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 クグレックとニタはリタルダンド共和国の首都アッチェレに到着した。ポルカの村を降りた麓の村から、首都までの定期馬車が出ていたので、それに乗り、1週間かけてやってきた。都会の風景は、クグレックに地面を見る隙を与えない。隙間なく煉瓦造りのアパートメントが立ち並ぶ。
 建築途中の建物がちらほら見受けられるが、比較的新しいレンガ造りの建物が多く立ち並ぶこの都市は、かつての政変が非常に過酷な状況であったことと、その後の統治者による復興が良く進められていることを表していた。
 また、建物だけでなく道も綺麗に整備されている。綺麗に石畳が並べられた道路の傍には花壇が作られ、葉牡丹と葉がわずかにしか残っていない枯れた街路樹が植えられていた。
 のんびりとアッチェレ市街地を歩いていた二人だったが、次第に日が傾いて薄暗くなり、街灯にも灯りがつけられていくようになった。
 そろそろ休む場所を確保しなければならないので、宿屋を探して道を歩いていると、ふとニタが「あ」と声を上げた。宿屋の看板を探して辺りをきょろきょろ見回していたクグレックはその声に立ち止り、ニタを見た。
 ニタは白いふかふかの毛を全身逆立たせ、通りの向こうの人物を見つめていた。
 時刻は黄昏時。向こうの通りは未だ街灯が点いていないので、クグレックにはどんな人物なのか判別できなかった。男性が二人歩いていることしか分からなかった。
 ニタは身体能力が高い。おそらく、その視力も人間以上のものを持つのだろう。
 クグレックはどうしたのか、ニタに尋ねてみた。
「一体どうしたの?」
「ククは分からないの?」
 ニタが信じられないというような口調で言った。
「あいつら、ニルヴァを狙った山賊のボスと…」
「え、警察に捕まって、裁判にかけられたんじゃなかったの?」
 ニタはクグレックの問いを無視して、目をこすってもう一度通り向こうの男性を見た。
「そんなことより、もう一人は、マシアスだよ。どういうこと?」
「え、マシアスさん?」
 クグレックも驚いて、目を細めながら通り向こうの男達を見た。
 確かに一人は筋骨隆々で浅黒い肌をしている。山賊のボスと言われれば、確かにそうである。
 だが、その傍の同じくらいの身長のオールバックの金髪の男性はクグレックは見たことがない。ニタ曰く、彼がマシアスだということになるのだが。
「あの水色の目。ニタは覚えている。」
 こんな距離からでも識別できてしまうニタの視力に驚きながらも、クグレックはその言葉を信じ切れずにいた。何故ならマシアスはポルカで共に山賊退治をした仲間なのだ。そんな人物が、なぜ敵であった山賊のボスと一緒にいるのか。
「ニタ、ニタの目が良いことは凄いと思う。でも、マシアスさんは味方だよ。なんで山賊のボスなんかと一緒に居るの?それに、水色の目を持った人なんて沢山いるじゃない。」
 クグレックの故郷であるマルトの住民は鳶色の瞳の人が多かったが、その国の首都から来る偉い役人や騎士は青い瞳の者が多かったことをクグレックは覚えていた。
「いや、あいつはマシアスだ。きっと。ちょっと後を追ってみよう。」
「えぇ、やめようよ。」
 クグレックの静止も聞かずに、ニタは二人の追跡を開始する。クグレックは仕方なくニタの後を着いて行った。クグレックはそろそろお腹もすいて来たし、足も疲れて来たので休みたかったが、言葉には出さなかった。
 しばらくつけていくと、男二人は大きな煉瓦造りのアパートメントに入って行った。正面にドアが付いた形の3階建てのアパートメントだった。ドア上部には「ピアノ商会」と書かれた真鍮の表札が掲げられていた。
「ここは商業事務所みたいだね。」
 クグレックが言った。辺りには闇が迫っているが、街灯の灯りが点いていたので、クグレックでも『ピアノ商会』は認識することが出来た。
「うん。きっと、希少種ハンターのアジトだ。そもそもマシアスはグルだったんだ。マシアスはポルカの村から仕入れた情報を仲間の希少種ハンターに流してた。おかしいと思ったんだ。なんでニルヴァ防衛班はククを含めた4人だけだったのかって。防衛班にニタが行ったって良かったはず。アイツ一人でも山賊の8人くらい相手に出来たはずなのに。防衛班を手薄にして、残りの山賊に狙わせたのもマシアスだったんだって、ニタは思ってるよ。」
「そんな。マシアスさんは私達を助けてくれたじゃない。山賊のボスにとどめを刺したのはマシアスさんだよ。なにより、マシアスさんだって、私のせいで怪我を負ってるんだよ。きっとあの人はマシアスさんに似た別の人だよ。」
「いや、絶対マシアスだ。」
 ニタは全く折れる様子はない。ニタの頑固さにクグレックは呆れながら、ため息を吐いた。
「もう、じゃぁ、マシアスさんってことにしていいから、早く宿屋を見つけてご飯でも食べよう。」
「いや、これから突入する!」
 ニタはクグレックの話を聞かずに、ドアの取っ手に手をかけガチャガチャさせた。
 クグレックはため息を吐いた。
 そして、手に持っていた杖を構えると「ラーニャ・レイリア」と唱えると、ニタはそのままの格好でドアから遠ざけられた。クグレックは物体移動の魔法を使ったのだ。
「ちょっと、クク!ニタは希少種ハンターのアジトをぶっ潰さないといけないの!魔法を解いてよ!」
 ニタは手足をバタバタさせながらクグレックの魔法に抵抗する。
「…ここがアジトって分かったなら、明日でも良いと思う。今日は諦めて、ご飯食べて休んでからにしようよ。」
「嫌だ!」
 クグレックの魔法のため動けないニタは、まるで子供のようにその場で地団太を踏んだ。が、ふとした瞬間にそのふかふかした白くて丸いお腹から「ぐううう」と大きな唸りが発せられると、ニタは瞬時に大人しくなった。
「ククの言う通りだ。お腹空いたし、早く宿を探そう。」
「うん。」
 クグレックはにっこりと微笑んだ。

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 2015_10_26



**********

 ピアノ商会から近いところに、二人は宿屋を取った。朝食と夕食がついてなかなかのお値段だったが、二人はこれまで野宿を取ったり、ポルカではニルヴァ防衛の功績が称えられて宿泊費、食事代がタダになったりしていたので、お金に関しては余裕があった。
 夕食に関しては、ポルカの食事の方が美味しかったが、野宿でニタが調達してくる野性味あふれる食事よりは全然美味しかった。

