礫とは異なるその塊。人間ほどの大きさの真っ黒な塊。クグレックは動悸が早くなるのを感じた。すぐそばにはクグレックが装着しているガスマスクと同じものが、真っ黒に焦げた状態で転がっている。
 クグレックは呼吸を荒くさせながら、人の形をした黒いものに触れた。真っ黒に焦げているので、誰なのか判別することは出来ない。ただ、おそらく先ほどまでお話していた研究員であることだけはクグレックの勘で分かった。あんなにやさしい人だったのに、こうなってはただの黒い塊だ。さっきまでは生きていたのに。
 クグレックは胃の中から何かがせり上がって来そうだったのを唾を呑みこんで我慢した。
 野宿をしていた頃、ニタが野生動物を狩って来て、満足げに置いて行くことが多々あったが、どうしても慣れないことの1つだった。冷たく固くなった野生動物の目は何も映さない。光を宿すことなく空を向いているだけで、クグレックはそれが怖くて仕方なかった。
 クグレックは覚束ない足取りでその場から離れる。
 ふらふら廃墟となった研究所内を歩いていると、クグレックは周りの状況にようやく気付いた。そこかしこに落ちている瓦礫は全て研究所内の壁や床、室内にあった機械や棚の残骸だと思っていたが、よく見るとそうではなかった。その中には先ほど見た様な黒い人型の塊も多く存在した。
 この研究所にいた研究員は皆、突然の何かに巻き込まれ、最後の言葉を残すことなく死んでいったのだ。クグレックは耐え切れず悲鳴を上げて、元研究所内を走り、外に出た。しかし、外に出てみても、地獄はまだ続いていた。
 ソーラーパネルの下に人影を見つけ、クグレックは生存者だろうと思って、駆け寄ったが、そこにいたのは服や髪は焼け焦げ、皮膚はドロドロに溶け、うめき声をあげる人の姿だった。クグレックは小さく悲鳴を上げた。
「水、水を…。」
 悲惨な状態だが、目の前の男は生きていた。焦げた匂いの中に感じた嫌な臭いはこの匂いだった。
 クグレックは自分の荷物の中に水はないか探したが、鞄の中身は全て焼け焦げており、水は入っていなかった。
 クグレックは震える声で「ごめんなさい、水は、今ないの」と言った。
 ソーラーパネルの下には、辛うじて生き延びている研究員の姿が多数あった。皆悲惨な状態で、うめき声を上げている。
 クグレックは後ずさりをし、この場から離れようとした。が、クグレックは何かにぶつかった。
 振り向くと、そこにはトリコ王ディレィッシュがいた。
 彼はクグレックと同様に、何の外傷もなく綺麗なままだった。無表情でクグレックを見下ろしている。
「ディレィッシュ…!一体何が起きたの?」
「高エネルギー発生装置が誤作動を起こし、爆発した。」
「爆発…!」
 ディレィッシュはにこりと微笑んだ。
「実験には失敗もつきものだからね。…最高の技術の結晶がこれから出来上がるんだ。多少の犠牲は仕方がない。」
 クグレックは思わずディレィッシュから離れた。狂っている。
「どうした、クグレック。真の完成にはお前の力が必要なんだ。全てを私の支配下に置いて、世界の理を手に入れようではないか。」
 微笑みながら、ディレィッシュはクグレックに向かって手を差し出す。しかし、クグレックは小さく首を横に振り、一歩、また一歩とディレィッシュから後ずさる。
「魔女クグレック、お前はそのためにこのトリコ王国に呼ばれたのだ。さぁ、一緒に行こう。」
 にじり寄って来るディレイッシュに、クグレックは後ずさりをするが、足をもつれさせて、尻餅を着いて転んでしまった。
 近付いて来るディレィッシュに恐怖を覚えたクグレックは体が震えて立ち上がることも出来ない。
 ディレィッシュの背後に何か黒い靄が見えるのだ。その靄は禍々しく忌々しいオーラを発して、ディレィッシュに取り憑いているようだった。

「イヤ!やだ!来ないで!」
 
 照りつく太陽が浮かぶ青空に、クグレックの叫び声が響いた。
 そして、同時に彼女は気付いた。

――あぁ、これは悪夢だ。だって、研究所にはいつもニタと一緒に行っていたのに、ニタがいない。ニタがいない世界は単なる夢に過ぎない。目を覚まさなきゃ。




 2016_06_04



 事態はきな臭いことになっているということに、クグレックはようやく気が付いた。ニタに至っては、執拗にマシアスの情報を欲していたし会おうとしていた。ニタの持つ鋭い勘が既にこの事態を嗅ぎ付けていたのかもしれない。
「まさか、ディレィッシュがそんなことを企てていたなんて。」
「あの人は数か月前から変だった。リタルダンドから戻って来てすぐ、あの人のラボに行ったら、偶然大量破壊兵器の資料を発見してしまったのをあの人に見られてしまった。それから俺はピアノ商会での傷が悪化したために療養しているという名目で監禁された。」
「じゃぁ、ククがこの扉を開けてあげるよ!」
 ニタが自信満々に言ったが、マシアスはそれを制止した。
「やめた方が良い。お前たちが魔法でこの扉を開けたら、おそらく、セキュリティーシステムが発動するだろう。城中の兵士たちがここに集まる。」
「でも、ここまで来るのに、魔法でセキュリティを解除したよ?」
「…そうなのか?それはおかしい。魔法で解除したとしても、おそらく扉が開いたということは、データに上がり、緊急事態になるはずなのに。もしかすると…、あぁ、そういうことか。」
「どういうこと?」
「クグレックの魔法が高尚なのか、王がお前たちを陥れようとしているのかのどちらかだ。」
 王は、ディレィッシュは、まるで一国の主だと感じさせないくらいに、気さくでフレンドリーだった。確かに変人なところはあるが、それもまた愛嬌だとクグレックは思っていた。それになにより、クグレックはアッチェレの宿屋で会った時の全てを許してしまえる優しい笑顔が忘れられなかった。あんな表情になれる人が、どうして大量破壊兵器を作り、実の弟を監禁するのだろう。もしここにディレィッシュがいて、マシアスとディレィッシュどちらを信じるかと言われたら、ディレィッシュと答えたくなるほどに、マシアスの話を信じたくはなかった。
「ニタ達は一体どうしたら良い?」
 弱弱しい声でニタが尋ねた。ニタも想定外の事態に憔悴している。
「イスカリオッシュに助けを求めろ。アイツならば、いや、俺を除けば今トリコ王国にいる中で、あいつだけが、ディレィッシュに意見を言える立場の人間だ。イスカリオッシュは、俺が幽閉されていることを知らない。俺の体調が良くない程度しか知らないだろう。」
「分かった。新年会にイスカリオッシュがいたから、話してみる。」
「あぁ。よろしく頼む。…王には気付かれないように。気をつけろ。」
「分かった。」
「健闘を祈る。」
 ニタとクグレックは背を向けて、金細工と極彩色の細密彫刻が模られた荘厳な扉から遠ざかって行った。
 新年を迎えて賑やかに騒いでいる新年会会場へ戻るが、そこにはイスカリオッシュの姿はなかった。会の最初にディレィッシュの挨拶の後に、イスカリオッシュの挨拶があったので、確かにこの会場にいたはずなのだが、どこにも見当たらない。
 ディレィッシュは相変わらず楽しそうに新年会を楽しんでいるというのに。
「お前達、何を探しているんだ?」
 二人の前に王の側近クライドが現れた。相変わらず冷たい眼差しを二人に向けて来る。
「え、うん、イスカリオッシュはどこいったのかなって。」
「イスカリオッシュ様は北部エネルギー発電所に向かった。北部エネルギー発電所は辺境にある。そこで新年早々勤務している者達を泊まり込みで慰労するのが、毎年彼が行っていることだ。物好きな方だ。」
「泊まり込み?」 
 ニタとクグレックはお互いに見合わせた。イスカリオッシュにはすぐに会うことが出来ないことが判明したからだ。
 困ったような表情を浮かべる二人にクライドは眉根を寄せた。
「イスカリオッシュ様も優しいからお前たちは勘違いしてしまうだろうが、あの方もトリコ王家の血が流れる方だ。そう易々とお前たちに時間を与えてやれるわけでもない。」
「む、む。そうだけど…。」
 クライドに正論を言われてしょんぼりとするニタ。
 その後、何故かクライドは二人のそばを離れることなくいたので、なんとなく色々と詮索することが憚られ、二人は成す統べもなく、ただ新年会を楽しむことしかできなかった。ただ、料理はおいしかった。



 2016_06_01


「この扉を開ければ、マシアスがいる。」
 二人の目の前に立ちはだかるのは、黄金や極彩色で美しい細密彫刻が施された豪華な扉だった。何よりも高貴で美しいのだ。この扉の向こうにトリコ王国を統べる血が流れる御人がいるのは当然であろう。
 ニタは取っ手を掴むとガチャガチャ引いたり押したりするが、開かない。例の如く鍵がかかっていることを確認すると、ニタはクグレックに目配せをする。
 クグレックは杖を握りしめ、鍵開けの魔法を使おうとしたが、ふと意識を戻した。
「ねぇ、ニタ。マシアスは今、体調が悪くて寝込んでるんだよね。なら、お見舞いの品の1つや二つ、持って来るべきだったんじゃないのかな。それに、体調が良くないのに勝手に部屋に入るのは迷惑じゃないのかな。」
と、クグレックが呟いた。
 ニタはパチパチと瞬きをして、あどけない表情でクグレックを見つめたが
「まぁ、そうなんだけど。でも、ニタは『今』マシアスに会わないといけないような気がするんだ。迷惑にならない程度にお邪魔しよう。」
と、言った。今クグレックが戻りたいと言ったところで、既に決断をしてしまったニタの意思を覆すことは難しい。マシアスには申し訳ないと思いながらも、クグレックは杖を握り直し、呪文を唱えようとした。
 しかし、その時だった。
「この扉を開けるな。」
 荘厳な扉の向こうから聞こえる怒鳴り声。
 クグレックは思わず詠唱を止めてしまった。びっくりしたのだ。
 なぜなら、その声は、二人が会いたがっていた彼の声だったからだ。
「マシアス、そこにいるんだね!ニタだよ!体の具合はどう?」
 ニタは嬉しそうに扉の向こうのマシアスに声をかける。
「…調子は、すこぶる良い。」
「そうか、なら良かったよ。」
 クグレックもほっと胸をなでおろした。扉越しでマシアスの声はくぐもって聞こえるが、元気そうであることに安心した。
「二人とも、トリコ王国はどうだ?」
「うん、まぁ、悪くはないね。科学の力は凄いよ。一生いるつもりはないけど。てゆーか、マシアス、なんで黙ってたの?ディレィッシュがトリコ王であること、マシアスが第1皇子だってこと。すごくびっくりしたよ。本当の名前はハーミッシュって言うんだね。」
「マシアスは偽名だ。自身がトリコ王家の人間であることがばれてはいけないからな。…びっくりさせて申し訳なかった。ただ、ディレィッシュ提案でサプライズ形式にしようとしたから、故意的なモノではあったが。」
「めっちゃびっくりしたんだからね。ククなんて、生まれたての小鹿みたいに震えてたんだから。」
 クグレックはトリコ王国に着いた当初に催された祝宴で無理やり着させられた露出の多い砂漠の国の伝統衣装のことを思い出した。今は侍女達が来ている衣装のようななるべく露出の少ない衣装にしてもらっているが、あの時の恥ずかしさはもう2度と味わいたくなかった。
「ははは。本当に田舎モンだな、クグレックは。」
 クグレックはムッとしたが、マシアスの言うことは事実なので、素直に受け入れて何も言い返さなかった。
「王は、どうだ?二人に失礼を働いてないか?」
 マシアスが二人に尋ねた。
「失礼って、あの人は王様じゃないの。…まぁ、変な人だなとは思ったけど。」
「魔法を知りたがってはいなかったか?」
「魔法?」
「あぁ、そうだ。」
「うん。ククもニタも、今は被検体になって、ディレィッシュの実験に協力してるよ。」
 すると、扉の向こうからマシアスの声は聞こえなくなった。
「どうしたの?マシアス。」
「もう、実験に協力してはいけない。」
「どういうこと?」
「…王は魔法によってより多くのエネルギーを生み出そうとしている。建前はより良い暮らしにするために、高エネルギー発生装置でも作ろうとしているだろう。だが、あの人の内心は違う。大量破壊兵器を作ろうとしているんだ。お前たちは王に多くの手がかりを与えてしまった。だから、兵器は完成してしまうかもしれない。だからこそ、これ以上のヒントを与えてはいけない。もう実験に協力してはいけない。」
「大量破壊兵器…?」
「王はプライベートラボにて兵器の開発を個人的に進めていた。だから、ランダムサンプリとの戦争の件も俺達が知らないうちに水面下で動いていたんだ。黒幕はピアノ商会でもない。王だった。このことに気付いていたら、お前たちを、トリコ王国に連れてくるべきではなかったし、お前たちのことを王に話すべきでもなかった。最後の詰めが甘かった。」

 2016_05_31


**********
 
 それから、ニタとクグレックは、トリコ王国での暮らしを満喫していた。
 高度な技術に包まれる生活は、最初は戸惑いがあったものの、慣れてくるとそれが快適で楽な生活であることが良く分かった。ニタも満更でもない様子で、二人はもうドルセードやリタルダンドの前近代的な生活には戻りたくないという心地になりかけていた。
 昼間は侍女達から、トリコ王国の文化について教えて貰ったり、しきたりや作法、礼儀について教えて貰っていた。客人とは言え、もはや居候の身分でもあるので、周りと波風立たないように最低限の礼儀というところを教える王からの配慮だった。
 そして、夜になると、ディレィッシュのプライベートラボでの実験であった。
 脳波や体の動きなどの調査に入れるので、クグレックとニタは頭から足まで謎の機材を装着して実験に参加した。特に頭に装着したヘルメットのような機械は重い上に頭を適度に締め付けた。ニタもククも動きづらさに悪戦苦闘したが、クグレックに至っては普段よりも魔法の効力が控えめになってしまったが、杖なしで魔法を使った時ほどではなかった。今使える炎の魔法や鍵開けの魔法、幻の魔法などを使って見せ、様々な角度から分析されたようだ。因みにニタは終始機材のことを好きになることはなかった。
 ところが、しばらくすると、夜ではなく昼間から研究の被検体として、王のプライベートラボではなくエネルギー研究所で実験に参加することとなった。王だけでなく、沢山の研究員達から好奇の目で見られるのはあまり気持ちが良いものではなかった。ニタもクグレックもストレスを感じずにはいられなかったが、リラクゼーション設備が整った自室に戻ると、ストレスのことなど忘れてしまった。また、研究員達は皆人が良かったので、だんだんみられることにも慣れて来た。
 そうしていくうちに、日は経って行き、新しい年を迎えることとなった。城では祝宴が催され、大盛況だった。飲めや歌えやの大騒ぎで、とにかく皆楽しそうである。
 そんな中、ニタとクグレックは大広間をこっそりと抜け出し、人気の無い場内を彷徨っていた。
 ニタはクグレックの腕を引っ張って、廊下を駆ける。一度クグレックの杖を取りに自室へ戻った。
「二、ニタ、一体何なの?」
「しー!」
 ニタは口元に人差し指を当てて、クグレックに静かにするように促した。そして声を潜めながら
「あのね、マシアスの居場所が分かったの。」
と言った。
「え?どこにいるの?」
 クグレックもニタに倣って声を潜めながら尋ねた。
 ニタは4D2コムを取り出し、城内図を表示させて、場所を示した。そして、仰々しく「第1皇子の御室。」と言った。
「第1皇子?」
「そう。やっぱり、マシアスは第1皇子ハーミッシュだったんだ。研究所の人や侍女たちに聞いてようやく分かった。マシアスは今、体調が優れなくて寝込んでるんだって。」
「うそ…。」
 クグレックはピアノ商会での銃創が悪化したのかと思い不安になった。
「関係者以外面会は謝絶しているから、みんな詳しいことは知らない。今、奴がどんな状態でいるのか、生きているのか、死んでいるのかはごくわずかな人間しか分からないらしい。」
「…会いに、行くの?」
 クグレックは恐る恐るニタに尋ねると、ニタは力強く黙って頷いた。瑠璃色の瞳は海の様な静かな輝きを湛える。
 もうこれで、ニタの気持ちは動かない。
 ニタは一度決めたら、クグレックが何と言おうと突き進む。
 これはニタの悪いところでもあり、良いところだ。
 クグレックはのんびり新年会に興じたいところではあったし、入ってはいけないところに入るのも良くないとは思っていたが、それ以上にマシアスに会いたかったので、ニタの暴走に付き合うことに決めた。
 4D2コムに表示される地図を頼りにクグレックとニタは『第1皇子居室』へ向かう。
 城内は皆新年会に出払っているのか、警備が一人も見当たらなかった。機械で警備も行っているのかもしれないが、それでも不用心だ。クグレックは静けさに気味の悪さを感じつつニタの後を追った。
 二人は今まで立ち入ったことがない場所までやって来た。手で開くことも出来なければ4D2コムで開錠することも出来ない沈黙の扉が二人の前に立ち憚る。
「こんな時は、魔法の力!魔法は科学を凌駕する!」
 と、ニタはクグレックに向かって言い放った。
 クグレックは戸惑いながらも杖を扉に向け、鍵開けの呪文を唱える。すると、杖からは淡い光が出て来て、光が扉全体を覆った。だが、開錠する気配はない。鍵開けの魔法は機械には対応していないのだろうか、とクグレックは考えたが、考えてるうちに、扉はゆっくりと開いた。
「さすがクク!」
 笑顔でハイタッチを求めるニタに、クグレックは腰をかがめて応じると、掌に柔らかい肉球がぽむと触れた。
「この先にマシアスがいるんだ。行こう。」
 それから二人は2つ程セキュリティーのかかった扉を突破して行った。魔法の力で強引に開けても、トリコ製の科学の結晶であるセキュリティーは何も感知しなかった。魔法は科学を凌駕した。
 今のところは。
 二人はすっかり安心しきった状態で、マシアスの居室へと近づいて行く。

 2016_05_30


**********

 城に戻り、豪華な夕食を食べた後、ニタとクグレックは宛がわれた部屋でのんびり過ごしていた。すると、突然4D2コムが音楽を鳴らし始めた。昨日ディレィッシュが4D2コムから現れた時と同じ小気味良いリズムの音楽だ。ニタは4D2コムを手に取り、手順を間違えないように慎重に操作し、ディレィッシュと接続を取った。
 にこにこ笑顔のディレィッシュの立体映像が映し出される。
『やぁ、昨日に比べて随分起動が早くなったな。』
「お褒めに預かり光栄です。」
 ニタが薄ら笑いを浮かべて、立体映像のディレィッシュに向かって丁寧にお辞儀をした。
『やだなぁ、誰もいないんだからかしこまらないでくれ。』
 一国の主であることを忘れてしまうほどに、気さくに話しかけてくるディレィッシュはまるで古くからの知り合いのようだった。とはいえ人見知りのクグレックが自分からディレィッシュに気さくに話しかけるという気にはならなかったが。
『実験の準備が整った。エスカレベーターを使って私のプライベートラボまで来てくれ。時間は2時間程度で済むだろう。さぁ、おいで。』
 昨晩、一か月の実験の協力を行うことを了承したのだ。立体映像のディレィッシュはなんの穢れもない瞳で、キラキラした視線をふたりに向けていた。ニタとクグレックはそういえば、と思いながら、いそいそとバスルームへ行き、ディレィッシュのプライベートラボへと向かった。
 プライベートラボでは、ディレィッシュが「ようこそ」と両手を広げてニタとククのことを出迎えた。
 初日である今日は、主に基本的なデータ取りから行われた。身長や体重を計ったり、血液検査を行ったり、レントゲン撮影で骨格までも調べられた。クグレックもニタも注射やレントゲン撮影は初めてだったので、緊張していた。
 それから、ニタは体組織をより細かく調べるために、大きな箱の中に入れられた。今まではクグレックと一緒に検査を行っていたので、特に疑うことなく素直に受け入れていたが、ニタだけが大きな箱に入ることになっていたので、ニタは徹底的にこれに反対した。身の危険を感じずにはいられなかったのだ。だが、ディレィッシュはトリコ王国を統べる王である。言葉だけでニタを説得させて、なんとか大きな箱の中に入れることが出来た。
 この検査は30分ほどかかるので、待っている間、ディレィッシュはクグレックと問診を行うこととなった。
「では、クグレックが魔女たる背景というのも知っておきたい。クグレックはドルセード出身だと聞いていたが、こうやって旅に出るまではどのようにして過ごしていたんだ?」
「…ドルセードの北東に位置する辺境の村マルトで祖母と二人で過ごしていました。」
「ご両親は?」
「私が生まれてすぐ亡くなったと祖母から聞いています。」
「病気か何かで?」
「…分かりません。」
 クグレックは両親の顔を知らない。祖母は両親についてあまり話してくれなかった。だが、クグレックは両親がいないことで寂しいと思ったことはなかった。なぜならば、祖母がそれ以上の愛をクグレックに与えてくれていたから。だから、親と言うものに関して彼女は興味を持たずにいた。
「魔法はいつから使うことが出来たんだ?」
「…確か5歳の時に、祖母の部屋で見つけた魔導書を開いたら、物を動かす魔法を使うことが出来るようになってました。」
「魔導書?」
「魔法の使い方が載っている本です。祖母も魔女だったので、魔導書は沢山家にありました。」
「ほう、おばあさんも魔女だったんだな。てことはお母さんも魔女だった、ということになるかな?」
「…それは、分からないです。」
「…なるほど。その魔導書を読むまでは、クグレックは魔法が使えなかったのか?」
「意識して使うことは出来なかったです。ただ、村の人達からはずっと災厄を呼ぶ忌々しい子だと言われてきました。おばあちゃんも私はあまり外には出ない方が良いと言っていたので、あまり出ませんでした。外に出れば皆私のことを気味悪がりますし、それに、なんか悪いモノを呼び寄せているみたいなんです。時々、知らない人の声が聞こえたりして、小さい頃だと熱が出ることも多かったんですけど、おばあちゃんが何とかしてくれました。」
「…ふむふむ。クグレック、そんなおばあちゃんがいたのに、どうして旅なんかに?」
「…おばあちゃんは亡くなりました。…私、おばあちゃんが亡くなって、生きる意味をなくしたんです。村の人達は私を嫌うし、もうひとりぼっちだと思って、死ぬつもりだったんです。家に火を放って、火事に巻き込まれたはずだったんですけど、何故か生きていて。おばあちゃんが生かしてくれたんだ、とニタは言ってたのですけど。ニタがアルトフールを探すから、着いて来てほしい、と言ったので、今はアルトフールを探して、一緒に旅をしています。」
「アルトフールか。アルトフールに着いたらどうするのだ?」
 珍しく饒舌に話していたクグレックだったが、とうとうここで言葉に詰まった。
「どうした?」
 クグレックの変化に眉根を寄せながら、ディレィッシュが尋ねる。
「…アルトフールに着いたら、私は死ぬつもりです。おばあちゃんのところに、逝くつもりです。ニタとは最初から、そういう約束なんです。」
「そうか。黄泉への旅路というところなんだな。」
 クグレックはその言葉に対して何も反応を返さなかった。
「ひとつだけ質問させてほしい。ドルセード王国はかつては剣と魔法が栄えた国だったのだが、とある事件により、魔法は廃止となった。多くの魔法使いが、処刑されるなり拘束されるなりして、ドルセード王国の魔法使い、魔女はほとんどいなくなったというが、クグレックはそのことを知っていたかな?」
 クグレックはそのような話を初めて聞いた。そもそもドルセード王国の魔女事情なんて聞いたことがない。
「その様子だと、知らなそうだね。なら、それでいい。」
 ディレィッシュは腕時計を見つめた。問診に使ったバインダーを机の上に置いて立ち上がり、奥の方で何かをかちゃかちゃさせると、ティーカップを持って戻って来た。
「じゃ、今日はこれで終了にする。ニタが出て来るまで、紅茶を飲んで待っていてくれ。」
 ほかほかと湯気を立てるティーカップをクグレックの前に提供すると、ディレィッシュはニタのデータの確認のため機械を弄り始めた。
 クグレックはティーカップを手に取り、一口啜った。この味はポルカの宿屋でマシアスが提供してくれた紅茶と同じ味のする紅茶だった。わずかな酸味と、深みがある、元気が出て来るような味。
 紅茶を啜りながら、クグレックは自身が何も知らないでいたことを痛切に感じた。
 祖母がクグレックに不自由1つなく(村人からは嫌われてきたが)愛情を与えてくれたから、クグレックは外の世界を知る必要がなかった。
 しかし、実際に外に出てみると、クグレックは世の中の常識すら知らない事に気付いた。世界色んな国があって、色んな文化があり、色々な人がいる。マルトやポルカのように自然と共に生きる文化、リタルダンドの首都アッチェレのような都会の文化、トリコ王国のようなぶっ飛んだ超技術の文化。その中には優しい人もいれば怖い人、悪い人もいる。
 様々な色が世界を成している。クグレックは世界に対してそのような気付きを得た。
 ただ、一つだけ分かっていないことがあった。
 それは自分自身のことだった。クグレックは自分自身のことをほとんど知らない。
 クグレック・シュタイン。O型。3/21生まれ。身長165cm。体重49kg。足の大きさ24.0cm。マルトの村で母方の祖母と共に過ごしてきた。瞳の色は黒に近いヘーゼルブラウン。髪型はおかっぱで真っ黒。祖母は魔女で薬づくりを得意とする。祖母が魔法を使ったことはあまり見たことがない。両親は生まれてすぐになくなったため両親のことは知らない。
 火事に巻き込まれて、死ななかったこと。
 魔女のこと。
 ピアノ商会でのバチバチ(ニタ曰く)のこと。
 そういえば、メイトーの森で出会った紅髪の女からは、祖母を殺したのはクグレックであり、クグレックはその内に秘めたる魔力で災厄をもたらすとも言われていたことを思い出した。その時は女の言葉の意味が分からず、聞き流してしまったが、クグレックは今でもひっかかりを持っていた。
 疑問が沢山湧いて来て、溢れ出る不安の海におぼれそうな心地だ。
 クグレックは心の中で祖母に助けを求めた。

――おばあちゃん、私の存在は一体何なの?教えて。おばあちゃん。私は、何もわからないよ…。

 祖母がいてくれれば、このような不安に陥っても、その暖かな優しさでクグレックを包み、安心させてくれるのに、とクグレックは急に祖母が恋しくなった。常に身に付けている祖母の形見の黒瑪瑙のネックレスを触れてみるが、何かが起こるわけではない。

 祖母はクグレックの目の前で静かに息を引き取り、死んだのだ。


 2016_05_29


**********

 それから、3人はデンキジドウシャに乗り込み、エネルギー研究所へ向かう。
 エネルギー研究所は離れたところにある。城下町を離れると、すぐに雲一つない青空と漠然と広がる砂漠の景色が広がっていた。砂漠には褐色の砂以外何もない。どんな生物もこんな砂漠地帯では生きていけないだろうに、それでも英知の力で繁栄を続けるトリコ城及び城下町は奇跡のように感じられた。
「私、デンキジドウシャが好きなんですよ。」
 唐突にしゃべりだすイスカリオッシュ。
「昔はタイヤもあってゴツゴツして乗り心地も悪かったんですけど、王が改良を加えて今のタイヤがない形におさまりました。ちなみにこのデンキジドウシャは私が結構改造してるので、国で一番スピードが出ます。」
「イスカリオッシュも機械を弄れるの?」
 ニタが尋ねた。
「デンキジドウシャに限りますけどね。そう言った分野は王に適うことはないですから。私は王の内政の補佐です。外交はハーミッシュ第一皇子の担当ですけど。」
「ハーミッシュ第一皇子?」
「ええ、あ、…すみません。ハーミッシュ第一皇子のことは、お伝えできません。王が、その、部外者には話してはならないと言っていましたので…。」
「そうなの…。」
 イスカリオッシュの後ろでニタとクグレックはお互いに顔を合わせた。
「ねぇ、イスカリオッシュ、じゃぁ、マシアスについて知ってる?」
「マシアス…。」
 イスカリオッシュはその名を呟いて押し黙るが、しばらくして後、「わからないですね。」と答えた。満足な返答を得られずに、ニタは不満そうな表情を浮かべた。
 しばらくすると、遠くの方に不思議な機械のような物が設置されているのが見えて来た。沢山のパネルが地面を覆い尽くすように並んでいる。
「なんだあれ。」
 と、ニタが呟くと、イスカリオッシュが得意げに説明をする。
「ソーラーパネルです。簡単に言えば太陽の光をエネルギーに変える機械です。厳しい太陽の光はその熱で生命を干からびさせます。トリコ王国はその干からびた跡地に立っているのですが、その厳しい熱を逆に利用して、今では私達の生きるための力として利用しているのです。」
「へぇ。ニンゲンの生への執念は素晴らしいものだよ。」
 皮肉とも取れるニタの言葉。
「ところでさ、ニタはずっと気になっていたんだけど、トリコ王国はどこに水があるの?こんなに干からびているのに、どこかにでっかいオアシスがあるの?」
「ふふふ。それは研究所に着いてからお話ししましょう。」

