薬物騒動とまやかしの恋⑧
Category: はじまりの旅(仮) > 薬物騒動とまやかしの恋
********
――――わるいまじょはおおきくてきょうぼうなドラゴンにへんしんして、おうじさまのゆくてをはばみます。
朝早く起きたアニーとニタはロビーで本を読んでいた。アニーが読み聞かせる側で、ニタはアニーのたどたどしいそれを黙って聞く側だ。
ロビーには二人の他にクグレックもいた。あまりよく眠れずに早く目が覚めたのだ。朝食が出るまでアニーの朗読をBGMにぼんやりとする。
――――おうじさまはようせいたちのちからをかりてどらごんにたちむかいます。おうじさまのけんはどらごんにささり、どらごんはおおきなさけびごえをあげてしんでしまいました。
こんな物語をムーが聞いたらどんな気持ちになるだろう。いや、そもそもこのわるいどらごんは元々悪い魔女だったはずだ。わるいまじょはおうじさまに殺されたのだ。魔女であるクグレックは討伐対象になるのは些か辛いと思った。
――――おうじさまはとらわれのみのおひめさまをたすけてあげました。そして、おしろにもどり、ふたりはあいをちかいあいました。ふたりはけっこんしすえながくしあわせにくらしましたとさ。めでたし、めでたし。
愛を誓い合った二人は結婚した。好きな人と一生を遂げる。
こんな暖かな幸せな気持ちになるならば、それはとても素晴らしい人生なのだろうなと思った。愛する人と結婚して子供を産んで幸せに生きる。クグレックはそんな平凡な幸せに憧れたこともあった。
今はどうなのかと問われると、それは分からない。でも、憧れることくらい悪くはないとクグレックは図々しくも控えめに居直った。
「ねぇ、ニタ、上手だった?私、ご本読むの上手なの。」
アニーが誇らしげに言う。ニタは「はいはい、じょうずだね。」と投げやりな様子で褒める。それでもアニーは気を良くしたのか、次の絵本を引っ張り出し、再び読み聞かせ始める。
厨房から美味しそうな匂いが漂い始めて来たころ、客室が並ぶ奥の廊下から部屋が開く音が聞こえた。ムーとハッシュが会話しながらロビーへやって来る。ぼんやりしていたクグレックは慌てて背筋を伸ばし、姿勢を正した。
ムーがパタパタと翼をはためかせてロビーに姿を現すと、その後ろに続いてハッシュが現れた。
「おはようございます。」
ムーが丁寧にお辞儀をして挨拶をする。周りは「おはよー」とのんびりした様子で返事をした。
そして、ハッシュが気まずそうに「おはよう」とあいさつする。ニタはちらりとハッシュを一瞥すると不機嫌そうな様子で「おはよう」とあいさつをした。
クグレックは、ハッシュを目の前にして緊張で強張っていたが、勇気を振り絞って「おはよう」と声を出した。ハッシュと目が合ったが、ハッシュは気まずそうに目を逸らした。
ハッシュの様子が昨日とは違う。
ムーは後ろを振り向き、ハッシュの腕を引っ張った。
「分かった。分かった。ちゃんというから。」
と、言って、ハッシュはクグレックの傍に寄った。ニタのぎらぎらとした視線がハッシュに突き刺さる。
「クク…、昨日はすまなかった…。」
ハッシュが申し訳なさそうな様子で謝った。クグレックはどういうことかとゆっくりと首を傾げる。
「昨日、迷惑をかけたみたいで…。記憶は殆どないのだが。」
ハッシュは気まずそうに頭をぽりぽりと掻いた。が、覚悟を決めたようにしっかりとクグレックの目を見据えて
「…その、怖かっただろう。もう、薬の効果は切れたようだから、安心してくれ。」
と努めて真摯に言った。
クグレックはじっとハッシュを見つめる。昨日まで見せていたあの熱いまなざしはもうそこにはなかった。ただひたすらに誠実な眼差しがそこにあった。だが、それでもクグレックはハッシュのその眼差しに釘付けになり、視線を逸らすことが出来ない。顔は熱くなるし、変な動悸もしてくる。
(そっか、薬が切れちゃったんだ。もうハッシュは私のこと、好きじゃなくなったんだ。)
クグレックのことを好きだと言ったハッシュはもういない。
クグレックはようやくハッシュから視線を外し、「うん、そっか。私はそんなに気にしてないから、大丈夫。」と言った。