 翌日、二人はピアノ商会へ向かった。
 ニタはこのまま突入しようと提案したが、クグレックが必死に危険性を説得して、突入することだけは避けられた。
 その代わり、ピアノ商会の向かいにあるカフェのテラス席で、様子を伺うこととなった。暦の上では既に冬となり、ドルセード程ではないが肌寒い。メイトーから受け取った荷物の中には薄手のケープが入っていたので、二人はそれを着て張り込みを行った。
 のんきにパンケーキを頬張りながら、ピアノ商会を見張る二人。
 午前中は全く人の出入りはなかったが、正午を過ぎてから、人が出入りするようになった。そして、日が大分傾いてきたころ、ニタ達が探し求める人物がピアノ商会から出て来た。金髪のオールバックで服装は何の変哲もないアッチェレの男性の服装の一人の男性。
「マシアスだ!」
「きっと別人だよ。」
 そもそもポルカで出会ったマシアスは、砂漠の国の民の衣装を身に纏っており、露出が異常に少なかった。頭はターバンで覆われて、髪の色も分からなかったし、顔も山賊退治の時は布で隠されていたので、表情も良く分からなかった。クグレックとニタの中に残るマシアスの印象は冷たい水色の瞳だったが、それだけでは個人を特定するのは難しい。
 マシアスと思しき人物がどこへ行くのか、と二人は見張る。彼は道路を横断し、こちらに向かってくる。二人は表情を強張らせた。
 マシアスの影がニタとクグレックに重なる。
「何をしてるんだ。お前たち。」
 まさに声もマシアスそのものだった。
 逆光で表情は良く分からないが、水色の瞳が二人を見下ろす。
「やっぱり、お前はマシアス!」
 ニタが指を指して叫んだ。マシアスは少し焦った様子でニタの口を自分の手で押さえつけた。
「騒ぐな。静かにしろ。」
 ニタは口をふさがれてもなお、何かしら喚いてる。
「一体、どうしてこんなところにいるんですか?」
 ニタがもごもご言っているのを無視してクグレックが尋ねる。マシアスは口を押えられて暴れるニタをいなしながら、
「その言葉、そっくりそのまま返したいよ。お前たちのせいで、ちょっと困った状態にあるんだ。悪いようにはしないから、ちょっと来てくれないか?」
と、答えた。
「来てくれないか、って、どこへ?」
 クグレックの問いに、マシアスはちらりとピアノ商会に顔を向ける。そして、すぐにニタをいなす。
「…それって、どういうことですか?」
「詳しいことは、後で。とにかく、お前たちの安全だけは絶対に約束するから。」
 そう言いながら、マシアスはニタの首根っこに手刀を入れると、ニタは一瞬にしてぐったりと大人しくなった。
 クグレックはびっくりして口に手を当て、悲鳴が出そうになるのを我慢した。そんなクグレックがびっくりしている間に、マシアスはカフェの会計を済ませ、右手でニタを担いでピアノ商会に向かう。
 クグレックは、魔法で応戦しようと杖を取ろうとしたが、その手は宙を掴んだ。きょろきょろと辺りを見回すと、目の前のマシアスの左手にはクグレックの杖が握られていた。あの樫の杖はクグレックの祖母から譲り受けた形見でもある。
 クグレックが顔を真っ青にして立ち尽くしていると、マシアスは振り返り、
「だから、悪いようにはしない。お前のお友達を連れて行かれたくないのならば、ついて来い。」
と言って、左手の杖を掲げた。
(何が悪いようにしない、だ。ニタをあんな目に遭わせた挙句、私の杖を奪うなんて!確かにマシアスはニタの言う通り希少種ハンターの仲間だった!)
 とクグレックは心の中で怒るのだが、ニタと形見の杖を人質に取られては何もできない。クグレックはマシアスの背中を睨み付けながら、後を着いて行った。
 2015_10_29


**********

 クグレックは暗い部屋で一人、後悔していた。
 マシアスにピアノ商会に連れて来られ、クグレックは1階にある木箱が沢山積まれた小さな部屋に案内された。「ここで少し大人しくしていてくれ。」と言われて、マシアスに外から鍵をかけられ、まんまと閉じ込められたのだった。
 ニタと杖はマシアスの元にあるので、クグレックは何も出来ない。最初からニタの言うことを信じて、マシアスに対してもっと警戒心を持つべきだった、と悔やむしかなかった。
 もしここがニタの言う通り、希少種ハンターのアジトだとするならば、既に絶滅したとされる希少種であるニタの身が非常に危険である。クグレックは何としてでもこの部屋から出たいと思うが、杖を奪われては成す統べもない。杖がなくても魔法は使えることは使えるが、いつもの効果を発しない。
 クグレックは掌を天に掲げて「イエニス・レニート・ランテン・ランタン」と呪文を唱えてみた。クグレックの手のひらで蝋燭の炎くらいに小さな炎が灯される。杖がなければこんなにも効果が弱くなる。
 ただ、こんな小さな炎でも灯りの無い真っ暗な部屋では周囲を照らす光となった。木箱しかないのは知っていたが、その箱の中に何か杖の代わりになる物はないか探してみることにした。片手で木箱の封を開け、箱の蓋を開ける。片手では持ち上がりそうもなかったので、いったん火を消して両手で蓋を開ける。そして、再び小さな火を魔法で出して、木箱の中身を照らした。
 箱の中には缶詰が沢山入っていた。魚や肉、スープなどの缶詰である。非常食として利用しているのだろうか。ここはピアノ商会という場所だから、取り寄せた商品かもしれない。クグレックは別の木箱も確認してみた。すると、別の木箱には衣服が沢山入っていた。全て男性物の衣服だ。さらに別の木箱を開けてみると、その中には武器が沢山入っていた。主にサーベル型の剣が入っている。また、その剣を運ぶためのベルトも沢山入っていた。
 あいにく剣は杖の代わりにはならない。クグレックは別の木箱を漁ってみたが、杖の代わりになる様な物は見つからなかった。
 他にも兜や防具といったものが木箱の中に大量に入っており、小部屋は積んであったものを降ろした木箱で一杯になっていた。
 クグレックは呆然と立ち尽くした。
 こうしている間にも、無抵抗のニタをマシアス達が虐げているかもしれない。
 そう考えると、クグレックはいてもたってもいられない気持ちになったが、杖もない魔女はただの女の子。今のクグレックにはどうする術もない。
 クグレックはヘタリとその場に座り込み、祖母の形見のペンダントをローブの下から取り出した。革紐の先には黒瑪瑙が結ばれている。吸い込まれるような漆黒に輝く石。クグレックはこの石のすべすべした手触りが好きだった。
 このペンダントは魔除けのお守りだと祖母が言っていた。だが、お守りなんて所詮はお守り。お守りがクグレックを守ってくれることはないだろうと思っていた。むしろ守ってほしいのはクグレック自身よりもニタだった。
 クグレックは黒瑪瑙をぎゅっと握りしめ、ただひたすらにニタの無事を祈った。
 その時、クグレックはふと何かを思いつき、再び小さな炎を掌に灯し、木箱を漁り始めた。サーベルが入っていた木箱から、サーベルを一本取り出し、その鞘から白銀に光る刀身を剥き出した。クグレックには剣は重たかったので、片手で持つことは出来なかった。炎を消し、両手で剣を握り、おもむろに木箱の蓋に刃先を叩きつける。ガン、ガンと何度も叩きつけるうちに蓋は割れた。更に叩きつけ、クグレックは木箱の蓋を破壊する。そして木箱はただのバラバラの木片と成り果てた。
 クグレックは「ふう」とため息を吐き、剣を鞘に戻して元の木箱にしまうと、額から伝い落ちてくる汗を拭った。
 再び掌に小さな炎を灯し、バラバラの木片を照らす。太すぎず、細すぎず、小さすぎず、大きすぎず、短すぎない木片を吟味すると、クグレックはそれを手に取った。何度か素振りをしてみて、彼女的にしっくり来たので、クグレックは扉に向かって杖を向けた。
 左手のひらの炎を消し、クグレックは木片に力を込め、集中する。
「アディマ・デプクト・バッキアム」
 と、クグレックは呪文を唱えると、木片の先から靄のような白い光が発せられ、扉に向かってゆっくりと浮遊して行った。
 光は扉をすり抜けていった。
 何の反応も起きず、クグレックは失敗したのかとがっくりとしたが、5分後くらいににカチャリと錠前が回る音が聞こえた。
「出来た。」
 クグレックは思わず小さく声を上げた。鍵開けの魔法が成功したのだ。杖の代わりのただの木片を媒介にしての魔法だったので、鍵開けの効果が出るまでには少し時間がかかってしまったが。以前もスプーンの柄を媒介にして魔法を使ったことがある。
 鍵開けの魔法はクグレックはあまり使ったことがなかった。祖母の部屋にあった魔導書を読んで鍵開けの魔法を覚え、鍵開けの魔法を使ったが、祖母にばれてしまった。それ以降祖母がクグレックから隠したい物に関しては、全て鍵開けの対抗魔法がかかってしまい、クグレックの鍵開け魔法は効果を発揮することはなくなってしまった。
 クグレックは、ちょうどいい大きさの木片を持ち出し、ゆっくりと扉を開けた。廊下には既に灯りが灯されており、数時間ぶりの光はクグレックにとって少しだけ眩しかった。