 広大なソーラーパネルの森を抜けると、そこには灰色の大きな建物がそびえ立っていた。エネルギー研究所である。
 地下の駐車場にデンキジドウシャを停め、地下駐車場から研究所に入って行った。
 まずは手土産を持って所長に挨拶してから、3人は白衣に身を包み、首からはスタッフカードを下げて、研究所を動き回る許可を得た。
 ニタとクグレックはイスカリオッシュに研究所の案内をしてもらった。研究所の目的はいかにしてエネルギーを効率よく作ることが出来るかということだった。ソーラーパネルから取り込む光エネルギーをいかにして沢山取り込むことが出来るのか、ハードとソフトの面から研究している。更に、エネルギーを使用する際にも効率性が求められる。トリコ王国の機械はエネルギーなしに起動させることは出来ない。無限に注がれる太陽の光であっても、作られるエネルギーには制限がある。機械を起動させるためのエネルギーをいかに低コストで押さえるのか、ということもトリコ王国の課題である。
 そして、砂漠の国の大きな問題たるや、『水』である。
 水はどのようにして入手しているのかというと、トリコ王国では海から真水を調達している。こちらもまた改良すべきポイントは多く存在する。まずは海水を真水に変える装置の改良は常になされている。さらに、真水を送る頑丈なパイプライン、さらに下水の処理、浄化問題に関してもこの研究所で取り扱っている。
 水は安定供給されているので、現状のままでも全く構わないのだが、トリコ王国の威信にかけてテクノロジーの更なる次元を開拓しているらしい。伝統的にトリコ王国には知的探求者が多く存在している。
 他にも様々な説明を受けたが、イスカリオッシュがどんなに噛み砕いた説明を施しても無教養のニタとクグレックには理解できないことばかりで、ただひたすら科学の力の偉大さに感嘆のため息を吐くばかりだった。

 研究所見学が終了し、デンキジドウシャでもと来た道を戻る一行。外は既に日が沈んで暗くなっていた。そんな薄暗い車内で、イスカリオッシュはぽつりと独り言を漏らした。
「最近、王は新型エネルギー開発に勤しんでおられる。一体どんなものなのか、気になって、研究所で調査してみたが、目ぼしい手がかりは得られなかった。国の識者が知識をフル動員して研究に勤しんでいるけど、王の手にかかれば、あっという間に新しい理論を発見し、実践してしまう。王の存在はまるで神のようだけど、…私は国全体が王に依存しているような気がして少し怖くなるんです。」
「…どういうこと?」
 ニタが聞き返した。
「王は王たる資質を持っています。だからこそ心配などすることは杞憂に過ぎませんが、もしも王が間違った方向に進んでいるのならば、誰が止めることができるでしょうか。そして、万が一間違った結果に進んでしまって、取り返しのつかないことになった時、国民は、そして王は、この国で笑顔で暮らしていくことが出来るのでしょうか。」
 イスカリオッシュは続けた。
「例えば、もし今の王が別の何かに入れ替わったとしても、我々はそれに気付かず、王を盲信しつづけてしまう、そんな気がしてなりません。」
 イスカリオッシュはハッとして咳払いをした。明るい饒舌な男イスカリオッシュからぽろりとこぼれた本音にニタとクグレックは思わず顔を見合わせるが、バックミラーでそれを見たかどうかは分からないが、イスカリオッシュはまたもとの気のいい調子で
「なんて、技術発展は素晴らしいことです。それに科学には失敗がつきものですが、手遅れにならないように研究と実験を行っていくのもまた科学なのです。」
と言った。
 
 2016_05_28


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 翌日、昼食を取った後、イスカリオッシュが現れた。
 七三分けの銀縁眼鏡は神経質で真面目そうな印象を与えるが、実際に口を開いてみると饒舌で、常に微笑みを絶やさない気さくな人物だ。
 イスカリオッシュは二人を城下町へと案内してくれた。
 今日のイスカリオッシュは第2皇子ということもあり、頭にターバンと巻き顔も目以外は布で隠していた。自身が王族であることが分かってしまうと、トリコ王国の素の様子を紹介できないから、敢えてばれないように顔を隠しているらしい。
 城門を抜けると、眼下には地平線へと続かんとする城下町が広がっていた。
 それはクグレックが見たこともない光景だった。
 鏡のような表面のガラス張りの背の高い建物が立ち並び、青空の太陽を眩しく反射している。建物の間には透明なチューブ状のトンネルのような物が宙に浮いており、その中をデンキジドウシャが駆け抜けていたり、人が歩いている。
 道とは地に着いているものだが、トリコ王国では空中にも浮いていた。二人の常識は凌駕される。チューブ状のトンネルはまるで血管のように城下町を駆け巡っていた。
 遠くを見遣れば砂丘が広がっているので、辛うじてここが砂漠の国だと思い知らされるが、城を中心として形成される城下町は、無機物な高層建築の中に緑地帯を見ることも出来たので砂漠の国らしさを一切感じさせることはなかった。
「…す、すごい…。リタルダンドよりも沢山建物がある…!」
「道路が空を走ってるの…?」
 二人は、思わず地に膝をついて眼下の大都市を見下ろす。
 そばのイスカリオッシュは、満足そうに二人の様子を微笑みを湛えながら見つめていた。
「二人とも、入国した時は寝てたから、城下町の様子は見てませんでしたね。では、ご案内しますので、ついて来てください。」
 そう促されて、ニタとうグレックはイスカリオッシュの後を着いて行く。
 階段を下りていくと、デンキジドウシャが何台も止まっている格納庫に辿り着いた。天井が高く、薄暗い場所だった。3人はデンキジドウシャに乗り込むと、デンキジドウシャは七色に光るトンネルに突入した。ピンク、黄色、オレンジ、赤、紫、青、緑と順々に巡る色を通過していく。
「うう、なんか目がおかしくなりそう。」
 ニタは目を抑えながら言った。
「ふふふ、そうですね。慣れても奇抜な光です。もう少しでトリコ城ですよ、注意してくださいね、という意味と、非日常的なワクワク感を煽るのが目的です。こんな色彩の中を普段は通ることもないでしょう。これは、王のアイディアです。」
「あの王様は本当に変わってるね。」
「天才ですから…。」
 色彩の暴力とも呼べるトンネルを通ること十数分、ようやく自然な外の光が差し込んで来て、城下町へと抜け出した。城から見下ろした時に見えた半透明のチューブ状のトンネルの中を通過する。
「これから商業地区の方に向かいますよ。商業地区は古き良き建物となっております。トリコ王国は今でこそ技術大国ですが、もともとは商人が力を持った国でしたからね。日干し煉瓦のあるがままのバザールの姿が商業地区には残っています。」
 そうしてデンキジドウシャを地下の駐車場に停め、3人は城下町の商業地区へ向かった。
 商業地区は、イスカリオッシュが言っていたように、日干し煉瓦で作られた建物が立ち並び、多くの人で賑わっていた。広場では野菜や果物、衣服、手工業品、家具など様々な物を扱う露店が並んでおり、商人たちの呼び声が元気に響き渡っていた。
 ニタは露店の行商人に声をかけられた。
「珍しいね、外の国の人かい。どうだいお土産にトリコ絨毯なんてどうだい?安くしとくよ。」
「残念ながらニタ達は流浪の身だからね。いつか落ち着いたら買いに来るよ。」
「お、旅人かい。そりゃまた珍しい。」
「へへへ。じゃ、また今度ね。」
「おう、待ってるぜ!」
と、いった具合にクグレック達一行は商人に声をかけられることが多かったが、ニタの持ち前の愛想良さでかわすことが出来ていた。クグレックが声をかけられた時でもニタが間に入った。
 トリコの商人たちは皆陽気でお喋りが好きなようだ。リタルダンド共和国のポルカ村の宿屋のおばさんのことが思い出されるくらいに気の良い人が多かった。勿論商魂溢れる人が多いものの、ニタの喋りでうまくかわしている。
「イスカリオッシュ、これからどこに行くの?」
「あぁ、言ってませんでしたね。これからエネルギー研究所に行くので、お土産を買いに来たのです。とても美味しいクッキーのお店があるのです。」
 そういってイスカリオッシュは路地裏の通りに入っていき、こじんまりとしたクッキー専門店に入った。店内は甘いバターや砂糖の香りが広がっており、ニタとクグレックは幸せな気持ちに包まれた。
「おや、お忍びですか?」
 穏やかそうな老齢の店主がにっこり微笑みながらイスカリオッシュに話しかけた。
「あ、ばれちゃいました?」
 イスカリオッシュは顔を覆う布に触れながら答えた。
「いつも贔屓にしてくださいましてありがとうございます。」
 深々とお辞儀をする店主。イスカリオッシュは困った様子で、店主に顔を上げて貰うように促した。
「詰め合わせを頂けますか?手土産用にしたいのです。」
「はい、かしこまりました。では少々お待ちください。」
 しばらくして、イスカリオッシュは店主から包装されたクッキー詰め合わせが入った紙袋を受け取った。
「そちらの女の子と白いクマちゃんの分もおまけに付けましたので、どうぞお召し上がりください。勿論、イスカリオッシュ様の分もありますよ。」
 そう言う店主にイスカリオッシュは思わず表情を綻ばせて「ありがとう。」と返答するのであった。
 クッキー専門店を後にし、デンキジドウシャを停めている地下駐車場に戻る間、イスカリオッシュがニタとクグレックにおまけで貰ったクッキーの包みを手渡した。ニタは早速包みをあけ、甘い香りのするクッキーを頬張る。サクサクとした食感だが、じんわりとした優しい甘さが広がるとても美味しいクッキーだったので、ニタの表情は瞬時に緩み幸福感を隠せずにはいられない様子だった。
 クグレックも一つ齧ってみたが、とても美味しかった。祖母が作ってくれたクッキーのように優しく、懐かしい味だった。しかし、美味しいクッキーであるにせよ、祖母のものとはどこか違う。甘い香りのクッキーを何度もひっくり返して見つめるが、感じ取れない祖母の面影の正体を突き止めることは出来ない。
「クク、どうしたの?」
 ニタに声をかけられて、クグレックは我に返った。
「ううん、なんでもない。クッキー、おいしいね。」
「うん!」
 クッキーに舌鼓を打つ二人に、イスカリオッシュは満足げな様子で微笑んでいた。
 2016_05_28


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「とはいえね、ククがトリコ王国にずっといたいって言うのであれば、ニタはそれに従うよ。」
 エスカレベーターで自室に戻ったニタとクグレック。二人で仲良く初めての泡風呂に入浴し、十分楽しみながら身を綺麗にした後、ふかふかのベッドで一緒に横になりながら、話をしていた。
 照明はリラックスが出来るという薄暗い桜色の灯りに調節した。アロマはラベンダーの香りを選んだ。音楽は敢えてかけていない。静寂の中で二人とも眠りにつきたかったのだ。
「アルトフールは、いいの?」
「…ククがいたい場所にニタは着いて行くんだ。」
「…私は別にトリコ王国に居たいわけではないけど…ニタがトリコ王国にいたいというのであれば、私は…」
 と、言いかけて、クグレックは口を噤んだ。
 クグレックはこの先の言葉を言うことが出来なかった。それは、彼女にもはっきりとは良く分からない。二人の関係性はアルトフールまでだった。アルトフールに着いたら、クグレックは祖母の元へ逝くという約束だったが、何故かその約束を言葉にすることが出来なかった。
 ニタはそれを察したか察してないかは分からないが、クグレックにぎゅっと抱き着いて
「ま、一か月後、どうなるかは分からないけどさ、トリコ王国自体は面白そうなところだし、楽しもうよ!」
 と明るく言い放った。
「うん。そうだね。」
 ニタの明るさに、クグレックもつられて前向きになる。
 その時、クグレックはある人物のことを思い出した。
「そう言えば、マシアスは元気かな。マシアスってディレィッシュの弟なんだよね。ってことは、マシアスは王子様だけど、まだ怪我の具合が良くないのかな…。」
「…そうだった。そこだ。」
 と、思い出したようにニタが呟く。クグレックは「え?何?」と聞き返した。
 ニタは真剣な表情で話し始めた。
「今日の祝宴の時に、ディレィッシュにマシアスのことを聞いたんだ。そしたら、『私にはハーミッシュとイスカリオッシュしか弟がいない』って言ってた。ちょっとどういうことか分からなかったけど、王族って妾の人とかがいるっていうから、マシアスは妾の子で、ああいう場ではマシアスのことを話すことが出来なかったのかなって思ったけど…。」
「確かに。王子様だったら、あんな怪我するような無茶なこと、出来ないよね…。」
 と言ってからクグレックは怪我を負わせたのは自分であったことに気付き、申し訳ない気持ちでいっぱいになり、気持ちも沈んだ。
「会えるなら、ニタも会いたいんだけどね。イスカリオッシュに明日こっそり聞いてみようよ。もしかしたらマシアスのこと、知ってるかもしれない。」
「うん。明日からイスカリオッシュさんがトリコ王国の案内をしてくれるらしいし。」
「イスカリオッシュ、忙しくないのかな。でもま、ニタ達のために時間を使ってくれるなんてありがたいよ。」
「そうだね。」
「あぁ、朝ごはんはなんだろうな。」
 薄暗い桜色の灯りと気持ちを落ち着かせる甘いラベンダーの香りは二人を心地良い眠りの世界へと誘い始める。二人寄り添って眠る宵は今までになく安心出来る夜だった。

 2016_03_09


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 そして、宴も終わり、二人は宛がわれた部屋で一息ついていた。
 侍女から部屋の使い方の説明を受け、ニタは好奇心にかまけて部屋の内部を色々と弄り始めていた。
 この部屋は入り口にあるスイッチや、ベッド横にあるスイッチ一つで灯りをつけることが出来る。そして、リモコン1つで部屋の気温を調節することが出来る。また、部屋の隅にあるニタ一人が入れそうな大きさの銀色の箱はレイゾウコというもので、飲み物や食べ物を冷たく補完することが出来る。冷たい飲み物がすぐに飲める便利な箱だ。また、冷やすだけでなく凍らせる機能もついている。
 部屋の中央にあるローテーブルの上にはポットが置いてある。これは火を使わずとも瞬時にお湯を沸かし、保温することが出来る機械だ。ティーカップと茶葉は準備されているので、すぐに紅茶を飲むことが出来る。隣の部屋には風呂も備え付けられており、こちらもボタン一つ押せば泡風呂が出て来る仕様だ。
 とにかく便利な機械が揃っているこの部屋で、好奇心旺盛なニタは色んなものを弄り尽した。
 クグレックもニタ程でもないにせよ、気になる物には一通り手を触れて使い方を確認している。
「ニタ、寝る前にこのボタンを押すと、リラックスして眠れる音楽が流れたり、いい匂いがしたりするんだって。なんだか至れり尽くせりだね。」
「本当に!レイゾウコのなかも凄いよ!アイスが入ってるし、色んなジュースも入ってる。お酒も入ってるけど、ククはまだ未成年だから飲んじゃダメだよ。」
 おそらく未成年であろうニタも興奮気味で言う。ニタの口元は茶色く汚れていた。どうやら、レイゾウコの中にはチョコレートも入っていたらしい。祝宴であんなに食べたのに、まだ食べるニタにクグレックは呆れかけた。
 と、その時。部屋の中央にある手のひらサイズの手鏡のような機械から音楽が流れて来た。
「に、ニタ、これはどう使えばいいんだっけ?」
 ニタは目を輝かせて音楽が鳴る機械を掴みとった。使い方は侍女から説明されている。
 表面をさらさらと撫でると、手鏡の様な機械から光が放たれた。ニタはそれを床に置くと、光の中から国王ディレィッシュの姿が現れた。しかし、このディレィッシュは透き通っていて、向こうの壁が見えている。
『やぁやぁお二人とも。どうやらトリコ王国謹製機械を使いこなしているようだね。繋がって何よりだよ。』
 透き通ったディレィッシュはニコニコしながら言った。
 一方で、ニタとクグレックは目を丸くして驚いていた。こんな小さな鏡からディレィッシュが出て来たのだ。体は透き通っているが。
『そうか、初めて立体ホログラム映像を見たから驚いているんだな。二人とも、これはただの映像なんだ。私は別の場所にいるんだが、この機械を使えば、離れたところでもこうやって話をすることが出来る。無論私の部屋からもこの機械を通して、二人の声や姿が見えているよ。』
「機械って、魔法みたい!何が起こるか分からない!」
 興奮した様子でニタが言った。
『ははは。確かに初めて見ると、魔法のように思えるかもしれないな。でも、これはタダの機械さ。機械は魔法のように自由には出来ない。』
 それでも、クグレックは姿を映したりするような魔法はまだ知らない。魔法なんかよりも機械の方が凄いのではないか。
『さてさて、二人にはお願いがあってね。今後のトリコ王国の発展のためにも、ぜひぜひ協力してほしいんだ。直接会って話がしたいんだ。この4D2コムを手に取って欲しい。私が見えていると、取りづらいだろうから、いったん私は消えて声だけになろう。』
 そういうとディレィッシュの姿は瞬時にして消えた。ニタとクグレックはきょろきょろと辺りを見回すが、ディレィッシュの姿はどこにもない。
『4D2コムを手に取ってくれ!』
 手鏡からディレィッシュの声だけが聞こえる。ニタはそれをひろい上げて不思議そうに眺める。
「…4D2〈フォーディーツー〉コム?これのこと?」
『そうだ。その液晶を触ってみてくれ。』
 ニタは4D2コムの表面に触れた。すると、1から9までの数字が表示された。
『指で3、1、1、2と触ってみてくれ。』
 ディレィッシュに促されるまま、ニタは表示された数字を触る。
 すると、バスルームの方から、ピロリーンと間の抜けた音が聞こえた。
『ロック解除成功だ!バスルームの方へ行ってみてくれ。』
 ニタとクグレックはおそるおそるバスルームの方へ向かう。クグレックは何となく胸騒ぎがして、樫の木の杖を手に取った。
 バスルームに行くと、そこにあったはずのバスタブがなくなっていた。その代わりに今までなかったはずの扉が出現していた。
『そこの扉に4D2コムをかざせばドアは開く。そしたら中に入って、またパスワードを入力してくれ。番号は5622だ。』
 ニタが4D2コムを扉にかざすと、ドアは勝手に開いた。二人はびっくりしつつも恐る恐る扉の中へ入る。暗くて狭い部屋だった。ニタとクグレックだけで窮屈な部屋なのだ。バスルームよりも狭い。
 ニタはディレィッシュの指示通り再び4D2コムの液晶を触り、数字を順番通りに押していく。
 すると、ぶううんという低い音とともに部屋の照明が自動的につき、扉が閉まる。低い起動音と共に二人は浮遊感を感じるが、床に足はしっかりついている。
 ガタンと音がすると同時に部屋がガクンと揺れた。また浮遊感を感じた。
『これはエスカレベーターと言ってな、私のプライベートラボまで連れて行ってくれるんだ。』
 4D2コムから聞こえる誇らしげなディレィッシュの声。
 流石のニタもとめどなく溢れるトリコテクノロジーに疲労感を見せつつある。
「もうなにがなんだか…。」
「カガクの力って魔法よりもすごいと思う…。」
 再びエスカレベーターがガクンと揺れる。それと同時に低い起動音も止み、エスカレベーターは静寂に包まれた。ぷしゅーと音を立てて、エスカレベーターの扉が開くと、そこは客室のバスルームではなかった。白いナイトガウンに身を包んだトリコ王ディレィッシュの姿がそこにあった。
「ようこそ。私のプライベートラボへ。さぁ、こちらへ。」
 ディレィッシュは嬉しそうに二人を部屋の奥へと招く。
 ニタとクグレックは恐る恐るエスカレベーターを出て、きょろきょろあたりを見回しながらディレィッシュの後を着いて行った。
 青い灯りの廊下を少し進むと、行き止まりに辿り着いた。しかし、ディレィッシュが傍にある小さな箱型の機械に弄パスワードを入力すると、行き止まりだと思われていた壁が瞬時に開いた。奥の方は真っ暗だったが、ディレィッシュが入り込むと、自動的に青い灯りがついた。
 そこはドーム型の円形の部屋だった。大きさは二人に宛がわれている客室と同じくらいの広さだ。
だが、そこかしこに大なり小なりの機械のようなものが設置されているので、人が歩ける面積は限られていた。
「ここは、私以外の者は立ち入ることがない、特別な部屋なんだ。弟たちにもここに立ち入ることは許していない。」
 ディレィッシュの表情に僅かばかりか暗い影が差した。が、すぐに微笑みを浮かべる。
「イスカリオッシュはダメなのにニタ達は良いんだ。それで大丈夫なの?」
 ニタの問いに、ディレィッシュはにっこりと微笑む。
「あぁ。良いんだ。二人なら、なんだか不思議と信用できるんだ。」
 ニタは訝しげにディレィッシュを見ながら、「ふーん」と言い放つ。ディレィッシュはニタの視線を気にすることなくニコニコしていた。
「ところで、お願いってなんなのさ。」
「うむ。それのことなんだが、二人に私の実験に協力してほしいんだ。」
「実験?」
「ニタは今や絶滅したとされるペポの生き残りとされている。ペポの青い瞳は万能薬となることでも有名だ。また、そのふかふかの白い毛は汚れにくく、撥水に優れているし、その可憐な体躯から繰り広げられる力というのも、実に興味深いのだ。」
 ニタはディレィッシュの発言に身の危険を感じ後ずさりをした。
「や、やだよ。ニタの目はあげないよ。」
「嫌だな。そんな惨いことをするはずないじゃないか。ニタの涙の成分を調べたり、瞳孔や光彩の動きや形を調べたりするから、ニタの目を傷つけるなんてことはしないよ。」
「な、ならいいけど。」
「それに、クグレックは魔女だ。今現存する機械と魔法の力を融合させれば、さらにコストパフォーマンスの良いものになるかもしれない。どんな原理で魔法を使うのか、魔法を使う時、クグレックはどうなっているのか、調べたい。」
 クグレックは不安そうな表情でそっとニタに身を寄せた。
 ニタはそっとクグレックに耳打ちをする。
「なんか、変な人だね。トリコ王は。」
「う、うん。」
 二人がひそひそ話し合うのを見て、ディレィッシュは首を傾げた。
 ディレィッシュの視線に気付いたニタは作り笑顔を浮かべて、
「べ、別にニタ達は実験に協力したっていいよ。ただ、ニタ達には行かなければいけないところがあるんだ。だから、そんな長く協力することは出来ない。それでもいいというのなら。」
と、一国の主を前に物怖じすることなく条件を提示した。
「ふむ。行かなければならないところ、か。」
「うん。ニタ達はアルトフールってところに行かなければいけないんだ。アルトフール、知ってる?」
「聞いたことがないな。どこにあるんだ?」
「知らない。けど、支配と文明の大陸にはないんだ。」
「…どこにあるか分からない場所に行こうとしているのか?一体何故?」
「そこに行けば幸せが待っている、特別な地なんだ。実はニタもククも帰る場所がないんだ。だから、そこに行くしかない。」
「ほう。面白いな、それは。しかし、トリコ王国も良い国だ。国民は便利な機械に囲まれ、他の国よりも豊かな暮らしを送ることが出来ている。治安も安定しており、皆が安心して暮らすことが出来ている。当然二人のことは手厚く保護させてもらう。どうだろう、幸せが待っている地はこのトリコ王国である可能性があっても良いと思うのだが。」
「まぁ、そこに関しては、考えさせてもらうよ。それよりも、ニタはトリコ王国の叡智を用いてアルトフールの情報が欲しいな。そしたら、…そうだね、一か月くらいだったらトリコ王国に居ても良いよ。」
 飄々とした様子で答えるニタにクグレックは感心するしかなかった。ニタの強い心臓に憧れを抱かざるを得ない。目の前にいるのは少々変人なところはあるが、やんごとなき身分の人物だ。少しでも失礼に値する言動を行ってしまえば、彼が持つ権力で、この世から抹殺されることだってあり得るのだ。
 クグレックは恐る恐るディレィッシュを見てみると、ディレィッシュは意表を突かれたような驚いた表情をしていた。さっきまであんなに笑みを湛えていたのに、今は全くの無表情だ。やはり、ニタの言葉は王様の機嫌を損ねてしまったのかもしれない。
 ところが、クグレックの不安を他所に、王様は「はっはっは」と声を高らかにあげて笑うのだった。
「ニタ、お前は面白い奴だな。流石勇敢なるペポ族の戦士、とやらだ。その条件で行こう。1か月さえあれば、実験もアルトフールに関する情報収集も上手く行くだろう。そして何より、一か月もあれば二人の心をトリコ王国が捕えることが出来る。意見はいつだって翻していいからな。」
 不敵な笑みを浮かべてのたまうディレィッシュ。自信に満ち溢れていた。
「分かった。じゃぁ、1か月間、お世話になるね。」
 ニタが力強く頷き、ディレィッシュを見つめる。
「あぁ、全力でお世話しよう。」
 ニタとディレィッシュは固く握手を交わした。
 2016_02_22


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 祝宴は大広間にて開催された。
 上座のメインテーブルに案内された二人は、席について大人しくしていたが、しばらくしてから砂漠の衣装に身を包んだイスカリオッシュがやって来た。イスカリオッシュはクグレックの隣に座った。クライドは王と一緒にやって来るらしい。
 席は中心の席とニタの隣が開いていた。
 そして、さらにしばらくしてから、王が姿を現した。
「やぁ、諸君お集まりのようだね。」
 白いいターバンをヴェールのようにして金色の装飾でとめ、金色のマントを羽織った王様がやって来た。その後ろをクライド他お供達がついて来る。
 王はクグレック達をみるとふわりと優しく微笑んだ。空の様な水色の瞳が優しくクグレックたちを見つめる。ターバンの下から覗くサラサラな金色のおかっぱの髪を見て、ニタとクグレックは、はっと息を呑んだ。
 この男はリタルダンドの首都で出会った男、ディレィッシュだ。
「ももももしかして、ディ、ディレィッシュ?」
 ニタが動揺を隠せない様子でどもる。
「敬称をつけろ、ニタ。」
 ディレィッシュの後ろにつくクライドが不機嫌そうに低い声で言った。だが、ディレィッシュは微笑みを称えながらそれを制して
「ふふふ。いいんだ、クライド。二人は私の客人であり友人なのだ。それに、ちょっとサプライズをしたかったので、ニタとクグレックが驚くのも仕方がないことなのさ。」
と言って嗜めた。
「では、改めて紹介しよう。私はトリコ王国国王ディレィッシュだ。再び二人に会えて嬉しいよ。」
 ニタとクグレックはびっくりして何も言えなかった。ディレィッシュは満足した様子で、ニタとクグレックの間の席に座った。その背後にクライドがぴったりとくっつく。
「そうだ、その様子だとクライドもイスカリオッシュも正体を明かしていないだろうから、私から紹介させて頂こう。まず、イスカリオッシュは私の弟だ。トリコ王国第2皇子だ。そして、後ろのクライドだが、私の親衛隊隊長だ。」
「ところで王、第1皇子はどうしたんですか?」
 イスカリオッシュが尋ねると、ディレィッシュは途端に表情を暗くした。
「…ハーミッシュは、体調不良だ。部屋で休養を取らせている。」
「彼は少し休んだ方がいいのですが…。ただ席が空いてしまいますね」
 そう言ってイスカリオッシュはニタの隣の空いた席を見た。
「やむをえん。無理をして余計悪くさせてもマズイ。彼の仕事はいまだ忙しい。」
「そうですね。」
「まぁ、気を取り直して、宴を始めよう。」
 そうして、宴は始まった。
 王が乾杯の音頭を取ると、それからは音楽や豪華絢爛な踊りが目の前で繰り広げられ、大いに皆を楽しませた。食事も次から次と出て来る。クグレックは緊張しっぱなしであったが、ニタは大いに満足し、次第に緊張もなくなって行った。
 宴の最中、ニタは王に気になっていたことを尋ねた。
「マシアスはどうしてるの?」
「ん、マシアス?」
 王は首を傾げる。
「マシアスだよ。ディレィッシュの弟。」
「はて、私にはハーミッシュとイスカリオッシュの二人の弟しかいないんだが…。」
「え、どういうこと?あの時、マシアスのことを弟って言ったじゃないか。」
「うん?いつの時のことだ?…お、ニタ、凄いぞ、火を使いながら踊るみたいだぞ!」
 目の前で繰り広げられる余興に、国王は大いに釘付けだった。マシアスに関する話は、これ以上話しても無駄なようだとニタは一旦諦めて、目の前の宴を楽しむことに集中した。ごはんもおいしいので、今はこの楽しさを享受しよう、と決めた。
 2016_02_04


