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「ということなので、ハッシュは薬の影響で、ククのことを好きになってるだけなんです。薬が切れたら、ハッシュはククのことをただの旅の仲間としか見なくなるだけなので、本気にしちゃいけませんよ。」
 と、ムーに言われたクグレックは、確かにそうだ、と思った。そうなのだ。ハッシュが言うことは全て中身の伴わない虚言でしかない。全部嘘だ、と分かっているのだが、ハッシュからまっすぐな情熱的な言葉を投げかけられる度に心臓がドキドキ跳ね上がって、顔が熱くなって頭が沸騰しそうになるのだ。
 クグレック自身もハッシュと同じ薬を投薬されたのだろうか、と疑いたくなるほどに、ハッシュに心をかき乱されてしまう。
 クグレックの思考はふわふわ浮かれたものになってくるが、ティグリミップの宿屋で苦しんでいるディレィッシュのことを思い出すと、浮かれていてはいけないという気持ちが強くなった。アードルという花を採りに行こう、と気持ちを切り替える。
 長い坂道を下っていくとごつごつとした岩場が広がる海辺に出て来た。次々と押し寄せる波が岩に打ち砕かれる。ティグリミップで見た海と比べるとなんだか荒々しい印象だ。
「この先にアードルがあるのか?足場も不安定だし、滑りやすいから気をつけろよ。」
と言ってハッシュは歩きやすそうな岩を選びながら進んで行く。ムーは翼を使って浮遊しながら後を着いて行くので何も問題はなかったが、クグレックは不器用ながらも気をつけながらゆっくりと足を進めて行く。だが、滑りやすくごつごつした岩の上を歩くのは、鈍臭いクグレックには少し難しかったらしく、案の定バランスを崩して滑ってしまった。
 が、すぐにクグレックの腕をハッシュが掴む。
「危ないって言っただろ。」
 ハッシュはそう言って、腕を掴んだ反動でクグレックを自身の腕の中に納めた。
 ハッシュの厚い胸板に包まれながら、クグレックはふと御山でもハッシュに助けられたことを思いだした。謎の水龍が起こした津波に呑まれた時もハッシュの腕に包まれ、皆と離れずに済んでいた。そして、水を沢山飲み過ぎたクグレックは意識を失い、ハッシュからの人工呼吸で目を覚ましたのだった。
(そうだ、私、あの時…!)
 クグレックは人工呼吸をされたことを思いだして、顔を赤らめた。あの後立て続けに色々あって忘れかけていたのだが、クグレックの初めてはハッシュに奪われていたのだ。
「ご、ごめん、私、大丈夫だから…。」
 そう言って、クグレックはゆっくりとハッシュから離れる。羞恥のあまり、クグレックはハッシュと目を合わせることが出来なかった。
「さあさあ、お二人ともイチャイチャしてないで先に進みますよ。多分、ここは潮の満ち引きがあるみたいなので、長居は出来ません。」
 と、ムーが言うと、ハッシュは「あぁ、そうだな。ククも転んだら大変だ」と言って、危なっかしいクグレックのことを気にしながら先に進む。クグレックもムーの言葉にハッとして気持ちを切り替え、気をつけながらハッシュの後を着いて行った。
「ところで、アードルってどんな花なんですか?」
 洞窟を目の前にしてムーが言った。
「…分からないな。でも、洞窟ってのは暗くて光が届かないところだ。まして潮が満ちてくるような場所に花が咲くとは思えないから、多分洞窟にある花はアードルだと考えていいんじゃないか?」
「そうですね。じゃぁ、行ってみますか。」
 3人は洞窟へと突入した。洞窟の中はひんやりと涼しく、ときおり天井から水がぽたぽたと落ちてくる。足元は丸石がごろごろとしており、さらに海藻がへばりついているので滑りやすい状態だ。天井は割と高く、ごつごつしているようだ。しばらく進むと、外からの光も届かなくなったため、クグレックは魔法で灯りを灯した。
 ひんやりとした真っ暗な洞窟は橙色の灯りにほんのりと照らし出された。照らし出される洞窟の先は御山を彷彿とさせる登り道だった。
