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 全員が海底神殿に突入するとどこからともなく声が聞こえた。子どもの様な舌足らずの可愛らしい声だ。
「最近は海生生物以外の来客が多いもんだ。しかも大人数ときた。ようこそ、海底神殿へ。」
 子供の声は水中ながらはっきりと聞こえた。
 しかしながら、その声の主の姿はどこを探しても見当たらない。皆辺りをきょろきょろ見回して戸惑うばかりだった。その様子に声はけらけらと笑う。
「ははは。残念ながら僕の身体はうんと昔に海の藻屑と成り果てたよ。今の僕は言うなれば地縛霊。魂だけがこの海底神殿と一体となったようなものだよ。それにしても、随分と若いドラゴンだね。何の用だい?」
「宙船に乗りたいんです。」
 ブクブクと泡を吐き、籠った声でムーが答えた。
「ほう、宙船ね。メンテナンス不足かもしれないけど、それでも良いならご自由にどうぞ。」
「ありがとうございます。」
「宙船は最深部に格納してあるから、最深部までおいで。ただし、適正試験を行うよ。まぁ、人数も結構いるようだから誰かしらは合格するんじゃないかな。あ、はじかれたとしても、別に害はないから安心して。その先に進めなくなるだけで、戻ることは出来るから。そんなわけで、次の部屋に進んでみて。」
 至極楽しそうに声は一行を誘う。一行の目の前にある岩戸がゴゴゴゴと音を立てて横にずれると、通路が現れた。人一人分しか通れない狭さだ。全員が通路を抜けると、9人では少し狭いと感じられるほどの広さの小部屋に出た。海藻やら海生生物が岩にへばりついている以外には特に何もない部屋だ。
 すると通って来た通路の岩戸が突然動き出し、通路を塞いだ。一行は小部屋に閉じ込められてしまった。
「え、閉じ込められた?」
 突然の事態に動揺する一行。
 ニタやハッシュらが協力して岩戸を動かそうとするも、びくともしなかった。
「えぇ、どういうこと?」
 途方に暮れてしまいそうな一行だったが、再び子供っぽい声が聞こえた。
「大丈夫、安心して、一生出られないことはないから。これから僕が出す問題に答えることが出来れば帰りの扉も開くし、先の扉も開く。分からなければ帰りの扉は開くけど、先の扉は開かない。僕的にはこんなところで帰って欲しくないけどね。」
 と、声がすると、中央が青白い光を発光させた。まるで蛍の光のように鈍く光り出すと、青い文字が浮かび上がって来た。

―――産声は日の光が遠き地にて上げられた。信仰と秩序の均衡は崩れ、信仰は封印された。謹厳に満たせり。白き風景は冷淡なほどこし。幸福は憧憬。悲哀の民に古代より光を受け命を繋ぎしものを見せ、彩華やかにして。

「どういう意味?」
 ニタがディレィッシュに尋ねる。ディレィッシュは顎に手を乗せながら、「ううむ」と言って考え込むが「分からん」と声を上げた。9人もいるのだから、誰か一人でもなにかを思いついても良さそうなのだが、誰も何も思いつかない。
「ムーは分からない?」
 と、ニタが聞くがニタは眉間に皺を寄せて、首を傾げるばかりだった。
「“悲哀の民”はおそらくその前に書かれてる文章がヒントなのだろうけど、この部屋にそのようなものがあるか…?」
 とディレィッシュが呟く。
 この部屋には先ほども述べた通り、何もない。石造りの直方体の小部屋で、石壁は苔生していたり、部屋の隅には岩礁があり、小さなワカメやコンブと言った海藻が揺らめいており、小さな魚が海藻の陰に隠れたりしている。
 実は先ほどの部屋と同じ光景だ。
「ニタはさっぱり分かんないよ、ククは分かる?」
 と、ニタに聞かれ、クグレックは頭を横に振る。クグレックも考えてはみたのだが、日の光が届きづらい地にて産声をあげた悲哀の民など聞いたことがないし、謹厳という言葉も良く分からない。
 だが、皆がうんうんと悩む中、ようやくディレィッシュが声を上げた。
「あぁ、そうか。簡単なことじゃないか。」
「何?分かったの?」
 ニタが尋ねる。
「あぁ。悲哀の民はクライドとククだ。」
 『悲哀の民』と称されて、クグレックは少しだけ悲しい気持ちになった。クライドはどう思ったのだろうと、ちらりと見遣れば、表情は変わることなく平然としていた。
「ムーとルルの可能性も無きにしも非ずなんだが、日の光が遠き地とはドルセード王国のことだろう。クライドとククの出身だな。」
「なんでなんで?」
 ニタが尋ねる。
「ドルセード王国は『支配と文明の大陸』の最北端にある寒冷地方の国だ。この世界は球体で出来ているから、ドルセード王国は実は他の国と比べると昼が短い。だから日の光は遠いんだし、多分、白き風景は雪のことだろう。さらに謹厳だなんて、まさに真面目でお堅いドルセードの気質じゃないか。それに、秩序と信仰のうち信仰が消えたということは、剣と魔法の国だったドルセード王国が魔法という“信仰”を廃止したという歴史のことだろう。」
 なるほど、と腑に落ちたのは教養のあるハッシュとクライドだけだったが、他の者たちもディレィッシュの考えに追随する。
「まぁ、悲哀の民がククとクライドだとして、『古代より光を受け命を繋ぎしものを見せ、彩華やかにして』はどういう意味なの?」
 ニタが尋ねる。
「多分、…そこの海藻を見せればいいんだろうけど、」
「なんで?」
 食い気味に質問するニタ。ディレィッシュは苦笑いをしながら
「海藻は光合成をして酸素を生み出すんだ。その酸素で多くの命が生まれて来た。この部屋にある『命を繋ぎしもの』の可能性があるのは、まぁ、海藻くらいかな、と。」
と、答えた。
「ほほう、そうなんだ。やっぱディッシュは頭が良いんだね。普段はすぐへたれるけど。」
 と、ニタはディレィッシュを褒めた。傍にいるクライドがひっそりと嬉しそうにしている。
「まぁ、頭が良くて見目も良いので、身体を動かすという点に関しては神様がおまけをしてくれなかったのだよ。ははは。」
 ニタに褒められて気を良くしたディレィッシュは少しだけ調子に乗ったが、ニタに「で、『彩り華やかにして』は?」と質問されると、困ったような表情を浮かべた。
「…貝殻とか、サンゴとかでおめかししてみることだろうか。」
 と、ディレィッシュは言う。ニタはじっとディレィッシュを見つめる。クグレックはディレィッシュが適当なことを言っていると感じたが、ニタは全面的にディレィッシュの言うことを信じ「分かった、じゃぁ、ニタがおめかししてあげるから。」と言って、部屋の中にある貝とサンゴとヒトデを拾ってクグレックとクライドに身に着けさせる。無理矢理くっつけようとするニタを見かねて、クワド島のおませな女の子であるリクーが海藻を使ってペンダントやブレスレットに加工することで、それなりの装飾品にして見せた。クグレックとクライドは見事に『彩華やか』にされた。
 そうして、海藻の生えた岩礁の前に立たせれば、海底神殿の嬉しそうな声が聞こえて来た。
「正解だ。さすがだね。次の部屋に進めるよ。」
と言うと、通路を塞いでいた岩戸が動き、さらに次の部屋へと続く入り口も現れた。
 クグレックは髪飾りとしてつけてもらったヒトデはいち早く外したが、サンゴで出来たネックレスは可愛いと思ったので、そのまま身に付けることにした。それに気付いたリクーはニコニコしながら「戻ったら、もっと可愛いアクセサリーがあるから、見せてあげるね。」と言った。
 クグレックは「うん。」と返すことしか出来なかったが、なんだか嬉しかった。
 ちなみにクライドは装飾品は全て外して捨てていた。

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 2023_09_11


*********


 翌日、一行はガラクタ広場へ向かい、例の穴の前までやって来た。
 とりあえず、行ってみるしかないということで、穴から少し離れたところに杭を打ち、その杭にロープをしっかりと結びつけ、穴へ垂らした。
 ロープを伝って穴の中に入っていくと、不思議な空間が広がっていた。
 足元は湿っており、磯臭い。灯りをつけると分かったのだが、この穴の中は良く磨かれた白い大理石で出来ている。目の前には白地に金色の細工が施された陶器製の扉があった。この扉は鍵が付いていないのだが、開けることが出来ない。扉のレプリカと言うわけではないのだが、どういうわけか開かない。
「この扉は魔法がかかってるみたい。」
 と、アリスは扉に触れながら言った。
「お、それじゃあ、クク、鍵開けの魔法だ!」
と、ニタがクグレックを促す。クグレックは杖を扉に向けて、「アディマ・デプクト・バッキアム」と言って鍵開けの魔法を放った。すると、扉はゆっくりとひとりでに開いた。
 そして、一同は驚愕するのであった。扉が開いたことだけではない。
 なんと、扉の先は水中となっているのである。不思議なことに扉をあけても目の前の水がこちら側に溢れ出て来ることはない。透明なガラスで遮られているかのように扉の中は水で満ちている。
「うええ、なんだこれ、入れるの?」
と、ニタが言うと、ムーは「うん、入れるよ」と言って、怖気づくことなくぽちゃんと水音を立てて水の中へと入っていた。
「えぇー!」
 一同は扉の先の水中にいるムーに驚いた。水中なのに息は持つのだろうかと不安になるが、ムーは苦しそうには見えない。ずんずんと歩き進むムーは、ふと振り返って誰も後を着いて来ないことに気付くと「どうして来ないの?」と言わんばかりに泡をぶくぶくと吐き出す。残念なことに声は聞こえなかった。
「もともと怖がりのムーが進めるのだから、きっと大丈夫だよ!」
 と、のたまうのはムーの恋人であるルルだった。ルルも自身のフカフカの緑の毛が濡れてしまうことも気にせず、ばしゃんと水飛沫を上げて扉の中へと勢いよく突入した。
「…ええい、行くしかないよ。ね、クク!」
 とニタも言うと、クグレックの手を引っ張って、扉へと突撃した。クグレックは心の準備が整わないまま扉の中へ連れていかれ、慌てて息を止めた。
 ばしゃんと水の中へ入る。目の前は気泡で一杯となり良く見えなかったっが、やがて落ち着いて来るとそこは間違うことなく水の中だった。少しばかりひんやりしており、身体がふんわりと浮きそうになる感覚がする。
 ニタもルルも口元を抑え、息が漏れないようにしている。二人は深呼吸してから突入したから、まだ息が持つであろうが、心の準備も何もないままニタに連れて来られたクグレックはそろそろ苦しくなっていた。
 クグレックは振り返って外に出ようとしたが、「待って」とムーに止められた。
 再び振り返ると、ムーは口からぶくぶく気泡を出しながら「ここでは息も吸えますよ。大丈夫です。」と言った。ぶくぶく空気を吐く音が邪魔であり、籠った感じ聞こえるが、不思議なことにムーの声が聞こえた。
 クグレックはおそるおそる口開き、息を吐き出す。ぶくぶくと泡となって上の方に上がっていく。
 そして、勇気を出して息を吸ってみた。
 大量の水を呑みこむことになるのだろうか、と心配になったが、いや、口の中にしょっぱい水、すなわち海水が入り込んできてはいるが、感覚として空気を取り込むことが出来ている。
「どういうこと?」
 ぶくぶく泡を吐きながらクグレックが問う。
 そんなクグレックの様子を見ながら、ルルとニタもおそるおそる呼吸を行い、クグレックと同様に狐につままれたような表情をするのであった。
「古代の人がかけた魔法の力です。ここ海底神殿では海の中でも呼吸が出来るようになってるんです。」
 ぶくぶくと音を立てながらムーが言った。
「さらに、ちょっと動きづらいですが、歩くことも出来ます。残念ながら、飛ぶことは出来ませんけど」
「えー、でも、すごいよ。水の中で息が出来るなんて。」
 海中が危険をはらむ場所ではないことを知ると、ニタは嬉しそうに動き回った。ふわっと飛び上がれば、ゆっくり沈んでいく。腕をかけばわずかに浮き上がった。徐々に沈んでしまうが、歩くよりも泳いだ方が早く動けるということが分かると、ニタは魚のように自由に泳ぎまわった。
 そして、クグレックたちが水の中でも安全だということが分かると、残りの者達も後に続いた。


 2023_09_07


********

 ムーがクグレックたちのお金で購入した船はハワイ島への定期便と同じ大きさの木製の船だった。
 いつの間にか9人という大所帯になってしまった旅団には丁度いい大きさの船であった。
 クワド島までは3日ほどかかった。フィンが航海士として一生懸命頑張り、黒雲が来てもルルのバリアが追い払ってくれたので、無事にクワド島へ辿り着くことが出来た。
 クワド島はハワイ島のように観光業で生計を立てているわけではないので、港は随分と寂れていた。岸壁からは方々に草が生え出しところどころかけてボロボロになっていた。
 フィン曰く、クワド島は海産物よりも農産物や島内の山の幸の方が豊富に備わっており、そこまで漁業に頼らずとも生きていけるらしい。なるほど島内に踏み込んで行くほど緑豊かな自然の風景が広がっていた。
 しばらく歩くと集落が現れた。家屋は棕櫚や椰子の木や葉や皮で作られた高床式の住居が立ち並んでおり、簡素な雰囲気の集落はコンタイ国のジャングルで見かけた集落の雰囲気に似ていた。
「ちょっと待ってて。挨拶してくる。」
 と言って、フィンは集落の中でもひときわ立派な住宅へ入って行った。
 ニタは
「フィンはどうしてこの島を出たんだろうね。良いところだと思うけど。」
と、呟いた。その問いに対してハッシュが答えた。
「…出たというか、ハワイ島にスカウトされたそうだ。あの島の原住民はリリィと数人だけらしくて、従業員は外から集めて来るらしい。自然しかないクワド島にいるよりも、フィンは外の世界を見たかったみたいだぞ。」
 ハッシュはハワイ島を出てから、出航準備の買い出しや航海中でもフィンのフォローをしていたので一緒に過ごす時間が長かった。そのためフィンの身の上話も聞いていた。
「へぇ、フィンって意外とアクティブなんだね。」
「あぁ見えてな。」
 しばらくすると、フィンが一番立派な家から戻って来た。
「お待たせしました。えっと、今長老に挨拶してきたんだけど、会ってくれるって。今出て来てくれるから、ちょっと待っててね。」
 と、フィンが言った。
 数分後、長老と思しき年老いた男性が少女2人を連れてやってきた。
 老人の頭髪は朝日のようにつるやかな頭だったが、まるで前髪のように長く伸びた白い眉毛とふさふさに蓄えた白いひげが特徴であった。足に不自由があるのか杖を突いてゆっくりと歩いて来た。
 にこにこと笑みを湛えながら長老は口を開いた。
「ようこそ、フィンのお友達。遠いところからよく来た。何もないところだけど、のんびり過ごして下され。」
「初めまして。私はディレィッシュと申します。私達はこちらに空を飛ぶ船が眠るという海底神殿があると聞いてやってきたのですが、立ち入っても大丈夫でしょうか。」
 ディレィッシュが丁寧にあいさつをした。
「神殿とな。ふうむ。神殿とな。」
 意味ありげに繰り返す長老に一同は息を呑む。
 と、フィンがおずおずと話の間に入って来る。
「皆が言っている海底神殿なんだけど、実を言うと、クワド島ではそんな大それたものではないかもしれないの。」
「というと?」
「私達はその場所のことを、ガラクタ広場と呼んでるかもしれない。」
「ガラクタ広場?」
「おお、なんだ、ガラクタ広場のことか。…しかし、あそこはご先祖様が遺したガラクタが眠る場所。部外者をいれるわけには…」
 と、長老は渋る。だが、後ろにいる少女が
「別にいいじゃん、私達も良く分からないガラクタなんだから。知っている人達に使ってもらった方が、ガラクタたちも嬉しいよ。」
「そうかのう。」
「うん、そうそう。」
「じゃぁ、特別にいいじゃろう。」
「わーい、おじいちゃん、ありがとう。」
 女性は長老に抱き着くと、長老は嬉しそうに鼻の下を伸ばした。
「じゃ、フィンのご友人さん達、荷物はうちに置いて、ゆっくり休んでいってよ。ね。」
 と、女性は言うと、突然クライドの腕を取り、抱き着いた。
「私ね、リクーって言うの。あなた、とてもイケメンね!私の彼氏になってよ!」
 クライドはリクーに抱き着かれて、ひたすら石のように固まり、表情をひきつらせた。
 その様子を見たディレィッシュはにやりと笑って
「リクーちゃん、君のおかげで私達は目的の場所へ行けたんだ。用事がすんだら帰らなければいけないが、その間クライドとは仲良くしてやってくれないか?きっとクライドも喜ぶと思うんだ。」
と、優しく言った。クライドは悲壮な表情を浮かべディレィッシュを見つめる。
「まじで!キャー嬉しー!クライド、よろしくね!」
 リクーはさらにクライドにぎゅっと抱き着いた。クライドは顔を引き攣らせてディレィッシュに助けを求めるが、爽やかな笑顔で「よろしくな」と言われてしまっては従うことしか出来ない。主従関係は解消されてはいるが、基本的にはディレィッシュの意向に沿うのがクライドだ。


 一行は早速ガラクタ広場へ向かった。
 ガラクタ広場は言うなれば不法投棄物が存在する手入れのされていない空き地だった。
 辺りは茫々に背の高い雑草が生い茂り、進入することすら困難であった。ガラクタと呼ばれるであろう廃棄物には動物がねぐらとして住み着いていたり、蔦や葛の支配を受け絡みとられていた。
「何と言うところだ。」
 苛烈な環境にディレィッシュは思わず愚痴をこぼす。背の高い雑草が生い茂るだけでなく、陽射しも強い。雑草を掻き分け、ガラクタを探すだけでも汗が吹き出てきた。
 さらにあまり人が入ることのない雑草生い茂るガラクタ広場は、虫に取って天国の様な場所であった。バッタや蝶やカマキリなどが、草を掻き分けるごとに元気よく飛び出して来る。
へいわの と悲鳴を上げたのはクグレックとアリスで、虫が苦手な二人はガラクタ広場からリタイアした。結局女性陣は村で夕食の準備を手伝うこととなった。


 そして夕暮れ。
 ガラクタ広場からくたくたになった男性陣とニタが戻って来た。
「どうだった?海底神殿はあった?」
 アリスが尋ねた。するとハッシュが
「ううん、あんな草原が海底神殿なわけないんだけど、その入り口らしきものは見つけた…、かもしれない。穴があってその下には空間が広がっていた。」
「そう…。じゃぁ、それが海底神殿の入り口かもしれないわね。明日、行ってみましょう。今日はご飯を食べてゆっくり休むのが良いわ。」
 そうして一行は全員で夕食を取り、明日に備えて早めの就寝を取った。
 2020_10_14


 
 ティグリミップに到着すると少年と少女は事情聴取のため、船乗りたちの詰め所へと運ばれた。
 その間クグレック達は依然お世話になった宿屋で過ごすこととなった。
 ムーが海底神殿へ向かうために全財産を使ってしまったが、それぞれ個人で持っていたお金をかき集めたら数日ほど宿屋に泊る分は集まり、なんとか宿泊費を払うことは出来た。持って2、3日程ではあるが。
 少年と少女は翌日には目を覚ましたという。
 船乗りたちの話によると二人はどうして海で遭難していたのかが分からなかったらしい。記憶障害は船が難破してしまった際のショックに依るものかもしれないということで、それ以上はどうにもならなかった。二人はディレィッシュの親戚であるということにして、引き取ることとなった。

 宿屋の部屋で、二人の話を伺う。
 ムーとルルとフィンはクワド島へ向かう船の準備に行った。女性と愛玩動物2体だけでは荷物持ちが心許ないということで、ハッシュも駆り出された。
 部屋にはディレィッシュとクグレックとニタ、そして少年クライドと少女の5人だ。
「お騒がせしてすみません…。」
 少女がベッドに腰掛けながら謝った。すると、同じく隣に座っていた少年クライドはすっと立ち上がって、ディレィッシュの方を向いてしゃがみ出し、額を床に付けた。

「大変申し訳ありません!陛下!私は、私は、貴方のことを忘れて日々を過ごしていました!貴方を守るための剣として、盾としてこの身を捧げたというのに、偽りの記憶に惑わされ、本物の記憶を塗り替えられてしまっていました!」

 ところどころかすれた声で懺悔する少年クライド。変声期特有の声だ。
 そんなクライドにディレィッシュは優しく微笑みかけ、彼の金色の髪を撫でる。

「ふふふ、クライド、顔を上げたまえ。謝ることじゃないさ。」
「いえ、挙句の果てにこんな姿に変えられてしまって…。本当は合わせる顔もないことは分かっています。」
 ディレィッシュはひたすら謝罪を続けるクライドを嬉しそうに見つめ、優しく声をかける。
「いや、いいんだよ。全部良いんだ。歴史は書き換えられたんだ。だから、本当に正しい歴史は私がいないという歴史なんだよ、クライド。私はもう王でもなければ何でもない。ただの住所不明の旅人なんだよ。顔を上げなさい。私はお前の顔が見たい。」
 クライドはおそるおそる顔を上げる。目の前には彼が敬愛して止まないディレィッシュの姿。その優しげな表情はクライドのかつての記憶の中でもしばらく目にしていなかった表情だった。
 ディレィッシュの信奉者であると言っても過言ではないクライドはその表情を見ただけで、全てを察した。
 どうやら長年ディレィッシュに巣食っていた憑き物が落ちたようだ、と。
 クライドが家名を捨ててまで仕えたいと思った出会った頃のディレィッシュに戻ることが出来たらしい。
「お前は私の初めての友人であり、お前にとっても初めての友人なんだ。そうだろ?」
 と、ディレィッシュが言うと、クライドは頬を緩め、ディレィッシュに抱き着いた。
「…覚えていてくれて、ありがとう。」
 とディレィッシュもクライドに負けじと強く抱き締め返した。

「はいはい、感動の再会はその辺にして、お話を聞いて行きましょ。」
 割り込みに関しては定評のあるニタが言った。
「そうだな。クライド、お嬢さん、どちらからでも良い。一体何があったのか教えてくれ。」
 ディレィッシュがクライドから離れて尋ねる。
「…まずは、クライドから話すのが良いかもしれないわ。そうじゃないと、私の話も理解できないと思う。」
 と、少女に言われて、クライドは話を始めた。

「正直言えば、どうしてこんなことになったのか分からない。覚えているのは、ディレィッシュ達が国外に脱出する際に接触してから、身体がおかしくなった。何度もディレィッシュやハッシュがいた頃の夢を見た。それは寝てる時だけではない。起きている時もだった。白昼夢として見ていたらしい。夢を見るごとに、現実との息苦しさに頭がおかしくなりそうだったし、夢を見ることが恐ろしくて眠ることが怖かった。おそらく睡眠不足と情緒不安定が祟って、何度か倒れてしまって、国王からは休養を言い渡されていた。その時に白魔女が現れたんだ。もうその時の自分は、意識が混濁してしまっていたからはっきりとは覚えていない。けれど、その時にはっきりと思いだしたんだ。自分はトリコ王国に仕えていたのではなく、『ディレィッシュ』という個人に仕えていたのだということを。『ディレィッシュ』に仕えていたからこそ、トリコ王国に尽そうとした。それを思いだした時に激しい頭痛に襲われて、目の前の白魔女から差し出された薬を口にした瞬間から、記憶は既にない。気付けば地下牢のようなところに繋がれていたし、からも小さくなっていた。白魔女は「時間がない」とだけ言って。無理矢理自分にクスリを飲ませて、そして、今に至る。」

「…1週間くらい前に会ったこと、覚えているか?」
 と、ディレィッシュが尋ねたが、クライドは覚えがないので訝しげな表情で首を横に傾げた。
「いや、でも、ところどころ記憶はあるんだ。主に白魔女との記憶になってしまうが。白魔女から、俺は今がディレィッシュとハッシュが存在しない『歴史が変わった世界』であることも説明は受けていた。ただ、何度も何度も今と元のちぐはぐな記憶、身体の調律が施されていたことだけは分かった。体が小さくなってしまったことだけは分からずじまいだったが。」
 クグレックたちもトリコ王国を脱して、山を登ったり、ドラゴンを退治したり、壮絶な1か月を送っていたが、クライドはそれ以上の苛烈さをもっていたのかもしれない。
「白魔女がいなければ、クライドは死んでてもおかしくなかった。なくなった記憶と新しい記憶を一緒にすることは難しい。白魔女は、興味本位でクライドを元の形に戻しただけに過ぎないけどね。あの女は世界の理を手にすることには貪欲なの。なんだってする。」
 と、少女が言った。
「白魔女はいい人なのか良く分からないよ。」
 ニタが困惑したが、アリスは間髪入れず「良い人ではないわ」と答えた。
「私達の身体が小さくなったのは、あの女の気まぐれによるわ。クライドを昔の記憶を戻したまま今の世界に馴染ませるために、身体を小さくする理由は良く分からない。あの女にとってはただの実験体に過ぎない。仮にクライドが副作用で死んだとて、それは彼女の1つの実験結果に過ぎないのよ。実験用ネズミが死ぬのと同じね。」
 と、アリスが言う。
「ところで、お嬢さん。君は一体何者なんだ?」
 ディレィッシュが尋ねた。
「私は、…うーん、そうね、故郷の流行病を治すための薬を白魔女に作ってもらおうと思って、ずっと白魔女のことを探していたの。」
 にこりと微笑むアリス。
「薬は手に入ったのか?」
 ディレィッシュが尋ねると、アリスは首を横に振った。
「残念ながら。私が彼女に接した時は、…白魔女は…、もはや正常な状態ではなかった。」
 と言った後、アリスは「もともと正しい人間ではなかったのだけど」と付け加えた。
「…どうして、二人はあの船に乗っていたんだ?」
 アリスはちらりとクライドを見遣る。クライドはまともな意識を持たずにいたので状況を知らない。真剣な表情でじっとアリスを見つめていた。
「私達は奴隷として売られたの。『滅亡と再生の大陸』の沿岸部の町へと。」
 一同はハッと息を呑んだ。
 コンタイの国のどこかの町では『滅亡と再生の大陸』への密航船が出ているということをディレィッシュが皆に話したことがあるが、クライドとアリスは実際のその密航船に乗ったということになる。ムーと今は御山にいるティアもその密航船に乗って『秩序と文明の大陸』にやってきたと言う。ちなみにこの港町ティミグリップには密航船は存在しない。清廉潔白とした港町なのである。
「…クライドは絶世の美少年だからね。それなりに需要はあるわ。私もそういう華の年齢だったから、売られたわけ。」
「…白魔女はどうしてそんなことを?」
「もうあの人は気が触れているからね。少しでも誰かが絶望する顔を見たかったんじゃないのかな。幸いクライドも元の記憶を取り戻して、身体が馴染んだのを確認できたしもはや、言うことを聞かないであろうクライドを傍に置いておく理由もなくなった。実験は成功し、終了したのよ。」
「…私はてっきり白魔女はクグレックに会うために、クライドを駒にすると思っていたのだが…」
「その予定だったんでしょうね、彼女も。」
「え?」
「今の彼女は気が狂っているの。元から狂った人だけど。でも、今は自分でも抑えられないくらいおかしくなっている。私の力で、白魔女は今故郷のリタルダンド共和国まで転移させたけど、あの女もなかなかの空間転移魔法の名手だから、早いうちにあなたたちの元へ追いつくでしょうね。」
「…アリス、君は一体何者だ?白魔女には本当に薬のためだけに接近したのか?」
「…ふふふ。それはそのうち分かることよ。」
 アリスは微笑みを浮かべる。
「ねぇ、ところで、貴方たちはアルトフールってところに行く予定なんでしょう?私もご一緒してもいいかしら?」
「なんでそれを知っているんだ?」
「あらやだ、ニタちゃんが教えてくれたのよ。ククちゃんと一緒にアルトフールへいくんだって。」
 アリスと酒をかわしたあの夜、ニタの記憶は途切れ途切れとなっている。アリスからの情報を得る代りに知らぬ間にニタは事情を全てアリスに話していたらしい。
「私は『滅亡と再生の大陸』東沿岸部出身なの。水龍を祀る部族の出身なんだけどね、向こうの魔物の情報をもっているから、少しは役に立つと思うんだけど。あ、あとは治癒魔法も得意よ。白魔女には劣るけど。」
 ニタとディレィッシュはクグレックを見遣る。この旅のリーダーはクグレックなのだ。クグレックが良いと言えば相手が怪しくとも受け入れるし、ダメだと言えば有能な人物であっても拒否をする。
 クグレックの答えは「別に、かまいません」だった。
 ニタとディレィッシュは内心不安だった。目の前のアリスはクライドを助けてくれたとは言え、どこか怪しいのだ。腹に何を据えているか分からない。しかし、リーダーの言うことは絶対だ。
「ありがとう。ククちゃん。」
 アリスは屈託のない笑顔をクグレックに向けた。クグレックもそれに応じるように微笑んだ。


 2020_07_11


 しかし、ムーの言う通りなのだ。ムーが言う通り彼らはクワド島へ行き、宙船に乗って、『滅亡と再生の大陸』にあるアルトフールへ行くだけなのだ。金の心配は当面必要はないだろう。
 ルルを仲間にして、ハワイ島での最後の夜を過ごす。
 最後の夜はホテルの屋外ラウンジで豪華ディナーを食べた。ハワイ島でとれる新鮮な海の幸や果物、豪華な肉料理などに舌鼓を打ち、終始リラックスした時間を過ごすことが出来た。途中ハワイ島伝統の踊り『フラ=ダンス』が行われ、飛び入りでニタやディレィッシュも参加して、実に楽しい時間となった。ディナータイムの最後には沢山の打ち上げ花火が夜空を彩鮮やかに覆った。
 ドーンと腹に響く音を上げて、派手に散り行く花火を見ながら、クグレックはこの平穏を幸せに感じた。
「クク、花火、綺麗だな。」
 ハッシュが話しかけて来た。
「うん。ずっと見てられる。」
「まさかクク達とこんな風に過ごすことになるとは、思わなかったな。」
「どういうこと?」
「俺達はポルカで出会ったけど、まさか、一緒に旅をするとは思わなかった。そもそも、国を追い出されるなんてことも思ってはいなかったけどな。」
 と、言うハッシュにクグレックは押し黙った。ハッシュたちトリコ兄弟の平穏をぶち壊したのはクグレックの黒魔女としての力なのだ。彼らが楽しんで過ごしているのならば良いのだが、本心はどう思っているのか分からない。
「でも、こういうのも意外と悪くないもんだな。楽しい。トリコに居た時もそれなりに外遊はしていたけど、自由に過ごせたわけではないからな。常に仕事の一環だった。山に登ったり、ドラゴンに遭ったり、魔物をやっつけたり、見知らぬ土地へ足を踏み入れたり。全部自分の足だ。面白いもんだな。」
 まるで少年のように目を輝かせてハッシュは話を続ける。
「最初にお前たちに会った時は、ただの子供が危ないな、と思ってたけど、今は出会えて良かったと思うよ。生きてるって感じがする。この先何が起こるか分からないけど、頑張っていこうな。」
「うん。」
 クグレックは静かに頷く。
 ドーンという重低音が連続する。クグレックも言葉を返したかったが、花火がその隙を与えない。
 やがて、二人で話していることに気がついたニタが二人の間に割って入って来た。
「むむむ、ハッシュ、ククに変なこと、吹き込んでないでしょうね!」
 と言ってクグレックの膝の上にうつぶせになり、ハッシュを睨み付けるニタ。
「ニタ、もう、大丈夫だってば。」
 度々こうやってニタは無理矢理ハッシュとクグレックの間に入ってくるものだから、クグレックもイラッとして、じゃれついて来るニタの頭を少し強めにぽんぽんと叩いた。
「たーまやー。花火が上がる時にたーまやーって言うんだって。」
 ニタが言った。
「なんで?」
「知らない。」
 その時、再び打ちあがる音が連続する。夜空に炸裂する光の花。これでもかと花火が連続で打ち上げられ、ニタは狂ったように「たーまやー」を連発した。クグレックもニタの真似をしようと花火が打ちあがるタイミングを計るが丁度花火が途切れてしまった。が、一際大きい重低音が放たれると、今度は今までの2倍くらいの大きさの大輪が夜空に広がった。
「た、たーまやー」
 クグレックはこの言葉の意味を知らないが、何となく気分が高揚してくるのを感じた。
 もう一度言ってみたいとクグレックは思ったが、花火は今ので最後だったらしい。再び夜空に大輪の花が浮かぶことはなかった。
 やがて観客たちは花火の時間が終了したことを理解したのだろう。再び元のディナー会場へと戻って行った。


********

 そして翌日。一行はハワイ島を後にした。
 再び船の旅である。
 やはり、船は黒雲に襲われた。もともとは年に1回あるかないかの黒雲だが、おそらくクグレックの魔の力が呼び寄せているのだろう。
 しかし、行きとは異なり、クグレックも安定して魔法が使えるようになったし、守りの名手のルルもいる。船はバリアによって守られ、黒雲とその魔物はあっという間に駆逐された。船乗り達からは大変賞賛され、就航中の用心棒をやらないかと誘われたが、本当にお金が必要になった時に考えておくということにして保留にした。
 行きよりも安全な船の旅だったが夕日が沈むころ、船内がざわめいた。
 どうやらどこかで船が難破したらしく、ボートの様な小型の木船に乗っていた海難者を救助したらしい。救助されたのは14歳くらいの少年と少女だった。少年の方は意識がなく、少女の方は衰弱しきっていたが意識はあった。
 クグレックとニタも救助された二人のことが気になり、甲板に上がってみたところ、その意外な人物に吃驚した。
「え、あれ、クライドじゃん。」
 と、ニタが言う通り少年の方はあのクライドだった。そのため、先に甲板に出ていたディレィッシュが焦った様子で少年の容体を確認していた。さらにニタは少女を見て眉根を寄せる。ニタは少女をどこかで見たことあるのだが、それはどこなのか思い出せないのだ。
 ニタとクグレックは少女に近付く。すると、それに気が付いた少女は、小さく微笑みを浮かべた。
「あぁ、ニタちゃん…。港町での夜ぶりね…。」
 と、少女に言われて、ニタはハッとした。
「あの時の女!?」
 ディレィッシュがアルドブ熱に侵された際に、白魔女の隠れ家に関する情報をニタに教えてくれた女性だった。その際にニタは彼女からしこたま酒を飲まされ、酷い酩酊状態になってしまったが、彼女のことを思い出すことが出来た。
「どうしてここに?」
「…ちょっとね…。でも、…あなたたちに会えて良かった…。」
 少女はそういうと、安心したのか突然意識を失い、眠りについた。
「…一体どういうこと?あの女、随分と若返っちゃったみたいだし、クライドもいるしなんだかよくわかんない…。」
 そう呟くニタに、クグレックも同じ気持ちだった。
 クライドは白魔女に実験体にされ、少女と同様に若返ってしまったうえ、記憶を失くしてしまっていた。あれからまだ1週間が経つか経たないかというのに、白魔女とクライドの間で一体何が起きたのか。
 突然の出来事にただただびっくりするばかりの一行はとりあえず少女と少年の目が覚めるのを待つこととなった。




 2019_11_03



********


――なんで皆私のこと嫌いなの?

――ククはいい子なのにね。村の人達はなかなか気づいてくれないんだ。でも時間さえかければきっとみんなククのことを好きになってくれるから。大丈夫だよ、クグレック。

――みんな忌まわしい魔女って言うの。私おばあちゃんよりも全然魔法使えないのに、どうして魔女って言うの?

――そうだねぇ、それはおかしいねぇ。

――魔女って言うだけで虐められるなら、私魔女になりたくない。

――そうかい。それならそれでいいんだよ。無理にやりたくないことをやらなくたっていいんだよ。こうやってシチューを作ったり、お花を育てたり、縫物をしたりするだけでも良いんだよ。

――わたし、そっちの方が良い。クッキーとかパイとかも一人で作れるようになりたいな。そしたらおばあちゃんも食べてね。

――おやおや、ありがとうね。


 クグレックは目を覚ました。ハワイ島のホテルのスイートルームのふかふかのベッドの上だ。
 身体を起こして、ニタを探してみるがどこにもいない。
 ムーは無事にルルの元へ辿り着いたのだろうか。クグレックは不安になり、すぐに身支度を整えようとした。が、サイドボードにニタからの書置きが残っていた。

『ククへ
 無事にルルと接触することが出来たよ!
 ディッシュもムーも皆元気になって、みんなで海で遊んで来るから、起きたらフィンに電話してみて。お腹空いてたらご飯も用意してくれるって。
 ニタより』

 クグレックはほっと安堵のため息を吐いた。無事にムーはルルの元へ辿り着くことが出来たのだ。
 生死をかけた賭けを行ってしまったが、皆無事で本当に良かった、とクグレックは心の底から思うのだった。
 それにしても、随分懐かしい夢を見た。小さいクグレックと祖母が対話していた。
 これはクグレックにも覚えがある話だった。
 クグレック自身から祖母に魔女になりたくない、と言ったのだ。だから、その時以降祖母は積極的にクグレックに魔法を教えることはしなかった。それ以前に勝手に祖母の魔導書を読み、習得した魔法もあったが、祖母から教わった魔法は殆どないと言っていい。
 今考えればもったいなかった。高名な魔女であった祖母から魔法を教わっていたら、今の旅がもっと楽になったのかもしれない。薬の作り方は教わっていたが、薬を煎じる機会は今はない。
 そもそも祖母はクグレックが魔法を使うことに関してはあまり良く思っていなかったように思えた。祖母はクグレックを『普通の女の子』にしたがっていたように、今では思えた。
 と、その時、クグレックのお腹がぐうとなった。外を見れば明るい。最低でも1日は眠り続けていたのだろう。生きている限りお腹は空く。
 クグレックはコンシェルジュであるフィンに電話し、食事を依頼した。
「おはようございます。無事目を覚まして良かったです。」
 そう言ってフィンが持って来てくれたのはおかゆと果物だった。
 クグレックはのんびりと席についておかゆを口にした。
「2日間も眠ってたので、心配してましたよ。本当に無事で良かったです。」
「2日間も。」
 クグレックが思っていた以上に眠っていたようだったので、吃驚した。それはお腹が空く。
「昨日は皆さんクグレックさんのことを心配してて、全く外に出なかったんですよ。このままだと精神も摩耗してしまうと思って、気晴らしに皆さんには外に出てもらいました。一応皆さんにはクグレックさんが目覚めたことはお伝えしたので、時期に戻って来ると思いますよ。」
 クグレックは起き掛けの頭でぼんやりとしながらフィンを見つめる。ふわふわとしたセミロングのパーマはおしゃれで可愛い。普通の女の子として過ごしていたら、クグレックもこんなふうにお洒落を楽しんだりしたのだろうか。
 フィンはにっこりと微笑むと、寝起きでぼさぼさのクグレックの髪を一束取って手櫛で梳いた。故郷の村にいた時は、耳の下あたりの短さだったクグレックの髪の毛も今や肩に着くぐらい伸びて来ていた。
「ご飯食べたら、髪、整えましょうか。クグレックさんの髪の毛、真っ黒でつやつやしていて綺麗ですよね。」
「え、ぜんぜん。」
 目の前の美人から言われてもクグレックはあまり嬉しくなかった。
 そんなクグレックの気持ちを察してかフィンは少しだけ寂しそうに微笑んだが、クグレックが食事を摂り終えると、フィンは宣言通り寝ぐせでぼさぼさのクグレックの髪を整えた。


********

 ムーの友人、基い、恋人であるカーバンクルと呼ばれる種族のルルは緑色のふかふかした毛で覆われ、猫のようにすらりとしたしなやかな体躯を持ち、額には紅い宝石が埋まっていた。大きさは大型犬ほどあり、ニタよりも少し背が低いくらいだった。ニタと異なるのは二足歩行が得意ではなく、四足の方が得意だが、後ろ足で立ったり座ったりすることは出来るので動き方はウサギに似ている。耳はニタと同じようにぴんと立っていて大きい三角形型。また、尻尾は狐のように長くモフモフしていた。瞳は茶色がかった黒色で可愛らしい。ディレィッシュは「少しふっくらとした緑色のフェネックギツネ」と言っていた。
「どうもおせわになりました。」
 と後ろ足で立ったまま頭を下げるルル。勿論言葉は喋れる。傍にはぴったりとムーが寄り添う。
「ムー、お前、彼女がいたんだな。隅に置けない奴め。そりゃぁ、あんなに一生懸命になるわな。」」
 と、ディレィッシュがニヤニヤしながら言った。
「…もう。」
 ムーは少し照れた様子でディレィッシュから視線を逸らす。
「もう、ムーってば、ムーもちゃんとお礼を言うの。ほら。」
 ルルは無理矢理ムーの頭を掴んで下げさせる。ムーは突然のことに慌てた様子で「ありがとうございます」と言った。どうやらムーはルルの尻に敷かれているらしい。
「私、ムーから話は聞きました。皆さんは『滅亡と再生の大陸』に向かわれるって。あんな醜態をお見せしてしまいましたが、こうやってムーと再会できたのは、ムーの力だけではないことは知っています。皆さんには感謝しても仕切れないくらいです。ぜひ私の力を皆さんの旅に役立てていただければと思います。」
 と、ルルは一息で話した。
「…ルルがいれば心強いですよ、本当に。」
 ムーが付け加える。
「確かに、あのバリアや偽物の壁とか、凄かったもんね。あ、ところで、ルルは一体何であんなに怯えていたの?」
 ニタが尋ねた。
 ルルとムーは互いに目くばせをしてお互いに頷き合うと、ルルの口から返事が返って来た。
「…ムーとは『滅亡と再生の大陸』で離ればなれになってしまって、私、ずっとムーのこと探してたんです。でも、途中で変な人に出会って執拗に追いかけられてしまって、挙句の果てに幻覚まで見せられて…。で、パニックになったまま海を飛びぬけて、辿り着いたのがこのハワイ島だったのですが…。」
「変な人?」
「そう、変な人だったんです。おかっぱで袴を着た女の子だったんですけど、銀色の綺麗な竜と体中が腐ってボロボロになった沢山の生物の群れを引き連れていたんです。本当に不気味で不気味で。どんなに逃げても逃げても疲れることなく追い掛け回されて、でも、私は疲れちゃったから、危うくその腐った集団に食べられてしまうところだったんですよ。なんとか逃げ出せたんですけど、その変な人に呪いをかけられてしまったみたいで、何度も何度も殺される夢を看させられました。終わりのない悪夢って怖いですよね。」
「『滅亡と再生の大陸』ってそんな怖いところなの?突然執拗に襲われてしまうような…。」
「…まぁ、魔物はいますけど、あれは異常でしたね。だから怖かったんですよ。」
 ぶるぶると体を震わせるルル。
 と、ディレィッシュが呟いた。
「…おかっぱで袴を着た女の子、…ちょっと気になるな。」
「俺も、思った。」
 ハッシュが同意した。クグレックも『おかっぱで袴を着た女の子』を考えてみるが、御山で出会ったあの少女のことしか思い出せない。そう言えば、あの少女は銀色の水龍を呼び出してクグレックたちを襲った。が、一方でクグレックに助言を与え続けてくれたのも彼女だった。
「あの人、ずっと『お前が邪魔だお前が邪魔だ黒魔女に与するな黒魔女に与するな我らの仲間に我らの仲間に』って言ってきて、本当に怖かった。」
「『黒魔女』を知ってるってじゃぁ、やっぱり、あの時の…?」
 どうやらあの少女で間違いないらしい。
「得体のしれない存在だが、クグレックを狙っていること自体は間違ってなさそうだ。」
「一体何で…?」
 おかっぱの少女は黒魔女の力を狙う『魔』の内の一人なのか。
 だが、彼女はアルトフールを知っており、そして、クグレックがアルトフールに向かうことも知っている。実際、御山では彼女がクグレック一人をアルトフールに連れていこうとして、クグレックがそれを拒否してしまったために、狂暴化してしまった。
 考えても考えても謎は深まっていくばかりである。
「皆さん、でも、大丈夫です。皆さんもいるし、ムーもいるし、私はもう何も怖くはありません。皆さんのことは私が守りますから!」
 と、ルルが言った。可愛らしい見た目をしているというのに、随分と頼もしい。
「さ、皆さん、ムーから聞きましたが次の目標は海底神殿ですよね。あそこ、なかなか部外者には厳しい土地らしいですけど、フィンさんがいれば大丈夫ですよね。」
 と、ルルが言った。ムー以外は驚いてフィンの方を見た。
「えぇ、既にその手続きも済んでいます。」
 フィンはにこやかに答えた。
「どゆこと?」
 ニタの問いにムーが口を開いた。
「海底神殿があるのはクワド島ってところなんです。まぁ、僕達みたいな部外者が簡単に海底神殿に入れるかどうかも分からないし、そもそもクワド島までの船だって出てないから、フィンに連れていってもらおうと思って。フィンさんはクワド島生まれで、航海術も心得ているそうなので、お願いをしちゃいました。」
「私もそろそろ故郷に帰ろうかなと思っていたところでした。」
「そうか、素晴らしい偶然だったんだな。」
 ディレィッシュが歓喜する。
「…でも、ムーよ、クワド島までの船は出ていないんだろ?船はどこから出るんだ?ハワイ島からか?」
「ティグリミップです。皆さんのお金、沢山あったので、全部使わせてもらいました。船、買っちゃいました。」
「ん?」
「旅人だというのに、船をかえちゃうくらい皆さんお金持ちだったので、かっちゃいましたよ。小さい船ですけどね。だって、皆、僕に全部任せてくれたから、それは期待に応えないと、と思ったんです。」
 そう、ムーが言う通りお金は沢山あったのだ。トリコ王国を追い出された際、餞別で現トリコ王からはお金のみならず、宝石や金や銀を持たされていたのだ。トリコ王国を抜けてコンタイ国に着いてからはほぼ野宿が続いておりお金を使用する機会もほとんどなかった。そのため、彼らの財産にはほとんど手を付けられていなかった。
 そして、ハワイへ行くための手続きもそれに必要な費用の管理も全てムーに任せていた。殆ど全部ムーにまかせっきりだったので、ムーに対して文句を言える者はいない。

 だから、彼の大胆さに一同はぽかんとするしかなかった。
「ほほう、早速一文無しか。」
「えぇ、大丈夫ですよ。あとはアルトフールに行くだけですから!」
 満足げな表情を浮かべるムー。


 2019_10_29


 暗い道をひたすら歩いていたが、暫くすると光が差し込んで来た。
「…ルルがいる。」
 ムーは飛ぶスピードを速めて、一目散に光の先へと向かったが、辿り着いた途端「うわあぁ」と悲鳴を上げて、ばちばちと雷撃に捕まった。雷撃に絡みつかれて動きが取れずにいるムーに気付いたニタは慌ててムーを引っ張り出した。ニタにも軽く雷撃が走りびりびりと痛みを感じたが、なんとかムーを救出することが出来た。
 ムーからは湯気が立ち、その藍色の鱗に包まれた小さな体躯は少しだけ焦げていた。
「ムー、大丈夫?」
「うう、大丈夫です。でも、ルルがいました。この空洞の奥に、ルルがいました。でも…」
「でも?」
「ひたすら魔法障壁を張り続けているから、近づけない。僕の声さえ届けられれば…。」
 一行は安全な場所からルルがいるであろう最深部を覗く。中は広い空洞になっており、空間一杯にパチパチとスパークのようなものが放たれ続けており明るかった。そのスパークの中心部に緑色のふかふかした生き物が身を縮こませて、ぶるぶる震えていた。顔も体に埋めているので、こちらに気付くことはないだろう。
「あれが、ムーの友達のルル…。なんか、ククのバチバチに似ているね。」
 ニタが言った。“ククのバチバチ”とはクグレックが自身の魔力を制御できずに溢れ出て、魔力が尽きるまで破壊し続ける暴走状態のことだ。拒絶の破壊魔法『ヨケ・キリプルク』の原型と言える状態のことである。
「バチバチを制御できないのは、恐ろしいな。」
 と、ハッシュが言った。彼もクグレックの暴走を何度も目にしている。
「ルルの場合はただ寄せ付けないだけなんです。…先ほどの偽の岩壁のように、攻撃性の少ない魔法障壁だって張れるはずなのに。どうしてこんな誰も来ないような場所でこんなに強い障壁を張っているんだろう。」
「よっぽど怖い目にあったんだろうな。」
「こんなに近いのに、僕の声は全く届かない。」
「石とかぶつけたら、気付くんじゃない?」
「怯えるだけの気がするけど…。」
 ニタは足元にある石を拾い、ルルに向かって力の限り勢いよく投げつけた。ぶんと強く風を切る音がしたが、スパークに絡みつかれるとその勢いを失くしぽとりと地面に落ちた。
 ニタはあっけらかんとして「いやぁ、怖いね」と感想を述べた。
「フィンはどうしたらいいか分かる?リリィの加護的な力でなんとかならない?」
 ニタが聞いたが、フィンは首を横に振り「分からないです。こういった現象を見るのは初めてで、本当にどうしたら良いのか。」と言った。
 一行は出来ることをやれるだけ試してみた。ムーが炎を吐き出してみたり、クグレックの拒絶の魔法を少しだけ試してみたり、大声を出してみたり、思いつく限りのことをしてみたが、どれも功を奏しなかった。
「あーもう、どうしたらいいか分からないよ!ルルに気付いてもらうことも出来ないし、バリアを壊して近付くことも出来ない。お手上げじゃないか。」
 クグレックも杖にもたれかかりながら、出来ることを考える。拒絶の魔法も先ほど試してみたが、圧倒的なルルの力に、ククの魔力は一気に持って行かれそうになった。寸でのところで詠唱を中断したから良かったものの、ククの魔力の全てを使ったところで破壊できるような障壁ではなかった。
 とはいえ、この状態であれば、頼れるものはクグレックの魔法であるのだが。いかんせんレパートリーが少ないのが悩みどころだ。
 ふよふよと漂う光の玉が一行を照らし出す。
 こんな光の玉を出したところで、障壁に吸収されるだけだ。なぜかこの洞窟でまとわりつかせる術を急に思いつけたのは良かったが、障壁の前でどう役に立たせればいいのか。
 と、クグレックの脳裏に一つのアイディアが浮かんだ。
「こっちもバリアを張るのは、どうだろう。」
 クグレックが小さく呟いた。
 ニタは耳をピクリとさせて、その話に食らいつく。
「え、クク、バリアの魔法出来るの?」
「…それが出来たらいいんだけど。でも、『ヨケ』をちょっとだけ変形させれば何とかなるかもしれないって。ただ、上手く行くかは分からないけど…。」
「『ヨケ』ってあのバチバチの魔法か?」
 ハッシュが尋ね、クグレックはこくりと頷いた。
「うん、そう。『ヨケ』をムーに纏わせてルルの元に行ってもらうの。ムーへの障壁からの干渉を拒絶するように出来ればいいんだけど…。障壁を破壊するよりかは、まだなんとかなるかな、って。」
「大丈夫なの?」
「とりあえず、全魔力を込めるから、私は動けなくなるかも。でもそれまでにムーがルルのところまで辿り着ければ、どうにかなるでしょ?」
 と言って、クグレックはムーに視線を移す。ムーは力強く頷いた。
「でも、途中で魔力が尽きたら…」
 ニタが心配する。
「魔力が尽きたら…、ムーはバチバチに取り込まれちゃうかもしれない。でも、そんなことはさせない。命が尽きたとしても成功、させて見せる。」
「うわー、ククが急に頼もしく見えるよ…。」
「…うん、私は、魔女だからね…!」
 普通の女の子ではない。クグレックが自分を魔女であると認識することは、これまでは自虐的な気持ちが強かったが、今は一つの個性のように思えて来たのだ。普通の女の子はあこがれなのかもしれない。だが、クグレックには生まれ持った宿命があるのだ。それを失くす方法は今は分からない。ならば、今は精一杯その宿命を利用すればいいだけの話なのだ。
 早速、クグレックはムーに拒絶の魔法をかける。
「ヨケ・キリプルク・フィオラメイル!」
 クグレックの杖の先から雷撃が放たれ、ムーの周りを這う。ムーは「ぐ」とうめき声を上げたが、普通に動けるようであった。
「割と痛いんだけど、ルルのバリアほど致命的ではないよ。僕にはこの竜王族の鱗もあるし、きっと大丈夫。」
 そう言ってムーは最深部中央に位置するルルを見つめる。

――今から行くから、安心して。僕はすぐそばにいるんだから!