気にしていない、わけでもない。
やはり少しだけ、クグレックは寂しさを感じた。
もうハッシュはクグレックのことを愛しているわけでもないし、結婚すると言いだしたりもしない。一瞬でも『おうじさまとおひめさまのようなしあわせなけっこん』に憧れたクグレックは馬鹿馬鹿しく感じた。
クグレックは深く椅子に座り直し、小さくため息を吐いた。
その後の朝食は、なんとも気まずい空気が流れていた。無邪気にニタと朝食を楽しむアニーの声だけが一人楽しげだった。
それからクグレックはニタとアニーの面倒を見た。一緒におままごとをしたり、かくれんぼをしたり、人形遊びをしたり。少し疲れるが、それはそれで楽しい時間だった。無邪気なアニーと過ごす一日は悪くない。
ムーは、友人がいる島までの定期船の切符を予約しに町へ繰り出している。行き先はハワイという島だそうだ。ハワイという島は、誰もが憧れるリゾート地らしい。そのため、ハワイ行きの船は定期便が出るほど人気がある。
そして、ハッシュは、熱心にディレィッシュの看病をしていた。昨日白魔女の家を出てからの記憶がほとんどなく、今朝目を覚ました時は慌てた。白魔女の家を出たというのに、気が付いたらティグリミップの宿屋で、ベッドには未だ苦しそうに眠っている。薬の入手は失敗したのかと思い、ハッシュは傍で眠っていたムーをたたき起こして事情を聴いていた。
そして、その瞬間彼は冷や汗をかいたのである。ディレィッシュが死にかけているのに、薬のせいだとは言え、クグレックに嘘っぱちの告白をしたりして困らせていたことを聞かされたのだ。流石に田舎育ちの初心な未成年の女の子を弄んでしまったことに、彼は強い罪悪感を覚えていたのだった。
********
その夜。ニタはクグレックと同じ部屋で過ごしていた。昼間、ひたすらアニーと遊びまくった結果、アニーは酷く疲れて爆睡状態らしい。ベッドを抜け出してもアニーは起きないくらいぐっすり眠っているので、ニタはクグレックのいる部屋に戻って来た。
昨晩は一人ぼっちだったクグレックはこうやってニタと一緒に居られるのは嬉しかった。
「まぁ、ニタもアニーの面倒を見るのは大変だったけど、ククも大変だったよね。あのクソバカ男に散々振り回されてさ。」
「…うん。そうだね、すっごく振り回された。」
主に感情面で。
薬に侵されたハッシュの口から紡ぎ出される熱烈な愛の言葉は、クグレックの心を大いに動揺させ、『恋』を錯覚させた。しかし、本当に錯覚だったのか。
「ねぇ、ククはそれでも、まだあのクソバカ男のことが好き?」
ニタはにんまりとした表情で、クグレックに質問した。
クグレックは俯き、頭の中でハッシュへの恋心を審議し始めた。
だが、頭で考えても答えは出て来ない。好き、とも言えないし、好きじゃない、とも言えない。
今朝のハッシュは昨日のハッシュとは違う。元のハッシュに戻ったというのに、あの時に誠実な眼差しを向けられて、クグレックは間違いなくドキドキした。クグレックを愛するハッシュはそこにはいなかったが、もしかするとそこにいたのはクグレックの好きなハッシュだったのかもしれない。ちょっとだけぶっきらぼうなところもあるが、真面目で優しい本当のハッシュの姿。それがあの眼差しに集約されていた。
そうしてクグレックはぽつりと呟いた。
「…好き、なのかなぁ。」
クグレックは言葉にしてから、急に恥ずかしくなり、瞬時に顔を真っ赤にさせた。
その様子を見て、ニタは青ざめた。クグレックの感情は一時の勘違いであってほしいと思っていたからだ。それが、目の前には完璧なる恋する乙女が存在する。
「クク、きっと、まだ勘違いをしているだけだよ。しばらくしたら、なんでもなかった、って思うようになるよ。」
と、ニタは言った。クグレックは「そうなのかな」と答えるばかりだった。
多分、クグレックはハッシュに愛していると言われなくとも、ハッシュの頼れる背中や真面目で優しいところがクグレックは好きだった。
――――わるいまじょはおおきくてきょうぼうなドラゴンにへんしんして、おうじさまのゆくてをはばみます。