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 クグレックは、事態に恐れ戦いていた。
 大勢の侍女に囲まれて、パーティー参加の準備が行われる。
 トリコ王国の伝統的衣装ということで、金や銀の豪華な装飾がじゃらじゃらと施された紫のブラトップにひらひらと流れるシルクの紫のロングスカートに何人もの侍女の手によって着替えさせられた。
 砂漠の国は高温なので、腹は余すことなく晒されて、スカートも薄手で目を凝らせば中が透けて見える程に薄かった。見えても良いよう華美な装飾が施された紫色の見せる用の下着をに履いてはいるものの、クグレックは恥ずかしくて仕方がなかった。寒い土地にいたため、ここまで露出したのは、風呂に入るときに裸になるくらいだったのだ。お腹はスースーするし、胸元だってどうぞ見て下さいと言わんばかりに開いていて恥ずかしい。
 また、衣装についている装飾に負けないくらいの装飾品をを腕や足首、首にもつけられた。本物の金や銀、宝石を使用しているため重い。
 さらに、クグレックは生まれて初めて化粧というものも経験した。侍女たちが全てをやってくれるのだが、鏡の中の自分を見た時、年相応の若い女性らしく華々しい様子に変身していたことにびっくりするのと同時に少しだけ嬉しくなった。が、それは一瞬で、すぐに自身の露出への戸惑いが再び彼女を襲った。
 よくよく周りをみれば、周囲の侍女たちは下は動きやすいように裾がすぼまったシルクのハレムパンツを着用しているが、上はクグレックと同様にへそと胸元をさらけ出していた。このような露出がトリコ王国でのスタンダードであるようだ。とはいえ、慣れないものは慣れない。
 頭にはカチューシャ型のベールをつけ、準備は万全となった。
「クグレック様、大変お似合いですよ。きっと王も喜ばれることでしょう。」
 侍女に囁かれるも、クグレックは戸惑うばかりで何も言えなかった。
 せめてニタと同じ部屋で準備が施されているのであれば、気が楽だっただろうに。
 別室のニタは、今、どんな様子でいるだろうか、とクグレックは考えたが、ニタのことなので、それはそれでマイペースにやっている。

 さて、話題は戻るが、クグレックとニタが連れて来られた場所は、トリコ城である。
 トリコ王国入国の厳重なセキュリティーを抜けて、しばらく行くと、そこは右も左も砂漠地帯だった。変わり映えがしない風景が続いたので、ニタとクグレックはつい眠ってしまったが、イスカリオッシュに「つきましたよ」と起こされた時には既にトリコ城に到着していた。
 トリコ城はまるでおとぎ話の絵本で見たことがある砂漠の国のお城だ。白いレンガの壁を基調として、中心に青緑色の大きな丸いドーム型の屋根、また四方に尖塔が立ち並び、山のように荘厳にそびえ立っていた。
 イスカリオッシュに促され、デンキジドウシャを降りると、ニタとクグレックは侍女たちに囲まれ、それぞれの部屋に連れていかれた。そしてすぐに、トリコ王国風におめかしされたのだ。
 侍女たちの話によると、クグレックたちは、これからトリコ王に謁見することとなるらしい。
 リタルダンドでのマシアス達の話によれば、クグレックたちはトリコ王国とランダムサンプリ国の戦争を止めるお手伝いをしていたのだ。それに対するお礼ということで、マシアスとその兄ディレィッシュからおもてなしを受けることとなっていたが、まさか国を挙げてのおもてなしだったとは。
 国家間の戦争を止めたのだ。確かに国王から喜ばれるのは間違いないだろうが、国王まで巻き込むなんて、マシアス達は少し大げさすぎだ、とクグレックは思っていた。。
 衣装に着替え、鏡の前で待たされたクグレックは、手元にあるボタンをカチカチと押してみた。すると、目の前のランプの灯りが同じタイミングで消えたり付いたりした。火を直接灯さなくても、灯りがつくのがトリコ王国らしい。これがイスカリオッシュが言っていたデンキの力である。まるで魔法だ。
 やがて、祝宴が開催される時間となり、クグレックはニタと合流した。この時クグレックがどれほど安心したかは計り知れない。
 ニタは、頭に水色や黄色のターバンを巻き、ピンクや赤、橙色のストールを体に巻いていた。いつぞや着ていたローブなどよりも鮮やかで可憐さがより際立ち、ニタに良く似合っていた。大変可愛い。
「クク、すごいセクシーな格好だね。でも、似合うよ。」
「う、うん。ありがとう。」
 侍女たちに囲まれて、二人は大広間に続く廊下を歩く。廊下は天井が高く、
「それにしても、なんだかすごいことになっちゃったね。王様直々におもてなしって、どういうこと?気前良すぎじゃない?」
「本当に。こんな恥ずかしい恰好だし…」
「そうだね。ククはちょっとセクシーすぎるから、ニタ的にはあんまりマシアスには見せたくない恰好だね。まぁ、とにかく、ニタは美味しいごはんが食べられると嬉しいなぁ。」
「私は早く着替えたい…。」
 クグレックの声は今にも消え入りそうだった。

 2016_01_20


 マシアス達がいなくなってから数日後。
 深夜に迎えのデンキジドウシャがやって来た。
 デンキジドウシャはカモノハシの頭のような流線型の形をしていた。高さはクグレック程あり、車体は膝くらいの高さまで宙に浮いていた。上部側面はガラス張りになっており、前面には二人の男性が座っていた。一人は、顔よりも大きなリング状のハンドルを握っている。
 ハンドルを握っていない方が、デンキジドウシャの中から出て来た。金髪碧眼の男性だ。青い目は、マシアス達と同じような水色だった。銀縁眼鏡にかっちりと7対3に分けられた前髪で、真面目そうだ。彼はクグレックたちを見ると、一礼した。
「お待たせしました。トリコ王国より迎えに参りましたイスカリオッシュです。お荷物はお預かりしましょう。」
 ニタが背負うリュックサックを受け取ると、イスカリオッシュはデンキジドウシャの後ろを開き、荷物を入れた。
「では、お二人は後部座席にお座りください。」
 クライドはデンキジドウシャの後部座席側のドアを開け、ニタとクグレックに入るように促す。二人は促されるままにデンキジドウシャの中に入り込んだ。中はふかふかのソファのような座り心地の良い席となっていた。二人がきちんと座るのを見てから、イスカリオッシュはドアをしめ、自らも前面の席に座った。
「では、出発します。」
 と、イスカリオッシュが言うと、デンキジドウシャが起動し、ゆっくりと前進し始めた。徐々に速度も上がって行き、窓から見える景色は、汽車に乗った時の車窓の景色と同様に流れていく。汽車と違うのは、無音であることと振動がないこと。カタンカタンという線路を通る音や風が轟く音が聞こえなかった。遮音性に優れているボディである。
 クグレックがふと後ろの窓を見ると、キラキラと七色の光が噴出されていた。あまりにもきれいだったのでしばらく見とれていたが、なんだか気分が悪くなってきたので、再び前を向いて座った。
 バックミラーでクグレックとニタの様子を見ていたイスカリオッシュが微笑みながら声をかけて来た。
「ふふふ。お二人はデンキの力を目にするのは初めてですね。」
「デンキの力?」
「えぇ。物体を動かすための力です。トリコ王国は水が少ない砂漠の土地にあります。生きることが過酷な地でもあるのですが、それはつまり裏を返せば過剰な程のエネルギーの宝庫だったのです。太陽光が燦然と降り注ぐこと、その太陽光が照り付けた地面、さらに砂嵐を巻き起こすほどの暴虐的な風は我々の敵であるが、共存しなくてはならない相手でした。先々代のトリコ王はこの砂漠エネルギーに目を付け、デンキを生み出しました。」
「デンキって、魔法なの?」
 ニタがイスカリオッシュの話に眉間に皺を寄せながら、質問を投げかける。イスカリオッシュは爽やかに笑った。
「ははは。いいえ。魔法ではありません。理論という理論を組み合わせた先に出来上がった科学の力なのです。魔法とは異なり、原理さえ理解できれば誰でも使うことが出来ます。今はトリコ王国でしか使われていませんが、将来的には大陸全土に広がる知識、技術になると思っています。」
「なんか難しい話だなぁ。」
「トリコ王国にいらっしゃいましたら、お分かりになると思います。」
「うん。それは楽しみ。」
「王もお二人にお会いするのを楽しみにしています。」
「王?」
 イスカリオッシュの隣でハンドルを握る男が、イスカリオッシュの腕を肘でつついた。イスカリオッシュはハッとした様子で「失礼」と微笑んだ。
「そう言えば、紹介が遅れましたが今運転してる彼はクライドと言います。ディレィッシュから聞きましたが、クグレックさんと同郷なんですよね。」
 クグレックはバックミラー越しに、クライドを見た。眉毛が凛々しく端正な顔立ちで、かつてマルトに来たドルセード騎士団の騎士と同じ深い青色の目をしている。きっと王都の上流階級だったのだろう、とクグレックは思った。
「私は田舎の村出身ですから…。」
 と、クグレックが言ったところ、バックミラー越しのクライドは一瞬怪訝そうな表情をした。クグレックは何か悪いことを言ったのか不安になり、眉根を下げた。『田舎』という表現がまずかったのだろうか。
 だが、クライドは何を言うでもなく、普通の表情に戻った。目の前の運転に集中する。
「クライド、少しくらい喋ったらどうだ。そんなにディレィッシュから離れたのが気に喰わないか。」
「別に。喋りはイスカリオッシュの得意とするところだろう。」
「全く君は、シャイなんだから。」
 イスカリオッシュは少々不満そうにするが、再び意識をニタとクグレックに向けた。
「そうだ、トリコ王国までは時間がかかります。一日以上はかかるので、途中、集落によって食事休憩を取ったりしますね。運転も、なかなか体力が必要なので、クライドと交代で行います。クライドが助手席にいるときは、ちょっと静かになってつまらないかもしれませんが、許してくださいね。彼、寡黙な男なので。」
 微笑みを湛えながら、イスカリオッシュが言った。
「とはいえ、お二人は今の時刻だと、もう寝ている時間ですね。シートの横についている小さなボタンを押せば、シートが倒れるようになってるので、好きな角度で調節してください。」
 と、イスカリオッシュに説明され、二人はシートについているボタンを押した。すると、背もたれが、体重に任せてゆっくりと倒れていく。水平に開きまではしなかったが、それなりにリラックスした態勢になった。
「もとに戻したい場合は、背を起こしてボタンを押してください。そうすると、背もたれが元の位置に戻るようになっています。では、私もしばらく静かにしてますので、お二人はゆっくりお休みください。」
 イスカリオッシュに促され、二人はリクライニングされたシートの上に身を任せる。窓の外は虹色の粒子に照らし出されても、判別がつかない程真っ暗だ。
 真夜中ということもあり、二人はすぐに眠りの世界へと誘われた。魅惑の砂漠の国トリコ王国への憧憬を胸に抱えて、夢の世界へと落ちて行った。
 デンキジドウシャは虹色の光の粒子を噴出させながら、汽車と同じかそれ以上のスピードを出して、トリコ王国へ向かう。
 ニタとクグレックは、砂漠の王国で驚愕の出来事が、そして運命の歯車をも狂わせてしまうようなとんでもない事件が待ち受けていることも知らずに、のんきに眠り続けていた。
 2016_01_15


「これがトリコ王国の技術力…。」
 と、小さく呟くニタ。
「ニタ、トリコ王国って一体どんなところなの?」
 不思議な馬車にクグレックも面喰いながらも、ニタに質問をする。
 ニタは世にも奇妙な馬車を見て、一瞬気が抜けたように立ち尽くしていたが、頭を振って気を取り直した。そして、クグレックにトリコ王国についての説明を始める。
「ここよりも南にある国。国土はほとんど砂漠だけど、物凄い技術で皆幸せに過ごしている国なんだ。ニタは行ったことがないから良く分からないけど、とにかく凄い国らしいよ。その分、セキュリティーも頑丈だから、普通の人は入れない。勿論ニタもククも入ることが出来ないよ。砂漠越えの手段もあるかもしれないけど、砂漠は徒歩では越えられないからね。だから、あの二人に招待されたことは、凄い幸運なことなんだ。」
「へぇ…。」
「セキュリティが頑丈な理由は、トリコ王国が持つ技術や情報の漏えいを防ぐためだとか。あまり他の国とは関わろうとしない国だから、いろんなことが秘密に包まれている。でも、沢山の人が憧れる国だと評される国だよ。さ、寒いから中に入ろう。」
 ニタに促されて、クグレックは宿屋へ戻る。
 クグレックは起きたばかりなので、まだ眠くはなかったが、ニタは眠そうにしていた。時計をみると、0時をまわっている。
 ニタは、部屋に戻ると、ベッドに潜りこみ、横たわった。
 クグレックは、暖炉前のテーブル席について、眠そうにしているニタに気を遣ってなるべく音を立てないようにミルクティーを淹れた。
 ニタは瞼が落ちかけて、今にも眠ってしまいそうだったが、ぽつりと呟いた。
「トリコ王国はセキュリティーが厳しいから、トリコ王国でハンター活動が出来るのって、王室が認めた人達だけらしいから…、マシアスとディレィッシュって人はなかなか凄い二人なんじゃないのかなぁ…。」
 世の中のハンター事情はクグレックには良く分からなかったが、ニタが言う通り、マシアスとディレィッシュは、特別な存在の人達だと感じていた。
「ニタは、トリコ王国に行けるのが楽しみだよ…。」
 今にもとろけてしまいそうな声で喋るニタ。
 クグレックはベッドのニタを見てみた。とても眠そうにぼんやりしているが、クグレックと目が合うと、嬉しそうににっこりと微笑む。
 クグレックは、そんなニタを見ながら、一つだけ気になることがあった。
 それは、ふかふかの白い体毛の中のところどころちりちりと焦げてしまった茶色い部分。
 クグレックは思い切って聞いてみることにした。
「ねぇ、ニタ、ニタの白いふかふかの毛、ちょっと焦げちゃったのは、私のせい?」
 ニタは眠たそうに眼を細めながら、もにょもにょと答えた。
「うーん、違うともいえるし、そうだともいえるかな。」
「そっか。…ごめんなさい…。」
「…んとね、ククのバチバチ、不思議なことにニタとマシアスには効かなかったんだ。ただ、バチバチがニタが入ってた檻に当たって爆発した時に焦げちゃったんだ。ニタはびっくりして、その時に目が覚めたけどね…。」
「ごめんね…。」
「謝らなくたっていいよ。おかげでニタは檻から出られたんだし。オワリヨケレバスベテヨシってことだよ。」
 ニタは正常にお喋りが出来ているが、瑠璃色の瞳は虚ろになっている。
 クグレックはニタが眠気で限界なのを見て、ニタに聞こえないように小さな声で
「今更だけど、ニタが無事で、良かった…。」
と、言葉にした。
 耳聡いニタの耳にその言葉が届かないはずもなく、ニタはにっこりと微笑んで
「ニタも。」
と、言った。そして、とうとう限界を迎えたのか、微笑んだまま眠りに落ちた。
 すーすー、と規則正しい安らかな寝息の中、クグレックは暖かいミルクティーが入ったティーカップを啜る。優しい味と香りが口の中に広がった。

 2015_11_16


「ところで、マシアス、ピアノ商会はどことどこの戦争を引き起こそうとしていたの?」
 ニタが尋ねた。
「ランダムサンプリ国とトリコ王国だ。」
 マシアスが答えた。その答えに、ニタは一瞬表情を強張らせた。
 マシアスはさらに続ける。
「ランダムサンプリ国は近年、過激派が力をつけている国だ。それこそ人外排出運動が盛んな国の1つだ。国内を武力で統制している。そういう国だ。ニタはご存知だろうけど。」
 と、言うとマシアスはちらりとニタに目配せをした。マシアスと目が合うと、ニタは声を低くして、ぶっきらぼうに「その通り。」と答えた。クグレックは、なんのことだか分からなかった。
「俺はトリコ王国の生まれだ。だから、何としてでもピアノ商会を抑えて、戦争開始を止めたかったんだ。だから、結果、お前たちに会えて本当に良かった。ありがとう。」
 と、マシアスは安心した表情で言った。
 水色の瞳も、今は冷たそうに見えなかった。春の空の様な優しい水色に見えた。
「まぁ、ニタはそう簡単に戦争なんて止まるのかな、って思うけどね。」
 と、ニタが意地悪そうに、安心しきったマシアスに冷や水をかける。
「まぁ、ランダムサンプリとトリコ王国が仲が悪く、一触即発な状態であることは変わらないのだけど、最悪な状況だけは免れた。ピアノ商会の奴らもしかるべき場所で裁きを受ける。後はここから立て直していくだけだ。」
「それでも、戦争がはじまったらどうするのさ。」
 というニタの問いに答えたのは、マシアスではなく、豪華な椅子に座ってワインを嗜んでいた気品あふれる男だった。
 男は立ち上がり、話し始めた。
「別にランダムサンプリが戦争を吹っかけてこようと我々の技術力があれば、恐れるに足らない。」
 ワイングラスを恭しく掲げながら、陶酔したように男は話した。まるで舞台俳優のように芝居がかった喋り方だ。
「トリコ王国は技術力だけでないんだ。それに伴った軍事力も大陸最大級だ。」
 ディレイッシュはふと、クグレックの存在に気付き、クグレックに向けてウィンクをした。
「おっと、失礼、お嬢さん、はじめまして。私の名前はディレィッシュだ。こいつの兄だ。」
 ディレィッシュは腹に右手を当て、丁寧にお辞儀をした。
「私はドルセード王国のマルトの村出身のクグレック・シュタインです。」
「ほう、ドルセード王国。私の部下にもドルセード出身がいたなぁ。」
 ディレィッシュは意外そうにクグレックを見つめる。
「ねぇ、ディレィッシュ、トリコ王国が強いなら、ランダムサンプリくらいやっつけちゃえばいいじゃん。」
 さらりと過激な発言をしてのけるニタ。
「確かに、ニタの言う通りではあるが、戦争により、トリコ王国の重要機密などが流出してしまっては困るからね。それに、無駄に命がなくなってしまうのも嬉しいものじゃない。血を流すよりも我々は話し合いによって、ランダムサンプリと関係を続けていくつもりだ。だから、ニタ、とクグレック、そしてマシアス、礼を言うのは私の方だ。ありがとう。」
 ふわりと微笑む男。全てを許してしまえそうな、無邪気で優しい表情だった。
「してニタとお嬢さん、私からの御礼で、君たちをトリコ王国でおもてなしをしたいと思う。私達はこのままトリコ王国に帰るが、君たちを乗せていく余裕はない。君たちのデンキジドウシャを手配するのに数日かかるから、それまでもう少々このアッチェレで過ごしていてくれないだろうか。」
「デンキジドウシャ?」
 ニタが首を傾げながら問う。
「そうだね、汽車よりも小型で馬車よりも早く動く乗り物のことさ。」
「へぇ、聞いたことがなかった。」
「今のところデンキジドウシャはトリコ王国にしかない。博識なペポ族の戦士でも知らないだろう。」
「トリコ王国は、やっぱり凄いね。」
「ははは。」
 と、その時、4人いる部屋の扉から、ノックの音が聞こえた。マシアスとディレィッシュは互いに目配せをすると、マシアスが扉を開けて部屋の外に出て行った。
「では、私達はピアノ商会の件で先にトリコ王国に帰らせていただく。ピアノ商会の処分が済み次第、ここの宿屋に部下を迎えに来させるから、それまでしばらくはここの宿屋を拠点に過ごしていてくれ。トリコ王国に着いたら、御礼をさせてもらう。」
 そう言ってディレィッシュは椅子から腰を上げると、椅子は瞬時のうちに消えた。椅子のあったところにはピンポン玉程度の玉が転がっているだけだった。ディレィッシュは玉を拾うと、ぐんと伸びをした。ディレィッシュの表情はどこか晴れ晴れとしていた。
 マシアスが再び部屋に戻ってきた時が、別れの時だった。二人のお迎えが来たらしい。
 宿屋を出ると、外は暗かった。そして、6人ほどの砂漠の国の衣装を身に纏った屈強な男達がいた。宿屋の前には4輪型の大きな幌馬車が待機していた。引馬は3頭いたが、派手な馬具を身に付け、異様な雰囲気を見せている。
 男達は辺りを警戒しているらしく、そのうち4人がマシアスとディレィッシュにぴったりとくっついて馬車までのわずかな距離をエスコートする。
「こんな距離なんだから、別に護衛を着けなくたっていいじゃないか。」
 とディレィッシュが文句を言ったが、マシアスは「何があるか分からないだろう。」と言って嗜めた。
 ディレィッシュは顔だけ後ろに向けて、無邪気な笑顔で
「では、ニタとクグレック、また会おう。」
といって、馬車に乗り込んで行った。マシアスも振り返って、無言で表情を和らげ、片手を上げ馬車に乗り込んで行った。
 残り二人の屈強な男もそれぞれ馬車の前と後ろに乗り込むと、御者が丁寧な口調で
「それではお世話になりました。また、後日。」
とニタとクグレックに声をかけて、馬車を動かした。ゆっくりと前進する馬車。ニタは無邪気に「ばいばーい」と手を振って馬車を見送る。クグレックも小さく手を振った。
 二人は馬車が小さく見えなくなるまで見送ろうと、手を振りながら馬車を見つめていたが、途端に馬車はキラキラとした7色の光を噴出させて、物凄いスピードで駆けて行った。きっと汽車と同じくらいのスピードが出ていたであろう。
 あっという間に小さくなって見えなくなった馬車に、ニタとクグレックはぽかんとしていた。
 2015_11_15


 クグレックの部屋よりも少し広い部屋に、マシアスがいた。
 マシアスは上半身が裸で、腹部は包帯でグルグル巻きにされていた。金髪はぼさぼさになっており獅子のようだったが、顔色もよく、元気そうだった。クグレックは少しだけ安心した。
 そしてもう一人。マシアスと同じような金髪の男性が、部屋に似つかわしくない金細工の豪勢な椅子に座って、ワイングラスを啜っている。マシアスよりは体格が華奢で、どこか気品が漂っている。髪はクグレックと同じくらいの長さのおかっぱであるが、しっかり手入れが成されているようで、艶があり絹糸のようにさらりと流れる髪だった。ワインを堪能しているらしく、彼はクグレックが入って来たことには気付いていないようだった。
 マシアスは、クグレックを見ると安心した表情を見せた。
「起きたか。具合は大丈夫か?」
 クグレックは、黙って頷き、マシアスを見つめた。あんなに腹から血を流していたというのに、ぴんぴんしているのはポルカで謝礼に貰ったという白魔女の薬のおかげだった。
「ピアノ商会では色々悪かったな。色々怖がらせてしまったようだ。」
 マシアスはカップに温かい紅茶を注いで、クグレックとニタに渡した。
 クグレックはカップを受け取り、口に含む。紅茶といえども、クグレックが今まで飲んできたものとは少々異なっていた。少しだけ酸味があるが、深みがあり、元気が出て来るような味だった。「で、話って?」
「お前のおかげでピアノ商会を潰すことが出来た。ありがとう。」
 クグレックはニタに目線を遣る。マシアスの言っていることが理解できないからだ。
 ニタは思い出したかのように話を始めた。
「クク、ニタはマシアスのことをちょっとだけ勘違いしてたみたい。あのピアノ商会って会社は戦争請負屋らしくて、戦争が起きれば大儲けする会社なんだって。武器とか物資を売ったり、時には社員を傭兵としても派遣しているらしい。」
「お前も見ただろう。ピアノ商会の武器庫や倉庫を。あれらは全部これから起こる戦争のための物資だ。」
 マシアスが付け加えた。
 クグレックはニタを探してピアノ商会を捜索した時に見た大量の木箱――中身は武器や防具、缶詰といった携帯食料のことを思い出した。あれらは全てこれから起こる戦争に使われる、ということなのだろう。
「リタルダンド共和国が、内紛にあったことは知ってるよね。一番悪い奴はその時の政治家だったんだけど、裏で暗躍していたのはピアノ商会だった。自分たちが利益を上げるために、言葉巧みに暴力を伴った戦争を起こしたんだ。それだけじゃない。奴らは希少種狩りを行う団体にも武器や狩るためのノウハウを売っていた。マシアスは、それを追っていたらしいよ。」
「そ、そう…。」
「ポルカにいたのも、ピアノ商会の社員を探すため。あの山賊達のボスはその社員のうちの一人だったらしい。」
「でも、どうして、あのポルカのボスと一緒に居たの?ボスは牢屋に入っていたんじゃないの?」
「それは、少し複雑な話になる。」
 マシアスがニタが説明しているところに割って入って来た。
「ポルカであの後、取り決めをしていたんだ。俺はどうしてもピアノ商会に辿り着かなければならなかったから、ピアノ商会の社員であるアイツの存在は大きかった。だから、アイツに選択させた。
1、俺に殺される。
2、このままリタルダンド警察に捕まり、豚箱へ行く。
3、ポルカでの任務は成功したことにする。」
「どういうこと?3の選択肢って…。」
「結局アイツは殺される運命だったんだ。ピアノ商会は、失敗を許さない。任務が遂行できない場合は、除名は未だ優しい方だが、死を持って償う場合もある。それでも、生き残る可能性は一つだけ。ポルカでは、実のところ、警察に突き出していない。」
「…でも、確かに、山賊達は警察に捕まったはず。この目で確かにみたもの。」
「あの警察隊は、俺の仲間だ。ボス以外の奴らは、しかるべき場所で正義の神判が成されているから安心してくれ。ちょっとクグレックには刺激が強い内容だけど。」
 横でニタがうんうんと頷く。ニタはすでにマシアスから話は聞いており、正義の神判の内容も知っていた。
「俺がポルカで得た報酬金を、全てアイツに渡して、アイツは何食わぬ顔でピアノ商会へ戻ることが出来た。その代わり、俺はあいつの口添えによってピアノ商会の社員として堂々と入ることが出来たんだ。それが、アイツが助かる唯一の条件で、アイツはまんまとその要求をのんでくれた。順調に事が進むだろうと思っていた矢先、お前たちの出現だ。エントランスで騒ぎ立ててる不審な二人組。新参者の俺はお前たちと何の関わりがあるのか、酷く疑われた。お前たちのせいで、信用が一気にがた落ちだ。だから、俺はお前たちと何の関わりもないことを示すために、お前たちの身売りを引き受けたんだ。希少種のペポと年頃の女は高く売れる。だから、手荒な真似にはなってしまったが、二人を監禁させてもらった。まぁ、疑われてはどうしようもないから、その日中に方をつけようと思っていたんだけどな。それから、お前たちを解放しようと思ってたが…。」
「ククが自力で逃げちゃった、というわけ。女の子に手荒な真似をするのは良くないってこった。」
 うんうんと頷きながら、ニタが言った。マシアスはばつの悪そうな表情をして頭をかいた。
 2015_11_14


**********

 クグレックはハッとして目を覚まし、上体を起こした。そして、きょろきょろと辺りを見回した。
 彼女が今いる場所は、あの悪趣味な剥製が立ち並んだ金の部屋ではなかった。暖炉で暖められたカントリー調の優しい部屋だった。ふんわりとしたベッドの上でクグレックは眠っていたらしい。
 クグレックは悪い夢でも見ていたのだろうか、と思った。
 ニタは檻に入れられてなんかいなかったし、マシアスもクグレックをかばって重傷を負わなかった。そもそもマシアスを見かけてすらなかった。
 と、思い込みたかったが、クグレックは今自分がいる場所の詳細が良く分からなかった。
 一体ニタはどこに行ったのか。
「ニタ…?」
 不安そうなか細い声でクグレックはニタを呼んだ。
「呼んだ?」
 クグレックの視界にぬっと出現したニタ。
 ふかふかの白い体毛がところどころ焦げているが、愛くるしいその姿がそこにいた。
「ニタ!」
 クグレックは嬉しくなってニタに抱き着いた。ニタも思わずクグレックに抱き着いた。二人はぎゅっとお互いを抱き合って、お互いの温もりを確かめ合う。
「クク、良かった。クク、あの後から丸一日寝てたんだよ!本当に良かった。」
「一日も!」
 クグレックは驚いてニタから手を離した。自身のぐうたらさに呆れてしまった。
 そして、あの後、とは一体いつのことなのか。クグレックはおそるおそるニタに尋ねてみた。
「ニタ、あの後って、一体…。」
「あの後、ってそりゃぁピアノ商会でクグレックがバチバチを放った後だよ。」
 何でそんなことを聞くのか理解できない様子で、ニタが答えた。
 ニタが言う“バチバチ”は良く分からないが、どうやら、ピアノ商会に行ったことは間違いないようだ。
「もう、大変だったんだからね。ニタが檻から出たら、マシアスは血を流して倒れているし、なんか知らない人達が沢山やって来るし、挙句の果てに、ピアノ商会も崩れちゃったし!」
「崩れた?」
 どうやら、あの悪趣味な部屋での出来事は現実であり、ニタも檻に入れられていたし、マシアスはクグレックをかばって重傷を負っていたのは間違いなかった。が、それ以上に、クグレックはピアノ商会が崩れた、ということが大きな衝撃であった。
「崩れたって、どういう意味?」
「そのまんまだよ。ククのバチバチがピアノ商会を破壊したんだ。」
「嘘…。」
 ニタの言う“バチバチ”が未だに理解できないが、本当にとんでもないことが起きていたのだ。
「じゃぁ、マシアスは無事なの?」
「うん。やって来た知らない人達はマシアスの仲間だった。ピアノ商会が崩落する前に、マシアスの仲間たちが、建物にいる人達を外に出してくれたから、えっと、とりあえず…全員命は無事だよ。」
 クグレックは自身が破壊したとされるピアノ商会で、誰かがその瓦礫の下敷きになって命を落としていないという事実に安堵した。ただ、命“は”無事だというニタの言葉に多少の引っ掛かりを感じたが。
「ククのことも、マシアスの仲間たちが運んでくれたよ。」
「そうなんだ…。」
「マシアス、今別の部屋にいるよ。銃に撃たれてるから、まだ安静にしてたんだ。ククが起きたら話をしたいって言ってたから、行こう。」
 ニタに手を引っ張られ、クグレックはマシアスの部屋に連れ込まれた。
 2015_11_11