 2015_11_01


 廊下は人気がなかった。部屋を出て左手側には階段がある。また、小部屋の隣にも部屋があるようだったが、鍵がかかっていた。鍵開けの魔法をかけておいて、再び訪れることにした。
 クグレックは、鍵開けが出来てしまう自身に少なからずも罪悪感を覚えていた。泥棒のような真似をしている気分になり、自身の将来の行く末を案じた。しかし、今はニタが捕まってしまって緊急事態なのである。
「こんな泥棒みたいなことをするのは、今回だけ。」
 と呟き、自分に言い聞かせて、クグレックは1階の探索を続けた。
 1階は全く人気がない。小部屋から右手側に向かうと、開けた空間にでた。エントランスホールだ。来客を迎えるための受付のカウンターがあり、傍らに待機用の複数人掛けのソファもある。だが、カウンターには埃がたまっており、受付内には荷物が散乱している。ここ数日のうちにに受付嬢がいたような形跡はなかった。
 受付ホールのすぐそばには扉が二つあった。一つは男女のマークがついた扉、もう一つは特に何もついていない普通の扉。
 前者はおそらくトイレであろうことはクグレックにも容易に想像できた。後者は良く分からなかったので、クグレックは扉を開けることにした。扉には鍵がかかっておらず、簡単に開いた。
 部屋の中は暗かったので、クグレックは魔法で灯りを灯した。木片が杖の代わりになったので、杖がない時よりは明るい炎を出すことが出来た。部屋には木製のローテーブルがあり、エントランスホールにあったソファよりも豪華で立派なソファが向かい合わせで配置されていた。
 床は絨毯張りになっており、壁には動物の頭だけの剥製が並んでいた。クグレックには希少種が何かは分からなかったが、おそらく希少種ハンターが狩ったであろう動物たちなのだろう。
「ニタ、いる?」
 クグレックの呼びかけにあの可愛らしい子供のような声は聞こえてこなかった。
 まだ意識が飛んでて返事が出来ない状態である可能性も考慮して、クグレックは部屋の中を一通り探してみたが、白い子熊のぬいぐるみの様なあの子はいなかった。
 部屋を出て、ついでにトイレも探してみたが、ニタの姿は見えなかった。
 ニタの安否を心配しながら、クグレックは先ほど鍵開けの魔法をかけた扉へ戻った。鍵開けの魔法は成功しており、扉は難なく開いた。
 こちらの部屋も灯りがついてなかったので、クグレックは再び魔法で灯りを灯した。部屋は、小部屋の倍広く、クグレックが幽閉されていた小部屋にあった木箱と同じ木箱が大量に積まれていた。この部屋には木箱以外の物は見当たらなかった。
 もしかすると、ニタはこの木箱の中に閉じ込められているかもしれない、とクグレックは考えたが、目の前の山のように積まれた木箱を見て、ため息を吐いた。木箱の数は先ほどの小部屋にあったものよりも数倍はある。重さもあるので、非力なクグレックにはなかなか重労働だった。
 だが、弱気になっていられない、とクグレックは奮起して、木箱開けに取り掛かろうと手にしていた木片を掲げた。
 今の彼女には、物体移動の魔法がある。魔法の力を使えば、重い荷物も簡単に動かすことが出来てしまう。
「ラーニャ・レイリア!」
 木箱に向かって呪文を唱えたクグレックだったが、やはり木片の杖では魔法がうまく使えなかった。1ミリほど動かすのに、木箱の重い蓋を開けるのと同じくらいの力が必要だった。
 魔法にばかり頼るのも良くないな、とクグレックは痛切に感じ入り、袖をまくって木箱開けに取り掛かることにした。
 と、その時だった。ピアノ商会の正面入り口側からバタンとドアが閉じる音がした。そして、男性が喋る声が聞こえてくる。
 クグレックは緊張した。もし見つかったら大変なことになってしまう。絶対に物音立てずに、かつ外で男達がどんな話をしているのか気になって、そっと壁際まで歩いて聞き耳を立ててみた。
「いやぁ、今日も寒いな。
「本当に。リタルダンドは雪は少ないが風が冷たいんだよな。」
「なんでここにアジトを構えちゃったのかねぇ。そういや、あの新入り、絶滅したとされるペポを捕えたって。」
「へぇ、あのペポを。」
「しばらくはボスのお気に入りになるだろうな。」
「ま、すぐに飽きられて、コレクターに売られるだろうけどな。」
「ははは。ま、ボスに報告がてら、ペポでも観に行くか。」
 男達の声はクグレックがいる部屋に近づいて来た。クグレックの心臓は破裂寸前まで高鳴った。見つかったらどうしよう、という緊張感と恐怖にクグレックは暑くもないのに汗が大量に出て来た。
 が、男達の声は次第に遠ざかって行った。階段を上がって2階へ行ったようだ。クグレックはほっと安堵のため息を吐いた。
 そして、ニタの手がかりもつかめた。
 男達の話によると、ニタはこの部屋にはいないようだ。この大量の木箱を開けないで済む、ということが分かり、安心した。
 だが、ニタが捕えられたままなのは変わらない。おそらくニタはボスの部屋にいるということなので、クグレックは2階へ上がることを決意した。
 ただ、この杖代わりの木片では、いざ誰かに見つかった時に身を守る術が心許なく不安だ。いつもの樫の杖さえあれば魔法の力クグレックを助けてくれる。ニタ救出の前に、何としてでも樫の杖を取り戻さなければならない。
 マルトの村では忌み嫌われていた、クグレックの大嫌いだった魔女の力が、今やクグレックが前に進んで行くに当たって大切な力となっていた。