朝早く起きたアニーとニタはロビーで本を読んでいた。アニーが読み聞かせる側で、ニタはアニーのたどたどしいそれを黙って聞く側だ。
ロビーには二人の他にクグレックもいた。あまりよく眠れずに早く目が覚めたのだ。朝食が出るまでアニーの朗読をBGMにぼんやりとする。
――――おうじさまはようせいたちのちからをかりてどらごんにたちむかいます。おうじさまのけんはどらごんにささり、どらごんはおおきなさけびごえをあげてしんでしまいました。
こんな物語をムーが聞いたらどんな気持ちになるだろう。いや、そもそもこのわるいどらごんは元々悪い魔女だったはずだ。わるいまじょはおうじさまに殺されたのだ。魔女であるクグレックは討伐対象になるのは些か辛いと思った。
――――おうじさまはとらわれのみのおひめさまをたすけてあげました。そして、おしろにもどり、ふたりはあいをちかいあいました。ふたりはけっこんしすえながくしあわせにくらしましたとさ。めでたし、めでたし。
愛を誓い合った二人は結婚した。好きな人と一生を遂げる。
こんな暖かな幸せな気持ちになるならば、それはとても素晴らしい人生なのだろうなと思った。愛する人と結婚して子供を産んで幸せに生きる。クグレックはそんな平凡な幸せに憧れたこともあった。
今はどうなのかと問われると、それは分からない。でも、憧れることくらい悪くはないとクグレックは図々しくも控えめに居直った。
「ねぇ、ニタ、上手だった?私、ご本読むの上手なの。」
アニーが誇らしげに言う。ニタは「はいはい、じょうずだね。」と投げやりな様子で褒める。それでもアニーは気を良くしたのか、次の絵本を引っ張り出し、再び読み聞かせ始める。
厨房から美味しそうな匂いが漂い始めて来たころ、客室が並ぶ奥の廊下から部屋が開く音が聞こえた。ムーとハッシュが会話しながらロビーへやって来る。ぼんやりしていたクグレックは慌てて背筋を伸ばし、姿勢を正した。
ムーがパタパタと翼をはためかせてロビーに姿を現すと、その後ろに続いてハッシュが現れた。
「おはようございます。」
ムーが丁寧にお辞儀をして挨拶をする。周りは「おはよー」とのんびりした様子で返事をした。
そして、ハッシュが気まずそうに「おはよう」とあいさつする。ニタはちらりとハッシュを一瞥すると不機嫌そうな様子で「おはよう」とあいさつをした。
クグレックは、ハッシュを目の前にして緊張で強張っていたが、勇気を振り絞って「おはよう」と声を出した。ハッシュと目が合ったが、ハッシュは気まずそうに目を逸らした。
ハッシュの様子が昨日とは違う。
ムーは後ろを振り向き、ハッシュの腕を引っ張った。
「分かった。分かった。ちゃんというから。」
と、言って、ハッシュはクグレックの傍に寄った。ニタのぎらぎらとした視線がハッシュに突き刺さる。
「クク…、昨日はすまなかった…。」
ハッシュが申し訳なさそうな様子で謝った。クグレックはどういうことかとゆっくりと首を傾げる。
「昨日、迷惑をかけたみたいで…。記憶は殆どないのだが。」
ハッシュは気まずそうに頭をぽりぽりと掻いた。が、覚悟を決めたようにしっかりとクグレックの目を見据えて
「…その、怖かっただろう。もう、薬の効果は切れたようだから、安心してくれ。」
と努めて真摯に言った。
クグレックはじっとハッシュを見つめる。昨日まで見せていたあの熱いまなざしはもうそこにはなかった。ただひたすらに誠実な眼差しがそこにあった。だが、それでもクグレックはハッシュのその眼差しに釘付けになり、視線を逸らすことが出来ない。顔は熱くなるし、変な動悸もしてくる。
(そっか、薬が切れちゃったんだ。もうハッシュは私のこと、好きじゃなくなったんだ。)
クグレックのことを好きだと言ったハッシュはもういない。
クグレックはようやくハッシュから視線を外し、「うん、そっか。私はそんなに気にしてないから、大丈夫。」と言った。
気にしていない、わけでもない。
やはり少しだけ、クグレックは寂しさを感じた。
もうハッシュはクグレックのことを愛しているわけでもないし、結婚すると言いだしたりもしない。一瞬でも『おうじさまとおひめさまのようなしあわせなけっこん』に憧れたクグレックは馬鹿馬鹿しく感じた。
