薬物騒動とまやかしの恋⑤
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そして翌朝。外れの岬に住んでいるという紅い髪をした魔女に会いに行こうと意気込む一同。
だが、予想外の出来事が起きた。
宿屋の主人の娘アニー(3歳)がニタのことを気に入ってしまったのだ。
ふかふかの白いくまのぬいぐるみみたいなものが可愛い声を出して喋るのだ。それはアニーにとって運命の出会いだったと言えよう。少しでもニタがアニーから離れようとすると、アニーはまるで恐竜のようにぎゃんぎゃん泣く。宿屋の主人は申し訳なさそうにしてニタに「アニーの気が済むまで一緒に居てあげてください」と申し入れてしまったものだから仕方がない。ニタは宿屋に残ることとなった。それに、もしディレィッシュに万が一のことがあったら、ニタの足であればいち早く伝えることが出来るだろう。
クグレックとハッシュとムーの3人は崖下に海を見下ろしながら北へと進む。その道中、何度も『知らない人に着いて行ってはいけません』の看板を見つけた。ティグリミップに到着する前に見かけたあの看板と同じだ。『特に紅い髪をした人には注意』と小さく注記が入っている。やはり紅い髪の魔女に拉致され、精神崩壊させられることが絶えないのだろう。
それから2時間も歩けば、白壁にヤシの葉の屋根の家に辿り着いた。あれこそが白魔女の隠れ家であろう。何もない開けた場所だが、どことなくひっそりと佇んでいるようだった。
「これが、白魔女の住処…。」
ハッシュはムーとクグレックに目くばせをしてから、木製の扉をとんとんとノックして、ゆっくりと開いた。
「すみません、誰かいませんか?」
隠れ家の中は灯りがついていなくて薄暗かった。誰かが動いている音も聞こえず、静寂に包まれたままだ。
もう一度「すみません、だれかいますか?」と声をかけても誰も出て来なかったので、3人は更に中に入ることにした。全ての扉は閉ざされているが奥の部屋の扉は少しだけ開いており淡い光が漏れている。3人は奥に向かって進んだ。
近付くにつれて、奥の部屋からは唸り声が聞こえた。「うーん」とか「あー」と苦しそうな声だ。
ハッシュはおそるおそる奥の部屋の扉を開けた。部屋は薬草を煎じた匂いとアルコールの匂いが充満していて、思わず鼻を抑えた。後ろを着いて来たムーとクグレックも部屋の妙な匂いにびっくりして顔をしかめた。ただ、クグレックは薬の調合を得意とする祖母を思い出し、この部屋の薬草の煎じた香りが少し懐かしく感じられた。
さて、この部屋は薬を調合するための道具や材料などが所狭しと並んでいるが、床にはおそらく酒が入っていただろう一升瓶や食べ物の残骸が無造作に投げ捨てられ、散らかっていた。そして、奥の2人掛けソファには紅い髪をした女がだらしない恰好でうつ伏せに寝そべっている。
3人が部屋に入って来たことを察知したらしく唸り声を上げながら
「うー、気持ち悪い。誰?クラ君?それともレイ君?お水ちょーだい?」
と声を上げた。
ハッシュはクグレックに目配せをする。クグレックは頷き、紅い髪の女に近付いて持っていた水筒を手渡した。紅い髪はライオンのようにほうぼうにうねっている。
女は水を受け取ると、けだるそうに顔を上げて水をぐびぐびと飲み始めた。うつぶせという無理な態勢で飲むため、口の端から半分くらい水がだらだらと零れ落ちているが、お構いなしだ。
水を飲み干すと、紅い髪の女は満足そうに息を吐き出して、再び眠りについた。が、しばらくすると、紅い髪の女は喉のあたりをぐ、ぐ、と鳴らしながら背中が動いた。クグレックは瞬時に女が吐きそうであることを察知し、とっさにそばにあったアイスペールで彼女の吐しゃ物受け止めた。