――やだ、怖い、怖い、死人使いが、死人使いが、あぁぁぁ!!!

 ルルの魔法障壁は一層強さを増したが、ムーは臆することなくルルに向かって今まで見せたことのない速度で飛んで行く。身体を守ってくれる『ヨケ』の魔法は、ルルの障壁のスパークに干渉され、激しくバチバチと光と音を立てて反応する。直に障壁のスパークを喰らうほどひどくはないが、熱さや痛みは感じた。が、負けていられない。クグレックの魔力が尽きる前にルルの元へ辿り着かなければならないのだ。
 ムーがルルに近付けば近付くほど、光と音は激しくなる。爆発が起きているかのようだ。
 そして、クグレックに掛かる魔力の負担は増していく。ムーが離れれば離れるほど、杖先から発せられる雷撃は伸びていく。だが、ムーの『ヨケ』のバリアを持続させるためにはクグレックからの魔力の供給が必要なのである。まだ途切れさせるわけにはいかない。
 汗はだらだらと出て、立つこともままならないクグレックはハッシュとニタに支えられている。
 意識はくらくらして来て、呼吸をするのもしんどくなってきた。鼻血が出て来たら限界は近い。だが、まだ出て来ない。まだ、大丈夫。
 ムーとルルの距離は4分の1ほどに迫って来ていた。
 が、ここで、クグレックは鼻血を垂らした。目の前が白くなっていく。だが、まだ倒れてはいけない。最後の力を振り絞り「オール・フェアーレ!」と叫ぶと、クグレックの意識は遠のき、気絶した。
 クグレックからムーへの魔力の供給は切れた。が、残りすべての魔力はムーが纏う『ヨケ』の鎧に全て託されている。どの位耐えられるかは分からないが、ムーはひたすら翼を動かす。
 ルルに近付けば近付くほどに『ヨケ』と障壁の抵抗が強くなり、スピードが落ちていく。また、身体へのダメージも大きくなり、翼を動かすのも辛くなって来ていた。が、ルルとの距離は目と鼻の先だ。これで、ルルに触れることが出来ればきっとルルもムーのことを気付いてくれるに違いない。そう思って手を伸ばしたところ、大きな光と音を発して『ヨケ』の鎧が破壊された。強力な魔法障壁のスパークに捕えられたムーは身動きもとれず、ただその強力な魔法障壁の雷撃になぶられるだけであった。「うわあああああ」と大きな悲鳴をムーが上げても、雷撃の音でかき消され、目の前のルルには届かない。本当にわずかな距離なのに、届かない。
 実はムーにとってルルは友人以上の存在であった。親友をも超えた、いうなれば恋人同士であったのだ。種族は異なるが、二人はお互いを助け合って生きて来た。辛い時も苦しい時も楽しい時もずっと。ところが数年前にムーは密猟者に捕えられてルルは離れ離れになってしまった。それからはずっと会えずにいたが、ルルは一生懸命追いかけた。そして数か月前、何とか思念で連絡を取ることが出来る距離まで近づいたというのに、今度はルルに異常が発生したのだ。ようやく念願かなって会うことが出来るというのに、喋ることも出来ずに終わってしまうのか。抱き締めることも出来ずに終わってしまうのか。
 
「ぐわあああぁぁぁぁ」
 ムーは咆哮を上げて、力を振り絞る。大きく翼を羽ばたかせると、目の前のルルを上から包み込むようにしてばたりと倒れた。動く力はムーには残っていなかった。
 そして、暫くの後、魔法障壁のスパークは止み、クグレックの光の玉も失くなってしまった洞窟内は真っ暗になった。


 2019_08_01


********
 
 先頭を進んでいたムーがぴたりと進むのを止めた。
「…ルルはこの先に居るんだけど…。」
 そう呟いて、クグレックから宛がわれた灯を前方に掲げる。目の前は行き止まりなのだが、様子がおかしい。周りは岩壁で覆われているのだが、目の前だけ色が薄くなっている。
「僕、道を間違えたのかな…?」
「…うーん、でも、この壁なんか変だよ。触った感じもなんか微妙に違う。」
 ニタが周りの岩壁と目の前の岩壁を交互に触りながら言った。触感はゴツゴツざらざらとした岩なのだが、目の前の壁は何か違和感も付随する。岩だというのに僅かな静電気を感じるような、目に見えない触感だ。
「別の道を探してみるか?」
「でも、ルルが通って行った気配は感じられるんだ。…え?」
 ムーは押し黙った。きっとルルとコンタクトを取っているのだろう。
 しばらくしてからムーは口を開いた。
「ルル、一層怯えてるみたい。来ないで来ないでってしきりに言ってる。」
 しょんぼりと頭を下げるムー。
「とりあえず、別の道を探してみよう。」
 そうして一行はもと来た道を戻ろうとした。
 クグレックも戻る前に、目の前の壁を触ってみた。すると、バチッと強い静電気が発生した。思わず「わ」と声を上げると、皆振り向いて「どうしたの?」とクグレックを心配する。
「静電気がバチバチっとしてびっくりしちゃった。」
「こんなところで、静電気?」
「うん。なんでだろう。」
 と言いながら、クグレックは再び壁を触る。すると再び「わぁっ」と悲鳴をあげた。皆の耳にもバチバチという音が聞こえた。
 一行は不思議に思い、再び岩壁の前まで戻り、ペタペタと触ってみる。が、クグレックの様な静電気は発生しない。おかしいなとクグレックは思い壁を触ってみると、やはりバチバチと静電気が発生する。
「…うわ。ルルがうるさい。」
 そう言ってよろけるムー。どうやら彼は友人がより一層恐怖に怯えて泣き喚く声が聞こえているようだ。
「あれ、でも、もしかすると…。」
 ムーはふと思い出す。この先にいるであろう友人は防壁を張る名手であったことを。
 何かに怯える友人は一切を近寄らせないために防壁を張っているだろう。何者も立ち入ることが出来ない強力な障壁を。
 彼の友人ならば、その障壁に触れたものを弾き飛ばし消滅させるほどの強い障壁を生み出すことは難しいことではない。
 目の前の壁が魔の力が強いクグレックのみに反応し、友人がその魔の力を恐れるのであれば、目の前の壁は友人が作りだした防壁なのかもしれない。
「ククさん、この壁は偽物かもしれません。僕の友人が作りだしたいわゆるバリアです。」
「…偽物?」
「ククさんは魔女であり、魔の力が強い。この壁はそれに反応してるんだと、思う。」
「そう、なの。」
「…僕たちはこの防壁を破らないといけない。」
「えーでもこれ岩だよ?ニタで砕けるかな?」
「物理的な防壁であれば、衝撃を加えれば破壊は出来ます。具体化されたものはその時の作り手の力の結晶体ですから。」
「いやーでも、素手なんだよねーニタ達は。」
 と言いながらも、ニタは偽物の壁を蹴ってみる。ポロリと僅かに岩が剥がれた程度で、本物の岩壁と同じ強度であるようだ。
「…うーん、無理無理。」
「ハンマーを取りに戻ろうか。」
「私が壊す。」
 クグレックは杖を握りしめた。決して殴るわけではない。頑丈な樫の杖とはいえ木製の杖だ。折れてしまう可能性の方が高い。
 自然物でないのならば、クグレックの空間を破壊する拒絶の魔法で破壊できるかもしれないのだ。この魔法は魔法の力により閉ざされた空間をも破壊してきた。
「ヨケ・キリプルク!」
 杖先から雷のような雷撃がバチバチと音を立てて出現し、壁に向かって放たれた。壁にバチバチと雷撃が這うと一瞬にして壁は砕け散った。壁の先は空洞になっており、壁自体もそんなに厚いものではなかったようだ。この魔法を使うと、疲労感がどっとクグレックを襲うのだが、魔物スポットや特殊空間ほどのものを壊したのではなかったので、元気でいられることにクグレックは驚いていた。
「この先です。多分魔法障壁がかかってるかもしれません。ククさんは一番後ろに居て。もしかすると焼け焦げちゃうかもしれない。」
「焼け焦げる…!」
 クグレックはぞっとした。
「そして、僕達になにがあっても、魔法障壁を壊そうとしないでください。どうやらその魔法は僕も使われた覚えがあるから分かるけど、友人の魔法障壁はどんな最強の矛も通さない最強の盾なんです。きっとククさん一人の魔力でもってしても打ち勝つのは難しい。」
「分かった。」
 クグレックはフィンと共に殿を勤め洞窟の最深部へと向かった。
 2019_07_26



 歩くこと3時間。あの陰鬱な山道を抜けると、ごつごつとした岩場が広がる海岸に出た。天気は相変わらず良くない。砂浜で見たエメラルドの海はそこにはなく、荒々しい黒色の海が一行を待ち構えていた。白い飛沫を上げてざざぁんと岩間に打ち砕かれる波は、一行を呑みこまんと手招きしているようだ。
「おそらくお友達はこの辺りかと…詳しい場所は分かりませんが…。」
 フィンが言った。ムーがピクリと反応してみせた。
「…すこしだけどルルの気を感じる…。」
 ムーは目を閉じてジッとした。数分程じっとしていたが、小さくため息を吐いて目を開き
「だめだ、コンタクトは取れない。」
 としょんぼりした。そんなムーを励ますかのようにハッシュが
「まぁ、この先にいるのなら、会いに行けば良いだけだ。」
というと、ムーは気を取り直した。
「…そうだね。ルル、待ってて。皆、この先は僕が先頭を行くよ。」
 かすかな友人の気を辿って、ムーは先頭を進む。
 海から吹き付ける風は強い。肌寒さを感じる海岸線を20分程歩いたところで、ムーがぴたりと立ち止った。目の前には真っ暗な洞窟が存在していた。
「ルル…!?。」
 ムーが小さく呟くと、「うわ」とよろけた。
「どうした?ムー」
 ムーの小さな体を受け止めるハッシュ。
 ムーは困った様子で
「今、ルルとコンタクトが取れたんだけど、様子がおかしいんだ。僕の声が届かないくらいに怖がって、混乱している…。」
「それは心配だね。早く行こう。」
 と、ニタが先導を切って洞窟に立ち入った所、「キャッ」とフィンが小さく悲鳴を上げて前に倒れてしまった。なんと岩場の隙間から現れた靄がかった白い手がフィンの足首を掴んでいたのである。気味が悪い魔物だ。
 すぐにハッシュがその白い手を蹴り飛ばすと、白い手は掻き消えた。そして、ハッシュは倒れたフィンに手を差し伸べ、優しく「大丈夫か?」と声をかける。
 フィンは「ありがとうございます。転んだだけなので大丈夫です。」と言って、ハッシュの手を取り立ち上がった。
「…私は、魔物と戦う力を備えておらず、何もお手伝い出来ずに申し訳ありません。」
「無理しなくていいよ。魔物からは俺達が守るから。見てただろ、結構強いんだぜ、俺達。」
「そーだそーだ!フィンがいないとここまで来れなかったんだし、とりあえず、ハッシュの後ろに隠れてな。いや、また白い手に引っ張られても怖いから、抱き着いてれば?」
「そうだな、また何かあると危ないから、俺の傍にいると良い。ニタだと、放って置かれる可能性もあるしな。」
「…ありがとうございます…。」
 と、フィンは言った。そして、彼女はハッシュの腕に掴まった。
 その瞬間クグレックの胸がちくりと疼いた。なんとなくざわざわと胸騒ぎも感じた。フィンから視線を外し、先頭のムーの方を見ると、ざわつきは収まった。更に、ニタにも視線を移し、丁度目が合うと不安な気持ちも和らいでくるようだった。
 クグレックはハッシュとフィンを追い越し、ニタの隣を歩いた。
 洞窟の奥へ進むめば光は届かなくなり真っ暗で何も見えなくなったため、灯りが必要になった。
 調子が悪いクグレックの魔法だったが、いつもの灯りの魔法は何も苦労することなく発現し、一行の足元を照らし出してくれた。

 やはりクグレックは普通の女の子ではないのだ。魔物に対して成す術もないか弱い女性ではないのだ。それならば、クグレックは魔女として皆のためにその力を存分に発揮したくなった。
 魔女。魔の力を増幅させ世界を闇に包んでしまう恐ろしい魔女。
 上等だ。
 魔女であることに抗えなければ、クグレックがすべきことは、力をコントロールして世界を闇に包み込まないようにすること。
 灯りとして光り輝く杖の頭。
 クグレックは杖を握りしめ、魔力を込める。身体の奥底から何かが溢れ出るような感覚があった。その感覚は無意識的に言の葉に紡ぎ出される。
「イエニス・レニート・ランテン・ランタン・フェアーレ!闇の中に光を照らし出せ!」
 とクグレックが唱えると、杖から離れていた光はまるで蛍のようにふわふわと宙に浮かぶ。光は5つに分裂しそれぞれムーやニタ、ハッシュ、フィンの傍へと漂った。
「うん?クク、なにこれ?蛍みたい。」
 ニタがクグレックに尋ねる。
「…みんなの分の灯り。多分、着いて来てくれると思う。」
 とクグレックは応えた。
 ニタはクグレックの言うことを試してみようと2,3歩ほど歩みを進めた。すると光の玉はふわふわとニタと共に着いて行く。歩みを止めると、光もぴたりと止まる。
「おおう、なんか可愛い。」
「おとぎ話でよく聞く妖精みたい。」
 と、フィンが言った。
「でも、突然どうしたの?いつもは杖が光っていたような気がするけど…」
「…わかんない。けど、なんか使えるような気がしたの。」
「へぇ、凄い。あ、これ、触れるよ。熱くないし。」
 ニタは自分の周りを漂う光の玉を掴んだ。こうすることで任意の場所を照らすことも出来るというわけだ。光の玉を離せば、再び光の玉はふよふよとニタの周りを漂う。
「なかなか便利な魔法だね。」
「うん。」
 こんな感じで家とか美味しい食べ物を出すことが出来れば良いのに、とクグレックは思ったが、そのような魔法はまだ使えそうになかった。

 幾分進みやすくなった暗闇の洞窟だが、道中は度々魔物が出現した。洞窟と言う場所に似つかわしい蝙蝠の様な魔物や蛇の様な魔物も出現した。
 森での戦いとは異なり、この洞窟での戦闘においてはニタもクグレックも参加することが出来た。
 特にクグレックが戦闘に対して積極的だった。ニタと倒した魔物を競い合うほどに珍しく活発だった。
「クク、やるね!」
「…私だって、出来るんだから!」
 と、その時であった。クグレックとニタが仕留め損ねた大きなカニの姿の魔物が、丁度ハッシュから離れてしまっていたフィンに狙いを定めて石を投げた。突然のことで驚いたフィンはその場から動くことが出来なかったが、石がフィンにぶつかろうとしたその時、ハッシュが身を挺して石を体に受け、間一髪のところでフィンを助けることが出来た。
「悪い、大丈夫か?」
「えぇ、大丈夫です。ハッシュさんこそ大丈夫ですか?」
 フィンは心配そうに石がぶつかったであろう箇所をさする。少しだけ赤くはれていた。
「あぁ、これくらい大したことはないよ。取り合えず、フィンが無事で良かった。
「うふふ、ありがとうございます。ハッシュさん、頼りになりますね。」
「…。」
 ハッシュは照れ臭そうに頭をかいた。
 カニの魔物は瞬時にクグレックの魔法で焼かれて消滅した。
 二人が無事であったことに安心すると同時に、クグレックは再び胸の内がざわつくのを感じたが、再び現れた蝙蝠の姿の魔物に魔法を当てて倒したらそのざわつきは収まった。魔物を倒すのは意外と気持ち良いのかもしれない。
 奥へ奥へと進むがムーの友人の姿は一向に現れない。途中、クグレックの背丈ほどある崖を登らなくてはならなかった。ムーは自分の翼を使って、ニタは持ち前の運動神経を使って余裕で登って行ったが、どんくさいクグレックが簡単に登れるはずがない。2、3回ほど滑り落ち膝に擦り傷を負いつつも、ニタの手を借りてなんとか登ることが出来た。
 登り切ったところでふと横を見遣れば、ハッシュがフィンが壁を登るのを手助けしていた。
「大丈夫か?そう、そこに捕まって、そうすれば俺の腕に捕まれるから。」
 というやり取りを見て、クグレックはこれまではフィンのポジションは自分だったのにと少し寂しい気持ちになったが、すかさず魔法を唱える。
「ラーニャ・レイリア」
 と唱え、フィンに向かって杖を向ければ、フィンはふわりと浮かび上がり、ゆっくりと崖の上に降り立った。
「わぁ、クグレックさん、ありがとう。」
 フィンはにこりと微笑んだ。
 クグレックはちらりとハッシュを見遣ると、ハッシュもニコニコして
「クク、やるなぁ。」
とクグレックを褒め称えるのだった。クグレックは顔を赤くして
「…私だって、助けられるんだから。」
とぶっきらぼうに答えるのだった。内心は嬉しかったのだが。

 2019_07_18


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 それからクグレックは大人しく浜辺でムーと遊んだ。ニタと海で遊ぶのは海初心者のクグレックには危険とハッシュに判断されたためだ。ニタはクグレックと遊びたがっていたが、ハッシュが代わりにニタと遠泳勝負を行っている。
 そして、夕暮れが近付いて来る頃、フィンが夕食をバーベキューにしてはどうかと提案をしにやって来た。一行は海を十分に満喫したので海の家にてシャワーを浴びて身を清めてから、バーベキューの準備を始めた。
 道具などは海の家に準備されたものを運び出すだけだったが、火起こしなどは自分たちで行う。何故ならば、そちらの方が楽しいからだ。それに野宿慣れしている彼らなので、バーベキューなど余裕であった。
 ハッシュが炭に火を起こしている間にニタとククとムーで海の家からバーベキュー用の食材を選ぶ。串に刺さった豚肉や牛肉、鶏肉、野菜や魚などがありニタとクグレックは嬉々として好きな具材を持って行く。二人が戻って来る頃にはハッシュも火起こしを終えていたので、すぐに具材を焼くことが出来た。野宿生活でニタが狩って来た野生の肉よりも断然美味しいバーベキュー。海に沈んでいく夕日を眺めながら一行はバカンスを満喫するのであった。

 そうして一行は目一杯ハワイでの行楽を楽しみ、ついにその日を迎えた。
 ハワイ滞在3日目は、霧雨が立ち込めて、これまでの青空は全くと言い程見えなくなっていた。

「最高のおもてなしのためには常に晴れていて欲しいと思うのですが、そう上手く行かないのが現実です。」
 フィンは残念そうに雲に覆われ靄がかった空を見つめながら言った。
「…もしかすると、リリィは神域に来て欲しくないのかな。」
 ムーが言った。
「それは、そうです。常時閉鎖している位なので極力来てほしくないと思ってますよ。」
 クグレックは(神域に私みたいな魔女なんか入れたくないんだろうな…)と思って、この天候の悪さに責められるような心地がした。
「リリィはただ普通にハワイでの行楽を楽しんでほしいと願っています。だから、皆さんのことが嫌なわけではないんですよ。海で泳いだり、浜辺でバーベキューしたり、ダイビングをしたり、トレッキングをしたりしてただ純粋に楽しんでもらいたいだけなのです。『楽しむ』という観点から見ると神域で過ごすことはリリィの意志に反してしまうんですよ。私達みたいな従業員が業務のために入る場合は何にも起こりませんから。」
 と、フィンはクグレックの頭を撫でながら言った。まるで、心の中を読まれていたかのような心地がしたが、クグレックはそのフィンの言葉に安堵の気持ちを覚えた。
「…1つだけアドバイスしますと、神域は少しだけ険しい道のりかもしれませんが、楽しんでください。リリィは皆さんが楽しんで充実している様子が見られれば、満足してくれます。」
「なんだ、そうなの。じゃぁ、ニタは大体いつも楽しいから、いつもの調子でいるよ。」
 と、言って、ニタはクグレックの手を握った。そして、ぐいっと引っ張り駆け出した。クグレックはよろめきながらもニタと共に走った。ニタは自分本位で騒がしい奴だけど、ニタがいてくれれば、不安になりがちなクグレックの気持ちは穏やかになるのだ。
「…ま、そういうことなんだな。ムー。」
 二人の後姿を見ながら、ハッシュが言った。
 ムーはパタパタと翼を羽ばたかせながら、押し黙る。常に不安になりがちなクグレックだけはなく、今はムーも友人の安否が心配であり、正直なところ楽しんでいる余裕はなかった。
「…前を見てようぜ。俺達が進む先にお前の友達が待ってるんだ、絶対に。」
 この時、ハッシュはあえてムーを一瞥することなく歩を進めたが、ムーは不安を吹っ切ったのか、猛スピードでハッシュを追い越し、先を行くニタ達を追いかけた。すぐに山門に辿り着いたのだろう。くるりと振り返ったムーは
「ハッシュ、遅いよ!早く、早く!」
と、どこかからかうように叫ぶのであった。
 ハッシュは一緒に歩いていたフィンと顔を見合わせながら、ふっと鼻で笑った。

 山門は木の根の様なものが複雑に絡み合い門の態を成していた何となく門の様に見えるが、どのように開くのか。そして、山門と良いながらも、眼前に広がるのは山と言うよりも鬱蒼とした森である。大きな樹が立ち並び、あまり光が差し込んでるようにも見えない。陰のオーラが立ち込め、楽しいハワイの雰囲気はそこには全く存在していないであろう。

「いやぁ、なんか不気味だねぇ。」
 さすがのニタも神域の不穏さに気圧されるも、臆することなく山門に手を触れる。すると、木の根はするすると左右へと退いて行き、森への鬱蒼とした道が開かれた。
「リリィは許してくれたみたいですね。」
 フィンが言った。
「道は整備されていませんが、そんなに大変な道のりではありません。山の中の道は案内しますね。」
 薄暗い山の中の道を一行は進む。
 コンタイのジャングルの道やポルカの山道も鬱蒼としていたが雰囲気が違う。コンタイのジャングルは、木々の隙間から日の光が差し込まれて明るかった上に、色とりどりの植物は目にも美しく、鳥や獣たちの鳴き声が聞こえることから生命活動が活発だったし、ポルカの山道は晩秋の山道で少し物悲しくはあったが赤や橙の落葉が敷き詰められる様はまるで絨毯のようで風情があった。ところがこの山中の道はうっすらと暗く『陰気』と言う言葉が似合う。生気がないと言うよりも、生気を吸い取ってしまいそうな禍々しさがある。華やかで楽しいハワイの雰囲気は全くない。
 時折、魔物も現れた。御山程魔物が現れることはなかったが、人間ほどの大きさの白い靄が宙に浮いていた。一見、幽霊のように見えたが、魔物は一行に気が付くとまるで何かに吊るされているようにぶらんぶらんと動いたかと思うと、突然黒い靄を発してきた。その黒い靄は一過性の毒の様なもので、触れた瞬間息苦しさとキーンという耳鳴りと視界が真っ白になり、一種の臨死体験なようなものが味わえた。
「…斬新なアクティビティだね…。」
 息切れさせながらニタが言う。靄に触れて症状が発生するのはせいぜい1,2秒で大したことではないのだが、身体は吃驚する。
 しかも、この魔物はニタの背では届かない場所に浮いていた。ハッシュが手を伸ばしてようやく届く位の高さにいたものだから、ニタは歯を食いしばり低い唸り声をあげて威嚇することしかできなかった。
 ではクグレックが魔法で応戦しようと杖を構え詠唱を試みたが、魔法は発せられなかった。
 ハワイへと向かう船依頼に魔法を使ってみたが、やはり魔法が使えなくなってしまっている。
「…どうしよう、やっぱり魔法が使えないよ…!」
 と、クグレックは焦るが、傍にいた小さな竜が
「大丈夫です。僕に任せて。」
 と言って、単身白い靄の魔物に立ち向かって行った。そして大きく息を吸い込むと、ムーの口からは拳位の火の玉が吐き出された。大きいとは言えないかわいいサイズの火の玉だが、勢いよく白い魔物へとぶつかると、白い魔物は霞となって掻き消えた。
 その後、白い魔物は数体発生した。ムーとその辺の太い木の枝を武器にしたハッシュが対応して撃退に成功した。クグレックも諦めずに魔法で応戦したところ、一度だけ魔法が使えたが、安定したものではなかった。
 魔物が発生する場所は決まって大木の傍であったため、応戦するごとに学んで行ったニタは木登りをして戦いに参加しようとしたが、途中で魔物の攻撃に遭い、木登り途中で落ちてしまったために、無理に手を出そうとはしなかった。


 2019_07_14


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 先の憂いが晴れた一行は、思いっきりハワイ島を楽しむことに決めた。
 まずは浜辺で遊ぶのだ。
 というのも、ニタもクグレックも海を知らない。ニタの提案で、ニタだけでなくクグレックも海を知り、楽しむのだ。
 部屋に戻ったニタとクグレックは荷物と花飾りを置き、用意されていた水着に着替えた。とは言え、ニタは服を着ていないので選ぶも何もなかったが、丁度ニタのサイズにあう赤色のアロハシャツがあったので、ニタは喜んでそれを着て、更に麦わら帽子を被って海への装いとした。
 一方クグレックは悩みに悩んでいた。
 トリコ王国の時にも下着の様な服を着て恥ずかしい思いをしたが、水着もなかなか恥ずかしいものだった。パレオ型だと肌を露出させないで済みそうだと思って選んでみたが、様々なデザインにクグレックは悩んでしまう。いつも着ているのは黒のローブなので、なんとなく黒い水着を選んでしまうが、ニタがその選択を目敏く発見し「黒は大人っぽすぎるんじゃないのかな。せっかくならこっちのピンクとかにしたら?」と言うので、クグレックはピンクを基調とした黄色やオレンジ色が入った水着を選んだ。
「ニタ、変じゃないかな、ハッシュたちに笑われないかな。」
 着替え終わってからもクグレックはニタに執拗に確認を取る。あまりにも何度も確認を取るので、次第にニタは面倒になって来て適当にあしらうようになった。
 クグレックの確認も気が済み、部屋を出ようとすると、クグレックは「あ」と声を上げて部屋に戻って行った。ニタはなんだろうと思い、部屋を覗いてみると、クグレックは杖を準備していた。
「クク、杖はきっと必要ないよ。」
 呆れた様子でニタが言うとクグレックは
「え、でも、何かあったら大変。」
と狼狽える。ニタはやれやれとため息をつくと、壁に飾っておいたハイビスカスの花輪からぷちっと花房を一つもぎ取った。そして、それをクグレックの耳の上あたりに付けてあげた。
「ほら、魔除けのお守りがあるから安心安心。さ、行こう。」
と言って、クグレックの手を引っ張って部屋の外に出た。
「お、遅かったな。早く行こうぜ。」
 部屋の外にはすでに水着に着替えたトリコ兄弟とセーラーを着たムーがいた。ハッシュはオレンジと黄色の派手なボクサー型の水着を着て、ディレィッシュは青や水色のボクサー型の水着を着ていた。ふたりとも白いシャツを羽織っている。
 それにしてもムーのセーラーは可愛らしかった。少し大きめのセーラーだが、ムー用の服があることに驚きであった。クグレックは思わず顔を綻ばせた。
「あ、ディレィッシュ、大丈夫なの?」
「あぁ、少しくらいなら良いだろう。私だって楽しみたい。調子が悪くなったら休むさ。」
 と、ディレィッシュはウィンクをしてみせた。

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 美しい白浜にエメラルドの海を見た瞬間、ティグリミップの時でもそうであったように、興奮したニタは海へ向かって思いきり駆け出していた。
「海だー!!!!」
 猛ダッシュで砂浜を駆け抜け、海へ突入する。足が着くところまではひたすら走っていたが、腰のあたりまで浸って来ると、ニタはばしゃばしゃと華麗に泳ぎ出した。ニタの勢いは止まらない。一体どこまで泳いでいくのか。
 そんなニタを見つめながら、クグレックたち4人は浜辺の拠点作りから始める。
 パラソルを開き、シートを敷く。小さな一人用のテントも設置して、準備は万全だ。
「じゃぁ、私が荷物番をしているから、皆は泳いでくると良いよ。」
 とディレィッシュ。
「具合が悪くなったらすぐに伝えてくれよ。」
 とハッシュは言って、ビーチショップへ向かった。クグレック用の浮き輪を借りに行ったのだ。その間、クグレックはムーと二人で波打ち際で水遊びを始めた。
 ディレィッシュが海に行くならば、サンダルは脱いで裸足になった方が良いとお勧めしてきたので、クグレックは裸足で砂浜を歩いた。砂浜はどうして歩き辛い。坂道を上るのとまた違った重たさが存在する。が、柔らかな砂浜を裸足で歩くのは解放感があって気持ちが良かった。
 さらに波打ち際では波が寄せては返す様子を足で感じることが出来た。波はちょうど良い冷たさで、クグレックの足を覆っていく。が、すぐに波が引いて行くと同時に足の周りの砂も一緒に流れていって、なんだかくすぐったさを覚える。お風呂のように海に浸かってみたが、しばらく進んで行くと海の深さは腰ほどまでになったので、クグレックは怖くなってムーと波打ち際で濡れた砂を山のように集めて、トンネルを掘り、浸食されていく様子を楽しんだ。
 やがて、ハッシュが浮き輪を抱えてやって来た。クグレック用とムー用の浮き輪だ。
「ほら、これがあればククでも海を泳げるぞ。」
 そう言ってハッシュはクグレックに浮き輪を渡す。が、クグレックは不思議そうに浮き輪を眺めた後、これは一体何なのか、と尋ねるようにハッシュを見つめる。
「浮き輪はな、こうやって腰のところにやってしがみついていれば、浮き輪の力で体がぷかぷか浮くんだ。」
「…本当に?」
「あぁ。俺が引っ張ってやるから、着いて来いよ。」
 ハッシュはクグレックの浮き輪の紐を引っ張り、海に入って行った。
「ハッシュ、本当に、大丈夫なの?」
 深さが腹のあたりまで来たところでクグレックはだんだん不安になって行った。
「浮き輪にしがみついていれば、大丈夫だよ。足がつかなくなっても、しがみついていれば大丈夫。試しに足を離してごらん。」
「足を離す?どういうこと?」
 泳ぐこと自体がはじめてのクグレックにとって、海に浮かぶという行為すら分からなかった。
 ハッシュは少々の間の後、浮き輪の紐を引っ張って、さらに沖へと進む。ハッシュの身長ではまだ足がつくが、クグレックの身長ではギリギリ足が届かない深さに至った時、クグレックはパニックを起こした。海水が顔に掛かって苦しい。
「や、ハッシュ、怖い。足が、つかない。」
「浮き輪にしがみついてればいいんだ。それが浮かぶってことだから。」
 クグレックはばたばたもがきながら必死で浮き輪にしがみついた。すると、ハッシュはクグレックを連れて浜辺の方へ少しだけ戻った。
「多分、ここなら足がつくだろう。」
 とハッシュが言うのでクグレックは水底に足を降ろした。地に足がつくことに安心する。
「と、まぁ、これが浮くってことなんだ。分かった?ちょっと足を離して浮き輪にしがみついてごらん。」
 ハッシュに言われるがまま、クグレックは足を離し浮き輪にしがみつく。しがみついてさえいれば、沈むことはないということをクグレックは学習し、海に浮かぶことに対しての恐怖心が少しだけ消えた。
 それどころか、ぷかぷか海に浮かぶことは案外気持ちよい。足が着く浅瀬でクグレックはぷかぷかと海を漂った。
「よし、これでニタに連れ去られても安心だな。」
「え?」
 沖から猛烈な勢いで水飛沫が上がって来る。クグレックたちのもとまで近付いて来ると、水飛沫は止み、ぷはぁと息を吐き出しニタが現れた。
「海楽しいね!」
 海に濡れて自慢のふかふかの白い毛はぺったりとくっついているが、ニタは非常に満足そうな表情をしている。
「ククも沖の方に行こうよ。楽しいよ!」
 そう言ってニタはククの浮き輪の紐を引っ張り、超絶的なバタ足で沖へ向かう。無論クグレックにバタ足で飛び散った海水が全てかかってしまっていたのは言うまでもない。
 足がつかない程の深さにいるが、浮き輪のおかげで浮いていられるし、ニタが傍にいるのだからクグレックは安心していられる。
 と、その時であった。一際大きな波がやって来たかと思うと、波はぺろりとニタを呑みこんだ。そしてクグレックも浮き輪ごとひっくり返った。すぐさま浮き輪にしがみついたおかげで海中へ沈んでゆくことはなかったが、浮き輪の外側からしがみついているためうまくバランスが取れない。 クグレックは必死にばしゃばしゃと水をかきながらもがき続けた。勢いで海水も飲んでしまい、くるしい。
 クグレックは大パニックに陥っていたが、ふと何者かに抱きすくめられた。
「クク、大丈夫か、ニタはどうした。」
 困った時にいつも助けてくれるハッシュの声にクグレックはわずかに落ち着きを取り戻し、御山の時のようにハッシュに抱き着いた。
「ニタ、…沈んじゃった…」
「そんな!」
 ハッシュは浮き輪を掴みながら、きょろきょろと辺りを見回すが、ニタの姿はない。
「…一回浜辺に戻ろう。ニタを探すのはそれからだ。」
 と言って、クグレックを抱えて浜辺へ戻ろうとしたハッシュだったが、突然海面が盛り上がったかと思うとざぱんと元気よく飛び出してきたのはニタだった。ふかふかの毛は海に濡れてしなしなになっているが、黄色のヒトデを手にして満面の笑みを浮かべていた。「見てみて、星落ちてた!」と、呑気な台詞をぶちかまして。
「は?ニタ?」
「いやぁ、ちょっと大きめの波に呑まれた時はびっくりしたけど、海の底に星がいたから、つい持って来ちゃったんだよね。って、あれ、ちょっとなんでクク?」
 ニタはしっかりとハッシュに抱き着くクグレックを見て戸惑った。
「ククは溺れかけたんだ。とりあえず浜辺へ戻るぞ。」
「…はーい…。」
 さすがのニタも怖がってハッシュに抱き着くクグレックを見てしまっては、大人しくハッシュに従うしかなかった。



 2019_07_07


 まもなくディレィッシュは籐で出来たゆるりとした傾斜の背もたれのリラックスソファに深く座り込んだ。そして、
「さて、ムーよ、これからどうするんだ?」
と。ムーに尋ねた。
「そうですね。今日は船旅の疲れもありますので、皆さんは銘々くつろいでいただければなと。ハワイ島を散策するもよし、浜辺で泳ぐのもよし。その間僕はちょっと気になることがあるので、フィンに確認してみます。友人に会うのは早ければ明日。遅くても明後日には友人に会いに行けるように準備したいなと思います。」
「なんだかずっとムーにまかせっきりになってしまって申し訳ないな。」
「いえ。全然大丈夫なので、気にしないでください。でも友人に会うのも実を言うと、皆さんの力が必要なんです。」
「どういうこと?」
 ニタが尋ねた。
「実を言うと、僕の友人はルルというんですが、ルルがこのハワイ島に来る前に何かがあったみたいなんです。のっぴきならない事情があってこのハワイ島にやって来たみたいなんですが、ハワイ島にルルが来てからというもの、連絡が途絶えちゃって。僕たちは思念で会話が出来るんですけど、どういうわけかそれも出来ない。ルルは何かに追われていたらしいんです。」
 と、ムーが言った。
「なるほど。なにやら危険な香りだな。」
 と、ディレィッシュが言った。
「まさか密猟者とか…?」
 ハッシュが呟くとニタとムーは小さく竦み上がった。希少種は何かと生きづらいのだ。
「…それは考えたくはありませんが…。いえ、あの時のルルの思念はそう言う感じじゃなかったので、多分違う筈です。」
 と、断言するムーだが、目は泳ぎ、その口調も必死に自分に言い聞かせるものだった。
「と、とりあえず、今日はゆっくりしてください。僕はルルの情報収集に行って来ますから。」
 そう言ってムーは部屋を出ていこうとしたが、ニタがムーの尻尾をきゅっとつかんだ。
「な、何するんですか。」
 ムーは離してくれと訴えるかのようにぷりぷりと尻尾を動かすが、ニタは離そうとしないのでぶんぶんと腕が振り回された。
「いやいや、ムー君。別に君一人で頑張らないでいいんじゃないかな。そんなに長い付き合いじゃないけど、少なくともニタはムーのこと友達位には思ってるから、頼ってくれてもいいんだよ。」
 ムーの動きが止まり、ムーは恐る恐るニタ達を見上げる。
「いいんですか?」
「いいもなにも。それよりも、ムーは気を遣いすぎだよ。言葉遣いだってもっとフランクな感じでいいんだよ。」
「確かに。ムーもアルトフールまで一緒に旅をする仲間なんだから、他人行儀でいる必要はないだろう。」
 にこりとディレィッシュも微笑む。
 ムーは嬉しそうに頷くと、
「ありがとう!」
と、言った。


 そして、ムーの友人ルルの行方はあっという間に手に入るのである。

「じゃ、電話してみようか。」
 と、ニタが言った。
「え?」
 ムーとハッシュとクグレックははぽかんとした。ディレィッシュは「なるほど、その手があったか」というようにニタを見つめた。
「だって、困ったことがあったらフィンが電話して聞けって言ってたじゃん。」
 そう言ってニタは壁掛けの受話器を取り会話を始めた。
「わ、フィン?あのね、えっと、ニタ達ルルって子を探してるんだけど、知ってる?――えっと、人間じゃなくて、確か、うーんと、カーバンクル?って種族で、どっかから逃げ込んで来たらしいんだけど、――え?いない?あぁ、そうなんだ。うーん、多分リゾートを楽しみに来たわけじゃないと思うよ。――そっか。でも、このハワイ島にいるらしいんだよ。どっかいそうなところとかわかんない?――ふむふむ、えーそうなの?じゃぁ、うん、聞いてみてよ。うん、うん。ありがとう。待ってるよ。じゃぁね。」
 がちゃりと受話器を置くニタ。電話での会話はほんの数分のことだったが、ニタの電話での応答を聞くに収穫はゼロではなさそうである。
 ニタはぽてぽてと歩いて籐のスツールに腰掛け、電話で得た情報を共有する。
「フィンがルルがいるところに心当たりがあるっぽくて、場所とか教えてくれるらしいよ。」
 ムーの目が歓喜にきらりと輝く。
「ニタ、すごいです、いや、すごいね!この前の宿屋のお姉さんからもけろりと情報を聞き出すし、流石だよ!」
 と、ムーに褒められればニタは鼻高々になって、もっと褒めてくれと言わんばかりににんまりと目を細める。
 それから30分程でフィンがやって来た。
 フィンはテーブルにハワイ島の地図を開いて、ルルがいそうな場所について話を始めた。
「残念ながら、ニタさんがおっしゃる「ルル」さんがどこにいるのかは把握できていなんですけど、もしかすると、このあたりにいるかもしれません。」
 そういって、フィンは地図上の卵型をしたハワイ島の北西端を指差した。地図には観光名所がイラスト付きで書かれており、今いるホテルや港、ビーチは島の南東に密集している。島の南側に多くの建物やら景色のイラストが多くあり、どうやら島の南側には観光名所が多くあるようだ。北側は標高1000メートルににも満たない山、高原が広がっており、イラストも所々にしかない。だが、それは北東部に限っての話だ。島の北西部はただ山が広がっているだけで、イラストは何もない。何もない鬱蒼とした緑を隠す様にハワイ島という文字と縮尺、方位が描かれている。
 フィンが話を続ける。
「このあたりはリリィが過ごす神域なので、観光客は立ち入ることが出来ないようになっています。」
「え、てことは行けないの?」
「リリィが許せば大丈夫です。一応山門があるんですけど、リリィが許さなければその門は開きません。」
「あ、そんなもんなの。」
「リリィは神ではありませんから。神域はリリィの家とでも思っていただければ。さすがのリリィも知らない人を家にあげることはしませんよ。それに、ハワイ島は神域に行かずとも観光客を満足させる要因が揃っていますから、ただの山である神域に行くよりも、この地図に書いてある箇所に行った方が有意義ですよ。ハワイ島の北西部は天候も悪くなりやすいですし。時々魔物も出るそうです。」
「リリィは過酷な場所で暮らしているんだな。自分を犠牲にしてまで観光客をもてなすとは大した心構えだ。」
「そういうことになりますね。」
「もし、リリィが許してくれなかったら、僕達は神域に立ち入ることが出来ないの?」
 ムーが心配そうに尋ねる。
「そういうことになりますが、どうしても神域に入る必要がある人なら入れてくれると思いますよ。リリィはそこまで厳格ではないので。それでも、神域に入るには事務手続きが必要なのでお日にちを頂きますけどね。」
 と言うフィンの話を聞いてムーはほっと安心するように息を吐いた。
「では私は神域への手続きを済ませて来ますが、こちらは皆さんで行かれるのですか?」
 と、フィンは一向に尋ねる。
「…うーんと、ディッシュは休まないといけないから、ニタとハッシュとククとムーの4人で行くよ。」
「分かりました。では、明日の夜までには手続きが完了すると思いますので、皆さんはそれまでどうぞハワイ島でごくつろぎ下さい。また何かありましたら、お電話で呼んでくださいね。」
 そう言って、フィンは部屋を出て行った。