クグレックは深く椅子に座り直し、小さくため息を吐いた。
その後の朝食は、なんとも気まずい空気が流れていた。無邪気にニタと朝食を楽しむアニーの声だけが一人楽しげだった。
それからクグレックはニタとアニーの面倒を見た。一緒におままごとをしたり、かくれんぼをしたり、人形遊びをしたり。少し疲れるが、それはそれで楽しい時間だった。無邪気なアニーと過ごす一日は悪くない。
ムーは、友人がいる島までの定期船の切符を予約しに町へ繰り出している。行き先はハワイという島だそうだ。ハワイという島は、誰もが憧れるリゾート地らしい。そのため、ハワイ行きの船は定期便が出るほど人気がある。
そして、ハッシュは、熱心にディレィッシュの看病をしていた。昨日白魔女の家を出てからの記憶がほとんどなく、今朝目を覚ました時は慌てた。白魔女の家を出たというのに、気が付いたらティグリミップの宿屋で、ベッドには未だ苦しそうに眠っている。薬の入手は失敗したのかと思い、ハッシュは傍で眠っていたムーをたたき起こして事情を聴いていた。
そして、その瞬間彼は冷や汗をかいたのである。ディレィッシュが死にかけているのに、薬のせいだとは言え、クグレックに嘘っぱちの告白をしたりして困らせていたことを聞かされたのだ。流石に田舎育ちの初心な未成年の女の子を弄んでしまったことに、彼は強い罪悪感を覚えていたのだった。
********
その夜。ニタはクグレックと同じ部屋で過ごしていた。昼間、ひたすらアニーと遊びまくった結果、アニーは酷く疲れて爆睡状態らしい。ベッドを抜け出してもアニーは起きないくらいぐっすり眠っているので、ニタはクグレックのいる部屋に戻って来た。
昨晩は一人ぼっちだったクグレックはこうやってニタと一緒に居られるのは嬉しかった。
「まぁ、ニタもアニーの面倒を見るのは大変だったけど、ククも大変だったよね。あのクソバカ男に散々振り回されてさ。」
「…うん。そうだね、すっごく振り回された。」
主に感情面で。
薬に侵されたハッシュの口から紡ぎ出される熱烈な愛の言葉は、クグレックの心を大いに動揺させ、『恋』を錯覚させた。しかし、本当に錯覚だったのか。
「ねぇ、ククはそれでも、まだあのクソバカ男のことが好き?」
ニタはにんまりとした表情で、クグレックに質問した。
クグレックは俯き、頭の中でハッシュへの恋心を審議し始めた。
だが、頭で考えても答えは出て来ない。好き、とも言えないし、好きじゃない、とも言えない。
今朝のハッシュは昨日のハッシュとは違う。元のハッシュに戻ったというのに、あの時に誠実な眼差しを向けられて、クグレックは間違いなくドキドキした。クグレックを愛するハッシュはそこにはいなかったが、もしかするとそこにいたのはクグレックの好きなハッシュだったのかもしれない。ちょっとだけぶっきらぼうなところもあるが、真面目で優しい本当のハッシュの姿。それがあの眼差しに集約されていた。
そうしてクグレックはぽつりと呟いた。
「…好き、なのかなぁ。」
クグレックは言葉にしてから、急に恥ずかしくなり、瞬時に顔を真っ赤にさせた。
その様子を見て、ニタは青ざめた。クグレックの感情は一時の勘違いであってほしいと思っていたからだ。それが、目の前には完璧なる恋する乙女が存在する。
「クク、きっと、まだ勘違いをしているだけだよ。しばらくしたら、なんでもなかった、って思うようになるよ。」
と、ニタは言った。クグレックは「そうなのかな」と答えるばかりだった。
多分、クグレックはハッシュに愛していると言われなくとも、ハッシュの頼れる背中や真面目で優しいところがクグレックは好きだった。
スポンサーサイト
薬物騒動とまやかしの恋⑦
Category: はじまりの旅(仮) > 薬物騒動とまやかしの恋
********
穏やかな海風が吹き込む。コンタイは高温の国だ。冬だとはいえ、陽射しは初夏のように少し暑い。
宿屋のバルコニーに取り付けられたハンモックに揺られながら、アニーの可愛い可愛いぬいぐるみになったニタは潮風に鼻をひくつかせながらぼんやりとしていた。お昼を過ぎてアニーはニタと遊び疲れたのか、すやすやと眠っている。穏やかな時間だ。