女は乱暴に口元を腕で拭い、ふとクグレックの存在に気付く。
覚醒しきれないむくんだ顔はぼんやりとクグレックを見つめるが、すぐにうつぶせになった。力尽きたようだ。
たった一瞬の出来事だったが、クグレックは蛇に睨まれた蛙のように身体が強張った。
紅い髪の女はうつぶせのまま
「…何しに来たの。――黒魔女」
と、話しかけて来た。
クグレックは呆気にとられて何も言えずにいたが、はっとして目的を思いだした。
「あ、あの、アルドブ熱を治す薬が欲しくて…」
女はしばしの沈黙の後
「……御山に原料はあるし、作り方も書斎の本棚にあるから勝手に作りなさいよ。」
と、けだるそうに応えた。
「…今から御山に言ってたら、私の仲間は死んじゃうんです。」
「アンタの仲間なんて、アタシは興味ないわよ…。」
「…でも…」
「ここにはアルドブ熱を治す薬はないわ。…この先の坂道を降りて海岸に下ったところにある洞窟にアードルという花があるから採って来てくれれば調合するわよ…。」
むにゃむにゃと女は何かを言っているが、やがてその呟きは落ち着いた寝息に変わっていった。
クグレックは嬉しそうな表情でハッシュたちを見た。
そして、音を立てずに抜き足差し足でハッシュたちの元に戻る。
クグレックは女を起こさない様に小さな声で
「この先の坂の下にある洞窟にアルドブ熱を治す薬の原料があるみたい。」
と伝えた。薬を手に入れたわけではないが、情報を手に入れたことでクグレックは満たされた気持ちになっていた。
「そうか、やったな。ありがとう。」
ハッシュはようやく表情を綻ばせ、クグレックの頭を撫でた。昨日からハッシュはずっと追い詰められた様子でいたので、こうやって落ち着いた様子を見れてクグレックも安心した。
お土産を置いて3人は隠れ家を後にしようと外に出た時、紅い髪の女がフラフラとした足取りで追って来た。
「ちょっと、待って。」
と、女は相変わらず紅い髪をぼうぼうに乱して、小さな小瓶をハッシュに手渡した。
ハッシュは受け取った小瓶を訝しげに見つめる。
「元第一皇子、飲みなさい。」
「え?」
ハッシュは心底驚いて女を見つめる。どうしてこの女が第一皇子であったことを知っているのかと。
「何?飲めって言ってるの。解熱剤、作らないわよ。あ、目つぶって。アタシが良いよと言うまでは目、開けるんじゃないわよ。」
何故女がハッシュのことを覚えているのかとても気になるところだったが、余計な質問をして機嫌を損ねてしまったら意味がない。ハッシュは言われるがまま目を閉じて小瓶の中の液体を飲んだ。
「ほら、黒魔女、こっちに来なさい。」
女はクグレックをハッシュの目の前に移動させると「目を開けなさい」と言った。ハッシュは目を開けた。目の前にはクグレックがいるだけだった。
ハッシュとクグレックはきょとんとした表情で女をみた。女は壁にもたれかかりながら片口を上げて意地の悪そうな笑みを浮かべている。
「アタシがタダで薬を作るわけないでしょう。被検体になってもらわなきゃ。薬がどのくらいの時間効くのか教えて頂戴。」
ぼさぼさの紅い髪の下で怪しく光る緑色の瞳。エメラルドのように綺麗で美しい瞳だ、とクグレックが思っていると、ふと既視感を覚えた。クグレックはこの女に会ったことがあるのだが、どこだったか思い出せない。この女が浮かべる意地の悪そうな笑みも見たことがある。それなのにクグレックは彼女に出会った時のことを思い出せないのだ。もやもやとした気持ちがクグレックの胸の内を包む。
そして、女はハッシュに何を飲ませたのだろうか。「薬がどのくらいの時間効くのか教えて頂戴。」と言うことから薬の効能時間を知りたいようなので、時間の経過と共に薄まる薬であることは間違いないのだが。