 2019_07_06


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 翌日。無事に船はハワイ島に到着した。港はかもめがくるくると舞い、数人の現地の人達が船を出迎えにやって来ていた。
 船から降りると、首にハイビスカスの花輪を身に付けた現地の人達が数人やって来て「ようこそハワイへ」と歓迎の意を示された。そして、降りて来る観光客たちに自身が身に付けていたハイビスカスの花輪を被せた。
「これは魔除けの花輪なんです。ハワイ島は支配と文明の大陸からは離れていて、滅亡と再生の大陸に近いですからね。ホテルの部屋についたらこの花輪をばらしてお花を1房頭に付けたり胸ポケットに入れたりしてくださいね。」
 現地の人が説明してくれた。
 クグレックには赤や黄色のハイビスカスはまるで妖精が着ているドレスのようで可愛らしく見え、思わず笑みが零れた。
「えっと、ムー様ご一行は私フィン・ベストがご案内しますね。」
 クグレックたちの目の前に現れたのは、フィン・ベストと名乗る女性であった。肩までのゆるくふわふわとした巻き髪が可愛らしい、細身だが胸が大きくてスタイルが良いグラマラスな女性だった。クグレックと目が合うと、フィンはクグレックの緊張をほぐすかのように優しく微笑んだ。
「こんな美人さんに案内してもらえるなんて、私達はラッキーだなぁ。」
 ディレィッシュが上機嫌で言った。フィンは「ふふふ、精一杯ご案内させていただきますね。」と上目遣いでディレィッシュを見つめて返事をした。
 気を良くしたディレィッシュはフィンの肩を抱いて案内を頼もうとしたが、見かねたニタに「バカじゃないの?」と阻止された。
 ホテルへの道中、あからさまにフィンにメロメロになっているディレィッシュを見て、クグレックは妙に納得した。何故なら普通にフィンは美人であり、ディレィッシュは美人とみると声をかけるのを躊躇わない主義であるからだ。
 さて、クグレックが気になるのはディレィッシュの弟のハッシュである。
 クグレックから見てもフィンはとてもきれいで美人に見えるが、ハッシュはどう思っているのだろうか。やはり、ディレィッシュと同じようにめろめろになっているのだろうか。
 クグレックは歩きながらハッシュの様子をそっと伺う。ハッシュもまた、フィンのことを見つめている。ほんのりと頬が赤くなっており、その表情はどこか切なげだ。はてこれはどういう表情なのだろうとクグレックは首を傾げた。
 すると、ハッシュはクグレックの熱視線に気付き、
「クク、どうした?」
と尋ねた。
「フィン、美人さんだね。」
 とクグレックが言うと、ハッシュは瞬時に顔を赤くさせて「あぁ、そうだな。」と答えた。
(やっぱり、ハッシュも可愛いと思っちゃうくらい、フィンは美人さんなんだなぁ。)
 と、クグレックは単純にそう思った。恋初心者のクグレックはその先の感情が分からないためにハッシュの言葉の意味を読み取ることは出来ない。

「さて、着きましたよ。ここが皆さんの宿泊するホテルです。」
 さざなみの音が心地良い海岸線の遊歩道を進んだ先には天まで届きそうなくらいに背の高い建物がそびえ立っていた。20階ほどもあろう高層の建物だ。砂浜を想起させるアイボリーホワイトの外観はまるでタワー型のトロフィーの様な形であり、建物にしては珍しい形だった。1階のエントランスは全面ガラス張りになっていて、解放感が溢れている。温暖で大らかな気候のハワイ島とマッチした作りである。
 ガラスの扉を開き、一行はエントランスロビーで待たされた。フィンが受付を済ませている間、クグレックたちはふかふかの豪華なソファでしばしの談笑をしていた。
「ハワイ島はリリィという希少種の加護によって栄える土地だが、なかなか興味深いテクノロジーを持った島なのかもしれないな。」
 とディレィッシュが言った。
「どういうこと?」とニタが尋ねる。
「例えばこの建物の中だが、外に比べて、涼しいだろう?」
「うん。確かに。」
「こんなにガラス張りの外面では外から入り込む陽射しのせいで温度が上がるはずなのに、どうにも涼しいんだ。トリコ王国にも空気を冷やしたり温めたりする機械があったのだが、ここもそうなのだろうか。」
「ハワイ島も超テク文明なの?」
「さぁな、それは私には分からん。トリコの技術は門外不出だ。それに、世の中には《魔法》という力も存在するから、もしかするとリリィの加護によるものなのかもしれないな。このホテルの作りも、並大抵の建築技術では作れないだろう。」
「へぇ、そんなもんなの。」
「そうなのさ。」
 とディレィッシュは言った。
 と、そこへフィンが戻って来た。
「受付が済んだから、部屋に案内しますね。」
 フィンはにこりと笑って奥へと案内した。そこには3つの扉があり、フィンは真ん中の扉の横についているボタンを押した。
「…エレベーターか?」
 ディレィッシュが言った。
 フィンはにこりと微笑んで「えぇ、そうです。この島も電気の力に頼っています。まぁ正しく話せばリリィの力ですけど」と言った。
 ちんと音が鳴ると同時にエレベーターの扉が開いた。
 一行はエレベーターに乗り込み、目的の階へ向かう。部屋は最上階の24階だった。
 部屋はニタとクグレック、ハッシュとディレィッシュとムーで別れることになった。最上階の部屋はホテルの中でも一番いい部屋である。大きな窓からの眺望は、ハワイ島とその先に続く宝物の様な青い海を俯瞰することが出来て、まるで神様になったかのような心地である。
 部屋はリゾート感あふれる家具で統一され、心がふわりと開放的になる様な特別な空間が作りだされていた。
「では皆さんにお部屋の説明をしますね。」
 フィンは部屋の隅にある白いチェストの扉を開いて中を見せた。扉を開いた瞬間、ひやりとした冷気が漂った。
「飲み物はこちらの冷蔵庫に入っていますので自由にお飲みください。」
 中には水やオレンジジュース、ワインなどが入っていた。
「あ、これトリコ王国にもあったやつだね。」
 と、ニタが言うと、フィンは何も言わずににこりと微笑んだ。
「あれ、でも、トリコ王国の技術は門外不出だったような…。」
と、ニタが言う。クグレックは不安になり、ディレィッシュとハッシュの二人を見たが、二人の表情は特に変わらない。
 すると、不安がるクグレックにフィンは気付いたのか
「大丈夫ですよ。トリコ王国のものとは別の物ですし、深く話せば難しいものですが、とどのつまりはリリィの加護です。」
と、言った。
「リリィは凄いな。」
 ハッシュが言った。
「えぇ。このハワイ島は所属が『支配と文明の大陸』と『滅亡と再生の大陸』の間なのです。なので、この島は「おもてなしと休暇の土地」という目的をもっています。そのためにリリィの力が発揮されるのです。」
「…なにそれ?なんで二つの大陸の間だから、『おもてなしと休暇の地』という目的になるの?」
 ニタが尋ねる。
「うーん、私も詳しいことは分かりませんが、『滅亡と再生の大陸』では土地が生きているらしいです。その土地がその通り名の地になるために土地が住民を呼び、その名の通りの地になるように発展していくようになっているらしいです。」
「ってことは、リリィという希少種がハワイ島に呼ばれて、ハワイ島をおもてなしと休暇の地にするために色々やってるということ?」
「そうですね。」
 フィンはにこりと微笑む。少しの間があり、フィンは部屋の説明を続ける。
「…では、続きいきますね。お食事もこちらのメニュー表にあるものをこの電話からお伝え頂ければ、すぐにお持ちします。また、他に何かご用命がありましたら、おなじくこちらの電話からお伝え頂ければお力添えいたしますね。」
 フィンは壁に取り付けられた受話器を指差す。この電話は寝室のサイドテーブルにもあるらしい。
「あとは、皆さんは4泊5日の滞在ということで、お食事の方は朝と昼と夜も当ホテルでも用意しておりますが、ご用命によっては浜辺でバーベキューの準備も致しますので、どうぞお声がけください。では、困ったことがありましたらいつでもこちらの電話でお呼びください。」
 そう言ってフィンは部屋を出て行った。

 2019_07_02


「船の旅もいいね。海風が気持ちいいよ。」
 甲板にて、荷物が入った木箱に腰掛けながらのんびりとニタが言う。
「うん。気持ちいいね。」
 クグレックもニタに追随する。過ごしやすい気温に爽やかな青空、頬を撫でる海風は普段は内向的なクグレックの心を開放的にさせる。
 ハワイ島まではなんと丸一日もかかる距離にあるらしいが、船上の旅は非常に穏やかで楽なものだった。
 
 ところが、クグレック達の旅はそんなに楽なものではない。

「2時の方角から黒雲が近付いて来るぞ。客は船室へ!」
 船員が大声をあげて避難を指示する。
 船が進む方向が局地的に禍々しい黒い雲に覆われているのだ。先ほどまでは爽やかな青い空が全体的に広がっていたというのに。局地的に黒い雲に覆われた海は荒々しく波打っている。
「迂回すればいいのに。」
 と、ニタが呟くが、不思議なことに船は黒い雲のもとへ突っ込んで行く。いや、船が近付いているのではなく、黒い雲が猛スピードで近づいて来ているのだ。
「嬢ちゃんとこぐまちゃん、早く船室へ!」
 船員があまりにもせっぱつまった様子で叫ぶので、ニタとクグレックは慌てて船室に戻った。
 突然の事態にニタとクグレックは事態を呑みこめないでいる。
「一体何が起きようとしているんだ?」
「わかんない。でも、黒い雲が近づいて来てた。」
「ニタも海のことは良く分からないから、ムー達に聞いてみよう。」
 ハッシュとムーは客室でディレィッシュの傍にいた。ディレィッシュは熱は下がったものの、体力が著しく落ちてしまい、まだ本人が思うように身体を動かすことが出来なかった。久し振りに体を動かした今日は、微熱が出てしまったのだ。
 3人がいる客室に向かおうとしたその時、どん、と大きな音と共に船体が大きく揺れた。その揺れは立っていられない程大きな揺れで、クグレックとニタはコロンと倒れて尻餅を着いてしまった。
「まさか、船、沈まないよね?」
「そんな、まさか。」
 船は酷く揺れ、ニタとクグレックは不安げに顔を見合わせる。。
「クク、ニタ!」
 ハッシュが現れた。
「あ、ハッシュ。なんか黒い雲がやって来て、大変なことになったみたいだよ。ディッシュは大丈夫?」
「あぁ。なんとかベッドにしがみついている。」
「そう。」
 ニタは自力で立ち上がることが出来たが、クグレックには無理だった。ハッシュがクグレックの手を取り、壁まで移動させた。
「ククは一旦客室に戻ってろ。ニタ、外に出るぞ。」
「え?船乗りのおっちゃんが危ないから中に居ろって。」
「いや、黒雲が来た。船乗りたちの援護をするぞ。」
「え?もう、一体どういうこと?」
「黒雲は魔物を引き連れる。」
 ハッシュはそう言って甲板に出ると、ニタも状況を解しないままだったがその後に続いた。
 残されたクグレックは、激しく揺れる船に再び転げてしまうが、どうやら甲板には魔物が現れてしまっているらしいことを聞きつけ、よたよたしながらハッシュたちの後を追った。
 甲板に出ると、空は夜が来たように暗くなっており、強い雨と風が吹き付けていた。波も轟音を立てて、激しい白波を上げている。時折雷鳴も轟く光景はこの世の地獄のようだった。
 更に目の前には、幼児ほどの大きさで、つるりとした表面にひれとえらがある二足歩行の生き物が数体ほどおり、船乗り達と交戦していた。勿論ハッシュとニタも戦っている。
 クグレックも揺れる船体にふらふらしながら、背中のケースから杖を取り出す。
 目の前の見たこともない生き物は2足歩行ではあるが、魚のように見えた。半魚人というのだろうか。クグレックはふらふらしながら、標的に向かって杖を剥ける。
「イエニス・レニート・ランタン!」
 炎の魔法を唱えれば杖先から火の玉が放たれ、半魚人にぶつかる。じゅうと音がして、半魚人からは焦げた匂いと焼き魚の様な香ばしい匂いが発せられた。
(もっと、火力を強くしないといけないのかな)
 そう思いクグレックはさらに魔力を込めて炎の魔法を放とうと呪文を詠唱するが、杖からは何も放たれなかった。魔法が使えないことに戸惑うクグレックだったが、少し焦げてしまった半魚人がクグレックのことを察知し、襲い掛かって来た。クグレックはもう一度魔法を放とうとするが、どうしても魔法が放たれない。
 半魚人がクグレックにその刃物のように鋭利なひれを叩きつけて来る。クグレックは防御するように杖を前に構えて、きゅっと目を瞑った。
 ばきっと音がし、痛みも何もないことにクグレックはおそるおそる目を開くと、目の前にはハッシュの姿があった。もう何度この背中を見たことか。
「危ないと言っただろ。海に投げ出される危険がある。船室に戻れ!」
 と、ハッシュに怒鳴られたのと、揺れる船の衝撃でクグレックはびっくりして尻餅を着く。尻餅を着きながら、クグレックは杖を握り魔法を放とうとしたが、やはり出来なかった。自身が役に立たないことを察したクグレックは這いつくばりながら船室へ逃げ込んだ。クグレックはディレィッシュ達がいる部屋に戻らず、その場にしゃがみ込んだ。心臓がバクバクと鳴る。魔女の力を忌み嫌うことは多々あれど、魔法が使えないことは魔力切れの時を除いては一度もなかった。魔法の力がなければ、クグレックはみんなの役に立つことが出来ないではないか。

 やがて、船の動きが落ち着いた。
 クグレックはずっと甲板へ出る扉の前でしゃがみ込み項垂れていた。
 がちゃりと扉が開き、外からの光が差し込むと白いふかふかの足が見えた。ニタだ。
「あれ、クク、部屋に戻ってなかったの?」
 クグレックは顔を上げた。その表情にニタはぎょっとした。
「クク、どうしたの?なんかやつれてるよ。船酔い?」
 クグレックは頭を横に振る。
「ううん、違うの。船酔いは大丈夫。」
「そう。ならどうしたの?」
「…魔法が、使えなくなった。」
「ふーん。」
 ニタの反応は意外と薄いものだった。クグレックは少しだけ拍子抜けした気持ちになった。
「…私、これじゃぁ、何の役にも立たない…。」
「うーん、別にいいんじゃない?確かに火とか魔法で出ると便利だけど、戦いとかはニタとハッシュで何とかするし、大したことじゃないよ。」
 ニタはぽんぽんとクグレックの肩を叩く。ニタの様子を見ていると、事態はクグレックが思っているよりも深刻ではないのだろうと思えて来た。
「むしろ、普通の女の子は魔法が使えないのが当たり前なんだから、いいんだよ。」
「普通の女の子…」
 クグレックは復唱した。〝普通の女の子”はクグレックが憧れていた存在だ。
(そうか、私は〝普通の女の子”になれるんだ…)
 クグレックはようやく気持ちが落ち着き、ずっと握りしめていた杖を背中のケースにしまった。
「そうそう、黒雲は『滅亡と再生の大陸』に帰って行ったから、海はもう安心だよ。」
「黒雲?帰る?」
 ニタは船乗りから聞いた話を自慢げに披露した。
 先ほどの嵐と魔物を伴った黒い雲は『黒雲』と呼ばれる魔物スポットの一種らしい。黒雲は遥か西にある『滅亡と再生の大陸』で発生する雲らしく、『支配と文明の大陸』から離れた海上にごくまれに出現する。船を嵐と魔物で襲撃してくるが、黒雲が嫌いな音があるらしく、黒雲がやってきた時は装置を使って黒雲の苦手とする音を発する。かつては黒雲により難破してしまう船が多かったのだが、この装置を使えば黒雲を追い払うことが出来る。とはいえ、魔物は容赦なく船を破壊しようとして来るので、魔物を相手しながら装置を起動させなければならないので、大変なのである。
「でも、黒雲は年に1回くらいしか発生しないはずなのに、先月からちょいちょい出て来るんだって。一昨日も出たらしくて、何かやな感じらしいよ。」
 そうなんだ、とクグレックは呟く。
 トリコ王国といい御山といいどこかしらで『魔』が異常を来している。クグレックは魔を活性化させる体質らしい。クグレックが行く先々で発生している異常はもしかすると彼女自身がもたらしているものなのではないだろうか、ということがクグレックの頭を過ぎった。クグレックは血の気が引いて行くのを感じた。
「クク、どうしたの?」
 ニタがクグレックの顔を覗き込む。そして、クグレックの表情を見てぞっとした。
「クク、顔真っ青だよ?やっぱり船酔いじゃないの?大丈夫?」
「…ねぇ、ニタ、私、本当はいてはいけない存在なんじゃないの?」
 ニタから表情が消え、至極冷静にククに問い返す。
「どうしてそんなことを思うの?」
「だって私がいると魔の力を増幅させてしまう。ディレィッシュやムーの魔が暴走したのも私のせいだし、白魔女がおばあちゃんが死んだのも私のせいだって言ってたのも思いだした。ニタ、私…」
「クク!」
 ニタはクグレックの言葉を遮るように大きな声を出した。
「ククは何も悪くないんだよ。…でも、…ククの存在が魔を増幅させてしまうのは事実かもしれない。だけどね、アルトフールに行けば、ククがそんなことで悩まなくても良くなるんだ。何があるのかはニタも分からないけど、エレンにお願いされたんだ。そうすれば、ククはきっと普通の女の子が経験する色んな事を味わうことが出来るからって。」
「普通の女の子になるために、私は沢山の人達に迷惑をかけるの?なら私は、マルトで何も知らずに生きていた方が良かった。」
「違うんだ。クク。ククがマルトに残ったとて、魔の力が村人をおかしくさせて、もっとククはいじめられてた。ククはもっと嫌な思いをして、そして悪魔たちの恰好の餌になる。ククは世界を滅ぼすための兵器となってしまうんだ。ニタがいれば、ククを守れる。だから、安心して。」
 クグレックはニタを見た。ニタのサファイア色の瞳は不安げなクグレックを映し出しているが、ニタ自身はそんなクグレックを優しく見つめている。
(…この世界のためにも、私はアルトフールにいかないといけないんだ。これ以上迷惑なんてかけてられないもの…)
 クグレックは次第に落ち着きを取り戻すと、不安も消えていった。不安は全て消えたわけではないが、ニタの言うことは尤もである。アルトフールに行くことで被害が最小限に収まるのならば、今の苦しみは我慢すれば良いだけだ。
「クク、外に出よう!やっぱり晴れた日の海は最高だよ!」
「うん。そうだね。」
 クグレックはニタと共に再び甲板に出た。先ほどの荒天模様は嘘のように、空は気持ちよく晴れ渡っていた。
 波風は再び優しく二人の頬を撫でる。
 

 2019_06_27


 ぼんやりとした様子で目だけを動かして周りの様子を伺う。
「ディレィッシュ…」
 ハッシュは奇跡でも目にしたかのように、ディレィッシュに声をかける。
「おお、ハッシュ。なんだか大分楽になったな。看病、ありがとう。」
 目覚めたばかりのかすれた声でディレィッシュは言った。と、そこへ少年クライドを連れた白魔女が割り込む。
「ほら、どう?クラ君、なんか思うことはある?」
 と、白魔女が問うが、少年クライドは特に言葉を発しなかった。
「ん、クライド?随分若くなったな。元気にしてたか?」
 とディレィッシュが声をかけた。彼はすぐにこの少年をクライドであると判断できたようだ。少し弱っているが、ディレィッシュ特有の不敵な笑みが浮かべられている。
 少年クライドは、白魔女を振り返り意見を求めるようにじっと見つめる。
「なぁに?この人、クラ君の知り合いじゃないの?」
 白魔女は怪しい笑みを浮かべながら、少年クライドに問いかける。少年クライドは再びディレィッシュを見つめた。すると、少年クライドはつうと涙を流した。そして、か細い声で
「…もうしわけ、ありません…」
と、一言。少年クライドは突然しゃがみこんで、えづき始めた。
「うーん、まだ駄目ね。まだ馴染めてない。」
 白魔女はそうぼやくと、懐に入っていた小瓶から錠剤3粒を取り出した。少年クライドの腕を引っ張って無理やり立ち上がらせ、錠剤をその口に放り入れると、口を手で塞いで無理矢理嚥下を促す。少年クライドは苦しそうにもがくが、白魔女にしっかりと関節を抑えられているため、脱出を試みることが出来なかった。しばらくすると、少年クライドは落ち着きを取り戻した。
「お外で待ってなさい」
 と白魔女が少年クライドに囁くと、クライドは素直に部屋の外へ出て行った。
「クライドに、一体何をしたんだ?」
 つとめて穏やかな口調でディレィッシュが尋ねた。
「今?今は精神安定剤を飲ませただけよ。ちょっとね、あの子は今精神不安定なのよ。」
「おかしくしたのは、お前だろう?」
「いやなこと言うわね。もうあの子はおかしくなっていたわよ。無理矢理望まない世界に生きなければいけなくなることの苦痛はいかなるものなのかしら。」
「…どうして、知っているんだ?」
「それは、秘密。」
 白魔女は唇に人差し指を当てて答えた。
「それにね、アタシ、わざわざここまで来て薬を届けてあげたし、白魔術師の奇跡である生命魔法も披露してあげたわけ。でも、アンタ達からは惚れ薬の効果しか見返りを頂いてないのよ。ねぇ、これって割りに合わないわよね。」
 白魔女はちらりとクグレックに視線を移した。緑色の瞳は何かを企んでいるように怪しく輝く。すぐに不穏な空気を察したニタがクグレックを守るように前に立った。
「いや、見返りは十分払っているだろう。」
 ディレィッシュが言った。
「私の腹心の部下であったクライドを貴様のおもちゃにした。あいつの人生すべてをぶち壊したんだ。私を治療で、等価交換ではないか。」
「それ、この先あの子にもっとひどいことをやって良いってことよね。ご主人様の許可、得たってことよね。でもまぁ等価にはならないわね。アタシね、やっぱり、クグレックが欲しいのよね。」
 そう言って白魔女はゆっくりとクグレックに視線を向ける。ニタは毛を逆立たせて威嚇を始めた。
「お前、やっぱり!」
「アタシの目的はずっと黒魔女ちゃんよ。」
「なんでククを狙うんだ!」
「黒魔女の力が欲しいからよ。黒魔女の力さえ手に入れば、アタシは全てを支配できる。この世の全てを、この世の理を。」
「意味が分からない!」
 と、ニタが叫ぶと、白魔女はにんまりと笑った。
「…ま、アタシたちはまた会うことになるわ。多分、その時は、黒魔女も喜んでアタシに身を捧げたいと思うようになっているはずだから、その時まで、今回の件は貸しにしてあげる。んふふ。」
 そう言って白魔女は部屋を出ていった。その場にいた者達はぽかんと呆気にとられた様子でいたが、ハッシュが慌てて部屋の外に出た。
 あの少年クライドが本当にクライドならば、白魔女の元に居てはいけない。連れ戻さねばと思い、部屋を出たが、白魔女の姿は見つからず。外に出ても、白魔女と少年クライドの姿は見つからなかった。ハッシュが外に出たのが遅すぎて見失ったというわけではない。2人は消えた、という方が正しいだろう。
 ハッシュは部屋に戻った。
「白魔女とクライドはいなくなっていた。」
 と、ハッシュがいうと、ニタはぷんぷん怒った様子で
「あの女、本当に気味が悪い!」
と言った。1度ならず2度までもクグレックを狙いに来たのだ。しかも、3度目もある様な言いぶりだったのが気に喰わない。
「でもディレィッシュのことを治してくれたのは確かですし、そこまで悪い人なんですかね。」
「…昔からあいつの腹の底は知れない。用心すべきなのは間違いないぞ、ムー。」
と、ディレィッシュが言った。
「それに、…残念ながらクライドのこともあいつに任せなければいけない。あの状態のクライドを引き取ったとて、私達に出来ることは少ない。私が熱に浮かされただけで、大変だったろう?幸い、次に会う機会はあるらしい。その時を待とうじゃないか。」
 ベッドの上で横になったままディレィッシュは話す。
「クライドの身が危険だとは考えないのか?」
 ハッシュが尋ねる。
「少しだけ心配ではあるが、クライドは今少年の姿になっている。だから、トリコ王国の追っ手に捕まることはないだろうし、それに白魔女の一番の狙いはククなんだ。おそらくあいつは再びクライドを交渉のネタにして連れてくるだろう。その時のクライドがどうなっているか心配ではあるが、きっと死ぬことだけはないだろう。」
「そうか…。」
「私達は私達の旅を続けよう。時期が来ればまたクライドにも会えるはずだ。」
 ハッシュは仕方なしに「あぁ」と応じるが、完全に納得しているようではなかった。
「ねぇねぇ、トリコ王国の追手って何?」
 ニタが尋ねた。
「あぁ、トリコ王国を勝手に抜け出した者は死罪なんだ。意図がないにせよ情報を持ち出すことは重罪だからな。」
 ハッシュが当たり前だと言わんばかりに答えた。
「おっかない国!」
 ニタは竦み上がった。
「それにしてもみんな。」
 ディレィッシュが横たわったまま声をかけた。
「みんなには心配をかけてしまったな。おかげさまで熱も下がって体はだいぶ楽になった。今日は皆ゆっくり休んでくれ。」


********

 それから3日後、熱によって消耗されたディレィッシュの体力も半分ほど回復し、一行は港へと向かった。ディレィッシュは本調子ではないが、療養するならばハワイ島の方が良いとムーが判断したためだ。当人であるディレィッシュもそれに同調した。
 宿屋を出る際は、アニーが大泣きして大変だった。が、宿屋の主人がアニーに一喝したことで、アニーの癇癪は収まり、ニタはなんとかアニーから離れることが出来た。親はしっかりと子供をしつけなければいけない。
 港には小型の木製の船が就航していた。
 桟橋から歩み板を渡って船に乗り込み甲板に出ると優しい海風が5人の頬を撫でた。
 目の前には水平線がくっきりと見え、ゆるくカーブを描いている。この世界は平面であると思い込んでしまいがちだが、実は球体なのだ。
 この海の向こうに『滅亡と再生の大陸』が存在し、アルトフールも存在する。
 まだまだ先に見える旅の終着地はゆっくりと近づいて来ている。それはとてもゆっくりと近づいて来ているのだが、一行が歩みを止めない限りは近付き続ける。



 2018_02_13



 と、その時であった。突然部屋の扉が勢いよく開いたのだ。ニタは驚いて白い毛が逆立っている。
「こんばんは~!」
 と艶めかしい声で挨拶してきたのは、白いローブにフードを被った背の高い女性だった。フードの下からは獅子のようにうねる紅い髪とエメラルドの様な緑色の瞳が覗いている。
 白魔女が来訪したのだ。
「お前は、あの時の…!」
 ニタは立ち上がって、警戒するように戦闘態勢に入る。
 (ニタは白魔女にあったことがあるのだろうか。)
 と、クグレックはニタの様子に首を傾げた。
「あら、ペポ族の戦士かしら?まだ一緒にいたのね。」
 隠れ家に居た時の彼女とは打って変わって元気な様子の白魔女。二日酔いは無事おさまったのだろう。
「ククに何の用だ!」
 ニタは険しい表情で大声をあげる。白魔女が一歩たりとも近付けば襲い掛かりそうな様子だ。
「黒魔女にはいつだって用事があるわ。でも、むしろ、今用事があるのは黒魔女の方がアタシに用事があるわよね?」
 そう言って白魔女は懐から小さな透明の小瓶をちらつかせる。中には群青色の液体が入っていた。
 クグレックはその小瓶が意図するものに気付き、ニタに声をかける。
「ニタ、その人は白魔女さんだよ。二人の間に何があったのかわからないけど、落ち着いて。」
 と、クグレックに宥められるもニタは
「でも、こいつはメイトーの森でククを殺そうとしてきた奴だよ?覚えてないの?」
と、言った。
 クグレックは数か月前のことを思いだすのに少々時間がかかったが、確かにあの紅い髪と意地の悪い性格の女がメイトーの森出口辺りに居た。
 メイトーの森を出てから色々なことがあり過ぎた上に、昨日会った白魔女が二日酔いでグロッキーだったこともあって、すっかり忘れていたが、この白魔女と呼ばれる女性は確かにメイトーの森でニタとクグレックを襲った人物だ。今日は持っていないが、杖でニタのことを吹き飛ばし、クグレックの首を絞めて殺そうとした女だ。たしか、祖母のエレンとは旧知の仲だと言っていたが。
「そういえば!」
 と、クグレックは声を上げた。が、白魔女が持っている薬を見ると、抵抗することは良くないと感じた。
「ちょっと、黒魔女ってばアタシのこと忘れてたの?薄情な子ねぇ。」
 眉間に皺を寄せて白魔女が言った。
「そうよ、アタシこそが天下最強の白魔女サマよ。覚えておきなさい。」
 白魔女はニタにも目をくれず、ゆっくりとクグレックのもとへ近付いて行く。
「ま、今日はこのアタシが直々に出向いてあげたんだから、感謝しなさい。」
 そうして、白魔女はクグレックに群青色の液体が入った小瓶を渡す。
「解熱剤よ。で、第一皇子の薬の効き目はどの位だったのかしら?」
「第一皇子?どうしてそれを?」
 ニタが会話に割って入ろうとしたが、クグレックがニタの方に手を向けて制止する。
「今朝には元に戻っていました。寝る前はまだ、効果があったと思います。」
「へぇ、そう。まだまだ効き目が弱いわねぇ。改良の余地ありだわ。で、熱にうかされたトリコ王はどこかしら?」
 白魔女はディレィッシュがトリコ王であることも知っていたことにクグレックは驚く。
「…隣の部屋にいます。」
「そうそう、じゃぁ、案内して。ちょっと試したいことがあるのよ。ふふふ。」
 上機嫌な様子で白魔女が言うので、クグレックは部屋を出た。すると、部屋の外ではクライドにそっくりなあの時の少年の姿があった。少年は冷たい瞳でクグレックを一瞥した。この仕草もまたクライド本人にそっくりだなとクグレックは思いながら、白魔女を隣のディレィッシュ達の部屋へ案内した。
「こんばんはぁ。」
 ハッシュとムーは白魔女の姿に驚き戸惑いの色を隠せずにいた。そして、その傍らにいるクライド似の少年の姿にも驚いていた。
「薬の受け渡しは明日では…?」
 ハッシュが言った。
「日付上では受け渡しの日よ。ちょっとだけ面白いことがありそうで、こっちまで来ちゃったの。あ、薬は黒魔女に渡したから。」
 と、白魔女が言ったので、クグレックは白魔女の後ろからこそっと小瓶を二人に見せてみた。
 ハッシュとムーは安堵の表情を浮かべた。が、目の前には白魔女が存在するので下手に警戒心を解くことは出来ない。
 白魔女は少年を二人の前に出した。
「この子、現トリコ王国の軍団長をやってたんだけどね、ちょっと拉致しちゃった。トリコ王国では騒ぎになっているでしょうね。でも、可哀相だったんだもの。精神と体がちぐはぐになっていて、生きづらそうだった。だから、天才である白魔女サマが治療してあげようと思ったの。ちょっと投薬しすぎちゃったんだけどね。」
「じゃぁ、その少年は本当にクライドなのか?」
「そうなのよ。ちょっと薬のせいで記憶がめちゃくちゃになったり、感情に乏しくなっちゃったりしちゃったんだけど、あ、感情が乏しいのは元々だったわね。とにかくこの子は元トリコ王国軍団長のクライドなのよ。ちっちゃくなってもイケメンよね。あ、黒魔女、薬をトリコ王に飲ませたげて。」
 と、白魔女に言われたクグレックはディレィッシュの傍に立ち、白魔女から受け取った小瓶の蓋を開けた。ハッシュが「俺も手伝うよ。」と言って、ディレィッシュの上半身を抱き起した。ディレィッシュは息苦しそうに眠り続けるが、ハッシュに「ディッシュ、薬だ。起きてくれ。」と、声を掛けられると、目は開かなかったが、うっすらと口を開いた。ハッシュはクグレックから小瓶を受け取ると、ゆっくりと薬をディレィッシュの口に流し込んだ。
 こくん、こくんとディレィッシュの喉が動く。
「あ、杖忘れちゃった。」
 白魔女が呟いた。
「ちょっと黒魔女、アンタの杖貸しなさいよ。本当は薬飲んで1日くらいで熱は下がるんだけど、ちょっとトリコ王と話したいから、力を使っちゃうわ。特別サービスよね。」
 白魔女はクグレックに向けてウインクを放った。謎の言動にクグレックは特に何も感じることなく、自室の樫の木の杖を取って来てそれを白魔女に渡した。
 白魔女は樫の木の杖を品定めするように振り回す。「エレンの魔力もちょっと残ってるのね。うーん、ていうかわざと残してるのかしら。アタシの魔法と相性は悪そうだけど、まぁやってみないと分からないしね。しかし古くて汚い杖だこと。」などとぶつくさ独り言をつぶやいて、杖をディレィッシュに向けた。
「うーん、やっぱり重いわね。」
 白魔女はしっくりくる持ち方を探った。先を持つのがいいのか、真ん中を持つのがいいのか。両手持ちか片手持ちか。試行錯誤した結果、白魔女はクグレックの杖の真ん中を両手で持つことで落ち着いた。ふと力を込めると白魔女からぽわぽわとした淡い色をした光の玉が発生する。
「彼の者の生命の龍脈よ、地の力を介して今一度活性化し癒しを齎せ。」
 と、白魔女が詠唱すると、ディレィッシュの周りにも淡い色をした光の玉が次々と発生し、彼の中に吸収されていった。みるみるうちに顔色も元の色に戻り、呼吸も落ち着いていく。
「はいっと。これでオッケーよ。」
 白魔女はクグレックの方へ杖を向ける。「邪魔だから返すわ」と一言添えられて、クグレックは自分の杖を受け取った。
「今のは、生命魔法…?」
 ムーが呟いた。
「白魔女様の生命魔法でーす。一番簡単な奴だから、体力まで回復したわけじゃないからね。とりあえず熱は下がった感じ。」
 白魔女はあっさり答えた。
 と、その時、ディレィッシュが目を覚ました。


 2017_10_08


********

――――わるいまじょはおおきくてきょうぼうなドラゴンにへんしんして、おうじさまのゆくてをはばみます。

 朝早く起きたアニーとニタはロビーで本を読んでいた。アニーが読み聞かせる側で、ニタはアニーのたどたどしいそれを黙って聞く側だ。
 ロビーには二人の他にクグレックもいた。あまりよく眠れずに早く目が覚めたのだ。朝食が出るまでアニーの朗読をBGMにぼんやりとする。


――――おうじさまはようせいたちのちからをかりてどらごんにたちむかいます。おうじさまのけんはどらごんにささり、どらごんはおおきなさけびごえをあげてしんでしまいました。

 こんな物語をムーが聞いたらどんな気持ちになるだろう。いや、そもそもこのわるいどらごんは元々悪い魔女だったはずだ。わるいまじょはおうじさまに殺されたのだ。魔女であるクグレックは討伐対象になるのは些か辛いと思った。

――――おうじさまはとらわれのみのおひめさまをたすけてあげました。そして、おしろにもどり、ふたりはあいをちかいあいました。ふたりはけっこんしすえながくしあわせにくらしましたとさ。めでたし、めでたし。

 愛を誓い合った二人は結婚した。好きな人と一生を遂げる。
 こんな暖かな幸せな気持ちになるならば、それはとても素晴らしい人生なのだろうなと思った。愛する人と結婚して子供を産んで幸せに生きる。クグレックはそんな平凡な幸せに憧れたこともあった。
 今はどうなのかと問われると、それは分からない。でも、憧れることくらい悪くはないとクグレックは図々しくも控えめに居直った。
 
「ねぇ、ニタ、上手だった?私、ご本読むの上手なの。」
 アニーが誇らしげに言う。ニタは「はいはい、じょうずだね。」と投げやりな様子で褒める。それでもアニーは気を良くしたのか、次の絵本を引っ張り出し、再び読み聞かせ始める。
 
 厨房から美味しそうな匂いが漂い始めて来たころ、客室が並ぶ奥の廊下から部屋が開く音が聞こえた。ムーとハッシュが会話しながらロビーへやって来る。ぼんやりしていたクグレックは慌てて背筋を伸ばし、姿勢を正した。
 ムーがパタパタと翼をはためかせてロビーに姿を現すと、その後ろに続いてハッシュが現れた。
「おはようございます。」
 ムーが丁寧にお辞儀をして挨拶をする。周りは「おはよー」とのんびりした様子で返事をした。
 そして、ハッシュが気まずそうに「おはよう」とあいさつする。ニタはちらりとハッシュを一瞥すると不機嫌そうな様子で「おはよう」とあいさつをした。
 クグレックは、ハッシュを目の前にして緊張で強張っていたが、勇気を振り絞って「おはよう」と声を出した。ハッシュと目が合ったが、ハッシュは気まずそうに目を逸らした。
 ハッシュの様子が昨日とは違う。
 ムーは後ろを振り向き、ハッシュの腕を引っ張った。
「分かった。分かった。ちゃんというから。」
 と、言って、ハッシュはクグレックの傍に寄った。ニタのぎらぎらとした視線がハッシュに突き刺さる。
「クク…、昨日はすまなかった…。」
 ハッシュが申し訳なさそうな様子で謝った。クグレックはどういうことかとゆっくりと首を傾げる。
「昨日、迷惑をかけたみたいで…。記憶は殆どないのだが。」
 ハッシュは気まずそうに頭をぽりぽりと掻いた。が、覚悟を決めたようにしっかりとクグレックの目を見据えて
「…その、怖かっただろう。もう、薬の効果は切れたようだから、安心してくれ。」
 と努めて真摯に言った。
 クグレックはじっとハッシュを見つめる。昨日まで見せていたあの熱いまなざしはもうそこにはなかった。ただひたすらに誠実な眼差しがそこにあった。だが、それでもクグレックはハッシュのその眼差しに釘付けになり、視線を逸らすことが出来ない。顔は熱くなるし、変な動悸もしてくる。
 
(そっか、薬が切れちゃったんだ。もうハッシュは私のこと、好きじゃなくなったんだ。)

 クグレックのことを好きだと言ったハッシュはもういない。
 クグレックはようやくハッシュから視線を外し、「うん、そっか。私はそんなに気にしてないから、大丈夫。」と言った。
 気にしていない、わけでもない。
 やはり少しだけ、クグレックは寂しさを感じた。
 もうハッシュはクグレックのことを愛しているわけでもないし、結婚すると言いだしたりもしない。一瞬でも『おうじさまとおひめさまのようなしあわせなけっこん』に憧れたクグレックは馬鹿馬鹿しく感じた。
 クグレックは深く椅子に座り直し、小さくため息を吐いた。
 
 その後の朝食は、なんとも気まずい空気が流れていた。無邪気にニタと朝食を楽しむアニーの声だけが一人楽しげだった。

 それからクグレックはニタとアニーの面倒を見た。一緒におままごとをしたり、かくれんぼをしたり、人形遊びをしたり。少し疲れるが、それはそれで楽しい時間だった。無邪気なアニーと過ごす一日は悪くない。
 ムーは、友人がいる島までの定期船の切符を予約しに町へ繰り出している。行き先はハワイという島だそうだ。ハワイという島は、誰もが憧れるリゾート地らしい。そのため、ハワイ行きの船は定期便が出るほど人気がある。
 そして、ハッシュは、熱心にディレィッシュの看病をしていた。昨日白魔女の家を出てからの記憶がほとんどなく、今朝目を覚ました時は慌てた。白魔女の家を出たというのに、気が付いたらティグリミップの宿屋で、ベッドには未だ苦しそうに眠っている。薬の入手は失敗したのかと思い、ハッシュは傍で眠っていたムーをたたき起こして事情を聴いていた。
 そして、その瞬間彼は冷や汗をかいたのである。ディレィッシュが死にかけているのに、薬のせいだとは言え、クグレックに嘘っぱちの告白をしたりして困らせていたことを聞かされたのだ。流石に田舎育ちの初心な未成年の女の子を弄んでしまったことに、彼は強い罪悪感を覚えていたのだった。


********


 その夜。ニタはクグレックと同じ部屋で過ごしていた。昼間、ひたすらアニーと遊びまくった結果、アニーは酷く疲れて爆睡状態らしい。ベッドを抜け出してもアニーは起きないくらいぐっすり眠っているので、ニタはクグレックのいる部屋に戻って来た。
 昨晩は一人ぼっちだったクグレックはこうやってニタと一緒に居られるのは嬉しかった。
「まぁ、ニタもアニーの面倒を見るのは大変だったけど、ククも大変だったよね。あのクソバカ男に散々振り回されてさ。」
「…うん。そうだね、すっごく振り回された。」
 主に感情面で。
 薬に侵されたハッシュの口から紡ぎ出される熱烈な愛の言葉は、クグレックの心を大いに動揺させ、『恋』を錯覚させた。しかし、本当に錯覚だったのか。
「ねぇ、ククはそれでも、まだあのクソバカ男のことが好き?」
 ニタはにんまりとした表情で、クグレックに質問した。
 クグレックは俯き、頭の中でハッシュへの恋心を審議し始めた。
 だが、頭で考えても答えは出て来ない。好き、とも言えないし、好きじゃない、とも言えない。
 今朝のハッシュは昨日のハッシュとは違う。元のハッシュに戻ったというのに、あの時に誠実な眼差しを向けられて、クグレックは間違いなくドキドキした。クグレックを愛するハッシュはそこにはいなかったが、もしかするとそこにいたのはクグレックの好きなハッシュだったのかもしれない。ちょっとだけぶっきらぼうなところもあるが、真面目で優しい本当のハッシュの姿。それがあの眼差しに集約されていた。
 そうしてクグレックはぽつりと呟いた。

「…好き、なのかなぁ。」

 クグレックは言葉にしてから、急に恥ずかしくなり、瞬時に顔を真っ赤にさせた。
 その様子を見て、ニタは青ざめた。クグレックの感情は一時の勘違いであってほしいと思っていたからだ。それが、目の前には完璧なる恋する乙女が存在する。
「クク、きっと、まだ勘違いをしているだけだよ。しばらくしたら、なんでもなかった、って思うようになるよ。」
 と、ニタは言った。クグレックは「そうなのかな」と答えるばかりだった。
 多分、クグレックはハッシュに愛していると言われなくとも、ハッシュの頼れる背中や真面目で優しいところがクグレックは好きだった。
 2017_09_17



********

 穏やかな海風が吹き込む。コンタイは高温の国だ。冬だとはいえ、陽射しは初夏のように少し暑い。
 宿屋のバルコニーに取り付けられたハンモックに揺られながら、アニーの可愛い可愛いぬいぐるみになったニタは潮風に鼻をひくつかせながらぼんやりとしていた。お昼を過ぎてアニーはニタと遊び疲れたのか、すやすやと眠っている。穏やかな時間だ。
 ニタの心も穏やかだった。
 元来、ペポ族の戦士は面倒見が良い。ペポ族のほとんどが愚鈍で無知で素直であるということからペポ族は単純に騙されやすく、外部からの攻撃に弱い。そんな大半のペポ族を守るために存在するのがニタの様なペポ族の戦士である。ペポ族を外敵から守ることは勿論、ペポ族の戦士は外敵に知略で憚らないために知識を蓄える。元々が騙されやすいペポ族なので、ペポ族の戦士が逐一危ないことややってはいけないことを教えてあげなければいけない。そうでもしないとペポ族は滅亡してしまうのだ。
 だから、小さなペポの育て方や木の実の採り方、キノコの見分け方などを周りのペポ族に教えてあげた。のんびり屋でおっとりした性格が多い普通のペポ族を守ってあげることこそがニタの喜びであり、生きがいであった。あまりの愚鈍さに時々イライラすることもあったが。
 だから、こういった小さい子の面倒を見るのもニタにとっては慣れたことであった。
 外の世界を知らないクグレックのことも、かつての普通のペポ族の面倒をみることと似ていた。
 そもそもは恩人であるエレンから頼まれたことなのだ。クグレックの唯一の家族で会ったエレンの代わりに、後見人となってクグレックを見守る。クグレックが世界を知って、そして笑顔になってくれることがニタの今の役目なのだ。
 エレンの代わりの後見人として、そして初めての友達として、ニタはクグレックの人生に少しだけ責任を負う。
 例えば、もしもクグレックに好きな人が出来て、さらには結婚するとなったら、ニタはその相手が確かにクグレックに相応しいのか試さなければいけない、その位はやってやろうと思っていた。

