薬物騒動とまやかしの恋⑦
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穏やかな海風が吹き込む。コンタイは高温の国だ。冬だとはいえ、陽射しは初夏のように少し暑い。
宿屋のバルコニーに取り付けられたハンモックに揺られながら、アニーの可愛い可愛いぬいぐるみになったニタは潮風に鼻をひくつかせながらぼんやりとしていた。お昼を過ぎてアニーはニタと遊び疲れたのか、すやすやと眠っている。穏やかな時間だ。
ニタの心も穏やかだった。
元来、ペポ族の戦士は面倒見が良い。ペポ族のほとんどが愚鈍で無知で素直であるということからペポ族は単純に騙されやすく、外部からの攻撃に弱い。そんな大半のペポ族を守るために存在するのがニタの様なペポ族の戦士である。ペポ族を外敵から守ることは勿論、ペポ族の戦士は外敵に知略で憚らないために知識を蓄える。元々が騙されやすいペポ族なので、ペポ族の戦士が逐一危ないことややってはいけないことを教えてあげなければいけない。そうでもしないとペポ族は滅亡してしまうのだ。
だから、小さなペポの育て方や木の実の採り方、キノコの見分け方などを周りのペポ族に教えてあげた。のんびり屋でおっとりした性格が多い普通のペポ族を守ってあげることこそがニタの喜びであり、生きがいであった。あまりの愚鈍さに時々イライラすることもあったが。
だから、こういった小さい子の面倒を見るのもニタにとっては慣れたことであった。
外の世界を知らないクグレックのことも、かつての普通のペポ族の面倒をみることと似ていた。
そもそもは恩人であるエレンから頼まれたことなのだ。クグレックの唯一の家族で会ったエレンの代わりに、後見人となってクグレックを見守る。クグレックが世界を知って、そして笑顔になってくれることがニタの今の役目なのだ。
エレンの代わりの後見人として、そして初めての友達として、ニタはクグレックの人生に少しだけ責任を負う。
例えば、もしもクグレックに好きな人が出来て、さらには結婚するとなったら、ニタはその相手が確かにクグレックに相応しいのか試さなければいけない、その位はやってやろうと思っていた。
だからこそ、お昼寝から目が覚めた時、クグレック達が戻って来ていて、どういうわけかハッシュがクグレックと手を繋いでいる姿を見て憤りが収まらなかったのである。
「お前、なにクグレックと手を繋いでいるんだー!」
アニーが眠るハンモックから飛び出し、ハッシュに飛びかかるニタ。ハッシュは腕でニタの攻撃を防御する。
「ニタ、一体どうしたんだ?」
ハッシュが心底不思議そうに問う。その隣ではクグレックが顔を真っ赤にして俯いている。
「だって、お前、あんなにディッシュのこと心配してたのに、ちょっと離れたらすぐに女に手を出して。しかも、よくもククに手を出したね。お前にククをくれてやるわけがないからね!」
ニタは毛を逆立てながら怒鳴り散らす。
ハッシュはむっとした様子で
「ニタ、何を言うんだ。俺はククのことを本気で愛している。アルトフールに着いて落ち着いたら、ククと結婚するんだ。そこまでは我慢するから。俺とククのことを認めて欲しい。」
と言った。その眼差しはいつになく真剣だ。隣のクグレックはもう茹で上がってしまいそうなほど真っ赤になっている。
「ばかもーん!いくら同じ旅の仲間だろうと、ニタがゆるさーん!」
自称後見人のニタが大声をあげる。
と、その時。後ろからニタの肩を何者かがむんずと掴んだ。ニタはふと後ろを振り向くとムーが自身の足でニタの肩を掴んでその場から引き離そうと翼をはためかしていた。
ニタはふわりと宙に浮くと、そのままムーによって部屋の隅へと連れ込まれた。
「あのね、ハッシュさんは今、白魔女の薬のせいでククさんに惚れちゃってるんです。」
「はぁ?どういうこと?」
「結果的に言えば、明後日にはディッシュさんの熱を下げる薬が手に入ります。ただ、その代わり、ハッシュさんは白魔女の薬を飲んでその効果がどれくらい続くか実験することが薬を手に入れるための条件なんです。で、ハッシュさんが飲んだ薬というのがおそらく『惚れ薬』の類かと。」
「え、じゃぁ、ハッシュは今は薬のせいであんな風になっているってこと?」
「そう言うことなんです。薬を採りに行く頃までには薬の効果は切れていると思うんですけど。」
「嘘でしょう…。何が『本気で愛している』だよ…。」
さすがのニタも呆れかえった。と、同時に事態を把握したため、興奮状態も収まったようだ。
ニタは落ち着きを取り戻して、再びハッシュとクグレックの元へ会いまみえる。
「ハッシュ、とりあえず、ククにはそういうのはまだ早いから、ちょっと離れてもらうよ。ハッシュはディレィッシュの様子を看ててあげなよ。大事な弟が女にうつつを抜かしてるなんて知ったら、流石のディッシュでも悲しむと思うからね。」
と言って、ニタはクグレックの手を取り、ハッシュから遠ざけようとした。が、意外にもハッシュはすんなりクグレックを離してくれた。ニタはクグレックを引っ張って、部屋へと戻る。
ニタはクグレックをベッドに腰掛けさせて、自身は彼女の目の前で仁王立ちした。ニタはクグレックに確認しなければならないことがあるのだ。
「で、クク。ハッシュには何もされてない?」