「クク…?」
目の前のハッシュは少々ぼんやりとした様子でクグレックを見つめている。ハッシュは徐にクグレックに手を伸ばし、頬に触れた。大きくてごつごつとした手が優しくクグレックの頬を撫でる。
クグレックはびっくりしてハッシュを見る。ハッシュはなんだか切なそうな表情でクグレックを見つめている。その眼差しにクグレックは妙な気持ちになり、動くことが出来なかった。
「ハッシュ、どしたの?ね、ねぇ、なんか変だよ?」
ふわりと香るアルコールの香り。ハッシュの手は女に掴まれて宙を掴む。
「元第一皇子、黒魔女は大切な処女なんだから、手出しは禁物よ。魔女の処女の希少性は凄いんだから。そこの龍の幼体、このむっつりが黒魔女に変なことをしないかしっかり見てなさいよ。」
白魔女に凄まれてムーは一生懸命コクコクと頷く。
「あー気持ち悪いし頭痛い。じゃ、アードル、待ってるわよ。」
そう言って白魔女は家の中に戻って行った。
クグレックとムーは再びハッシュを見る。変わったところは見受けられない。
「…ハッシュ、大丈夫?変なところはない?」
と、クグレックが言うと、ハッシュは腕を動かしたり首を回したりして自身の確認をする。が、特に気になる不調はなかったので首を傾げるだけだった。
「なんだったんだろうな?薔薇の香りがして甘い飲み物だったけど、栄養ドリンクとか、そういう類のものだったのかな。」
「…白魔女の色んな噂を聞きましたが、栄養ドリンクをくれるなんてそんな生易しいことで済むんですかねぇ。」
ニタの話では紅い髪の女は油断ならない人物のはずだ。クグレックはハッシュに異常がないか、じっと見つめる。ディレィッシュが危険な今、ハッシュまで失うことになってしまったら大変だ。
クグレックはハッシュを見つめるが、顔が紅潮している以外には異常は見受けられなかった。
ところが、ハッシュから爆弾発言が投下された。
「あぁ、クク、ごめん。俺、今めちゃくちゃククのこと好きだ。」
「え?」
驚いて素っ頓狂な声を上げるクグレックとムー。ニタやディレィッシュは割と感情を開けっ広げにする性格なので「好き」だとか「愛してる」という言葉をよく使うのだが、ハッシュはそのような言葉は一切言わない。冗談でも使ったことがないので、二人は驚いた。「ハ、ハッシュ、あの、えっと、」
しどろもどろになって、クグレックは上手く喋れない上に頭から湯気が出てもおかしくないくらいに顔が真っ赤になっている。
代わりにムーがハッシュに「ハッシュ、どういう意味?」と尋ねた。
「分からない。でも、急にクグレックのことが愛しくて堪らなくなったんだ。どうしよう、キスしたい。」
「ちょっとちょっとそれはまずいです。落ち着いて、落ち着いて下さい。ククも怖がってますから。」
「どうしてまずいんだ?こんなに可愛いのに。」
そう言って、ハッシュはクグレックの頭を撫でる。
脳みそが沸騰しそうなくらいに、クグレックは羞恥に苦しむ。初めて異性から愛の告白をされたのだ。これまで異性を好きになったことがなかったクグレックは初めての感情にパニックになるばかりであった。ハッシュの手はクグレックの頭を撫でながら、同時に脳みそもかき混ぜているのではないかという錯覚に陥る。
ハッシュの手は次第に頭から耳へとうつる。さわさわと耳を撫でられ、クグレックはくすぐったくて堪らなかった。が、混乱状態に陥ったクグレックはそれを拒否することが出来ず、ぎゅっと目を閉じて、くすぐったさをこらえる。
「ふふ、可愛い。」
とその時、ムーが飛び上がり足でハッシュの腕を掴み動きを止めた。
「ふふ、じゃないです!ククが困ってるじゃないですか!やめてあげてください!」