 2015_11_03


**********

 クグレックは2階に上がった。階段は更に3階へと続いているが、3階はおそらくニタとボスが潜んでいるはずなので、まずは2階からの探索だ。杖を取り戻さなければならない。2階は深紅の絨毯が敷かれた廊下が続いていた。突きあたりには油絵で描かれた花の絵が飾られていた。右手側には等間隔に4つの扉が並んでいた。
 クグレックは手当たり次第にすべての部屋を探そうと試みた。まずは一番近い部屋の扉を開けようとした。が、鍵がかかっていたので、クグレックは慣れた手つきで鍵開けの魔法を使った。鍵開けには時間がかかるので、隣の扉へ移った。隣の扉も鍵がかかっていたので、鍵開けの魔法を使って3番目の扉へ。ここは鍵がかかっていなかった。クグレックは扉に耳を当て、中にだれもいないかどうか確認した。呼吸音もうるさいので、息を止めて部屋の中の音に聞き耳を立てる。話し声や足音、物音は何も聞こえない。
 誰もいないということを確認して、クグレックは扉をゆっくりと開く。指1本分だけ開けると、部屋の中は灯りがついていたことが確認できた。誰かいるのかもしれない、と思ったが、クグレックはそのまま扉を開け、部屋の中に侵入した。
 灯りは付きっぱなしだったが、部屋には誰もいなかった。クグレックは念のため内鍵を閉めておいた。
 この部屋は誰かの部屋のようであった。書類が大量に入った棚と、チェストがあり、奥の方には2段ベッドが2セットあった。
 クグレックは杖がありそうな棚周辺を探してみたが、クグレックの求める杖は見つからなかった。
 その時、ガチャガチャと扉のドアノブを回す音がした。誰かが入ってくるかもしれない。
 クグレックはとっさに二段ベッドの布団の中に身を隠した。
 ガチャリ、と鍵が開く音がすると、ぎいと扉を開けて誰かが入って来た。
 足音は限りなくクグレックが隠れているベッドまで近付いて来る。この緊張感がクグレックの寿命を縮ませてはいないだろうかと不安になるほど、今日は心臓をバクバクさせている。
 入って来た誰かは、ベッドの傍で何かをかちゃかちゃと弄っている。そして、独り言を言い始めた。その声はクグレックが思うにマシアスであったが、様子が少しおかしい。
「俺だ。ハッシュだ。今転覆屋のアジトにいる。が、ちょっと邪魔が入って、今日中に潰すことになると思う。なるべく早くフォローをくれ。穏便に済ませたかったんだが。――ははは、まぁ、これで誤解が解けるのであれば、どうなったっていいさ。ランダムサンプリの方は既に懐柔できている。なにかあればこっちが支援することは伝えている。――あぁ、ちょっと時限爆弾みたいなもんだ。なるべく早く、頼む。じゃぁな。」
 誰かと一緒に居るのだろうか、とクグレックは思ったが、聞こえてくるのはマシアスの声だけだ。まるで会話でもしているかのような独り言だ。彼は一体何を潰すつもりでいるのだろうか。ニタのことだろうか。息を殺してベッドの中に潜むクグレックはとにかくマシアスが早くどこかに行ってくれないかということだけを考えていた。
 ところが、マシアスはため息を吐くと、気が抜けたように2段ベッドに腰を下ろしたのだった。残念ながら、そこはクグレックが隠れていたベッドで、クグレックがマシアスの尻の下敷きになることだけは免れた。しかし、その降ろした手は、不自然に盛り上がった布団に降ろされ、マシアスが違和感に気付くのに数秒もいらなかった。
 マシアスは、勢いよく布団を剥がした。そこには小さく丸まって小刻みに震える黒いローブを着た娘の姿があった。
 マシアスは心底驚いた様子で「大人しくしていろっていったじゃないか!どうやって出て来た!」と怒鳴りつけた。
 クグレックは心臓の動機がピークに達し、心臓麻痺で昇天してしまいそうな心地でいたが、ニタのことを思い出し、勢いよく体を起こして木片をマシアスに向けた。
「ニタと私の杖はどこ?」
 黒髪をぼさぼさにして、クグレックは涙目になりながらマシアスを睨み付ける。
 マシアスはため息を吐くも感心した様子で
「さすがは魔女。あんな暗くて狭い部屋に閉じ込められても活路を見いだせるんだな。ちょっと見くびっていた。注意すべきはあのペポだけではなかったか。」
と言った。呑気に感心するマシアスに反して、
「そんなことよりも、ニタと私の杖!」
と、強い語気のクグレック。彼女はパニック状態に陥っていた。怖気づく余裕もない。
「ペポは3階のボスの部屋。お前の杖は2階の武器倉庫。」
 マシアスが思いのほか素直にクグレックの問いに答えたことに、クグレックは拍子抜けした。あれ?と違和感を感じながら、マシアスを見つめる。暗い小部屋で許せずにいたマシアスは超極悪人として浮かび上がっていたはずなのに、目の前のマシアスはどこか優しい表情でいる。
「ペポはそろそろ目を覚ますだろう。今は鉄の檻にいるけどあいつのことだから、おそらく檻を破壊して脱獄するだろうな。」
 クグレックはマシアスの様子が思っていたものとは違っていたことに戸惑い、目を何度も瞬かせる。
「ここの奴ら位なら、ニタ一人でも倒せるだろうけど、だけど、魔女といえどもお前は関わらなくても良い。ペポのことは俺に任せて、もう少し寝ると良い。」
 マシアスは優しくクグレックを抱きしめる。初めて祖母以外の人に抱き締められたのだが、クグレックは鳥肌が立って背筋に悪寒が走った。クグレックはマシアスの胸を押してマシアスから離れようとするが、相手はニタを抑えることが出来る手練れだ。非力なクグレックではマシアスから離れることが出来なかった。
「やだ、離して!」
「兄貴からは女の子に手荒な真似はしちゃいけないって言われてるんだけど、やむを得ないんだ。」
 マシアスはクグレックの髪を流して、うなじをさらけ出した。そして、クグレックのうなじ付近に手をやり、何かを確認するようにさする。
「いや、やめて!私、ニタを助けなきゃ!」
 クグレックは、自分もニタのように一時的に意識を飛ばされることを察知し、抵抗した。だが、クグレックが何をしたとて、マシアスには何も効かない。
「いや!」
 クグレックは目を瞑り渾身の力を振り絞って叫んだ。
 すると、バチッという音と共に雷が落ちたかのように周囲が一瞬だけ白く光った。
 再びクグレックが目を開けると、マシアスは床の上で尻餅を着いて驚いている。
「お前、今、なにをした?」
 クグレックも突然の状況に驚いて、声を出せずにいた。呼吸を荒げて、額から汗がたらりと垂らしていた。
 クグレックは前にも同じような状況があったのを思い出した。 
 メイトーの森を抜ける前に出会った謎の紅髪の女がクグレックの首を絞め、殺そうとした時に、バチッと閃光と音がしたかと思うと紅髪の女はクグレックから離れて腰を抜かしていたことがあった。クグレックの強い拒絶の力が、魔力と相俟って暴発してしまったのか。それは良く分からない。
「…眠らされるのは、俺の、ほうだったか…。」
 マシアスはそう呟くと、そのまま倒れて横になり意識を失った。
 クグレックは思わずマシアスに駆け寄り、状態を確認した。
 きちんと心臓は動いており、呼吸もしているし、体温もある。
 クグレックはほっと安心して、かけ布団をマシアスにかけて、そっと部屋を出て行った。
 2015_11_04


『ペポは3階のボスの部屋、お前の杖は2階の武器倉庫』
 クグレックはマシアスの言葉を思い出し、残りの3つの部屋を探すことに決めた。どこかに武器倉庫があるらしい。ひとまずまだ確認していない一番奥の部屋の扉を確認してみた。こちらもまた鍵がかかってなかったので、入ってみたが、この部屋は給湯室であり、また、トイレもあった。そして、なにか得体のしれない実験器具のようなものもあった。謎の部屋だが、マシアスの言う『武器倉庫』ではないのは確かだ。クグレックは早々に部屋を立ち去り、鍵開けの魔法を使った二つの部屋へ向かうため、廊下を戻っていく。
 ところが、階段の方から、ざわざわと人の声が聞こえる。
「なんか2階から変な音が聞こえたよな。」
「マシアスも戻って来ないし、なんかあったのか?」
「もしかして、1階の魔女が魔法を使って、脱出してたりして。」
「まさか、あんな小娘が、そんなことできるかよ。」
 男達の声にクグレックは驚いて、2個目の鍵が開いた部屋まで小走りでかけて行ったが、残念ながら、階段を降りて来た男のうちの一人に見られ、「あ、あの小娘!」と指を差された。
 クグレックはびっくりして思わず、魔法で開錠された部屋に駆け込み、内鍵を閉めた。部屋の中は真っ暗で何も見えない。
 すぐにドアが強い力で叩かれ、ドアノブも執拗にガチャガチャ回された。この光景をクグレックはどこかで見たことがあったが、あまり思い出したくはなかった。
 そんなことよりもクグレックはこの部屋が武器倉庫であることを願った。まだ確認できていないもう一つの部屋が武器倉庫ではありませんように、と祈りながら、クグレックは魔法で炎を灯す。
 炎の光に照らされて映し出されたのは、立ち並んだスチール製の棚だった。棚に近付いて見てみると、斧や槍、剣などが置いてある。どうやらここは武器倉庫で間違いなさそうだ。クグレックはほっと溜息をついた。
 だが、安心してはいられない。扉から聞こえる音はだんだん激しくなっており、外では男達が息を合わせて扉に体当たりをしようとしているところだ。扉は木製の扉のため、そのうち突入されるだろう。
 クグレックは自分の樫の杖を探した。
 棚を一つ一つ覗いてみるが、武器は見つからない。弓や矢、それからボーガンにハンマーといった武器も出て来る。どうしてこんなに沢山の武器があるのかは謎だった。奥まで行くと、ガラスのケースがあった。こちらには南京錠がかかっており、中を覗くとL字型をした筒のような武器複数個と一緒に、クグレックの樫の杖が入っていた。
 また鍵か、とクグレックは思いながら、木片を南京錠に当て、渾身の力を込めて開錠の魔法を唱える。そして、次に、ドアに向かって木片を構え、幻影の魔法をかけた。すぐに切れてしまうだろうが、武器倉庫にあるすべての武器がドアを開けた瞬間に飛んで来るという幻だ。僅かな足止めくらいになるだろう。
 クグレックは南京錠を引っ張って開くかどうか確認する。まだ開かない。
 入り口の扉は男達の体当たりを受けて極限までにしなる。次の衝撃で扉は壊れるだろう。
 南京錠はまだ開かない。
「せーの」という掛け声と共に、男達が扉に体当たりを加える。ドン、という音と共に、扉が破壊される。
 南京錠はまだ開かない。
 部屋に突入しようとした男達だが、武器庫の武器が全て自分たちに飛んで来るという幻を見て銘々に「うわー」と悲鳴を上げる。
 南京錠はまだ開かない。
 すべての武器庫の武器が飛んで行って、しばらく経つと、男達は自分たちが無傷であることに気付き、再び部屋に突入しようとする。
「おい、小娘、よくも騙してくれたな!危害は加えないから、こっちへ来い。」
「さっきの音はお前だな。一体何をしたんだ。」
 幻に騙されたことで、男達は慎重に部屋の奥へと入り込んで来た。
 だが、クグレックは振り向かない。南京錠の開錠に意識を集中していた。
 