 だからこそ、お昼寝から目が覚めた時、クグレック達が戻って来ていて、どういうわけかハッシュがクグレックと手を繋いでいる姿を見て憤りが収まらなかったのである。

「お前、なにクグレックと手を繋いでいるんだー!」
 
 アニーが眠るハンモックから飛び出し、ハッシュに飛びかかるニタ。ハッシュは腕でニタの攻撃を防御する。

「ニタ、一体どうしたんだ?」
 ハッシュが心底不思議そうに問う。その隣ではクグレックが顔を真っ赤にして俯いている。
「だって、お前、あんなにディッシュのこと心配してたのに、ちょっと離れたらすぐに女に手を出して。しかも、よくもククに手を出したね。お前にククをくれてやるわけがないからね!」
 ニタは毛を逆立てながら怒鳴り散らす。
 ハッシュはむっとした様子で
「ニタ、何を言うんだ。俺はククのことを本気で愛している。アルトフールに着いて落ち着いたら、ククと結婚するんだ。そこまでは我慢するから。俺とククのことを認めて欲しい。」
 と言った。その眼差しはいつになく真剣だ。隣のクグレックはもう茹で上がってしまいそうなほど真っ赤になっている。
「ばかもーん!いくら同じ旅の仲間だろうと、ニタがゆるさーん!」
 自称後見人のニタが大声をあげる。
 と、その時。後ろからニタの肩を何者かがむんずと掴んだ。ニタはふと後ろを振り向くとムーが自身の足でニタの肩を掴んでその場から引き離そうと翼をはためかしていた。
 ニタはふわりと宙に浮くと、そのままムーによって部屋の隅へと連れ込まれた。
「あのね、ハッシュさんは今、白魔女の薬のせいでククさんに惚れちゃってるんです。」
「はぁ?どういうこと?」
「結果的に言えば、明後日にはディッシュさんの熱を下げる薬が手に入ります。ただ、その代わり、ハッシュさんは白魔女の薬を飲んでその効果がどれくらい続くか実験することが薬を手に入れるための条件なんです。で、ハッシュさんが飲んだ薬というのがおそらく『惚れ薬』の類かと。」
「え、じゃぁ、ハッシュは今は薬のせいであんな風になっているってこと?」
「そう言うことなんです。薬を採りに行く頃までには薬の効果は切れていると思うんですけど。」
「嘘でしょう…。何が『本気で愛している』だよ…。」
 さすがのニタも呆れかえった。と、同時に事態を把握したため、興奮状態も収まったようだ。
 ニタは落ち着きを取り戻して、再びハッシュとクグレックの元へ会いまみえる。
「ハッシュ、とりあえず、ククにはそういうのはまだ早いから、ちょっと離れてもらうよ。ハッシュはディレィッシュの様子を看ててあげなよ。大事な弟が女にうつつを抜かしてるなんて知ったら、流石のディッシュでも悲しむと思うからね。」
 と言って、ニタはクグレックの手を取り、ハッシュから遠ざけようとした。が、意外にもハッシュはすんなりクグレックを離してくれた。ニタはクグレックを引っ張って、部屋へと戻る。
ニタはクグレックをベッドに腰掛けさせて、自身は彼女の目の前で仁王立ちした。ニタはクグレックに確認しなければならないことがあるのだ。
「で、クク。ハッシュには何もされてない?」
「…う、うん。」
。クグレックはまだ顔を赤くさせてぼんやりとしている。まるで、本当に熱が上がっている人のようだ。その様子を見てニタは不安を感じた。クグレックの体調面での心配というわけではない。
「クク、ハッシュはククのこと好きだって言ってるけど、あれは薬のせいだからね。本当の気持ちじゃないからね。」
「うん…。」
 弱弱しく返事をするクグレック。
「ハッシュ、元に戻ったら、別にククのこと恋愛的な意味では何とも思わなくなるからね。むしろ、この先ボインで美人なおねえさんがいたら、そっちの人の方を好きになるかもしれないからね。」
「…うん。」
 クグレックの声はだんだん小さくなっていく。
 ニタの嫌な予感は現実味を増してきた。
「クク、ハッシュの好きだって言葉、まさか本気にしてないよね?」
 クグレックは収まろうとしていた顔色を再び紅潮させた。が、精一杯の声を振り絞って
「し、してない。ハッシュが私を『好き』なのは薬のせいだって、ムーにも言われたし…。」
と言った。
「でも…」
 クグレックは消え入りそうな声でつづけた。
「もし、ハッシュの『好き』が本物の『好き』だったら、…私、嬉しいと思う。」
 クグレックは顔の火照りを取ろうとひんやりとした手を頬に当てた。
 一方のニタは、表情を強張らせた。なんだか頭痛がして来る。ニタは不安だったのだ。ハッシュからの愛の告白を受け、それをクグレックが本気に受け取ってしまうことが。
 友達もいない上に魔女という理由で村中の人々から嫌われてきたクグレックは、エレン以外から愛の告白を受けたことはないだろう。そんな子が、少し年上で頼れる男性から愛の告白を受けて嬉しくないわけがない。クグレックは華の16歳だ。少し夢見がちなところもあるので、ころっと恋に落ちてしまう危うさをニタは感じていたのだ。
 現実はニタが危惧していた通りだった。
 目の前の華の16歳はぽやぽやと顔を赤らめて『恋』をしてしまっている。
 薬のせいでハッシュがクグレックに惚れることよりも、クグレックが錯覚してハッシュを好きになってしまうことの方が厄介だった。
「あのね、ニタ…」
 クグレックが恥ずかしそうにニタに声をかける。ニタは不安になりながらも「何?」と答えた。
「御山で、津波に襲われた時、ハッシュが私を守ってくれたの。でも、結果的に私は大量の水を飲んで溺れちゃったんだけどね、ハッシュがね、あの、人工呼吸をして助けてくれたの。人工呼吸だけど、…私、…今となっては初めてがハッシュで良かったような気がするの。」
 と少しだけ照れながら話すクグレックにニタは思わず崩れ落ちそうになった。が、ニタは冷静にクグレックの話を聞かなくてはいけないので、平静を取り繕う。
「…クク、それはそうしなきゃいけない状況だったから、人工呼吸をしたわけで、ククのことを愛しているからやったわけじゃないからね。」
 ニタはなるべくクグレックを傷付けない様に、落ち着いた様子で言った。。
「うん…。それは知ってるよ。…でもね、御山とか、その前のピアノ商会とか、ポルカで山賊と戦った時も、ハッシュはいつも守ってくれて…。」
 それならばニタだってクグレックのことを守り続けて来た。それにも関わらず、クグレックが特別な思いをハッシュに抱くことは少しだけ悔しかった。ニタの方がクグレックと長い時間一緒に居るはずなのに。ニタはため息を吐きながらクグレックに質問した。
「…クク、ハッシュのこと、好きなの?」
 その問いにクグレックは「え、そんな、こと、ない。だって、ハッシュは薬のせいで…」と戸惑いながらも否定した。
「でも、多分ククはハッシュに恋をしてると思うんだ。クク、ハッシュのことを考えるとドキドキして来ない?…手を繋いだりとかしたいって思わない?」
 ニタの問いにクグレックは固まった。相変わらず顔は赤い。
「人を好きになることは本能的なモノなんだ。なにせククは今シシュンキでもあるからね。異性に興味を持つのは当然さ。ただ、ちょっと厄介な人をククは好きになっちゃったからね。もししんどかったら、ニタに言うんだよ。きっとハッシュが正気に戻ったらククはちょっと辛い思いをするかもしれないし。」
 と、その時、部屋の外からけたたましい恐竜の鳴き声が聞こえた。昼寝をしていたアニーが目を覚ましたのだ。一緒に寝ていたはずのニタがいなくなっていることに癇癪を起してしまったのだろう。
「ニタ離れさせないとなぁ…。」
 と、ニタは疲れたように呟いた。クグレックのことも心配だが、アニーの面倒も見ないといけない、という強迫観念に駆られてしまうのはペポ族の戦士としての性なのだろう。
「クク、多分ニタは今日はアニーと一緒に寝なきゃいけないかもしれない。けど、ハッシュには気を付けて。」
 男は狼なのだ。と言ってもクグレックには伝わらないだろうが。
 ニタは部屋を後にした。

 扉が閉まるとクグレックはそのままベッドに仰向けになった。
 アニーの泣き声が聞こえるが、次第におさまって行った。ニタがあやしたのだろう。
 
 天井を見つめながら、クグレックは生まれて初めての『恋』に戸惑わずにはいられなかった。
 確かにニタの言う通り、ハッシュのことを考えると、ドキドキして気が気でなくなるのだ。出来ることならばもっと頭を撫でてもらいたいし、あの厚い胸板に抱かれたい。手だって繋ぎたい。
 御山やピアノ商会、ポルカで守ってくれた時のハッシュは格好良かった。それを思い出しても、クグレックの心臓はドキドキするし、悶えたくなる。
 『恋』をするということは、こんなにも不安定で苦しくて、でも幸せな気持ちになるのだ、と言いうことをクグレックは身を持って実感した。
 ただ、ニタが言う通り、クグレックはハッシュに好きと言われて一時的に舞い上がっているだけなのかもしれない。明日、ハッシュが元に戻った時、この複雑な気持ちが無くなってしまうのであれば、その恋はただの気の迷いであるということになる。
 とはいえ、クグレックの目から見たハッシュは格好良い。金髪碧眼で男らしい精悍な顔つき、筋肉が着いた逞しい身体、なんだかんだで優しいところ。今のクグレックがハッシュの良いところをあげたらキリがない。
 クグレックは枕に顔を埋めて足をバタバタさせた。


********

 結局寝る時間になってもニタは戻って来なかった。アニーが解放してくれないのだろう。
 風呂に入り、さっぱりした状態で、クグレックはディレィッシュの様子を見に行った。
 部屋ではムーとハッシュがディレィッシュに水を飲ませていた。熱で意識はほとんどないのだが、水を呑ませようとすると飲んでくれる。
「あ、クク。大丈夫だ。心配するな。明後日には薬が出来上がる。ディッシュもこうやって塩水をのんでくれるからなんとか脱水症状にならずに済んでいる。」
 ハッシュはにこりと緩やかに微笑んだ。相手が愛する人だから見せる笑顔だった。クグレックは思わずときめきそうになったが、目の前の苦しそうなディレィッシュを見たら、雑念は吹き飛んだ。
 むしろクグレックはこれまで浮かれた気持でいたことが申し訳なく思えて来た。
 ディレィッシュは生死を彷徨っているというのに。
 何が恋だ。
 クグレックは浮ついていた自分が嫌になり、優しい微笑みを見せるハッシュのことを思わず睨み付けてしまった。本当のハッシュだったら、今は一番がディレィッシュのはずなのだから。
「クク…?」
 クグレックは居た堪れない気持ちになって「うん、なら良かったよ。私、寝るね。」と言って部屋を後にした。そして、そのまま自室でクグレックは眠りにつく。いつもなら隣のベッドにいるはずのニタもいない、静かな就寝前。一人で寝るのには慣れていたはずなのに、今のクグレックはなんだかとても寂しかった。


 2017_09_12


********

「ということなので、ハッシュは薬の影響で、ククのことを好きになってるだけなんです。薬が切れたら、ハッシュはククのことをただの旅の仲間としか見なくなるだけなので、本気にしちゃいけませんよ。」
 と、ムーに言われたクグレックは、確かにそうだ、と思った。そうなのだ。ハッシュが言うことは全て中身の伴わない虚言でしかない。全部嘘だ、と分かっているのだが、ハッシュからまっすぐな情熱的な言葉を投げかけられる度に心臓がドキドキ跳ね上がって、顔が熱くなって頭が沸騰しそうになるのだ。
 クグレック自身もハッシュと同じ薬を投薬されたのだろうか、と疑いたくなるほどに、ハッシュに心をかき乱されてしまう。
 クグレックの思考はふわふわ浮かれたものになってくるが、ティグリミップの宿屋で苦しんでいるディレィッシュのことを思い出すと、浮かれていてはいけないという気持ちが強くなった。アードルという花を採りに行こう、と気持ちを切り替える。
 長い坂道を下っていくとごつごつとした岩場が広がる海辺に出て来た。次々と押し寄せる波が岩に打ち砕かれる。ティグリミップで見た海と比べるとなんだか荒々しい印象だ。
「この先にアードルがあるのか?足場も不安定だし、滑りやすいから気をつけろよ。」
と言ってハッシュは歩きやすそうな岩を選びながら進んで行く。ムーは翼を使って浮遊しながら後を着いて行くので何も問題はなかったが、クグレックは不器用ながらも気をつけながらゆっくりと足を進めて行く。だが、滑りやすくごつごつした岩の上を歩くのは、鈍臭いクグレックには少し難しかったらしく、案の定バランスを崩して滑ってしまった。
 が、すぐにクグレックの腕をハッシュが掴む。
「危ないって言っただろ。」
 ハッシュはそう言って、腕を掴んだ反動でクグレックを自身の腕の中に納めた。
 ハッシュの厚い胸板に包まれながら、クグレックはふと御山でもハッシュに助けられたことを思いだした。謎の水龍が起こした津波に呑まれた時もハッシュの腕に包まれ、皆と離れずに済んでいた。そして、水を沢山飲み過ぎたクグレックは意識を失い、ハッシュからの人工呼吸で目を覚ましたのだった。
(そうだ、私、あの時…!)
 クグレックは人工呼吸をされたことを思いだして、顔を赤らめた。あの後立て続けに色々あって忘れかけていたのだが、クグレックの初めてはハッシュに奪われていたのだ。
「ご、ごめん、私、大丈夫だから…。」
 そう言って、クグレックはゆっくりとハッシュから離れる。羞恥のあまり、クグレックはハッシュと目を合わせることが出来なかった。
「さあさあ、お二人ともイチャイチャしてないで先に進みますよ。多分、ここは潮の満ち引きがあるみたいなので、長居は出来ません。」
 と、ムーが言うと、ハッシュは「あぁ、そうだな。ククも転んだら大変だ」と言って、危なっかしいクグレックのことを気にしながら先に進む。クグレックもムーの言葉にハッとして気持ちを切り替え、気をつけながらハッシュの後を着いて行った。
「ところで、アードルってどんな花なんですか?」
 洞窟を目の前にしてムーが言った。
「…分からないな。でも、洞窟ってのは暗くて光が届かないところだ。まして潮が満ちてくるような場所に花が咲くとは思えないから、多分洞窟にある花はアードルだと考えていいんじゃないか?」
「そうですね。じゃぁ、行ってみますか。」
 3人は洞窟へと突入した。洞窟の中はひんやりと涼しく、ときおり天井から水がぽたぽたと落ちてくる。足元は丸石がごろごろとしており、さらに海藻がへばりついているので滑りやすい状態だ。天井は割と高く、ごつごつしているようだ。しばらく進むと、外からの光も届かなくなったため、クグレックは魔法で灯りを灯した。
 ひんやりとした真っ暗な洞窟は橙色の灯りにほんのりと照らし出された。照らし出される洞窟の先は御山を彷彿とさせる登り道だった。
「こんなところにあるんですかね。」
「幸いにも一本道だ。…結構な急勾配だけどな。」
 登ること1時間。行き止まりまで辿り着いて、3人は天井から小さく差し込まれる一筋の光を発見した。目を凝らしてみれば光は青い花を照らし出している。おそらくあれがアードルなのであろう。ただ、そのアードルは3人の手の届かない遥か高い場所に存在していた。まさに高嶺の花とも言えよう。
 アヤメにも似たその可憐な花はこの真っ暗な洞窟の中で唯一光が差し込むこの場所でしか自生できない。こぶし大に開いた穴から見えるだろう外の景色は、きっと空しか映し出さない。それがアードルの世界だった。だが、アードルにはそれだけで十分だった。そこに光が差し込まれるのであれば。
 とはいえ、こちらには幼体と言えど翼を持ったドラゴンのムーが存在する。ムーはパタパタと羽ばたき、いとも容易くアードルを入手した。
「かわいらしい花…。」
 根っこから引き抜かれたアードルを見てクグレックは思わず呟いた。菖蒲にも似たその花は孤独の中でも可憐に咲いて見せる健気な花であった。
 この可憐な花がディレィッシュを死の淵から生還させてくれる。
 希望が費えることがなくて本当に良かった、とクグレックは安心した。
 そうしてアードルを入手した3人は再びもと来た道を戻っていく。下り坂なので行きよりは幾分楽だった。ところが、入り口付近まで戻って来ると潮が満ち始めていた。歩行不能とまではいかないが、膝くらいの高さまで潮位が上がっていた。
「…満ち潮の時だったら、洞窟から出られなかったかもな。」
 と、ハッシュが壁を見ながら呟いた。彼の頭よりも少し上とその下では壁の色が異なっていた。満潮時ではこの洞窟は海に隠されてしまうようだ。天井が高かったのも納得が出来る。が、上り坂が出来上がっていた理由は良く分からない。何者かが掘ったという理由しか考えられないが、この世界において自然科学的な理由で解決出来ないことは多いものだ。
「クク、これだとお前のローブと靴が濡れちゃうな。」
 ハッシュが言った。彼は水面を見つめながら、不意に思い立ったようにクグレックを抱き抱えた。お姫様抱っこと呼ばれるスタイルだ。
「え!私、重いから、降ろして。濡れても大丈夫だから。」
 クグレックは突然のことに動揺し、ハッシュから離れようと足をじたばたさせる。
「ここで転ばれても困るからな。大人しく運ばれてやってくれ。」
 そう言ってハッシュはクグレックの瞼にそっとキスをした。
 クグレックは顔をボンと紅潮させ、大人しくなった。逞しい胸板とハッシュの高めの体温に包まれてしまっては、何も言えない。
 そばでやり取りを見ていたムーはやれやれと呆れた表情をしていた。ハッシュはそれに気づいたらしく、片口を上げてにやりと笑い「だって、嬉しいじゃないか。」とだけ言った。ムーにはハッシュが何に対して嬉しいのか分かりそうで分からなかったが、もしもアードルが見つかって喜んでいるのならば、いろいろ言うのはよしておこうと思った。



********

 3人は白魔女の隠れ家まで戻って来た。
 隠れ家は相変わらず人気がなく、静まり返っている。おそるおそる扉を開くとそこには一人の少年がいた。金髪碧眼で整った顔をしている。大人になりつつあるが、まだあどけなさが残る。歳は15,6才だろうか。クグレックと同じくらいの背の高さの美少年は、無表情で3人を見つめていた。深い青色の瞳の輝きはあまりにも無機質で人形のようだった。まるで生気が感じられない。
「アードルを持って来たのか?」
 変声期を終えたばかりのまだ安定しない声で美少年が尋ねた。
「…あ、あぁ。」
 ハッシュがアードルを鞄から取り出す。ハッシュは彼の容姿に戸惑いを隠せずにいる。それは隣にいるクグレックも同じだった。2人は彼に似た人に会ったことがあるのだ。
「ハクアの代わりに預かろう。あの方は今二日酔いで調子が悪い。」
 美少年はアードルを受け取る。
「明後日には出来上がると言っていた。また、臨床実験の結果も楽しみにしているとのことだ。では、用も済んだろう。早く帰ってくれ。」
 少年に促されて、3人は家を追い出される。ハッシュは戸惑いつつも、振り返って問い正す。
「君の名を教えてくれないか?」
 少年はハッシュを見た。一瞬口を開きかけたが、少年は彼らを家から押し出した。そして一言「俺は何も分からない。名前も過去の記憶も何もない。」と言い捨てて、扉を閉めた。
 内側から鍵がかかる音がした。
 もうあの少年にあうことは出来ない。
 次は明後日だ。
 クグレックとハッシュは観念して白魔女の隠れ家に背を向け、ティグリミップへと歩みを進める。

「あ、あの、一体どうしたんですか?」
 少年に出会ってから急に様子が変わった二人にムーが質問する。
 ハッシュとクグレックはお互いに目配せをする。お互いに会話は交わしていないが、思うところは同じだった。
 ハッシュがゆっくりと口を開いた。
「知り合いに似ていたんだ…。大分幼く見えたが、あいつはクライドにそっくりだった。」
「うん…。弟さんとかかな…。」
 クライドとはトリコ王国の家臣である。剣の腕が立ち、大変見目麗しい青年だった。ディレィッシュがいた頃、クライドは全身全霊をかけて彼に忠誠を誓っていた。生きる理由が全て主であるディレィッシュに有るほど、彼はディレィッシュに陶酔していた。なお、ディレィッシュがいなくなった後、クライドはトリコ王国軍団長として国王を補佐している。
 クグレックとハッシュは少年の姿を見た時に、瞬時にクライドの面影を感じた。それどころか、彼がクライドではないかという錯覚すら覚えたのだ。
 倒錯的な感覚に陥った二人はどういうわけか口数が少なくなった。
 クライドはトリコ王国で軍団長として要職に就き、忙しい日々を送っている。彼の愛する人が愛したトリコ王国を存続させ、繁栄させることが彼の使命なはずなのだ。
 名前も過去の記憶も何もないあの少年がまさかクライドな筈がない。そもそもクライドは少年ではない。ディレィッシュよりも年齢は一つ上なのだ。


 2017_08_28


********

 そして翌朝。外れの岬に住んでいるという紅い髪をした魔女に会いに行こうと意気込む一同。
 だが、予想外の出来事が起きた。
 宿屋の主人の娘アニー(3歳)がニタのことを気に入ってしまったのだ。
 ふかふかの白いくまのぬいぐるみみたいなものが可愛い声を出して喋るのだ。それはアニーにとって運命の出会いだったと言えよう。少しでもニタがアニーから離れようとすると、アニーはまるで恐竜のようにぎゃんぎゃん泣く。宿屋の主人は申し訳なさそうにしてニタに「アニーの気が済むまで一緒に居てあげてください」と申し入れてしまったものだから仕方がない。ニタは宿屋に残ることとなった。それに、もしディレィッシュに万が一のことがあったら、ニタの足であればいち早く伝えることが出来るだろう。
 
 クグレックとハッシュとムーの3人は崖下に海を見下ろしながら北へと進む。その道中、何度も『知らない人に着いて行ってはいけません』の看板を見つけた。ティグリミップに到着する前に見かけたあの看板と同じだ。『特に紅い髪をした人には注意』と小さく注記が入っている。やはり紅い髪の魔女に拉致され、精神崩壊させられることが絶えないのだろう。
 それから2時間も歩けば、白壁にヤシの葉の屋根の家に辿り着いた。あれこそが白魔女の隠れ家であろう。何もない開けた場所だが、どことなくひっそりと佇んでいるようだった。 
 「これが、白魔女の住処…。」
 ハッシュはムーとクグレックに目くばせをしてから、木製の扉をとんとんとノックして、ゆっくりと開いた。
「すみません、誰かいませんか?」
 隠れ家の中は灯りがついていなくて薄暗かった。誰かが動いている音も聞こえず、静寂に包まれたままだ。
 もう一度「すみません、だれかいますか?」と声をかけても誰も出て来なかったので、3人は更に中に入ることにした。全ての扉は閉ざされているが奥の部屋の扉は少しだけ開いており淡い光が漏れている。3人は奥に向かって進んだ。
 近付くにつれて、奥の部屋からは唸り声が聞こえた。「うーん」とか「あー」と苦しそうな声だ。
 ハッシュはおそるおそる奥の部屋の扉を開けた。部屋は薬草を煎じた匂いとアルコールの匂いが充満していて、思わず鼻を抑えた。後ろを着いて来たムーとクグレックも部屋の妙な匂いにびっくりして顔をしかめた。ただ、クグレックは薬の調合を得意とする祖母を思い出し、この部屋の薬草の煎じた香りが少し懐かしく感じられた。
 さて、この部屋は薬を調合するための道具や材料などが所狭しと並んでいるが、床にはおそらく酒が入っていただろう一升瓶や食べ物の残骸が無造作に投げ捨てられ、散らかっていた。そして、奥の2人掛けソファには紅い髪をした女がだらしない恰好でうつ伏せに寝そべっている。
 3人が部屋に入って来たことを察知したらしく唸り声を上げながら
「うー、気持ち悪い。誰?クラ君?それともレイ君?お水ちょーだい?」
と声を上げた。
 ハッシュはクグレックに目配せをする。クグレックは頷き、紅い髪の女に近付いて持っていた水筒を手渡した。紅い髪はライオンのようにほうぼうにうねっている。
 女は水を受け取ると、けだるそうに顔を上げて水をぐびぐびと飲み始めた。うつぶせという無理な態勢で飲むため、口の端から半分くらい水がだらだらと零れ落ちているが、お構いなしだ。
 水を飲み干すと、紅い髪の女は満足そうに息を吐き出して、再び眠りについた。が、しばらくすると、紅い髪の女は喉のあたりをぐ、ぐ、と鳴らしながら背中が動いた。クグレックは瞬時に女が吐きそうであることを察知し、とっさにそばにあったアイスペールで彼女の吐しゃ物受け止めた。
 女は乱暴に口元を腕で拭い、ふとクグレックの存在に気付く。
 覚醒しきれないむくんだ顔はぼんやりとクグレックを見つめるが、すぐにうつぶせになった。力尽きたようだ。
 たった一瞬の出来事だったが、クグレックは蛇に睨まれた蛙のように身体が強張った。
 紅い髪の女はうつぶせのまま
「…何しに来たの。――黒魔女」
 と、話しかけて来た。
 クグレックは呆気にとられて何も言えずにいたが、はっとして目的を思いだした。
「あ、あの、アルドブ熱を治す薬が欲しくて…」
 女はしばしの沈黙の後
「……御山に原料はあるし、作り方も書斎の本棚にあるから勝手に作りなさいよ。」
と、けだるそうに応えた。
「…今から御山に言ってたら、私の仲間は死んじゃうんです。」
「アンタの仲間なんて、アタシは興味ないわよ…。」
「…でも…」
「ここにはアルドブ熱を治す薬はないわ。…この先の坂道を降りて海岸に下ったところにある洞窟にアードルという花があるから採って来てくれれば調合するわよ…。」
 むにゃむにゃと女は何かを言っているが、やがてその呟きは落ち着いた寝息に変わっていった。

 クグレックは嬉しそうな表情でハッシュたちを見た。
 そして、音を立てずに抜き足差し足でハッシュたちの元に戻る。
 クグレックは女を起こさない様に小さな声で
「この先の坂の下にある洞窟にアルドブ熱を治す薬の原料があるみたい。」
 と伝えた。薬を手に入れたわけではないが、情報を手に入れたことでクグレックは満たされた気持ちになっていた。
「そうか、やったな。ありがとう。」
 ハッシュはようやく表情を綻ばせ、クグレックの頭を撫でた。昨日からハッシュはずっと追い詰められた様子でいたので、こうやって落ち着いた様子を見れてクグレックも安心した。
 お土産を置いて3人は隠れ家を後にしようと外に出た時、紅い髪の女がフラフラとした足取りで追って来た。
「ちょっと、待って。」
 と、女は相変わらず紅い髪をぼうぼうに乱して、小さな小瓶をハッシュに手渡した。
 ハッシュは受け取った小瓶を訝しげに見つめる。
「元第一皇子、飲みなさい。」
「え?」
 ハッシュは心底驚いて女を見つめる。どうしてこの女が第一皇子であったことを知っているのかと。
「何?飲めって言ってるの。解熱剤、作らないわよ。あ、目つぶって。アタシが良いよと言うまでは目、開けるんじゃないわよ。」
 何故女がハッシュのことを覚えているのかとても気になるところだったが、余計な質問をして機嫌を損ねてしまったら意味がない。ハッシュは言われるがまま目を閉じて小瓶の中の液体を飲んだ。
「ほら、黒魔女、こっちに来なさい。」
 女はクグレックをハッシュの目の前に移動させると「目を開けなさい」と言った。ハッシュは目を開けた。目の前にはクグレックがいるだけだった。
 ハッシュとクグレックはきょとんとした表情で女をみた。女は壁にもたれかかりながら片口を上げて意地の悪そうな笑みを浮かべている。
「アタシがタダで薬を作るわけないでしょう。被検体になってもらわなきゃ。薬がどのくらいの時間効くのか教えて頂戴。」
 ぼさぼさの紅い髪の下で怪しく光る緑色の瞳。エメラルドのように綺麗で美しい瞳だ、とクグレックが思っていると、ふと既視感を覚えた。クグレックはこの女に会ったことがあるのだが、どこだったか思い出せない。この女が浮かべる意地の悪そうな笑みも見たことがある。それなのにクグレックは彼女に出会った時のことを思い出せないのだ。もやもやとした気持ちがクグレックの胸の内を包む。
 そして、女はハッシュに何を飲ませたのだろうか。「薬がどのくらいの時間効くのか教えて頂戴。」と言うことから薬の効能時間を知りたいようなので、時間の経過と共に薄まる薬であることは間違いないのだが。
「クク…?」
 目の前のハッシュは少々ぼんやりとした様子でクグレックを見つめている。ハッシュは徐にクグレックに手を伸ばし、頬に触れた。大きくてごつごつとした手が優しくクグレックの頬を撫でる。
 クグレックはびっくりしてハッシュを見る。ハッシュはなんだか切なそうな表情でクグレックを見つめている。その眼差しにクグレックは妙な気持ちになり、動くことが出来なかった。
「ハッシュ、どしたの?ね、ねぇ、なんか変だよ?」
 ふわりと香るアルコールの香り。ハッシュの手は女に掴まれて宙を掴む。
「元第一皇子、黒魔女は大切な処女なんだから、手出しは禁物よ。魔女の処女の希少性は凄いんだから。そこの龍の幼体、このむっつりが黒魔女に変なことをしないかしっかり見てなさいよ。」
 白魔女に凄まれてムーは一生懸命コクコクと頷く。
「あー気持ち悪いし頭痛い。じゃ、アードル、待ってるわよ。」
 そう言って白魔女は家の中に戻って行った。
 クグレックとムーは再びハッシュを見る。変わったところは見受けられない。
「…ハッシュ、大丈夫?変なところはない?」
 と、クグレックが言うと、ハッシュは腕を動かしたり首を回したりして自身の確認をする。が、特に気になる不調はなかったので首を傾げるだけだった。
「なんだったんだろうな?薔薇の香りがして甘い飲み物だったけど、栄養ドリンクとか、そういう類のものだったのかな。」
「…白魔女の色んな噂を聞きましたが、栄養ドリンクをくれるなんてそんな生易しいことで済むんですかねぇ。」
 ニタの話では紅い髪の女は油断ならない人物のはずだ。クグレックはハッシュに異常がないか、じっと見つめる。ディレィッシュが危険な今、ハッシュまで失うことになってしまったら大変だ。
 クグレックはハッシュを見つめるが、顔が紅潮している以外には異常は見受けられなかった。
 ところが、ハッシュから爆弾発言が投下された。
「あぁ、クク、ごめん。俺、今めちゃくちゃククのこと好きだ。」
「え?」
 驚いて素っ頓狂な声を上げるクグレックとムー。ニタやディレィッシュは割と感情を開けっ広げにする性格なので「好き」だとか「愛してる」という言葉をよく使うのだが、ハッシュはそのような言葉は一切言わない。冗談でも使ったことがないので、二人は驚いた。「ハ、ハッシュ、あの、えっと、」
 しどろもどろになって、クグレックは上手く喋れない上に頭から湯気が出てもおかしくないくらいに顔が真っ赤になっている。
代わりにムーがハッシュに「ハッシュ、どういう意味?」と尋ねた。
「分からない。でも、急にクグレックのことが愛しくて堪らなくなったんだ。どうしよう、キスしたい。」
「ちょっとちょっとそれはまずいです。落ち着いて、落ち着いて下さい。ククも怖がってますから。」
「どうしてまずいんだ?こんなに可愛いのに。」
 そう言って、ハッシュはクグレックの頭を撫でる。
 脳みそが沸騰しそうなくらいに、クグレックは羞恥に苦しむ。初めて異性から愛の告白をされたのだ。これまで異性を好きになったことがなかったクグレックは初めての感情にパニックになるばかりであった。ハッシュの手はクグレックの頭を撫でながら、同時に脳みそもかき混ぜているのではないかという錯覚に陥る。
 ハッシュの手は次第に頭から耳へとうつる。さわさわと耳を撫でられ、クグレックはくすぐったくて堪らなかった。が、混乱状態に陥ったクグレックはそれを拒否することが出来ず、ぎゅっと目を閉じて、くすぐったさをこらえる。
「ふふ、可愛い。」
 とその時、ムーが飛び上がり足でハッシュの腕を掴み動きを止めた。
「ふふ、じゃないです!ククが困ってるじゃないですか!やめてあげてください!」
 ムーに止められ、ハッシュははっとして、クグレックから手を離す。そして、額に手を当てて大きなため息をつき、小さな声で「悪い」と呟く。
 ムーはふーふーと息を荒らげて、ハッシュを威嚇するが、ふと思いだした。いつものハッシュなら、冗談でもこんなことはしないことに。そして、紅い髪の女から言われた言葉を。

――このむっつりが黒魔女に変なことをしないかしっかり見てなさいよ。

「ハッシュ、あなたは一体何を飲まされたんですか?あなたにククの姿はどう見えているのですか?」
 ムーがおそるおそる尋ねる。ハッシュは
「…普通の女の子のはずなんだが、今は大切な人なんだ。…どうしてだ?」
と答えた。
 ムーはひとしきり考えた後
「ククを好きになる薬を飲まされたのですか?」
と尋ねると、ハッシュは苦しそうな表情になり「多分」と答えた。どうやら薬は効き始めのため本人にも自覚はあるらしい。
「ククを見ると体が熱くなって、変になる。今も、もうヤバい。ムー、本当に間違いを犯さないように、しっかり俺を見張っててくれ。…あぁ、クク、好きだ…!」
 自覚はあるが、彼の理性は最早ギリギリのラインなのだろう。
 クグレックも偽物ではあるが初めて愛の告白を受けて、ぼんやりとした様子になっている。ムーは小さくため息を吐き「とにかく、原料を探して、アルドブ熱の薬を作ってもらいましょう。ディレィッシュは今なお苦しんでるはずです。」と声をかけた。すると、クグレックは未だ顔を紅潮させながら「うん、そうだね、探さなきゃ」と言い、ハッシュはハッシュで「そうだった。早く兄貴の熱を治して、ククとの交際を報告しなければ」とどこか普段の彼からずれたことを言うのだった。
 アードルという花を採りに行くだけなのに、ムーはなんとも前途が不安に感じられた。
 そして、同時にあの紅い髪の女は間違いなく白魔女であるということも、今のムーにはよく分かった。


 2017_08_24


 ハッシュの背中は静かに落ち込んでいた。同時に悲しみ、そして、怒りにも似た何かが発せられていた。楽天家なニタが押し黙ってしまうほどに、ハッシュが憔悴している。
「…二人はディレィッシュの様子を見ててやってくれ。俺は他の家にも薬がないか聞いて回る。」
 ハッシュは振り返らずにニタとクグレックに言った。
 ニタはいつもの天真爛漫さを発揮できずにいるが、おそるおそる返事をする。
「いや、そしたら、ニタも手伝うよ。一人で回るよりも二人で回った方が早いでしょ。」
「…ありがとう。」
 ニタはクグレックを見上げ「ククは宿屋に戻ってディッシュの」と言いかけたが、クグレックは
「私も行く!」と珍しく意思を通した。
 日は沈み、町は遠くに見える灯台の光と建物から漏れる光だけが頼りだった。街灯はなく、たまに松明が大きな商店や公的機関に点いてるだけだった。
 ティグリミップは大きな町ではないので1時間ほどで聞き回ることが出来た。が、収穫はゼロだった。ティグリミップのどこにもアルドブ熱の薬が存在しないのだ。
「…ここから1日行ったところにも小さな村があるらしい。…今から行ったら間に合うかもしれないから、行って来る。」
 暗闇の中、ハッシュが言った。
「その村には、薬があるの?」
 ニタが問いかける。
「…コンタイ国はあるがままに生きる国だから、御山の集落だったりティグリミップ位の規模の町じゃないと、…外国人旅行客が来る町じゃないと…薬はないそうだ。」
 その話しぶりから察するにハッシュの見つけた望みはほぼ絶望に近いようだった。
「ハッシュ、一旦宿屋に戻ろう。もしかすると宿屋のおっちゃんやムーが何か情報を持ってるかもしれない。その後からでも悪くないと思うよ。」
「…そうだな。」
 3人は宿屋に戻った。主人が「おかえり!」と迎えてくれたが、3人の落胆した様子を見るとすぐに結果を察し眉根を下げた。
 と、そこへ、客室から女性が現れた。20位の若い女性で日焼けをしていない白い肌を持つことから現地民ではないことが予想される。彼女は「こんばんは」と声をかけるが、主人以外は誰も返事をしない様子を見て主人に向かって「どうしたんですか?」と耳打ちをする。主人は事情を3人に聞かれないように小声で話した。
「…薬がない…。あれ、でも外れの岬に…」
 主人は口に指を当て「しっ」と女性の言葉を遮る。
「あの女のことは…」
「…まぁ、確かにね。犠牲者が増える可能性もあるものね。」
「悲しいけど、どうすることも出来ないんだ。」
「…悲しいわね。…主人、こんなときなんだけどお酒頂けるかしら?寝付けなくて」
「はいよ。どうぞ。」
 女性は主人から酒瓶を受け取ると、3人に憐みの眼差しを向けて自室へ戻って行った。
 3人は再びディレィッシュの元へ向かった。
 ディレィッシュは相変わらず、顔を真っ赤にして辛そうにしている。ムーも3人の様子を見て察して項垂れた。
「ムー、お前はこのアルドブ熱に関して知っていることはないか?」
「僕は…残念ながら、何もわからないよ。」
「そうか。だよな…。」
 そう呟いてハッシュは部屋の隅に置いてある自身の荷物の整理を始めた。最寄りの村へ向かう準備を始めたのだろう。
「あのさ、」
 ニタが口を開いた。
「さっき、おっちゃんと女の人が話してたの聞こえたんだけどさ。」
 ニタは目も良いが耳も良い。
「外れの岬に何かがあるっぽいね。」
 準備をしていたハッシュの手が止まった。
「でも、どうやらその外れの岬に関してはタブーみたいなんだよね。」
 ニタはてくてくとドアまで歩みを進め、ハッシュを見つめる。
「多分、おっちゃんに聞いても教えてくれないと思うから、あの女の人に話を聞いて来る。だから、ハッシュ、ちょっと待ってて。」
 そう言って、ニタは部屋を出て行った。
 ハッシュは準備の手を止めて、ディレィッシュの傍に寄りその様子を思いつめた表情で眺める。 クグレックは黙ってその様子を見ていることしかできなかった。ハッシュは常に動き続ける男だった。トリコ王国の危機にあっても、常に彼が出来ることを探しつづけ諦めなかった。その姿はとても頼りになった。ところが今のハッシュは今までに見たことがないほどの焦りようだ。それは彼が出来ることが尽きようとしているからなのだろうか。


********

 ニタが戻って来たのはそれから2時間後だった。酒の匂いを纏い、べろんべろんに酔っ払っている。
「うおーい、トリコ弟。おにいちゃんを助ける方法を見つけたぜー。」
 ニタはふらふらとした足取りでクグレックに近付き、ぎゅっと抱き着く。
「やだ、ニタ、お酒臭い。」
 クグレックは鼻をつまんでニタの酒の匂いを手で払う。
「いやーあの女、こんな可憐なニタにお酒飲ませやがってさぁ、もう、なんなんだ、って思ったんだけど、でも、話聞きださなきゃだし、って思ってニタ頑張ったわけ。」
「う、うん。」
 クグレックは多少引きつつもニタの話に相槌を打つ。いつもと違うニタの様子にクグレックは戸惑いを覚える。いつも陽気だが、今は輪をかけて陽気だ。しかも、ニタは中身のない話をするばかりで肝心の外れの岬に関する情報を一向に話そうとしない。しびれを切らしたハッシュがニタの頭をむんずと掴み、怒気を孕んだ低い声で
「いい加減に本題に入れ。」と脅しをかけた。
 ニタは「うええ」と変な声を上げて文句を垂れるが、やがてはずれの岬に関する情報を話し始めた。
「はずれの岬には紅い髪をした魔女が住んでいるんだって。でも、その魔女が超ヤバい奴で、近くを通る人を捕まえて監禁しては、自らが作った薬の投薬実験を行うんだって。何人もの人が実験の犠牲になって廃人状態、精神崩壊状態で戻って来るらしい。だから、今は現地の人は近付かないようにしてるし関わらないようにしている。しかも、その魔女は、若くて見目麗しい男が大好きで、拉致するのはイケメンが多いんだって。いやぁほんとに異常性癖をもってるよね。気持ち悪い。」
「で、その魔女はディレィッシュを助けられるのか?」
 お喋りが達者すぎるニタに、ハッシュはニタの頭を掴む力をより強くさせる。
「うん。うん。やばい魔女なんだけど、治癒薬作りの天才らしいのは間違いない。アリスは、――あ、アリスってあの女の人ね、あの魔女は白魔女なんじゃないかって言ってる。」
「白魔女…!」
 かつてニタとクグレックが訪れたポルカという村では白魔女は村民から讃えられ、そして白魔女からの恩恵を受けていた。その時に貰った白魔女の薬でハッシュの腹の銃創も治してくれた。ニタの話からすると、ポルカの白魔女とは全く別人のように感じられるが、一体どういうことなのだろうか。だが、考えてみれば御山の麓の集落で出会ったティアは白魔女の知り合いで、白魔女のことはあまり良い印象を持っていないようだった。
「だから、外れの岬にある紅い髪の女のところに行けば薬がもらえるんじゃないかな、とニタは思うわけ。はい、そう言うわけだから、手、離して。」
 と、ニタに言われたハッシュは素直にニタの頭から手を離した。ニタは不機嫌そうに掴まれた部分を手で払って、ディレィッシュのために用意されていた水をぐびぐび飲んだ。
「白魔女だとすると、それなりに礼節を尽くして向かった方がよさそうですね。」
 ムーが言った。ムーはティアの友達であるため、彼も白魔女に会ったことがあるようだ。
 ハッシュは「あぁ」と頷き「土産も買った方が良いかもしれないな。」と返事をした。
「じゃぁ、今日は休んだ方が良いですね。一応部屋の余裕はあるそうなのでハッシュさんと僕、ククとニタの部屋を準備してもらいましょうか。」
「…いや、俺はここで良い。」
「そうですか。じゃぁ、僕もここで大丈夫です。僕はどこでも眠れますから。とりあえずククとニタの部屋だけ準備してもらいますよ。」
「あぁ、ありがとう。そうしてやってくれ。」


 2017_08_21



 そうして歩くこと数時間。幸いなことに道中強盗に襲われることなく安全に港町ティグリミップに到着した。既に日は沈みかかっており、空は橙色に染まっている。
 そして、ニタとクグレックは感嘆する。
 白壁にヤシの葉の屋根の住居が立ち並ぶ先にこの世のものとは思えないうつくしい風景が広がっていたのだ。
 ざざーん、と寄せては返るさざなみの音と汗の匂いの様な嗅いだことのない不思議な匂い。果てしなく続く水平線の先に溶け行く夕日は二人が生まれて初めて見る『海』を橙色に染め上げていた。
「うみ…。」
 ニタが呆然として呟く。クグレックは言葉が出て来ない。夕日が沈みゆく海に釘付けだ。
 そして、ニタはクグレックの手を取り、急に走り出した。突然のことでクグレックは転びそうになったが、なんとかニタに合わせて着いて行く。
「うははっ。海だ。ねぇクク、知ってる?海の水はしょっぱいんだって。飲んでみよう!」
 そうして二人は砂浜を駆け抜ける。が、クグレックは砂に足を取られてとうとう転んでしまった。
「あ、クク。」
 ニタは振り返る。クグレックは顔中砂まみれにしてよたよたと立ち上がり、「ニタ、先に行ってて。私も行くから。」と声をかけた。ニタは「うん」と頷くと再び走り出した。
 クグレックは顔や体に付いた砂をぽんぽんと払ってニタの後を追いかけようとする。が、ふとディレィッシュ達のことが気になり後ろを振り向いた。すると、驚いたことに、ディレィッシュがうずくまっていた。隣のハッシュが支えるようにして肩に手を回している。傍ではムーも心配そうにしている。ディレィッシュに何かがあったようだ。
「ニタ!」
 クグレックは海でじゃぶじゃぶ走り回っているニタに声をかけて、ディレィッシュの異変を伝えた。ニタは物足りなさそうな表情を見せたが、クグレックと一緒にディレィッシュ達の元へと戻った。
 ディレィッシュは顔を真っ赤にして息を荒げている。苦痛に歪んだ表情で、ハッシュの支えがなければ今にも倒れ込んでしまいそうな状況だった。
「ハッシュ、ディレィッシュは一体どうしちゃったの?」
 クグレックが尋ねた。
「分からない。突然苦しみだしてこんな状態になった。熱があるみたいなんだ。クク、俺はディレィッシュを支えてないといけないから、ニタと宿を探してくれないか?」
「分かった。」
 クグレックは頷き、ニタと宿屋を探し回った。
 すぐに宿屋は見つかり、体調を崩したディレィッシュはすぐにベッドに入れられた。
 汗をだらだらかき、顔を真っ赤にしてぜぇぜぇと息は荒い。風邪とはまた異なる状態に一同は不安になった。
 宿屋の主人もディレィッシュを心配して、水やおしぼりを持って部屋に入って来た。ディレィッシュの様子を見た主人は険しい表情でむう、と唸り声をあげた。
「おじちゃん、どうなの、ディレィッシュはだいじょうぶなの?」
 ニタが尋ねると、主人は躊躇いがちに
「この兄さんは突然具合が悪くなったんだね?」
 と、尋ねた。ハッシュは「はい」と答える。
「うーむ。だとすると、アルドブ熱かもしれないな。」
「アルドブ熱?」
「ジャングルにいるアルドブ虫という蚊みたいな小さい虫に刺されると発症する病気だよ。とはいえ、大人は抵抗力が強いからここまで酷くはならないんだけど、稀に虚弱体質だったりするとひどくなる場合があるんだ。たぶん君たちも刺されていただろうけど、大丈夫だろう?」
 ディレィッシュは魔が抜けて、体力が著しく低下していた。クグレックよりも体力がない状態だったので、アルドブ虫に抵抗できなかったのだろう。
「…治るのか?」
「自然治癒は難しいやつだよ。薬じゃないと治らないんだ。というか、早く薬を飲ませないと死んでしまう。生憎今はうちには用意がないんだ。」
「町に薬屋はないのか?」
「あるよ。今地図を描くから、ちょっと待ってて。」
 主人は部屋を出て行った。
 ディレィッシュは顔を真っ赤にしてぜぇぜぇと息を荒らげている。
 宿屋の主人がさらりと口にした『早く薬を飲ませないと死んでしまう』という言葉に不穏な雰囲気が漂う。
 一国の主として国を発展させ続け、しかし一夜にしてなかったことにされつつも新たな人生をスタートさせたばかりだというのに、彼の人生はここで終わってしまうのだろうか。
 間もなくして主人が戻って来ると、ニタとハッシュとクグレックが薬屋へ向かうこととなった。
 ところが、薬屋に行ってもアルドブ熱に効く薬は切れているということだった。
 落胆する3人。
 特に唯一彼の弟であるという自覚があるハッシュはどうしても諦めることが出来ない。ハッシュは薬屋の店主に問い質す。
「アルドブ熱にかかった者はどのくらいで死んでしまうんだ?少しでも和らげる方法はないのか?」
「長くて1週間だが、…治す方法は薬以外に何もないし、運が悪かったと思うしかないな、残念ながら…。」
「じゃぁ薬の原料はどこにあるんだ?原料さえあれば調合してくれるよな?」
「原料は…御山の方にあるんだ。でも、御山は今不吉な噂が立っているだろう?なんでも凶悪なドラゴンが出現したとか…。だからアルドブ熱の薬は実はしばらく入荷できていないんだ。」
 3人はなすすべがないことを悟った。
 ドラゴンはもうすでに退治された。だが、コンタイ国は交通が発達していないために、おそらく情報が伝わるのは遅いであろう。そして、これから御山に原料を取りに戻るとしても最低でも2週間はかかってしまうのだ。その間にディレィッシュは死んでしまう。
「…我々は御山から来たんだが、ドラゴンは退治されて、もとの神聖な御山に戻ったよ。」
 ハッシュは低い声でそれだけ告げると、薬屋を後にした。いつになく落ち込むハッシュにニタも中てられたのか、小さく会釈をしてその後を着いて行った。クグレックも追従した。