ニタの心も穏やかだった。
元来、ペポ族の戦士は面倒見が良い。ペポ族のほとんどが愚鈍で無知で素直であるということからペポ族は単純に騙されやすく、外部からの攻撃に弱い。そんな大半のペポ族を守るために存在するのがニタの様なペポ族の戦士である。ペポ族を外敵から守ることは勿論、ペポ族の戦士は外敵に知略で憚らないために知識を蓄える。元々が騙されやすいペポ族なので、ペポ族の戦士が逐一危ないことややってはいけないことを教えてあげなければいけない。そうでもしないとペポ族は滅亡してしまうのだ。
だから、小さなペポの育て方や木の実の採り方、キノコの見分け方などを周りのペポ族に教えてあげた。のんびり屋でおっとりした性格が多い普通のペポ族を守ってあげることこそがニタの喜びであり、生きがいであった。あまりの愚鈍さに時々イライラすることもあったが。
だから、こういった小さい子の面倒を見るのもニタにとっては慣れたことであった。
外の世界を知らないクグレックのことも、かつての普通のペポ族の面倒をみることと似ていた。
そもそもは恩人であるエレンから頼まれたことなのだ。クグレックの唯一の家族で会ったエレンの代わりに、後見人となってクグレックを見守る。クグレックが世界を知って、そして笑顔になってくれることがニタの今の役目なのだ。
エレンの代わりの後見人として、そして初めての友達として、ニタはクグレックの人生に少しだけ責任を負う。
例えば、もしもクグレックに好きな人が出来て、さらには結婚するとなったら、ニタはその相手が確かにクグレックに相応しいのか試さなければいけない、その位はやってやろうと思っていた。
だからこそ、お昼寝から目が覚めた時、クグレック達が戻って来ていて、どういうわけかハッシュがクグレックと手を繋いでいる姿を見て憤りが収まらなかったのである。
「お前、なにクグレックと手を繋いでいるんだー!」
アニーが眠るハンモックから飛び出し、ハッシュに飛びかかるニタ。ハッシュは腕でニタの攻撃を防御する。
「ニタ、一体どうしたんだ?」
ハッシュが心底不思議そうに問う。その隣ではクグレックが顔を真っ赤にして俯いている。
「だって、お前、あんなにディッシュのこと心配してたのに、ちょっと離れたらすぐに女に手を出して。しかも、よくもククに手を出したね。お前にククをくれてやるわけがないからね!」
ニタは毛を逆立てながら怒鳴り散らす。
ハッシュはむっとした様子で
「ニタ、何を言うんだ。俺はククのことを本気で愛している。アルトフールに着いて落ち着いたら、ククと結婚するんだ。そこまでは我慢するから。俺とククのことを認めて欲しい。」
と言った。その眼差しはいつになく真剣だ。隣のクグレックはもう茹で上がってしまいそうなほど真っ赤になっている。
「ばかもーん!いくら同じ旅の仲間だろうと、ニタがゆるさーん!」
自称後見人のニタが大声をあげる。
と、その時。後ろからニタの肩を何者かがむんずと掴んだ。ニタはふと後ろを振り向くとムーが自身の足でニタの肩を掴んでその場から引き離そうと翼をはためかしていた。
ニタはふわりと宙に浮くと、そのままムーによって部屋の隅へと連れ込まれた。
「あのね、ハッシュさんは今、白魔女の薬のせいでククさんに惚れちゃってるんです。」
「はぁ?どういうこと?」
「結果的に言えば、明後日にはディッシュさんの熱を下げる薬が手に入ります。ただ、その代わり、ハッシュさんは白魔女の薬を飲んでその効果がどれくらい続くか実験することが薬を手に入れるための条件なんです。で、ハッシュさんが飲んだ薬というのがおそらく『惚れ薬』の類かと。」
「え、じゃぁ、ハッシュは今は薬のせいであんな風になっているってこと?」
「そう言うことなんです。薬を採りに行く頃までには薬の効果は切れていると思うんですけど。」
「嘘でしょう…。何が『本気で愛している』だよ…。」
さすがのニタも呆れかえった。と、同時に事態を把握したため、興奮状態も収まったようだ。
ニタは落ち着きを取り戻して、再びハッシュとクグレックの元へ会いまみえる。