ムーに止められ、ハッシュははっとして、クグレックから手を離す。そして、額に手を当てて大きなため息をつき、小さな声で「悪い」と呟く。
ムーはふーふーと息を荒らげて、ハッシュを威嚇するが、ふと思いだした。いつものハッシュなら、冗談でもこんなことはしないことに。そして、紅い髪の女から言われた言葉を。
――このむっつりが黒魔女に変なことをしないかしっかり見てなさいよ。
「ハッシュ、あなたは一体何を飲まされたんですか?あなたにククの姿はどう見えているのですか?」
ムーがおそるおそる尋ねる。ハッシュは
「…普通の女の子のはずなんだが、今は大切な人なんだ。…どうしてだ?」
と答えた。
ムーはひとしきり考えた後
「ククを好きになる薬を飲まされたのですか?」
と尋ねると、ハッシュは苦しそうな表情になり「多分」と答えた。どうやら薬は効き始めのため本人にも自覚はあるらしい。
「ククを見ると体が熱くなって、変になる。今も、もうヤバい。ムー、本当に間違いを犯さないように、しっかり俺を見張っててくれ。…あぁ、クク、好きだ…!」
自覚はあるが、彼の理性は最早ギリギリのラインなのだろう。
クグレックも偽物ではあるが初めて愛の告白を受けて、ぼんやりとした様子になっている。ムーは小さくため息を吐き「とにかく、原料を探して、アルドブ熱の薬を作ってもらいましょう。ディレィッシュは今なお苦しんでるはずです。」と声をかけた。すると、クグレックは未だ顔を紅潮させながら「うん、そうだね、探さなきゃ」と言い、ハッシュはハッシュで「そうだった。早く兄貴の熱を治して、ククとの交際を報告しなければ」とどこか普段の彼からずれたことを言うのだった。
アードルという花を採りに行くだけなのに、ムーはなんとも前途が不安に感じられた。
そして、同時にあの紅い髪の女は間違いなく白魔女であるということも、今のムーにはよく分かった。
そして翌朝。外れの岬に住んでいるという紅い髪をした魔女に会いに行こうと意気込む一同。
だが、予想外の出来事が起きた。
宿屋の主人の娘アニー(3歳)がニタのことを気に入ってしまったのだ。
ふかふかの白いくまのぬいぐるみみたいなものが可愛い声を出して喋るのだ。それはアニーにとって運命の出会いだったと言えよう。少しでもニタがアニーから離れようとすると、アニーはまるで恐竜のようにぎゃんぎゃん泣く。宿屋の主人は申し訳なさそうにしてニタに「アニーの気が済むまで一緒に居てあげてください」と申し入れてしまったものだから仕方がない。ニタは宿屋に残ることとなった。それに、もしディレィッシュに万が一のことがあったら、ニタの足であればいち早く伝えることが出来るだろう。
クグレックとハッシュとムーの3人は崖下に海を見下ろしながら北へと進む。その道中、何度も『知らない人に着いて行ってはいけません』の看板を見つけた。ティグリミップに到着する前に見かけたあの看板と同じだ。『特に紅い髪をした人には注意』と小さく注記が入っている。やはり紅い髪の魔女に拉致され、精神崩壊させられることが絶えないのだろう。
それから2時間も歩けば、白壁にヤシの葉の屋根の家に辿り着いた。あれこそが白魔女の隠れ家であろう。何もない開けた場所だが、どことなくひっそりと佇んでいるようだった。
「これが、白魔女の住処…。」
ハッシュはムーとクグレックに目くばせをしてから、木製の扉をとんとんとノックして、ゆっくりと開いた。
「すみません、誰かいませんか?」
隠れ家の中は灯りがついていなくて薄暗かった。誰かが動いている音も聞こえず、静寂に包まれたままだ。