「こんなところにあるんですかね。」
「幸いにも一本道だ。…結構な急勾配だけどな。」
 登ること1時間。行き止まりまで辿り着いて、3人は天井から小さく差し込まれる一筋の光を発見した。目を凝らしてみれば光は青い花を照らし出している。おそらくあれがアードルなのであろう。ただ、そのアードルは3人の手の届かない遥か高い場所に存在していた。まさに高嶺の花とも言えよう。
 アヤメにも似たその可憐な花はこの真っ暗な洞窟の中で唯一光が差し込むこの場所でしか自生できない。こぶし大に開いた穴から見えるだろう外の景色は、きっと空しか映し出さない。それがアードルの世界だった。だが、アードルにはそれだけで十分だった。そこに光が差し込まれるのであれば。
 とはいえ、こちらには幼体と言えど翼を持ったドラゴンのムーが存在する。ムーはパタパタと羽ばたき、いとも容易くアードルを入手した。
「かわいらしい花…。」
 根っこから引き抜かれたアードルを見てクグレックは思わず呟いた。菖蒲にも似たその花は孤独の中でも可憐に咲いて見せる健気な花であった。
 この可憐な花がディレィッシュを死の淵から生還させてくれる。
 希望が費えることがなくて本当に良かった、とクグレックは安心した。
 そうしてアードルを入手した3人は再びもと来た道を戻っていく。下り坂なので行きよりは幾分楽だった。ところが、入り口付近まで戻って来ると潮が満ち始めていた。歩行不能とまではいかないが、膝くらいの高さまで潮位が上がっていた。
「…満ち潮の時だったら、洞窟から出られなかったかもな。」
 と、ハッシュが壁を見ながら呟いた。彼の頭よりも少し上とその下では壁の色が異なっていた。満潮時ではこの洞窟は海に隠されてしまうようだ。天井が高かったのも納得が出来る。が、上り坂が出来上がっていた理由は良く分からない。何者かが掘ったという理由しか考えられないが、この世界において自然科学的な理由で解決出来ないことは多いものだ。
「クク、これだとお前のローブと靴が濡れちゃうな。」
 ハッシュが言った。彼は水面を見つめながら、不意に思い立ったようにクグレックを抱き抱えた。お姫様抱っこと呼ばれるスタイルだ。
「え!私、重いから、降ろして。濡れても大丈夫だから。」
 クグレックは突然のことに動揺し、ハッシュから離れようと足をじたばたさせる。
「ここで転ばれても困るからな。大人しく運ばれてやってくれ。」
 そう言ってハッシュはクグレックの瞼にそっとキスをした。
 クグレックは顔をボンと紅潮させ、大人しくなった。逞しい胸板とハッシュの高めの体温に包まれてしまっては、何も言えない。
 そばでやり取りを見ていたムーはやれやれと呆れた表情をしていた。ハッシュはそれに気づいたらしく、片口を上げてにやりと笑い「だって、嬉しいじゃないか。」とだけ言った。ムーにはハッシュが何に対して嬉しいのか分かりそうで分からなかったが、もしもアードルが見つかって喜んでいるのならば、いろいろ言うのはよしておこうと思った。



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 3人は白魔女の隠れ家まで戻って来た。
 隠れ家は相変わらず人気がなく、静まり返っている。おそるおそる扉を開くとそこには一人の少年がいた。金髪碧眼で整った顔をしている。大人になりつつあるが、まだあどけなさが残る。歳は15,6才だろうか。クグレックと同じくらいの背の高さの美少年は、無表情で3人を見つめていた。深い青色の瞳の輝きはあまりにも無機質で人形のようだった。まるで生気が感じられない。
「アードルを持って来たのか?」
 変声期を終えたばかりのまだ安定しない声で美少年が尋ねた。
「…あ、あぁ。」
 ハッシュがアードルを鞄から取り出す。ハッシュは彼の容姿に戸惑いを隠せずにいる。それは隣にいるクグレックも同じだった。2人は彼に似た人に会ったことがあるのだ。