 カチャリ。南京錠が開錠し、ぽとりと床に落ちた。
 
 クグレックは木片を投げ捨てた。
 少しだけ重たいガラスのケースを開けて、クグレックは自分の杖を取り出し、振り返って男達に向かって構える。
 そして、頼りない震えた声で叫んだ。
「こ、これ以上近付かないでください!どうなっても知りませんよ!」
 男達はたじろいだ。先程のような幻を見せられては堪らない。
「ラーニャ・レイリア!」
 と、クグレックが物体移動の呪文を唱えると、棚にあった斧や槍が男達へ向かって飛んで行った。男達はどうせ幻だろうと思って動かずにいたが、斧や槍は容赦なく飛んで来て男達の頬を掠めて後ろの壁に刺さった。
 刺さった斧のすぐ真横にいた男の頬からは切り傷が出来て、血がたらりと流れ落ちる。
「いや、これ、幻じゃねぇ。本物の斧が飛んで来たんだ。」
 クグレックは更に鞘から身を抜いた剣を数本浮かべて刃先を男達に向ける。
「つ、次は当てます…!」
 震える声でクグレックが言い放つと、剣は勢いよく男達を狙って飛んで行く。もう幻ではないと知った男達は寸前のところで襲い来る剣を交わし、剣は部屋を飛び出して廊下に突き刺さった。
 クグレックはほっと溜息を吐いた。間違ってもこの武器が誰かに当たって致命傷にでもなったら、クグレックの精神が崩壊していただろう。また、扉の前に立ちはだかっていた男が剣を交わして棚側に寄ったことで、扉への通り道が出来た。
 クグレックは「イエニス・レニート・ランテン・ランタン」と炎の呪文を唱えて炎の玉を出現させて、一人の男の頭上をかすめさせた。
 ジュッと焼ける音がすると、炎の玉がかすめた部分だけ、男の髪がちりちりに焦げていた。
「これ以上動いたら、火の玉が、よ、容赦なく貴方たちを、燃やします。」
 クグレックは自身の周りに炎の玉を5個ほど浮かばせた。炎の玉はまるで彗星のようにぐるぐるとクグレックの周りを飛び回る。これは本物ではない幻だが、一連の流れから、男達は本物だと信じ切っている。
 クグレックはそのまま炎の玉を自身の周りに配してまっすぐ入り口に向かって歩き出し、悠々と男達の横を通り過ぎて部屋を出た。そして、炎の玉を部屋のあちこちに飛ばしてぶつけると、火は壁や床に燃え広がった。武器庫内における火事は全てクグレックの幻だ。ポルカの時とは異なり、クグレックの魔力にはまだ余裕がある。しばらくは鮮明な火災の幻を見せて男達の足を止めることが出来るであろう。
 男達は慌てて炎を消そうと自分たちが着ていた服を脱いだり、給湯室から水を持って来たりして消火活動に当たった。クグレックはその隙をついて、3階へと上がって行った。
 
 2015_11_06



 3階へ上がると、2階と同様廊下が続いていた。ドアは一つしかないがクグレックはボスはもっと奥にいるような気がした。扉を無視し廊下の奥へ進む。が、扉からは筋骨隆々で浅黒い肌をした男――ポルカで警察に突き出されたはずの山賊のリーダーが現れた。
「ラーニャ・レイリア!」
 クグレックはすぐさま物体移動の魔法を放ち、残族のリーダーを部屋に押し戻した。
 樫の杖が戻ってクグレックの魔法は絶好調だ。
 どん、と壁か何かにぶつかって、「ぐえ」とくぐもった声が部屋から聞こえてきたが、クグレックは無視した。そんなことよりもニタが心配だった。
 廊下を突き当りまで進んで行くと、右手側にも廊下が続いていた。その先にある扉は既に解放されており、杖を取り戻して無敵な気持ちでいるクグレックはそのまま部屋へ突入した。
「ニタ!」
 その部屋はなんとも悪趣味な部屋だった。壁は全て金で覆われていた。床は白いふかふかとした絨毯というよりかは何か巨大な動物の毛皮が敷かれている。壁際にはまるで生きているかのような姿の動物の剥製。雉の様な大きな鳥や狸、獅子といった動物だ。棚にはウサギの様な小動物が並べられていた。また、壁には武器庫で見た筒状のL字型の武器が飾られている。武器庫で見たものよりも、少々大きくて長く見えた。
 そして、部屋の中にいたのは金色のシルクハットをかぶり、金色のスーツを身に纏った狸顔の大きな男だった。でっぷりとして顔は脂ぎっており、金色のスーツがはちきれんばかりの体をしていた。
「やぁ、魔女のお嬢さん。ペポならそこでゆっくりと休んでいるよ。」
 ニタは金の机の上にある鉄の檻の中ですやすや眠っていた。まだ目が覚めていないようだ。鉄の檻はニタの身長の半分ほどの高さだった。1階の部屋にあった木の箱と同じくらいの大きさだった。
「可愛いねぇ。魔女のお嬢さん、このペポの子をお嬢さんに返すから、私からのお願いを聞いてくれないかな?」
 比較的優しい声で狸顔の男はクグレックに言った。男の指にはぎらぎらとした色とりどりの指輪が嵌められている。
「マシアスと呼ばれる男を殺してくれないかな。」
「殺す?」
「お嬢さん、そんな怖い顔をしないで。」
「マシアスは貴方たちの仲間じゃないんですか?」
「…いや、彼はちょっとやり過ぎたんだよ。そうだね、うん、マシアスはハンティングした希少種を高値で売りさばいてくれていたんだけど、そのうちのいくらかを横領していたんだよ。そしてその金を何に使っていたかというと、人外排出運動を行う団体に貢いでいたんだ。ピアノ商会は確かに希少種をハンティングしていたけれども、人外排出団体のように絶滅まで追い込むことはしない。私達の理念に反するんだよ。ハンティングはあくまでスポーツだ。一つの命に対して敬意を持って接するんだ。だから、絶滅に追い込むなんて野蛮な真似は出来ない。」
 優しい口調で語る狸顔の男。
 しかし、クグレックにはハンティングの崇高な理念は理解できなかった。ピアノ商会も人外排出団体も同じものだと感じていた。結局両方とも命を奪うのだから、同じことだ。
「だけど、それをやってしまう輩と関係を持っていたのがあのマシアスという男だ。私は彼を許せない。それに、私は絶滅したはずのペポを見て、思ったんだ。希少種、希少種でないからという理由で価値をつけるハンティングなどもうやめようと。こうやって一人生き残ったペポはどれほど辛い思いをしたのか。それを考えると、心が締め付けられるように苦しくなってね。もうこんな悲しいことはやめようと思ったよ。」
 希少種ハンターのボスは意外と良い人なのか、とクグレックは思い始めて来た。
「希少種ハンティングはもうやめるよ。私達は、全うに働いて、世間のために生きていこう。だから、魔女のお嬢さん、マシアスを殺してくれ。」
「それは…、私には出来ません…。でも、ニタを返してください。もしかすると、ニタならマシアスを懲らしめてくれるとおもいます。殺しはしませんが…。」
 狸顔の男はにっこりと微笑んだ。
「ふむ、じゃぁ、懲らしめる程度なら、魔女のお嬢さんには出来ないかな?懲らしめて、連れて来てくれればいいんだ。」
「…」
 クグレックは俯いた。魔法の力で誰かを傷つけてしまうことは、それこそ魔女の血が穢れてしまう行為だと思うからだ。クグレックは魔女であるが、忌み嫌われるべきは魔女の血であり、クグレック自身ではない。誰かを傷つけてしまったら、忌み嫌われても、もう言い訳をすることは出来ない。その行為は魔女の血をもつクグレック自身の行為になるのだから。
 2015_11_07