 2017_07_04


********

 夜が明けたばかりの朝靄漂う麓の集落にて。
 4人は登頂の記念の布を宿泊した宿屋の壁に垂らしていた。
 クグレックはピンク、ニタは白、ディレィッシュは水色、ハッシュは黄色の布を垂らす。コンタイ国の中でも、とりわけこの御山周辺は染料の元となる植物と鉱物が採れることから染色が盛んである。
「余った布は持って行きなさい。御山を離れてもここに布の片割れがある以上、お守りになってくれるから。」
 そう言ってティアは4人のリュックに布を結びつける。実は登山中もこのようにして布がリュックに結び付けられていた。
「じゃぁ、いってらっしゃーい!あたしはまだしばらくここにいるから、寂しくなったら戻って来ていいからね。」
 集落の入り口にてティアが4人とムーを見送る。
 ムーの存在はこの集落に住む人達には知らせていない。集落の民がムーの存在を知った時に、ムーの身に何が起こるか分からないからだ。そのため殆どの人達がまだ眠りについているこの時間を出発の時間にした。
 霊峰御山を背にし、一行が向かうのはコンタイ国の東端。大陸唯一の港があるティグリミップである。
 ティグリミップは歩いて2週間以上かかるため、そのうちほとんどがジャングルでの野宿となった。たまにジャングル内の小さな集落に辿り着くことがあったが、御山の麓の集落よりも時代遅れの集落だった。土とヤシの葉で作られた簡素な住居がほとんどであった。一見すぐ壊れてしまいそうな質素なつくりの家屋で、地面もヤシの葉の絨毯が敷かれているだけであまり外と変わらない。しかも寝るときはそのまま床に雑魚寝するだけだ。
 とは言え、集落に世話になる場合はニタがお土産と称して狩りをする。大抵の住民は喜んでくれて、食事もご馳走してくれるが、クグレックはあまり好きになれない味だった。ニタのサバイバル料理よりは手が込んであるが、主食の芋をペースト状にしたものが口に合わないし、虫も食材として扱われている以上、クグレックはどうしても好きになれない。ディレィッシュやハッシュ、ムーは特に抵抗なく食べているというのに。

 歩くこと2週間。
 クグレックは周りの景ジャングルの景色が徐々に開けてくるのを感じた。
 頭上を覆っていた樹木の枝や葉が少なくなり、その存在自体も少なくなってきている。草木をかき分け開けた場所に出ると、そこには気持の良い青空が広がっていた。そして、不思議な臭いを伴った風が吹き抜けて来た。ディレィッシュはすんと鼻でその匂いを嗅ぐと
「海が近づいて来たな。」
 と、呟いた。
「海?」
 ニタはその呟きに耳をピクリと動かして反応した。
「ニタは海を見たことがなかったか。」
 意外そうにハッシュが言った。
 ちなみにクグレックも海を見たことがない。それどころか湖や大河と言った広い水辺も見たことがなかった。
「ティグリミップまでもう少しです。この先は平野が続くので歩きやすくなっていますよ。…あれ?」
 ムーが遠くの方に視線を向けながら首を傾げた。
 ムーの視線の先にはぽつんと存在する立て看板。近付いて見てみると『知らない人には着いて行ってはいけません』という注意書きがあった。さらに、その文の下には小さい文字で『特に紅い髪をした人には注意』という表示が。
「なんだこれ、変な看板。」
 と、ニタ。
「しかも『紅い髪の人』って随分と限定的だな。人さらいが横行しているのか?こんなのどかな国で。」
 と、ディレィッシュが言った。
「治安が良くないのかもしれないな。強盗が出て来るかもしれないな。気をつけよう。」
 と、ハッシュが言う。
 ニタは『強盗』という言葉に反応し、気合が入る。ニタの中では悪即成敗なのである。
「ククも、俺達から離れるなよ。」
 ハッシュにそう言われてクグレックはこくりと頷いた。


 2017_06_23



 旅を始めてからおよそ3ヶ月。クグレックにとっては中身の濃い三か月であった。
 白いふかふかの珍獣ニタに誘われるがままに故郷マルト、ドルセード王国を出て、隣国にて人の温かさに触れたり、嫌な一面を見たりした。超高度な機械文明の国に到達したかと思えば、突然なかったことになって、二人の兄弟とも旅をすることとなった。さらに山を登って、大きなドラゴンも倒した。
 まるで物語の世界にでもトリップしてしまったかのように、クグレックの人生は変わってしまった。
 祖母が亡くなって絶望に暮れていたが、今では彼女の傍には友達のような存在のニタやハッシュ、ディレィッシュがいてくれて、あの時の絶望に打ちひしがれていたクグレック自身が嘘のように感じられる。
 ただ、野宿には未だに慣れない。寝るならふかふかのベッドが良いし、お風呂にも入りたい。ましてや食事もきちんと味が付いたものを食べたい。魔法でなんとかすることはできないのだろうか、とクグレックは思案するのだが、そのような魔法を彼女は知らない。
 
 ところで、ニタと二人でいた時には気付かなかったが、クグレックは男性慣れしていなかった。
 というのも、宿屋に宿泊してリラックスしているとハッシュが上半身裸になることが多い。もともとトリコ王国が薄着であることも原因の1つなのだが、彼は体を鍛えるのが好きで、寝る前などによく筋力トレーニングを行うのだ。
 クグレックとニタはムーからアルトフールへ行くための打ち合わせを行うためにハッシュとディレィッシュの部屋に来ていたのだが、案の定ハッシュは上半身裸だった。クグレックはこういう時、ハッシュのどこを見ればいいのか分からなくなり、ハッシュから視線を遠ざけていた。
 だが、流石に彼の兄はそんな弟の様子を諌める。
「ハッシュ、お前、うら若きレディがいるんだから、上に何か着たまえ。」
 と、ディレィッシュに諌められると、ハッシュはちらりとクグレックを見た。クグレックは一瞬ハッシュの方に視線を向けたところ、そのわずかな瞬間にハッシュと目が合ってしまったため、慌てて視線を逸らした。
 ハッシュは無言でクグレックのことを見ていたが、しばらくしてから静かにシャツを羽織った。
「ハッシュは脱ぎ癖があるのかな?」
 ニタが冷やかした。
「まぁ、裸の方が楽だな、と思う時は結構ある。」
 正直に答えるハッシュ。ニタはその返答に少々呆れた様子で
「だからうちのククに裸体を見せつけるなっての。変態。」
というと、ディレィッシュもそれに便乗してハッシュのことを「変態」と囃し立てる。
「ちょっと、あなた達、予定立てるんでしょ。ムーの話、聞かないでいいの?」
 ティアが言った。
「それに、…そうね、ハッシュは良い体をしてると思うわ。筋肉が着いてて立派な体よ。」
 ティアはハッシュの身体をまじまじと眺めた。それに対してハッシュは若干困った様子で
「…あの、別に俺は自分の身体を見せつけたいわけじゃないからな。ただ、筋トレしてると暑くなってくるから…」
と、ため息を吐く。
「…ま、お腹の傷も治って来たしな。見せられる身体になって良かったよ。白魔女様様だな。」
 と、ディレィッシュが言った。それに反応したのがティアだった。
「白魔女ねぇ…」
 と、意味ありげに呟くティアだったが、それ以上言葉を続けることはなかった。御山を登っていた時も白魔女のことが話題に上がったが、彼女は極力白魔女の話題を避けたがっているようであった。
「そんなことよりも、ムーからアルトフールについて話を聞きましょう。」
 ティアはクグレックたちとはこの御山の麓の集落で別れるが、彼女自身もアルトフールのことを聞いてみたかったので参加していた。
 そして、ティアに促されて、ようやくムーが話を始める。
「では、お話させていただきます。アルトフールは『滅亡と再生の大陸』の絶望と断崖の山脈を越えた西の方に存在します。『滅亡と再生の大陸』は『支配と文明の大陸』と異なり、凶悪な魔物が多く存在する危険な場所です。ところが、残念なことに、『支配と文明の大陸』に行くには大陸東岸から船で乗り込み絶望山脈を越えていくしかありません。大陸の西側は船が乗り込むことが出来ない程に荒れた海となっているので、方法はその一つです。絶望山脈には凶悪な魔物がわんさかいます。生きて山脈を越えることが出来るかどうか。現実的に考えれば、無理でしょう。」
 一同はごくりと唾を呑みこんだ。
「なので陸路、海路もダメとなれば、残す路は空路となります。」
「空を飛んで行くのか?」
 超技術文明を築き上げたディレィッシュですら高い空を飛ぶ乗り物は発明できなかった。数十センチメートルほど浮かせるだけで手いっぱいだった。
「ええ。そうなります。『宙船』に乗りましょう。」
「『宙船』?」
「空飛ぶ船のことです。宙船に乗って飛んで行けば、アルトフールに簡単に行くことが出来ます。」
「そんな楽な方法があったんだ…」
 ニタが拍子抜けした風に呟く。ニタは自身の2つの足で向かうものだと覚悟を決めていた。
「ただ、宙船に乗るには2つの条件があります。一つは僕の友人を連れていくこと。一つは海底神殿に向かわなければならないこと。」
「ムーが案内してくれるんだ。ニタ達、何だってするよ。」
「ありがとうございます。僕の友人はカーバンクルという種族でして、すべての攻撃をから身を守ってくれるバリヤーを張ることが出来ます。『滅亡と再生の大陸』は魔物に支配された大陸と言っても過言ではありません。空気も悪いでしょう。友人がいてくれれば、大陸についてからが楽になります。」
「へぇ。最強の盾ってやつか。」
 ディレィッシュが呟いた。
「あとは、海底神殿ですが、これは、場所はどこにあるかは分かっているんですが、入れるかどうかが分かりません。ちょっと特殊な地にあるんです。海底神殿ももしかすると、魔物の巣窟になっている可能性が無きにしも非ずです。なので、先に僕の友人を連れてから、海底神殿に向かった方が良いでしょう。この海底神殿に宙船が存在します。」
「空を飛ぶ船は海の底に格納されているのか…。早く観てみたいな。」
 ムーの話にディレィッシュの知的好奇心は激しく刺激されていた。
 アルトフールへの旅路が示されて、先の見えない途方に暮れた旅が一気に現実味を帯びてきた。クグレックもアルトフールに辿り着いた時にもたらされる『幸せ』が楽しみになって仕方がない。
 だが、その『幸せ』とは一体何なのだろう。そもそもアルトフールとは一体何なのだ。
 クグレックは思い切ってアルトフールが何なのかムーに聞いてみることにした。
「ねぇ、ムー、アルトフールって結局なんなの?」
「アルトフールは『封印と黄泉の土地』と呼ばれていますね。『滅亡と再生の大陸』は絶望山脈を越えた先にはアルトフールの様な特別な土地が多いです。土地が生きている、というのですかね。土地がその意味を持って生きて、繁栄していくんです。大陸には『夢想と商業の土地』もあって、そこでは世界一の商業都市があります。それだけじゃなく、他にも様々な土地があります。」
「『封印と黄泉の土地』ってどういう意味?」
 クグレックが質問した。
 その質問に関してムーは首を傾げた。
「うーん。どういう意味でしょうね。」
「え、知らないの?」
「封印してくれるんですかね?うーん、でも、黄泉ってどういうことなんだろう?」
 意外なことにムーはアルトフールがどんな土地なのか詳しくは知らないようだ。封印と黄泉、その二つの言葉がクグレックたちにどのような幸せをもたらしてくれるのか。クグレックには全く見当がつかなかった。
 それでも、進むべき道は明らかとなった。まずは、ムーの友人に会いに行く。
 アルトフールへの道は着実に近づいて来ているようだ。



 2017_05_30


********

 しばらくすると、小さなドラゴン『ムー』が目を覚ました。
 クグレックたちの姿を見ると、ムーはびくびくと縮こまる様子を見せたが、ティアの姿を見ると安心したのか落ち着きを見せた。
 そして、5人を目の前にして、ムーはしょんぼりとした様子で立ち上がり。震える声で。
「この度は、魔に憑かれて迷惑をかけてしまったようで、本当にごめんなさい。」
 と言った。そして深々と5人に頭を下げた。暴走していた頃の巨大竜と比べると随分と丁寧で慎ましい様子である。
「いいのよ。過ぎたことなんだし。」
 ティアはぽんぽんとムーの背中を撫でた。
「でも、多分、ぼくは過ぎたことだと流すことのできない程のことをしてしまった、よね。」
 悲しそうに上目遣いで尋ねるムー。
「覚えてないのか?」
 ディレィッシュが尋ねると、ムーはこくりと頷いた。
「真っ暗な世界にいたことだけははっきりと覚えているけど、あとはうっすらとしか分からないんです。でも、…いろんな感情が僕を包んでただただ苦しかった。僕は…」
 ムーの夜闇の様に濃い藍色の双眸がわずかに憂いを帯びた。
「魔が暴れるのは、必然的なことなんだ。」
 ディレィッシュが言った。
「君が魔に取り憑かれていたのが間違いないのであれば、それは必ずどこかで押さえきれない状態になっていた。それがたまたま今だっただけで。むしろ、君が大きくなって力が強くなっていた時に魔が暴れていた場合、もっと深刻な状況になっていたかもしれないだろう。」
 「…でも、僕…」
 間違いなくムーは無差別に立ち向かって来る者達を襲った。その感覚は彼自身になんとなく残っているのだ。
「気にしたらキリがないわ。あなたは特別なドラゴンなのだから、魔が暴れたのが今で良かったわよ!魔のせいでそれなりに大きなドラゴンになってたけど、成長した後に魔が暴れてたら御山どころかコンタイ国も支配と文明の大陸が亡びてたかもしれないのよ!」
 彼の友人であるティアが強い口調で言った。
「だから、あなたはもうちょっと強くなりなさい!また魔に取り憑かれるわよ!」
 腰に手を当てて、まるで姉の様にムーに声を荒げるティア。叱られたムーの首はさらに項垂れていく。
 なんだか張り詰めた雰囲気にクグレックははらはらした。こういう時、彼女はどうすることも出来ない。ところが、そんな状況を打破するかのようにニタがムーに対して質問した。
「そう言えば、ムーってアルトフールについて知ってる?」
と尋ねた。ムーにとってはなんの脈絡もない突然の質問にきょとんとした様子でゆっくりと顔を上げる。
「え?知ってますけど…。」
 さも当然の如く答えたムー。彼らが欲していた情報はあっけなく手に入るようだ。
「ちょうど良かった。あのね、ニタ達、アルトフールへ行こうとしているんだけど、どうやって行ったらいいのか分からなくて。御山は神託を与えてくれる特別な場所だから登ってみたところ、頂上のドラゴンが導いてくれる、ってお告げがあったんだ。」
「そう、なんですか…。でも僕なんかが、誰かを導くだなんて…。」
 ムーは再び伏し目がちに俯いた。
「ニタ達、アルトフールのことは殆ど分からない上にどうしたら辿り着けるのか分からなくて困ってるんだ。ねぇ、ムー、ニタ達を連れてってよ。アルトフールに。」
 ムーは恐る恐るティアを見遣る。ムーと目が合うとティアはにっこりと微笑んだ。
「行ってきたらいいじゃない。御山でひっそりと過ごすよりは、ニタ達と外に出た方が良いと思うわ。ニタ達、腕もあるし。」
「…ティアは?」
「あたし?あたしは行かないわ。あたしの目的地は、違うから。あたしは踊り子として生きたいの。そのためにも、あたしはまだここにいないと。」
「そっか…。」
 クグレックは改めてティアの意志を聞いて少しだけ寂しく思った。ティアと一緒にアルトフールへ行くことが出来たら、きっと楽しかっただろうに、と。だけど、進むべき道がはっきりしているならば、仕方がない。
 ムーは再びニタ達を見据えた。
「じゃぁ、僕、あなた達をアルトフールに案内します。魔から救っていただいた恩もありますし。でも、どうして、あなた達はアルトフールを目指すのですか?」
 と、質問を繰り出すムーだったが、気弱な彼は自信なさげに視線を地面の方に落としていく。
 ムーの問いに一番に答えたのはニタだった。
「幸せになるため!」
 そして、ニタに続くのはディレィッシュだ。
「私達も、ニタがアルトフールに行けば幸せになれるっていうから、便乗しているにすぎない。それに、私達は魔抜けの代償で還る場所がないからな。アルトフールが思ったところと違うのであれば、また別のところを探そうと思う。だけど、アルトフールへの辿り着くまではニタとクグレックを守るのが私達の役目でもある。私達は、二人に救われたのだから。」
 と語るディレィッシュにハッシュは静かに頷き、同意する。
 そして、ムーの視線は必然的にクグレックにゆっくりと移動した。
 クグレックはムーと目が合うと、ピリピリとした気まずさを感じてしまい、視線を逸らしたくなった。だが、クグレックは気付いた。ムーの視線はクグレックを品定めするような視線ではなかった。クグレックの答え次第で、アルトフールの案内をするかしないかを見定めているわけではないように感じられたのだ。
 むしろ、この小さなドラゴンはクグレックと同じ感情を内に抱いている。不安と恐れを抱いている。
「私は…、この世界が明るくてキラキラしてて、…楽しいものであるかどうかを確認するために、アルトフールへ行く。もし、世界が故郷の荒野の様に煤けて寂しいものであるならば、私はニタが幸せになることを願って全ての旅を終える、つもり。」
 クグレックは皆の前で「死ぬ」とは言えない程度には、仲間としてニタ達のことを好きになっていた。心優しい彼女は先立たたれることの悲しさを十分知っている。だから、アルトフールが黄泉の旅路であることを明言することは出来なくなっていた。
 すると、不安と恐れを纏っていた小さなドラゴンの空気がふっと和らいだような感じがした。
 意外にもクグレックの答えが小さななドラゴンの迷いを取りのぞくことが出来たようだ。

「アルトフールは望みさえすれば、あなたたちの願いを満たしてくれる場所です。決して楽な道のりではありませんが、僕の力の限り、案内させていただきます。」

 小さなドラゴンはぺこりと頭を下げた。
 そしてクグレック達の旅の道筋は深い霧が晴れ、果てしない世界が広がり始めた。それは、この冬の青空のように静かなる希望に満ち溢れている。



――第5章、完。



 2017_04_04


********
 
 全ての魔物を倒すと、瘴気は掻き消えて、青空が広がった。冬の空は、高度が上がってもすっきりとした高い空のままだった。
 そして、あのドラゴンは、というと、小さくなっていた。
 人間よりも、ニタよりも小さな体躯は堅そうな青い鱗に覆われており、猫の様に丸まって縮こまって眠っている。
「こんなにちっちゃかったんだ。」
 ニタが言った。
「どうやら、魔物スポットと魔物と融合して大きく狂暴になってしまったみたいね。」
 とティアが言う。彼女の瞳はまだ赤く、黒い翼も生えたままだ。
「生物と魔物スポットが合体なんて、…そんなことが、あるのか?いや…」
 ディレィッシュが小さなドラゴンに触れながら呟いた。そして、ティアに視線を向ける。
「ティア、ドラゴンは魔に取り憑かれていたんだよな?魔がドラゴンと魔物スポットを合体させる接着剤の様な役割をしていたということか。」
「そういうことになるわね…。」
 ティアは、眉根を下げ、申し訳なさそうに答えた。ディレィッシュはそんなティアの態度に眉間に皺を寄せた。なにか気になるのだ。いや、この登山中ずっと気になっていたのだ。
「ティア、これはただの私の勘なんだが、ティアとこのドラゴンは何か関わりがあるのか?」
「…!」
「そして、その恰好も一体どうしたんだ?ティアは私達に一体何を隠しているんだ?この御山のガイドをやってるにしても、ティアは魔に対する知識が豊富過ぎることがずっと気がかりだったんだ。」
 ティアは自分の身体を守るようにして、自身の腰に腕を回す。そして、観念するかのように力なく微笑んだ。
「そうよね。こんな姿になっちゃったんだもの。話さなきゃいけないわね。」
 ティアはちらりと小さなドラゴンを一瞥すると
「あの子が起きるまで一休みしながら、説明するわ。」
 
 そう言って、一同は腰を落ち着けてティアの話に耳を傾けた。

「色々話さなきゃいけないことはあるわね。私のこと、あのドラゴンのこと。そして、クグレックのことも。」
 クグレックは突然自分のことを言われてびっくりしたが、まずはティアの話を聞くことが先だと思い、黙ったままでいた。
「まずは、…私のことだと少し長くなりそうだから、あのドラゴンのことを話すわね。あの子は私の友達でムーっていう名前なの。あの子が再生と滅亡の大陸で心無い密猟者に捕まったところを私が助けて、支配と文明の大陸へ逃げて来たの。あの子はまだ小さいから、霊峰と言われている御山でひっそりと生活していけば良いかな、と思って連れて来たんだけど…。」
 ティアの声がどんどん沈んでいく。
「その時の私はムーに魔が憑いていたことを気付けなかった。まさかあんなに狂暴になって御山を瘴気で支配するなんて…。」
 ティアは悲しそうに嘆くのであった。
「魔は、もう完璧に抜けたのか?」
「えぇ。魔物スポットの破壊と同時に居なくなったわ。ムーにそれほど溶け込んでなかったから、力で追い出すことが出来た。そこは、良かったわ。」
「魔が溶け込んでると、追い出すのが大変なのか?」
「えぇ。事情は分からないけど、ディレィッシュについてた魔は深く融合してたように感じるから、多分、熟練の悪魔祓いが沢山いても追い出せなかったでしょうね。良く生き残れたわね。」
「そうか…。」
「さ、ムーのことはこれくらいで大丈夫?」
「あぁ。大丈夫だ。」
 ディレィッシュが言った。他の者達も同意するように頷いた。
「次は、そうね、私のことかしら。」
 ティアはロングヘアを耳にかけた。赤くなってしまった瞳は憂いを湛えている。
「私はね、悪魔と人間のハーフなの。だから、クグレックが魔女であること、ディレィッシュが魔抜けであったこと、魔物スポットだとか瘴気に詳しかったことはそこが由来しているの。でも、私、悪魔としては半人前で、まだ力を制御出来ない。だから、こんな風に翼が生えたりするのよね。」
「その赤い瞳も、悪魔の力のせいか?」
 ディレィッシュが尋ねた。
「えぇ、そういうこと。」
「他にも変化するのか?」
「うん。尻尾が生えたり、爪がマニキュアを塗ったように赤くなったりするの。本来の悪魔の姿になるのかな。でも、ここは御山だから、ある程度抑えて貰えてたみたい。」
 ティアはきゅっと目をつむると背中に映えていた翼が跡形もなく消えた。目を開いた時には、瞳の色も元のヘーゼルに戻っていた。
「力を使いすぎると、悪魔になっちゃうみたいで。一応、人間の姿への戻り方は分かるから、なんてことないんだけどね。悪魔化は制御できないの。」
 ティアは力なくへらっと笑った。
「ティア、君が御山の麓にいる理由はその悪魔化を抑えるためか?」
 ディレィッシュが尋ねた。
「ディレィッシュは勘が良いわね。そうよ。まぁ、抑えるため、というか、制御する力を身に付けるためというか。私、もっと世界の見聞を広めて、世界一の踊り子になりたいからね。」
「そうか…。きっとティアなら素晴らしい踊り子になれるよ。私が見た中でも一番だったからな。」
「うふふ、嬉しい。」
 ティアは本当に嬉しそうににっこりと笑顔になった。
「じゃぁ、最後ね。クグレックの話。」
 ティアからまっすぐな視線が向けられて、クグレックはどきりとした。
「と言っても、私が知っている魔女に関することね。」
 一同はごくりと唾を呑んでティアの言葉を待つ。

「魔女って悪魔と契約して初めて自在に魔の力を操ることが出来るようになるの。悪魔と契約してなくても魔の力を扱える魔女はいるわ。でも、それは本来持っている一部の力しか操れない。クグレックだって、そうでしょ?」
 クグレックは頷いた。覚えている魔法もきっと少ないし、魔力も時々暴走してしまう。
「悪魔と契約することは、魔の力を操れるようになるだけではない。契約した悪魔を使役することができるの。魔女にとっていい話でしょ。悪魔にとっても、魔女との契約は、魔女の支配下に入るということになるけども、契約時にも魔女の力の恩恵を受けて力を増大することが出来るし、魔女が死ねばその魔女の力は全て悪魔のものとなるから、いい関係なのよ。」
 大人しくティアの話を聞いていたニタがハッとした。そして、訝しげな視線をティアにぶつける。
「ねぇ、…それって、ククをティアと契約させるつもり…?」
 ティアは妖艶な笑みを口元に浮かべた。が、途端に表情が緩み、お腹を抱えてけらけら笑い出した。ニタ達は狐につままれたような顔をしてティアを見つめた。
「そういうつもりで言ったんじゃないわよ。力のある魔女は近くにいるだけでも悪魔の力を強くしてくれるってことを言いたかったの。だから、クグレックと一緒に居ることが出来て、私は普段では出せない力を出すことが出来ただけなのに、契約って。」
 大爆笑してひいひいと喘ぐティアにニタ達は拍子抜けした。
「そもそも私は悪魔としては半人前だし、契約ってのは悪魔に処女を捧げることよ。こんなうぶなクグレックにはまだ早いでしょ?」
 クグレックは処女の意味が分からず、ニタに意味を求めるように視線を遣ったが、ニタは少々呆れた様子で「…ククはまだ知らなくていいよ。」とだけ呟いた。
「それに、クグレックはポテンシャルは高いわ。まだまだ悪魔の力を借りずとも、なんとかなると思う。もうちょっと魔女の本質が分かってくれば、もっと魔力を操ることが出来るようになるわ。」
 そう言って、ティアはクグレックの頭をよしよしと撫でた。クグレックは、少々不安を感じていたが、撫でられたことで安心し、不安が解消されていくようだった。そして安心しきったクグレックは思わずつぶやいた。
「ティアの魔力、おばあちゃんみたいだった。」
「おばあちゃん?」
 ティアが聞き返す。
「エレンって言うんだよ。もう死んじゃったけど。めちゃくちゃ優しい魔女だったんだよ。」
 ニタが代わりに答えた。
「エレン?」
 ティアがクグレックの祖母の名を繰り返す。唇に手を当てて思案しながら、彼女は呟いた。
「偶然ね。私の父が契約していた魔女もエレンという名の人だった。あの人も…優しい女性だった。」
「もしかすると、同じエレンじゃない?」
 と、ニタが言った。
 ティアは目を細めながら、クグレックを見つめた。
「そうかもしれない。クグレックは少しだけエレンの面影もあるし、それに、魔力もエレンのものと似てた。」
「ティアの魔力もおばあちゃんに似てた。」
 ドラゴンの魔物スポットを破壊する時に注ぎ込んでくれたティアの魔力が祖母のものと似ていたのだ。親の力を受け継いだティアならば、祖母の魔力を受け継いでいてもおかしくはないだろう。
「私達、魔力のつながりで言えば、姉妹みたいね。」
 姉妹。ティアが姉で、クグレックが妹で。肉親は祖母しかいないクグレックは姉妹という響きに嬉しさを覚えた。
「私には弟もいるけど、クグレックみたいな可愛い妹なら大歓迎よ。」
「…私もティアみたいな美人で強いお姉さんがいたら、嬉しい。」
 クグレックも綻びかけた小さな幸せを堪えることが出来ずに、にこにことほっこりした表情になった。


 2017_03_28


 とはいえ、黒い炎は、攻撃対象を探してゆっくりと這い回っていた。
 黒い炎たちは亀のようなゆっくりとした動きで攻撃対象を探す。ティアやニタ、ハッシュを探しているようだったが、そのうち1体はディレィッシュとクグレックの方へ向かってきている。
「これはマズイな。あの3人は自身の足と拳で戦うスタイルだから、炎には手を出せない。」
 ディレィッシュが言った。クグレックを守るようにして、クグレックの前に立っていた。
 クグレックは杖を握りしめ「私が魔法で…。」と言いかけたが、ディレィッシュに止められた。
「それはダメだ。クグレックの魔力はあの魔物スポットを破壊するためだけに使わなくては。」
「でも…。」
 黒い炎は二人の元へにじり寄って来る。
「いざとなったら、私がなんとかかばって見せよう。私は瘴気の力で頑丈になったんだ。」
 と、ディレィッシュは余裕の笑みを浮かべた。
 黒い炎は、二人を襲える範囲内まで近付くと、それまでの鈍さとは一転して、勢いをつけて突撃し始める。ディレィッシュはボウガンが入っていたケースを手に取り、応戦しようとする。ケースは防火性を備えていた。
 が、二人を守ったのは、防火性を備えた30センチ程度のケースではなかった。
 戦いながらも冷静に場を把握していた彼の弟が、黒い炎を掴んで投げ飛ばし、そして、連続で蹴り飛ばしたのだ。飛ばされた黒い炎は、興奮するかのようにハッシュに突撃してくる。ハッシュはそれをかわせずに直撃を受けて倒れてしまったが、起き上がる反動をつけて、再び両足で炎を蹴り飛ばした。
 炎は攻撃に耐え切れず、魔物のように霞となって掻き消えた。
 ハッシュは低い声を上げて思わずその場にしゃがみ込み、地面に手を着く。
「ハッシュ!」
 ディレィッシュが駆け寄る。クグレックもその後に続く。
「大丈夫か?」
 ハッシュは山登りのために服を着込んでいたので服は大分焦げてボロボロになってしまったものの、突進の直撃を受けた割には直接地肌に火傷を負ってはいないようだった。ただ、手だけは、手袋も何もつけていなかったので、赤く爛れていた。地面に手を置いて冷やしてみたが、気休め程度にしかならなかった。
「やっぱり、ここは、私が…!」
 青ざめた表情でクグレックが杖を構える。
「…そうだな。やるしかないな。」
 ハッシュはクグレックを見上げながら言った。ディレィッシュは弟の言葉にたじろぐが、次の言葉を聞いて、その意見に同意した。
「魔物スポットを壊せ。」
 と、ハッシュが言うと、クグレックは力強く頷いた。ハッシュの眼差しは信頼に満ちていて、クグレックはそれに勇気づけられ、力が湧いてくるような心地だった。
 クグレックは大きく深呼吸して、気持ちを落ち着かせると、杖に意識を集中させた。そして、周りの瘴気を取り込み始める。瘴気はクグレックを取り囲んだ。
 昨日の魔物スポットよりも大きいけど、なんとかなる。そう思い込んで、クグレックは声高らかにのたまった。

「ヨケ・キリプルク!」

 と、クグレックが発すると杖からは雷のような雷撃がバチバチと音を立てて出現し、ドラゴンに向かって放たれた。杖からは雷撃が断続的に放たれ続け、光と激しい音と共にドラゴンにダメージを与える。
 ドラゴンは低いうなり声を上げてもだえ苦しむ。
 ドラゴンに攻撃を与えていたニタとティアは動きを止めて振り返った。山頂のため酸素不足で二人の息は既に上がっていた。動きも少々鈍くなっていた。
 クグレックは目の前の黒いドラゴンの限界値を探して拒絶しようと試みる。が、さすがにドラゴンと同じ大きさを誇る魔物スポットだ。魔力を流し込むが、その限界値が見つからす、破壊にまでたどり着かない。
 クグレックはあまりに集中しすぎて、鼻からつうと血が垂れて来た。だが、彼女の集中力は鼻血など気にも留めない。ひたすら破壊のための魔力を送り込む。
「クク!無理をしないで!」
 クグレックの様子を心配するニタの声は彼女の耳に届いていたが、受け入れることは出来なかった。
 なんとかして、目の前のドラゴンの魔物スポットを破壊しなくては、先に進めないのだ。毎回毎回、彼女はあともう一歩のところで落ちてしまう。今回こそは意識を飛ばさずに済ませたいのだ。

 負けない。
 こんなに皆に大切にしてもらったんだもの。
 皆の期待に応えたい!

 だが、気持ちとは裏腹に、耳は次第に遠くなり、視界も白けてくる。
 万事休す、とクグレックが諦めかけた時、クグレックを優しい温もりが包んだ。その温もりが再びクグレックの意識を復活させた。

――まだ、やれるわ。

 そのぬくもりは、懐かしいものだった。祖母に抱き締められているような、そんな感覚。
 だが、微妙に違う。今、クグレックの意識にかけてくれた声はティアの声だったからだ。
 再び開けた視界には、クグレックと共に杖を支えるもう一つの腕があった。後ろから腰に手を回してクグレックを支えているのは、ティアだった。
 クグレックは杖を通して、ティアが膨大な魔力を流し込んでくれているのを感じ取った。とても濃厚で密のある魔力。
 ティアは一体何者なのだろうか、とクグレックが思った瞬間、目の前のドラゴンは悲鳴を上げた。
 ドラゴンの体内にある赤黒い輝き――魔物スポットに亀裂が入り始めたのだ。ピキ、ピキと音を立てて沢山の亀裂が入る。
「あと一息よ!」
 そういうティアがさらに魔力を注ぎ込むのを、クグレックは感じ取った。
 杖から発せられる雷撃はより光を増し、バチバチと激しい音を伴う。
 そして、しばらくすると、とうとうドラゴンの中の魔物スポットはバリンと大きな音を立てて砕け散った。目の前のドラゴンは悶え苦しみ、のたうちまわる。真っ黒な体躯はボロボロと崩れ落ち、落ちた黒い物体は何かを求めるように蠢いた。
 ティアはニタに向かって、
「ニタ、そいつらはみんな魔物のなりかけよ。ドラゴン共々全部潰しちゃって!」
 と指示をする。ハッシュも立ち上がり、ニタに加勢する。彼は手を負傷したもの、それ以外は問題ないのだ。二人はひたすらドラゴンだったものに攻撃を加える。
 クグレックは振り返り、ティアを見る。そして、彼女に起こっていた異変に驚いた。ティアの瞳の色が血の様に赤く輝いていたのだ。これまでは普通の鳶色だったのに、一体何が起こったのか。
 さらに汗だくになっていたティアはクグレックと目が合うと、にっこりと微笑んだ。
「ふふふ。後で色々お話ししましょう。まずはアイツを倒さなきゃ。」
 そう言ってティアは炎の魔物を倒しに行った。
 ティアの後姿をみて、さらにクグレックは驚いた。ティアの背中には大きな黒い翼が生えていた。ドラゴンと同じ蝙蝠の様な黒い翼だ。
 そばにいたディレィッシュもティアの異様な姿に驚き、クグレックと顔を見合わせるのだった。


 2016_10_03


 草木をかき分けて、とうとう山頂へたどり着く。そこは開けた場所であり、本来ならば神々しい場所なのかもしれない。だが、今は瘴気により、今にも落ちて来そうな真っ黒な曇天と禍々しい黒の巨体に支配された汚らわしい空間だった。
 そう、そこに、標的であるドラゴンの姿があったのだ。
 大きさはクグレックたちを余裕で越える。2階建ての家屋程はあるだろう。丸太の様な大きな2本の足が巨体を支えており、胴体についた2本の腕には鋭い爪がついている。背には体よりも大きいであろう蝙蝠の様な大きな翼と、ギザギザとした棘が付いた大蛇の様な尾が生えていた。
 魔物のように真っ黒で靄掛かったその巨体の胸の奥の方では、赤黒い何かが輝いている。鼓動の様に輝きは弱くなったり強くなったりしている。その収縮の姿は彼らが昨日みた魔物スポットと同じものだった。
「これが御山のドラゴン…。」
 ティアも実際に見るのは初めてだったので、思わずその姿にたじろいでしまう。
「本物のドラゴンか、魔物か、はたまた魔物スポットなのか、なんなんだろうな。」
 ディレィッシュが呟く。その呟きに対してニタが
「いやぁ、ドラゴンじゃないのかなぁ。見たことないけど。」
と、返した。
 ドラゴンは低いうなり声を上げながら、5人を見下ろす。体内の赤黒い輝きと同じ色をした双眸は殺気立っていた。
 ドラゴンは尻尾を振り上げ、5人に打ち付ける。
 ニタとティアとハッシュの3人は瞬時にその攻撃をかわしたが、クグレックとディレィッシュは瞬時に対応することが出来なかった。かろうじてディレィッシュが身を挺してクグレックを庇ったために、クグレックは地面に倒されかすり傷程度で済んだが、ディレィッシュは勢いよく尻尾に打ち付けられ、吹っ飛ばされた。
「ディレィッシュ!」
 顔から地面に追突したディレィッシュ。が、すぐにむくりと身を起こすと、鼻からつうと血が垂れた。ディレィッシュはきょとんとした表情でいた。
「あれ、私、死んでいないぞ?とっても体は痛いが。」
 ディレィッシュは体をさすりながら、呆然としていたが、一呼吸おいて合点した。瘴気の力が彼の魔抜け分を補ってくれていたとティアが言っていたのだ。そのため、彼は通常以上に頑丈になっていた。
 再びドラゴンがディレィッシュに向かって尻尾で攻撃を繰り出す。
「ディレィッシュ、後ろ!」
 と、ティアが叫ぶと同時にニタが駆け出し、渾身の力を込めて振り回される尻尾に向かって飛び蹴りを喰らわせる。
 ニタの知識ではドラゴンは固い鱗を持ち、どんな攻撃をも跳ね返すという伝説があるということは知っていた。このままドラゴンに飛び蹴りを喰らわせたら、もしかするとニタの足はその堅い鱗に阻まれて折れてしまう可能性もあるが、ニタは臆することなく全力の力をドラゴンの尻尾に捧げる。
 ニタの強力な一撃がドラゴンの尻尾に当たる。ニタの足はドラゴンの尻尾にのめり込んだ。変な感触だ、とニタは思った。尻尾は黒い靄を吹き出して凹んだが、すぐに吹き出した黒い靄がニタに蹴られた部分を包むと元の形に戻った。そして尻尾はびっくりしたようにドラゴンの後ろに引っ込んだ。
 体制を整え、地面に足をつけたニタは力強い視線でドラゴンを睨み付ける。
 本当にドラゴンなのだろうか。それとも、伝説はあくまでも伝説にすぎないのか。
 と、思った矢先、ドラゴンが深呼吸をしたかと思うと、ドラゴンは真っ黒な火の玉をニタに向かって吐き出した。キャベツ位の大きさだった。何かが燃焼したのか、焦げた匂いがする炎だ。しかしこの炎、よく見るとどんどん大きくなっていく。ニタの目の前まで来た時には羊くらいの大きさになっていたが、ニタはその高い身体能力でギリギリのところで炎をかわした。
 しかし、ちりっと耳の後ろが焦げた音が聞こえたニタは
「ぎゃー、焼けた!焼けた!」
 と吃驚して、耳の後ろをバシバシと叩いた。
 さらに、ニタの背後ではニタの耳を掠めた真っ黒な火の玉が地面に衝突して燃え上がっていた。ロバ程の大きさになって轟々と燃え上がっているが、なにか様子がおかしい。炎は延焼することなくその場で燃え上がっているうえ、中では何かが蠢いているかのように形を変化させるのだ。
「ニタ、後ろ!」
 ティアが声をかけるとニタはハッとして振り向き、その異様な黒い炎を視認する。
 炎は不気味に燃え上がり、ニタの姿を捉えているかのように見えた。ニタは背筋がゾクリとするのを感じた。
 炎は大きく燃え上がった。それはまるで炎の中に何かが存在し、もがき苦しむように見えたが、すぐに掻き消えてしまった。後には何も残らない。
「な、なに、今の…?」
 ニタは再び目の前のドラゴンを見上げる。ドラゴンは再び大きく息を吸い込んで、あの真っ黒い火の玉を吐き出そうとしている。ドラゴンの体内の奥に見える赤黒い輝きがより一層明るさを増した。
 ドラゴンが火を吐きだすと、ニタは簡単にそれを交わした。ドラゴンは火の玉を吐くと、その反動でしばらく動けなくなるようだ。身体の赤黒い輝きも弱まり、吐き出したままの恰好で呼吸を整えている。
 ニタ達は再び火の玉の観察だ。異様なのは黒いだけではない。あの炎ははまるで生き物のように燃えているのだ。
 火の玉は地面に衝突すると、不気味に変形しながらも大きく燃え上がる。
 再び燃え尽きるのだろうか、と一同は思ったが、炎は形も変わることなく落ち着いて、安定して燃え続けた。そして、黒い炎は、ゆっくりと、ゆっくりと、亀の歩みの様にニタに滲みよって来た。延焼しているのではない。炎そのものが生き物のように近寄ってきているのだ。そして、勢いをつけてニタに突進した。
「うわ!」
 黒い炎の動きは緩慢だったため、ニタは余裕でその突進をかわすことが出来たが、突進の速度は思った以上に速かった。
「な、なにこれ。この火の玉、襲ってくるんだけど!」
 ティアが駆け寄り、おもむろに炎に蹴りを入れる。すると、炎はティアに蹴り飛ばされた。
 ティアは「熱ッ」と声を上げ、足をすぐに引っ込めた。靴は焼け焦げ、ところどころ黒くなっている。
 ティアは、引きつった表情で不気味にうごめく黒い炎を見つめる。
「あの中に、なんかいるわ。そうじゃないと、炎なんて蹴り飛ばせないもの。…なんか、魔物みたいな感触だった。」
 ティアの呟きに、ニタも表情を引きつらせた。
「…ドラゴンは、炎と魔物、一緒に吐き出しているのかな?」
 と言うニタにティアは「…そうかもしれない。」と言って、ドラゴンを見上げる。
「…あのドラゴンの胸の奥の方にある、あの赤黒い光、魔物スポットみたいに光るよね。」
 ニタが言った。ティアは「確かに。」と言って同意する。
 ドラゴンは再び息を吸い込み、火の玉を吐こうとしている。同時に胸のあたりの赤黒い輝きも光の強さを上げる。ドラゴンは火の玉を連続で吐き出した。
 ニタ達は逃げ回り、直撃を回避したが、その後の火の玉の経過が気になるところだった。半数以上の火の玉は不定に形を変えた後、燃え尽きて跡形もなくなったが、うち二つは先ほどと同様に自ら動き回る炎となり、ニタ達ににじり寄る。
 ハッシュがふと気づいたように言った。
「というよりも、あれは魔物スポットなんじゃないか?光り方がまさに魔物スポットのそれだし。」
 ドラゴンの体内の赤黒い輝きは、炎を吐き出したために消えていた。いや、炎と共に魔物を出現させたためにその輝きが消えていたと言い直していいのかもしれない。
 ニタとティアは顔を見合わせ
「嘘でしょ!?」
と声を上げた。
 目の前には倍に増えた炎と魔物を出現させて小休止するドラゴンの姿があった。

「これはやばいんじゃないの?あの炎、攻撃できるとは言っても、炎だし、熱いよ?」
 ニタが言う。
「もうこいつらは無視してあのドラゴンを叩くしかないわね。今なら魔物スポットの動きも休止してるし。」
 ティアが言った。ニタもそうするしかないと思い、二人はドラゴンに駆け寄り、攻撃を加え始めた。
 2016_09_26



 瘴気が濃くなる御山を一行は再び登り始めた。
 
 足場はだんだん悪くなる。これまでは整備された登山道だったが、洞窟を抜けてからはごろごろとした岩場が続く不安定な道だった。気を抜けばクグレックみたいな鈍臭い人間は転んでしまうだろう。さらに足場の悪さは体力も奪うのだ。大した距離を進んでいないのに、クグレックは足が痛くなってきた。
 その上、魔物も出現する。猿の様なすばしっこい魔物だった。岩場を巧みに駆け回り、ティア、やハッシュを翻弄する。ニタはかろうじて岩場を俊敏に動けるが、魔物ほどではないので、追いつけなかった。クグレックとディレィッシュは後方待機で荷物番だ。
「もう、なんなの、すばしっこいわね!」
「ここじゃ動きづらいな。」
 立ち往生するティアとハッシュ。ニタに追いかけられながら魔物は、石を拾っては投げつけて来る。ニタは済んでのところで石を交わしたり、キャッチしたりて相手の攻撃を回避する。
 すると、荷物番をしていたディレィッシュがおもむろに鞄の中を漁り、長さ30センチほどのケースを取り出した。中から何本か棒を取り出して、手慣れた手つきで組み立て始める。次第に形付くられるそれはボウガンの形をしていた。が、普通のボウガンよりも一回りほど小さく、子どもでも取り扱えそうなくらい可愛らしいサイズだった。
「ディレィッシュ、それ、何?」
 クグレックが尋ねる。
「ん、ボウガンだ。持ち運びに楽なように、分解可能で軽量、小型化してみた武器だ。殺傷力はあんまり高くないが、昨日、手入れをしてまぁ、いい感じだったので、実践投入してみようと思って。」
「ディッシュが作ったの?」
「まぁな。おもちゃみたいなもんだけど。」
 鉛筆程の矢をボウガンに込め、ディレィッシュは片手で小型ボウガンを構え、魔物に照準を合わせる。
「射撃は得意でね。銃器を扱う方が得意なんだが、あの武器は今の世界じゃ物騒だ。」
 余裕の笑みを浮かべながら、ディレィッシュがボウガンの引金をひくと、小さな矢は魔物に真っ直ぐに飛んで行きぷすっと刺さった。
 魔物は不意打ちの攻撃に驚き、動きが鈍った。その隙を着いて後を追っていたニタが魔物に回し蹴りを喰らわせ、魔物は霞となって掻き消えた。
「クク、なんか魔法使った?」
 ニタが不思議そうに尋ねた。クグレックは魔力温存のため、緊急時以外は魔法を使わないことになっている。
 クグレックは首を横に振った。
「私じゃない。ディッシュがやったの。ボウガンで。」
 と、クグレックが言うと、ディレィッシュは小さなボウガンを揚々と掲げた。
「ニタ、落ちた矢は回収してくるとありがたい。」
「分かった。」
 ニタはボウガンの矢を拾い、ディレィッシュの元へ運んだ。
「格好良い武器だね。」
「ニタの鉄拳に比べれば、おもちゃみたいなもんさ。」
 そう言って、ディレィッシュは小型ボウガンを解体する。
「あれ、もうしまっちゃうの?」
「あぁ、山登りに持ち歩くのは邪魔だからな。」
「そう。」
 そして、再び一行は岩場を進み続ける。確かに不安定な足場で、小型とはいえボウガンを持って歩くのはバランスもとりづらく大変であった。
 その後もたびたび魔物は出現したが、なんとか追い払うことは出来た。が、先程の猿の様な魔物のように素早かったり、特殊な攻撃を行ってくる魔物が多かった。強い魔物というわけでもないが、足場が足場なだけに戦い辛く、前衛隊の体力は順調に削られていった。
 が、瘴気が一層濃くなって、魔物も一度に4,5体ほど現れるので前衛隊の骨を折った。
「ティア、魔物が、どんどん増えてるけど、魔物スポットはどこにあるの?」
「この近くにあると思ったんだけど…。うーん。」
 ティアは一旦立ち止り、腕を組んで、目を閉じた。眉間に皺を寄せ、うーんと唸りながら考え込む。そして、開眼した。
「大変。魔物スポットは頂上にあるわ!」
 とティアは声を上げた。
「なんでわかるんだ?」
 ディレィッシュが尋ねた。
「えっと、ほら、悪魔祓いの師匠のせいで、魔に関して敏感になっちゃったから、魔物スポットも感覚でどこにあるかわかっちゃうのよ。」
「へぇ。」
「まぁ、そんなことはどうだっていいの。狂暴なドラゴンと一緒に魔物スポットがあるなんて、厄介すぎるわ。ドラゴンだけでなく魔物も一緒に相手にしないといけないなんて。」
「ふむ、それは厄介だな。」
「でも、行くしかないんでしょ。」
 ニタが問うと、ティアはこくりと頷いた。
「えぇ。魔物も思っていたよりも強いわけではないし、ニタもハッシュも強いわ。隠し玉のクグレックもいるから、勝算はある。ディレィッシュ、アンタにも特別な役割があるから、頑張って!」
「ほう、特別な役割か。」
 一行は気合を入れ直し、頂上へ向かう。頂上へ向かうにつれ、次第に見かけなくなっていた植物たちがちらほら姿を現したかと思うと、樹林帯が広がるようになった。そろそろこの標高では植物も育たなくなる高さだが、草花樹木共々立派に育っている。さらに、どこからか聞こえる動物たちの声。これまで岩や砂利といった殺風景だった景色が、急に生気を持ち始めた。
「山頂はもうちょっとよ…。」
 ティアは周りの景色を見て、そう言った。
 御山が霊峰たる所以はここにある。山頂周辺の神性だ。
 通常の標高では、御山の山頂は森林限界に当たり、樹木が育たない。だが、不思議なことに山頂付近に限り、御山では樹木が低地と同じように育っているのだ。さらに、今現在の季節は冬に当たるのだが、御山では雪が降らない。故に年中いつでも登ることが可能なのだ。
 2016_09_03