「ばか。」
 クグレックは不意に頭をポンと掴まれた。ふと後ろ振り向くと、そこにはマシアスの姿があった。クグレックはマシアスに杖を向けた。
「こんな胡散臭いタヌキおやじのことを信じるのか、お前は。」
 マシアスは呆れたように言い放った。そして、マシアスは狸顔の男をまっすぐに睨み付けながら言葉を投げつけた。
「ランダムサンプリには話はつけている。お前さえいなければ、全て平穏に終わるだろう。クソダヌキめ。」
 微笑みを湛えていた狸顔の男の表情が歪んだ。
「まさか、ここ最近の全ての契約がキャンセルされたのは…。」
「…後はお前の首さえ献上すればすべては終わる。それがアリシアファミリアとの約束。」
「やはり、お前が元凶だったか。」
 狸顔の男はにやりと下品な笑みを浮かべるとニタの檻が置いてある机まで歩き、机の引き出しを漁った。
 クグレックは状況に着いて行けず、ただ状況を見守ることしかできなかった。
 狸顔の男は引き出しから、黒光りするL字型の筒状の武器を取り出した。これはクグレックが見た武器庫のガラスケースに入っていたものと一緒だ。クグレックはこの武器を見たことはなかったが、立派な拳銃である。狸顔の男は、銃口をクグレックに向けて構えた。そして、躊躇うことなく引き金を引く。
 バン、という鼓膜が破れてしまいそうなくらいの大きな音がしたかと思うと、クグレックは床に倒れていた。部屋に硝煙のにおいが広がる。
 クグレックの上にはマシアスが乗っかっていた。どうやらマシアスに押し倒されたらしい。
「魔女、お前の魔法であいつの持っている武器を奪い取れ…。そして、ペポがいる檻を開けるんだ。」
 マシアスの顔が苦痛に歪む。クグレックはお腹のあたりが濡れているのに気付いた。気付けば床には赤い液体が流れている――。
 クグレックははっと息をのんだ。この赤い液体は、血だ。大量の血が、マシアスの腹から流れているのだ。クグレックは全身から血の気が引くのを感じた。
「大丈夫、ポルカで白魔女の薬を貰ったから、大丈夫だ…。」
 と、マシアスは言うが、呼吸も荒く、脂汗も酷かった。クグレックは恐怖でパニックになりそうだった。マシアスはクグレックを安心させようとするかの如く「大丈夫だ。大した傷ではない。」と呟く。
 それでも、クグレックは流れている血を見て現実に引き戻される。
 マシアスは腹を抑えながら、クグレックの上から離れた。これ以上銃弾が当たらないようにチェストの陰に隠れる。
 クグレックは上体を起こした。が、床に流れるマシアスの血に呆然としていた。
 マシアスはそんなクグレックの様子を見て、表情を苦痛に歪めながら出せるだけ大きな声を出した。
「魔女、正気に戻れ。今お前がしっかりしないでどうする。このままだとお前も、ペポもあいつの銃にやられて死ぬぞ!」
 しかし、マシアスの声はクグレックに届かなかった。
 恐怖、自責の念、後悔、憎悪、無力感といった様々な負の感情に包まれたクグレックにマシアスの声など届かない。最早自らを失ったクグレックは、体をガタガタと震わせた。杖を握る力もなくなり、杖は床にかたんと落ちた。
 それと同時に、クグレックの目の前のマシアスも意識を失い、目を閉じた。
「まぁ、マシアスさえ消せれば問題はありませんが。どういうことでしょうねぇ。魔女のあなたも同じ目に遭わせたくなってきました。さぁ、出ておいで。忌々しい魔の力、ここで成敗してあげましょう。」
 狸顔の男の足音がクグレックに近付いて来る。彼の位置からだと、クグレックがいる場所はちょうど死角に当たっていた。
 クグレックは絶望に打ちひしがれ、しゃがみ込んで体をガタガタと震わせる。

――私が弱くて何もできないから、マシアスは死んじゃう。怖くて何もできないから、ニタも助けられない。こんな私、もう、居なくなればいいのに。もう、嫌だ。嫌だよ。

 バチバチとクグレックの周りに静電気が発生する。
 狸顔の男は、ただ事でない危険をクグレックから察知して、クグレックがいるであろう方向に銃を放つ。バンバンと銃声が二つ聞こえたが、銃弾はクグレックに当たらなかった。クグレックのすぐそばまで来ると、勢いを失くし、ぽとりと落ちた。クグレックの周りに放たれる静電気が銃弾の勢いを打消したのだ。更に残りの銃弾を全てクグレックに向かって撃つが、全てクグレックの周りの静電気に捕えられ、クグレックまで銃弾が届かない。弾を充填し、再びクグレックに向かって撃つが、何度やっても結果は同じだった。
「ひ、ひい!」
 静電気のエネルギーは次第に強くなり、狸顔の男に向かって電気がバチバチと光を伴ってうねる。
 クグレックの絶望は彼女の膨大な魔力を放出させる。暴走する彼女の魔力は、今や小さな雷光となり、狸顔の男を脅かすだけでなく、部屋の装飾物や家具を次々と破壊していった。
 そして、魔力の暴発はニタが囚われている檻へと至った。雷光が檻に触れると檻は爆発し、壊れた檻からは目覚めたニタがびっくりした様子で飛び出してきた。ふかふかの白い体毛がところどころ焦げている。
「え、え、何これ?」
 ニタは辺りをきょろきょろ見回す。そして「臭い!」といって鼻を押さえた。ニタは硝煙の臭いが嫌いなのだ。
 そばで雷光に怯える狸顔の男を見るとニタはなんとなくイラッとしたので、一発殴っておいた。ニタの勘が狸顔の男を悪だと感知したのだ。そのまま男は雷光に打たれ、その場に倒れ込んだ。かろうじて息はある状態だ。
 そして、しゃがんで一人震えるクグレックに気が付くと、ニタはすぐに駆けつけて行った。
「クク、クク、どうしたの?マシアスにやられたの?」
 ニタはクグレックを心配そうにのぞき込む。腹から血を流すマシアスも傍にいて、もうわけが分からない。
 クグレックの雷光はニタには効かなかった。雷光の真っただ中にいるが、ニタは平然としている。それは傍で気絶しているマシアスも同様だった。
 ニタは必死にクグレックに呼びかける。
「クク、ニタだよ。一体何があったの?怖いの?ニタが来たからもう大丈夫だよ。クク、クク…!」
 ニタの声はクグレックの抱える絶望の闇に吸い込まれていくだけだった。
 ニタは状況に当惑するが、物音を捉える力の強いニタの耳が、3階へと昇ってやって来る大勢の足音を察知した。
 何が来るのだろうか、と、ニタは臨戦態勢を取った。




 2015_11_08



 3階へ上がると、2階と同様廊下が続いていた。ドアは一つしかないがクグレックはボスはもっと奥にいるような気がした。扉を無視し廊下の奥へ進む。が、扉からは筋骨隆々で浅黒い肌をした男――ポルカで警察に突き出されたはずの山賊のリーダーが現れた。
「ラーニャ・レイリア!」
 クグレックはすぐさま物体移動の魔法を放ち、残族のリーダーを部屋に押し戻した。
 樫の杖が戻ってクグレックの魔法は絶好調だ。
 どん、と壁か何かにぶつかって、「ぐえ」とくぐもった声が部屋から聞こえてきたが、クグレックは無視した。そんなことよりもニタが心配だった。
 廊下を突き当りまで進んで行くと、右手側にも廊下が続いていた。その先にある扉は既に解放されており、杖を取り戻して無敵な気持ちでいるクグレックはそのまま部屋へ突入した。
「ニタ!」
 その部屋はなんとも悪趣味な部屋だった。壁は全て金で覆われていた。床は白いふかふかとした絨毯というよりかは何か巨大な動物の毛皮が敷かれている。壁際にはまるで生きているかのような姿の動物の剥製。雉の様な大きな鳥や狸、獅子といった動物だ。棚にはウサギの様な小動物が並べられていた。また、壁には武器庫で見た筒状のL字型の武器が飾られている。武器庫で見たものよりも、少々大きくて長く見えた。
 そして、部屋の中にいたのは金色のシルクハットをかぶり、金色のスーツを身に纏った狸顔の大きな男だった。でっぷりとして顔は脂ぎっており、金色のスーツがはちきれんばかりの体をしていた。
「やぁ、魔女のお嬢さん。ペポならそこでゆっくりと休んでいるよ。」
 ニタは金の机の上にある鉄の檻の中ですやすや眠っていた。まだ目が覚めていないようだ。鉄の檻はニタの身長の半分ほどの高さだった。1階の部屋にあった木の箱と同じくらいの大きさだった。
「可愛いねぇ。魔女のお嬢さん、このペポの子をお嬢さんに返すから、私からのお願いを聞いてくれないかな?」
 比較的優しい声で狸顔の男はクグレックに言った。男の指にはぎらぎらとした色とりどりの指輪が嵌められている。
「マシアスと呼ばれる男を殺してくれないかな。」
「殺す?」
「お嬢さん、そんな怖い顔をしないで。」
「マシアスは貴方たちの仲間じゃないんですか?」
「…いや、彼はちょっとやり過ぎたんだよ。そうだね、うん、マシアスはハンティングした希少種を高値で売りさばいてくれていたんだけど、そのうちのいくらかを横領していたんだよ。そしてその金を何に使っていたかというと、人外排出運動を行う団体に貢いでいたんだ。ピアノ商会は確かに希少種をハンティングしていたけれども、人外排出団体のように絶滅まで追い込むことはしない。私達の理念に反するんだよ。ハンティングはあくまでスポーツだ。一つの命に対して敬意を持って接するんだ。だから、絶滅に追い込むなんて野蛮な真似は出来ない。」
 優しい口調で語る狸顔の男。
 しかし、クグレックにはハンティングの崇高な理念は理解できなかった。ピアノ商会も人外排出団体も同じものだと感じていた。結局両方とも命を奪うのだから、同じことだ。
「だけど、それをやってしまう輩と関係を持っていたのがあのマシアスという男だ。私は彼を許せない。それに、私は絶滅したはずのペポを見て、思ったんだ。希少種、希少種でないからという理由で価値をつけるハンティングなどもうやめようと。こうやって一人生き残ったペポはどれほど辛い思いをしたのか。それを考えると、心が締め付けられるように苦しくなってね。もうこんな悲しいことはやめようと思ったよ。」
 希少種ハンターのボスは意外と良い人なのか、とクグレックは思い始めて来た。
「希少種ハンティングはもうやめるよ。私達は、全うに働いて、世間のために生きていこう。だから、魔女のお嬢さん、マシアスを殺してくれ。」
「それは…、私には出来ません…。でも、ニタを返してください。もしかすると、ニタならマシアスを懲らしめてくれるとおもいます。殺しはしませんが…。」
 狸顔の男はにっこりと微笑んだ。
「ふむ、じゃぁ、懲らしめる程度なら、魔女のお嬢さんには出来ないかな?懲らしめて、連れて来てくれればいいんだ。」
「…」
 クグレックは俯いた。魔法の力で誰かを傷つけてしまうことは、それこそ魔女の血が穢れてしまう行為だと思うからだ。クグレックは魔女であるが、忌み嫌われるべきは魔女の血であり、クグレック自身ではない。誰かを傷つけてしまったら、忌み嫌われても、もう言い訳をすることは出来ない。その行為は魔女の血をもつクグレック自身の行為になるのだから。
 2015_11_07


『ペポは3階のボスの部屋、お前の杖は2階の武器倉庫』
 クグレックはマシアスの言葉を思い出し、残りの3つの部屋を探すことに決めた。どこかに武器倉庫があるらしい。ひとまずまだ確認していない一番奥の部屋の扉を確認してみた。こちらもまた鍵がかかってなかったので、入ってみたが、この部屋は給湯室であり、また、トイレもあった。そして、なにか得体のしれない実験器具のようなものもあった。謎の部屋だが、マシアスの言う『武器倉庫』ではないのは確かだ。クグレックは早々に部屋を立ち去り、鍵開けの魔法を使った二つの部屋へ向かうため、廊下を戻っていく。
 ところが、階段の方から、ざわざわと人の声が聞こえる。
「なんか2階から変な音が聞こえたよな。」
「マシアスも戻って来ないし、なんかあったのか?」
「もしかして、1階の魔女が魔法を使って、脱出してたりして。」
「まさか、あんな小娘が、そんなことできるかよ。」
 男達の声にクグレックは驚いて、2個目の鍵が開いた部屋まで小走りでかけて行ったが、残念ながら、階段を降りて来た男のうちの一人に見られ、「あ、あの小娘!」と指を差された。
 クグレックはびっくりして思わず、魔法で開錠された部屋に駆け込み、内鍵を閉めた。部屋の中は真っ暗で何も見えない。
 すぐにドアが強い力で叩かれ、ドアノブも執拗にガチャガチャ回された。この光景をクグレックはどこかで見たことがあったが、あまり思い出したくはなかった。
 そんなことよりもクグレックはこの部屋が武器倉庫であることを願った。まだ確認できていないもう一つの部屋が武器倉庫ではありませんように、と祈りながら、クグレックは魔法で炎を灯す。
 炎の光に照らされて映し出されたのは、立ち並んだスチール製の棚だった。棚に近付いて見てみると、斧や槍、剣などが置いてある。どうやらここは武器倉庫で間違いなさそうだ。クグレックはほっと溜息をついた。
 だが、安心してはいられない。扉から聞こえる音はだんだん激しくなっており、外では男達が息を合わせて扉に体当たりをしようとしているところだ。扉は木製の扉のため、そのうち突入されるだろう。
 クグレックは自分の樫の杖を探した。
 棚を一つ一つ覗いてみるが、武器は見つからない。弓や矢、それからボーガンにハンマーといった武器も出て来る。どうしてこんなに沢山の武器があるのかは謎だった。奥まで行くと、ガラスのケースがあった。こちらには南京錠がかかっており、中を覗くとL字型をした筒のような武器複数個と一緒に、クグレックの樫の杖が入っていた。
 また鍵か、とクグレックは思いながら、木片を南京錠に当て、渾身の力を込めて開錠の魔法を唱える。そして、次に、ドアに向かって木片を構え、幻影の魔法をかけた。すぐに切れてしまうだろうが、武器倉庫にあるすべての武器がドアを開けた瞬間に飛んで来るという幻だ。僅かな足止めくらいになるだろう。
 クグレックは南京錠を引っ張って開くかどうか確認する。まだ開かない。
 入り口の扉は男達の体当たりを受けて極限までにしなる。次の衝撃で扉は壊れるだろう。
 南京錠はまだ開かない。
「せーの」という掛け声と共に、男達が扉に体当たりを加える。ドン、という音と共に、扉が破壊される。
 南京錠はまだ開かない。
 部屋に突入しようとした男達だが、武器庫の武器が全て自分たちに飛んで来るという幻を見て銘々に「うわー」と悲鳴を上げる。
 南京錠はまだ開かない。
 すべての武器庫の武器が飛んで行って、しばらく経つと、男達は自分たちが無傷であることに気付き、再び部屋に突入しようとする。
「おい、小娘、よくも騙してくれたな!危害は加えないから、こっちへ来い。」
「さっきの音はお前だな。一体何をしたんだ。」
 幻に騙されたことで、男達は慎重に部屋の奥へと入り込んで来た。
 だが、クグレックは振り向かない。南京錠の開錠に意識を集中していた。
 
 カチャリ。南京錠が開錠し、ぽとりと床に落ちた。
 
 クグレックは木片を投げ捨てた。
 少しだけ重たいガラスのケースを開けて、クグレックは自分の杖を取り出し、振り返って男達に向かって構える。
 そして、頼りない震えた声で叫んだ。
「こ、これ以上近付かないでください!どうなっても知りませんよ!」
 男達はたじろいだ。先程のような幻を見せられては堪らない。
「ラーニャ・レイリア!」
 と、クグレックが物体移動の呪文を唱えると、棚にあった斧や槍が男達へ向かって飛んで行った。男達はどうせ幻だろうと思って動かずにいたが、斧や槍は容赦なく飛んで来て男達の頬を掠めて後ろの壁に刺さった。
 刺さった斧のすぐ真横にいた男の頬からは切り傷が出来て、血がたらりと流れ落ちる。
「いや、これ、幻じゃねぇ。本物の斧が飛んで来たんだ。」
 クグレックは更に鞘から身を抜いた剣を数本浮かべて刃先を男達に向ける。
「つ、次は当てます…!」
 震える声でクグレックが言い放つと、剣は勢いよく男達を狙って飛んで行く。もう幻ではないと知った男達は寸前のところで襲い来る剣を交わし、剣は部屋を飛び出して廊下に突き刺さった。
 クグレックはほっと溜息を吐いた。間違ってもこの武器が誰かに当たって致命傷にでもなったら、クグレックの精神が崩壊していただろう。また、扉の前に立ちはだかっていた男が剣を交わして棚側に寄ったことで、扉への通り道が出来た。
 クグレックは「イエニス・レニート・ランテン・ランタン」と炎の呪文を唱えて炎の玉を出現させて、一人の男の頭上をかすめさせた。
 ジュッと焼ける音がすると、炎の玉がかすめた部分だけ、男の髪がちりちりに焦げていた。
「これ以上動いたら、火の玉が、よ、容赦なく貴方たちを、燃やします。」
 クグレックは自身の周りに炎の玉を5個ほど浮かばせた。炎の玉はまるで彗星のようにぐるぐるとクグレックの周りを飛び回る。これは本物ではない幻だが、一連の流れから、男達は本物だと信じ切っている。
 クグレックはそのまま炎の玉を自身の周りに配してまっすぐ入り口に向かって歩き出し、悠々と男達の横を通り過ぎて部屋を出た。そして、炎の玉を部屋のあちこちに飛ばしてぶつけると、火は壁や床に燃え広がった。武器庫内における火事は全てクグレックの幻だ。ポルカの時とは異なり、クグレックの魔力にはまだ余裕がある。しばらくは鮮明な火災の幻を見せて男達の足を止めることが出来るであろう。
 男達は慌てて炎を消そうと自分たちが着ていた服を脱いだり、給湯室から水を持って来たりして消火活動に当たった。クグレックはその隙をついて、3階へと上がって行った。
 
 2015_11_06


**********

 クグレックは2階に上がった。階段は更に3階へと続いているが、3階はおそらくニタとボスが潜んでいるはずなので、まずは2階からの探索だ。杖を取り戻さなければならない。2階は深紅の絨毯が敷かれた廊下が続いていた。突きあたりには油絵で描かれた花の絵が飾られていた。右手側には等間隔に4つの扉が並んでいた。
 クグレックは手当たり次第にすべての部屋を探そうと試みた。まずは一番近い部屋の扉を開けようとした。が、鍵がかかっていたので、クグレックは慣れた手つきで鍵開けの魔法を使った。鍵開けには時間がかかるので、隣の扉へ移った。隣の扉も鍵がかかっていたので、鍵開けの魔法を使って3番目の扉へ。ここは鍵がかかっていなかった。クグレックは扉に耳を当て、中にだれもいないかどうか確認した。呼吸音もうるさいので、息を止めて部屋の中の音に聞き耳を立てる。話し声や足音、物音は何も聞こえない。
 誰もいないということを確認して、クグレックは扉をゆっくりと開く。指1本分だけ開けると、部屋の中は灯りがついていたことが確認できた。誰かいるのかもしれない、と思ったが、クグレックはそのまま扉を開け、部屋の中に侵入した。
 灯りは付きっぱなしだったが、部屋には誰もいなかった。クグレックは念のため内鍵を閉めておいた。
 この部屋は誰かの部屋のようであった。書類が大量に入った棚と、チェストがあり、奥の方には2段ベッドが2セットあった。
 クグレックは杖がありそうな棚周辺を探してみたが、クグレックの求める杖は見つからなかった。
 その時、ガチャガチャと扉のドアノブを回す音がした。誰かが入ってくるかもしれない。
 クグレックはとっさに二段ベッドの布団の中に身を隠した。
 ガチャリ、と鍵が開く音がすると、ぎいと扉を開けて誰かが入って来た。
 足音は限りなくクグレックが隠れているベッドまで近付いて来る。この緊張感がクグレックの寿命を縮ませてはいないだろうかと不安になるほど、今日は心臓をバクバクさせている。
 入って来た誰かは、ベッドの傍で何かをかちゃかちゃと弄っている。そして、独り言を言い始めた。その声はクグレックが思うにマシアスであったが、様子が少しおかしい。
「俺だ。ハッシュだ。今転覆屋のアジトにいる。が、ちょっと邪魔が入って、今日中に潰すことになると思う。なるべく早くフォローをくれ。穏便に済ませたかったんだが。――ははは、まぁ、これで誤解が解けるのであれば、どうなったっていいさ。ランダムサンプリの方は既に懐柔できている。なにかあればこっちが支援することは伝えている。――あぁ、ちょっと時限爆弾みたいなもんだ。なるべく早く、頼む。じゃぁな。」
 誰かと一緒に居るのだろうか、とクグレックは思ったが、聞こえてくるのはマシアスの声だけだ。まるで会話でもしているかのような独り言だ。彼は一体何を潰すつもりでいるのだろうか。ニタのことだろうか。息を殺してベッドの中に潜むクグレックはとにかくマシアスが早くどこかに行ってくれないかということだけを考えていた。
 ところが、マシアスはため息を吐くと、気が抜けたように2段ベッドに腰を下ろしたのだった。残念ながら、そこはクグレックが隠れていたベッドで、クグレックがマシアスの尻の下敷きになることだけは免れた。しかし、その降ろした手は、不自然に盛り上がった布団に降ろされ、マシアスが違和感に気付くのに数秒もいらなかった。
 マシアスは、勢いよく布団を剥がした。そこには小さく丸まって小刻みに震える黒いローブを着た娘の姿があった。
 マシアスは心底驚いた様子で「大人しくしていろっていったじゃないか!どうやって出て来た!」と怒鳴りつけた。
 クグレックは心臓の動機がピークに達し、心臓麻痺で昇天してしまいそうな心地でいたが、ニタのことを思い出し、勢いよく体を起こして木片をマシアスに向けた。
「ニタと私の杖はどこ?」
 黒髪をぼさぼさにして、クグレックは涙目になりながらマシアスを睨み付ける。
 マシアスはため息を吐くも感心した様子で
「さすがは魔女。あんな暗くて狭い部屋に閉じ込められても活路を見いだせるんだな。ちょっと見くびっていた。注意すべきはあのペポだけではなかったか。」
と言った。呑気に感心するマシアスに反して、
「そんなことよりも、ニタと私の杖!」
と、強い語気のクグレック。彼女はパニック状態に陥っていた。怖気づく余裕もない。
「ペポは3階のボスの部屋。お前の杖は2階の武器倉庫。」
 マシアスが思いのほか素直にクグレックの問いに答えたことに、クグレックは拍子抜けした。あれ?と違和感を感じながら、マシアスを見つめる。暗い小部屋で許せずにいたマシアスは超極悪人として浮かび上がっていたはずなのに、目の前のマシアスはどこか優しい表情でいる。
「ペポはそろそろ目を覚ますだろう。今は鉄の檻にいるけどあいつのことだから、おそらく檻を破壊して脱獄するだろうな。」
 クグレックはマシアスの様子が思っていたものとは違っていたことに戸惑い、目を何度も瞬かせる。
「ここの奴ら位なら、ニタ一人でも倒せるだろうけど、だけど、魔女といえどもお前は関わらなくても良い。ペポのことは俺に任せて、もう少し寝ると良い。」
 マシアスは優しくクグレックを抱きしめる。初めて祖母以外の人に抱き締められたのだが、クグレックは鳥肌が立って背筋に悪寒が走った。クグレックはマシアスの胸を押してマシアスから離れようとするが、相手はニタを抑えることが出来る手練れだ。非力なクグレックではマシアスから離れることが出来なかった。
「やだ、離して!」
「兄貴からは女の子に手荒な真似はしちゃいけないって言われてるんだけど、やむを得ないんだ。」
 マシアスはクグレックの髪を流して、うなじをさらけ出した。そして、クグレックのうなじ付近に手をやり、何かを確認するようにさする。
「いや、やめて!私、ニタを助けなきゃ!」
 クグレックは、自分もニタのように一時的に意識を飛ばされることを察知し、抵抗した。だが、クグレックが何をしたとて、マシアスには何も効かない。
「いや!」
 クグレックは目を瞑り渾身の力を振り絞って叫んだ。
 すると、バチッという音と共に雷が落ちたかのように周囲が一瞬だけ白く光った。
 再びクグレックが目を開けると、マシアスは床の上で尻餅を着いて驚いている。
「お前、今、なにをした?」
 クグレックも突然の状況に驚いて、声を出せずにいた。呼吸を荒げて、額から汗がたらりと垂らしていた。
 クグレックは前にも同じような状況があったのを思い出した。 
 メイトーの森を抜ける前に出会った謎の紅髪の女がクグレックの首を絞め、殺そうとした時に、バチッと閃光と音がしたかと思うと紅髪の女はクグレックから離れて腰を抜かしていたことがあった。クグレックの強い拒絶の力が、魔力と相俟って暴発してしまったのか。それは良く分からない。
「…眠らされるのは、俺の、ほうだったか…。」
 マシアスはそう呟くと、そのまま倒れて横になり意識を失った。
 クグレックは思わずマシアスに駆け寄り、状態を確認した。
 きちんと心臓は動いており、呼吸もしているし、体温もある。
 クグレックはほっと安心して、かけ布団をマシアスにかけて、そっと部屋を出て行った。
 2015_11_04