もう一度「すみません、だれかいますか?」と声をかけても誰も出て来なかったので、3人は更に中に入ることにした。全ての扉は閉ざされているが奥の部屋の扉は少しだけ開いており淡い光が漏れている。3人は奥に向かって進んだ。
近付くにつれて、奥の部屋からは唸り声が聞こえた。「うーん」とか「あー」と苦しそうな声だ。
ハッシュはおそるおそる奥の部屋の扉を開けた。部屋は薬草を煎じた匂いとアルコールの匂いが充満していて、思わず鼻を抑えた。後ろを着いて来たムーとクグレックも部屋の妙な匂いにびっくりして顔をしかめた。ただ、クグレックは薬の調合を得意とする祖母を思い出し、この部屋の薬草の煎じた香りが少し懐かしく感じられた。
さて、この部屋は薬を調合するための道具や材料などが所狭しと並んでいるが、床にはおそらく酒が入っていただろう一升瓶や食べ物の残骸が無造作に投げ捨てられ、散らかっていた。そして、奥の2人掛けソファには紅い髪をした女がだらしない恰好でうつ伏せに寝そべっている。
3人が部屋に入って来たことを察知したらしく唸り声を上げながら
「うー、気持ち悪い。誰?クラ君?それともレイ君?お水ちょーだい?」
と声を上げた。
ハッシュはクグレックに目配せをする。クグレックは頷き、紅い髪の女に近付いて持っていた水筒を手渡した。紅い髪はライオンのようにほうぼうにうねっている。
女は水を受け取ると、けだるそうに顔を上げて水をぐびぐびと飲み始めた。うつぶせという無理な態勢で飲むため、口の端から半分くらい水がだらだらと零れ落ちているが、お構いなしだ。
水を飲み干すと、紅い髪の女は満足そうに息を吐き出して、再び眠りについた。が、しばらくすると、紅い髪の女は喉のあたりをぐ、ぐ、と鳴らしながら背中が動いた。クグレックは瞬時に女が吐きそうであることを察知し、とっさにそばにあったアイスペールで彼女の吐しゃ物受け止めた。
女は乱暴に口元を腕で拭い、ふとクグレックの存在に気付く。
覚醒しきれないむくんだ顔はぼんやりとクグレックを見つめるが、すぐにうつぶせになった。力尽きたようだ。
たった一瞬の出来事だったが、クグレックは蛇に睨まれた蛙のように身体が強張った。
紅い髪の女はうつぶせのまま
「…何しに来たの。――黒魔女」
と、話しかけて来た。
クグレックは呆気にとられて何も言えずにいたが、はっとして目的を思いだした。
「あ、あの、アルドブ熱を治す薬が欲しくて…」
女はしばしの沈黙の後
「……御山に原料はあるし、作り方も書斎の本棚にあるから勝手に作りなさいよ。」
と、けだるそうに応えた。
「…今から御山に言ってたら、私の仲間は死んじゃうんです。」
「アンタの仲間なんて、アタシは興味ないわよ…。」
「…でも…」
「ここにはアルドブ熱を治す薬はないわ。…この先の坂道を降りて海岸に下ったところにある洞窟にアードルという花があるから採って来てくれれば調合するわよ…。」
むにゃむにゃと女は何かを言っているが、やがてその呟きは落ち着いた寝息に変わっていった。
クグレックは嬉しそうな表情でハッシュたちを見た。
そして、音を立てずに抜き足差し足でハッシュたちの元に戻る。
クグレックは女を起こさない様に小さな声で
「この先の坂の下にある洞窟にアルドブ熱を治す薬の原料があるみたい。」
と伝えた。薬を手に入れたわけではないが、情報を手に入れたことでクグレックは満たされた気持ちになっていた。
「そうか、やったな。ありがとう。」
ハッシュはようやく表情を綻ばせ、クグレックの頭を撫でた。昨日からハッシュはずっと追い詰められた様子でいたので、こうやって落ち着いた様子を見れてクグレックも安心した。
お土産を置いて3人は隠れ家を後にしようと外に出た時、紅い髪の女がフラフラとした足取りで追って来た。
「ちょっと、待って。」