それから1時間ほどで、全員分の荷物を持ったティアがやって来た。クグレックたちの姿を見つけると泣きそうな表情で駆け寄り、荷物を全て降ろしてからニタとクグレックを抱きしめた。
「もう、起きたらみんないなくなってるんだもん!なんか周りはびしょびしょになってるし、ヤバい魔物に襲われたのかと思って心配したんだから!わーん!」
「ティア、ちょっと痛い。」
「痛いよう…」
 怪力の持ち主のティアに抱きしめられ、ニタとクグレックも低い声をあげる。。
 するとティアはハッとした様子で下した荷物を漁り始めた。荷物の中から小さな小瓶を取り出すと、瘴気酔い止めを一粒掌に取り出した。
「ニタ、そろそろ薬が切れる時間よね。まだ瘴気止めはあるから、飲むと良いわ。」
 ティアはそう言って、ニタに金平糖にも似た瘴気止めを一粒口の中に入れてあげた。
「それにしても一体なんでこんなことが起きたの?」
 再会の喜びも落ち着いたティアが、全員に向かって尋ねる。
 4人はお互いに目配せをしあった。正直なところ、昨晩の出来事に関して、彼ら自身も何があったかということは話せても、どうして起きたのか、ということまでは分からなかったからだ。
 とりあえず、ニタがこの顛末をティアに説明すると、ティアはちんぷんかんぷんな様子だった。
「全く!その女って一体何なのよ。」
 クグレックは彼女をどこかで見たことがあった。その声も聞いた覚えがあった。だが、いつ、どこで彼女に会ったのかがはっきりしない。 
「あぁ、そう言えば私は彼女の妹にあったぞ。私達を襲った彼女よりも大分若い女の子だったが、顔や姿かたちはそっくりだった。だから妹だと思う。私が見張りをしていた時に、彼女が突然現れたんだ。彼女はドラゴンは魔の力に囚われて、苦しんでいるから助けてあげて、そうすれば、アルトフールへ導いてくれるって言っていた。お姉さんだと思われる彼女ほど禍々しい様子は感じ取られなかったな。」
 と、ディレィッシュが軽い様子で言った。ティアはしかめっ面になりながら
「なにそれ。しかも姉妹だなんて。」
と、呆れた様子で言った。
 ディレィッシュは続ける。
「ただな、ちょっと夢うつつな時だったから、もしかすると、夢かもしれない。でも、夢のような感じはしなかったし、私は現実だと思うんだよな。」
 どうにも軽い様子のディレィッシュにニタやティアは肩を透かす。ハッシュは「居眠りする位なら、強がらずにちゃんと寝れば良かったのに!」と語気を強めた。
 ディレィッシュはへらへらと3人の追及を交わすが、クグレックだけは彼の話に思うところがあった。というよりも、ようやく思いだしたのだ。夢かもしれない、いや、妙に現実的な質感を持った夢のような空間であの黒髪の少女に出会ったことを。
 クグレックたちを襲った彼女はクグレックの夢で出会った彼女よりも大人だったのだ。だから、クグレックは気付かなかった、というよりも思いだせずにいた。
 「夢」と「少女」という言葉の鍵がクグレックの記憶を呼び起こす。

 そこは、真っ白な空間だった。
 時間は祖母が亡くなり、ニタに出会う前。クグレックが自らを思い出の詰まった燃え盛る住居に身を隠した後。
 クグレックよりも小さな、齢にして12,3歳くらいの白い袴を着たおかっぱの女の子がしくしく泣いていた。
 彼女はクグレックになんと言っていただろうか。
 確か、あの時彼女は『お姉ちゃんを、待ってる』と言っていた。
 待ってるというのは、アルトフールで待っているということなのか。彼女はアルトフールと一体何の関係があるというのか。
 クグレックはその後、祖母の声を耳にして、それどころではなくなってしまったので、彼女のことは全く気に欠けることなく意識の底に追いやっていた。そう言えば、あの時の祖母が何と言っていたのか、クグレックは思いだせない。
 
 次に彼女と会ったのはポルカのニルヴァ防衛戦時。魔力が尽きたクグレックは気を失って倒れてしまった。その時の夢でも彼女と出会った。彼女はクグレックを鼓舞してくれ、そして、尽きた魔力を元に戻してくれた。
 最初にあった時と異なって、泣いている様子でもなく、比較的落ち着いていたと思う。
 それ以降、彼女はクグレックの夢には現れなかった。トリコ王国ではクグレックの夢に出現したのは、ディレィッシュに潜んでいた魔だった。

 ディレィッシュは彼の夢に出て来た幼い彼女と、攻撃的な大人の彼女を姉妹としたが、クグレックはそうではないような気がしていた。どちらも同一人物だと感じたが、理由は分からない。何故彼女が成長した姿で現れたのか、どちらが本物の彼女なのか、クグレックには分からない。
 ただ、現実に現れた彼女はともかく、夢の中の幼い彼女の言うことならば、信用しても良い、とクグレックは考えた。何故ディレィッシュだけに姿を見せたのかは分からないが、きっと、ディレィッシュが会った彼女はクグレックが会った彼女と同一人物で信頼に当たるだろう。
 だから、クグレックは決意した。
 山頂のドラゴンを救ってあげなければ。それが、アルトフールへの道へとつながるのであれば、と。

 2016_08_31


*******

 ぱちり。

 クグレックは目を覚ました。瘴気に包まれた洞窟の外にいるようだ。瘴気のせいで薄暗いが、周りは見えるので、夜だけでないことは分かる。
 結果、クグレックは息継ぎが上手く出来なくて、気を失ってしまったのだが、多分しがみつかせてもらった人のおかげで、目を覚ますことが出来た。
 げほげほと咳き込みながら、水を吐き出す。
 そして、クグレックは顔を赤らめた。
 目覚めた瞬間、目の前にはハッシュの顔があり、口と口が触れていたのだ。人工呼吸と言うものだろうが、今まで男性と至近距離で接したことがなかったクグレックは急に恥ずかしくなってしまったのだ。しかも、目の前のハッシュは上半身が裸で、目のやり場に困ってしまう。
「大丈夫か?」
 ハッシュはクグレックの背中をさすりながら声をかけた。
 クグレックは顔を真っ赤にしながら、コクコクと頷くことしかできない。
「ニタと兄貴は無事だろうか…」
 と呟くハッシュに、クグレックははっと我に返った。人工呼吸をされて恥ずかしがっている場合ではない。濁流にさらわれたニタとディレィッシュの姿が見えないのだ。
 ハッシュは木にかけて干していた自身のシャツを手に取り、再び身に付ける。クグレックも濡れた服を乾かしたいと思ったが、替えの服がないのでこのままでいる他なかった。
「クグレック、ニタと兄貴を探して来るが、歩けるか?」
 クグレックは目を逸らしながら、「大丈夫と」と一言、こくりと頷いた。
「残してきたティアのことも心配だが、まずはニタと兄貴の方が心配だ。波はこの先まで侵食しているようだから、もしかするとこの先にいるかもしれない。」
 先を見ると、濁流が過ぎ去り、地面は泥でぐちゃぐちゃになっていたが、木々はなぎ倒されて道は開けていた。ニタとディレィッシュはこの先にいるだろう。
「ニター、兄貴ー、どこだー?」
 と声を上げながら二人を捜索するクグレックとハッシュ。不思議なことに、瘴気は漂っているが、魔物は出現しなかった。魔物も波に飲み込まれて、消滅してしまったのだろうか。
 クグレックはハッシュの背中をぼんやりと見つめた。そして、不意に先程の唇の感触を思い出して、顔が赤くなる。
 今はニタとディレィッシュの生死も分からないのに、余計なことを考えてはいられないと、クグレックは頭を強く振った。ハッシュはクグレックを助けるために、人工呼吸を施しただけで、他意はない。むしろ、クグレックと人工呼吸だなんてハッシュは本当は嫌だったかもしれないのだ。
 などと悶々と考えていると、傍の草叢からディレィッシュが飛び出してきた。
 彼もまた上半身は裸であった。思いの外、ぴんぴんしており、ハッシュもクグレックも安心した。
「ハッシュ!クグレック!」
 ディレィッシュもまた、安堵の表情を浮かべた。
「兄貴、無事だったか。」
「あぁ、あの濁流だったが、無事に洞窟の壁にぶつからず、そして、溺れることなく外に出ることが出来た。あの子たちのおかげで。」
「あの子たち?」
「あのおかっぱの子だ。」
「あんな敵意剥き出しだったのに?」
「あぁ、あの子たちは多分、悪い子じゃない。きっと瘴気に充てられたんだ。」
 自信満々になんの曇りもない表情ではっきりと言い切るディレィッシュに、ハッシュは言葉を失った。
「あの子はいなくなったけど、あの銀色の龍は私のことを背に乗せて、洞窟の外まで連れて行ってくれたんだ。だから、私は無事だったんだ。」
 ハッシュはため息を吐いて、頭をわしわしとかいた。自分たちを吹き飛ばした張本人である銀の龍がなぜわざわざ助けてくれる必要があったのか分からないし、何を根拠にあの女性を悪くないと言い切るのか、ハッシュには理解できなかったが、兄が無事だという現実はそこにあった。
「まぁ、兄貴が無事ならば何よりだ。ニタはどこに行ったのか、知らないか?」
「あぁ、そうだ。そうなんだ。ニタ、ティアから貰った薬の効果が切れたみたいで、もう歩けないくらいに重篤な状態なんだ。」
「それは大変だ。」
「行かなきゃ。」
 ディレィッシュの後を追うと、木陰の下で幹に寄り掛かって息を荒らげるニタの姿があった。
「ニタ、大丈夫?」
 クグレックがニタの傍に駆け寄り、様子を伺う。ニタはクグレックの存在に気付くと、にひひと顔を緩ませ「ククが、無事で良かった。」と、苦しそうな声で言った。
「ハッシュがね、守ってくれ…」
 と、ニタに報告しようとしたが、クグレックは口を噤んだ。濁流から身を守ってくれただけでなく、助けてくれたことも思いだしたのだ。思春期真っただ中のクグレックが心を揺さぶられるのに、ちょうどいい事件だった。
 ニタは急に口を閉ざしたクグレックに首を傾げる。
「ニタ、体の調子はどうなんだ?」
 ハッシュが声をかける。
「いやぁ、頭が痛いし、眩暈もするし、気持ち悪いし、…とてもじゃないけど、歩けたもんじゃないんだ…。」
 瘴気は山頂に近付くほど濃くなってきている。洞窟にいた時は魔物スポットを壊したから、瘴気がない状態だったから、ニタ自身も気づかなかったのだろう。外に出てみれば、瘴気に弱いニタにとっては猛毒でも振り撒かれているかのように危険な空間だった。
「いったん、洞窟まで戻るか?ニタ位ならおぶって行けるだろうし。逆に待っていた方がもしかすると、ティアと合流できるかもしれない。」
「…あぁ、ティアは…?」
「ティアは、あの子の後ろにいたから、多分波の被害はなかったと思う。現に俺達の荷物が一切流れ着いてないんだ。」
「ハッシュ、そんなところまで見ていたんだな。」
「…流石に、土地勘のない良く分からない場所ではぐれることほど怖いことはないからな。死に至る可能性が高いし…。クグレックは俺と一緒だったから良いものの、サバイバル力のない兄貴のことだって心配だった。魔物が出て来ても危険だから、とにかく洞窟まで戻ろう。」
 そう言って、ハッシュはニタを背負い、流れ着いた洞窟まで戻る。瘴気がない洞窟まで戻ると、ニタは水を得た魚の様に元気を取り戻した。
 2016_08_30


*******

 クグレックは目を覚ました。皆から翌日のドラゴン退治に向けて体力を温存させるために優先的に休むように言われて休んでいたが、急に心がざわついて目が覚めてしまったのだ。
 クグレックの隣で寝ていたニタはいなかった。ニタの見張りの順番は最後だったはずなので、今はニタが見張りをしているのだろう。夜はもうじき明けるということになる。
 クグレックは再び目を閉じて眠りにつこうとした。が、テントの外から声が聞こえて来て、意識はそちらの方に集中した。
 話しているのはニタだけではないようで、クグレックは耳を澄ます。
「君は一体何なんだ?ククと何の関係があるの?」
「私とクグレックは運命共同体。あなたたちは邪魔なの。」
「君、ちょっとおかしいよ。ククの魔女の力が利用するって言うなら、ククのことは渡せないけど。」
 耳を澄ませてて話を聞いていると、どうやらニタと女性が口論をしているようだ。しかも、中身はクグレックのことに関してだ。ティアは傍らで気持ちよさそうに眠り呆けている。だから、外の女性の声はティアではないのは確かだ。
 クグレックはなんだか無性に胸がざわついたので起き上がった。荷物から杖を取り、背中に装着してそろりとテントから顔を出して外の様子を伺った。
 外ではニタだけでなく、ハッシュもディレィッシュも起きていた。3人とも洞窟の奥の方に視線を向けている。クグレックも洞窟の奥の方に視線をやると、そこには白い袴を着た黒いおかっぱ頭の女性が立っていた。彼女の顔は青白く、まるで幽霊のように見えた。
「まぁまぁ、二人とも、ここはもうちょっと落ち着いて話をしていこうじゃないか。お嬢さん、私達は君に会うのは初めてだ。クグレックもがどうなのかは分からないが、まずは自己紹介からして行こう。私はディレィッシュ、元トリコ国王だ。君は?」
 ディレィッシュの問いに、女性は何も答えない。人形のように無機質な表情を浮かべて、三人に対峙するばかり。
 クグレックはこの白袴姿の女性をどこかで見たことがあるような気がした。だが、どこで見たのかが全く以て思いだせない。ただ、そんなに昔でもないことだけは間違いない。クグレックは記憶を辿るが、全く彼女にあったという事実が思いだせなかった。
 と、その時、クグレックは3人越しに女性と目が合った。まるで人形のように生気の感じられない瞳。
 クグレックは突然ぞっと背筋に悪寒が走るのを感じた。
 その瞬間、女性は足音立てずにすっと勢いよくクグレックの元に近づいて来た。その動きは非人間じみたものであり、魔物に近しいものがあった。
 クグレックは慌ててテントから出た。
「クグレック、会いたかった。最近、狭間の世界で会えなくなったから、どうしたのかなと思って心配だった。でも、頑張って迎えに来た。だから、行きましょう。」
 そう言って、女性はクグレックの腕を取り、引っ張る。クグレックは身に覚えのないことを言われて、たじろぐ事しかできなかった。
「え、ど、どこに?」
 
「アルトフールに。」

 女性は無理矢理クグレックの腕を掴んで、洞窟の奥に連れていこうとする。
「ちょっと待って。」
 クグレックは立ち止り、腕を強く振って、少女の手を振り払った。
 女性は目を見開いてクグレックを見つめた。
「どうして?」
「だって、突然すぎて…。」
「アルトフール、行かなきゃいけないでしょう?」
「…それは、そうなんだけど…。」
「じゃぁ、いいじゃない。」
「皆は?」
「アルトフールが呼んでるのはクグレック。」
「皆を置いて行くってこと?」
「それが何か?」
 女性はじっとクグレックを見つめる。
「クグレックは私と一緒に行くでしょう?」
 女性は再びクグレックに向かって手を差し出した。クグレックは首を横に振りながら後ずさる。「どうして?」
 女性はこてんと小首をかしげる。
「だって、私は…」
 クグレックは女性越しに、ニタ達のことを確認する。3人とも真剣な表情でクグレックたちのことを見ている。クグレックは、口を真一文字にして再び少女に会いまみえた。
「私はアルトフールに皆で辿り着きたい。」
「私とは、一緒に行ってくれないの?」
 クグレックはゆっくりと力強く頷いた。
「どうして?クグレックは私と一緒に居てくれるんじゃないの?クグレックは私のことだけが好きなんじゃないの?おかしいおかしいそんなのおかしいうそつきうそつきクグレックのうそつきゆるさないゆるさないゆるさない」
 少女はまるで呪いの言葉を吐くかのようにぶつぶつと呟く。その瞳は怒りを伴い、じっとりと睨み付けてくる。呪いの言葉に呼応するかのように少女の周りに黒い靄が集まって来て、次第にそれは大蛇のように細長く形を作っていった。そして、その靄は銀色に輝く鱗を持った大蛇に足をつけたような姿の水龍に変貌した。
「クク!」
 ニタが女性に気付かれないように、その隙間を掻い潜って、クグレックの元まで近寄り、手を取った。そして、トリコ兄弟のところまでもどる。
「ニタ!」
 女性はクグレックのことを睨み付けながら、ぶつぶつと呪詛を吐く。その傍らに突如出現した銀の鱗を持つ水龍は、女性を守るかのように宙に浮かんでいる。
 水龍は一度激しく尾を動かせば、大きな波を発生させた。至近距離で発生した背丈の倍もある波に対して、4人は逃げることも出来ずにその場にとどまることしかできなかった。
 そして、あっけなく波にのまれ、洞窟の奥へと4人は流された。
 クグレックはニタと手を繋いでいたが、押し寄せる波に剥がされた。ニタとクグレックは何度も手を伸ばすが、届かない。小さくて体重の軽いニタはあっという間に先の方へと流されてしまう。
「ハッシュ、ククとディッシュを任せた―!」
 ニタはそう言い残して、流されてしまった。
 クグレックはバタバタともがきながらなんとか水面に顔を出すが、泳ぎ方の知らない彼女は無駄に体力を使うばかりであった。服もぐっしょりと濡れ重みで沈んでしまいそうだ。クグレックはもがくことをを諦めかけた時、身体をハッシュに抱えられた。
「俺に抱き着いとけ。」
 クグレックは死に物狂いで、ハッシュに抱き着いた。
「兄貴もこっちだ!」
 ハッシュはクグレックに抱き着かれたまま、ディレィッシュへと手を伸ばす。
 が、そこへ現れたのは水龍の背に乗った白袴の女性だ。水龍が尾を振り上げ、ディレィッシュに一撃を喰らわせる。「ぎゃ!」とディレィッシュは叫び声をあげ、濁流の中に流されていった。
「兄貴!クソ!」
「ディレィッシュ!」
 先に流されたニタは運動神経が抜群に優れているのでなんとかなるであろうが、ディレィッシュの場合は一抹の不安がよぎる。だが、もうどうしようもないことをハッシュは受け入れ、離れ無いようにぎゅっとクグレックの腰に右腕を回して、波に流された。この洞窟を抜ければドラゴンがいるという山頂に近付くとティアが言っていた。奇跡さえ起これば、皆そこで合流することが可能だ。
「クグレック、絶対に離すなよ。」
「…うん…!」
 声を発するのもしんどかったが、クグレックは根性で声を出した。必死にハッシュの熱い胸板にぎゅうとしがみつく。

 2016_08_29



 食事を終えると、魔力疲弊の残るクグレックは簡易テントで就寝した。クグレックはこのメンバーの中でも一番の要である。今ここで疲れを抜いておいて、魔物スポットやドラゴンと対峙した時に力を振る舞わなければいけないからだ。
 残りはまだ就寝せずに、今宵の見張りの順番を決める。魔物スポットを破壊して安全が確保されたが、いつ別の魔物スポットから出現した魔物がやって来るか分からない。
「全部、アタシが見てても構わないけど…。」
「一睡もしないでドラゴンに挑むのか?少しでも休めよ。女性なんだし、肌に悪いぞ。」
 一晩見張りを行おうとするティアにディレィッシュが待ったをかける。
 そうして見張りの順番はティア、ハッシュ、ディレィッシュ、ニタの順になった。
 テントではクグレックとティアとニタが眠り、外の焚火の周りではトリコ兄弟が寝袋に包まれて睡眠をとる。
 ティアの見張りの時間が終わり、ハッシュの番となった。ハッシュはティアと共に起きていたので、引き続き火の番をしながら周りを警戒する。ディレィッシュも一緒に起きていたので二人はひそひそと会話をする。
「ハッシュ、寝てていいぞ。私は…、その、…あまり眠れないんだ。」
 ぼんやりと火を見つめながら話すディレィッシュ。ハッシュはその姿を見つめながら、ちくりと心が痛んだ。彼の兄は元々あまり眠らない。寝る時間を惜しんでなのか、眠れないからその余った時間を費やすためなのかは分からないが、その起きている時間で研究に勤しんでいたのだ。
 それは、魔のせいだったのかもしれない。
 ハッシュは、彼の兄が眠れなくて苦しんでいるのをトリコ王国時代から知っていたので、なんだかやるせない気持ちでいた。
「それに、私は御山ではどうにも役に立てないようだから、せめて弟の睡眠くらい取らせてくれ、な。」
 そう言って微笑みかける兄に、ハッシュは仕方なしに寝袋に入り横たえ、目を閉じた。
 瘴気の中魔物を倒しながら山を登って来たことが、流石のハッシュでも体力を使っていたらしく、目を閉じればすぐに眠気が襲ってきた。
 ディレィッシュは弟の落ち着いた規則正しい寝息が聞こえてくると、安心した表情で紅茶を啜った。トリコ王国を出てからは機械いじりも研究も何もせずに夜を明かすことが多くなった。それは、開放的なものでもあったが、どこか物足りなさもあった。やはり、機械いじりは彼にとって、手放し難いものだった。
 彼は自分の荷物を漁り、手慰みになるような何かを探す。

********

 ディレィッシュははっとした。
 見張り中だったのに、意識が飛んでしまっていた。
 眠気を覚ますかのように頭をぶんぶん振って周りを見渡し、周りを確認する。
 幸運なことに、洞窟内には焚火の薪が爆ぜる音とハッシュの規則的な寝息だけが響いている。
 ディレィッシュはほっと安心して、立ち上がり、ぐうんと背を伸ばした。
「はぁ。暇だな。」
 ぽつりとディレィッシュは呟いた。すると、その呟きに返事をするかのように
「そうなの?」
と言う女性の声が聞こえた。
 ディレィッシュはてっきりテントの女性陣が答えてくれたのかと思い、ちらりとテントの方を見遣ったが誰も外には出てきていなかった。
 ディレィッシュは首を傾げた。
 不思議に思いながらも、テントの中の起きている誰かに向かって声をかけてみる。
「…だれか、起きたのか?」
 しかし、テントの中からは返事は帰って来ない。
 一体なんなんだ、と思いながら、ディレィッシュは再び焚火の方へ視線を戻すと、「うわ」と声を出してびっくりした。
 焚火を挟んで向こう側に、見たこともない女性がしゃがんでいるのだ。鴉の濡れ羽のような真っ黒のおかっぱの髪型で、白い袴を着た女の子だ。クグレックよりも若く、12、3歳くらいの女の子だった。幽霊に見間違えてしまうほど、生気がないように感じられる。彼女は頬杖を付きながら、ディレィッシュを見つめていた。
 ディレィッシュはたじろぎながらも「き、きみはいつからここに…?」と尋ねた。
 少女はじっとディレィッシュを見つめた後静かに口を開いた。
「どうしてそんなことを聞くの?」
「ど、どうしてって、突然君が現れたように見えたから、びっくりして。」
 少女は相変わらず無表情だったが、彼女が纏っていた空気がピリッと張り詰める。ディレィッシュは失礼なことを言ってしまったのかと思い、敢えて表情を緩ませ、笑顔を見せた。
 少女はそれに応じることなく、再び口を開いた。
「山の上のドラゴンは、苦しんでる。早く助けてあげて。」
「狂暴なはずのドラゴンが苦しんでいる?どういうことだ?」
「膨れ上がった魔の力に囚われて、自身を失いかけてる。」
「魔…。」
「追い出してあげて。彼はあなたたちをアルトフールへ導いてくれる。」
「アルトフール…!」
 ディレィッシュは驚いた様子で目の前の少女を見つめた。目の前の幽霊みたいな謎の少女は、ディレィッシュ達が知りたい情報を知っているようだ。
「君は、一体…。」
 かすれた声でディレィッシュは尋ねたが、少女は返事をしない。
 それどころかディレィッシュは強烈な眠気に襲われ、次第に意識を手放した。
 2016_08_26



 早朝からずっと登り続けているが、瘴気の靄は一向に薄くなる気配はなかった。太陽の姿を見ることもないままどんよりとした御山を進む。そろそろ暗くなり始めて来た。
「もうちょっとで今日の目標の場所の洞窟に辿り着くわ。ただ、そこには沢山の魔物がいる可能性が高いから、気を付けて。」
 一番前を進んでいたティアが立ち止り、ハッシュまで到着するのを確認してから、全員に向けて発信した。
 先へ進むにつれ、瘴気が濃くなってくる。クグレックの場所からニタを確認することが出来ないくらいに霧が濃くなっている。クグレックは一抹の不安を覚えながらも、ディレィッシュの背中を見つめながら前に進む。その間、魔物も出現した。あっという間に追い払えるものの、その出現間隔は徐々に狭くなって来ている。敵地へと進んでいるということが実感できた。
 程なくして、洞窟の目の前まで到達した。
 そして、ニタ達は目を疑った。そこには今までの魔物の出現からは想像が出来ない程の多くの魔物たちがひしめき合っていたからだ。沢山の黒い生き物たちがぼんやりと佇んでいる。ニタ達は思わず声に出してしまいそうなところをティアに抑えられ、少し離れた草陰から、間合いを取る。
「一体一体の魔物はそれほどの力もないけど、それでも沢山の魔物たちが相手では厄介よ。」
 ティアが声を潜めて言った。
「まずはクグレックの魔法で一気にやっつけましょう。それから、魔物たちはこちらに向かってくるから、私とニタとハッシュで一掃するわ。クグレックとディレィッシュはここで荷物を守ってて。」
「分かった。」
 クグレックは力強く頷くと、杖に魔力を集中させた。
 先程の魔法を広範囲に放つことが出来れば、多くの魔物を相当することが出来るだろう。クグレックは魔力の動きをイメージしながら、杖を構え詠唱を始めた。
「レーゲスト・ディア・ライアモ・フルオトリテ!」
 周りの瘴気を取り込みつつ、杖からは雷撃を伴ったダイヤの様に鋭利なこぶし大の魔力結晶体が魔物の群れへ5つ程連射された。魔力結晶体は魔物の群れの中で一時停止したかと思うと、すぐに炸裂し、更に鋭くなった無数の魔力結晶体のかけらが魔物達を貫く。
 ぎゃぁ、という断末魔の叫びが聞こえ、群れの何体かは霧となって四散した。それでも魔物はまだまだ沢山残っており、クグレックたちの存在に気付いた魔物たちは一斉に襲い掛かって来る。
 ティア達も駆け出し、魔物の群れに突撃する。
「うりゃーーー!」
 まるで虫けらを捻り潰すかのように、魔物達を倒すティア。その表情は楽しそうでどこか恍惚としていた。一体あんな華奢な体のどこからニタと同等以上の攻撃を繰り出すことが出来るのか。ニタもニタで、ティアと同様に楽しそうに魔物に攻撃を加えている。ペポ族の戦士としての血が疼くのだろう。可憐な体躯から繰り出される強烈なパンチで魔物をなぎ倒す。
 一方、ハッシュは冷静さを保ったまま、戦いに夢中になるティアとニタが取りこぼした魔物を倒していた。そのおかげで、クグレックたち荷物番の元には魔物が来ない。
 あっという間に洞窟前の魔物たちは一掃された。
 そして、そのあとには、直径50cm程の黒い球体の靄が残っていた。黒い靄は呼吸をしているかのようにシューシューと音を立てて、膨張と収縮を繰り返している。
「うん?なんだあれ?」
 ニタが首を傾げながら呟いた。
「あれは、魔物スポットよ。」
 ティアが答えた。
「魔物スポット?なにそれ。」
「魔物が生み出される場所。これがあるから、魔物が出て来るの。」
 魔物スポットと呼ばれる黒い靄は、シューシューと音を立てながら、赤黒く輝き始める。クグレックがやったように、周りの瘴気を取り込みながら球体型の靄は膨張していく。まるで鼓動の様に赤黒い輝きは激しく点滅する。2倍くらいに拡大すると、一体の植物型の魔物が出現した。靄は先ほどの50cm程の球体に戻り、再び落ち着いた。が。すぐに赤黒く輝き始め、膨張と収縮を繰り返す。
「本当だ。うまれた…。」
「今まで倒してきた魔物はここから生まれたものね。生まれたばかりの魔物だったから、弱かったみたい。」
 と、言いながら、ティアは新しく生まれた魔物を蹴り飛ばす。魔物は瞬時に霞となってかききえた。
「とはいえ、この魔物スポット、結構な勢いで魔物を生み出しちゃうから、壊さなきゃいけないわ。」
「どうやって?」
「魔に近い力で打ち消せば壊れるわ。」
「じゃぁ、ククの出番だ!」
 クグレックは皆の期待に応えようと大きく頷き、真剣な表情で両手で杖を掲げる。
「魔物スポットを越える魔力で打ち壊して!」
 分かった、と言わんばかりに、クグレックはティアを見つめて大きく頷いた。
 先程使った魔力結晶体を放つ魔法では、多くの魔物を生み出す魔物スポットの力を凌駕することは出来なさそうである。それならば、クグレックはこの魔物スポットを拒絶するのみ。今晩はこの魔物スポットの後方に存在する洞窟で休まなければならない。そのためには魔物を生み出す魔物スポットは邪魔だ。
 トリコ王国や色んな所で発現された拒絶の力をここで発揮する。
「ヨケ・キリプルク!」
 それは詠唱となって、クグレックの支配下に統率される。杖からは雷のような雷撃がバチバチと音を立てて出現し、魔物スポットに向かって放たれた。杖からは雷撃が断続的に放たれ続け、光と激しい音と共に魔物スポットにダメージを与える。
 そして、しばらくすると、魔物スポットはバリンと音を立てて砕け散り、跡形もなく消滅した。
 同時にまわりの瘴気も和らぎ、視界がはっきりとしてきた。辺りは夕闇が広がり、橙色に染まっている。
 クグレックは汗だくになり、息を切らしていた。それなりの魔力が消費され、倒れて意識を失うほどではないが、疲れがどっとやって来た。
「流石、クク!」
「やったわね!洞窟で休めるわ!」
 ニタとティアは手を取り合って喜んだ。
 クグレックはその様子を見て、ふと笑みを浮かべた。皆の役に立てたことが嬉しかった。
「さすが、クグレックだな。…トリコ王国に居た時よりも、魔法の威力が上がっているように感じる。」
 ディレィッシュが言った。
「…うん、私も、そんな気がする。」
 はぁはぁと肩で息をし、額から落ちる汗を腕で拭いながら、クグレックもディレィッシュの意見に同意した。この霊峰御山に充満する瘴気がクグレックを強くしているのか、もしくは成長によるものなのか。
「さ、行こうぜ。」
 ハッシュが軽々と全員分の荷物を担ぎ、一行は休憩地点である洞窟で休むこととなった。

********

 洞窟の中は広かった。奥まで空間が続いているようだが一行は入り口付近で火を起こし、体を休める。簡易テントもこしらえた。
 魔物スポットを破壊したクグレックは魔力疲弊が起きているため、火の魔法を使う以外は特に何もせず、座って食事や就寝の準備を見ているだけだった。
 食事は麓の集落からティアが持って来た非常食だった。大して美味しくはなかったが、野生動物を食べるよりは全然ましであった。きちんと穀物もあるし、肉もある。デザートもあったので、外でとる食事にしてはそれなりに豪華だった。
「ドラゴンのところまではあと少しよ。この洞窟の先を進めば到着する予定。ただ、ドラゴンの近くの魔物は強いから、気を付けてね。」
 豪快に肉にむしゃぶりつきながらティアが言った。
「ニタ、ドラゴン見るの初めてだから、ドキドキする。」
「私もだ。」
 ニタとディレィッシュが言った。
「ティア、その、ドラゴンってどんな奴なんだ?ティア自身は見たことはあるのか?」
 ハッシュが尋ねた。
「えっと…、分からないわ。見たことはないの。御山登山に来た生存者が言ってたのを聞いただけだから、詳しくは分からない。ただ、その、人伝えに聞いた話だと、その大きさは私達人間の5倍くらいはある真っ黒な大きなドラゴンだって。火を吐いたりするらしくて、…多くの登山者が殺されたみたい。」
「ハンターも登ったのか?」
「…うん。でも、ハンターの人は皆、戻って来なかった。」
「ドラゴンに、殺されたのか…。」
「それか、周辺の魔物に。」
 会話を聞いていたクグレックの顔が青ざめていく。ニタがクグレックの様子に気付き、
「クク、大丈夫だよ。ククはニタが守るし、それに、クク自身にも強力な魔法がついている。安心してよ。」
と声をかけた。
「うん。大丈夫。このメンバーなら、私も行けると思うの。だから、安心して。」
 ティアもにっこりとクグレックに微笑みかける。クグレックは幾分心が和らいだ。
「ところでティア、その山頂に住むドラゴンはこの御山の希少種とかそういう類なのか?」
 ディレィッシュが尋ねた。
「…いいえ。御山にはドラゴンははいないはず。だから、山頂のドラゴンは外来のものよ。」
「そうか…。どこから来たんだろうな?」
「…分からないけど…、瘴気が発生して、登山者の被害が出始めたのは昨年の11月中旬くらいだったわ。」
 ディレィッシュの眉毛がピクリと動いた。
「ふーむ。…まぁ、色々探ってもキリがないな。」
「なにか心当たりがあるのか?」
 ハッシュが尋ねた。ディレィッシュは頭を横に振って
「いーや、何にも。」
と、あっけらかんとした様子で答えるのだった。


 2016_08_25


 それから、魔物を数体ほど倒しながら5人は頂上を目指す。倒すのは勿論ティアとマシアスとニタの3人だ。クグレックとディレィッシュは3人の後で荷物を守る。
 目の前のディレィッシュはそろそろ疲れてへばって来るであろう頃だと思っていたが、以外にも頑張っている。クグレックは瘴気で具合が悪くて、登るのも一杯一杯だというのに、なんだか裏切られたような心地でいた。
 クグレックの落ち込みぶりは後姿からでもハッシュが気付いたのだろうか、ハッシュはクグレックの隣に着いた。
「どうした?具合、しんどいのか?」
 クグレックは訴えかけるようにハッシュを見つめるも、首を横に振った。
「…みんな平気で山に登れるし、魔物とも戦えるし、私、全然だめだなって。」
 クグレックの不安は言の葉となって零れ落ちる。
「疲れたか?魔物と戦うのは、怖いか?」
 ハッシュの問いにクグレックは静かに頷いた。正直、魔物と戦うのは怖かった。
「こういう山登りも初めてだろ。しんどいのは仕方がない。瘴気ってやつで、クグレックの体調もあまり良くないんだろ?それに、お前は魔女とはいえ、ただの女の子だ。普通の女の子なら、ニタやティアみたいに嬉々として戦うことはないし、俺達でまだ全然余裕だ。別に戦えないことくらい、なんの問題もない。いざとなった時に魔法の力で助けてくれればいい。ずっとそうだったろう。」
「ずっと?」
「ずっと、ってほどいたわけではないけれども、ポルカでもトリコでも最後はお前が俺達を助けてくれたじゃないか。クグレックはクグレックのペースで良い。クグレックなら、瘴気の影響も時期に和らぐってティアも言ってたし、自分を責める必要はないだろ。」
 そう言って、ハッシュはぽんとクグレックの頭に手を置く。大きくてがっしりとしたハッシュの手に、クグレックは不思議と瘴気による具合の悪さが和らぐような心地がした。
「とはいえ、ティアのペースには合わせなければいけない。日没までに目的の洞窟までたどり着けないと、暗闇の中進むことになって非常に危険だ。なんとか頑張ろう。」
 クグレックはこくりと頷く。ハッシュの言葉は挫けそうだったクグレックの心を救い上げてくれた。クグレックはハッシュのことをぶっきらぼうな性格だと思い込んでいたが、案外優しいところがあるのだなと思い直した。
 それからしばらく、ハッシュはクグレックの隣について進んだ。クグレックは疲労と体調不良で何度も挫けそうになったが、そばにハッシュがいてくれたことで、なんとか頑張ろうという気になった。

 と、その時、再び戦闘を行くティアから魔物の出現が告げられる。例に習って、ハッシュがクグレックとディレィッシュを追い越して、前衛のティアとニタの元へ駆け寄る。その後をディレィッシュとクグレックが追う。
 今度の魔物は人の大きさの黒い靄であった。何の形かと形容することが出来ない、ただの黒い靄である。
 通常通り、ニタとティアとハッシュの3人が戦闘態勢を取りながら、魔物へ近付く。
 その後ろにただ潜むディレィッシュとクグレック。だが、クグレックはハッシュとの会話により瘴気の影響が軽減され、魔法を使う余裕も出て来た。杖をぎゅっと握りしめ、意識を集中させる。
 クグレックを中心に静電気がパチパチと発生し、瘴気もクグレックに吸い込まれていく。
 瘴気は悪い空気であるが、性質的には魔と似たようなものである。クグレックは初めての瘴気に体も精神もやられてしまったが、本来であれば、魔を扱う魔女と瘴気の愛称は悪いわけではなかった。御山の麓の集落についてからクグレックはそぞろな気持ちを感じていたわけだが、不安だけでなく、どこかに何かを期待する感覚もわずかながらに存在した。それこそが魔力の増長だったのかもしれない。
「レーゲスト・ダ・ライアモ!」
 クグレックの周りの瘴気が彼女に集中すると、杖から雷撃を伴ったダイヤの様に鋭利なこぶし大の魔力結晶体が魔物へ向かう。魔力結晶体はザクザクッと魔物に突き刺さり、魔物は苦しそうに低いうめき声をあげ、四散した。。
 突撃しようとした3人は呆気にとられた様子で立ち止り、後方にいるクグレックに振り返る。
 そこには満足そうな表情をしたクグレックがいた。
「クク…。新しい魔法?」
 ニタが尋ねた。
「うん。なんだか使えそうな気がして、やってみたの。」
 嬉しそうににっこりと微笑むクグレック。一発魔法を打ち込んだら瘴気の影響は吹き飛び、すっきりとした気持ちになった。
「クグレック、やったわね!」
 ティアが言った。
「魔女の力、強くなったわね!」
「どういうことですか?」
「瘴気の力で、魔力が強くなっているのよ。瘴気は魔を呼ぶ。勿論、魔女のあなたの魔の力も呼応したの。慣れるまで時間はかかったけどね。」
「クク強い!」
 クグレックはなんとも言えない充足感を得て、自身が握る杖を見つめた。自分の力で魔物を追い払うことが出来たこと、新たな魔法が生み出せたことが嬉しかった。
「ティア、私も、こうやって覚醒するのか?」
 ディレィッシュもどこか期待を胸にしながらティアに尋ねる。が、ティアはきっぱりと
「いいえ。」
と否定した。
「なぜだ!」
「別にディレィッシュは魔法使いじゃないでしょ。」
「そうだ。もはや住所不定の無職だ。」
「でも、マヌケだから、瘴気がマヌケで不足してしまった分を補っているはずよ。」
「ティア、今私のことをマヌケと言ったか?」
「ええ。マヌケだもの。」
「ハッシュにアホとかバカは言われたことがあったが、マヌケは初めてだ!」
「…は?何言ってんの?」
 ティアはきょとんとして首を傾げる。が、すぐに自身の発言に気付き「あぁ」と軽い様子で話を続けた。
「マヌケって、悪口じゃないわよ。魔が抜けた人のことを指すのよ。魔抜け。ディッシュ、最近まで魔に憑かれてたでしょ。」
 ディレィッシュはハッとしてティアを見つめた。ティアにはまだディレィッシュ自身の身の上を話していなかった。なのに、目の前の美女はそれを知っていた。腹の中で潜んでいた魔がつい先日、彼の中から消滅したということを。
 ティアはディレィッシュの警戒心を解くかのようににっこりと微笑む。
「私、ディッシュの魔が抜けた以上のことしか分からないわ。」
「…なんで、そんなに魔について詳しいんだ?」
 ディレィッシュが尋ねる。
「…えっと、私のこの武闘の師匠がね、悪魔祓いやってて、一緒に世界を放浪してたの。私もずっとそれに着いて行ってたから、魔に対して感覚が鋭くなったのよ。だから、クグレックが魔法使う人なんだなって言うのはあの集落に入ってきた時から分かったし、ディレィッシュのことも魔抜けだってことはあってすぐに分かったわ。」
「なるほど。…もっと早くティアに会っていたら、人生が変わっただろうか。」
「それはどうだか分からないわ。私自身は悪魔祓いは得意じゃないし。」
「…そうだな。未来志向でいこう。」
「えぇ、今のあなたなら、魔抜けの分を瘴気が補ってくれてるから、体力も増えてるし、頑丈になってるはずよ。」
「…そうか。」
 そして、一行は再び登山を再開した。
 2016_08_24