 廊下は人気がなかった。部屋を出て左手側には階段がある。また、小部屋の隣にも部屋があるようだったが、鍵がかかっていた。鍵開けの魔法をかけておいて、再び訪れることにした。
 クグレックは、鍵開けが出来てしまう自身に少なからずも罪悪感を覚えていた。泥棒のような真似をしている気分になり、自身の将来の行く末を案じた。しかし、今はニタが捕まってしまって緊急事態なのである。
「こんな泥棒みたいなことをするのは、今回だけ。」
 と呟き、自分に言い聞かせて、クグレックは1階の探索を続けた。
 1階は全く人気がない。小部屋から右手側に向かうと、開けた空間にでた。エントランスホールだ。来客を迎えるための受付のカウンターがあり、傍らに待機用の複数人掛けのソファもある。だが、カウンターには埃がたまっており、受付内には荷物が散乱している。ここ数日のうちにに受付嬢がいたような形跡はなかった。
 受付ホールのすぐそばには扉が二つあった。一つは男女のマークがついた扉、もう一つは特に何もついていない普通の扉。
 前者はおそらくトイレであろうことはクグレックにも容易に想像できた。後者は良く分からなかったので、クグレックは扉を開けることにした。扉には鍵がかかっておらず、簡単に開いた。
 部屋の中は暗かったので、クグレックは魔法で灯りを灯した。木片が杖の代わりになったので、杖がない時よりは明るい炎を出すことが出来た。部屋には木製のローテーブルがあり、エントランスホールにあったソファよりも豪華で立派なソファが向かい合わせで配置されていた。
 床は絨毯張りになっており、壁には動物の頭だけの剥製が並んでいた。クグレックには希少種が何かは分からなかったが、おそらく希少種ハンターが狩ったであろう動物たちなのだろう。
「ニタ、いる?」
 クグレックの呼びかけにあの可愛らしい子供のような声は聞こえてこなかった。
 まだ意識が飛んでて返事が出来ない状態である可能性も考慮して、クグレックは部屋の中を一通り探してみたが、白い子熊のぬいぐるみの様なあの子はいなかった。
 部屋を出て、ついでにトイレも探してみたが、ニタの姿は見えなかった。
 ニタの安否を心配しながら、クグレックは先ほど鍵開けの魔法をかけた扉へ戻った。鍵開けの魔法は成功しており、扉は難なく開いた。
 こちらの部屋も灯りがついてなかったので、クグレックは再び魔法で灯りを灯した。部屋は、小部屋の倍広く、クグレックが幽閉されていた小部屋にあった木箱と同じ木箱が大量に積まれていた。この部屋には木箱以外の物は見当たらなかった。
 もしかすると、ニタはこの木箱の中に閉じ込められているかもしれない、とクグレックは考えたが、目の前の山のように積まれた木箱を見て、ため息を吐いた。木箱の数は先ほどの小部屋にあったものよりも数倍はある。重さもあるので、非力なクグレックにはなかなか重労働だった。
 だが、弱気になっていられない、とクグレックは奮起して、木箱開けに取り掛かろうと手にしていた木片を掲げた。
 今の彼女には、物体移動の魔法がある。魔法の力を使えば、重い荷物も簡単に動かすことが出来てしまう。
「ラーニャ・レイリア!」
 木箱に向かって呪文を唱えたクグレックだったが、やはり木片の杖では魔法がうまく使えなかった。1ミリほど動かすのに、木箱の重い蓋を開けるのと同じくらいの力が必要だった。
 魔法にばかり頼るのも良くないな、とクグレックは痛切に感じ入り、袖をまくって木箱開けに取り掛かることにした。
 と、その時だった。ピアノ商会の正面入り口側からバタンとドアが閉じる音がした。そして、男性が喋る声が聞こえてくる。
 クグレックは緊張した。もし見つかったら大変なことになってしまう。絶対に物音立てずに、かつ外で男達がどんな話をしているのか気になって、そっと壁際まで歩いて聞き耳を立ててみた。
「いやぁ、今日も寒いな。
「本当に。リタルダンドは雪は少ないが風が冷たいんだよな。」
「なんでここにアジトを構えちゃったのかねぇ。そういや、あの新入り、絶滅したとされるペポを捕えたって。」
「へぇ、あのペポを。」
「しばらくはボスのお気に入りになるだろうな。」
「ま、すぐに飽きられて、コレクターに売られるだろうけどな。」
「ははは。ま、ボスに報告がてら、ペポでも観に行くか。」
 男達の声はクグレックがいる部屋に近づいて来た。クグレックの心臓は破裂寸前まで高鳴った。見つかったらどうしよう、という緊張感と恐怖にクグレックは暑くもないのに汗が大量に出て来た。
 が、男達の声は次第に遠ざかって行った。階段を上がって2階へ行ったようだ。クグレックはほっと安堵のため息を吐いた。
 そして、ニタの手がかりもつかめた。
 男達の話によると、ニタはこの部屋にはいないようだ。この大量の木箱を開けないで済む、ということが分かり、安心した。
 だが、ニタが捕えられたままなのは変わらない。おそらくニタはボスの部屋にいるということなので、クグレックは2階へ上がることを決意した。
 ただ、この杖代わりの木片では、いざ誰かに見つかった時に身を守る術が心許なく不安だ。いつもの樫の杖さえあれば魔法の力クグレックを助けてくれる。ニタ救出の前に、何としてでも樫の杖を取り戻さなければならない。
 マルトの村では忌み嫌われていた、クグレックの大嫌いだった魔女の力が、今やクグレックが前に進んで行くに当たって大切な力となっていた。



 2015_11_03


**********

 クグレックは暗い部屋で一人、後悔していた。
 マシアスにピアノ商会に連れて来られ、クグレックは1階にある木箱が沢山積まれた小さな部屋に案内された。「ここで少し大人しくしていてくれ。」と言われて、マシアスに外から鍵をかけられ、まんまと閉じ込められたのだった。
 ニタと杖はマシアスの元にあるので、クグレックは何も出来ない。最初からニタの言うことを信じて、マシアスに対してもっと警戒心を持つべきだった、と悔やむしかなかった。
 もしここがニタの言う通り、希少種ハンターのアジトだとするならば、既に絶滅したとされる希少種であるニタの身が非常に危険である。クグレックは何としてでもこの部屋から出たいと思うが、杖を奪われては成す統べもない。杖がなくても魔法は使えることは使えるが、いつもの効果を発しない。
 クグレックは掌を天に掲げて「イエニス・レニート・ランテン・ランタン」と呪文を唱えてみた。クグレックの手のひらで蝋燭の炎くらいに小さな炎が灯される。杖がなければこんなにも効果が弱くなる。
 ただ、こんな小さな炎でも灯りの無い真っ暗な部屋では周囲を照らす光となった。木箱しかないのは知っていたが、その箱の中に何か杖の代わりになる物はないか探してみることにした。片手で木箱の封を開け、箱の蓋を開ける。片手では持ち上がりそうもなかったので、いったん火を消して両手で蓋を開ける。そして、再び小さな火を魔法で出して、木箱の中身を照らした。
 箱の中には缶詰が沢山入っていた。魚や肉、スープなどの缶詰である。非常食として利用しているのだろうか。ここはピアノ商会という場所だから、取り寄せた商品かもしれない。クグレックは別の木箱も確認してみた。すると、別の木箱には衣服が沢山入っていた。全て男性物の衣服だ。さらに別の木箱を開けてみると、その中には武器が沢山入っていた。主にサーベル型の剣が入っている。また、その剣を運ぶためのベルトも沢山入っていた。
 あいにく剣は杖の代わりにはならない。クグレックは別の木箱を漁ってみたが、杖の代わりになる様な物は見つからなかった。
 他にも兜や防具といったものが木箱の中に大量に入っており、小部屋は積んであったものを降ろした木箱で一杯になっていた。
 クグレックは呆然と立ち尽くした。
 こうしている間にも、無抵抗のニタをマシアス達が虐げているかもしれない。
 そう考えると、クグレックはいてもたってもいられない気持ちになったが、杖もない魔女はただの女の子。今のクグレックにはどうする術もない。
 クグレックはヘタリとその場に座り込み、祖母の形見のペンダントをローブの下から取り出した。革紐の先には黒瑪瑙が結ばれている。吸い込まれるような漆黒に輝く石。クグレックはこの石のすべすべした手触りが好きだった。
 このペンダントは魔除けのお守りだと祖母が言っていた。だが、お守りなんて所詮はお守り。お守りがクグレックを守ってくれることはないだろうと思っていた。むしろ守ってほしいのはクグレック自身よりもニタだった。
 クグレックは黒瑪瑙をぎゅっと握りしめ、ただひたすらにニタの無事を祈った。
 その時、クグレックはふと何かを思いつき、再び小さな炎を掌に灯し、木箱を漁り始めた。サーベルが入っていた木箱から、サーベルを一本取り出し、その鞘から白銀に光る刀身を剥き出した。クグレックには剣は重たかったので、片手で持つことは出来なかった。炎を消し、両手で剣を握り、おもむろに木箱の蓋に刃先を叩きつける。ガン、ガンと何度も叩きつけるうちに蓋は割れた。更に叩きつけ、クグレックは木箱の蓋を破壊する。そして木箱はただのバラバラの木片と成り果てた。
 クグレックは「ふう」とため息を吐き、剣を鞘に戻して元の木箱にしまうと、額から伝い落ちてくる汗を拭った。
 再び掌に小さな炎を灯し、バラバラの木片を照らす。太すぎず、細すぎず、小さすぎず、大きすぎず、短すぎない木片を吟味すると、クグレックはそれを手に取った。何度か素振りをしてみて、彼女的にしっくり来たので、クグレックは扉に向かって杖を向けた。
 左手のひらの炎を消し、クグレックは木片に力を込め、集中する。
「アディマ・デプクト・バッキアム」
 と、クグレックは呪文を唱えると、木片の先から靄のような白い光が発せられ、扉に向かってゆっくりと浮遊して行った。
 光は扉をすり抜けていった。
 何の反応も起きず、クグレックは失敗したのかとがっくりとしたが、5分後くらいににカチャリと錠前が回る音が聞こえた。
「出来た。」
 クグレックは思わず小さく声を上げた。鍵開けの魔法が成功したのだ。杖の代わりのただの木片を媒介にしての魔法だったので、鍵開けの効果が出るまでには少し時間がかかってしまったが。以前もスプーンの柄を媒介にして魔法を使ったことがある。
 鍵開けの魔法はクグレックはあまり使ったことがなかった。祖母の部屋にあった魔導書を読んで鍵開けの魔法を覚え、鍵開けの魔法を使ったが、祖母にばれてしまった。それ以降祖母がクグレックから隠したい物に関しては、全て鍵開けの対抗魔法がかかってしまい、クグレックの鍵開け魔法は効果を発揮することはなくなってしまった。
 クグレックは、ちょうどいい大きさの木片を持ち出し、ゆっくりと扉を開けた。廊下には既に灯りが灯されており、数時間ぶりの光はクグレックにとって少しだけ眩しかった。

 2015_11_01



**********

 ピアノ商会から近いところに、二人は宿屋を取った。朝食と夕食がついてなかなかのお値段だったが、二人はこれまで野宿を取ったり、ポルカではニルヴァ防衛の功績が称えられて宿泊費、食事代がタダになったりしていたので、お金に関しては余裕があった。
 夕食に関しては、ポルカの食事の方が美味しかったが、野宿でニタが調達してくる野性味あふれる食事よりは全然美味しかった。

 翌日、二人はピアノ商会へ向かった。
 ニタはこのまま突入しようと提案したが、クグレックが必死に危険性を説得して、突入することだけは避けられた。
 その代わり、ピアノ商会の向かいにあるカフェのテラス席で、様子を伺うこととなった。暦の上では既に冬となり、ドルセード程ではないが肌寒い。メイトーから受け取った荷物の中には薄手のケープが入っていたので、二人はそれを着て張り込みを行った。
 のんきにパンケーキを頬張りながら、ピアノ商会を見張る二人。
 午前中は全く人の出入りはなかったが、正午を過ぎてから、人が出入りするようになった。そして、日が大分傾いてきたころ、ニタ達が探し求める人物がピアノ商会から出て来た。金髪のオールバックで服装は何の変哲もないアッチェレの男性の服装の一人の男性。
「マシアスだ!」
「きっと別人だよ。」
 そもそもポルカで出会ったマシアスは、砂漠の国の民の衣装を身に纏っており、露出が異常に少なかった。頭はターバンで覆われて、髪の色も分からなかったし、顔も山賊退治の時は布で隠されていたので、表情も良く分からなかった。クグレックとニタの中に残るマシアスの印象は冷たい水色の瞳だったが、それだけでは個人を特定するのは難しい。
 マシアスと思しき人物がどこへ行くのか、と二人は見張る。彼は道路を横断し、こちらに向かってくる。二人は表情を強張らせた。
 マシアスの影がニタとクグレックに重なる。
「何をしてるんだ。お前たち。」
 まさに声もマシアスそのものだった。
 逆光で表情は良く分からないが、水色の瞳が二人を見下ろす。
「やっぱり、お前はマシアス!」
 ニタが指を指して叫んだ。マシアスは少し焦った様子でニタの口を自分の手で押さえつけた。
「騒ぐな。静かにしろ。」
 ニタは口をふさがれてもなお、何かしら喚いてる。
「一体、どうしてこんなところにいるんですか?」
 ニタがもごもご言っているのを無視してクグレックが尋ねる。マシアスは口を押えられて暴れるニタをいなしながら、
「その言葉、そっくりそのまま返したいよ。お前たちのせいで、ちょっと困った状態にあるんだ。悪いようにはしないから、ちょっと来てくれないか?」
と、答えた。
「来てくれないか、って、どこへ?」
 クグレックの問いに、マシアスはちらりとピアノ商会に顔を向ける。そして、すぐにニタをいなす。
「…それって、どういうことですか?」
「詳しいことは、後で。とにかく、お前たちの安全だけは絶対に約束するから。」
 そう言いながら、マシアスはニタの首根っこに手刀を入れると、ニタは一瞬にしてぐったりと大人しくなった。
 クグレックはびっくりして口に手を当て、悲鳴が出そうになるのを我慢した。そんなクグレックがびっくりしている間に、マシアスはカフェの会計を済ませ、右手でニタを担いでピアノ商会に向かう。
 クグレックは、魔法で応戦しようと杖を取ろうとしたが、その手は宙を掴んだ。きょろきょろと辺りを見回すと、目の前のマシアスの左手にはクグレックの杖が握られていた。あの樫の杖はクグレックの祖母から譲り受けた形見でもある。
 クグレックが顔を真っ青にして立ち尽くしていると、マシアスは振り返り、
「だから、悪いようにはしない。お前のお友達を連れて行かれたくないのならば、ついて来い。」
と言って、左手の杖を掲げた。
(何が悪いようにしない、だ。ニタをあんな目に遭わせた挙句、私の杖を奪うなんて!確かにマシアスはニタの言う通り希少種ハンターの仲間だった!)
 とクグレックは心の中で怒るのだが、ニタと形見の杖を人質に取られては何もできない。クグレックはマシアスの背中を睨み付けながら、後を着いて行った。
 2015_10_29



 クグレックとニタはリタルダンド共和国の首都アッチェレに到着した。ポルカの村を降りた麓の村から、首都までの定期馬車が出ていたので、それに乗り、1週間かけてやってきた。都会の風景は、クグレックに地面を見る隙を与えない。隙間なく煉瓦造りのアパートメントが立ち並ぶ。
 建築途中の建物がちらほら見受けられるが、比較的新しいレンガ造りの建物が多く立ち並ぶこの都市は、かつての政変が非常に過酷な状況であったことと、その後の統治者による復興が良く進められていることを表していた。
 また、建物だけでなく道も綺麗に整備されている。綺麗に石畳が並べられた道路の傍には花壇が作られ、葉牡丹と葉がわずかにしか残っていない枯れた街路樹が植えられていた。
 のんびりとアッチェレ市街地を歩いていた二人だったが、次第に日が傾いて薄暗くなり、街灯にも灯りがつけられていくようになった。
 そろそろ休む場所を確保しなければならないので、宿屋を探して道を歩いていると、ふとニタが「あ」と声を上げた。宿屋の看板を探して辺りをきょろきょろ見回していたクグレックはその声に立ち止り、ニタを見た。
 ニタは白いふかふかの毛を全身逆立たせ、通りの向こうの人物を見つめていた。
 時刻は黄昏時。向こうの通りは未だ街灯が点いていないので、クグレックにはどんな人物なのか判別できなかった。男性が二人歩いていることしか分からなかった。
 ニタは身体能力が高い。おそらく、その視力も人間以上のものを持つのだろう。
 クグレックはどうしたのか、ニタに尋ねてみた。
「一体どうしたの?」
「ククは分からないの?」
 ニタが信じられないというような口調で言った。
「あいつら、ニルヴァを狙った山賊のボスと…」
「え、警察に捕まって、裁判にかけられたんじゃなかったの?」
 ニタはクグレックの問いを無視して、目をこすってもう一度通り向こうの男性を見た。
「そんなことより、もう一人は、マシアスだよ。どういうこと?」
「え、マシアスさん?」
 クグレックも驚いて、目を細めながら通り向こうの男達を見た。
 確かに一人は筋骨隆々で浅黒い肌をしている。山賊のボスと言われれば、確かにそうである。
 だが、その傍の同じくらいの身長のオールバックの金髪の男性はクグレックは見たことがない。ニタ曰く、彼がマシアスだということになるのだが。
「あの水色の目。ニタは覚えている。」
 こんな距離からでも識別できてしまうニタの視力に驚きながらも、クグレックはその言葉を信じ切れずにいた。何故ならマシアスはポルカで共に山賊退治をした仲間なのだ。そんな人物が、なぜ敵であった山賊のボスと一緒にいるのか。
「ニタ、ニタの目が良いことは凄いと思う。でも、マシアスさんは味方だよ。なんで山賊のボスなんかと一緒に居るの?それに、水色の目を持った人なんて沢山いるじゃない。」
 クグレックの故郷であるマルトの住民は鳶色の瞳の人が多かったが、その国の首都から来る偉い役人や騎士は青い瞳の者が多かったことをクグレックは覚えていた。
「いや、あいつはマシアスだ。きっと。ちょっと後を追ってみよう。」
「えぇ、やめようよ。」
 クグレックの静止も聞かずに、ニタは二人の追跡を開始する。クグレックは仕方なくニタの後を着いて行った。クグレックはそろそろお腹もすいて来たし、足も疲れて来たので休みたかったが、言葉には出さなかった。
 しばらくつけていくと、男二人は大きな煉瓦造りのアパートメントに入って行った。正面にドアが付いた形の3階建てのアパートメントだった。ドア上部には「ピアノ商会」と書かれた真鍮の表札が掲げられていた。
「ここは商業事務所みたいだね。」
 クグレックが言った。辺りには闇が迫っているが、街灯の灯りが点いていたので、クグレックでも『ピアノ商会』は認識することが出来た。
「うん。きっと、希少種ハンターのアジトだ。そもそもマシアスはグルだったんだ。マシアスはポルカの村から仕入れた情報を仲間の希少種ハンターに流してた。おかしいと思ったんだ。なんでニルヴァ防衛班はククを含めた4人だけだったのかって。防衛班にニタが行ったって良かったはず。アイツ一人でも山賊の8人くらい相手に出来たはずなのに。防衛班を手薄にして、残りの山賊に狙わせたのもマシアスだったんだって、ニタは思ってるよ。」
「そんな。マシアスさんは私達を助けてくれたじゃない。山賊のボスにとどめを刺したのはマシアスさんだよ。なにより、マシアスさんだって、私のせいで怪我を負ってるんだよ。きっとあの人はマシアスさんに似た別の人だよ。」
「いや、絶対マシアスだ。」
 ニタは全く折れる様子はない。ニタの頑固さにクグレックは呆れながら、ため息を吐いた。
「もう、じゃぁ、マシアスさんってことにしていいから、早く宿屋を見つけてご飯でも食べよう。」
「いや、これから突入する!」
 ニタはクグレックの話を聞かずに、ドアの取っ手に手をかけガチャガチャさせた。
 クグレックはため息を吐いた。
 そして、手に持っていた杖を構えると「ラーニャ・レイリア」と唱えると、ニタはそのままの格好でドアから遠ざけられた。クグレックは物体移動の魔法を使ったのだ。
「ちょっと、クク!ニタは希少種ハンターのアジトをぶっ潰さないといけないの!魔法を解いてよ!」
 ニタは手足をバタバタさせながらクグレックの魔法に抵抗する。
「…ここがアジトって分かったなら、明日でも良いと思う。今日は諦めて、ご飯食べて休んでからにしようよ。」
「嫌だ!」
 クグレックの魔法のため動けないニタは、まるで子供のようにその場で地団太を踏んだ。が、ふとした瞬間にそのふかふかした白くて丸いお腹から「ぐううう」と大きな唸りが発せられると、ニタは瞬時に大人しくなった。
「ククの言う通りだ。お腹空いたし、早く宿を探そう。」
「うん。」
 クグレックはにっこりと微笑んだ。

 2015_10_26


**********
 
 ニタとクグレックはニルヴァを山賊から守ってくれた恩人と言うことで、村から丁重に扱われた。
 殺されにやって来たニルヴァを殺したら、しっかりと捌いて食べることがポルカの慣習のため、伝統的なニルヴァ料理を出された。クグレックはなんとも言えない気持ちになり、なかなか食欲が沸かなかったが、ニタは美味い美味いと言ってむしゃむしゃ食べた。ニルヴァの肉は滋養強壮に良いらしい。
 上級ハンターのマシアスもおもてなしをされるべき人物だったのだが、マシアスはおもてなしには参加せず、静養の後、翌々日には村を出発した。

 それから1週間後。
 ニタの怪我が完治したので、クグレックとニタはポルカの村を出発した。
 向かう場所はリタルダント共和国の首都アッチェレ。
 アルトフールの情報を得るために首都アッチェレに向かう。少しでも人が集まるところに行けば、何かしらの情報を得ることが出来る、と考えたのだ。
 ポルカの村人達からの盛大な見送りを受け、二人の旅は再開した。
 
 青空が澄み渡る高原の道を、ニタはローブに身を包むことなくありのままの状態で大きな荷物を背負い、元気な様子で下って行った。クグレックはそんなニタの後ろを嬉しそうに着いて行った。一人ぼっちと一人ぼっちは、ようやく本当にお互いを信じ合うことが出来たらしい。


 2015_09_29



「クク…」
 ニタは目の前の少女の成長に、唖然とするしかなかった。絶望の淵で死にたがって女の子はどこに行ったのだろう。
 涙を流しながらもなお笑顔でいられる術をどこで身に付けたのだろうか。
 ニタは、憎しみに包まれ正気を失った結果、多くの人間を殺した。その中にはペポを狙った者ではない人も含まれていた。つまりただの善良なる一般人。そのためニタは多くの人間に追われたのだ。辿り着いたメイトーの森で、ニタはその事実をメイトーから聞かされた。
 自身もニタが思う残酷なニンゲンと同じ存在であるということを。ニタと同じ思いをしたニンゲンが間違いなく存在するということを。
 メイトーの森に到着した当初は、燃え盛るペポの森や殺される仲間、殺したニンゲンがフラッシュバックしてしまい、何度も精神不安定になっていた。その度にメイトーがニタを落ち着かせた。さらに、当時のニタにとって心強い存在がクグレックの祖母であるエレンだった。魔女エレンがニタの傷付いた心を魔法と、その優しさで癒したのだ。精神力がずば抜けて強いニタではあるが、その両名の存在があったからこそ、ニタが今のニタに戻った所以である。
 ただし、ニタに残る罪の記憶だけは消せないままだった。
 故郷と仲間を守り切れなかったこと。その手で多くの命を殺めてしまったこと。
 魔女エレンは、度々クグレックのことを話していた。彼女は自分以外の存在から愛されることなく生きて来たこと。世界に対する興味を持つことなく生きて来たこと。強大過ぎる魔女の力を持つことで、災厄が降りかかりやすいこと。優しく育った彼女に、生きることの喜びを感じてもらうことが、魔女エレンの望みだった。
 無論ニタはその当時クグレックと面識はなかったが、世話になった魔女エレンの望みを叶えることが出来たら、恩を返すことが出来るのだろうか、と密かに思っていた。
 魔女エレンが死んで、ニタも悲しかった。だが、それはニタにとっての転機だった。
 エレンは、クグレックをニタに託したのだ。

――アルトフールという土地に行けば、災厄からクグレックを守ることが出来る。だから、一緒に着いて行ってあげて。

 ニタは決意したのだ。
 生きることを。
 安易かもしれないが、クグレックという一人の可哀相な少女を守り、世界の色を見せて、幸せや喜びを知ってもらうことが、ニタの持つ罪を浄化してくれると信じたかった。だから、ニタはクグレックを見守り続ける理由がある。
 だから、目の前の可哀相な少女の成長が、ニタは嬉しくて仕方なかった。
 彼女には、もっと、もっともっとさまざまな感情を知って欲しかったのだから。
 どう頑張っても希少種を狙うような残酷なニンゲンは許すことは出来ないが、ニタも変わらなければ。自分の弱さに落ち込んでいられない。

「何、泣いてんの?」
 ニタは涙を流しながらもにやにやしながら、クグレックに言った。 
「ニタこそ。」
 クグレックも同様に涙を流しながら、負けじと言い返した。クグレックは涙だけにとどまらず鼻水も垂れて来ていた。
「違うし、コレ涙じゃないし。ただの汗だし。」
「じゃぁ、私も汗。」
「鼻水垂らして汚いの。」
「ニタだって!」
 気が付けば、ニタも鼻水が出て来ていた。
「うるさい!」
 そう言って、ニタはクグレックに抱き着き、クグレックが着ていた寝巻で自身の顔を流れる液体を拭った。
「やだ、ニタ、汚い!」
 クグレックは信じられない、というような表情を浮かべて叫んだ。
 ニタを剥がそうとするが、非力なクグレックではニタを動かすことが出来なかった。ニタはぎゅっとクグレックに抱き着いている。
 困り果てたクグレックだったが、ふるふると震え、グズグズと鼻を啜っているニタの様子を見て表情を和らげた。
 そして、ニタの頭を優しく撫でた。
「ニタ、今度、またこういうことがあったら、私、全力でニタのサポートをするから。今度はしっかり頑張るから。もし、ニタが暴走するようなことがあったら、ちゃんと止める。ニタの苦しみ、私も背負う。だから、全部一人で何とかしようなんて思わなくたって、いい。私を信じて。トモダチって、そうやって助け合うものなんでしょう。」
 鼻水を着けられて少々ばっちいが、ニタの体温がクグレックにはとても暖かく感じられた。
 こうやってクグレックが誰かの体温を感じたのはいつぶりだろう。
 懐かしい暖かさだ。
 クグレックの体に顔を埋めながら、ニタが何かを叫んでいる。
「…ククのくせに。ククのくせにっ。」
 しゃくりあげながら、ニタは何かを叫び続ける。クグレックは耳を立ててその声に集中した。
「君は今まで友達もいない世間知らずの娘だったのに。死にたがってたどうしようもない子だったのに。どうしてそんなことを言えるようになったのさ?わーん。」
 ニタはもはや開き直ったのか、大声をあげてワンワン泣き出した。
 クグレックはにっこりと微笑んで、ニタを抱きしめた。
 マルトの村にいた頃、クグレックが外に出て、村の子供達にいじめられて泣きながら家に帰ってきた時、祖母はこうやって優しくクグレックのことを抱きしめてくれた。そして、「おばあちゃんはクグレックのこと、大好きだよ。だから泣くのはおやめ。」と言ってくれた。
 だからクグレックはニタのことをぎゅっと抱きしめながら
「だって、ニタのこと好きだもの。」
 と、優しく言った。