「ハクアの代わりに預かろう。あの方は今二日酔いで調子が悪い。」
 美少年はアードルを受け取る。
「明後日には出来上がると言っていた。また、臨床実験の結果も楽しみにしているとのことだ。では、用も済んだろう。早く帰ってくれ。」
 少年に促されて、3人は家を追い出される。ハッシュは戸惑いつつも、振り返って問い正す。
「君の名を教えてくれないか?」
 少年はハッシュを見た。一瞬口を開きかけたが、少年は彼らを家から押し出した。そして一言「俺は何も分からない。名前も過去の記憶も何もない。」と言い捨てて、扉を閉めた。
 内側から鍵がかかる音がした。
 もうあの少年にあうことは出来ない。
 次は明後日だ。
 クグレックとハッシュは観念して白魔女の隠れ家に背を向け、ティグリミップへと歩みを進める。

「あ、あの、一体どうしたんですか?」
 少年に出会ってから急に様子が変わった二人にムーが質問する。
 ハッシュとクグレックはお互いに目配せをする。お互いに会話は交わしていないが、思うところは同じだった。
 ハッシュがゆっくりと口を開いた。
「知り合いに似ていたんだ…。大分幼く見えたが、あいつはクライドにそっくりだった。」
「うん…。弟さんとかかな…。」
 クライドとはトリコ王国の家臣である。剣の腕が立ち、大変見目麗しい青年だった。ディレィッシュがいた頃、クライドは全身全霊をかけて彼に忠誠を誓っていた。生きる理由が全て主であるディレィッシュに有るほど、彼はディレィッシュに陶酔していた。なお、ディレィッシュがいなくなった後、クライドはトリコ王国軍団長として国王を補佐している。
 クグレックとハッシュは少年の姿を見た時に、瞬時にクライドの面影を感じた。それどころか、彼がクライドではないかという錯覚すら覚えたのだ。
 倒錯的な感覚に陥った二人はどういうわけか口数が少なくなった。
 クライドはトリコ王国で軍団長として要職に就き、忙しい日々を送っている。彼の愛する人が愛したトリコ王国を存続させ、繁栄させることが彼の使命なはずなのだ。
 名前も過去の記憶も何もないあの少年がまさかクライドな筈がない。そもそもクライドは少年ではない。ディレィッシュよりも年齢は一つ上なのだ。


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 2017_08_28


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 そして翌朝。外れの岬に住んでいるという紅い髪をした魔女に会いに行こうと意気込む一同。
 だが、予想外の出来事が起きた。
 宿屋の主人の娘アニー(3歳)がニタのことを気に入ってしまったのだ。
 ふかふかの白いくまのぬいぐるみみたいなものが可愛い声を出して喋るのだ。それはアニーにとって運命の出会いだったと言えよう。少しでもニタがアニーから離れようとすると、アニーはまるで恐竜のようにぎゃんぎゃん泣く。宿屋の主人は申し訳なさそうにしてニタに「アニーの気が済むまで一緒に居てあげてください」と申し入れてしまったものだから仕方がない。ニタは宿屋に残ることとなった。それに、もしディレィッシュに万が一のことがあったら、ニタの足であればいち早く伝えることが出来るだろう。
 
 クグレックとハッシュとムーの3人は崖下に海を見下ろしながら北へと進む。その道中、何度も『知らない人に着いて行ってはいけません』の看板を見つけた。ティグリミップに到着する前に見かけたあの看板と同じだ。『特に紅い髪をした人には注意』と小さく注記が入っている。やはり紅い髪の魔女に拉致され、精神崩壊させられることが絶えないのだろう。
 それから2時間も歩けば、白壁にヤシの葉の屋根の家に辿り着いた。あれこそが白魔女の隠れ家であろう。何もない開けた場所だが、どことなくひっそりと佇んでいるようだった。 