********

 それから3日が経った。本来であるならば昨日出発予定だったが、登山準備に時間がかかってしまったのだ。
 朝日も曇り空に隠れて薄靄漂う早朝に、登山準備をした5人が集落を進む。
「私、皆強い人達だと思ってたから日帰りでも大丈夫って思ってたけど、ククもディッシュも登山は初めてだなんて思わなかったわ。途中に洞窟があるから、そこで一晩過ごして、ドラゴン退治だからね。もう、準備に時間がかかっちゃった。」
「ニタはティアが誰もが皆登山をしたことあると思いこんでる方がびっくりだ。ディッシュはともかくククみたいな子が登山になれてると思う?」
「思ってた!」
「ティア、君は頭弱いよね!」
 ニタが呆れたように言った。直情的なティアはその言葉に頭にカッと血が上る。
「何ですって!」
「まぁまぁ、二人とも。アルトフールのためには私もクグレックも山に登らないといけないんだ。ティアならばしっかり頂上まで案内してくれると信じている。な、クグレック。」
 ディレィッシュはぽんとクグレックの方を叩く。
「は、はい。私も、足手まといにならないように頑張って山を登るし、魔物やドラゴンもしっかり倒します。」
 杖をぎゅっと握って動作でも意思を表明するクグレック。そんな健気なクグレックにティアは絆され、ぷりぷり苛立つ様子も収まった。
「ククが頑張るってなら、私も張り切らなくちゃね。さぁ、頑張るわよ!」
「おー!」
 元気に返事をしたのはニタとディレィッシュだった。クグレックも恥ずかしながら返事をした。ハッシュはやれやれというような表情で4人を見ていた。
 5人の目の前にそびえ立つ御山は本来ならば神聖な姿であるはずなのに、早朝のぴりりとした冷たさと曇天という天気の悪さも相まって、どこか禍々しい雰囲気を放っていた。山頂付近は靄に囲まれて見ることが叶わない。狂暴なドラゴンと魔物に支配されてしまった御山は果たして5人に希望を与えるのか。
 ティアの後を着いて行きながら、4人は霊峰御山に足を踏み入れた。
 すると、その瞬間であった。
「う!」
 ニタがくぐもった声を上げた。ニタは苦しげな表情で一歩一歩足を進める。
 クグレックはいつもと違う様子のニタに不安を感じた。だが、クグレックも御山に足を踏み入れてから、ずっと背筋に悪寒を感じていた。麓の集落に到着してから感じていた不安定な気持ちがより強くなったようなのだ。
 その様子に気が付いたティアは振り返ってニタとクグレックを見つめた。そして、4人に向かって声をかけた。
「4人とも、具合は大丈夫?なんか気持ち悪いとか嫌な気分がするとか、そういうの、ない?」
 ニタは周りをみる。ニタのことなので誰かが何かを言わない限り、弱音を吐こうとはしないだろう。
「クグレック、大丈夫か?ニタも変だけど、お前も顔色が悪いぞ。」
 ハッシュが声をかけた。
「…わかんない。なんか麓の村にいた時から変な感覚はしてたんだけど。」
「ティア、これはもしかして瘴気ってやつか?」
 ディレィッシュが尋ねた。
「あら、良く分かったわね。」
 目を細めながら、ティアが答えた。
「そうよ。瘴気。本来の御山には瘴気なんてもの、存在しないんだけどね。そうとうやられてるのよ。御山は今。だから、手慣れたハンター以外には頼めないの。ディレィッシュとハッシュは大丈夫なの?」
「私は、…少しだけ頭が重いが、大丈夫だ。」
「ハッシュは?」
 ハッシュは3人を眺めた後、困ったように頭をかき
「いや、俺は何も感じない。至って普通だ。」
と答えた。ティアはふ、と口元を歪めると「さすがハンターさんね。」と言って妖艶な笑みを浮かべた。
「しょ、しょうきって何?」
 具合が悪そうな様子でニタが尋ねた。ティアは妖艶な笑みをうかべたまま説明を始めた。
「悪い空気のこと。今は御山は狂暴なドラゴンが支配しているから、そのドラゴンが発しているの。瘴気から魔物は生まれるし、身体だけでなく、精神にまであまり良くない影響を及ぼすわ。多分、ニタは自然と共に生きて来たであろう希少種だから、一番合わない空気だと思うわ。しんどいでしょう。」
「む、そんなことない、と言いたいんだけど、結構しんどい。これ、どうにかなんないの?」
 へたりと座り込むニタ。
 ティアはごそごそと鞄を漁り、小さな小瓶を取り出した。そして、その蓋を開け、中からひとかけらの金平糖にも似た直径2cm程のキラキラした透明なものを取り出した。そして、一番具合の悪そうなニタに近付き、そっと差し出す。
「白魔女から貰った酔い止めならぬ瘴気止め。個体によって効能はまちまちだから、効くかどうか分からないけど。舐めてれば大丈夫。」
「ありがとう。」
 ニタは安心した様子で瘴気止めを受け取り頬張った。瘴気止めは金平糖の様に甘い味もするが、薄荷の味も効いていてスースーした。瘴気によって重くなったニタの身体と気持ちが一気に軽くなった。
「…白魔女、知っているのか?」
 ハッシュが尋ねた。白魔女とはリタルダンド共和国のどこかにあるという白魔術師の隠れ里出身の治癒術の天才だ。同国のポルカという村では、白魔女が原料集めに立ち寄る村であり彼女の秘薬で村人の健康が維持されていた。さらにかつてハッシュが負った銃創はポルカの村が所蔵していた白魔女の秘薬で治った。
「古くからの知り合いなんだけどね、別に仲が良いってわけじゃないわ。あんな性格ブスのクソ女。ハッシュこそ、白魔女と会ったことあるの?」
「リタルダンド共和国に行ったときに一度だけ、会ったことがある。蛇のように狡猾な女だったな。あのディッシュさえも手を出そうとしなかった。」
「それで正解。あの女にはあまり深くまで関わらない方が良いのよ。」
 と、ティアは白魔女に対して冷たく言い捨てた。
 その横で、薬が効いて来たニタが立ち上がり、ウォーミングアップを始めているのに気付いたティアは「じゃ、ニタも元気になったことだから、出発しましょうか。」と言って、歩き始めた。
 が、ディレィッシュがそれを止めた。
「ちょっと待ってくれ。私とクグレックにはその薬、くれないのか。」
 ティアは振り返り、にっこりと微笑んでこくりと頷いた。
「残念ながら、この薬は貴方たちには効かないの。ディッシュはともかく、クグレックはちょっと辛いけど、頑張って。」
「何故私の心配はしてくれない!」
 ディレィッシュの嘆きをティアは無視して、5人は御山登山を始めた。
 御山には現在魔物も存在するので、ティアを先頭にニタ、ディレィッシュ、クク、ハッシュの順番で隊列を組み、進んで行った。御山は瘴気なのか自然発生した霧に包まれているせいなのか、数メートル先で靄がかってしまい、視界が非常に悪い状態だった。迷子にならないようにそれぞれが背負っているリュックサックにロープを括り付けて歩みを進める。
 クグレックは瘴気の影響を受け、体調が優れなかった。杖を突きながら歩いていたので、杖の存在が物理的にこれほど心強く思えたことはない。頭の中ではティアが何故薬をくれなかったのかということをずっと気にしていた。ティアはサバサバした人間なので、好き嫌いがはっきりとしている。クグレックとディレィッシュは体力がない人間だからあまり好きではないのかもしれない、とクグレックは考え、悲しい気持ちに陥っていた。
「クグレック、大丈夫か?」
 ニタよりも落ち着きがあるという理由から殿を務めるハッシュがクグレックに声をかける。
 クグレックは杖を突きながら、「うん。」と頷いた。
 本当は全然大丈夫じゃない。ドキドキ動悸はするし、頭も痛いし、気持ち悪い。しかも、瘴気はどんどん濃度を増していくので、症状は徐々に酷くなる。
 と、その時だった。先頭を進むティアが大きな声で叫んだ。
「魔物よ!」
 その声に応じて、ハッシュは真剣な表情に変わる。ロープを辿って、前方を行くニタとティアに合流した。少し遅れて、クグレックとディレィッシュも3人の後ろに合流した。
 3人の背に守られながら、クグレックが見た魔物の姿は真っ黒な姿をした大きな蜘蛛の様な多くの節足を持った生き物だった。黒色をした個体なのかと思いきや、よく見れば縁のあたりは靄がかっている。黒い靄の集合体であるようだ。
 クグレックは魔物を前にして背筋がゾクゾクとした。それは恐怖が大半を占めていたが、どこかに期待があった。瘴気による具合の悪さはどこかに行ってしまうようだった。
 クグレックは杖を握りしめ、目の前のティア達同様臨戦態勢を取る。
「ニタ、魔物と戦うのは初めて?」
「多分。」
「あいつ、もやもやしてるけど、殴れるから。」
「おう!」
「ハッシュは余裕だよね。」
「あぁ。」
「じゃ、行くよ!」
 3人は魔物に向かって駆け出し、魔物に攻撃を加えた。ニタの力強い拳、ハッシュの強烈な蹴り、ティアの音速の拳が蜘蛛型の魔物を襲う。強力な攻撃を受けた魔物は状態を維持することが出来ずに霞の様にかき消えた。もうそこには何の跡形も残っていなかった。
「ヘーイ!」
 ティアはニタとハイタッチをかわす。ティアはハッシュにもハイタッチを求め、手を掲げた。ハッシュはやれやれというように、ティアの手を叩く。更に後衛にいたクグレックとディレィッシュにもハイタッチをした。ニタもティアの後をついて、クグレックとディレィッシュとも手を叩きあった。ディレィッシュは嬉しそうにノリノリで、その気ではないハッシュにもハイタッチを求めたが、ハッシュは「別に良いだろ」と言ってそれを拒否した。
 2016_08_23


********

 それから、1週間ほど野宿を繰り返し、4人は霊峰御山の麓までやって来た。
 ディレィッシュは初めての野宿生活で戸惑うことも多々あったが、案外適応するのは早かった。食事に関するニタからの洗礼も、ディレィッシュは怯むことなく喜んでいた。コンタイ国は野生動物が沢山いたので、食料調達は北国のドルセード王国やリタルダンド共和国よりも楽だというのがニタの弁。
 一方でクグレックは未だにニタの野外料理には慣れなかった。ディレィッシュはもともと王様だったので流石に野蛮な料理は口に合わないだろうと思っていたが、彼はなんでも美味しく喜んで食べた。クグレックは出し抜かれたような心地がして寂しかった。ちなみに弟のハッシュも平気な顔で食べており、慣れてくればニタと狩りに向かうようにもなっていた。
 霊峰御山の麓の集落は登山者が多く訪れる拠点だとディレィッシュが言っていたが、思っていたよりも人はいなかった。むしろ、閑散として寂れていた。
 この集落では簡素な作りの小さなトタン張りの平屋がひっきりなしに多く立ち並んでいた。壁にはカラフルな布が垂れ下がっており、色鮮やかである。後ほど現地の住民に聞いて分かったことだが、これは御山登山者が登頂に成功し、光を見出した者が残した布である。新しいものから、刷り切れてボロボロになった布まで多くの布がひらひらと棚引いていた。
 4人は、集落の中でも一番大きな宿に泊まった。大きさで宿を選んだわけではないが、たまたま一番最初に立ち寄った宿が一番大きな宿であった、というだけのことだ。それに、この宿が大きい理由は、酒場が併設されているからである。
 クグレックは着いて早々シャワーを浴びた。夕食まで時間があったので、仮眠もとった。初期の頃よりも僅かばかりに野宿生活も慣れて来つつあったが、やはり、温かいお湯で身を清め、ふかふかのベッドで眠ることは何にも替え難い。実際はそこまでふかふかではないぺったんこベッドだったが、堅い地べたに寝袋で眠るよりは格別に良い。
 しかしながら、クグレックはこの麓の集落に着いてからと言うものの、なんだかそぞろな気持ちを感じていた。何かがそわそわするのだ。野宿で疲れた体だったが、仮眠を取っても、夕食の時間まで爆睡することはなかった。怖い様な、わくわくするような、畏れるような、不思議な感覚がクグレックを包んでいた。
 
 夕食は併設されている酒場で取ることとなった。
 ポルカの宿屋を彷彿とさせるが、ポルカの宿屋ほど清潔なテーブルでもないし、食べ物もそこまで美味しいものではない。だが、野生動物の丸焼きよりは全然美味しいので、クグレックも安心して口に運ぶことが出来た。
 外と同じように酒場は閑散としていた。本来であれば情報交流の場として多くの人達で賑わうのだが、今酒場にいるのはクグレックたちと2組の客だけだった。テーブルは沢山あるというのに、がらんとしている。
 と、そこへ、二人の美しい女性とギターを持った男性が現れた。綺麗な衣装を身に纏った女性だった。一人はふわふわのブロンドヘアで花の妖精のように可憐な女性で、もう一人は黒髪ロングでスタイルの良い凛とした女性。観客はわずかしかいないが、ギターの音楽に乗せて彼女たちは魅惑的な踊りを披露した。
「素晴らしい!トリコ王国のヴェールダンスも素晴らしいが、彼女たちの踊りも素晴らしい。」
 ディレィッシュは一人立ち上がり、大きな拍手を贈った。踊り子たちは満更でもなく嬉しそうな様子だった。
 そして、彼女たちはそのままクグレックたちのテーブルに降り立った。通常ならばパフォーマンスが終わればすぐに引っ込むのだが、客があまりにも少ないからという理由で降りて来たのだ。黒髪の女性はティア、ブロンドの女性はリマといった。
「それにしても、あなた達、こんな物騒な時に何しに来たの?」
 黒髪ロングの女性、ティアが言った。
「御山に登りたいの。」
 ニタが答えた。
 ティアはきょとんとした表情でニタを見つめた。
「…あなた達、ハンターなの?」
「え、えっと、ハッシュはハンターだよ。」
「そうなの!?」
 ティアの表情が明るくなった。「あなたがハンターね!」と言って、嬉しそうにハッシュの手を握る。
「それが一体何なんだ?」
 戸惑いながら、ハッシュが尋ねた。ティアは目を輝かせて話し始めた。
「あのね、今、御山に狂暴なドラゴンが住み着いてて、御山には立入禁止になってるの。そのせいで登山者も激減しちゃって、私達の集落の商売も上がったりで。狂暴なドラゴンの影響か、魔物も狂暴になっちゃって。結構危険な任務になるから、ハンターじゃないと依頼できなくて…。」
「…」
 ハッシュは困った表情で押し黙った。実はハッシュはハンターではないのだ。ポルカではハンターとして雇われていたが、あれはランダムサンプリとの停戦協定を結ぶための任務の1つで、ハンター免許証は偽造したものだった。ディレィッシュもそのことは把握しているが、目の前のティアを見ては真実を打ち明けることが憚れる。
「ドラゴン退治!ニタ、ハンターじゃないけど、強い奴と戦ってみたい!ティア、ペポ族の戦士って知ってる?結構強いんだよ!」
「えぇ、そうなの?ニタ、こんなかわいいのに、ドラゴンと戦えちゃうの?」
「可愛さだけでなく、強さも兼ね備えた勇敢なるペポなんだ。」
 ドラゴン退治と聞いて意気揚々と名乗りを上げるニタ。ティアはニコニコ笑顔になりながら、ニタの話を聞く。
 ハッシュはちらりとディレィッシュに耳打ちをした。
「ドラゴン退治、いけるか?兄貴が大丈夫って言うならば、このままハンターの振りをして請け負ってしまおうと思うが…。」
「あぁ。ニタもハッシュも頼りになるしな。ましてやこんなに美しい女性からの依頼だ。断ることは出来ない。」
 と、ディレィッシュは囁き、親指を立てた。そして、いそいそとブロンドのふわふわヘアのリマの隣に座り、話を始めた。
 ハッシュは少々安心した表情に戻り、大きく頷いてから
「分かった。ドラゴン退治、承ろう。」
と答えた。
「あぁ、良かった。じゃぁ、よろしくお願いします。私、御山のガイドも出来るけど、腕にも自信はあるわ。明日中に手続きを行っておくから、明後日以降に出発しましょうね。ニタはハッシュの雇った用心棒ということで申請を上げとくけど、ディッシュとククはどうする?」
「もちろん、行くに決まっているだろう。」
「私も、行く。」
「じゃぁ、二人もハッシュが雇った用心棒にしておくけど、…」
 ティアはクグレックを見つめた。クグレックは同性ではあるが、整った凛としたティアに見つめられてドキドキした。美人だし、胸も大きくて柔らかそうな魅惑的な体をしている。
「ククは、もしかして、魔女?」
「はい。」
 何故わかるのだろうか、とクグレックは思い、首を傾げた。クグレックはまだ自身が魔女であることをティアに明かしていなかったのに。
「…そっか。ククみたいな若い女の子が魔物が巣食う御山に登るのは危ないからやめておいた方が良いと思ったけど、魔女なら、大丈夫ね。魔物と戦える。…うん。」
 ティアは自身の手のひらを見つめ何回か開いたり閉じたりした。
「ティア、どしたの?」
 ニタが尋ねた。
「え、うん、魔女なんて久しぶりに会ったなぁって思って。」
 ティアはクグレックに向けて屈託のない笑顔でにっこりと笑った。魔女と言われると、きゅっと心が掴まれるようなあまり心地良くない気持ちになるクグレックだったが、ティアの笑顔には安心感を覚えた。ティアからはどこか懐かしい感覚を覚える。それは祖母に思うものと似たようなものの様な気がした。

 2016_08_20



 ニタとクグレックが二人の兄弟の運命を変えてしまってから数日が経った。

「おーい、ディッシュ!ちんたら歩いてんじゃないよ!」
 大きな荷物を背負ったニタが振り返って大声を張り上げる。同じく大きな荷物を背負ったハッシュは渋い表情でため息を吐き、身の丈にあった荷物を背負ったクグレックは乾いた笑みを浮かべた。
 はるか後ろには、元トリコ国王ディレィッシュが大分離れたところで、とぼとぼ歩みを進めていた。伏し目がちに言葉少なだった。
 ディレィッシュは天才的な頭脳を持っている反面、体力や力は女性並にか弱い。引きこもって暮らしていたクグレックと同等である。国王という肩書がなくなれば、ただの人。いや、彼の場合は『ただの人』を下回ってしまうのかもしれない。
「ククの方がまだ根性あるよ。」
 ニタが呆れたように言った。
「…うーん、でも、前の方が徹夜も出来てたから、まだ体力はあったと思う。多分、ディッシュから悪魔がいなくなった副作用でもある気がするが、それにしても…。」
 ハッシュが実兄をかばうように語るが、呆れた表情は隠せずにいる。
 事実、ディレィッシュの体力が著しく落ちたのは、ハッシュの言う通りかつて彼の中に潜んでいた魔がこの世から消えたからだ。トリコ王国で彼を元気に動かしていたのは、はからずとも魔のおかげだったのである。
「ね、ねぇ、でも、私もちょっと疲れた、かも。そろそろお昼時だし、休憩しない?」
 そんな中、クグレックはディレィッシュに同情して休憩を取ることを提案した。確かにクグレックも歩き通しで疲れたのだ。さらに道も整備されておらず、非常に歩き辛い足場であったため、余計に疲労は溜まっていた。
「お昼か。じゃぁ、お昼ご飯を食べなきゃね。」
 本能に忠実なニタで良かった、とクグレックは安心した。3人はディレィッシュが追いつくのを待ちながら、お昼休憩の準備を始めた。トリコ王国からの支給物資が入った荷物の中には簡易的な野営セットが入っており、外で暮らすのに便利な道具が沢山入っていた。

 さて、存在は消えることなく歴史上から消えてしまった元トリコ王ディレィッシュとその弟ハッシュがトリコ王国から立ち去り、クグレック達と共に辿り着いたのはコンタイ国である。
 トリコ王国の南に位置するコンタイ国は自然豊かな国である。気候は亜熱帯気候で温かい。蘇鉄やガジュマルの木と青々とした植物が林立し、沢山の種類の亜熱帯植物が生えた土地である。鳥や獣の鳴き声があちこちで聞こえて来て、冬の装いであった北国のドルセード王国やリタルダンド共和国とは異なる活気と賑やかさがあった。
 コンタイ国は国民が古くから信じて来た民間信仰のために、自然と共生する生き方を選んでいる。トリコ王国の隣国であるが、その性格は真逆である故に、干渉しあわない国交関係を結び、ちょうど良い距離関係を保っていた。
 
「さてさて、ニタとクグレックはアルトフールに向かうんだけど、一向に、アルトフールがどこなのか分かりません。」
 缶詰に入ったパンを頬張りながらニタが言った。
「ディッシュさぁ、トリコ王国にいた時に調べてくれるって言ってたけど、結局どうだったの?」
 じとっとした視線をディレィッシュに向けるニタ。
「あぁ、それならな、滅亡と再生の大陸にあるそうだ。」
 ちびちびと紅茶を啜るディレィッシュがあっさりとした様子で白状した。彼は疲れている。もともとは王宮と研究所を往復する程度の生活しかしていない。歩き続けるだけでも彼にとっては激しい運動だった。
「滅亡と再生の大陸…?」
「そういうことだから、コンタイに来たんだ。」
「どういうこと?」
 ニタは首を傾げた。
「密航のため。」
 さらりと答えるディレィッシュ。ディレィッシュは缶詰を開け、パンを頬張った。
「コンタイからは滅亡と再生の大陸へ向かう船が出ているらしい。どこにあるかは分からないが。」
 もぐもぐと咀嚼するディレィッシュ。ごくんと頬張った分を呑みこむと、次の言葉を発した。
「あと、御山に行くぞ。」
「御山に?」
 ニタが首を傾げた。
「あぁ、御山〈オンヤマ〉。霊峰御山は支配と文明の大陸一神性が強い山だとされる。高さは2376メートルで、決して玄人のみ受け付ける山ではない。誰でも、というわけではないが登山者の間口は広い山だ。心迷う者は御山に登り、頂上にて神託を受け取るという。そうして光を見出す者が多数いるらしい。私達は“滅亡と再生の大陸”の“アルトフール”という地に行くが、具体的にそれがどこにあるのか分からない上に、魔物が多く出現する危険な大陸を進むことになる。生半可な状態で足を踏み入れたら、私達はただ無駄に命を落とすことになるかもしれない。だから、御山に登るんだ。御山でアルトフールの情報を仕入れるんだ。」
「結局神頼みってわけか。科学の国の申し子が。」
「何とでも言え。」
 開き直るディレィッシュにニタは悪態を吐く。彼は疲れているので、態度がなおざりだ。
 心迷うものは御山に登り、光を見出す――クグレックはその光がどんなものか気になった。
 もしも、叶うことならば、祖母に会いたい。今の彼女が望む願望はそれ以外になかった。思わず鎖骨のあたりに手を遣り、祖母の形見である黒瑪瑙のペンダントに触れようとしたが、存在しなかった。常に身に付けているはずなのに。
 そういえば、ディレィッシュを魔の闇から救おうとして、黒瑪瑙のペンダントをディレィッシュに託してしまったのだ。不可思議な空間にいたため、黒瑪瑙のペンダントは空間の消滅と共になくなってしまったのかもしれない。
 ただ、完全なる闇に支配されることなく、目の前のディレィッシュが存在していることが祖母の形見のおかげであるならば、それはそれでよかったかもしれない、とクグレックは思った。一抹の寂しさは拭えないが。
 2016_08_19


********

 そして、日が沈み、デンキジドウシャは国境ゲートまでやって来た。
 国境ゲートには大きな壁がそびえ立ち、何人の侵入も許さない。
 本来であれば、トリコ王国兵が国境ゲートで常に監視の目を光らせているが、イスカリオッシュの指示で、全員待避させた。その代わり、トリコ王国軍団長クライドが待機していた。ディレィッシュがいない世界では、彼は親衛隊ではなかった。そして、既に、ディレィッシュたちの記憶もなくなっている。クライドの青い瞳はイスカリオッシュが連れて来た4人の来賓を怪訝そうに見つめていた。
「この者達は?」
 クライドがイスカリオッシュに尋ねる。
 イスカリオッシュはにっこりと微笑みながら
「私の大切な人達です。大切、いや、愛する人たちですね。クライドもそうでしょう。」
 といった。クライドは理解出来ないと言うように眉間に皺を寄せた。
「これから起きることは、私とあなただけの秘密です。覚えていないかもしれませんが、クライド、あなたはこの御方を敬愛していました。だから、しっかりと送り出してあげてください。」
 クライドは不快そうな表情を浮かべて、イスカリオッシュを見つめた。
 警戒心を隠すことのないクライドだったが、ディレィッシュは気にすることなくふらふらとクライドに近付く。
「クライド、…ありがとう。故郷を捨てて、私を選んでくれて。お前は私の唯一の“友達”だった。」
 ディレィッシュはにやりと悪戯っぽく微笑んで、クライドの頭をぽんぽんと撫でた。
 クライドは終始ディレィッシュのことを睨み付けていたが、不思議と自身の頭を撫でる手を払いのけることはしなかった。
 ひとしきり撫で終えると、ディレィッシュはゲートにある装置を弄り始めた。彼が存在していた頃よりもグレードが落ちたセキュリティシステムであれば、ハッキングは可能だった。だが、それは今この世の中ではディレィッシュしか出来ない。トリコ王国のセキュリティシステムに引っかかることなく、ゲートは開錠した。
「さ、行こうか。」
 ゲートが開くと、ディレィッシュは飄々とした様子で歩き始めた。
 ニタとクグレックは小走りでその後に着いて行った。一方でマシアスは、イスカリオッシュと抱擁を交わしていた。もう間もなく2人の兄の記憶を失くしてしまう弟を、もう二度と会うことのないだろう弟と別れを惜しんで必死に抱きしめていた。
「ハーミッシュ!」
 ディレィッシュに呼ばれ、マシアスはイスカリオッシュを離して、背を向けて歩き始めた。
 イスカリオッシュは4人の後を追った。
「私の大切なディッシュ兄さんとハッシュ兄さん!私はもうじきあなた達のことを忘れてしまうけど、それでもトリコ王国の民として、貴方たちから受け継いだトリコ王国の意志を守っていきましょう。だから、安心してください。安心して生きて、生き延びて下さい!」
 イスカリオッシュは力の限り叫び尽した。
 そんなイスカリオッシュの様子を二人の兄は微笑みながら見つめる。そして、大きく手を振り
「頑張れよ!」
 と返した。
 その瞬間、ゲートはガシャンと大きな音を立ててしまり、静寂が戻った。


「…私は、何故ここに?」
 トリコ王国国王イスカリオッシュがハッとした様子で言った。
 クライドはトリコ王に近付き、何も言わずにそのまま傍に佇んだ。
「クライド?…クライド、あなた…」
 トリコ王イスカリオッシュはクライドのほうを振り向き、そして、驚いた。
 冷静沈着でいつも寡黙、感情を滅多に表に出さないクライドが涙を流していた。
 クライドはイスカリオッシュが驚いたことで初めて自身が涙を流していたことに気付き、慌てて涙を拭う。しかし、涙はとめどなく溢れて来た。
 イスカリオッシュもつられて涙を流した。
「あぁ、なんだか私は甘美な夢でも見ていたようですね。さぁ、城に戻りましょう。運転は私にさせてください。」
「王、あまり、城を抜け出すのはよくありません。」
「ふふ、そうですね。」
 そして、二人は旧式のデンキジドウシャに乗り込んで、城へと戻る。
「クライド、なんだか私は、なにか大切なものを忘れてしまったような気がするんです。不思議な感じですね。」
 クライドに話しかけたところで、望む返事が返って来るどころか返事が返って来ることも稀だった。それでも、トリコ王は胸の内を明かしたかった。
 クライドは沈黙を貫くが、しばらくしてぽつりと「不思議と自分も同じ気持ちです。」と答えた。
 イスカリオッシュと同じ水色の瞳を持った優男に頭を撫でられた時、とても懐かしい気持ちになった。クライドもなにか大切なことを忘れてしまったような気がして、どこか落ち着かない。不思議な気持ちだった。
 箱型のデンキジドウシャは大きなエンジン音を発して夜の砂漠を駈けて行く。
 誰かが欠けてしまったが、トリコ王国は正常に時間を進めて行く。

 歴史に残ることのないトリコ王が望むかたちで。






――第4章、完。
 2016_07_15


「いま、この世界は『ディレィッシュとハーミッシュが存在しなかった世界』なんだ。」
 クグレックはさらに首を傾げ、混乱した。
「私は、ある賭けに出て、魔を自身から追い払うことが出来た。だが、それはそもそも双方共倒れの方法で、消滅したくなかった魔は最期の力を使って、お互いに生き残る道を取ったのだ。それが、彼の究極の情報操作。彼は今の世界を『ディレィッシュとハーミッシュが存在しなかった世界』に書き換えた。書き換えた、というか、吸い取られた、というか。私達は生きてはいるが、私達の存在は誰一人として、知らない。それは、私達が存在しない世界だからだ。」
「え?」
「本当は私だけであってほしかったのだけど、書き換えるためのエネルギーとして私の情報は全て持って行かれたのだ。ただ、私の情報だけでは足りずに、ハーミッシュの情報も必要となって、ハーミッシュまでもが犠牲になってしまった。」
 クグレックは混乱した。一眠りしていた間に、こんなにも簡単に、そして軽率に、世界が変わってしまうことがあり得るのだろうか。もともとディレィッシュは変わった性格をしている。クグレックは、彼が変な冗談を言っているのだと思わずにはいられなかった。
「そ、そんな。じゃぁ、トリコ王国はどうなったの?」
 ディレィッシュはにこりと微笑んだ。
「無論存在している。私が生まれる前からトリコ王国は存在していたのだ。私がいなくなろうと、トリコ王国は存在し続ける。そして、イスカリオッシュが国王となり、トリコ王国は永劫繁栄し続けるだろう。私が存在しないが故に、ランダムサンプリとの諍いもなかったことになった。」
「でもディレィッシュたちはどうなるの?」
「今、この世界のトリコ王国の王はイスカリオッシュだ。我々はトリコ王国民でもなければ、何でもない。」
 後部座席に座るクグレックとディレィッシュの間のニタが話に混ざって来た。
「ねぇ、イスカリオッシュが王様なら、トリコ王国国民にしてもらえばいいじゃん。元兄弟ってことで。別に何でもない存在になる必要はないんじゃない?」
「それが、ダメなんだ。」
 ディレィッシュは笑みを湛えるも、どこか寂しそうな表情であった。
「イスカリオッシュも今日が終われば私達がいた記憶を失くして、世界と同調する。トリコ王国がセキュリティレベルが高いのは私が生まれる前からのことだった。だから、身分も身内もいない私達がいたら、部外者として処分の対象になるだけだ。」
「だから、私は最後のお手伝いですよ。私は、……大好きな兄たちのこと、忘れたくないんですけどね。」
 しみじみと語るイスカリオッシュ。しかし、クグレックはバックミラー越しにいつも朗らかなイスカリオッシュの表情が、静かに曇っていく様子を見逃さなかった。
「でも、イスカリオッシュだけなんだ。この時間を与えられたのは。他の皆はもう、私達のことなど知らない。だから、今日中に私達は、トリコ王国を離れなければならない。」
「その後は、どうするの?」
「お前たちと一緒にアルトフールを探すよ。」
「え!」
「ほら、ペポ族と年頃の女の子じゃ色々危険だろう、だから、私達がボディガードになってやるんだ。」
「ディッシュ、お前は誰かを守れるくらい、体力もなければ腕っぷしもないだろう。」
 助手席に乗っていたマシアスが後ろを向いて呆れたように言った。
「ははは、そうですね。王様じゃないディレィッシュ兄さんはただのもやしっ子ですね。」
 それにイスカリオッシュも同調して、笑顔になった。
「その代わり、天才的な頭を持っていたから、トリコ王国をあそこまで発展できたんです。あなたがいなければ、デンキジドウシャだってこの通りうるさいし、燃費も悪い。シートだってふかふかじゃない。」
 つまり、ディレィッシュの頭はトリコ王国を技術面で大きく発展させた。ディレィッシュがいない世界では、テクノロジーを発展させる人間がいないが故に、デンキジドウシャもそこまで快適なものにはならず、同時にエネルギー対策というのもディレィッシュの時代ほど整っていない。
 だから、エネルギー高炉はなくなり、その更地にクグレックとニタは眠っていたのだ。
 静かになるとイスカリオッシュは寂しそうな表情になる。刻一刻と迫る兄弟との別れの時間が怖いのだろう。
「ねぇ、マシアスは、どう思っているの?自分の存在をなかったことにされて、嫌じゃないの?」
 ニタがぽつりとマシアスに尋ねた。それはクグレックも気になっていたことだった。
「まぁ、寂しいな。だけど、俺の存在までで済むのならなにも問題はない。俺の存在がなくなるだけで、どん底の状態を迎えるトリコ王国が元に戻ったんだ。それに、王位はイスカリオッシュが継いでいる。なにか問題でもあるのか?」
 きょとんとしながら聞き返すマシアス。
「いや、だって、住む場所とかなくなるんだよ。嫌じゃないの?」
「…別に、なんの気兼ねもなしに王宮暮らしから離れられるのは正直嬉しくもある。自由に生きるのが夢でもあったから。」
「私もだ!」
 嬉しそうに同調するディレィッシュ。
「いや、兄貴は多分庶民の暮らしには文句垂れまくると思う。そうじゃなきゃ、あそこまで技術を発展させようとしない。生来面倒臭がりなんだ、」
「いや、そんなことはない。私だって、自由に暮らしたかった。」
 その言葉を聞いたマシアスは一瞬はっとして口を噤んだ。確かに、ディレィッシュは王として生き続けて来た。そこに彼にとって本当に自由な時間など存在しなかったのかもしれない。
「…まぁ、自分で決めた道だし、自由に進めばいいじゃないか。」
 マシアスが申し訳なさそうに言った。王の弟ではなく、ディレィッシュの弟として、マシアスは彼の幸せを望みたかった。これまでトリコ王国のために費やしてきたのだから、彼は本当の意味で自分のために時間を使うべきなのだ。今までの彼は小さなプライベートラボでのみ自由を許されていたが、もう、そうではないのだ。
「あぁ、私の人生、まだまだこれからだからな。機械いじりだって、その気になればいつだってできる。」
 嬉しそうに語るディレィッシュ。
「あ。そうだ。」
 マシアスが再び振り返って、後部座席に向かって声をかける。
「なんだ?ハーミッシュ。」
「…あぁ、それでいいんだ。ニタとクグレック、俺の名はハーミッシュだ。訳あって、マシアスという名を使っていたが、それはただの偽名だ。…もしよければ、俺のことはマシアスではなく、ハーミッシュと呼んでくれないか?名前だけが俺の最後の証だから。」
「ハーミッシュ…。」
 ニタが呟く。が、ニタの眉間には皺が寄って行った。
「ハーミッシュも、ディレィッシュも長い。呼びづらい。」
 不機嫌そうな表情で、ニタが言った。
 マシアス、ことハーミッシュは、はははと笑いながら
「じゃぁ、俺のことはハッシュと呼べば良い。ディレィッシュも長いから、ディッシュでいいんじゃないか?」
と提案すると、ニタはそれを「分かった」と承諾した。
「じゃぁ、クク、この身寄りのない兄弟も一緒にアルトフールに連れて行ってあげようか。」
 ニタが言った。
 クグレックは「うん」と大きく頷いた。
 奇妙な運命ではあるが、これも何かの縁なのだ。
 彼らは当然の如く運命を受け入れる。生まれ故郷や兄弟、大切なものを一挙になくすことになった二人だったが、彼らはその困難を楽しんですらいるようだった。その様子をみたら、クグレックも二人と共に歩みたくなった。
 依然としてアルトフールがどこにあるかは分からないままだが、この二人がいてくれれば心強い。特にハッシュは良識もあるし、これまでずっと二人のことを助けてくれた。ディレィッシュだって、非常に博識だ。きっといろいろなことを教えてくれるだろう。
 
 還る場所がない4人は還る場所を探しに行く。
 



 2016_07_14


********


 クグレックは暑さと眩しさで目を覚ました。あまりにも眩しいので目を開けることが出来ない。
 頬には粒粒とした何かが当たって痛い。それよりもなにより暑い。
 気持ちを奮い立たせて、クグレックは目を開ける。
 そして、瞳に飛び込んできた情景にクグレックは一気に覚醒し、飛び起きた。
 光あふれる眩しい褐色の風景。太陽が痛いほどに照り付ける砂の景色なのだ。
 エネルギー高炉にいたはずなのに、エネルギー高炉の面影は全くなかった。建物すら存在しない、ただひたすら広大に続く砂漠の景色が広がっていたのだ。
 クグレックは口の中に砂入った砂を吐き出した。
 ディレィッシュに会ったことも、ニタやハーミッシュに再会したことも、夢だったのか分からない。
 ところが、辺りを見回してみると、ふかふかの毛を持った白いぬいぐるみが倒れている。クグレックはニタの傍に駆け寄り、声をかけた。
「ニタ、ニタ、起きて、大変。」
 そう言いながら、ニタの身体をゆすると、ニタは「ううん」とくぐもった声を出しながら目を覚ました。
「なに、クク…。あ。」
 ニタも周りの様子に気が付くと、それはそれはコミカルに飛び起きた。
「エネルギー高炉は?爆発しちゃった?」
「でも、瓦礫も何も残ってないし、ディレィッシュもマシアスもいない。」
「こんな砂漠のど真ん中に取り残されるなんて…。ニタ達、干からびて死んじゃうよぅ。」
 そのニタの言葉を聞いて、クグレックはぞっとした。
 永久に閉じ込められていたかもしれない暗闇の空間から脱出できたかと思いきや、今度は太陽の光が燦々と降り注ぐ砂漠のど真ん中に残された。一難去ってまた一難。
 二人で絶望に打ちひしがれていると、遠くの方からブオーンと低音が響いて来る。
 音のする方に目を遣れば、デンキジドウシャが近付いて来るようだった。
「デンキジドウシャ?…にしてはうるさいし、形が変。」
 デンキジドウシャはクグレックたちの元に止まった。
 このデンキジドウシャは少し大きくてゴツゴツしている。いままで見て来たデンキジドウシャは流線型のスタイリッシュな外見をしていたが、目の前に停まったデンキジドウシャは箱型でごつい印象をうけた。しかもよく見ると、浮いておらず、タイヤが付いた四輪駆動型だった。
 デンキジドウシャからは荷物を背負ったディレィッシュが降りて来た。
 ニタとクグレックは表情を強張らせて、目の前のトリコ王を警戒する。
「ふふふ、すまない。大丈夫だ。何もしない。いや、もう、何も出来ない。」
 ディレィッシュはにっこりと微笑んだ。
「二人には色々迷惑をかけてしまって悪かった。だけど、時間がないんだ。車に乗ってくれ。」
 ニタとクグレックは顔を見合わせる。目の前のディレィッシュは本当に信頼に値する人物なのか信じ切れなかった。
 二人が猜疑心に包まれていると、デンキジドウシャからまた別の誰かが降りて来た。マシアスだ。
「大丈夫だ。本物のディレィッシュだから、大丈夫だ。」
 と、マシアスに言われて、ニタとクグレックはようやく安心することが出来たのだろう、素直にデンキジドウシャに乗り込んだ。
 二人が乗り込んだのを確認して、ディレィッシュとマシアスもデンキジドウシャに乗り込んだ。
 運転席にはイスカリオッシュがおり、バックミラー越しに二人に声をかけてきた。
「…二人とも、無事で何よりでした。では、出発しますね。」
 助手席にマシアス、後部座席にはニタとククとディレィッシュを乗せ、デンキジドウシャは発進した。ブオオンというエンジン音と共にデンキジドウシャは進んで行く。耳障りではないが、少々気になる音だった。
「旧式のクルマか。」
 ディレィッシュが言った。
「えぇ。そうなりますね。そういう世界なので仕方がないです。燃費も悪いし、エンジン音も騒々しい。まぁ、日没までには国境に辿り着くと思いますけど。」
 イスカリオッシュが答えた。
「シートも堅いし、あまり長く乗り続けると疲れるな。」
「ふふふ、そうですね。」
 イスカリオッシュは微笑みながら答える。
 クグレックはイスカリオッシュと談笑するディレィッシュをじっと見つめた。魔のディレィッシュなのか、本物のディレィッシュなのか分からなかったからだ。
 そんなクグレックの不安な視線にディレィッシュは気付き、クグレックに向かってにこりと微笑んだ。クグレックは思わず
「本物?」
 と呟いた。
「あぁ。おかげさまで、取り戻せた。トリコ王国も、“私”も。」
「…。」
 クグレックは、まるで夢でも見ているかのような心地になってしまい、言葉を発することが出来なかった。ディレィッシュがこの現実の世界に存在するのだ。闇に取り込まれて、もう二度と会えないのではないかと怖くなっていたが、そうではなかった。再び会うことが出来た。
「でも、申し訳ないな。トリコ王国に永住の件は亡くなってしまった。」
「…」
 クグレックはもともとトリコ王国に長居はするつもりはなかったので、別に謝らなくても良いのに、と心の中で思った。
 だが、ディレィッシュがあえてそんなことを言うのは、結局戦争は止められず、どうにもならないからこの夢の様なトリコ王国では過ごせないということなのか。
「…私は、生きて戻って来ることが出来たのだが、…だが、この世界にはいない存在なのだ。」
「どういうこと?」
 ニタとクグレックは首を傾げた。
 2016_07_13


********


――砂上楼君。忘れちゃいけない、母の記憶。母は大いなる源。あなたの起源を忘れないで。


 闇に飲み込まれたディレィッシュは一瞬意識を手放していたが右手の違和感に気付き、再び意識を取り戻した。聞いたことのない女性の声が聞こえた様な気がしたが、良く分からなかった。
 最早そこには、光がなく、自身の身体すら視認することが出来なかった。
 『罪』に呑まれて、彼は死ぬことも出来ずに未来永劫この閉ざされた空間で生き続けなければならないのだ。この状態をはたして生きていると称して良いのか疑問が生じるところではあるが。
 彼は、腕に違和感を感じていたので、腕の辺りをさすった。すると、何かが巻き付いている。手の触覚だけを頼りに、腕に巻き付く何かを感じ取ると、それはすべすべとした石がついたネックレスであろうことが分かった。
 なんだか優しい温かみのある不思議な石だった。
 イスカリオッシュを産んですぐに亡くなった先王妃のような優しい温かみだ。
 ディレィッシュはあまりの懐かしさに泣きたい気持ちに襲われた。久しぶりの感覚だった。
 絶望的な暗闇の世界で、彼は微笑み、そして、涙を流した。

――これから生まれてくる弟のこと、何があってもしっかりと守るのですよ。あなたはトリコ王の後継者としてその名に恥じることなく、常に誇りを持って、トリコ王国を守っていくのです。私の大切な可愛いディレィッシュ。

 幼い時の記憶に残る母の姿は、厳しい時もあるが、いつも優しく温かかった。イスカリオッシュを産んでからすぐに病気で亡くなってしまったが、大好きだった。彼は母が残したこの言葉を胸に今日まで生きてきたが、魔に心まで毒されていて薄れていたのだろう。彼は、今、ようやく自身の生きる意味を思いだした。
 愛する母のため、彼は今日まで心身を尽くしてきたのだ。
 この暗闇の中で、ディレィッシュは意思を取り戻した。

 そして、死ぬことを決意した。
 
 護身用のナイフを懐から取り出し、鞘から刃を抜き取ると、大声で叫んだ。

「聞こえるか、もう一人の私。私は死のうと思う。だから、最期にお前と会話したい。」
 
 ディレィッシュの叫びは暗闇に吸い込まれていった。魔からの反応はなかった。
 ディレィッシュは力なくため息を吐いて、ナイフを逆手に持ち、心臓をめがけて勢いよく自身の胸に突き刺した。
「ぐっ」
 痛みと恐怖により思わず零れるうめき声。呼吸が浅くなり、一刻も早くナイフを外してしまい気持ちに駆られるが、ディレィッシュは落ち着いて深く息を吸い、ゆっくりと吐き出し、気持ちを落ち着けた。
 再びナイフを握る手に力を込め、更に胸を割こうとナイフを動かそうとしたが、そこで動きが止まった。どういうわけかこれ以上動けないのだ。
 その時、ディレィッシュの目前にディレィッシュが現れた。いや、ディレィッシュの姿をした何かと呼んでいいだろう。それは、綺麗な白のトリコ衣装を身に付けているが、胸のあたりを抑え、苦痛に顔を歪ませている。
「気が狂ったか。やめろ。」
 ディレィッシュに似た何かが言った。
 彼の出現に、ディレィッシュはにやりとほくそ笑んだ。呼吸が荒くなり、脂汗が滴るが、それでも彼は余裕そうな雰囲気だ。
「もう一人の私。会いたかった。約束、していたが、やっぱり私は私の身体を明け渡したくはないんだ。私の身体から私がいなくなり、お前の様なものに譲るのはやはり嫌なんだ。私はトリコ王国の王なのだ。トリコ王国の繁栄と平穏を望む最高の存在だ。それを相反するものに明け渡すことは出来ない。お前に明け渡すくらいならば、私は、ディレィッシュは只今を持って生涯に幕を降ろそう。戦争が始まり、世界の秩序は乱された。困難な局面にあるが、私の弟たちであれば、世界を闇に陥れることはないだろう。状況は良くならないかもしれない。しかし、私ではない、トリコ王国の誇りを持たないディレィッシュが生きているよりはマシなんだ。だから、私は、死ぬ。」
 と、ディレィッシュが一気に言うと、咳き込みながら吐血した。
 ディレィッシュは気にも留めない様子で、口周りに着いた血を腕で拭い、ナイフを再び握りしめる。そして、勢いよく自身の胸から、ナイフを抜いた。
 切り口から血が噴き出るが、ディレィッシュは気にせず、ナイフを目の前のディレィッシュに似た何か――彼自身の魔に突き刺した。先程じぶんで刺した刺した場所は、心臓に直結していなかった。少し上にずらすと、動かなくなったのは、目の前の魔が急所であるから、止めたのであろう。
 彼の魔が反応する前にナイフを一突きする。
 一瞬、彼の魔が不思議な力でもう一度ディレィッシュの動きを止めようと試みたようだったが、ディレィッシュは気持ちでそれを払いのけ、魔の胸にナイフを突き刺した。
「ぐっ」
 ディレィッシュはそのまま魔を押し倒す。というようりも、自身も力が抜けて、魔にもたれかかるようにして一緒に倒れた。
 魔もごふっと咳をして、血を吐き出す。恐怖に引きつった表情を浮かべて。
「…なぜ、お前の行動が俺に直接干渉されるんだ?俺の時は全然届かなかったのに…」
「…それは、私が、トリコ王だからだよ…」
「…俺、死ぬのか?」
「…さぁ。私が、死ぬのであれば、お前も道連れにしたいという一縷の希望にかけて、死んで欲しいがな。…ところで、外の世界は、どうだった?」
「希望に、満ち溢れていた。破滅への道を、確実に進んでいる。」
「今、希望と聞こえたが、絶望の間違いではないか?」
「俺にとっての希望も、お前にとっての希望も、同じくらいに溢れている。」
「…深いことを言うね。」
「…」
「…お前は、私だ。人は、誰しも闇を抱えるというのに、私はそれを無視した。悪かったな。」
「…」
「…」
「…俺は、お前のこと嫌いじゃなかったよ。これほどまでに鉄壁の心を持った人間、あったことがなかった。…でも、俺は魔だ。実体が、欲しい。」
「…」
「約束を破ったことは許されない。俺、が許しても、世の中の理が許さない。だから、最期のチャンスをお前にくれてやる。そして、俺は、もうこんなところとは、おさらばする。」
「…」
「最期の力を、貸してやる。ただ、悪魔との契約に、犠牲はつきものだ。その犠牲で十分だから、もう、俺はお前に関わらない。また、別の器を、探そう。」
「…」
「…」
「…」
 ディレィッシュと魔の意識は遠のいていく。暗闇に同じ顔をした二人の男性が血溜まりの中取れている。やがて、その男性の片方が消え、暗闇に存在する男性は一人となった。
 2016_07_11



