介抱するので
引導を下さい。
クルガの秘密とマナの関係性。
※残酷描写あり
「ぜぇぜぇ、ゲフッ。」
息を荒らげ、激しく咳き込むクルガ。
彼は風呂に入り後は寝るだけという態勢になっていたが、急に体の不調を感じ、部屋を出た。
体が急激に冷えて、重い。一歩歩くのにも相当な体力を浪費してしまうほどに自由が利かない。壁に寄り掛かりながら、なんとか進んで行く。息を切らしながら咳き込むクルガは、今にも死んでしまいそうなほどに凄惨な状態だった。汗をだらだらかきながら階段を降り、そして玄関先に出て、外に出る。
「ぜぇぜぇ、はぁはぁ。」
彼の発作は年に数回ほど発症する。本人はこれが一体何なのか、すでに知るところであるので、自由が利かない体をなんとか動かして、近くの川へ向かう。
どうにかして川辺まで近づいた時、彼は安心したのか、意識を失ってその場に倒れこんだ。
今晩は雲がなく月が綺麗な夜だった。満月が眩いばかりに辺りを照らす。その明るさに星たちの幾つかは影をひそめてしまっていた。選ばれた星たちだけが、満月との共演を許されていた。
神秘的な程の満月の光は、瀕死状態に陥っているクルガを優しく包み込む。
ぱぁっ、とクルガが光に包み込まれると、そこにはもうクルガはいなかった。
そこにいたのは、一匹の水龍だった。
白銀に光る鱗を持った水龍もまたクルガと同様に息を荒らげた状態で、倒れこんでいる。全長は2メートルほどあろうか。蛇のように体が長く、鋭いかぎ爪が付いた短い手足が付いている。尻尾と髭だけが意識を持っているかのようにふわふわと動く。
と、そこへ、袴を着た一人のおかっぱの少女が現れた。手には錫杖を持ち、シャン、シャンと一定のリズムを取りながら水龍に近付いてくる。少女が近付くにつれて、水龍の呼吸は落ち着いてくる。
「クルガ…。」
足元でぐったりと横たわる水龍に、少女は哀悼の眼差しを向けた。
そして、おもむろに錫杖を掲げる。これは舞の合図だ。
錫杖を振り回しながら、彼女は無表情で舞を舞う。次第に水龍は回復してきて、ふわりと宙に浮く。すっと少女の周りを一周ほど回ると、傍の川に飛び込み、潜ったり飛び上がって来たりして体を自由に動かした。
少女が舞を止めても、水龍はまるで水遊びをしているかのように自由に泳ぎ回る。
少女はその場にしゃがみ込んで、黙って水龍の様子を見ていた。
満月の光が、川面に、そして水飛沫に反射してなんとも幻想的な情景だ。
しばらくすると、水龍はねじが切れたおもちゃのように大人しくなって川岸に体を委ねる。そしてゆっくりと目を閉じる。
少女は再び立ち上がり、錫杖を鳴らす。
シャン、シャンとゆっくりとしたテンポで錫杖を鳴らし続けると、水龍は再び満月の光に包まれて姿を消した。そして、再びクルガが姿を見せる。クルガはぐったりとした様子で川辺にうつぶせに寝そべっていた。少女は黙ってクルガに寄り添う。
パジャマの下から覗くクルガの腕は先ほどの水龍と同じ白銀の鱗に覆われていた。だが、時間経過とともにその鱗も消えていき、元の褐色の肌が見えてきた。
空は何事もなかったかのように月とえらばれた星々が煌々と輝いている。
「うう、マナ…」
うめき声をあげるクルガ。どうやら目覚めたようだ。
「おつかれさま。」
濡れたクルガの頬に触れながらマナが言う。
クルガはうつぶせになったまま、生気を失ったかのような表情で地面の一点を見つめる。
「また、来ちゃったね。」
「うん…。」
月や星がうるさいが、静かな夜。
川のせせらぎだけが良く響く。
「マナ、もしも、俺がそのまま元に戻らなかったら、その時は俺のことを殺してくれないか?」
ぽつりと呟くクルガ。
水龍になっている間、彼に意識はない。意識がない空白の間が彼は怖かった。
マナは一瞬動きを止めたが、ただ表情を変えることなく、クルガの頬を愛おしそうに撫でる。そして「いやだ。」と一言だけ答えた。