「ばか。」
 クグレックは不意に頭をポンと掴まれた。ふと後ろ振り向くと、そこにはマシアスの姿があった。クグレックはマシアスに杖を向けた。
「こんな胡散臭いタヌキおやじのことを信じるのか、お前は。」
 マシアスは呆れたように言い放った。そして、マシアスは狸顔の男をまっすぐに睨み付けながら言葉を投げつけた。
「ランダムサンプリには話はつけている。お前さえいなければ、全て平穏に終わるだろう。クソダヌキめ。」
 微笑みを湛えていた狸顔の男の表情が歪んだ。
「まさか、ここ最近の全ての契約がキャンセルされたのは…。」
「…後はお前の首さえ献上すればすべては終わる。それがアリシアファミリアとの約束。」
「やはり、お前が元凶だったか。」
 狸顔の男はにやりと下品な笑みを浮かべるとニタの檻が置いてある机まで歩き、机の引き出しを漁った。
 クグレックは状況に着いて行けず、ただ状況を見守ることしかできなかった。
 狸顔の男は引き出しから、黒光りするL字型の筒状の武器を取り出した。これはクグレックが見た武器庫のガラスケースに入っていたものと一緒だ。クグレックはこの武器を見たことはなかったが、立派な拳銃である。狸顔の男は、銃口をクグレックに向けて構えた。そして、躊躇うことなく引き金を引く。
 バン、という鼓膜が破れてしまいそうなくらいの大きな音がしたかと思うと、クグレックは床に倒れていた。部屋に硝煙のにおいが広がる。
 クグレックの上にはマシアスが乗っかっていた。どうやらマシアスに押し倒されたらしい。
「魔女、お前の魔法であいつの持っている武器を奪い取れ…。そして、ペポがいる檻を開けるんだ。」
 マシアスの顔が苦痛に歪む。クグレックはお腹のあたりが濡れているのに気付いた。気付けば床には赤い液体が流れている――。
 クグレックははっと息をのんだ。この赤い液体は、血だ。大量の血が、マシアスの腹から流れているのだ。クグレックは全身から血の気が引くのを感じた。
「大丈夫、ポルカで白魔女の薬を貰ったから、大丈夫だ…。」
 と、マシアスは言うが、呼吸も荒く、脂汗も酷かった。クグレックは恐怖でパニックになりそうだった。マシアスはクグレックを安心させようとするかの如く「大丈夫だ。大した傷ではない。」と呟く。
 それでも、クグレックは流れている血を見て現実に引き戻される。
 マシアスは腹を抑えながら、クグレックの上から離れた。これ以上銃弾が当たらないようにチェストの陰に隠れる。
 クグレックは上体を起こした。が、床に流れるマシアスの血に呆然としていた。
 マシアスはそんなクグレックの様子を見て、表情を苦痛に歪めながら出せるだけ大きな声を出した。
「魔女、正気に戻れ。今お前がしっかりしないでどうする。このままだとお前も、ペポもあいつの銃にやられて死ぬぞ!」
 しかし、マシアスの声はクグレックに届かなかった。
 恐怖、自責の念、後悔、憎悪、無力感といった様々な負の感情に包まれたクグレックにマシアスの声など届かない。最早自らを失ったクグレックは、体をガタガタと震わせた。杖を握る力もなくなり、杖は床にかたんと落ちた。
 それと同時に、クグレックの目の前のマシアスも意識を失い、目を閉じた。
「まぁ、マシアスさえ消せれば問題はありませんが。どういうことでしょうねぇ。魔女のあなたも同じ目に遭わせたくなってきました。さぁ、出ておいで。忌々しい魔の力、ここで成敗してあげましょう。」
 狸顔の男の足音がクグレックに近付いて来る。彼の位置からだと、クグレックがいる場所はちょうど死角に当たっていた。
 クグレックは絶望に打ちひしがれ、しゃがみ込んで体をガタガタと震わせる。

――私が弱くて何もできないから、マシアスは死んじゃう。怖くて何もできないから、ニタも助けられない。こんな私、もう、居なくなればいいのに。もう、嫌だ。嫌だよ。

 バチバチとクグレックの周りに静電気が発生する。
 狸顔の男は、ただ事でない危険をクグレックから察知して、クグレックがいるであろう方向に銃を放つ。バンバンと銃声が二つ聞こえたが、銃弾はクグレックに当たらなかった。クグレックのすぐそばまで来ると、勢いを失くし、ぽとりと落ちた。クグレックの周りに放たれる静電気が銃弾の勢いを打消したのだ。更に残りの銃弾を全てクグレックに向かって撃つが、全てクグレックの周りの静電気に捕えられ、クグレックまで銃弾が届かない。弾を充填し、再びクグレックに向かって撃つが、何度やっても結果は同じだった。
「ひ、ひい!」
 静電気のエネルギーは次第に強くなり、狸顔の男に向かって電気がバチバチと光を伴ってうねる。
 クグレックの絶望は彼女の膨大な魔力を放出させる。暴走する彼女の魔力は、今や小さな雷光となり、狸顔の男を脅かすだけでなく、部屋の装飾物や家具を次々と破壊していった。
 そして、魔力の暴発はニタが囚われている檻へと至った。雷光が檻に触れると檻は爆発し、壊れた檻からは目覚めたニタがびっくりした様子で飛び出してきた。ふかふかの白い体毛がところどころ焦げている。
「え、え、何これ?」
 ニタは辺りをきょろきょろ見回す。そして「臭い!」といって鼻を押さえた。ニタは硝煙の臭いが嫌いなのだ。
 そばで雷光に怯える狸顔の男を見るとニタはなんとなくイラッとしたので、一発殴っておいた。ニタの勘が狸顔の男を悪だと感知したのだ。そのまま男は雷光に打たれ、その場に倒れ込んだ。かろうじて息はある状態だ。
 そして、しゃがんで一人震えるクグレックに気が付くと、ニタはすぐに駆けつけて行った。
「クク、クク、どうしたの?マシアスにやられたの?」
 ニタはクグレックを心配そうにのぞき込む。腹から血を流すマシアスも傍にいて、もうわけが分からない。
 クグレックの雷光はニタには効かなかった。雷光の真っただ中にいるが、ニタは平然としている。それは傍で気絶しているマシアスも同様だった。
 ニタは必死にクグレックに呼びかける。
「クク、ニタだよ。一体何があったの?怖いの?ニタが来たからもう大丈夫だよ。クク、クク…!」
 ニタの声はクグレックの抱える絶望の闇に吸い込まれていくだけだった。
 ニタは状況に当惑するが、物音を捉える力の強いニタの耳が、3階へと昇ってやって来る大勢の足音を察知した。
 何が来るのだろうか、と、ニタは臨戦態勢を取った。




 2015_11_08


**********

 クグレックはハッとして目を覚まし、上体を起こした。そして、きょろきょろと辺りを見回した。
 彼女が今いる場所は、あの悪趣味な剥製が立ち並んだ金の部屋ではなかった。暖炉で暖められたカントリー調の優しい部屋だった。ふんわりとしたベッドの上でクグレックは眠っていたらしい。
 クグレックは悪い夢でも見ていたのだろうか、と思った。
 ニタは檻に入れられてなんかいなかったし、マシアスもクグレックをかばって重傷を負わなかった。そもそもマシアスを見かけてすらなかった。
 と、思い込みたかったが、クグレックは今自分がいる場所の詳細が良く分からなかった。
 一体ニタはどこに行ったのか。
「ニタ…?」
 不安そうなか細い声でクグレックはニタを呼んだ。
「呼んだ?」
 クグレックの視界にぬっと出現したニタ。
 ふかふかの白い体毛がところどころ焦げているが、愛くるしいその姿がそこにいた。
「ニタ!」
 クグレックは嬉しくなってニタに抱き着いた。ニタも思わずクグレックに抱き着いた。二人はぎゅっとお互いを抱き合って、お互いの温もりを確かめ合う。
「クク、良かった。クク、あの後から丸一日寝てたんだよ!本当に良かった。」
「一日も!」
 クグレックは驚いてニタから手を離した。自身のぐうたらさに呆れてしまった。
 そして、あの後、とは一体いつのことなのか。クグレックはおそるおそるニタに尋ねてみた。
「ニタ、あの後って、一体…。」
「あの後、ってそりゃぁピアノ商会でクグレックがバチバチを放った後だよ。」
 何でそんなことを聞くのか理解できない様子で、ニタが答えた。
 ニタが言う“バチバチ”は良く分からないが、どうやら、ピアノ商会に行ったことは間違いないようだ。
「もう、大変だったんだからね。ニタが檻から出たら、マシアスは血を流して倒れているし、なんか知らない人達が沢山やって来るし、挙句の果てに、ピアノ商会も崩れちゃったし!」
「崩れた?」
 どうやら、あの悪趣味な部屋での出来事は現実であり、ニタも檻に入れられていたし、マシアスはクグレックをかばって重傷を負っていたのは間違いなかった。が、それ以上に、クグレックはピアノ商会が崩れた、ということが大きな衝撃であった。
「崩れたって、どういう意味?」
「そのまんまだよ。ククのバチバチがピアノ商会を破壊したんだ。」
「嘘…。」
 ニタの言う“バチバチ”が未だに理解できないが、本当にとんでもないことが起きていたのだ。
「じゃぁ、マシアスは無事なの?」
「うん。やって来た知らない人達はマシアスの仲間だった。ピアノ商会が崩落する前に、マシアスの仲間たちが、建物にいる人達を外に出してくれたから、えっと、とりあえず…全員命は無事だよ。」
 クグレックは自身が破壊したとされるピアノ商会で、誰かがその瓦礫の下敷きになって命を落としていないという事実に安堵した。ただ、命“は”無事だというニタの言葉に多少の引っ掛かりを感じたが。
「ククのことも、マシアスの仲間たちが運んでくれたよ。」
「そうなんだ…。」
「マシアス、今別の部屋にいるよ。銃に撃たれてるから、まだ安静にしてたんだ。ククが起きたら話をしたいって言ってたから、行こう。」
 ニタに手を引っ張られ、クグレックはマシアスの部屋に連れ込まれた。
 2015_11_11