「ハッシュ、とりあえず、ククにはそういうのはまだ早いから、ちょっと離れてもらうよ。ハッシュはディレィッシュの様子を看ててあげなよ。大事な弟が女にうつつを抜かしてるなんて知ったら、流石のディッシュでも悲しむと思うからね。」
と言って、ニタはクグレックの手を取り、ハッシュから遠ざけようとした。が、意外にもハッシュはすんなりクグレックを離してくれた。ニタはクグレックを引っ張って、部屋へと戻る。
ニタはクグレックをベッドに腰掛けさせて、自身は彼女の目の前で仁王立ちした。ニタはクグレックに確認しなければならないことがあるのだ。
「で、クク。ハッシュには何もされてない?」
「…う、うん。」
。クグレックはまだ顔を赤くさせてぼんやりとしている。まるで、本当に熱が上がっている人のようだ。その様子を見てニタは不安を感じた。クグレックの体調面での心配というわけではない。
「クク、ハッシュはククのこと好きだって言ってるけど、あれは薬のせいだからね。本当の気持ちじゃないからね。」
「うん…。」
弱弱しく返事をするクグレック。
「ハッシュ、元に戻ったら、別にククのこと恋愛的な意味では何とも思わなくなるからね。むしろ、この先ボインで美人なおねえさんがいたら、そっちの人の方を好きになるかもしれないからね。」
「…うん。」
クグレックの声はだんだん小さくなっていく。
ニタの嫌な予感は現実味を増してきた。
「クク、ハッシュの好きだって言葉、まさか本気にしてないよね?」
クグレックは収まろうとしていた顔色を再び紅潮させた。が、精一杯の声を振り絞って
「し、してない。ハッシュが私を『好き』なのは薬のせいだって、ムーにも言われたし…。」
と言った。
「でも…」
クグレックは消え入りそうな声でつづけた。
「もし、ハッシュの『好き』が本物の『好き』だったら、…私、嬉しいと思う。」
クグレックは顔の火照りを取ろうとひんやりとした手を頬に当てた。
一方のニタは、表情を強張らせた。なんだか頭痛がして来る。ニタは不安だったのだ。ハッシュからの愛の告白を受け、それをクグレックが本気に受け取ってしまうことが。
友達もいない上に魔女という理由で村中の人々から嫌われてきたクグレックは、エレン以外から愛の告白を受けたことはないだろう。そんな子が、少し年上で頼れる男性から愛の告白を受けて嬉しくないわけがない。クグレックは華の16歳だ。少し夢見がちなところもあるので、ころっと恋に落ちてしまう危うさをニタは感じていたのだ。
現実はニタが危惧していた通りだった。
目の前の華の16歳はぽやぽやと顔を赤らめて『恋』をしてしまっている。
薬のせいでハッシュがクグレックに惚れることよりも、クグレックが錯覚してハッシュを好きになってしまうことの方が厄介だった。
「あのね、ニタ…」
クグレックが恥ずかしそうにニタに声をかける。ニタは不安になりながらも「何?」と答えた。
「御山で、津波に襲われた時、ハッシュが私を守ってくれたの。でも、結果的に私は大量の水を飲んで溺れちゃったんだけどね、ハッシュがね、あの、人工呼吸をして助けてくれたの。人工呼吸だけど、…私、…今となっては初めてがハッシュで良かったような気がするの。」
と少しだけ照れながら話すクグレックにニタは思わず崩れ落ちそうになった。が、ニタは冷静にクグレックの話を聞かなくてはいけないので、平静を取り繕う。
「…クク、それはそうしなきゃいけない状況だったから、人工呼吸をしたわけで、ククのことを愛しているからやったわけじゃないからね。」
ニタはなるべくクグレックを傷付けない様に、落ち着いた様子で言った。。
「うん…。それは知ってるよ。…でもね、御山とか、その前のピアノ商会とか、ポルカで山賊と戦った時も、ハッシュはいつも守ってくれて…。」
それならばニタだってクグレックのことを守り続けて来た。それにも関わらず、クグレックが特別な思いをハッシュに抱くことは少しだけ悔しかった。ニタの方がクグレックと長い時間一緒に居るはずなのに。ニタはため息を吐きながらクグレックに質問した。
「…クク、ハッシュのこと、好きなの?」