 ニタはクグレックの腕の中でますます激しく泣き喚いた。



 2015_09_28


**********

 翌日。
 クグレックが目覚めた時には、既にニタは目覚めていた。
「あ、起きたね。おはよう。」
 クグレックは寝ぼけ眼をこすりながら、かすれた声で「おはよう」と答えた。
 ニタはクグレックの枕元に座っていた。何をするわけではなく大人しく座っている。
「ニタ…、あの、大丈夫?マシアスさんがニタのこと気を失わせちゃって…」
 クグレックは恐る恐るニタに声をかけた。
「うん。だいじょぶ。それより…」
 ニタは無表情のまま押し黙った。可愛い瑠璃色の瞳に影が差す。
「クク、ごめん。なんか、ニタ、頭に血が昇っちゃって、色々我慢できなくなっちゃってた。」
 クグレックは、そっとニタの頬に手を触れる。ふかふかの頬毛が心地良い。
「別に、ニタは何も悪いことしてないよ。」
 と、クグレックに言われてニタはしゅんとした表情になった。
「むしろ、私が山賊のボスに捕まっちゃったから、皆を危険な目に遭わせちゃって…。」
 ニタの頬毛を撫でながら、力なく微笑してクグレックが言った。ニタは俯いてクグレックと目を合わそうとしなかった。
「ニタが、弱いから、ククを守ることが出来なかった。全部、ニタの弱さのせいだよ。」
「そんなことないよ。ニタはいつでも強いよ。弱いのは私。体力もないし、魔女なのに、魔法も大して使えないし。」
 ニタは恐る恐る顔をあげ、申し訳なさそうな表情でクグレックを見た。
「…そうだけど…。」
 ニタはしゅんとした表情で俯く。ネガティブ発言を否定されなかったクグレックは少しだけ傷付いた。
「それでも、ニタはククを守ってあげなきゃいけなかった…。ニタは強くないといけないんだ。」
「ニタ…。」
 クグレックはニタがここまで強さに固執する理由は良く分からなかった。ここまで病的なこだわりを見せるのは一体何故なのだろうかと思ったクグレックは、思い切ってニタに聞いてみることにした。
「ニタはどうしてそんなに強さにこだわるの?」
 ニタからは返答はなかった。が、しばらくすると、ニタはぽつりと呟いた。
「クク、ニタの故郷や仲間たちは、全部ニンゲンに燃やし尽くされた、って話したよね。」
「うん。」
「その時、ニタは力が足りなかったから、仲間も、故郷も守ることが出来なかった。もう二度と、あんな思いはしたくないから、ニタは強くなろうと決心したんだ。大切な存在を守ろうと。だから強さにこだわるの。」
 ニタは大きくため息を吐いてがくりと肩を落とす。
「メイトー様が、言ってたんだ。何かを守りたいなら、怒りに身を任せてはいけないって。それなのに全然だめだった。ニタってば怒りで我を忘れちゃったよ…。」
 クグレックは野生の肉食動物の如く敵意を剥きだすニタの姿を思い出した。白い毛を逆立てて、目は猛禽類のように鋭く、激しい気性となっていた。
「…もうちょっとだけ話しても良い?」
 ニタが、恐る恐る顔を上げて、クグレックに尋ねた。瑠璃色の瞳には、不安が翳る。
 クグレックは、静かに頷いた。ニタはしょげた様子であるものの、わずかに安堵した様子を見せた。
「ニタは、ペポを守るためにニンゲンと戦ったんだ。でも、あいつらは沢山やって来た。沢山の人間に囲まれて、ニタは負けた。情けないことにその場で伸びちゃったんだ。そんな様子がニンゲンの目には死んだって映ったんだろう。ニタは放置された。そして、次に目覚めた時、ペポの森は炎に包まれて、仲間達は一人残らず殺されて、捕まえられた。皆、死んだ。皆捕まえられて、檻とか網の中でぐったりしていて動かなかった。ニタは、燃え上がるペポ森を駆けまわって、仲間が生き残っていないか、夢中で探した。でも、誰一人として見つからなかった。ニタが弱かったから、ニタは全てを失った。ペポ森も仲間も何一つ守れないまま、ニタだけが生き残った。」
 昨晩と同様にニタの毛が逆立ち、呼吸も荒くなった。
 クグレックも、胸が締め付けられる様な思いだった。
 意識もしていないのに、涙が頬を伝う。
「その後、ニタは無我夢中でペポを駆ったニンゲンたちを殺して回った。数えきれないくらいに、殺したと思う。でも、ニンゲンは次から次へと現れた。今度はニタが狩られる番となった。ニタは急に怖くなって、ひたすら逃げた。どのくらい逃げたのか分からない。でも、気付いたら、メイトーの森にいた。仲間を見捨てて、メイトーの森にいたんだ。」
 ふー、ふー、とニタの呼吸は荒い。
「でも、メイトー様が、ニタを落ち着かせてくれた。色んな事を教えてくれた。だから、ニタは自我を取り戻せた。ニタは次に何かが起きた時に、大切なものを守れるように。メイトーの森で修行に励んだ。」
 ニタは大きくため息を吐いた。そして、がくりと項垂れた。そして、自嘲するように
「それなのに、ニタは何にも守れなかった。ククを守れなかったうえに、ニルヴァは死んじゃったし。ニタはまだまだ弱いなぁ!こんなんじゃ、アルトフールに行くことなんて、出来ないよ!」
と、声に出して、悔しがるのだった。
「ニタ…。」
 クグレックは、ニタを見つめる。自身の涙を袖で拭ってから、しっかりとした表情を作る。
「ニタは弱くない、顔、上げてよ。」
 と、クグレックに優しく言われて、ニタは恐る恐る顔を上げた。瑠璃色の瞳は潤んでいた。
 クグレックは、優しい表情を浮かべながら、母親が子供に物事を諭すような落ち着いた口調で話し始めた。
「私はニタの話を聞けて良かったよ。ニタは強いよ。私なんておばあちゃん一人いなくなっただけでも、全てが嫌になったっていうのに、大切な仲間や故郷がなくなっても、天真爛漫で、そして何かを守ろうと思えるニタは凄いと思う。私もニタみたいになりたいって思うよ。」
 クグレックは、ニタの話を聞いて、ようやくニタのことを知った。
 やたらと人外差別を気にしていたこと、突然山賊退治に参加しようとしたこと、昨晩ニタの感情が暴走してしまったこと。悩みなんてなさそうなお気楽な性格のニタの裏には、人間に対する憎しみと、恐れが隠れていた。圧倒的な孤独。
 しかし、それでも、ニタは人間であるクグレックの傍にいてくれる。更にクグレックの友達でいてくれる。メイトーがどのように諭してくれたのかは分からないが、ニタは立ち直って、前へと進んでいる。もし出会う時を違えていたら、ニタのあの目はクグレックに向けられていた可能性もあった。
 クグレックの目からは再び涙が零れ落ちていた。
 それでも、ニタの心の強さに負けじと、まっすぐとニタを見つめる。
「ニタは、強いよ。今のままで十分。十分だから、そこまで追い詰めなくたっていいと思う。」
 クグレックは涙を流しながらもにっこりと微笑んだ。
「私が強くなれば、さらにニタを支えられる。だから、今のままでいいんだよ。アルトフールに行くのはニタ一人じゃない。私も一緒なんだから。」
 2015_09_27


 ボスが自分が優勢であることに気を抜いた瞬間をついて、マシアスは動き始めていた。男は空中のニタに意識がいっている。
 クグレックが人質になってしまって、余計なダメージを受けてしまったが、マシアスはまだ十分に動けた。金属製の棒でたたかれたのだから骨は何本か折れてしまっているだろう。それはニタも同じだ。
 クグレックが作った隙をついて、マシアスは音もなくボスに近付き、飛びかかってナイフを取り上げた。
「お前…!」
 マシアスはボスを押し倒し、取り上げたナイフを掲げた。
「や、やめろ、離せ。」
 顔面蒼白となって抵抗する男を、マシアスの空色の瞳が無慈悲に映し出している。
「お前たちは11人で全員だな。うち8人は本物の山賊であり、二人は低級ハンター。もう一人いるとは事前情報にはなかったな。どこに潜んでいた?ランダムサンプリの転覆屋。」
「お前に答える筋合いはない!」
「…まぁ、良い。あとで聞かせてくれ。」
 マシアスは容赦なくボスにナイフを振り下ろす。ナイフはボスの右手の平を貫通し、地面に串刺しとなった。
 さらに、マシアスは懐から液体の入った小さな小瓶を取り出し、中身を男の口の中に入れた。すると、男は急に痙攣し始め、口から泡を吹き出して白目になって気を失った。
 マシアスは完全に男が動かなくなったのを確認すると立ち上がり、クグレックに声をかけた。
「大丈夫だ、魔女、降ろせ。」
 そう言われてクグレックは興奮状態にあるニタをゆっくりと地上に下ろした。
 ふう、とクグレックがため息を吐いた瞬間、ニタは動かなくなった男に飛びかかっていった。が、マシアスがニタの首(実際にニタには首がないので頭と胴体の間付近)を手刀で叩くと、ニタはうつぶせに倒れて動かなくなった。
 マシアスは両手で手をはたきながら、クグレックの方を向く。
 クグレックはマシアスがニタに危害を加えたと思い、杖を構えた。
「大丈夫だ。このままだとペポは暴走するから、ちょっと寝かせただけだ。ペポなら、夜明けごろには目を覚ますだろう。」
 マシアスは、木に括り付けられたニルヴァの縄を切断し、ニルヴァを救出した。
 ナイフが刺さっていた箇所からは血がどくどくと流れ出ており、ニルヴァは既に虫の生きだった。黄金の翼を広げようとするが、傷が痛むのであろう。広げることが出来なかった。
 ニルヴァは頭を地に伏せて、倒れている巻き毛のビートを初めとするポルカの村の男達を悲しそうに見つめた。
 一人目覚めていたビートは涙目になってニルヴァを見つめる。ビートの体はまだ自由に動かなかった。
「ニルヴァ、最後の力を使ってくれて、ありがとう…。」
 と、ビートがいうと、ニルヴァは静かに瞳を閉じて、動かなくなった。

 ニルヴァは、あっけなく死んだ。
 不死鳥ではない少し不思議な力を持ったただの美しい鳥、ニルヴァ。
 いや「不死鳥ではない」というのは真実ではない。ニルヴァという鳥は100年生きると不死鳥になるという伝説があるという。
 だから、ニルヴァは100歳になる前に、ポルカの村人に自分を殺すよう依頼をしてくるらしい。
 ちょうど今日がその日だった。
 ただ、ニルヴァは自身が持つ癒しの力でポルカの男達の怪我を治したために力尽きた。ニルヴァの癒しの力は自身の生命力を削る。ポルカの民と共に暮らす希少種ニルヴァは、ポルカの民を命がけで守り、死を迎えたのだった。
 2015_09_26



 ニタは、山賊に攻撃を加えられ、立てない程の傷を負っていたが、男がナイフの刃先を見せて近付いて来ると、途端にその白い毛を逆立てた。眼光も鋭く、いつもの愛くるしさが消えていた。瞳孔はさながら猛禽類の如く鋭利になり、容赦のない捕食者の目つきに変わっていた。そして、小さな声でぶつぶつ呟いている。
「…許さない。」
 ニタはぶつぶつつぶやきながらゆらりと立ち上がる。足元はふらついているが、その視線はずっと男に張り付いたままだ。
「これだから人間は許せない。お前らは一体何様だ?生命の頂点にでも立ったつもりか?力なき生命を弄び、嬲り殺し、悦に浸って他を圧倒してどうする。お前らが思う力なきものは決して愚鈍ではない。お前らなど微塵でもない。同じことが我々にも出来る。だけどしない。ほとんどの者が、いたずらに声生命を奪うことの愚かさを知っているからだ。だが、ニタは許されている。気高き同朋の恨みを果たすべき存在として、復讐が許される存在。自らを守るために、自らの手を汚すこと誇りとするペポの戦士だ。ニルヴァはペポの二の舞にはさせない。ペポの戦士が愚かなるニンゲンに鉄槌を下す。」
 山賊達は、動き出そうとするニタを止めようと持っている武器で殴りかかって来た。が、ニタは瞬時に交わした。ニタは全く重傷を負った様子を見せない上に、向かい来る山賊達をその白い拳で叩き潰した。元から手負いだった二人の山賊は、その場に倒れて動かなくなった。
 ニタは病的にぶつぶつ言いながら、ゆっくりと男に近付いて行く。
 クグレックはニタの呟きを聞いてしまった。距離は大して近くないはずなのに、傍にいるかのようにはっきりと聞こえた。
 普段のニタからは想像できないような禍々しい言葉を吐いている。ニタは仲間の一族を全て人間に狩られたと言っていた。おそらく、この言葉は人外を生き物と思わない人間に対するニタの怒りを超えた怒りの言葉なのだ。
 多分、ニタはあの男のことを殺すのだろう、とクグレックは直感的に感じた。
 山賊達のボスは強い。だが、ニタはそれ以上に強い。だから、ニタはあの男を容易に殺すことが出来る。
 メイトーの森を出てここまで来る間、野宿の度にニタが食事のために他の生命を奪うのは見て来た。そのたびにクグレックは居た堪れない気持ちになったが、「生きるためなんだから仕方がないの」というニタの言葉に納得し、嫌々ながらも容認してきた。だが、今目の前で起きようとしていることに関しては、納得してはいけないし、認めてもいけないとクグレックは思った。
 ニタがこれ以上進んだら、もう後戻りが出来なくなるような気がした。クグレックは傍らに落ちていた杖を握りしめ、がむしゃらに杖を振った。
「ラーニャ・レイリア!」
 その瞬間だった。ニタが空中へと吹き飛んだ。そして、3mほどの高さでぴたりと張り付いたように動かなくなった。
「クグレック!!!何をするんだ!」
 ニタが必死の表情で叫ぶ。空中で手足をばたつかせながら抵抗しようとするが、その場から移動することが出来なかった。
 クグレックはニタの問いに答えず、歯を食いしばりながら、真剣な表情でニタに杖を向けている。物体移動の魔法だ。力ではなく魔力によって任意のものを動かすという魔法だが、生き物に使うのは初めてだった。気を緩めてしまえば、魔力が解除されてニタが3m下へ落ちてしまう。クグレックは暴れるニタに意識を集中して、空中に固定させた。
「どうしてこんなことをするんだ!?そいつは私利私欲のためにニルヴァを捕まえようとしている。生け捕りにするとか言ってるけど、最終的にはニルヴァは用済みになって殺されるだけだ。二度とポルカには戻って来れない。そんなのが許されていいと思ってるのか」
 クグレックはニタの問いに答えなかった。口を開いてしまえば、ニタへの集中が途切れ、魔法が解けてしまうからだ。
「くくく。さすが魔女。ペポの希少さに気付いたな。」
 男が下衆い笑みを浮かべて、ニタに向かってナイフを投げようと構えた。
「ペポは心臓を一突きすれば一撃だ。ナイフさえ抜かなければ毛が血に染まることもない。かつての狩りでも、あっという間だったな。楽勝だった。」
 ニタの抵抗する力が一気に増した。だが、クグレックは魔法を解かない。
 この場にはニタ以外にも強い人がいる。出会って間もないが、クグレックはその人物のことをなぜか信用出来たのだ。クグレックが何も言わずとも、有能な彼ならば、ニタの代わりにあの男に鉄槌を下せる――。

 2015_09_25



 が、安堵の時間はそう長くは続かない。突然クグレックは何者かに後ろから羽交い絞めにされ、身動きが取れなくなった。丸太のように太くて浅黒い腕がクグレックを抑える。
 いつの間にか、ビートたちを手当てしていた村の男たちが倒れている。
 耳元では男の荒い呼吸が聞こえた。
「よう、魔女のお嬢ちゃん。君の仲間が、俺の部下たちに随分ひどいことをやってくれたじゃないの。ちょっと人質になってもらうよ。」
 下衆い声がクグレックの耳元でそう囁くと、クグレックの頬にひんやりとした金属を押し付ける。
 村人の前情報では山賊は10人であったが、この男の出現で11人目となる。しかも、話の内容から察するに、この男は山賊の中のボスであることが考えられた。
「逃げようとしないことだ。このナイフはよく切れるんだ。」
 ひんやりとしたナイフの刃先がつうとクグレックの頬をなぞる。
 クグレックはびっくりして、声を出せなかった。呼吸が浅くなり、心臓の動機も早まる。
 ボスがニタ達に向かって声を上げた。
「おい、そこの砂漠の民とペポの生き残り!この女がどうなっても良いのか!」
 ニタとマシアスは人質に取られたクグレックの姿を見て、ぴたりと動きを止めて山賊達に対する攻撃姿勢を解いた。
山賊達はニタとマシアスの攻撃を受けまくって、立つのもやっとな状態だったが、クグレックの後ろにいる自分たちのボスの姿を見た瞬間、ほっとしたような表情を浮かべた。
「さぁ、お前たち、今宵はニルヴァだけでなく、数年前に絶滅されたとされる希少種のペポもいる。そこの男は殺してしまっても構わないが、このペポはニルヴァ同様生け捕りにして捉えろ。動きを封じるために、骨を折るくらいなら構わん。コレクターであるならば希少種をペットにしたいと金を出すだろうが、最終的にペポはその瞳と毛皮に価値があるのだ。邪魔な男達は全て殺してしまえ。」
「卑怯だぞ!」
「おっと、砂漠の民と希少種は動くな。動いたらこの魔女の命はなくなると思え。」
 そうして、ニタとマシアスは重傷の山賊達からの攻撃を一方的に受ける。クグレックは目の前の惨劇に、ただひたすら自分の無力さを恨むばかりだった。羽交い絞めにされて身動きが取れなくなってしまっては、魔法も使うことが出来ない。クグレックの友達のニタが、自分の目の前で酷い目に遭っているというのに。
 と、その時であった。
 闇に包まれた夜空がほんのりと明るくなった。ねぐらに戻ったとされていたニルヴァが、再び夜の空を悠遊と舞い始めたのだ。
 最初はぐるりと孤を描いて飛んでいたが、徐々に高度を下げて来た。そして、悠遊とクグレックたちのもとへ降り立った。
 警戒心がないだけなのか、それとも絶対的な力を持つ余裕なのか。黄金の羽毛に包まれたニルヴァは神々しい。泰然自若としたその佇まいは希少種だから出せるものなのだろう。そう言えば、メイトーの森の主である白猫のメイトーもよくよく考えれば希少種であり、同様に悠々としていた。
 ニルヴァがその光り輝く翼を広げて羽ばたけば、黄金の粒子がふわりと舞う。瀕死の状態にある村の男たちの傍を低空で羽ばたく。黄金の粒子が村の男達にくっつけば、怪我は見る見るうちに回復し、傷跡や痣は何事もなかったかのように消えてしまった。ビート達が言っていたニルヴァが持つ“少し不思議な力”とは、この治癒能力のことであった。
 その中の一人のビートは目を覚まし、倒れた状態のまま顔を上げた。まだ体に力は入らないようだ。悠々と旋回するニルヴァを目を細めながら見つめている。
 幻想的な光景に、クグレックはニルヴァこそ本で読んだ伝説の不死鳥なのだろうかと思ったが、ビート達の話によればニルヴァは決して不死鳥ではないらしい。生き血を飲んだとしても、その肉を食したとしても、摂取したものが不老長寿になったり、不老不死になったりはしないそうだ。
 だが、無常なことに神殺しは存在する。ボスが握っていたナイフをニルヴァに向かって投げつけたのだ。
 ナイフは見事にニルヴァの右翼に命中し、低空を羽ばたいていたニルヴァは悲鳴を上げてバランスを崩して地に降り立った。ナイフは痛々しく右翼に刺さっており、血がどくどくと流れている。ボスは更に懐に隠し持っていたもう1本のナイフを投げつけ、ニルヴァの腹部へと刺した。
 ニルヴァは「ギャアァァァ」と苦しげな悲鳴を上げ、どさりと地に伏した。炎のような赤い瞳が虚ろに地面を見つめる。
「は、は、は。死なないくせに、何がつらいんだ。」
 ボスはクグレックの尻を蹴飛ばし、瀕死のニルヴァへとにじり寄った。彼はニルヴァを不死鳥だと思い込んでいるようだ。
 弱々しく呼吸をするニルヴァの黄金の体躯からは、輝きが消え失せていた。
 ボスはニルヴァの足を掴み、逆さにして持ち上げた。血がどくどくと流れ出るのもお構いなしにニルヴァを乱暴に扱い、両足を縄で縛り、すぐそばの木の幹に括り付けた。重傷を負ったニルヴァはもう飛び立つことも逃げ出すことも出来ない。
 ボスはニルヴァの右翼に付いたナイフを抜くと、次にニタの方を振り返った。
「次はお前だ。」
 と、ボスが言った。

 2015_09_23


**********


 クグレックはハッとして目を覚ました。
 クグレックは一人、洞窟の中で眠ってしまっていたようだ。枕代わりに荷物がクグレックの頭の下に敷かれ、体にはいざという時のための毛布がかけらていた。
 生きてきたうちでここまで長く魔法を使い続けることがなかったので、クグレックが持っていた魔力が底をついてしまったのだ。頭が重くて、立ち上がる気にもなれなかった。
 ふと、クグレックは手の中に小さな石を握っていることに気付いた。
 掌を広げてみると、それは瑠璃色に輝く金平糖だった。
 今眠っていた間に、クグレックは何か夢を見た様な気がしたのだが思い出せなかった。だが、クグレックは何も疑うことなく瑠璃色の金平糖を口に含んだ。砂糖の甘さがクグレックの口の中に広がった。
 すると、クグレックの体の中から何か温かい力が湧いてくるような感覚が発生した。
 頭の重さやだるさが一気に吹き飛んで、立ち上がることも容易となるくらいに力が湧いて来た。クグレックは杖を手にして立ち上がった。もうふらつきも感じない。しっかりとした足取りでクグレックは洞窟の外に出た。
 洞窟の外では悲しい光景が広がっていた。エイトやビートが倒れていた。彼らの顔は真っ赤に腫れあがって、元の顔が判別できない程だった。恰好だけで判断できる状態だった。そして一番体の大きな力自慢のリックが二人の山賊に暴力を振るわれていた。彼もまた、血を吐き出して、体中痣だらけになっている。フラフラになりながらも、かろうじて立ち上がるが、二人の山賊からの容赦のない打撃が集中する。まるで人間サンドバックだ。
 クグレックは怖くなった。自分が呑気に寝ている間に、親切にしてくれた3人が死にそうにしている。その命が今尽きようとしているのを間近にして、クグレックは怖くて怖くて仕方がなかった。足に力が入らず、クグレックはへたりとその場に座り込んだ。
 すると、そこへ松明を掲げた人達が駆けつけて来た。
「リック!エイト!ビート!」
 襲撃班に加わっていたうちの一人の青年が傍らに倒れているビートに駆け寄った。
 その後からニタやマシアス、村の男たちが到着した。
「クク、大丈夫だった?」
 ニタはわき目も振らずクグレックの元へやって来た。クグレックはニタの姿を見た瞬間、安堵感と安心感で張りつめていたものが崩壊し、ボロボロと大粒の涙を流した。
「ニタ、私がくたびれたばっかりに、エイトさんやビートさんが・・・。リックさんも…。」
 ニタはクグレックを見た。枯葉や砂が服や髪の毛に付いてボロボロの汚い状態だった。更に涙まで流すものだから、顔も泥や涙でぐちゃぐちゃに汚れてしまっていた。ニタは「頑張ったね。」とクグレックに声をかけて、ぽんぽんと頭を撫でた。
「大丈夫。ニタがあいつらを倒してやるから、ククはここで大人しく待っていて。」
 そう言って、ニタは山賊達の前に立ちはだかった。
 既にリックはマシアス達の手により救出され、後から来た村の男達により応急手当てをされていた。3人とも意識はないものの、まだ呼吸もあり、かろうじて生きていた。救出が少しでも遅かったら、危なかったかもしれないが。
「ペポ、あいつらはあの家にいた奴らとは違うからな。油断せずにかかれ。本物のハンターだ。」
 マシアスが臨戦態勢に入ったニタに声をかけたが、ニタは
「どんな奴がこようとも、ニタの敵ではなーい。」
と言い払った。
 そして、ニタは山賊達に向かっていく。音よりも早い可憐な拳で山賊達に殴りかかるが、山賊達は懐に隠し持っていた武器でその拳を防御した。山賊の武器は頑丈な金属製の棒だった。
「お、やるね。」
 ニタは拳をハラハラと振りながら、山賊と間合いを取る。拳が金属の棒と全力でぶつかってしまったので、少し痛かった。
「だから言っただろ。アイツらとは違うって。」
 マシアスが近づいて来て囁く。ニタはうるさいと言わんばかりにマシアスに手を払った。
「ペポ、お前の腕力もなかなかだが、俺には適わないぞ。」
 マシアスはマントを翻し、山賊に攻撃を加えに駆け出す。山賊は反撃しようとマシアスの間合いを読み、棒で攻撃を繰り出すが、マシアスはその棒を素手で受け取り、力任せに引っ張って山賊を引き寄せ、山賊のこめかみめがけて右ハイキックを一発喰らわせた。山賊は軽い脳震盪を起こし、体をぐらつかせる。マシアスが体勢を整えようと右足を着地させようとしたところで、もう一人の山賊がマシアスに飛びかかって来たが、マシアスはそれを華麗に受け流し、相手の腕を掴んで地面に叩きつけた。マシアスの身に付けるマントやストールが動くたびに風に靡く姿は、芸術的なものだった。
 だが、山賊達はハンターだけあって、打たれ強かった。すぐにダメージから立ち直り、マシアスとニタに向かって攻撃を繰り出してくる。
 とはいえ力の差は歴然としていた。山賊達よりもニタとマシアスの方が断然優勢に立っている。
 涙に暮れていたクグレックだったが、ニタとマシアスの強さに安心して、いつの間にか涙も止まっていた。
 二人なら山賊どもを懲らしめてくれるという希望がクグレックの胸の内を包んだ。
 2015_09_21



**********

 ――傷付くことを恐れるな。前に進みなさい。最終局面であなたは正義のために、仲間のために、その力を揮わなければならないのだから。あなたは何をすべきなのか。何をしたいのか。動きなさい。

 薄暗い洞窟の中で目を覚ましたクグレックは、洞窟の入り口でぼんやりと佇む白い人影に気が付いた。
 杖を突きながら、ふらふらとした足取りで洞窟の入り口へ向かうクグレック。
 そこには、無表情でクグレックを見つめる黒髪おかっぱ頭の白い袴を着た少女がいた。
 クグレックは彼女をどこかで見たことがあるような気がしたが、思い出せない。
「守れなければ、ニタがもう戻って来れなくなる。お姉ちゃん、どうする?」
 女の子がクグレックに問うてきた。クグレックは咄嗟に「ニタは私が守る。」と言ったが、女の子の問いの意味も分からなかったうえ、クグレック自身にどうしてこのような答えが出て来たのかは分からなかった。
「じゃぁ、これをあげる。」
 女の子は瑠璃色の小さな金平糖をクグレックに差し出してきた。クグレックは手のひらを出して、それを受け取った。
 宝石のように輝く瑠璃色の金平糖。まるでニタの瞳のような色をしている。
 クグレックは金平糖を口に含みガリと噛んだ。何の変哲もない甘い砂糖の味がクグレックの口の中に広がる。
 女の子は光り輝き始めると、細かい粒子となって消えて行った。
 

 2015_09_20



「おい、洞窟はどこに行った。」
「ん、どこだ?確かこっちの方だと…。」
 洞窟の入り口を求めてふらふらと彷徨いだす二つの影。
「この感覚、なんか妙だ。自然的ではないが、決して人工的ではない。魔法の類か?」
「さすがリタルダンド。こんな糞田舎にも魔法が使える者がいるんだな。」
「まぁ、相手は希少種だ。ニルヴァ自身が魔法を使えてもおかしくはない。いずれにせよ、ニルヴァが近いことだけは間違いない。どこかに手がかりはあるはずだ。探すぞ。」
 二つの影は手分けして手掛かりとなるはずのものを探し始めた。
 クグレックは異常に緊張していた。山賊に見つかるかもしれない恐怖と魔法が途切れてしまうかもしれない不安がクグレックを襲ったのだ。ニルヴァを守るという責任はクグレックの幻影の魔法の成功の可否にかかっている。クグレックが失敗してしまえば、ニルヴァが山賊に殺される。常に祖母の後ろに隠れ、家に引きこもっていた世界を知らない小娘には、初めての大きなプレッシャーだった。クグレックはここまで深刻な『責任』を負ったことはなかった。
 今や祖母はいない。唯一の頼れる仲間のニタさえもいない。
 晩秋の夜、全く以て暑さは感じられないのに、クグレックは焦りから額から数粒の汗を流した。
 幻影の魔法はイメージが大切だ。イメージが鮮明であればあるほどその幻影の現実感が増す。クグレックは杖に意識を向けて集中した。恐怖や不安にとらわれることなく、ただ目の前に成すべきことに集中した。
 が、その時、クグレックはふいに自身の体が宙に浮くのを感じた。幻影が揺らいだ。
 気が付くと、クグレックは力自慢のリックに担がれている。
 リックの背後から聞こえる乱暴な怒号。防衛班一行は山賊にあっけなく見つかってしまったのだ。クグレックは集中しすぎて、山賊が近づいて来たことに気が付かなかった。ビートが何度も声をかけたが、クグレックには届かず。仕方なくリックが強硬手段に出て、クグレックを担いだのだ。
「魔女さん、気が付いたかい?どうやら我々は見つかってしまったらしい。合図を上げてくれるな?」
 ビートが困った表情でクグレックに言った。クグレックがあそこまで集中するとは思っていなかったらしい。
 クグレックはリックに抱えられたまま頷くと、立ち止まってもらって、自身の足で立った。そして、山賊に向かって杖を向けた。
「イエニス・レニート・フル・グランデ。はじけろ、火の花!」
 と、唱えると、杖の先から色とりどりの炎が飛び出し、山賊たちの目の前でパンと音を立てて破裂した。破裂した炎が山賊達に燃え移ることはなかったが、彼らの足を止めるには効果覿面であった。
 クグレックはさらに杖を夜空に向かって上げ、大きな声で「もっとはじけろ!フル・グランデ!」と叫んだ。
 すると、杖からは山賊に向かって飛び出していった炎よりも更に大きい炎が飛び出していき、上空で綺麗な花を咲かせた。
「山賊ども!こっちには本物の魔女がついている。近付いてみろ!今の花火をお前らにぶつけてやる!」
 ビートが言った。が、山賊達はひるむことなく向かって来ようとしたので、クグレックはもう一発花火を夜空に上げた。
 晩秋の澄んだ夜空に大輪が咲き開いた。
 ビートからのアイコンタクトによる指示を受け、クグレックは杖の先を山賊に向けた。
「さぁ、これ以上近付いてみろ。お前たちは魔法によってあの花火を全身に喰らって大やけどだ。」
 力自慢のリックやビート、エイトは、一様に携えて来た武器を手に構えた。
 山賊達はたじろぎながら一歩後ずさる。
 クグレックは杖を振り上げた。杖の先からは炎が飛び出した。先ほど山賊達に向かっていった炎よりも数倍大きい。
 花火のように爆発した火花は山賊達の服や髪に燃え移り、勢いよく燃え上がった。
「うわああ!」
 山賊達は狼狽えて、地べたを転げ回る。
 ビートたちはやったという表情をしたが、クグレックだけは静かに首を振った。
「どうしたんだい?」
 ビートがクグレックの様子に気付き、声をかけた。
「…ごめんなさい。あれは幻です。熱さや痛み、苦しさといった幻影を生み出すことは出来ましたが、そのうち幻だと気付かれてしまいます…。」
「なんだって!」
 クグレックはそれ以上喋らなかった。ニルヴァが殺されるのも嫌だが、自分が放った魔法で誰かを殺すのもひたすらに怖かった。だから、花火の魔法をクグレックは山賊達に放つことが出来なかったのだ。
「とりあえず、逃げよう。」
 防衛班の4人は体制を整えるために、洞窟へ向かって逃げて行った。
 クグレックは更に山賊の周りの木々にも炎がうつり燃え上がる幻をかけて、洞窟に向かおうとした。
 駆ける足が重く感じられた。汗もだくだくだ。頭もフラフラしている。クグレックは巻き毛の男達の背中に着いて行くのがやっとだった。何度か倒れそうになったが、なんとか洞窟の中までたどり着いた。
 洞窟の中に入ると、再び幻影の魔法をかけ、入り口を塞いで見せた。
「花火を上げて後30分くらいで襲撃班が合流するだろう。どうやって時間稼ぎをするかが問題だ。」
 ビートが言った。
「魔女さんの魔法があれば、洞窟は見つかることがないだろう。しかし…。」
 男達はクグレックを見る。クグレックは杖にもたれかかってしゃがんでいるが、一点を見つめる目はうつろで、汗を大量にかいており、様子がおかしい。話にも混ざって来ない。
「魔女さん、体力が限界なのかもしれない。あのニタの話によれば随分な箱入り娘だったから、体力が極端に少ないらしい。昼間にここまで来るのにも魔法を使い続けていた魔女さんは疲れていた。魔法を解いたら、魔女さんの体力は回復してきた。もしかすると、幻の魔法はもう持たないかもしれない。」
「そしたら、あとは我々であいつらを迎え撃つしかないな。」
「そういうことだ。」
 その時、どさり、という音が聞こえた。杖によって体重を支えていた魔女の娘が倒れたのだ。
 男達は洞窟の入り口をみた。洞窟の入り口はぼんやりと靄がかっており、まだ幻は解けていないようだ。
「もうじき、だな。」
 うつ伏せに倒れているクグレックを抱き起こし、荷物を枕代わりにしてリラックスした体制で寝かせると、男達は武器を取り、臨戦態勢に入った。
 洞窟の外では、幻に包まれていた山賊達が現実に戻り、血眼になってクグレックや男達を探していた。洞窟の入り口は徐々に靄が薄くなっていた。
 