 クグレックの部屋よりも少し広い部屋に、マシアスがいた。
 マシアスは上半身が裸で、腹部は包帯でグルグル巻きにされていた。金髪はぼさぼさになっており獅子のようだったが、顔色もよく、元気そうだった。クグレックは少しだけ安心した。
 そしてもう一人。マシアスと同じような金髪の男性が、部屋に似つかわしくない金細工の豪勢な椅子に座って、ワイングラスを啜っている。マシアスよりは体格が華奢で、どこか気品が漂っている。髪はクグレックと同じくらいの長さのおかっぱであるが、しっかり手入れが成されているようで、艶があり絹糸のようにさらりと流れる髪だった。ワインを堪能しているらしく、彼はクグレックが入って来たことには気付いていないようだった。
 マシアスは、クグレックを見ると安心した表情を見せた。
「起きたか。具合は大丈夫か?」
 クグレックは、黙って頷き、マシアスを見つめた。あんなに腹から血を流していたというのに、ぴんぴんしているのはポルカで謝礼に貰ったという白魔女の薬のおかげだった。
「ピアノ商会では色々悪かったな。色々怖がらせてしまったようだ。」
 マシアスはカップに温かい紅茶を注いで、クグレックとニタに渡した。
 クグレックはカップを受け取り、口に含む。紅茶といえども、クグレックが今まで飲んできたものとは少々異なっていた。少しだけ酸味があるが、深みがあり、元気が出て来るような味だった。「で、話って?」
「お前のおかげでピアノ商会を潰すことが出来た。ありがとう。」
 クグレックはニタに目線を遣る。マシアスの言っていることが理解できないからだ。
 ニタは思い出したかのように話を始めた。
「クク、ニタはマシアスのことをちょっとだけ勘違いしてたみたい。あのピアノ商会って会社は戦争請負屋らしくて、戦争が起きれば大儲けする会社なんだって。武器とか物資を売ったり、時には社員を傭兵としても派遣しているらしい。」
「お前も見ただろう。ピアノ商会の武器庫や倉庫を。あれらは全部これから起こる戦争のための物資だ。」
 マシアスが付け加えた。
 クグレックはニタを探してピアノ商会を捜索した時に見た大量の木箱――中身は武器や防具、缶詰といった携帯食料のことを思い出した。あれらは全てこれから起こる戦争に使われる、ということなのだろう。
「リタルダンド共和国が、内紛にあったことは知ってるよね。一番悪い奴はその時の政治家だったんだけど、裏で暗躍していたのはピアノ商会だった。自分たちが利益を上げるために、言葉巧みに暴力を伴った戦争を起こしたんだ。それだけじゃない。奴らは希少種狩りを行う団体にも武器や狩るためのノウハウを売っていた。マシアスは、それを追っていたらしいよ。」
「そ、そう…。」
「ポルカにいたのも、ピアノ商会の社員を探すため。あの山賊達のボスはその社員のうちの一人だったらしい。」
「でも、どうして、あのポルカのボスと一緒に居たの?ボスは牢屋に入っていたんじゃないの?」
「それは、少し複雑な話になる。」
 マシアスがニタが説明しているところに割って入って来た。
「ポルカであの後、取り決めをしていたんだ。俺はどうしてもピアノ商会に辿り着かなければならなかったから、ピアノ商会の社員であるアイツの存在は大きかった。だから、アイツに選択させた。
1、俺に殺される。
2、このままリタルダンド警察に捕まり、豚箱へ行く。
3、ポルカでの任務は成功したことにする。」
「どういうこと?3の選択肢って…。」
「結局アイツは殺される運命だったんだ。ピアノ商会は、失敗を許さない。任務が遂行できない場合は、除名は未だ優しい方だが、死を持って償う場合もある。それでも、生き残る可能性は一つだけ。ポルカでは、実のところ、警察に突き出していない。」
「…でも、確かに、山賊達は警察に捕まったはず。この目で確かにみたもの。」
「あの警察隊は、俺の仲間だ。ボス以外の奴らは、しかるべき場所で正義の神判が成されているから安心してくれ。ちょっとクグレックには刺激が強い内容だけど。」
 横でニタがうんうんと頷く。ニタはすでにマシアスから話は聞いており、正義の神判の内容も知っていた。
「俺がポルカで得た報酬金を、全てアイツに渡して、アイツは何食わぬ顔でピアノ商会へ戻ることが出来た。その代わり、俺はあいつの口添えによってピアノ商会の社員として堂々と入ることが出来たんだ。それが、アイツが助かる唯一の条件で、アイツはまんまとその要求をのんでくれた。順調に事が進むだろうと思っていた矢先、お前たちの出現だ。エントランスで騒ぎ立ててる不審な二人組。新参者の俺はお前たちと何の関わりがあるのか、酷く疑われた。お前たちのせいで、信用が一気にがた落ちだ。だから、俺はお前たちと何の関わりもないことを示すために、お前たちの身売りを引き受けたんだ。希少種のペポと年頃の女は高く売れる。だから、手荒な真似にはなってしまったが、二人を監禁させてもらった。まぁ、疑われてはどうしようもないから、その日中に方をつけようと思っていたんだけどな。それから、お前たちを解放しようと思ってたが…。」
「ククが自力で逃げちゃった、というわけ。女の子に手荒な真似をするのは良くないってこった。」
 うんうんと頷きながら、ニタが言った。マシアスはばつの悪そうな表情をして頭をかいた。
 2015_11_14