 「これが、白魔女の住処…。」
 ハッシュはムーとクグレックに目くばせをしてから、木製の扉をとんとんとノックして、ゆっくりと開いた。
「すみません、誰かいませんか?」
 隠れ家の中は灯りがついていなくて薄暗かった。誰かが動いている音も聞こえず、静寂に包まれたままだ。
 もう一度「すみません、だれかいますか?」と声をかけても誰も出て来なかったので、3人は更に中に入ることにした。全ての扉は閉ざされているが奥の部屋の扉は少しだけ開いており淡い光が漏れている。3人は奥に向かって進んだ。
 近付くにつれて、奥の部屋からは唸り声が聞こえた。「うーん」とか「あー」と苦しそうな声だ。
 ハッシュはおそるおそる奥の部屋の扉を開けた。部屋は薬草を煎じた匂いとアルコールの匂いが充満していて、思わず鼻を抑えた。後ろを着いて来たムーとクグレックも部屋の妙な匂いにびっくりして顔をしかめた。ただ、クグレックは薬の調合を得意とする祖母を思い出し、この部屋の薬草の煎じた香りが少し懐かしく感じられた。
 さて、この部屋は薬を調合するための道具や材料などが所狭しと並んでいるが、床にはおそらく酒が入っていただろう一升瓶や食べ物の残骸が無造作に投げ捨てられ、散らかっていた。そして、奥の2人掛けソファには紅い髪をした女がだらしない恰好でうつ伏せに寝そべっている。
 3人が部屋に入って来たことを察知したらしく唸り声を上げながら
「うー、気持ち悪い。誰?クラ君?それともレイ君?お水ちょーだい?」
と声を上げた。
 ハッシュはクグレックに目配せをする。クグレックは頷き、紅い髪の女に近付いて持っていた水筒を手渡した。紅い髪はライオンのようにほうぼうにうねっている。
 女は水を受け取ると、けだるそうに顔を上げて水をぐびぐびと飲み始めた。うつぶせという無理な態勢で飲むため、口の端から半分くらい水がだらだらと零れ落ちているが、お構いなしだ。
 水を飲み干すと、紅い髪の女は満足そうに息を吐き出して、再び眠りについた。が、しばらくすると、紅い髪の女は喉のあたりをぐ、ぐ、と鳴らしながら背中が動いた。クグレックは瞬時に女が吐きそうであることを察知し、とっさにそばにあったアイスペールで彼女の吐しゃ物受け止めた。
 女は乱暴に口元を腕で拭い、ふとクグレックの存在に気付く。
 覚醒しきれないむくんだ顔はぼんやりとクグレックを見つめるが、すぐにうつぶせになった。力尽きたようだ。
 たった一瞬の出来事だったが、クグレックは蛇に睨まれた蛙のように身体が強張った。
 紅い髪の女はうつぶせのまま
「…何しに来たの。――黒魔女」
 と、話しかけて来た。
 クグレックは呆気にとられて何も言えずにいたが、はっとして目的を思いだした。
「あ、あの、アルドブ熱を治す薬が欲しくて…」
 女はしばしの沈黙の後
「……御山に原料はあるし、作り方も書斎の本棚にあるから勝手に作りなさいよ。」
と、けだるそうに応えた。
「…今から御山に言ってたら、私の仲間は死んじゃうんです。」
「アンタの仲間なんて、アタシは興味ないわよ…。」
「…でも…」
「ここにはアルドブ熱を治す薬はないわ。…この先の坂道を降りて海岸に下ったところにある洞窟にアードルという花があるから採って来てくれれば調合するわよ…。」
 むにゃむにゃと女は何かを言っているが、やがてその呟きは落ち着いた寝息に変わっていった。

 クグレックは嬉しそうな表情でハッシュたちを見た。
 そして、音を立てずに抜き足差し足でハッシュたちの元に戻る。
 クグレックは女を起こさない様に小さな声で
「この先の坂の下にある洞窟にアルドブ熱を治す薬の原料があるみたい。」
 と伝えた。薬を手に入れたわけではないが、情報を手に入れたことでクグレックは満たされた気持ちになっていた。
「そうか、やったな。ありがとう。」