 2015_09_18


**********

 時は遡り、花火が上がる15分前のこと。防衛班はニルヴァの住処とされる洞窟の前でじっとしていた。山賊に見つかるとまずいので灯りもつけずに、ただひたすらじっとしていた。夜目でも、これだけ長く灯りもつけずに外に出ていれば慣れて来て、周りも見えるようになって来ていた。
 クグレックはひたすらニタの無事を心配していた。今のニタは少し無茶をしそうで危なっかしいのだ。
「あ、ニルヴァ。」
 エイトが声を潜めて言った。齢30後半の気の優しそうな男である。
 クグレックは、きょろきょろと辺りを見回すが、ニルヴァらしき生き物は見つからない。隣にいた巻き毛のビートが、指を一本立てて、上空を見るように促した。
 クグレックは空を見上げる。木陰の藪の中に隠れてるので、上空は木の葉に遮られているが、その隙間からクグレックはニルヴァの姿を確認することが出来た。
 ニルヴァはまるで月のように煌々と輝く黄金の羽毛を持った鳥だった。大きさは雉ほどあるだろうか。尾には孔雀の羽根のような赤い模様が施され、木の葉に遮られた視界とて、その美しさが良く分かった。山賊が狙うのも仕方がないほどに神秘的で美しい。何かの本で死なない鳥である不死鳥はこのような神々しい鳥だということが描かれていた。時の権力者たちが永遠の命を欲し、権威の限りを尽くして不死鳥を求めた際の悲劇は聞くに及ばない話ではある。だが、ビート達によると、ニルヴァは不死鳥ではない。少し不思議な力を持った美しい鳥であるらしい。
 だが、ニルヴァがこんなに目立つ鳥であるならば、山賊はもうすでにニルヴァを見ているのではないのだろうか、とクグレックは不安になった。
 ニルヴァは洞窟の向こうの山の方へ消えて行った。
「ニルヴァはどこへ行くんですか?」
 クグレックは声を潜めて質問した。
「ここの洞窟の先を抜けるともっともっと見晴らしのいい高台に出る。そこは少し開けてた岩場になっているから、ニルヴァはそこで暮らしているんだ。」
 と、巻き毛のビートが答えてくれた。
「へぇ。」
「ニルヴァは羽根が薬の原料になるから、よく白魔女様が拾いにやって来るんだ。あとはニルヴァの糞は特別な栄養に満ちているから、ニルヴァの糞が落ちたところにはラヴィントンという白い花が咲く。これも薬の原料になるから、白魔女様が採取しに来るんだ。」
「ニルヴァって凄いんですね。ところで、白魔女様ってどんな方なんですか?」
 クグレックは気になっていたことを素直に質問した。
「白魔女様はリタルダンド共和国の治癒師の隠れ里に住む白魔術師だ。背が高くてスタイルの良い美人な方でね、1年に1回ポルカにやって来るんだ。彼女の手にかかればなんだって治る。不治の病も怪我も呪いも、全部治る。ポルカのラヴィントンやニルヴァの羽、牛乳とかを献上さえすれば、白魔女様は特製の万能薬を下さるから、ポルカの皆は大病知らず。性格はちょっと傲慢なところがあるけれど…。」
 クグレックは治癒師、白魔術師といったカテゴリーはうろ覚えではあるが、祖母の本棚にあった本を読んだ時に知った記憶があった。治癒師も白魔術師も生き物の傷を癒す力を持った人たちのことで、白魔術師は主として魔法の力で傷を治し、治癒師は魔法の力を使わずに、知恵と培った技術だけで傷や病気を治す人のことを指す。それ以上はクグレックは知らなかった。
 そして、ビートとエイトはさらに詳しくニルヴァのことを教えてくれた。また、この二人はニルヴァの声を聴くことが出来る特別な存在らしい。ニルヴァが山賊のことを伝えてくれたから、ビートが中心となって山賊討伐隊を組んだといういきさつがあったということをクグレックは知った。
「誰か来る!」
 エイトが声を潜めて言った。一行は藪の中に隠れるように低姿勢になって辺りを伺った。
 次第に聞こえてくる足音。
 そして声。
「ニルヴァはいつもこっちの方に飛んで行く。」
「だが、こっちは変な洞窟があるだけで行き止まりだ。昼間に別のルートを探してみたが、切り立った崖があり、どこも登ることが出来ない。」
「だが、この村の住民はニルヴァの居場所を知っているのだろう?あんな鈍愚な田舎者だ。そう険しい道のりではないはずだ。」
「そうだな。」
「ニルヴァの生き血を飲んだ者は、不老長寿を得ることが出来るという噂が存在する。依頼主からの報酬も高額だ。アイツらを出し抜けば報酬は俺達の物だ。今日はこの洞窟を探してみるのがいいのだろうか。」
 自身が持つ松明の炎に照らされて浮き出た二つの影。洞窟付近に何か道がないか探し回るようにウロウロしている。
「これはマズイ。」
 声を潜めながら巻き毛のビートが言った。
「あいつら、洞窟を進んでしまうかもしれない。ここで引き止めなければ。」
「しかし、襲撃班が動いてからまだ1時間も経っていない。もしあっちで襲撃の途中だったらこちらにとっては不利だ。その上我々が出て行ってしまうことで、この場所が大切な場所であることがあいつらに感付かれてしまう可能性がある。それならば、魔女さんに魔法で幻影を出してもらって、あいつらの足止めした方が良いんじゃないだろうか。」
 エイトが、ビートを諭すように言った。ビートは「確かに。」と言って、その進言に素直に従い、クグレックに幻影の魔法をかけるように指示を出した。
 クグレックは小さな声で呪文を唱え、杖を振った。
 魔法を使う際、感覚さえコントロールできれば、呪文も唱えなくても良いし、杖を振らなくても良い。だが、より威力を期待するならば、呪文を唱え、杖を振る。
 洞窟の周りには靄がかかり、入り口は周りの山肌と同じく露出した岩石に覆われた。
 このまま山賊が洞窟の入り口を見失ったと勘違いして、立ち去ってくれることを願うばかりだった。
 2015_09_16



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 そして二日後。ポルカの青年団はニルヴァを狙う山賊の討伐に向けて村を発った。クグレックとニタも同行する。
 部隊は二手に分かれることとなった。一つはニルヴァを守る部隊。もう一つは山賊が暮らしている住処を襲撃する部隊。
 ニルヴァを守る部隊には巻き毛の男ビートと力自慢のリック、山の事情をよく知るエイトとクグレックの4人であった。
 ニタとマシアス、防衛部隊以外の村人はこちらに配された。山賊の住処には夜襲をかける予定なので、襲撃部隊の方が人数が多い。一人残らず捕まえる予定だが、万が一ニルヴァの住処が山賊に見つかっており、残党がニルヴァを狙うようなことがあったら、防衛部隊が残党を相手にしなければならない。万一の際はクグレックが魔法で花火を上げるので、すぐに襲撃部隊から応援が行くようになっている。その間の時間稼ぎはクグレックの幻影魔法である。

 まず、防衛班は明るいうちに出発した。なぜなら、昼間でも薄暗い山の中を通り行くので、夜では動くことが出来ないからだ。ニルヴァの住処へ向かう防衛班は山賊に後を付けられては大変である。周りの景色と同化してしまう茶色の服を着て、道なき道を通ってニルヴァの住処へ向かわねばならなかった。万一後を着けられていても、襲撃部隊が助けに行くので問題はない。
 更に、住処へ向かう道中、ずっとクグレックが幻影の魔法を防衛班の周りにかけて見えない状態にしていたので、後を着けられることはなかった。その分クグレックはとても疲れたが。
 夕方、襲撃班は山賊の住処へ出発した。事前情報では山賊は10名ほどいるとのことである。10名捕まえれば、目的は達成されることとなる。
「よく着いて来たいと言ったな。」
 道中、マシアスがニタに話しかけた。マシアスは一昨日と同じ砂漠の民の衣装だ。今回は口元を覆う布を着けているので、空色の瞳しか見えない。
「ん、希少種が狙われてると聞いたら黙っていられなかったんだ。」
 と、ニタが言った。
「そうか。相手は山賊という名の希少種ハンターだ。お前も、気を付けろよ。絶滅したはずのペポはニルヴァ以上に希少価値が高すぎる。」
「…ニタが山賊如きにやられるわけないでしょ。」
 ニタはむっとしてそれきり口数が減った。
 45分程進むと、山賊の住処が見えてきた。どうやら木造の二階建てである。出入り口に近い窓からのみ明かりが漏れている。他は暗いので入り口付近で誰かが起きており、他は寝静まっているであろうことが考えられる。
 これで十分だろうと判断したマシアスの指示に従って、襲撃を行う。
 一番槍はニタである。入り口を蹴破って侵入した。憶測通り入ってすぐのテーブルで山賊が一人うとうとしていたが、ニタの侵入により目を覚まし、状況に困惑していた。大声で2階で眠っている仲間を呼ぼうとしたが、瞬時にニタにパンチされノックダウンした。
 すかさずニタのうしろから村の男たちがやって来て、山賊を縄でぐるぐる巻きにして外に出した。外ではマシアスが待機しており、山賊その1はマシアスの元に届けられた。
 マシアスは呆れた様子で山賊の住処を見つめていた。あれほどニタに侵入は静かにと言ったのに、ニタは大きな音を立てて入り口を蹴破った。あんな音を立てたら寝ている山賊も起きてしまう。
 かくのごとく、建物の中では階下の物音を察知した山賊たちが目覚め、武器を持ってニタ達がいる1階へと降りて来た。
「な、なんだ、お前たち!」
「あれ、起きちゃったの?」
 ニタはおかしいなと感じ、首を傾げながら言った。
「む、見張りをしていたゲイドがいないぞ。」
「あ、その人なら、転寝してたよ。ニタが倒しちゃったけど。」
 悪びれた様子もなくニタが言った。そのニタの様子が山賊たちを挑発してしまったらしく、山賊たちは怒った様子でニタ達に襲い掛かって来た。が、ニタにかかれば、山賊をやっつけることなどお茶の子さいさいであった。10分もしないうちに山賊達はニタに倒された。村の男たちはすぐさま山賊たちを縛り上げ、動きを封じると、マシアスの元に連れて行った。
 足元に先ほどやっつけた山賊が気を失って倒れているが、マシアスは堂々とした様子で仁王立ちしてニタ達を待っていた。
「ははは、まぁ、ニタの手にかかれば、こんな山賊如きヨユーだけどね。」
 鼻高々に語るニタ。だが、マシアスは眉間に皺を寄せた。
「おい、ペポ、2人足りない。まだ住処に残ってるんじゃないのか?」
「え、ちゃんと家の中くまなく探したし、これで全員だよ。」
 そう言って、ニタも縄に繋がれている山賊を数える。
「1,2,3,4,5,6,7,8、8,8…。」
 ニタは首を傾げながらマシアスを見つめる。「ホントだ。あれ、おかしいな。あと二人、どこさ。逃げちゃったのかな?」
「今逃げたのであれば、追いかけたらすぐに見つかるだろうが、そうでなければ…。」
 と、その時、漆黒の夜空に小さな花火がパンと上がった。
 全員空を仰ぎ見た。すると、再び七色に輝く小さな花火がパンと上がった。
「なんだと!?」
「まさか!」
 マシアスは舌打ちをして、全員に指示を出した。
「この中で腕っぷしが強い順に10人残って、こいつらを見張ってろ。いいか、絶対に目を離すな。絶対に逃がすな。そこの木に全員括り付けてでも良い。手段は問わないから絶対に逃げないように見張ってろ。俺とペポと残りははニルヴァの元へ向かう。案内役、案内しろ。」
「は、はい!」
 ニルヴァの住処を知る村の男性を先頭に、マシアス達一行はニルヴァの住処へと走り出した。
「着けられていたのか?まさか、あの魔女の魔法で見られない状態になっていたはずだ。もしかすると、既に知っていたのか。」
 走りながら独り言ちるマシアス。ニタは軽い様子で
「そういうことになるんじゃないの?」
と答えた。マシアスの眉間に皺が寄った。
「残りの二人が既に知っていたならば、まずいかもしれないな。ペポ、どうして、家に残ってた8人は呑気に寝ていたんだ?ニルヴァの居場所を知っているならば、山賊全員で向かうべきだとは思わないか?」
「確かに。」
「もしかすると、山賊のうちの8人と残りの2人は一緒に居ながらにして、別の存在なのかもしれない。もしかすると、防衛組は危ないかもしれないぞ。案内、もっと早く走るんだ!」
「は、はい!」

 2015_09_09


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 その夜、湯浴みを終えて、寝巻に着替えて後は寝るだけとなったニタとクグレック。
 お互いベッドで横になっていたが、ランプを消してしまおうとクグレックがランプに手をかけた時、ニタが小さな声で話しかけてきた。だが、あまりにも小さな声だったので、クグレックには聞き取れなかった。ランプを消し、ベッドに入り込んでから「ニタ、なんか言った?」と聞き返した。
「ん、いや、クク、どうして、あんなこと言ったの?」
「あんなこと?」
「自分は魔女だ。だから、連れてけって。」
「うんと、良く分からない。なんだかニタが必死だったから。助けなきゃって。」
「山賊とか、怖くないの?それに、魔女だってばれたら、差別されるかもしれなかった。」
「山賊については、ここまでくる間に時々そういう輩出て来てたけど、ニタが全部やっつけてくれたから、心配ないかな、と思って。それにこの前魔導書を読んだから、魔法も少し覚えたし、私もニタの力になりたかったの。そのためなら、魔女だって明かしても全然平気。ただ今日使った幻影の魔法はね、覚えたてだったから、上手く出来るか心配だった。杖の代わりにスプーンを使ったんだよ。」
「そう…。」
「それに、メイトーの森では、ニタが私のこと友達と言ってくれた。だから、…私、」
 クグレックは口籠る。
「友達のニタのこと、助けなきゃいけなかったの。」
 クグレックの声は嬉しそうだった。
 それに対するニタからの返答は何もなかった。暗闇を沈黙が支配する。
 クグレックが眠りの航海へ発とうとした頃、ニタがぽつりと呟くように言った。
「ニタの故郷とニタの仲間、ぜーんぶ、ニンゲンに燃やし尽くされたの。」
 クグレックの眠りへの船は一瞬にして港に引き戻された。ニタの発言はクグレックにはあまりにも衝撃的過ぎた。
「ペポ族は全員人間に狩られた。だから、ニルヴァを狙う山賊が許せなかった。ククのこと、巻き込んじゃって、ごめんね。」
 クグレックはニタにかける言葉が見つからずに押し黙ってしまった。
 ニタがドルセードの汽車の中で放っていた「人間は、怖いんだよ」という言葉はそういうことだったらしい。
 きっとあの灰色のローブを着ている間中、ニタはずっとその悲しい過去のことを思い出していたのだろうか。それならば、大人しくなってしまうのも仕方がなかった。メイトーの森を出てからずっと、ニタはそんなことを一人で背負っていたのか、と考えると、クグレックは本当に悲しみで心が締め付けられそうだった。
 そして、再び暗闇からニタの声。

「こんなニタで、ごめんね。おやすみ。」

 ニタの声はとても悲しそうだった。

 祖母が死んだだけで、クグレックは死にたいくらいの気持ちに陥った。
 大切な存在を沢山失ったニタの気持ちは想像を絶するものだったのだろう。
 ただ、クグレックはニタがいたから、少しだけ前向きになれた。だから、クグレックもニタにその恩返しが出来れば良いな、と切に願った。

「…おやすみ。」

 

 2015_09_04


「あ、あの」
 と、そこへ、一人の少女が立ち上がった。
 黒いローブをを着た黒髪ショートヘアの16歳の少女、クグレックだ。右手にはスプーンを持っている。口を付ける方を握って柄を男たちの方に向け、立ちはだかった。
「クク」
 ニタは思わず叫んだ。
「わ、私はドルセード王国のマルトの村から来たクグレック・シュタイン。ま、魔女です。」
 『魔女』の一言に男たちは「魔女だって?」「本物か?」「こんな女の子が」と、どよめいた。
 少々上ずってはいるものの、しっかりと声を張り上げて、クグレックは続けた。
「私もニタと一緒に行動します。だから、同行を許してください。」
「え、君みたいな女の子じゃ危ないよ。しかも、魔女だなんて嘘ついちゃって。」
 当惑しながら巻き毛の男が言う。
「え、嘘…?」
 クグレックも困惑した。クグレックは渾身の勇気を振り絞って、自身が魔女であることを打ち明けたのだ。マルトの村人達のように、襲い掛かってくるかもしれない恐怖を乗り越えて明かしたというのに、目の前の人々は全く以て動じない。
 世の中の、世界における魔女という存在は一体どうなっているのだろう。クグレックはどうしたら良いのか分からなくなったが、スプーンを握りしめる手に力を込めた。
「わ、私は魔女です!獅子よ、襲い掛かれ!」
 クグレックはスプーンの柄を一振りした。すると、クグレックの目の前に靄が発生し、その中から一頭の獅子が現れた。獅子は低い唸り声をあげ、男達を威嚇する。巻き毛の男の方へゆっくりとにじり寄り、大きな咆哮を上げたかと思うと、巻き毛の男に飛びかかった。巻き毛の男は尻餅をつき「うわぁぁぁ!」と悲鳴を上げた。
 
 と、思いきや、彼の体は無傷だった。
 たった今、自分を襲おうとした獅子はどこにもいない。黒いローブを着た黒髪ショートヘアの一人の少女が緊張した面持ちで巻き毛の男にスプーンの柄を向けて立っているだけだった。
「今のは、一体?」
 きょろきょろあたりを見回しながら巻き毛の男が言った。
 周りの男達もざわめく。
「確かに、今、獅子がいた。」
「ビートに襲い掛かったと思った。」
「でも、突然消えた。」
「何だったんだ?」
 男達もまた目の前の不思議な出来事に頭の処理が追いつかなかった。
 その時、マシアスが立ち上がり、ようやく口を開いた。
「今のが魔法だよ。」
「今のが、魔法…?」
 巻き毛の男が尻の埃を叩き落とし、マシアスの方を向いて立ち上がりながら呟いた。
「幻を見せるのも魔法だ。お前たちは魔法は見たことがなかったか。」
「は、はい。白魔女様がたまにいらっしゃいましたが、彼女は治癒魔法専門で、このような魔法は初めて見ました。」
「白魔女が来ることの方が珍しいけど…。ビート、この二人、連れて行こう。」
「え、でもこの二人には危険ではないでしょうか?」
「ニルヴァを狙う山賊は大したことないから、この二人でも大丈夫だ。」
 マシアスはニタとクグレックに目くばせをした。二人は嬉しそうに顔を見合わせ、声を揃えて
「よろしくお願いします!」
と深々と頭を下げた。

 2015_09_01



 そして、食事を終えた頃、ニタは何かを決意したかのように立ち上がり、男達の方へ歩いて行った。クグレックは後を追おうと思ったが、知らない男性達の中に入っていくのは気が引けた。ニタが離れて行ってしまったことを不安に感じながら、男達の一群を見つめる。
 ニタはぽてぽてと男達の環の中に入り、大きな声で「たのもー!」と言って男達の気を引いた。
 男たちは「なんだなんだ」と言ってざわつき、男たちの視線はニタに集中した。
 ニタはテーブルの上によじ登ると仁王立ちになり、拳を突き上げてのたまった。
「我は勇敢なるペポ族の戦士ニタなり!此度の希少種ニルヴァのための山賊退治、ニタも参加しよう!」
 一瞬の沈黙の間。
 そして爆発的に起こる嘲笑の声。
「なんだ?ぬいぐるみ風情の人外に何が出来るってんだ。」
「子供の遊びじゃねえんだぞ!」
「のんびりポルカの観光でもしていきやがれ!」
 ニタはバンとテーブルを踏み鳴らし「うるさーい」と叫んだ。男たちは、びっくりして、再び静まり返った。
「ぬいぐるみ扱いするんじゃない!ニタはニタだっつの!ニタの手にかかれば、お前らなんて一捻りなんだからな!ほら、そこのでっかいの、ニタを殴ってみろ!」
 ニタはぴょんとテーブルから飛び降りた。そして男達の中で一番体格の大きい男に対して、来い来いと言わんばかりに手を仰ぎ、男の攻撃を待つ。
 男は、なめんなよ、と言いながら、手を鳴らし、腕を回した。ゆっくりとニタに近付き、その丸太のように鍛え上げられた上腕二頭筋を振り上げ、ニタに向かって拳を放った。
 ニタは「楽勝楽勝」と言って、その猛虎の如き拳を、可愛らしい肉球のついたもふもふとした白い毛に包まれた手で、衝撃ごと受け止めた。余裕の表情を浮かべて、ニタは「もっと本気だしたら?」と煽る。
 男はこめかみに青筋を浮かばせながら、拳に力を入れるが、ニタはびくとも動かなかった。
 しばらく力比べが拮抗していたが、ニタは片手で口を押えながらあくびを一つ。
「ふわぁ。あんまり暴れると、おかみさんに迷惑がかかっちゃうからね。このデカいお兄さん、今から倒れちゃうから、周りのお兄さんは支えてあげてね。じゃ。」
 ニタは拳を受け止める力を少し弱めると、それまで拮抗していた力のバランスが崩れ、男は前にぐらついた。その隙をつき、ニタは飛び上がって男の顔に向かい、可愛らしい肉球を握りしめ、殴りつけた。
「肉球パンチ!」
 ニタに殴られた男は、今度はニタのパンチの衝撃を受け、仰向けになって吹き飛ばされた。取り囲む男達が飛んできた男を支えたため、倒れることはなかったが、男の頬っぺたにはニタの可愛らしい肉球跡が残っていた。
「どうだ!」
 ニタは腰に両手をあて、胸を張ってふんぞり返った。
「村一番の力自慢のリックを手籠めにするとは。しかし…。」
 ニタが殴り飛ばした男、リックとニタを交互に見回しながら、口籠る巻き毛の男。その表情は戸惑いに包まれていた。

 2015_08_26



 ただ無造作に酒を飲む青年団の中の20代後半程の男性がパンパンと手を叩く。黒くてちりちりとした短い巻き毛の体格のいい男性だ。
 男たちは、騒ぐのをやめて、巻き毛の男に注目した。
「我々は明後日より、ポルカ高原のみ生息が確認される希少種ニルヴァを狙わんとする山賊を討伐に向かう。ニルヴァは我々ポルカの民にとっての友であり、象徴でもある。尊き存在を踏みにじる外からの輩に、我々は立ち向かわねばならぬ!リタルダンドの英雄フーコの如く悪には立ち向かわなければならぬ!」
 巻き毛の男が、重々しく言い切ると、周りの男たちは「うおー」と酒の入ったジョッキを突き上げ声を上げる。
「ただ、我々には山賊と争うには経験が少なすぎる。そこで、我々はハンターランキング上位のマシアス氏の手を借り、山賊に立ち向かう。マシアス氏、どうぞお言葉を。」
 そう言って、巻き毛の男が手を差し伸べた先のマシアスと呼ばれた男は、嫌そうに手を振った。マシアスは頭にターバンのような布を巻き、スカーフ、マント、ローブといった長さのある布製品を重ねて着た男性が座っていた。伝統的な砂漠の民の衣装だ。
 巻き毛の男は腰を低くして
「いやいや、マシアス氏、皆、貴方の言葉を欲しがっているんです。ここは是非。」
 と、食い下がることなく笑顔で言った。
「いや、いい。俺はお前たちのことを助けるだけだ。山賊を倒し、お前たちが大切と思う希少種を守りきるだけなのだから、それ以上はいいだろう。」
 そう言って、マシアスは杯を仰ぐ。だが、巻き毛の男を初めとした青年団は言葉を貰えたことが嬉しかったのだろう。再び「うおー」と大きな声を上げて、嬉しそうに傍の同志と自らの杯をぶつけ、飲み干し合う。男達から「おかみさん、酒おかわり」の声が立て続けに上がった。
 それからはまた、豪快で騒々しい宴会が再開された。
 しばらくして、おかみさんがニタとクグレックの席に食事を持って来た。美味しそうなデミグラスソースの煮込みハンバーグとコーンクリームスープと焼きたてのパンだった。
 数日間は野宿で粗末な食事だったので、二人は暖かみのある食事が嬉しかった。
「おいしいね。」
 と、ククが言った。
「うん。とっても美味しい。」
 コーンクリームスープを啜りながらニタが言った。
「あの人たちは、ニルヴァっていう生き物を山賊から守るんだね。ニルヴァって、マルトで言えばメイトー様みたいなものなのかな。」
 クグレックからの問いに対して、ニタはその味を堪能するかのように目を閉じてコーンスープを啜った。
「多分ね。そんな存在を狙うなんて、山賊、許せない。」
「本当に。ところでニタ、ハンターって何?」
「うーん、何でも屋、かな。依頼者の望むものを狩猟、採集して入手する人たちのことを言うんだけど、最近じゃ傭兵もやるし、なんでもやる。秘密裏で人殺しだってやっちゃうらしいよ。お金さえあれば。ドルセード王国では確かハンター制度を禁止している国だったけど、他では割と普通に居るかな。特にリタルダンドみたいな不安定な国だとハンターは多いかな。色んな人が特別な手を借りたがってるから。」
「へぇ。」
「ハンターランキングなんてのもあるけど、結構偽造する人も多いから、雇う側はしっかり見極めないといけないよ。あのマシアスってやつが本物かどうかは怪しいもんだ。」
「そうなんだ。」
 ニタとクグレックは青年団を横目に和やかに食事を進めた。