「ところで、マシアス、ピアノ商会はどことどこの戦争を引き起こそうとしていたの?」
 ニタが尋ねた。
「ランダムサンプリ国とトリコ王国だ。」
 マシアスが答えた。その答えに、ニタは一瞬表情を強張らせた。
 マシアスはさらに続ける。
「ランダムサンプリ国は近年、過激派が力をつけている国だ。それこそ人外排出運動が盛んな国の1つだ。国内を武力で統制している。そういう国だ。ニタはご存知だろうけど。」
 と、言うとマシアスはちらりとニタに目配せをした。マシアスと目が合うと、ニタは声を低くして、ぶっきらぼうに「その通り。」と答えた。クグレックは、なんのことだか分からなかった。
「俺はトリコ王国の生まれだ。だから、何としてでもピアノ商会を抑えて、戦争開始を止めたかったんだ。だから、結果、お前たちに会えて本当に良かった。ありがとう。」
 と、マシアスは安心した表情で言った。
 水色の瞳も、今は冷たそうに見えなかった。春の空の様な優しい水色に見えた。
「まぁ、ニタはそう簡単に戦争なんて止まるのかな、って思うけどね。」
 と、ニタが意地悪そうに、安心しきったマシアスに冷や水をかける。
「まぁ、ランダムサンプリとトリコ王国が仲が悪く、一触即発な状態であることは変わらないのだけど、最悪な状況だけは免れた。ピアノ商会の奴らもしかるべき場所で裁きを受ける。後はここから立て直していくだけだ。」
「それでも、戦争がはじまったらどうするのさ。」
 というニタの問いに答えたのは、マシアスではなく、豪華な椅子に座ってワインを嗜んでいた気品あふれる男だった。
 男は立ち上がり、話し始めた。
「別にランダムサンプリが戦争を吹っかけてこようと我々の技術力があれば、恐れるに足らない。」
 ワイングラスを恭しく掲げながら、陶酔したように男は話した。まるで舞台俳優のように芝居がかった喋り方だ。
「トリコ王国は技術力だけでないんだ。それに伴った軍事力も大陸最大級だ。」
 ディレイッシュはふと、クグレックの存在に気付き、クグレックに向けてウィンクをした。
「おっと、失礼、お嬢さん、はじめまして。私の名前はディレィッシュだ。こいつの兄だ。」
 ディレィッシュは腹に右手を当て、丁寧にお辞儀をした。
「私はドルセード王国のマルトの村出身のクグレック・シュタインです。」
「ほう、ドルセード王国。私の部下にもドルセード出身がいたなぁ。」
 ディレィッシュは意外そうにクグレックを見つめる。
「ねぇ、ディレィッシュ、トリコ王国が強いなら、ランダムサンプリくらいやっつけちゃえばいいじゃん。」
 さらりと過激な発言をしてのけるニタ。
「確かに、ニタの言う通りではあるが、戦争により、トリコ王国の重要機密などが流出してしまっては困るからね。それに、無駄に命がなくなってしまうのも嬉しいものじゃない。血を流すよりも我々は話し合いによって、ランダムサンプリと関係を続けていくつもりだ。だから、ニタ、とクグレック、そしてマシアス、礼を言うのは私の方だ。ありがとう。」
 ふわりと微笑む男。全てを許してしまえそうな、無邪気で優しい表情だった。
「してニタとお嬢さん、私からの御礼で、君たちをトリコ王国でおもてなしをしたいと思う。私達はこのままトリコ王国に帰るが、君たちを乗せていく余裕はない。君たちのデンキジドウシャを手配するのに数日かかるから、それまでもう少々このアッチェレで過ごしていてくれないだろうか。」
「デンキジドウシャ?」
 ニタが首を傾げながら問う。
「そうだね、汽車よりも小型で馬車よりも早く動く乗り物のことさ。」
「へぇ、聞いたことがなかった。」
「今のところデンキジドウシャはトリコ王国にしかない。博識なペポ族の戦士でも知らないだろう。」
「トリコ王国は、やっぱり凄いね。」
「ははは。」
 と、その時、4人いる部屋の扉から、ノックの音が聞こえた。マシアスとディレィッシュは互いに目配せをすると、マシアスが扉を開けて部屋の外に出て行った。
「では、私達はピアノ商会の件で先にトリコ王国に帰らせていただく。ピアノ商会の処分が済み次第、ここの宿屋に部下を迎えに来させるから、それまでしばらくはここの宿屋を拠点に過ごしていてくれ。トリコ王国に着いたら、御礼をさせてもらう。」
 そう言ってディレィッシュは椅子から腰を上げると、椅子は瞬時のうちに消えた。椅子のあったところにはピンポン玉程度の玉が転がっているだけだった。ディレィッシュは玉を拾うと、ぐんと伸びをした。ディレィッシュの表情はどこか晴れ晴れとしていた。
 マシアスが再び部屋に戻ってきた時が、別れの時だった。二人のお迎えが来たらしい。
 宿屋を出ると、外は暗かった。そして、6人ほどの砂漠の国の衣装を身に纏った屈強な男達がいた。宿屋の前には4輪型の大きな幌馬車が待機していた。引馬は3頭いたが、派手な馬具を身に付け、異様な雰囲気を見せている。
 男達は辺りを警戒しているらしく、そのうち4人がマシアスとディレィッシュにぴったりとくっついて馬車までのわずかな距離をエスコートする。
「こんな距離なんだから、別に護衛を着けなくたっていいじゃないか。」
 とディレィッシュが文句を言ったが、マシアスは「何があるか分からないだろう。」と言って嗜めた。
 ディレィッシュは顔だけ後ろに向けて、無邪気な笑顔で
「では、ニタとクグレック、また会おう。」
といって、馬車に乗り込んで行った。マシアスも振り返って、無言で表情を和らげ、片手を上げ馬車に乗り込んで行った。
 残り二人の屈強な男もそれぞれ馬車の前と後ろに乗り込むと、御者が丁寧な口調で
「それではお世話になりました。また、後日。」
とニタとクグレックに声をかけて、馬車を動かした。ゆっくりと前進する馬車。ニタは無邪気に「ばいばーい」と手を振って馬車を見送る。クグレックも小さく手を振った。
 二人は馬車が小さく見えなくなるまで見送ろうと、手を振りながら馬車を見つめていたが、途端に馬車はキラキラとした7色の光を噴出させて、物凄いスピードで駆けて行った。きっと汽車と同じくらいのスピードが出ていたであろう。
 あっという間に小さくなって見えなくなった馬車に、ニタとクグレックはぽかんとしていた。
 2015_11_15


「これがトリコ王国の技術力…。」
 と、小さく呟くニタ。
「ニタ、トリコ王国って一体どんなところなの?」
 不思議な馬車にクグレックも面喰いながらも、ニタに質問をする。
 ニタは世にも奇妙な馬車を見て、一瞬気が抜けたように立ち尽くしていたが、頭を振って気を取り直した。そして、クグレックにトリコ王国についての説明を始める。
「ここよりも南にある国。国土はほとんど砂漠だけど、物凄い技術で皆幸せに過ごしている国なんだ。ニタは行ったことがないから良く分からないけど、とにかく凄い国らしいよ。その分、セキュリティーも頑丈だから、普通の人は入れない。勿論ニタもククも入ることが出来ないよ。砂漠越えの手段もあるかもしれないけど、砂漠は徒歩では越えられないからね。だから、あの二人に招待されたことは、凄い幸運なことなんだ。」
「へぇ…。」
「セキュリティが頑丈な理由は、トリコ王国が持つ技術や情報の漏えいを防ぐためだとか。あまり他の国とは関わろうとしない国だから、いろんなことが秘密に包まれている。でも、沢山の人が憧れる国だと評される国だよ。さ、寒いから中に入ろう。」
 ニタに促されて、クグレックは宿屋へ戻る。
 クグレックは起きたばかりなので、まだ眠くはなかったが、ニタは眠そうにしていた。時計をみると、0時をまわっている。
 ニタは、部屋に戻ると、ベッドに潜りこみ、横たわった。
 クグレックは、暖炉前のテーブル席について、眠そうにしているニタに気を遣ってなるべく音を立てないようにミルクティーを淹れた。
 ニタは瞼が落ちかけて、今にも眠ってしまいそうだったが、ぽつりと呟いた。
「トリコ王国はセキュリティーが厳しいから、トリコ王国でハンター活動が出来るのって、王室が認めた人達だけらしいから…、マシアスとディレィッシュって人はなかなか凄い二人なんじゃないのかなぁ…。」
 世の中のハンター事情はクグレックには良く分からなかったが、ニタが言う通り、マシアスとディレィッシュは、特別な存在の人達だと感じていた。
「ニタは、トリコ王国に行けるのが楽しみだよ…。」
 今にもとろけてしまいそうな声で喋るニタ。
 クグレックはベッドのニタを見てみた。とても眠そうにぼんやりしているが、クグレックと目が合うと、嬉しそうににっこりと微笑む。
 クグレックは、そんなニタを見ながら、一つだけ気になることがあった。
 それは、ふかふかの白い体毛の中のところどころちりちりと焦げてしまった茶色い部分。
 クグレックは思い切って聞いてみることにした。
「ねぇ、ニタ、ニタの白いふかふかの毛、ちょっと焦げちゃったのは、私のせい?」
 ニタは眠たそうに眼を細めながら、もにょもにょと答えた。
「うーん、違うともいえるし、そうだともいえるかな。」
「そっか。…ごめんなさい…。」
「…んとね、ククのバチバチ、不思議なことにニタとマシアスには効かなかったんだ。ただ、バチバチがニタが入ってた檻に当たって爆発した時に焦げちゃったんだ。ニタはびっくりして、その時に目が覚めたけどね…。」
「ごめんね…。」
「謝らなくたっていいよ。おかげでニタは檻から出られたんだし。オワリヨケレバスベテヨシってことだよ。」
 ニタは正常にお喋りが出来ているが、瑠璃色の瞳は虚ろになっている。
 クグレックはニタが眠気で限界なのを見て、ニタに聞こえないように小さな声で
「今更だけど、ニタが無事で、良かった…。」
と、言葉にした。
 耳聡いニタの耳にその言葉が届かないはずもなく、ニタはにっこりと微笑んで
「ニタも。」
と、言った。そして、とうとう限界を迎えたのか、微笑んだまま眠りに落ちた。
 すーすー、と規則正しい安らかな寝息の中、クグレックは暖かいミルクティーが入ったティーカップを啜る。優しい味と香りが口の中に広がった。

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