 ハッシュはようやく表情を綻ばせ、クグレックの頭を撫でた。昨日からハッシュはずっと追い詰められた様子でいたので、こうやって落ち着いた様子を見れてクグレックも安心した。
 お土産を置いて3人は隠れ家を後にしようと外に出た時、紅い髪の女がフラフラとした足取りで追って来た。
「ちょっと、待って。」
 と、女は相変わらず紅い髪をぼうぼうに乱して、小さな小瓶をハッシュに手渡した。
 ハッシュは受け取った小瓶を訝しげに見つめる。
「元第一皇子、飲みなさい。」
「え?」
 ハッシュは心底驚いて女を見つめる。どうしてこの女が第一皇子であったことを知っているのかと。
「何?飲めって言ってるの。解熱剤、作らないわよ。あ、目つぶって。アタシが良いよと言うまでは目、開けるんじゃないわよ。」
 何故女がハッシュのことを覚えているのかとても気になるところだったが、余計な質問をして機嫌を損ねてしまったら意味がない。ハッシュは言われるがまま目を閉じて小瓶の中の液体を飲んだ。
「ほら、黒魔女、こっちに来なさい。」
 女はクグレックをハッシュの目の前に移動させると「目を開けなさい」と言った。ハッシュは目を開けた。目の前にはクグレックがいるだけだった。
 ハッシュとクグレックはきょとんとした表情で女をみた。女は壁にもたれかかりながら片口を上げて意地の悪そうな笑みを浮かべている。
「アタシがタダで薬を作るわけないでしょう。被検体になってもらわなきゃ。薬がどのくらいの時間効くのか教えて頂戴。」
 ぼさぼさの紅い髪の下で怪しく光る緑色の瞳。エメラルドのように綺麗で美しい瞳だ、とクグレックが思っていると、ふと既視感を覚えた。クグレックはこの女に会ったことがあるのだが、どこだったか思い出せない。この女が浮かべる意地の悪そうな笑みも見たことがある。それなのにクグレックは彼女に出会った時のことを思い出せないのだ。もやもやとした気持ちがクグレックの胸の内を包む。
 そして、女はハッシュに何を飲ませたのだろうか。「薬がどのくらいの時間効くのか教えて頂戴。」と言うことから薬の効能時間を知りたいようなので、時間の経過と共に薄まる薬であることは間違いないのだが。
「クク…?」
 目の前のハッシュは少々ぼんやりとした様子でクグレックを見つめている。ハッシュは徐にクグレックに手を伸ばし、頬に触れた。大きくてごつごつとした手が優しくクグレックの頬を撫でる。
 クグレックはびっくりしてハッシュを見る。ハッシュはなんだか切なそうな表情でクグレックを見つめている。その眼差しにクグレックは妙な気持ちになり、動くことが出来なかった。
「ハッシュ、どしたの?ね、ねぇ、なんか変だよ?」
 ふわりと香るアルコールの香り。ハッシュの手は女に掴まれて宙を掴む。
「元第一皇子、黒魔女は大切な処女なんだから、手出しは禁物よ。魔女の処女の希少性は凄いんだから。そこの龍の幼体、このむっつりが黒魔女に変なことをしないかしっかり見てなさいよ。」
 白魔女に凄まれてムーは一生懸命コクコクと頷く。
「あー気持ち悪いし頭痛い。じゃ、アードル、待ってるわよ。」
 そう言って白魔女は家の中に戻って行った。
 クグレックとムーは再びハッシュを見る。変わったところは見受けられない。
「…ハッシュ、大丈夫?変なところはない?」
 と、クグレックが言うと、ハッシュは腕を動かしたり首を回したりして自身の確認をする。が、特に気になる不調はなかったので首を傾げるだけだった。
「なんだったんだろうな?薔薇の香りがして甘い飲み物だったけど、栄養ドリンクとか、そういう類のものだったのかな。」
「…白魔女の色んな噂を聞きましたが、栄養ドリンクをくれるなんてそんな生易しいことで済むんですかねぇ。」
 ニタの話では紅い髪の女は油断ならない人物のはずだ。クグレックはハッシュに異常がないか、じっと見つめる。ディレィッシュが危険な今、ハッシュまで失うことになってしまったら大変だ。