と、女は相変わらず紅い髪をぼうぼうに乱して、小さな小瓶をハッシュに手渡した。
ハッシュは受け取った小瓶を訝しげに見つめる。
「元第一皇子、飲みなさい。」
「え?」
ハッシュは心底驚いて女を見つめる。どうしてこの女が第一皇子であったことを知っているのかと。
「何?飲めって言ってるの。解熱剤、作らないわよ。あ、目つぶって。アタシが良いよと言うまでは目、開けるんじゃないわよ。」
何故女がハッシュのことを覚えているのかとても気になるところだったが、余計な質問をして機嫌を損ねてしまったら意味がない。ハッシュは言われるがまま目を閉じて小瓶の中の液体を飲んだ。
「ほら、黒魔女、こっちに来なさい。」
女はクグレックをハッシュの目の前に移動させると「目を開けなさい」と言った。ハッシュは目を開けた。目の前にはクグレックがいるだけだった。
ハッシュとクグレックはきょとんとした表情で女をみた。女は壁にもたれかかりながら片口を上げて意地の悪そうな笑みを浮かべている。
「アタシがタダで薬を作るわけないでしょう。被検体になってもらわなきゃ。薬がどのくらいの時間効くのか教えて頂戴。」
ぼさぼさの紅い髪の下で怪しく光る緑色の瞳。エメラルドのように綺麗で美しい瞳だ、とクグレックが思っていると、ふと既視感を覚えた。クグレックはこの女に会ったことがあるのだが、どこだったか思い出せない。この女が浮かべる意地の悪そうな笑みも見たことがある。それなのにクグレックは彼女に出会った時のことを思い出せないのだ。もやもやとした気持ちがクグレックの胸の内を包む。
そして、女はハッシュに何を飲ませたのだろうか。「薬がどのくらいの時間効くのか教えて頂戴。」と言うことから薬の効能時間を知りたいようなので、時間の経過と共に薄まる薬であることは間違いないのだが。
「クク…?」
目の前のハッシュは少々ぼんやりとした様子でクグレックを見つめている。ハッシュは徐にクグレックに手を伸ばし、頬に触れた。大きくてごつごつとした手が優しくクグレックの頬を撫でる。
クグレックはびっくりしてハッシュを見る。ハッシュはなんだか切なそうな表情でクグレックを見つめている。その眼差しにクグレックは妙な気持ちになり、動くことが出来なかった。
「ハッシュ、どしたの?ね、ねぇ、なんか変だよ?」
ふわりと香るアルコールの香り。ハッシュの手は女に掴まれて宙を掴む。
「元第一皇子、黒魔女は大切な処女なんだから、手出しは禁物よ。魔女の処女の希少性は凄いんだから。そこの龍の幼体、このむっつりが黒魔女に変なことをしないかしっかり見てなさいよ。」
白魔女に凄まれてムーは一生懸命コクコクと頷く。
「あー気持ち悪いし頭痛い。じゃ、アードル、待ってるわよ。」
そう言って白魔女は家の中に戻って行った。
クグレックとムーは再びハッシュを見る。変わったところは見受けられない。
「…ハッシュ、大丈夫?変なところはない?」
と、クグレックが言うと、ハッシュは腕を動かしたり首を回したりして自身の確認をする。が、特に気になる不調はなかったので首を傾げるだけだった。
「なんだったんだろうな?薔薇の香りがして甘い飲み物だったけど、栄養ドリンクとか、そういう類のものだったのかな。」
「…白魔女の色んな噂を聞きましたが、栄養ドリンクをくれるなんてそんな生易しいことで済むんですかねぇ。」
ニタの話では紅い髪の女は油断ならない人物のはずだ。クグレックはハッシュに異常がないか、じっと見つめる。ディレィッシュが危険な今、ハッシュまで失うことになってしまったら大変だ。
クグレックはハッシュを見つめるが、顔が紅潮している以外には異常は見受けられなかった。
ところが、ハッシュから爆弾発言が投下された。