 2015_08_21


**********

「ここの村の人は優しい人が多いのかな。」
「うん。なんだかそんな気がする。」
 宿屋の部屋を宛がわれた二人は荷物を置いて部屋でのんびりごろごろしていた。外に散歩に行くのも良かったが、これまでずっと歩き通しだったのだ。二人はとにかくゆっくり休みたかった。特に貧弱なクグレックにとって休息は大事だった。
「マルトってさ、」
 ニタがぽつりと呟いた。
「北の辺境の地にあって、他との交流がないから、どこか閉鎖的で冷たい印象がするよね。」
「そうなの?」
 マルトの村しか知らないクグレックにはニタの言うことが理解できなかった。
「うん。なんというか。エレンは優しかったけど。土地柄っていうのがあるんだよ。」
「トチガラ。」
「そ。ほら、温かい土地の人は大らかだって聞いたことがある?」
「なんで?」
「うーん、たしか、温かい土地は食べ物も豊かでひもじい思いをすることがないし、温かくて服もそんなに着なくていいから開放的な気持ちになるみたいだよ。ククも夏になると、わくわくしない?春でも良いけど。」
 クグレックは、春を思い出す。確かに、春から夏にかけては寒い思いをしなくても良いので、嬉しい。温かい土地の人は常に嬉しい気持ちでいるのだろうか、と考えると、クグレックは温かい土地の人々が羨ましくなった。
「因みにニタも食べ物に困らない過ごしやすいところに住んでいたから、こんなにおおらかな性格なのさ。」
 鼻高々に語るニタ。
「え、ニタはメイトーの森出身じゃないの?」
 クグレックの問いにニタはパチパチと瞬きを行う。ニタは一言「うん」と頷くだけで、それ以上は語らなかった。表情豊かなニタの表情が消えた。だが、またいつもの調子で「だから、メイトーの森はニタには寒かった。」と言った。
 妙な雰囲気が流れてしまい、クグレックは話しづらくなってしまった。
 ニタがフード付きのローブを着てから、クグレックはニタとなんとなくギクシャクしている。
「さ、クク、そろそろ夕ご飯の時間だし、食堂の方に行ってみようよ。」
「う、うん。」
 二人の部屋は2階にあり、1階には宿屋受付と食堂兼酒場があった。正面ロビーの階段すぐ横に受付があり、壁一つ隔てて食堂がある。食堂は大勢の男たちが集まり賑やかで、酒場としての面を色濃く映し出していた。
 クグレック達を招いてくれた宿屋兼食堂のおかみさんは忙しそうにしていたが、二人を目にすると、笑顔で席に案内してくれた。窓際の二人掛けのテーブル席だ。
「ごめんね。村の自衛団の男たちが、決起集会で飲んだくれちゃって。ちょっとうるさいと思うけど、我慢してね。」
「自衛団?」
「そ、自衛団。最近山賊がこの辺を荒らし始めててね。狙いがこのあたりにしか存在しない希少種なのよ。それらを守るために、村の若い男たちが立ち上がってね。まぁ、山賊なんかに手なんて出さない方が良いと思うんだけどね。」
「希少種…。」
 ニタが呟いた。おかみさんは、男達に酒の注文で呼ばれ、「ご飯はすぐに出すからね」と言って慌ただしく二人の元を去って行った。
 希少種とは、不思議な力を持った生き物のことで、生息数が極端に少ない希少な存在なので、希少種と呼ばれている。白猫の姿をしたメイトーも希少種であるし、人語を操り力持ちなニタも希少種である。
「なんだかとってもにぎやかだね。」
 決起集会を行う男達を見ながら、クグレックは言った。男達は自分たちに喝を入れたいのか、ただ皆で集まってに楽しく飲みたいだけなのか、良く分からない。ひたすら楽しそうである。
 2015_08_17


 二人は道を歩き続け、煉瓦造りの家屋が立ち並ぶ村の中心部の広場にやって来た。
 ふくよかな中年の女性が広場にある井戸で水汲みを行っていたり、老婆がのんびりベンチに腰を掛けて日向ぼっこをしている。
 ベンチは反対側にももう一つあったので、二人はベンチに座って腰を落ち着かせた。
「なんだか、のびのびとしたところだね。」
 空を仰ぎながらクグレックが言った。晩秋の高い青空にはお日様が上り、ぽかぽか暖かい。ニタは足をぶらぶらさせながら、「そうだね。ドルセードよりは南にあるからかなぁ。」と答えた。ニタは小さいので足が地面に届かない。
 そうやってのんびりしていると、井戸で水汲みをやっていた中年女性が二人の元に近づいて来て、話しかけてきた。
「アンタたち、見慣れないわね。どこから来たの?」
「マルトからだよ。」
 ニタが答えた。
「マルト?聞いたことがないわねぇ。」
「田舎だからね!」
 というニタに女性は「あらやだ、あっはっは。」と豪快に笑う。
「まぁ、このポルカ村も同じくらい田舎で、なかなか人が来ない村だけどね。あ、もしかして、アンタたち、峠越えでもしてきたの?」
 ニタは女性を見つめたまま押し黙った。もし無断で国境越えをしてしまったことがばれたら、どうなるか分からない。
 だが、女性は明るくけらけらと笑う。
「大丈夫よ。この村割と寛容だから。それにこんな女の子とちっちゃい子熊ちゃんが悪いことするように見えないわ。ええ、いわゆる人間じゃない人にも寛容だわよ。子熊ちゃんもこの村にいる間はそのフード、外しちゃっても大丈夫よ。」
 ニタはクグレックの方を見つめてから、ゆっくりとフードを脱ぎ始める。おばちゃんはにっこりと微笑んで、向かいに座っている老婆は「あんれまぁ、白熊の子供だ。可愛いこと。」と大きく独り言ちた。
 クグレックもニタを見て、励ますようににっこりと微笑んだ。少し戸惑い気味だったニタも、密かに表情を緩ませて、フードを完全に脱いだ。
「ポルカは田舎だから寛容だし、そもそもこのリタルダント共和国は穏健派が政権を握ったから、色々と寛容なの。特に誉高き白魔術師の隠れ里があるくらいだからね。魔法使いにも寛容よ。」
「なかなか良い国だね。」
「ふふふ。でもねぇ、生まれ変わったばかりの国だから、悪い輩がまだ若干蔓延っているのよね。そういう輩に限って、人外を捕まえて売り飛ばそうとするんだから、最低よね。」
「うん。最低だ。」
 ニタが拳を握りしめながら同調した。その時、女性の目がきらりと輝いた。
「ところで、お二人は泊まるところあるのかい?」
 という女性の問いに
「ない。」
 と、きっぱりとニタが答える。女性はやっぱりねと言うように満面の笑みを浮かべた。
「なら良かったわ。うちはポルカ唯一の宿屋と食堂をやってるから、今晩はうちに泊まりなさいな。ご飯はサービスしてあげるから。」
「え、良いの?」
 青い目を輝かせながらニタが尋ねる。女性は満面の笑みで頷く。「部屋代は頂くけどね。」と付け加えながら。
「うちの店はそこの通りを進んで左手側にあるんだけど、案内するからついて来て頂戴。」
 中年女性に案内をしてもらいながら、二人はポルカ村唯一の宿屋へと向かった。


 2015_08_12


 傾斜の緩やかな長い山道を登った先には、広大な枯れ草色の平原が広がっていた。所々に羊や散歩中の白と黒の柄の乳牛がおり、のんびりと枯草を食んでいた。のどかな晩秋の陽気。
 更に道を行けば煉瓦造りの民家の集落が見えた。
「やっと家が見えた。」
「いやぁ、疲れたねぇ。」
 樫の木の杖と黒色のローブを着た黒髪のショートヘアの16歳の少女と、円らで可憐な瑠璃色の瞳に白い毛を蓄えた子熊のような生き物が、青空に映える枯れ草色の高原の景色を眺めながら、会話をしていた。子熊のような生き物は大きなリュックサックを背負い、フード付きの灰色のローブを着ている。
 
 少女の名前はクグレック・シュタイン。ドルセード王国北東にあるマルトという田舎生まれの魔女。
 白い子熊のような生き物はペポ族のニタ。天真爛漫のお調子者で飄々とした性格である。マルトのすぐそばにあるメイトーの森で暮らしていたが、今はクグレックと合流しアルトフールという土地を目指して旅をしている。 
 
 が、そんなニタは今は少し機嫌が悪そうであった。
 その理由は、ニタが来ている灰色のフード付きのローブにあった。
 二人がメイトーの森を出る際に、森の主であるメイトーから餞別で旅に必要なものが一式揃ったリュックサックを受け取った。その荷物の中の1つであった灰色のローブ。ニタ用に作りましたと言わんがばかりのその小さなローブを見て、ニタは察したのだろう。メイトーの森を抜けてから初めての集落に入る手前で、ニタは灰色のローブを着て、フードを目深に被りだしたのだ。
 最初はクグレックも理由が分からなかったが、次第に状況が掴めて来た。
 ニタは人間ではない『人外』であるから、差別を受けてしまうのだ。だから、ローブを着て、その存在を隠さなければいけなかった。
 差別に関して、地方の村や町ではあまり気になることはなかった。が、人が多く集まる街や都市では、ニタが人外だからという理由で宿屋や店屋などの施設の利用を拒否されることが多くなった。時には知らない輩に絡まれたりした時もあったが、相手にしなかった。
 鉄道を利用した時も駅員に
「人間でないお客様を不快に思われる方もいらっしゃいますので、フードは着用したままでお願いいたします」
と言われた。
 その後、汽車の中でニタは「ニタは“人外”だから、こうやって身を隠さないと何をされるか分からない。きっと、ククにも迷惑かけちゃうから、ローブを着るのは当然さ。人間は、怖いんだよ。」と淡々と語っていた。
 クグレックは初めて汽車に乗るという感動と差別による憤りと悲しみという相反する二つの感情に包まれながら、何とも言えない気持ちでいた。クグレックも魔女ということでマルトの村の人々に忌み嫌われてきたので、差別されることの辛さは良く分かっているつもりでいたのだが、なんだかとても悲しかった。
 そして、ドルセード王国を抜けようとした時に、問題が発生した。二人は国境の関所を通るための手形を持ち合わせていなかったのだ。クグレックも自宅が全焼していたので身分を証明するものは何も持っていなかったし、ニタも人外であるということを理由に手形の発行が出来なかった。手形の発行は高額であったため、二人は正規ルートを断念し、山道からの峠越えを決行した。
 野宿こそしたが、メイトーの森を出てから数日間は野宿だったので、勝手は慣れて来つつあった。
 そして、ようやくたどり着いた集落が、リタルダンド共和国の北端に位置する高原の村ポルカだった。ポルカは酪農で生計を立てている村だ。高原にのんびり過ごす羊や乳牛たちは、この村の生命線だ。

 2015_08_11


 そして、メイトーは何事もなかったかのように優美にニタとクグレックの元へやって来ると、ニタの頭にぽふっと前足を乗せた。
 すると、朦朧としていたニタの様子が一転して、目に力が宿ったかと思うと、元気よく起き上がった。
「メイトー様、助けてくれてありがとうございます。」
 メイトーは満足したように「にゃーん」と鳴く。
「え、なんですか?」
 ニタはメイトーに耳を傾け、相槌を打つ。メイトーは一言も鳴き声を発さないが、ニタは「えーそうなんですかー」「へー」と反応している。クグレックは呆然とした様子でニタがメイトーの話を聴いている様子を見ていた。
「なんだ、そういうことだったんだ。」
 メイトーは「そういうことなんだよ」と言わんばかりににゃーんと鳴くと、クグレックの足にまとわりつき、体を擦り付けて来た。クグレックはしゃがんで、メイトーの体を優しく撫でた。短毛のつやつやした白い毛はベルベッドのようにすべすべしている。
「クク、メイトー様、ニタ達に忘れ物を届けようと思って、森を閉じてたんだって。でも、ちょうどそこにさっきの変な女が入って来たから、ちょっと様子を見てたら、大分時間が経ってしまったらしい。なんか森のあちこちに魔法陣を作ってたから、全部消して回ってたんだって。」
「魔法陣?」
「うん。どんなのかはよくわからないけど。でも、あの女が作ったものだから、きっと良くないものに決まってる!」
 クグレックは確かにニタの言う通りだと納得した。
「で、メイトー様、忘れ物って何ですか?」
「にゃーん。にゃおにゃお。」
 メイトーは可愛らしい甲高い声で鳴くと、どこからともなく大きなリュックサックが落ちて来た。
 クグレックはニタを見る。ニタはけらけら笑いながら答えた。
「どうやら、エレンからの餞別らしいよ。開けてみると良い。」
 クグレックは恐る恐るリュックサックに近付き、中を確認する。すると、中にはお金と寝袋、簡易式テント、携帯食料、1冊の本が入っていた。本はいわゆる魔導書と呼ばれるもので、数種類の魔法の使い方について記されたものだった。なかなかずっしりとした荷物ではあったが、これらがあれば森の外に出てもなんとかやっていけそうだ。
「メイトー様、ありがとうございます。」
 クグレックは笑顔でメイトーにお礼を言った。
「メイトー様は何もしてない、ただ届けただけだ、って言ってるけど、メイトー様がいなければあの女をどうにかすることも出来なかった。本当にありがとうございます。」
 メイトー様は満足げに「にゃー」と一鳴きすると、急に駆け出し、森の奥の方へと消えて行った。
「メイトー様、おやつを残して来ちゃったから帰るって。無事に頑張ってね、だってさ。」
「メイトー様って、自由なんだね…。」
「まぁ、そうだね。じゃ、先進もうか。その荷物、きっとクグレックには持てないだろうから、ニタが持つよ。」
 クグレックはここまでずっとニタに頼りっぱなしだったので、少しはニタの役に立ちたいと思い、リュックサックを背負おうとしたが、結構な重さで担いだところでふらふらしてまっすぐに歩けなかった。だけど自分よりも小さなニタにこんな重いものを持たせるわけにもいかなかったので、頑張って歩いた。が、ニタがニヤニヤしながら「そんなんじゃ、今日中に森を抜け出せないよ。」と言ったので、結局リュックはニタが背負うこととなった。
 ニタは平気な様子でリュックサックを背負い、今まで変わらない速さで歩くことが出来ている。小さくて可愛い外見をしているが、身体能力は特別優れているようだ。
 二人はなんやかんやワイワイ言いながら、森の入り口を目指して進んで行った。もう森の異常は何もない。森の守護神メイトーを味方につけている二人は何の困難もなく森を脱することが出来るだろう。
 二人のアルトフールへの旅は始まったばかりだ。



 2015_07_11


 と、その時、なにか白いものがクグレックとニタの頭上を飛び越えて行った。そして、紅髪の大女の前に降り立つ。
「メイトー様!」
 ニタが叫ぶ。
 すらりとした美しい毛並みの白い猫が前足をぴったりと前に揃えて、ぴしりと姿勢を正して紅い髪の大女の前にすまして居座る。神々しいまでに白く輝く毛並みを持つこの猫は、この森を治めるメイトーである。マルトの村人はメイトーを神格化しているが、メイトーはなんの変哲もない白猫だ。ただ、人間よりもずっと長生きをするし、不思議な力も使える少々特殊な白猫であった。
 紅い髪の大女はそんなことを知ってか知らずか、メイトーを前に余裕の表情を見せていた。
「へぇ、アンタがこの森の守護神メイトーね。随分綺麗な猫ちゃんじゃないの。」
「メイトー様を馬鹿にするな!」
 ニタは這いつくばりながら、怒鳴りつける。
 メイトーは威嚇するように、毛を逆立てて紅い髪の大女に向かって牙を見せると、光の速さで飛びかかって行った。
 大女はキャーと悲鳴をあげた。その顔には合計6本のひっかき傷が出来ていた。
「え…。」
 ニタは若干戸惑っていた。クグレックも展開に戸惑っていたが、メイトーは何事もなかったかのように、再び優雅に前足を揃えて紅髪の大女の前に座る。長い尻尾だけがまるで別の生き物のように優雅に動いていた。
「この糞ネコめ、アタシの美しい顔に傷をつけたわね!」
 紅髪の大女は蛇の飾りがついた杖を手に取ると、何かをブツブツ唱えて、天に掲げた。すると、杖からキラキラした光が発生して大女を包んだかと思うと、6本のひっかき傷は跡形もなく消えていた。そして、痺れたと言って尻餅を着いたままでいた大女がすっと立ち上がり「よくもやってくれたわね…。」と言って、メイトーに向かって杖を振り上げた。
 ところが、紅髪の大女は急に焦り出す。自身の体が徐々に透けて来ているのだ。
「や、なに?体が透ける!え、ど、どういうこと?」
 メイトーはぐるるると喉で唸りながら、大女から視線を外さない。尻尾ばかりが蛇のように妖艶に動いていた。
 紅髪の大女の体は徐々に向こう側が透けて見えるようになっていた。自身に発生した異常にパニック状態になり、何度も自身の体をさすっている。しかし、体の先から徐々に透けて消えていき、紅髪の大女は今にも泣き出しそうだった。
「や、やだ、アタシ、死にたくない。いや、いやよ、まだ生きていたい!」
 彼女は必死で拒むが、メイトーが可愛らしい声で「ニャー」と一鳴きすると、紅髪の大女の姿は忽然と消えてしまった。
 騒々しい大女の声が止み、森の中には静けさが戻った。


 2015_07_03



 翌日、予定変更を行い、再びメイトーの祠へ戻ることに決めた二人は、もと来た道を戻っていく。
「メイトー様に何かあったら心配だ。」
 森の中を進んで行く二人だったが、そこへ一人の女性が現れた。
 くたくたになった白いローブを着た、唸るような紅い髪をした大柄の女性。蛇の飾りがついた杖を持ち、二人にそれを向ける。
「み、見つけたわよ、黒魔女!」
 ニタは、すかさずクグレックの前に立つ。
「なんだよ、だれだ、お前!」
「なに、この喋るぬいぐるみ。」
 ぬいぐるみ扱いされたニタは地団太を踏んで憤慨した。
「ぬいぐるみ、邪魔よ。」
 紅髪の大女が蛇の飾りがついた杖を一振りすると、ニタはふわりと浮かんで、傍の木に飛ばされていった。激しく木にぶつかり、打ち所があまり良くなかったらしく、ニタは目を回してがくりとうつ伏せに倒れた。
「ニタ!」
 クグレックはニタの元へ駆け寄ろうとしたが、目の前の紅髪の大女に行く手を阻まれた。
「黒魔女、会いたかったわよ。」
 紅髪の大女は、クグレックの顎を取り、顔を近づける。
「アンタがとうとうエレンを殺したというから、来てやったというのに、どういうわけか森から出られなくなって焦ったけど、ようやく見つかって良かったわ。」
 妖艶な笑みを浮かべて、赤髪の大女は舌なめずりをした。クグレックは、彼女の緑色の瞳が気になり、じっと見つめていた。緑色の瞳をした人を今まで見たことがなかったからだ。このメイトーの森の木々と同じ深緑の瞳の美しさにほれぼれしそうになったが、クグレックは経った今彼女が言った『アンタがエレンを殺した』という言葉が気になった。エレンとはクグレックの祖母の名前だが、クグレックは決して祖母に手をかけてはいない。クグレックの目の前で祖母はベッドで静かに息を引き取ったのだ。
「とりあえず、アンタの力が私には必要なの。だから、アタシのために、死んで頂戴。」
 紅髪の大女はクグレックの首に手をかけた。ぐっと力を籠め、クグレックを締め上げる。クグレックは突然のことに驚いて抵抗すらも出来なかった。いや、しなかったというべきか。
「糞女、ククを離せ…。」
 弱弱しいニタの声が耳に入る。その時、クグレックははっとして我に返り、大女の手を剥がそうと試みた。だが、非力なクグレックではどうすることも出来なかった。視界と音が薄く白み始めたかと思うと、バチッという音と共に雷が落ちたかのように周囲が白く光った。大女は小さな悲鳴をあげてその手を離した。
 解放されたクグレックはクグレックは噎せて、苦しそうに咳き込んだ。
 落ち着いてからクグレックは目を開けた。涙で潤む視界の中には、尻餅をついて倒れ込んでいる大女の姿があった。大女は呆然とした様子で、クグレックを見ている。
 ニタはどうなったのかと思い、ニタを探すが、ニタは相変わらずうつ伏せで倒れていた。
 クグレックはニタに駆け寄り、「大丈夫?」と声をかける。ニタは力なく片手を上げて「うーん、大丈夫…。」と言って、だらりと手を降ろした。どうやらニタは生きていることを確認できてクグレックは安心した。
 だが、状況は何も変わらない。突然クグレックの命を狙う謎の紅髪の大女が残っているのだ。彼女から離れなければクグレックだけでなくニタも危ない。
「…一体…、何なの?」
 首を絞められた影響で、喉が潰れてしまったガラガラのだみ声でクグレックが尋ねた。
「いや、こっちこそ、なんなのよ。急に体に強いびりびりが走ったのよ。今、アタシは全身痺れて立ち上がれないわ。」
 その時、クグレックの懐から小さな陶器製の瓶がころりと出て来た。この小瓶には祖母が亡くなった後に残した灰が入っていた。クグレックは愛しそうにその小瓶を拾って再び懐に戻した。
 紅髪の女は機嫌悪そうに目を細めた。
「アンタは本当にエレンに愛されていたのね」
 エリアとはクグレックの祖母の名前だ。なぜこの見ず知らずの女性が祖母のことを知っているのか、そして、その死についても知っているのか。クグレックは声を絞り出す。
「どうして、おばあちゃんのこと…知ってるの?」
「あの人は魔女の中でも高名な薬師だからねぇ。その界隈じゃ有名なのよ?魔女としても有能だし、勘が良い人はエレン程の魔力が消滅したことくらい、気付けちゃうわ。」
 淡々と語る女性だったが、ふと口元に笑みを浮かべた。まるでクグレックを嘲笑するかのように。
「でも、そんな有能な魔女でも、更に上を行く魔女の力は抑えきれなかったみたいね。」
 クグレックは、大女の笑みに不安な気持ちを覚えた。
「黒魔女、アンタは世界を混沌に陥れるくらいの力を持っている。でも、その力をコントロール出来なければ、アンタはただの悪魔であり、疫病神であり、呪われた存在でしかない。コントロール出来ないアンタの力は、瘴気の源となって魔を呼ぶだけ。風を止め、大地を腐らせ、人の心の闇を刺激する。人々に疑心暗鬼、憎悪の心を生み出し争いを発生させる。アンタはそんな存在。本来なら魔女は長生きするはずが、エレンが普通の人間と同じ年齢で死んでしまったのは、アンタの力を抑えていたせい。全部アンタが原因なのよ。」
 クグレックは表情を暗くした。自身が忌み嫌われる存在だということが分かっただけでなく、その影響が大好きな祖母にまで及んでいたことも指摘されて、陰鬱とした。
「そんなこと、ないよ。」
 うつぶせになったニタが、弱弱しい声で反論した。顔だけ上げて紅い髪の大女を鋭い視線で睨み付ける。
「エレンはしょうがなかったんだ。色んな業があってエレンは天命を全うした。ニタはそのエレンの意志を引き継いだ。だから、ククは悪魔でもないし、厄病神でも呪われた存在でもない。ニタの友達を悪く言わないで…。」
「な、なによぬいぐるみ風情が!」
「ニタがこんなんじゃなかったら、お前のこと、ぶん殴ってやってるところだった。」
 威嚇でもするかのように怒った表情をするニタだったが、動くことが出来なければどうにもならなかった。
 だが、幸いにも目の前の紅髪の大女も尻餅を着いたまま立ち上がる様子もないので、紅髪の大女とニタの罵詈雑言の応酬が繰り広げられるばかりだった。
 2015_06_24


********

 翌日もまたニタとクグレックは森の中を彷徨った。
 昨日と同じ距離を歩いたはずだが、結局、二人は森の外に出ることが出来なかった。ニタは一向に森の出口に向かっている感覚が掴めなくなっていたので、とうとう午後過ぎくらいから、脱出を諦めることにした。もしかするとメイトーに何かが起こってしまって、出れなくなったのかもしれないと考え、一旦メイトーの祠に戻り、メイトーの様子を確認しに行くという方向に計画を変更することにしたのだ。
 しかし、その前に二人は粗末な物しか口にしていなかったので、まずは腹を満たすことを優先させることにした。ニタは森を駆け巡り、食料到達へ。クグレックは別荘付近で、木を集めたり水を汲みに行ったりしていた。
 夕方頃にはニタはウサギを三羽とイノシシを1頭持ち帰って来た。クグレックは屠殺の様子を見たことがなかったので、ニタが手慣れた様子でイノシシやウサギを解体していく様子を見て、吐き気を催しそうになったし、泣きたい気持ちになった。だが、生きるためならば仕方がないと思い、我慢した。
 クグレックが魔法で火をつけ、肉を焼いて食べたが、調味料がないため味がついていなかった。ニタは美味しそうにむしゃむしゃ食べていたが、クグレックの口にはどうしても合わなかった。味がないだけでなく、動物独特の臭みもあったので、あまり食べられなかった。
「クク、ちゃんと食べないと、歩けないよ。」
「う、うん。でも、なんかそんなにお腹空いてなくて…。」
「そう?じゃぁ、ニタが全部食べちゃうからね。」
「うん。いいよ。」
 ククは木の実をポリポリとつまんで食べた。これもまた味気ないものだったが、ワイルドな動物の肉よりはましだった。
 そして、再び別荘にて夜を過ごす。
 ニタは、お腹が満たされて、幸せそうな表情に包まれている。壁にもたれかかって座っているが、今にも眠ってしまいそうに、うとうとしていた。
「クク…、」
 ニタが譫言のように呟いた。ニタはもう8割ほど眠りの世界へ旅立っていた。
「ククはニタの、友達だからね…。」
 そう言い残すと、ニタは横に崩れて完全に眠りに落ちた。
 クグレックは、しばらくニタを見つめていた。冷静に見つめているようだったが、内心はニタの「友達」という言葉にびっくりしていた。なぜならクグレックには友達は一人もいなかったから。本の中でしか知らなかった『友達』が今クグレックの目の前にいるらしい。クグレックは凄く照れ臭い気持ちに襲われたが、それ以上に嬉しかった。ニタにそっと毛皮をかけてあげると、蝋燭の火を消して、クグレックも眠りについた。明日こそは森の外に出られることを祈って。


 2015_06_02


********

 朝になり、二人は森を抜けるため、再び歩き出した。クグレックは昨晩寝るときにくるまった毛皮を防寒具として持ちだした。外は寒いのだ。
 ニタが言うには今日中には森を抜けることが出来るとのことであった。
 だが、クグレックはニタのような野生児染みた体力など持ち合わせておらず、疲れて途中に何度も休憩を取ったため、本日中に出ることが出来なかった。そのため、その夜もニタの別荘で一晩を明かした。別荘は昨晩過ごしたものと同じ作りだったが、ここには乾燥した果物と木の実が多くあったので、二人はそれらを口にした。
 一晩ゆっくり休んで、二人は森の出口を目指して歩き始めた。
「昨日は半分以上は進んだはずだから、今日中には確実に抜け出せるはずなんだけど…。」
 森の中を歩きながら、ニタが言った。
 ククはその後を黙って着いて行く。ニタをアルトフールに連れて行くと決意したのは良かったが、自分の足で歩くということがこんなにも大変であることを、クグレックは知らなかった。
「でも、なんか、変なんだよね。」
 ニタは立ち止り、脚の屈伸をしながらクグレックの到着を待つ。
 杖をつきながら重たい足取りのクグレックが到着すると、ニタは傍の木陰に腰かけて、クグレックを見つめる。クグレックはヘタリとその場に座り込んだ。
「気のせいかもしれないけど、進んでない気がする。」
 ククは喋る気力が起きなかったので、それは一体どういうことかと首をかしげて見せた。
「なんか同じところをぐるぐるまわってるかんじがするんだよね。どういうことだろう。」
 森のことに詳しいニタが分からないことをクグレックは知るはずもない。そんなの分からないよ、と思いながら、クグレックはふくらはぎを揉んで、足の痛みを和らげる。
「まぁ、気のせいかもしれない。もうちょっとで出口のはずだから、頑張って行こう!」
 そうして二人は出口目指して歩き続けたが、結局その日は森を出ることが出来なかった。
 幸いなことに、都合よくニタの別荘があったので、夜の寒さを凌ぐことが出来そうだった。だが、別荘を目にして、ニタは険しい表情を浮かべた。そして、ぽつりとつぶやく。
「ここは昨日の別荘なんだ。」
 クグレックには別荘の見かけや、大樹の様子などは初日に見たものとほぼ同じように見えた。だが、実際に別荘の中に入ってみると、昨晩ニタが食べ散らかした乾燥果物の種が散らばっていた。
「これは昨日の…。」
「うむ。」
 ニタは腕組をして思案する。この森を治めているメイトーは、ニタとクグレックが森の外に出ることを認めているのだ。穏やかなメイトーならば、快く送り出してくれると思っていたが、これは敢えての試練なのだろうか。
「私達、悪い存在なのかな。」
 沈黙の中、クグレックが呟いた。ニタは「どういうこと?」と質問した。
「だって、メイトーの森では、悪の心を持った人は死ぬまで森の中を彷徨うんでしょう。メイトー様がマルトの村を守るために悪い人を永遠に彷徨わせるって言い伝えがあるの。きっと、今はそういうことなんだよ。」
「まさか!だって、むしろニタ達はマルトの村から遠ざかってるし、メイトー様はニタ達の味方だよ。」
 ククは毛皮を頭から被り、ごろんと横になった。クグレックはとにかく疲労困憊していた。
「今、自分たちがどういう状況にあるのかは分からないけど、やっぱり私は、メイトー様にも嫌われてるのかな。」
 そう呟くと、クグレックのの意識はふっと消えて、深い眠りに落ちて行った。ニタは、しょんぼりとしながらその毛皮の塊を見た。
「ニタは、こうやって話が出来る友達がいるの、嬉しいんだけどな。」
 ニタは蝋燭の火を吹き消して、毛皮にくるまって目を閉じ、眠りについた。
 2015_05_27

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