 数分後。クグレックも状態が落ち着いたので、3人はこれからの作戦を練り始めた。
「さて、ククも落ち着いたことだし、今後の作戦を決めていこう。まずは、この状況を説明しよう。」
 ニタが場を取り仕切り、クグレックに話をするように促す。
「私は、クライドさんにエネルギー高炉の最深部に連れられて、そこにいたディレィッシュに出会った。でも、彼はディレィッシュであって、ディレィッシュではない。ディレィッシュの魔だって言ってた。魔は更に力を得るために私の血を飲み、心臓を喰らうと言っていた。それから、私は怖くて、魔力を暴走させちゃって、気がついたらこの暗闇の世界にいた。ついさっきまでディレィッシュ――本物のディレィッシュがいたんだけど、闇の中に消えていった。そしたら、私の周りに黒い手が現れて心臓を掴んで取り出そうとしたの。多分、取り出される寸前だったんだと思う。ただ、ちょうどその時にニタ達が入って来て、黒い手は消えた。」
 クグレックの話を聞いたニタとマシアスは、アイコンタクトを取ると示しを合わせたように黙って頷いた。
「ニタ達はどうだったの?マシアスがいるってことは、イスカリオッシュさんにも会えたってことだろうけど…。」
「うん。無事にイスカリオッシュにも会えたし、なんとかしてマシア、いやハーミッシュを連れ出すことも出来た。イスカリオッシュがいたから、トリコ王国で一番速いデンキジドウシャに乗って来れたから、凄く早く着いたよ。クグレックがニタの幻をつくりだして、クライドをだましてくれたおかげだよ。本当に良く頑張ったね。」
 ニタに褒められてクグレックはほんのわずかに表情を緩ませた。
 トリコ城を出る少し前からクグレックの傍にいたニタは彼女が作った幻だった。クライドに部屋の外に連れ出され、4D2コムを落とした瞬間にニタはクグレックの元を離れ、イスカリオッシュを探しに出たのだ。それからニタとクグレックは別々で行動していた。
 クグレックはクライドにばれないようにニタの幻を作り続け、ニタは単身イスカリオッシュを探し応援を求め、そして、マシアスを助けた。ニタとクグレックだけではどうしてもディレィッシュに対抗することが出来ない。しかし、ディレィッシュの弟であるハーミッシュとイスカリオッシュならば、ディレィッシュに対抗することが出来るのだ。ニタとクグレックはプライベートラボから戻った数日の間に作戦を立てていたのだ。情報を掌握するディレィッシュに気付かれることのないように筆談で作戦を立て、あくまでも極秘に。これが『ニタがやりたかったこと』。
「最後の最後にニタがクライドに斬られちゃったから、ぐったりするニタをイメージして作り続けたのは悲しくて辛かった。離れたところに、しかも私から見えないような場所に幻を維持し続けるのは、凄く疲れたよ。」
「うんうん、よく頑張ったよ。」
「でも、イスカリオッシュさんは…?」
「イスカリオッシュはクライドと一緒にいる。ディレィッシュもなかなか腹に一物を含んだ男だと思ってたけど、イスカリオッシュもなかなかのもんだ。」
「ディレィッシュは相手を包括する広さを持っているが、イスカリオッシュは相手の懐にうまく入り込むことが出来る。末っ子であるが故の愛嬌を上手く昇華させたのがあいつだ。」
 ハーミッシュが言った。おそらく彼の交渉スタイルはピアノ商会などと交渉を重ねて来たことから分かるように、シビアに駆け引きを行っていくスタイルだ。相手と対等な立場で対話を重ねる。
「イスカリオッシュがクライドを抑えてくれたおかげで、ニタ達はエネルギー高炉最深部に行こうとしたら、扉が開かなかった。でも、中ではディレィッシュの独り言と高らかに笑う声が聞こえた。何か嫌な予感がしたから、ニタとハッシュで扉を開けたんだ。そしたら、ここに辿り着いた。」
「ここは、一体どこなんだ?」
 ハーミッシュの問いに、クグレックは困った様子で頭を横に振る。
「分からない。ただ、…もしかすると、ここはディレィッシュの心の世界なのかも。ディレィッシュの魔はディレィッシュの中にいたって言う。ディレィッシュは魔に乗っ取られたから、呪いでこの世界に閉じ込められたらしい。だから、私は出ることは出来ても、ディレィッシュは出ることは出来ないんだって。」
「なんだそれ。」
 ニタが呆れたように言った。
 3人は暗闇の世界で円座になって、脱出方法をひねり出す。
「多分、ニタとマシアスは何も出来ない。不思議空間に対する不思議能力はないから。多分、ククしかこの不思議空間を脱する力を持っている。」
「ただ、分かることは、クグレックは気がついたらこの空間にいた。俺達もそうだ。ただ、俺達はドアを蹴破ったらこの空間に突入してしまった。この空間を壊すことが出来たら、元のエネルギー高炉最深部に戻ることが出来るんじゃないか?」
「空間を壊す?」
 空間を壊す、と言われて、ニタは足元を徐に殴りつけた。が、確かに、足は地に着いている感覚はあるのだが、そこに床という概念は存在しない。ニタの拳はまるで空を裂くように空振るだけだった。
「ニタの力じゃ無理だ。」
 への字口になってしょぼくれるニタ。クグレックはちらりとマシアスに目くばせを行う。マシアスはクグレックの思惑を肯定するように頷いた。
「…でも、私、空間を破壊する魔法、知らないよ…。」
「ピアノ商会で出したバチバチで壊れないかな。あれ、ピアノ商会のアジトをぶっ壊したし…」
 ニタが言った。バチバチ、ディレィッシュの魔曰く、クグレックから溢れ出る制御できない魔力の暴走。
「あれは、魔法じゃないんだけどな。」
 とクグレックは応えてみるも、ディレィッシュの魔が魔力の暴走だと言っていたことから、杖を媒介にして魔力を放出させれば良いのではないかとクグレックは考えた。ディレィッシュの魔法実験のおかげで魔法における魔力放出のコントロールを沢山やらされたので、少しだけ上手になったと密かに思っていたところだった。
 クグレックは自身の魔力を杖から放出する様子をイメージし、集中した。
 すると、杖からパチパチという静電気の音が放たれた。セーターを脱いだ時の様な可愛らしい音だ。クグレックは更に集中し、魔力を込めてみるが、日常で見られる静電気以上の放出は出来なかった。
「…もっとバチバチって言ってたよ。こんな手品みたいな感じじゃなかった。」
 ピアノ商会で唯一クグレックの魔力暴走を目の当たりにしていたニタが言った。クグレックももっと派手に行いたいのに出来ないもどかしさに歯痒い思いをしていた。
 その時、マシアスははっとある出来事を思い出した。
 彼はクグレックの魔力暴走を一撃だけ喰らった時のことを思い出したのだ。
 ピアノ商会で、彼は、ニタを助けに行こうとしたクグレックを力づくで止めるためにクグレックに手をかけようとした。すると、マシアスの身体に強烈な雷撃が身体全体を駆け巡り、そのショックで気を失ったことを思い出した。あの時、ニタ救出を阻もうとするマシアスのことを、クグレックは必死に拒絶していた。更にピアノ商会のボスの部屋で発生した魔力暴走も、おそらくボスに対する強い拒絶が由来となっていたのだろう。
「クグレック、『拒絶』するんだ。多分、魔力暴走はすべて何も寄せ付けようとしない『拒絶』から来ている。この空間を『拒絶』するんだ。」
「空間を拒絶?」
 マシアスの言葉を復唱しながら、クグレックは拒絶をイメージしてみた。クグレックのエネルギーが一番動くのは、この拒絶の瞬間なのかもしれない。彼女は祖母のいない世界を拒絶し、マシアスもニタも守れない世界も拒絶した。さらに、自身の力が破滅への引金をひいてしまう世界に対しても拒絶した。強力な魔力暴走は世界を壊すことが出来ない。ある一定の大きさの水槽に電流を流し、水槽を壊すのではない。果てしない大海に電流を流し、世界を破壊するようなものだ。だから、彼女は毎回魔力をコントロールできなくなり、リミッターを外した最大出力で魔力を暴発させる。
 今回はこの暗闇空間という水槽を破壊すればよい。
「なんとなくわかったかも。」
 クグレックは杖に力をこめ、イメージをした。自身の魔力を制御できない時に発生するあの感覚を。拒絶することで暴発してしまう、魔力のねん出を。クグレックはディレィッシュの魔が作りだしたこの空間を強く拒絶し、魔力を爆列させる、という自身の魔力の流れを想像しながら、杖に魔力を集中させる。
 杖からは光を伴った静電気がパチパチと発生される。次第に電光は大きくなる。
 クグレックは、ディレィッシュの姿をした魔のことを思い出し、魔が持つ波長に魔力の彼女の周波数を合わせた。これで魔力は暗闇の空間に接触できる。

――早く、こんなところから脱出しなければ。

 クグレックは杖に更に多くの魔力を集中させた。
 すると杖からは雷のようなものがバチバチと大きな音を立てて四方に発散された。暗闇の空間は、まるでガラスが割れるかのように、バリバリと割れていった。ニタが蹴飛ばして破壊して突入してきた時の様に破壊されたのだ。空間の境目からは緑の警報灯がチカチカと点滅するエネルギー高炉最深部の景色が覗き、けたたましい警報音も漏れてくる。
 全て粉々に砕け散ると、そこは既にエネルギー高炉最深部であり、目の前にはトリコ王がいた。
 だが、様子がおかしい。
 胸から血を流して膝をついている。フラフラと壁にもたれかかると、クグレックたちを睨み付け、そのままふっと意識を飛ばし、がくりと崩れ落ちた。
 同時にクグレックも意識を失い、足元から崩れるようにして倒れた。が、すぐそばにいたマシアスがクグレックを抱き抱えた。クグレックは一気に魔力を放出してしまったために、魔力疲弊を起こし意識を失ってしまったのだ。

 
 2016_07_10


 クグレックがトリコ王国に来てしまったせいで、戦争が起き、沢山の人の命が奪われる。
 彼女の使命はニタと共にアルトフールに辿り着くことだが、無関係の人を不幸にしてまで達成したい目標ではない。
 あまりの責任の重さに、彼女の双眸から、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「クグレック…。」
 クグレックの涙に動揺を見せるディレィッシュ。彼は優しいので、泣いている女の子を見捨てることは出来ない、が、クグレックの望みはディレィッシュが叶えてあげることは出来ない故に、たじろぐことしかできなかった。
 やがて、彼の表情は何かを悟ったのか暗くなった。
 すると、辺りの暗闇はゆっくりとディレィッシュを包んでいく。
 それに気付いたクグレックは慌ててディレィッシュに声をかけた。
「ディレィッシュ、どうしたの、体が、なんかおかしいよ。」
 暗闇から引きずり出そうと、クグレックは必死になってディレィッシュの腕を引っ張るが、ディレィッシュはびくともしなかった。悲しそうな表情で、首を横に振る。
「…私など、結局はただの人だったのだ。それがどうして自身の魔に打ち勝てようなどと思ったのか。先代を殺して、国を良い方へ導こうとしたのか。あぁ、反吐が出る。これは驕り高ぶった私への当然の報いだったのだ。」
「違う。違うよ。ディレィッシュなら、何でもできるはず。魔女の私よりも魔法使いみたいなディレィッシュ!そんな悲しいこと言わないで。」
 クグレックは必死だった。彼女の本能が今ディレィッシュを見捨ててはならないことを察しているのだ。
 クグレックは無我夢中で身に付けていた黒瑪瑙ののネックレスを外して、ディレィッシュの腕に巻き付けた。祖母から貰った魔除けのお守り。これがあればディレィッシュから闇を退けることが出来かもしれない。
「諦めないで…。私は、まだ何とかなると思う。違う。何とかしなくちゃいけない。」
 クグレックは一生懸命ディレィッシュを包み込もうとする暗闇を手で払う。しかし、一向にその闇が消える気配がないのでクグレックは焦った。ふとディレィッシュを見てみれば、目を閉じて襲い来る闇を受け入れているように見える。クグレックは頼る当てがなかった絶望感に打ちひしがれそうになった。 
 やがて、クグレックの努力も空しく、ディレィッシュは闇に包まれて消えてしまった。
 クグレックはがくりと膝を床に付け、呆然と虚空を見つめた。

 結局クグレックも何も出来ないのだ。
 国を救うことも、一人の人間を救うことも、何も出来ないのだ。
 クグレックは一生この空間に閉じ込められて、光を見ることなく死んでいくのだろう。
 だが、それはそれでよかった。この空間から出れないことはきっと『罰』なのだから。

 闇はゆっくりとクグレックの身体も侵食し始めた。
 暗闇から真っ黒な複数の手がぬっと出現した。その手はクグレックをゆっくりと包み込む。
 決して心地良い物ではなかったが、クグレックはそれを『罰』だと思い込み、静かに受け入れる。
 黒い手はじわじわとクグレックの左胸へ接近する。服の上からクグレックの体内へ侵入すると、左胸を中心にクグレックの体が黒に染まっていった。肺も血管も骨もクグレックを構成する器官が闇に浸食される、冷たくも温かくもない気味が悪い感覚に襲われ、クグレックは恐怖で呼吸を荒くさせた。
 黒い手がクグレックの心臓を掴んだのだ。
 心臓は黒い手によって引っ張られる。痛みは感じないが、取り出される、という感覚だけは間違いない。いつか体内から取り出されてしまうという恐怖感がクグレックを襲った。
 
 と、その時だった。

「やめろー!変態キング!」
 
 暗闇空間を蹴り壊して、ニタが現れた。一瞬、暗闇空間に警報音と緑色の光が届いたが、すぐにニタに破壊された箇所は暗闇に包まれ再び静寂と暗闇が戻って来た。
 突然の出来事に、暗闇から発生し、クグレックの心臓を掴んでいた黒い手は一瞬漏れこんだ光に掻き消えてしまった。

「ニタ…!」
 クグレックはニタの姿をみて、闇に堕ちかけていた精神を取り戻した。
 傷一つないニタ。さらにその傍にいる人物を目にして、更に安心した。ニタの隣にいる体格の良い金髪の男性。冷たくも優しい空の様な水色の瞳をしたマシアスことトリコ王国第1皇子ハーミッシュがいたのだ。
「クグレック…。」
 優しい表情を見せるマシアス。マシアスの手にはクグレックの樫の杖が握られている。隣でニタはブイサインをしてにっこり笑顔だ。
 暗闇の世界であることに変わりはなかったが、二人の存在はクグレックの心を明るくさせた。
 それと同時にクグレックの頬を一筋の涙が伝った。ニタに再会して、本当に安心したのだ。
「全く、ククはニタがいないと、すぐ泣いちゃうんだから。」
 そう言いながら、ニタはククに近付くと、その体をぎゅっと抱きしめた。
「だって、ディレィッシュは戦争を止めることが出来ないって言うから。もうここから出ることは出来ないって言うから。もうどうにもならないんだなって思って、でも、ニタ達が来てくれた。ニタ達が…」
 クグレックは小さなニタの身体に顔を埋めて泣き喚くので、最後の方は人語を発してはいなかった。
 ニタはやれやれというような表情を浮かべて、泣き喚くクグレックの背中をポンポンと叩いた。
「うんうん、頑張ったよ、クク。なんか変なところにいるけど、意識をちゃんと保ってるし、頑張った。本当に、ここまで『一人』でよく頑張った。」
 と、ニタが優しい言葉を掛けると、クグレックはより一層激しく泣き喚くので、ニタは困った表情でハーミッシュに視線を送り、クグレックが落ち着くのを待つことにした。
 

 2016_07_03


――緊急事態、緊急事態、深部管理ルームにて異常発生、緊急事態、緊急事態…

 かつてのクグレックが夢の中で聞いた警報音と同じサイレンと放送の音声。
 クグレックは、はっとして、今いる現在が夢なのかもしれないという疑問に包まれた。どうやって今の状態を現実だと判断できるのか。そもそも、いまクグレックが存在しているこの世界も、現実かどうかはっきりしていないのだ。彼女は一度炎に包まれて死んだはずだった。だから、彼女にとって彼女のいる世界は現世感を持った黄泉路なのだ。
 ただ、この黄泉路は彼女の意志に関係なく、容赦なく厳しい出来事が襲い掛かる。
 クグレックは、意識を手放そうとしたが、その瞬間、強い力で頭を掴まれたかと思うと、辺りは靄に包まれるようにして暗くなっていた。警報音も次第に遠のいていく。
 それとは逆にクグレックの意識ははっきりしていった。
 クグレックの精神が落ち着きを取り戻し、現状の把握に頭が働き始めたのだ。
 周りは全くの無音状態で、クグレックの呼吸音しかしない。
 そして、真っ暗である。光の無い、闇の世界。
 不思議なことに、クグレック自身はしっかり見える。手や衣服も灯りがある時と同様に視ることが出来るのだ。そして先ほどまでクグレックが感じていた体調不良もなくなっていた。
(ここは、どこなの?)
 真っ暗な中を歩くのは、不安だった。床が視えないこと、それだけでも恐怖感を感じずにはいられない。一歩進めた先に床があるとは限らない。底の見えない奈落かもしれない。
 ふと向こうの方に、誰かがうずくまっている姿をクグレックは確認した。
 狭間の世界と呼ばれるこの空間に誰かがいる。
 暗闇の中を歩くのは怖かったので、這いつくばりながら前進した。向こうに見える人物が気になって仕方がなかった。
 腕だけでなく脚の力も使った情けない形の必死な匍匐前進をして、クグレックはその人物の正体に気付いた。艶のある流れるような金髪にトリコ王国の白い衣装を身に纏ったこの人物はディレィッシュだ。
「ディレィッシュさん、起きてください。」
 クグレックはディレィッシュを揺すった。ディレィッシュは青白い顔をして気を失っていたようだったが、しばらくすると「うう」とうめき声をあげて、意識を取り戻した。
 はじめのうちはぼんやりとした表情を浮かべていたが、クグレックに気付くとゆっくりと表情を和らげた。下がり眉で微笑むその表情はクグレックに会えて嬉しいというよりも、申し訳なさそうな様子だった。
「クグレック…。ごめんな。」
「どういうことですか?」
「闇に潜んでいた『私』を制御出来ずに、ただの客人であるお前を巻き込んでしまった。お前をこんな空間に呼び寄せてしまったのは私の責任なんだ。」
 ディレィッシュは静かに目を閉じた。
「でも、クグレックはここから出なくてはならない。なんとかして、ここから出してやる。」
 再び力強く見開いたその水色の瞳は、弱々しさが掻き消えて、自信に満ち溢れるトリコ王の瞳に戻っていた。
 クグレックはこのディレィッシュこそ、最初にあった時のディレィッシュだということを実感した。きっとマシアスやイスカリオッシュ、クライド達が好きなトリコ王ディレィッシュなのだ。闇だの魔だの言っている狂人とは違う。
「本物のディレィッシュだ。」
 クグレックは思わず心の声を口にした。
「さよう、私がオリジナルのディレィッシュだ。」
 ディレィッシュはクグレックを見つめて、ゆっくりと頷いた。
「じゃぁ、あのディレィッシュは何だったの?」
「クグレックが見たディレィッシュは、ずっと私の中に巣食っていた闇であり、魔だ。クグレックはこんな経験ないだろうか。窮地に立たされた時、湧き出る諦めの思い。嫌な気持ちになった時に感じる相手への嫌悪感。そう言ったふつふつと生れ出るネガティブな感情全てが、彼なんだ。無論、私だって人間だから、負の感情は勿論感じる。ただ、彼は魔なのだ。そう言った負の感情を彼はさらに増幅させようと私に語りかけてくる。だけど、私は彼の言葉を無視し続けて来た。彼の言うことは私の世界にとって、面白くない。つまらないものだったから。」
(…私だったら、ネガティブな方に流されると思う。)
 クグレックは負の感情に従順だった。負の感情に押しやられ、生きることを放棄したし、誰かが瀕死の状態でいても、恐怖が勝って助けるどころか動くことすら出来なかった。 
「でも、彼は素晴らしい力を持っていた。勿論私だって、機械に関する知識や技術は世界一だと思っている。私のことは『天才』と称されるが、その通りだと思っている。統治に関しても正直他国の為政者にも劣らない。だが、彼は情報操作という素晴らしい力を持っていたのだ。」
「情報操作?」
「彼はあらゆる情報を取り入れ、その情報を全て掌握し、動かすことで自分の思う方向へ進むことが出来るのだ。現に彼は全ての情報を操作して、国民の反対に遭うことなく戦争を開始しただろう。」
 トリコ王国に来てから、クグレックとニタはディレィッシュの手のひらの上で踊らされているような感覚がしていたが、その通りだったのだ。彼の術に嵌っていたのだ。これが、魔の力。
「彼の力を初めて使ったのは、18の時、先代が亡くなって王位を継いだ時だった。18の私が王位を継いだことを良く思わない人達が多くてね、私は彼の力を借りながらハーミッシュ達と共に、彼らを排除したんだ。」
「排除?」
「その手段や経緯はクグレックは知らなくていい。ただ、トリコ王国を足蹴にし、私利私欲に生きる者達を、排除した。その時に使ったのが、彼の情報操作。彼の力を借りて輩を無理なく自然に悪に仕立てあげて、トリコ王国の、いや、世の中の正義として排除した。ただそれだけ。私にとって、彼の力はその時だけで十分だった。」
「そうではなかったんだね。」
「あぁ。それを期に彼の能力は私の思考と合体してしまって、私の予期しないところでも、彼の意志を持って能力が発動してしまうようになった。彼の力を使うことは、私が彼に従属することだ。彼に私の自我を分け与えることになる。じわりじわりと彼は私を浸食しながら、この時を持ち込もうとしていたのだろう。」
「つまり、魔の力を使いすぎたがために、ディレィッシュはこの空間に閉じ込められたっていうこと?」
「そういうことだな。私が魔の彼を私の中に閉じ込めていたように、力が逆転したことで彼が私を閉じ込めたんだ。それは魔との魂の契約で定められていたことだから覆すことが出来ない。」
「魂の契約?」
「呪いかな。魔が入り込んできた時にかかっていた呪い。魔をコントロールできなくなるか、コントロールすることを放棄した場合、魔とのポジションが逆転する、という呪いだ。」
 ディレィッシュは見つめていた掌をぎゅうと握りしめ、にこりと微笑んだ。
「彼は、クグレックの存在が彼の力を増幅させた要因だと話していたが、…私はもうそれ以前に、壊れ始めていたのだろうな。だから、私に負担をかけまいとハーミッシュは単独で開戦停止の交渉に行ったし、イスカリオッシュは常に気をかけてくれていた。クライドも、忠義を尽くしてくれた。本当は、もうだいぶ前から皆に気付かれていたんだろうな。」
 ディレィッシュはゆっくりと体を起こし立ち上がった。優しく、それでいて淡々と語るディレィッシュからは不思議と悲嘆的な様子は見えなかった。
 クグレックと目が合うと、ディレィッシュはにっこりと微笑む。こんな暗闇の中に居ても、彼は余裕があるように見えた。
「だが、クグレック、お前はここに居るべきでない。元の場所に戻らなければならない。」
「ディレィッシュは?」
「私か?私は魔に殺されたようなものだ。元の場所の私は死んだんだ。出られない。」
「そんな。」
「そもそもクグレックが来るまで、この場所で意識がない状態だったんだ。外の状況は新年会以降曖昧だ。」
「でも、目が覚めた。戦争、始まっちゃったけど、止めなきゃ。私は、そのためにディレィッシュに会いに来たんだから。」
「戦争は、始まってしまったのか…。」
 悲しそうにディレィッシュは俯いた。
「『無駄に命がなくなってしまうのも嬉しいものじゃない』って言ってたじゃない。私一人戻ったって、戦争を止めることは出来ない。ディレィッシュがいないと、このままじゃトリコ王国は…。」
「もう、どうにもならない。」
 ぴしゃりとディレィッシュは言い放った。今までの穏やかな表情と打って変わって、真顔だった。
「全て彼の思惑通りに動いている。彼が望む破滅の方向へと。彼はトリコ王国だけでなく、大陸全てを混乱に巻き込むだろうことは私が一番よく知っている。それだけの力をトリコ王国は蓄えて来た。彼は世界を好まない。だから、壊す。彼の優秀な情報操作の力を以てして。」
 クグレックはそのような言葉をディレィッシュの口から聞いてしまったことに、ショックを受けた。クグレックはディレィッシュにさえ会うことが出来れば、物事は全て解決すると思っていたのだ。彼の海の様な大らかな心に包まれて安心したかった。だが、それは叶わないようだ。
 すなわちそれは、クグレックが破滅の引鉄を引いた要因であることが確定するということだった。
 ディレィッシュがこんな状態になったのはクグレックが魔の力を増幅させてしまったせいなのだ。
 クグレックは破滅の世界で、終末を呼び込んだ者としての責任を負って生きなければならない。そんな世界に彼女だけ戻すなんて、ディレィッシュも惨いことをする。
 クグレックは顔を真っ青にして懇願した。
「私一人戻ったって、何も出来ないっ。ディレィッシュがいないと、このままじゃ、マシアスだってどうなるか。私は魔法の力で、物に触ることなく動かすことが出来る。だけど、きっと、国を動かすことは出来ない。だから、ディレィッシュがいないと…。」

 2016_07_02


 彼の説明によれば“魔”とは、人々の負の意識から生まれた存在である。基本的には魔の集合体は魔物と呼ばれ、意思を持たず、生きる者を襲う。だが、稀に意思を持った魔も存在する。魔は実体を持たないから、器が必要である。そのために魔は、自身に合う器を探し、支配し、身体を得る。既に実体を持ち、名前もある悪魔とは異なる存在らしい。
 しかしながら、目の前の魔は、器であるディレィッシュを支配するのに苦戦していたらしい。彼はこう語る。
「奴はそもそも闇を多く抱えた人間だった。しかし、奴のトリコ王家としての誇りが、その闇をひた隠しにした。だから、俺は奴を支配することなく、潜むことしかできなかった。だが、ある事件をきっかけに奴は俺の力を欲した。だから、俺は奴に条件付きで力を貸すことにした。」
 一つ、魔の力を利用した場合は、自我の一部を明け渡すこと
 一つ、一度魔の力を利用した場合は明け渡した自我の範囲で自動的に使われるようになる
 一つ、魔が器を支配した場合は、二度と魔の支配下を抜け出すことは出来ない
「という、こちらにとって有利な条件で力を貸したのだが、奴はしぶとかった。力をくすぶらせたまま、俺は奴の中で過ごした。あまりにも彼の中で過ごし過ぎたため、俺は消滅しかかっていた。しかし、好機が訪れた。それが、貴女、黒魔女の出現だ。」
 『黒魔女』という言葉にクグレックの背筋は粟立った。
「貴女がリタルダンド共和国の首都アッチェレで力を解放してくれたおかげで、俺は貴女の力を感じ取り、そして、魔の力を強くさせることが出来た。それは、長年続いて来た私と器の自我の均衡を破るには丁度良かった。私は器の自我をゆっくりとずぶずぶ取り込みながら、ようやく融合を果たし、支配することが出来た。彼の闇を全て知る私にとって、彼の意志を引き込むことは容易かった。何度か彼自身も抵抗をしていたようだけど、全くの無駄に終わったね。彼の知識欲、好奇心は自由を求めていた。道徳心や常識といった縛りを超えた自由を求めていたんだ。即ち、彼は心の奥底で新型大量破壊兵器の開発製造を求めていた。彼はその分野に関しては俺の力は必要がなかった。彼に与える俺の力は、彼に知識を与えた。いかにして、兵器を創り出すのか、国を、国民を戦争に向かわせるのか、多くの助言を与えた。俺の力を手にするごとに、俺の意志と彼の自我が融合していく。それは不思議な感覚なのだよ。明らかに俺の意志だけど、彼は自分自身の意志だと信じ切っている。変化に気付けないんだ。」
 愛しそうに自身を抱きしめるトリコ王。奪い取ったディレィッシュのことを懐かしむかの様だった。
「さらに黒魔女との接触もあったから、彼の中の“魔”すなわち私の力はどんどん増大していき、俺は完璧に奴を支配した。もう皆が愛してやまなかったトリコ王ディレィッシュはこの世にはいない。」
 と言って、トリコ王はクグレックの手を取った。そして、膝をつき、その手の甲に静かにキスをした。
 クグレックはトリコ王の唇が手の甲に触れた瞬間、力が抜けるのを感じた。「ひ」と小さな声を出すと、トリコ王はうっとりとした様子でクグレックのことを上目遣いで見つめていた。
「俺がこうして再び外に出ることが出来たのは偏に貴女のおかげなのだ。」
 言い換えれば、トリコ王国に災厄をもたらしたのは黒魔女クグレック。
 クグレックさえいなければ、トリコ王国が戦争の道を歩むことはなかったし、ディレィッシュだって狂うこともなかった。マシアスだって幽閉されることもなかったし、エネルギー研究所の爆発や戦争の犠牲者も生まれることはなかった。
 全ての原因の元は自分自身にあった、と、クグレックは思い込んだ。
「嘘でしょ…。」
 思わずこぼれ出るクグレックの言葉。
 悪いのはクグレックが制作に協力してしまった大量破壊兵器だとばかり思っていたが、現実は異なっていることに気付いたクグレック。
 動悸が激しくなる。耳鳴りもする。眩暈もする。体が震えて来る。胃の中から胃液がせり上がって来るのを感じて、クグレックは部屋の端に駆け込んで吐き出した。
「まだまだ成熟しきっていないようだね。」
 とトリコ王は言い、咳き込みながら吐き続けるクグレックの背中をさすった。だが、その行為はクグレックに更なる不安感を煽るだけとなり、嘔吐感は止まらなかった。それどころか、トリコ王の手がクグレックには気持ち悪く感じられ、これ以上触らないで欲しかった。
 ぐっと近づくトリコ王の体。

――近寄らないで。私に触らないで。離れて欲しい。

 クグレックは心に強く拒絶の気持ちを念じた。バチと大きな音がしたかと思うと、トリコ王が吹き飛んだ。クグレックの周りでは静電気がパチパチとなるような音が断続的に発生している。これがニタが言っていた「バチバチ」なのか、とクグレックは思った。
「ふむ。美しい力だ。」
 トリコ王は吹き飛ばされ、尻餅を着いた状態であるにも拘らず、自身に流れたバチバチを嬉しそうに感じ入っていた。
「黒魔女、貴女は成熟しきっていないがために、自らの力を制御することが出来ない。その証拠がこの魔力の放出だ。」
 吹き飛ばされたトリコ王は再び立ち上がり、ゆっくりとクグレックに近付く。
 クグレックの周りにはパチパチと目に見える形で静電気が発生している。トリコ王はその静電気を間違いなくその体に受けているが、全く気にしていない様子だった。
「何も知らない貴女に教えてあげよう。貴女は黒魔女。人の心に巣食う闇や魔を増幅させ、闇の世界の者達に力を与える存在だ。その力は黒魔女が纏う空気に等しく、意図せずとも発揮されるものだ。黒魔女の力を手中に収めさえすれば、全ての魔を支配することが出来るほどに強大な力を持っている。」
 トリコ王がクグレックに近付くにつれて、静電気は強くなっており、もはや静電気が発生しているとは言えない程にクグレックは放電を始めている。
「黒魔女の力を手に入れるためには、2つの方法がある。1つは魔女と魔の契約を交わす。2つめは黒魔女の血を飲み、心臓を喰らうことだ。ただ、魔女は殺すと灰になってしまうから、特別な力で血と心臓を喰らわなければならない。」
 クグレックから放たれる静電気は一層激しさを増していった。クグレックはしゃがみ込み、体を震わせながらも必死にトリコ王を拒絶する。クグレックから放たれる魔力の放出は確実にトリコ王に当たっているはずなのだが、本人には何の影響も及ぼさない。
 代わりに、静電気はエネルギー制御装置に接触し、次々と装置をショートさせていく。ショートした装置は火花を上げ、黒煙を燻らせた。
 すると、同時に照明が点滅し始め、警報が鳴り響いた。

 2016_06_18


 それから数時間後。再びクライドがやって来た。
「魔女クグレック、王の手が空いた。今から行くぞ。」
 応接室に入ってからずっとソファに逆向きに座っていたクグレックは顔を上げて、ふらふらと立ち上がった。ずっと同じ体制でいたため、前髪に変な癖がついてぼさぼさになっていたが、クライドは何も言わなかった。
「ニタは…」
 生気の宿っていない瞳を向けて、クグレックはクライドに尋ねた。
「応急処置はしたが、万一に備えて強力な睡眠薬を打っているから、数日間は起きないだろう。」
 クグレックはわずかに安心した表情を見せた。ゆっくりと目を閉じ、息を全て吐き出して、深呼吸をした。彼女にはやらなければならないことがある。ニタが無事ならば彼女はもう不安を抱く必要がない。
 クグレックは覚悟を決めて目を見開いた。
「行きます。」
 覚悟を決めたクグレックの様子に、意外そうな表情を見せながらクライドは踵を返した。そして、トリコ王が待つエネルギー高炉最深部まで案内をした。
 エネルギー高炉最深部には多くの巨大なタンクが存在した。また、青色のライトが使われており、独特の雰囲気を放っている。一応冷房は効いているのだが、どことなく温度は暖かい。装置が稼働して熱を発しているため、どうしても温度は高めになってしまうとのだ。
 黄色と黒の「関係者以外立ち入り禁止」という看板が取り付けられた扉を開けると、その先はz\僅かに広がった空間があった。大きさはディレィッシュのプライベートラボ程だ。管理用の数々の機械に囲まれて、そこにトリコ王ディレィッシュが佇んでいた。
「只今連れてまいりました。」
 クライドが膝をつき、かしづいて報告した。
「ごくろうさま。ではクライド、お前は下がっていなさい。“邪魔者”の侵入を防ぐんだ。」
 トリコ王は微笑みを湛えながら言った。
「王の邪魔をする者は皆遠ざけております。しかし一番の危険分子は目の前の魔女です。いつ王が危険な目に晒されるか分からない状況で離れることは出来ません。」
「始末はしていないだろう。不意を突かれない限り、お前ならば邪魔者…達の侵入を阻止することが出来る。決して侵入を許すな。その命を捧げても、だ。」
 クライドは王の意図を理解していない様子だったが、彼にとっては主の命令は絶対なので、静かにその場から立ち去って行った。
「クグレック、私は気付いているよ。クライドの目をごまかせても、私の情報力を侮ってもらっては困る。」
 クグレックはごくりと唾を呑みこんだ。今現在、クグレックが抱えている秘密に目の前のトリコ王が気付いているとなると、非常にまずい。
「ようやく二人きりになれたな。この時を待ちわびていたよ。」
 ゆっくりと近付いて来るトリコ王。
「ずっとずっと、待っていた。黒魔女よ。」
(黒魔女黒魔女って、一体なんなの?)
 クグレックは明らかな嫌悪感を表情に出した。黒魔女という呼称は、なんだか気に喰わないのだ。
「狭間の世界で、2回ほど、会ってはいたがな。」
「狭間の世界…?」
「1度目はエネルギー研究所の爆発の瞬間。2回目は今日、昼間に。2回目は接続が不十分だったためにイメージは送られなかったが。」
 クグレックは昼間のことを思い出すが、ディレィッシュには会っていない。生のディレィッシュも新年会以来1週間ぶりに見たくらいだ。映像上では何度も見かけたが。ただ、実験の時など、ディレィッシュとは2回以上会っていたはずなので、目の前のトリコ王が言っていることは理解が出来なかった。
「俺が昔発明したカノン砲を実践導入して、気持ちが高ぶってしまって、思わず“貴女”に接触してしまった。」
 トリコ王がクグレックのことを“貴女”、自身の呼称を俺としたことに、クグレックは違和感を覚えた。トリコ王ディレィッシュはクグレックのことを名前で呼ぶか、お前と呼ぶ。そして、目の前の男が言う2回目について見当がついた。
 エネルギー高炉に向かうデンキジドウシャの中で、うっかり眠ってしまった時、夢の中で聞こえたディレィッシュの声。2回目とはその時のことを指しているのか。
「なんとなく分かってきたかな?この世界では“夢”とも呼ばれているはずだ。狭間の世界は。」
 ということは、クグレックが見たエネルギー研究所のあの夢も、このトリコ王が見せたことになるのだろうか。部屋に着いていたあの安眠装置はクグレックの夢を支配するためのものとも考えられる。目の前のトリコ王であればやりかねない。
「貴女の眠りが深ければ深いほど、狭間の世界での干渉が楽になる。だが、貴女の狭間の世界には既に別の何かが入り込んでいて、少々干渉しづらかった。遠くの果ての国の少女の姿をしていたが、あれは一体なんなんだ?」
 と、トリコ王に聞かれても、クグレックが答えられるはずもなかった。“狭間の世界”すら今初めて聞いた言葉だ。
「何かしてくるわけでもなかったから、1回目の接触時に早々に追い出したが。」
 1回目がクグレックが見たあの夢を指すのであれば、あれに現れた妙な現実感を持ったディレィッシュは。
「ただ、やはりその時に感じたのは貴女の力の心地良さだった。本当に素晴らしい。」
 うっとりと陶酔しながら語るトリコ王。
「あなたは…一体だれなのですか…?」
 クグレックは顔を引きつらせながら尋ねた。なにかがおかしく、気持ち悪い。
 トリコ王はその問いに嬉しそうににっこりと微笑んだ。
「やはり、分かるか。」
 まるで、母親に褒められたかのように嬉しそうな表情のトリコ王。
「黒魔女。俺は器であるディレィッシュに潜んでいた“魔”だよ。」
 大きく手を広げながら、トリコ王は改めて自己紹介を始めた。
 2016_06_16


**********


――ようやく貴女にお会い出来る。素晴らしい器のおかげで、世界に混乱をもたらすことが出来た。貴女の魔を呼び寄せる力は、いとも容易く私を呼び覚ますことが出来た。器に眠り続けるしかなかった俺の力は彼奴如きに吸い取られ続けるだけかと危惧したこともあったが、もうその心配もなかろう。彼奴は俺との融合を受け入れた。あとは貴女の力を手に入れるだけ。貴女の来訪を心待ちにしているよ…

 クグレックはハッとして目を覚ました。突然ディレィッシュの声が聞こえたのだ。
 だが、隣ではニタがすやすやと寝息を立てている。どうやら、夢であった。クグレックは緊張のあまり寝ることも無理だろうと思っていたが、結局寝てしまっていた。
 バックミラーを通してクグレックが目覚めたことに気付いたクライドは相変わらずぶっきらぼうな口調で「あと数分で到着だ。」とだけ声をかけた。窓の外を見遣れば青空は既に茜空に変わっていた。ニタは相変わらずすやすやと眠りについている。
 3人を乗せたデンキジドウシャはエネルギー高炉へと到着した。エネルギー研究所よりも大きく、精製されたエネルギーが保存されるその建物は、研究所以上に無機質で冷たい様相をしていた。
 デンキジドウシャから降りると、クライドは自身の4D2コムを取り出して入り口にかざした。すると、入り口の扉は自動で開き、3人を受け入れた。
「間違っても余計なことをするな。」
 半ば睨み付けるような表情でクライドが二人に声をかけた。
 クグレックはクライドの威圧感に怖気づき、小さな声で「はい…」とだけ言った。
 そして、二人はクライドに案内されて、会議室に通された。そこには多数の机といすが並べられただけの誰一人として存在しない部屋だった。
 クグレックとニタは緊張した面持ちで、部屋の中ほどまで進む。この後、トリコ王ディレィッシュに会うことが出来ると考えると、緊張せずにはいられなかった。
 クライドは二人が会議室に入るのを確認すると、鍵を施錠した。そして、常に帯刀されている剣の柄に手をかけ、その身を鞘から抜いた。手入れされた白銀の刀身がきらりと光る。そして、すぐさま緊張しつつも警戒心がなくなっているニタに向かって、その剣を振り下ろした。
「え!?」
 ザシュッという斬撃音がしたかと思うと、その場に鮮血が広がり、ニタはその場にうつ伏せに崩れ落ちた。
「ど、どうして…?」
 ふかふかの白い背中には赤い血が滲んでいた。息を荒くさせながら朦朧とした意識の中でニタはクライドに向かって呟く。
 ニタの返り血を浴びたクライドは相も変わらず無表情のままだった。そして、クロスを取り出し剣についた血を拭った。
「王からの命令だ。王が必要としているのは魔女だ。ペポ族の戦士がいると少々邪魔になる。」
 クライドは刀身を綺麗に拭き上げると、その身を静かに鞘に納めた。
「まじか…。ニタ、ちょっと油断しちゃったなぁ…。ここでお別れだなんて…。クク、ごめんね…。」
 そう言い残すと、ニタは力尽きがくりと床に突っ伏した。
 クライドは、呆然として立ち尽くすクグレックに視線を移した。顔は青ざめて、カタカタと体を震わせている。まるで小動物のようだ。
「急所は外している。ニタは手当さえ間に合えば助かる。だから、速やかに大人しく指示に従え。場所を変えるぞ。」
 クライドはクグレックの腕を掴んで、無理矢理引っ張って、別の部屋へと連れ込んだ。
「もうじき王の手も空く。しばらくここで待っていろ。」
 そこは応接室で、質の良いソファとローテーブルが並べられていた。
 クグレックはソファに倒れ込み、背もたれに向かってうつ伏せになった。
 ニタが重傷を負った。クライドは手当てをすれば助かると言っていたが、本当に手当てをするのか疑わしい。杖は、クライドに没収されており、ディレィッシュに会う際に返してもらえるとのことだった。また魔法に頼れない状況だ。ニタを助けに行くことも出来ない。
 クグレックは頭の中がぐちゃぐちゃになっていたが、なんとか正気を保とうと必死だった。ピアノ商会では、マシアスが怪我して死にかけただけで、取り乱して何も出来なかったのだ。まだ色んな可能性が残っているのだから、クグレックは何とかして正気を保とうと必死だった。


 2016_06_12


**********

 砂漠の景色はいつも晴れ。雲一つない青空が空一面に広がり、褐色の砂漠とのコントラストを成している。
 クグレックはどれくらいの間この酷く爽やかな風景を眺め続けていただろうか。車窓の景色は美しいものだけれど、同時にかわることのない単調な景色。エネルギー高炉までは研究所よりも倍以上離れている。
 運転するクライドは一切言葉を発しないし、隣のニタもこの緊急事態の中呑気に眠っているので、静かであった。クグレックはこれから果たす責任の重圧で、眠ることなど出来なかった。ずっと緊張状態が続いている。
「クライドさん、クライドさんはどうしてトリコ王国にいるのですか?」
 少しでも緊張状態をほぐすために、クグレックはクライドに声をかけてみた。とはいえ、クライドとの会話もまた緊張するものではあるのだが。
 バックミラーのクライドと一瞬目が合ったかと思うと、クライドは再び運転に集中する。彼からの返答はなかった。予想していたことではあったが、クグレックは悲しくなった。
 だが、しばらくして、クライドは口を開いた。
「王がいるから。」
 クグレックはハッとしてバックミラーに映るクライドに視線を移す。
「昔、約束したんだ。ディレィッシュがどんなことをしても、彼を絶対に守り続ける騎士になると。」
 クライドは表情を変えずに淡々と話した。
「それが自分の生きる理由であり、歓びだ。あの人は私を認めてくれた。外見や家名といった飾り物ではなく、私自身とその力を認めてくれた。だから私はあの人のために生きると決めたのだ。」
 ちらりとクグレックとクライドの視線がバックミラー越しに交差する。クライドは揺らぐことのない強い眼差しであった。
「見たところ、そのペポ族も私と同じだろう。お前のために生きているように見える。」
 呑気にぐーすか眠るニタに移る視線。
 クグレックもニタを見つめた。
 ニタはいつもクグレックの傍にいてくれる。それは二人がアルトフールへ行くという目的があるからであって、クライドのような強烈な忠誠心からではない。
 ただ、ニタはクグレックの友達であり、クグレックはニタの友達である。
 クグレックはニタが悪い方向へ向かうならば、どんな手を使ってでも止める意志はある。
 しかし、ニタはどうだろう。クグレックが自ら行動を起こすことがほとんどなかったので、ニタがクグレックを止めることはなかったが、もしも、万が一クグレックが誤った道を進むとしたならば、ニタはクライドの様に着いて来てしまうのだろうか。
 ニタは祖母と面識があり、何かを知っていて、一緒に居てくれるのかもしれないが、詳しい理由は良く分からない。ニタの優しさに頼り切っていたクグレックだったが、ニタの本心をクグレックはまだ知らない。
 やはり、クグレックは知らないことだらけだ。
「王の行く末が地獄であろうとも、王の意志だ。あの人がそうしたいと望むならば、私は力を奮うまでだ。」
 クライドはゆっくりとハンドルの傍にあるボタンを押した。すると、どこからか音が鳴り出す。ザーザーというノイズ音の中に交じって、女性の声が聞こえる。この滑舌の良い凛とした女性の声は、4D2コムの映像で様々な情報を伝えていた金髪の美女の声だ。

――…先ほど、王国軍はランダムサンプリに対する報復処置を始めました。大陸初となる短距離型高エネルギー発射装置を国境近くの野営地に向けて威嚇発射しました。………

 ノイズ音に交じって聞こえる女性の声は非常に張り詰めた様子だった。
 
「もう止まることは出来ないだろう。戦争は始まる。」
 静かに語るクライド。
「ランダムサンプリも、早い段階から戦争が起こることを察知していたらしい。あちらもすぐに対応してくるだろう。ただ、情報は錯綜しているだろうが。」
 カチと再びボタンを押すと、ノイズ音は消え、再び無音状態となった。
 青空に映える砂丘の中を虹色の粒子を噴射しながら、デンキジドウシャは進んで行く。
 マシアスが身を挺して止めることが出来たはずの戦争はいとも簡単に始まってしまうらしい。
 クグレックは周りが絶望の暗闇に包まれてしまうような心地だった。


 2016_06_11


「う、うえ、何?」
 ニタは慌てて4D2コムを確認した。さらさらと表面を撫でると、4D2コムから声が聞こえて来た。
『ごきげんよう、ペポの戦士ニタと黒き魔女クグレック。』
 ディレィッシュの声だ。
『我がプライベートラボにようこそ。どうしても私に会いたかったのだね。来ると思っていたよ。だが生憎私は爆発事件の対応とそれに対するランダムサンプリへの報復準備で大変忙しい。』
「報復準備って…」
『なお、これは事前に録音しておいたものだ。万一二人が私に会いたくて、プライベートラボまで来た時のために、吹き込み準備しておいた。』
「やっぱり、ニタ達がここに来ることはお見通しだったわけか。」
『エネルギー研究所は吹き飛んでしまったが、同時に進めていたエネルギー高炉の運用は上手く行っている。ここには対ランダムサンプリ用の報復装置が存在するのだが、最後の締めに二人の力を借りたいのだ。3日後、クライドが二人のことを迎えに来る。部屋に戻って、身支度をしてくれ。二人へのメッセージは以上だ。会うのを楽しみにしているぞ。』
 ぷつっという切断音がすると、それ以降ディレィッシュの声が聞こえることはなかった。
「報復装置ねぇ…。クク、どうする?ディレィッシュに会いに行く?クライドが来るから、逃げられないような気がするけど。」
「うん。力を貸すつもりはないけど、ディレィッシュに会うことが出来れば、話が出来るよ。」
「ニタは罠の様な気がするんだけどな。嫌な予感しかしない。」
「それでも、行かなきゃ。」
「分かったよ。…ねえ、クク、部屋に戻ったらやってみたいことがあるんだけど、それだけ協力してくれない?」
「え、いいけど、何をやるの?」
「部屋に戻ったら教えるよ!」
 二人は元来た道を戻り、再びエスカレベーターに乗って、部屋へと戻った。
 そして、ニタはクグレックに“やってみたいこと”を筆談で伝え始めた。言葉にして話してしまうと、どこかで王が聞いているかもしれない。現に扉越しにマシアスと交わした会話は筒抜けであったし、ニタがやってみたいことがばれてしまうと、本当にどうすることも出来なくなる。
 3日間の猶予があったので、二人は静かに、そして気付かれないように入念に策を練り、準備を行った。
 それから約束の3日後になると、朝早くからクライドの来訪があり、二人は10日ぶりに部屋の外へ出ることが出来た。
「いやぁ、やっぱシャバの空気は違いますなぁ。」
 クライドに連れられて城内を歩く二人。クライドは相変わらず無表情で寡黙である。常に右手が帯刀している剣の柄に触れているのは、クグレックとニタが万一逃げようとした際に太刀打ちするための準備だった。彼の剣捌きは音速の様に早く正確である。
 と、その時ニタは手に持っていた4D2コムを誤って落としてしまった。
 カンカンカンと大理石の廊下に大きな音を立てて転がる4D2コム。慌ててそれを追うニタにクライドは猛禽類の様な鋭い視線を向けたが、4D2コムを拾い大人しくニタが戻って来る様子を見ると、再び歩き始めた。
 これがニタの“やってみたいこと”だった。
 そのままクライドは城の駐車場へ向かい、二人をデンキジドウシャに乗せ、自らの運転でデンキジドウシャを走らせた。向かう先はおそらくエネルギー高炉だ。


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