 クグレックはハッシュを見つめるが、顔が紅潮している以外には異常は見受けられなかった。
 ところが、ハッシュから爆弾発言が投下された。
「あぁ、クク、ごめん。俺、今めちゃくちゃククのこと好きだ。」
「え?」
 驚いて素っ頓狂な声を上げるクグレックとムー。ニタやディレィッシュは割と感情を開けっ広げにする性格なので「好き」だとか「愛してる」という言葉をよく使うのだが、ハッシュはそのような言葉は一切言わない。冗談でも使ったことがないので、二人は驚いた。「ハ、ハッシュ、あの、えっと、」
 しどろもどろになって、クグレックは上手く喋れない上に頭から湯気が出てもおかしくないくらいに顔が真っ赤になっている。
代わりにムーがハッシュに「ハッシュ、どういう意味?」と尋ねた。
「分からない。でも、急にクグレックのことが愛しくて堪らなくなったんだ。どうしよう、キスしたい。」
「ちょっとちょっとそれはまずいです。落ち着いて、落ち着いて下さい。ククも怖がってますから。」
「どうしてまずいんだ?こんなに可愛いのに。」
 そう言って、ハッシュはクグレックの頭を撫でる。
 脳みそが沸騰しそうなくらいに、クグレックは羞恥に苦しむ。初めて異性から愛の告白をされたのだ。これまで異性を好きになったことがなかったクグレックは初めての感情にパニックになるばかりであった。ハッシュの手はクグレックの頭を撫でながら、同時に脳みそもかき混ぜているのではないかという錯覚に陥る。
 ハッシュの手は次第に頭から耳へとうつる。さわさわと耳を撫でられ、クグレックはくすぐったくて堪らなかった。が、混乱状態に陥ったクグレックはそれを拒否することが出来ず、ぎゅっと目を閉じて、くすぐったさをこらえる。
「ふふ、可愛い。」
 とその時、ムーが飛び上がり足でハッシュの腕を掴み動きを止めた。
「ふふ、じゃないです!ククが困ってるじゃないですか!やめてあげてください!」
 ムーに止められ、ハッシュははっとして、クグレックから手を離す。そして、額に手を当てて大きなため息をつき、小さな声で「悪い」と呟く。
 ムーはふーふーと息を荒らげて、ハッシュを威嚇するが、ふと思いだした。いつものハッシュなら、冗談でもこんなことはしないことに。そして、紅い髪の女から言われた言葉を。

――このむっつりが黒魔女に変なことをしないかしっかり見てなさいよ。

「ハッシュ、あなたは一体何を飲まされたんですか?あなたにククの姿はどう見えているのですか?」
 ムーがおそるおそる尋ねる。ハッシュは
「…普通の女の子のはずなんだが、今は大切な人なんだ。…どうしてだ?」
と答えた。
 ムーはひとしきり考えた後
「ククを好きになる薬を飲まされたのですか?」
と尋ねると、ハッシュは苦しそうな表情になり「多分」と答えた。どうやら薬は効き始めのため本人にも自覚はあるらしい。
「ククを見ると体が熱くなって、変になる。今も、もうヤバい。ムー、本当に間違いを犯さないように、しっかり俺を見張っててくれ。…あぁ、クク、好きだ…!」
 自覚はあるが、彼の理性は最早ギリギリのラインなのだろう。
 クグレックも偽物ではあるが初めて愛の告白を受けて、ぼんやりとした様子になっている。ムーは小さくため息を吐き「とにかく、原料を探して、アルドブ熱の薬を作ってもらいましょう。ディレィッシュは今なお苦しんでるはずです。」と声をかけた。すると、クグレックは未だ顔を紅潮させながら「うん、そうだね、探さなきゃ」と言い、ハッシュはハッシュで「そうだった。早く兄貴の熱を治して、ククとの交際を報告しなければ」とどこか普段の彼からずれたことを言うのだった。
 アードルという花を採りに行くだけなのに、ムーはなんとも前途が不安に感じられた。
 そして、同時にあの紅い髪の女は間違いなく白魔女であるということも、今のムーにはよく分かった。


 2017_08_24