「あぁ、クク、ごめん。俺、今めちゃくちゃククのこと好きだ。」
「え?」
驚いて素っ頓狂な声を上げるクグレックとムー。ニタやディレィッシュは割と感情を開けっ広げにする性格なので「好き」だとか「愛してる」という言葉をよく使うのだが、ハッシュはそのような言葉は一切言わない。冗談でも使ったことがないので、二人は驚いた。「ハ、ハッシュ、あの、えっと、」
しどろもどろになって、クグレックは上手く喋れない上に頭から湯気が出てもおかしくないくらいに顔が真っ赤になっている。
代わりにムーがハッシュに「ハッシュ、どういう意味?」と尋ねた。
「分からない。でも、急にクグレックのことが愛しくて堪らなくなったんだ。どうしよう、キスしたい。」
「ちょっとちょっとそれはまずいです。落ち着いて、落ち着いて下さい。ククも怖がってますから。」
「どうしてまずいんだ?こんなに可愛いのに。」
そう言って、ハッシュはクグレックの頭を撫でる。
脳みそが沸騰しそうなくらいに、クグレックは羞恥に苦しむ。初めて異性から愛の告白をされたのだ。これまで異性を好きになったことがなかったクグレックは初めての感情にパニックになるばかりであった。ハッシュの手はクグレックの頭を撫でながら、同時に脳みそもかき混ぜているのではないかという錯覚に陥る。
ハッシュの手は次第に頭から耳へとうつる。さわさわと耳を撫でられ、クグレックはくすぐったくて堪らなかった。が、混乱状態に陥ったクグレックはそれを拒否することが出来ず、ぎゅっと目を閉じて、くすぐったさをこらえる。
「ふふ、可愛い。」
とその時、ムーが飛び上がり足でハッシュの腕を掴み動きを止めた。
「ふふ、じゃないです!ククが困ってるじゃないですか!やめてあげてください!」
ムーに止められ、ハッシュははっとして、クグレックから手を離す。そして、額に手を当てて大きなため息をつき、小さな声で「悪い」と呟く。
ムーはふーふーと息を荒らげて、ハッシュを威嚇するが、ふと思いだした。いつものハッシュなら、冗談でもこんなことはしないことに。そして、紅い髪の女から言われた言葉を。
――このむっつりが黒魔女に変なことをしないかしっかり見てなさいよ。
「ハッシュ、あなたは一体何を飲まされたんですか?あなたにククの姿はどう見えているのですか?」
ムーがおそるおそる尋ねる。ハッシュは
「…普通の女の子のはずなんだが、今は大切な人なんだ。…どうしてだ?」
と答えた。
ムーはひとしきり考えた後
「ククを好きになる薬を飲まされたのですか?」
と尋ねると、ハッシュは苦しそうな表情になり「多分」と答えた。どうやら薬は効き始めのため本人にも自覚はあるらしい。
「ククを見ると体が熱くなって、変になる。今も、もうヤバい。ムー、本当に間違いを犯さないように、しっかり俺を見張っててくれ。…あぁ、クク、好きだ…!」
自覚はあるが、彼の理性は最早ギリギリのラインなのだろう。
クグレックも偽物ではあるが初めて愛の告白を受けて、ぼんやりとした様子になっている。ムーは小さくため息を吐き「とにかく、原料を探して、アルドブ熱の薬を作ってもらいましょう。ディレィッシュは今なお苦しんでるはずです。」と声をかけた。すると、クグレックは未だ顔を紅潮させながら「うん、そうだね、探さなきゃ」と言い、ハッシュはハッシュで「そうだった。早く兄貴の熱を治して、ククとの交際を報告しなければ」とどこか普段の彼からずれたことを言うのだった。
アードルという花を採りに行くだけなのに、ムーはなんとも前途が不安に感じられた。
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