その問いにクグレックは「え、そんな、こと、ない。だって、ハッシュは薬のせいで…」と戸惑いながらも否定した。
「でも、多分ククはハッシュに恋をしてると思うんだ。クク、ハッシュのことを考えるとドキドキして来ない?…手を繋いだりとかしたいって思わない?」
ニタの問いにクグレックは固まった。相変わらず顔は赤い。
「人を好きになることは本能的なモノなんだ。なにせククは今シシュンキでもあるからね。異性に興味を持つのは当然さ。ただ、ちょっと厄介な人をククは好きになっちゃったからね。もししんどかったら、ニタに言うんだよ。きっとハッシュが正気に戻ったらククはちょっと辛い思いをするかもしれないし。」
と、その時、部屋の外からけたたましい恐竜の鳴き声が聞こえた。昼寝をしていたアニーが目を覚ましたのだ。一緒に寝ていたはずのニタがいなくなっていることに癇癪を起してしまったのだろう。
「ニタ離れさせないとなぁ…。」
と、ニタは疲れたように呟いた。クグレックのことも心配だが、アニーの面倒も見ないといけない、という強迫観念に駆られてしまうのはペポ族の戦士としての性なのだろう。
「クク、多分ニタは今日はアニーと一緒に寝なきゃいけないかもしれない。けど、ハッシュには気を付けて。」
男は狼なのだ。と言ってもクグレックには伝わらないだろうが。
ニタは部屋を後にした。
扉が閉まるとクグレックはそのままベッドに仰向けになった。
アニーの泣き声が聞こえるが、次第におさまって行った。ニタがあやしたのだろう。
天井を見つめながら、クグレックは生まれて初めての『恋』に戸惑わずにはいられなかった。
確かにニタの言う通り、ハッシュのことを考えると、ドキドキして気が気でなくなるのだ。出来ることならばもっと頭を撫でてもらいたいし、あの厚い胸板に抱かれたい。手だって繋ぎたい。
御山やピアノ商会、ポルカで守ってくれた時のハッシュは格好良かった。それを思い出しても、クグレックの心臓はドキドキするし、悶えたくなる。
『恋』をするということは、こんなにも不安定で苦しくて、でも幸せな気持ちになるのだ、と言いうことをクグレックは身を持って実感した。
ただ、ニタが言う通り、クグレックはハッシュに好きと言われて一時的に舞い上がっているだけなのかもしれない。明日、ハッシュが元に戻った時、この複雑な気持ちが無くなってしまうのであれば、その恋はただの気の迷いであるということになる。
とはいえ、クグレックの目から見たハッシュは格好良い。金髪碧眼で男らしい精悍な顔つき、筋肉が着いた逞しい身体、なんだかんだで優しいところ。今のクグレックがハッシュの良いところをあげたらキリがない。
クグレックは枕に顔を埋めて足をバタバタさせた。
********
結局寝る時間になってもニタは戻って来なかった。アニーが解放してくれないのだろう。
風呂に入り、さっぱりした状態で、クグレックはディレィッシュの様子を見に行った。
部屋ではムーとハッシュがディレィッシュに水を飲ませていた。熱で意識はほとんどないのだが、水を呑ませようとすると飲んでくれる。
「あ、クク。大丈夫だ。心配するな。明後日には薬が出来上がる。ディッシュもこうやって塩水をのんでくれるからなんとか脱水症状にならずに済んでいる。」
ハッシュはにこりと緩やかに微笑んだ。相手が愛する人だから見せる笑顔だった。クグレックは思わずときめきそうになったが、目の前の苦しそうなディレィッシュを見たら、雑念は吹き飛んだ。
むしろクグレックはこれまで浮かれた気持でいたことが申し訳なく思えて来た。
ディレィッシュは生死を彷徨っているというのに。
何が恋だ。
クグレックは浮ついていた自分が嫌になり、優しい微笑みを見せるハッシュのことを思わず睨み付けてしまった。本当のハッシュだったら、今は一番がディレィッシュのはずなのだから。
「クク…?」
クグレックは居た堪れない気持ちになって「うん、なら良かったよ。私、寝るね。」と言って部屋を後にした。そして、そのまま自室でクグレックは眠りにつく。いつもなら隣のベッドにいるはずのニタもいない、静かな就寝前。一人で寝るのには慣れていたはずなのに、今のクグレックはなんだかとても寂しかった。