 ハッシュの背中は静かに落ち込んでいた。同時に悲しみ、そして、怒りにも似た何かが発せられていた。楽天家なニタが押し黙ってしまうほどに、ハッシュが憔悴している。
「…二人はディレィッシュの様子を見ててやってくれ。俺は他の家にも薬がないか聞いて回る。」
 ハッシュは振り返らずにニタとクグレックに言った。
 ニタはいつもの天真爛漫さを発揮できずにいるが、おそるおそる返事をする。
「いや、そしたら、ニタも手伝うよ。一人で回るよりも二人で回った方が早いでしょ。」
「…ありがとう。」
 ニタはクグレックを見上げ「ククは宿屋に戻ってディッシュの」と言いかけたが、クグレックは
「私も行く!」と珍しく意思を通した。
 日は沈み、町は遠くに見える灯台の光と建物から漏れる光だけが頼りだった。街灯はなく、たまに松明が大きな商店や公的機関に点いてるだけだった。
 ティグリミップは大きな町ではないので1時間ほどで聞き回ることが出来た。が、収穫はゼロだった。ティグリミップのどこにもアルドブ熱の薬が存在しないのだ。
「…ここから1日行ったところにも小さな村があるらしい。…今から行ったら間に合うかもしれないから、行って来る。」
 暗闇の中、ハッシュが言った。
「その村には、薬があるの?」
 ニタが問いかける。
「…コンタイ国はあるがままに生きる国だから、御山の集落だったりティグリミップ位の規模の町じゃないと、…外国人旅行客が来る町じゃないと…薬はないそうだ。」
 その話しぶりから察するにハッシュの見つけた望みはほぼ絶望に近いようだった。
「ハッシュ、一旦宿屋に戻ろう。もしかすると宿屋のおっちゃんやムーが何か情報を持ってるかもしれない。その後からでも悪くないと思うよ。」
「…そうだな。」
 3人は宿屋に戻った。主人が「おかえり!」と迎えてくれたが、3人の落胆した様子を見るとすぐに結果を察し眉根を下げた。
 と、そこへ、客室から女性が現れた。20位の若い女性で日焼けをしていない白い肌を持つことから現地民ではないことが予想される。彼女は「こんばんは」と声をかけるが、主人以外は誰も返事をしない様子を見て主人に向かって「どうしたんですか?」と耳打ちをする。主人は事情を3人に聞かれないように小声で話した。
「…薬がない…。あれ、でも外れの岬に…」
 主人は口に指を当て「しっ」と女性の言葉を遮る。
「あの女のことは…」
「…まぁ、確かにね。犠牲者が増える可能性もあるものね。」
「悲しいけど、どうすることも出来ないんだ。」
「…悲しいわね。…主人、こんなときなんだけどお酒頂けるかしら?寝付けなくて」
「はいよ。どうぞ。」
 女性は主人から酒瓶を受け取ると、3人に憐みの眼差しを向けて自室へ戻って行った。
 3人は再びディレィッシュの元へ向かった。
 ディレィッシュは相変わらず、顔を真っ赤にして辛そうにしている。ムーも3人の様子を見て察して項垂れた。
「ムー、お前はこのアルドブ熱に関して知っていることはないか?」
「僕は…残念ながら、何もわからないよ。」
「そうか。だよな…。」
 そう呟いてハッシュは部屋の隅に置いてある自身の荷物の整理を始めた。最寄りの村へ向かう準備を始めたのだろう。
「あのさ、」
 ニタが口を開いた。
「さっき、おっちゃんと女の人が話してたの聞こえたんだけどさ。」
 ニタは目も良いが耳も良い。
「外れの岬に何かがあるっぽいね。」
 準備をしていたハッシュの手が止まった。
「でも、どうやらその外れの岬に関してはタブーみたいなんだよね。」
 ニタはてくてくとドアまで歩みを進め、ハッシュを見つめる。
「多分、おっちゃんに聞いても教えてくれないと思うから、あの女の人に話を聞いて来る。だから、ハッシュ、ちょっと待ってて。」
 そう言って、ニタは部屋を出て行った。