クルガは何も反応しなかった。水龍化の反動で体が動かないのだ。
「ハクアが、クルガの水龍化を抑える薬を作ってくれてるし、ルルラカベラも結界を作っているから覚醒することはないはず。アルトフールの魔力でも抑え込まれてるのも事実。だから、あなたはここにいる限り、大丈夫。みんながあなたを守ってくれている。」
マナは至極冷静に落ち着いた様子でクルガに語りかける。頬に掛かっていた手は、いつの間にか頭へと移っていて、優しく濡れたその頭を撫でつける。
クルガはそのぬくもりを感じながら、目を閉じ、一筋の涙を流した。
複雑な思いが入り乱れた涙だった。
長く生き過ぎたマナは「死」に敏感だ。長く生きているにも関わらず、人の死が認められない。不老であるマナはもしかすると精神も成長できずにいたのかもしれない。
だから「殺してくれ」なんて言葉、クルガはマナに言うべきではなかった。先立たれることを異常に懼れる彼女にとって残酷な言葉だった。きっと彼女を傷つけただろう。マナを愛するクルガは自分の弱さに悔しさを感じた。
しかし、マナはそんな弱いクルガに優しさを見せた。きちんと自分の言葉で「生きてほしい」と意図を伝えてくれた。なんて嬉しいことだろう。彼女の中に自分がいるのだ。だからこそ、彼は自分の放った言葉が許せなかった。
水龍化した後、クルガはしばらく体の自由が利かなくなる。定期的に発症する水龍化現象の際はいつもマナが落ち着かせてくれる。不思議な力を使える者が沢山いるアルトフールだが、ちょうどマナの術と波長が合うのだ。体が自由になるまでの間、マナはいつもクルガの傍についている。
「私は、皆よりも先に死にたい。もう十分生きたから、死んだって構わない。だから、貴方こそその水龍の力で私を殺して。」
いつもならばクルガの傍にいても決して口を開くことのないマナだったが、今回は珍しく言葉を放った。クルガはその言葉を聞いて悲しく思ったが、ふと力を天高く夜空に居する満月に集中させた。すると、クルガは再び光を放ち、白銀に輝く水龍へと変化した。
水龍は一噛みでマナの腕を引きちぎってしまえる位に大きい口と鋭い牙を持っていた。また、簡単にマナの小さな体を引き裂いてしまいそうな鋭い鉤爪を持っていた。きっと今のクルガなら、容易にマナを傷つけ、殺すことが出来る。
ゆらゆらと宙に浮かびながら、緑色の瞳がマナを捉える。マナはぽかんとした様子で水龍を見ていた。
その瞬間、水龍は躊躇うことなくマナの腕に噛みつき、引きちぎった。溢れ出る鮮血。しかし、マナは表情一つ変えることなく水龍を見つめていた。しかし、マナがふと笑顔を見せた瞬間に、間髪入れず水龍はマナの頭に噛みついた。その強固な顎はいとも簡単にマナの頭を引きちぎる。マナの頭は地面にゴロゴロと転がって放置された。
無残なマナの姿に水龍は自身の緑の瞳から涙を零した。白銀の胴体は今や鮮やかな紅に染まる。
胴体から離れたマナの表情は穏やかなものだった。血にまみれてはいるが、幸せそうな表情だ。
水龍は咆哮を上げると、満月が浮かぶ夜空へ飛び立っていった。
ふとクルガは目を覚ました。体を起こし、辺りを見回す。
マナが傍にいて、不思議そうな表情を向けている。
――ああ、良かった。夢だった。
思わずクルガはマナを抱きしめたが、ふと我に還って、慌てて離れる。
「ご、ごめん!」
と謝罪しながらも、マナの感触を心の中で反芻する。
マナは、クルガが自分で動けるようになったことを確認できたので、彼に背を向け家路に向かって歩き出す。クルガはほっと安堵のため息をついて、その跡を数歩離れて着いていった。
今日はいつにもまして満月がうるさい夜だった。
fin.
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