 ハッシュは準備の手を止めて、ディレィッシュの傍に寄りその様子を思いつめた表情で眺める。 クグレックは黙ってその様子を見ていることしかできなかった。ハッシュは常に動き続ける男だった。トリコ王国の危機にあっても、常に彼が出来ることを探しつづけ諦めなかった。その姿はとても頼りになった。ところが今のハッシュは今までに見たことがないほどの焦りようだ。それは彼が出来ることが尽きようとしているからなのだろうか。


********

 ニタが戻って来たのはそれから2時間後だった。酒の匂いを纏い、べろんべろんに酔っ払っている。
「うおーい、トリコ弟。おにいちゃんを助ける方法を見つけたぜー。」
 ニタはふらふらとした足取りでクグレックに近付き、ぎゅっと抱き着く。
「やだ、ニタ、お酒臭い。」
 クグレックは鼻をつまんでニタの酒の匂いを手で払う。
「いやーあの女、こんな可憐なニタにお酒飲ませやがってさぁ、もう、なんなんだ、って思ったんだけど、でも、話聞きださなきゃだし、って思ってニタ頑張ったわけ。」
「う、うん。」
 クグレックは多少引きつつもニタの話に相槌を打つ。いつもと違うニタの様子にクグレックは戸惑いを覚える。いつも陽気だが、今は輪をかけて陽気だ。しかも、ニタは中身のない話をするばかりで肝心の外れの岬に関する情報を一向に話そうとしない。しびれを切らしたハッシュがニタの頭をむんずと掴み、怒気を孕んだ低い声で
「いい加減に本題に入れ。」と脅しをかけた。
 ニタは「うええ」と変な声を上げて文句を垂れるが、やがてはずれの岬に関する情報を話し始めた。
「はずれの岬には紅い髪をした魔女が住んでいるんだって。でも、その魔女が超ヤバい奴で、近くを通る人を捕まえて監禁しては、自らが作った薬の投薬実験を行うんだって。何人もの人が実験の犠牲になって廃人状態、精神崩壊状態で戻って来るらしい。だから、今は現地の人は近付かないようにしてるし関わらないようにしている。しかも、その魔女は、若くて見目麗しい男が大好きで、拉致するのはイケメンが多いんだって。いやぁほんとに異常性癖をもってるよね。気持ち悪い。」
「で、その魔女はディレィッシュを助けられるのか?」
 お喋りが達者すぎるニタに、ハッシュはニタの頭を掴む力をより強くさせる。
「うん。うん。やばい魔女なんだけど、治癒薬作りの天才らしいのは間違いない。アリスは、――あ、アリスってあの女の人ね、あの魔女は白魔女なんじゃないかって言ってる。」
「白魔女…!」
 かつてニタとクグレックが訪れたポルカという村では白魔女は村民から讃えられ、そして白魔女からの恩恵を受けていた。その時に貰った白魔女の薬でハッシュの腹の銃創も治してくれた。ニタの話からすると、ポルカの白魔女とは全く別人のように感じられるが、一体どういうことなのだろうか。だが、考えてみれば御山の麓の集落で出会ったティアは白魔女の知り合いで、白魔女のことはあまり良い印象を持っていないようだった。
「だから、外れの岬にある紅い髪の女のところに行けば薬がもらえるんじゃないかな、とニタは思うわけ。はい、そう言うわけだから、手、離して。」
 と、ニタに言われたハッシュは素直にニタの頭から手を離した。ニタは不機嫌そうに掴まれた部分を手で払って、ディレィッシュのために用意されていた水をぐびぐび飲んだ。
「白魔女だとすると、それなりに礼節を尽くして向かった方がよさそうですね。」
 ムーが言った。ムーはティアの友達であるため、彼も白魔女に会ったことがあるようだ。
 ハッシュは「あぁ」と頷き「土産も買った方が良いかもしれないな。」と返事をした。
「じゃぁ、今日は休んだ方が良いですね。一応部屋の余裕はあるそうなのでハッシュさんと僕、ククとニタの部屋を準備してもらいましょうか。」
「…いや、俺はここで良い。」
「そうですか。じゃぁ、僕もここで大丈夫です。僕はどこでも眠れますから。とりあえずククとニタの部屋だけ準備してもらいますよ。」
「あぁ、ありがとう。そうしてやってくれ。」


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