「…う、うん。」
。クグレックはまだ顔を赤くさせてぼんやりとしている。まるで、本当に熱が上がっている人のようだ。その様子を見てニタは不安を感じた。クグレックの体調面での心配というわけではない。
「クク、ハッシュはククのこと好きだって言ってるけど、あれは薬のせいだからね。本当の気持ちじゃないからね。」
「うん…。」
弱弱しく返事をするクグレック。
「ハッシュ、元に戻ったら、別にククのこと恋愛的な意味では何とも思わなくなるからね。むしろ、この先ボインで美人なおねえさんがいたら、そっちの人の方を好きになるかもしれないからね。」
「…うん。」
クグレックの声はだんだん小さくなっていく。
ニタの嫌な予感は現実味を増してきた。
「クク、ハッシュの好きだって言葉、まさか本気にしてないよね?」
クグレックは収まろうとしていた顔色を再び紅潮させた。が、精一杯の声を振り絞って
「し、してない。ハッシュが私を『好き』なのは薬のせいだって、ムーにも言われたし…。」
と言った。
「でも…」
クグレックは消え入りそうな声でつづけた。
「もし、ハッシュの『好き』が本物の『好き』だったら、…私、嬉しいと思う。」
クグレックは顔の火照りを取ろうとひんやりとした手を頬に当てた。
一方のニタは、表情を強張らせた。なんだか頭痛がして来る。ニタは不安だったのだ。ハッシュからの愛の告白を受け、それをクグレックが本気に受け取ってしまうことが。
友達もいない上に魔女という理由で村中の人々から嫌われてきたクグレックは、エレン以外から愛の告白を受けたことはないだろう。そんな子が、少し年上で頼れる男性から愛の告白を受けて嬉しくないわけがない。クグレックは華の16歳だ。少し夢見がちなところもあるので、ころっと恋に落ちてしまう危うさをニタは感じていたのだ。
現実はニタが危惧していた通りだった。
目の前の華の16歳はぽやぽやと顔を赤らめて『恋』をしてしまっている。
薬のせいでハッシュがクグレックに惚れることよりも、クグレックが錯覚してハッシュを好きになってしまうことの方が厄介だった。
「あのね、ニタ…」
クグレックが恥ずかしそうにニタに声をかける。ニタは不安になりながらも「何?」と答えた。
「御山で、津波に襲われた時、ハッシュが私を守ってくれたの。でも、結果的に私は大量の水を飲んで溺れちゃったんだけどね、ハッシュがね、あの、人工呼吸をして助けてくれたの。人工呼吸だけど、…私、…今となっては初めてがハッシュで良かったような気がするの。」
と少しだけ照れながら話すクグレックにニタは思わず崩れ落ちそうになった。が、ニタは冷静にクグレックの話を聞かなくてはいけないので、平静を取り繕う。
「…クク、それはそうしなきゃいけない状況だったから、人工呼吸をしたわけで、ククのことを愛しているからやったわけじゃないからね。」
ニタはなるべくクグレックを傷付けない様に、落ち着いた様子で言った。。
「うん…。それは知ってるよ。…でもね、御山とか、その前のピアノ商会とか、ポルカで山賊と戦った時も、ハッシュはいつも守ってくれて…。」
それならばニタだってクグレックのことを守り続けて来た。それにも関わらず、クグレックが特別な思いをハッシュに抱くことは少しだけ悔しかった。ニタの方がクグレックと長い時間一緒に居るはずなのに。ニタはため息を吐きながらクグレックに質問した。
「…クク、ハッシュのこと、好きなの?」
その問いにクグレックは「え、そんな、こと、ない。だって、ハッシュは薬のせいで…」と戸惑いながらも否定した。
「でも、多分ククはハッシュに恋をしてると思うんだ。クク、ハッシュのことを考えるとドキドキして来ない?…手を繋いだりとかしたいって思わない?」
ニタの問いにクグレックは固まった。相変わらず顔は赤い。
「人を好きになることは本能的なモノなんだ。なにせククは今シシュンキでもあるからね。異性に興味を持つのは当然さ。ただ、ちょっと厄介な人をククは好きになっちゃったからね。もししんどかったら、ニタに言うんだよ。きっとハッシュが正気に戻ったらククはちょっと辛い思いをするかもしれないし。」
と、その時、部屋の外からけたたましい恐竜の鳴き声が聞こえた。昼寝をしていたアニーが目を覚ましたのだ。一緒に寝ていたはずのニタがいなくなっていることに癇癪を起してしまったのだろう。
「ニタ離れさせないとなぁ…。」
と、ニタは疲れたように呟いた。クグレックのことも心配だが、アニーの面倒も見ないといけない、という強迫観念に駆られてしまうのはペポ族の戦士としての性なのだろう。
「クク、多分ニタは今日はアニーと一緒に寝なきゃいけないかもしれない。けど、ハッシュには気を付けて。」
男は狼なのだ。と言ってもクグレックには伝わらないだろうが。
ニタは部屋を後にした。
扉が閉まるとクグレックはそのままベッドに仰向けになった。
アニーの泣き声が聞こえるが、次第におさまって行った。ニタがあやしたのだろう。
天井を見つめながら、クグレックは生まれて初めての『恋』に戸惑わずにはいられなかった。
確かにニタの言う通り、ハッシュのことを考えると、ドキドキして気が気でなくなるのだ。出来ることならばもっと頭を撫でてもらいたいし、あの厚い胸板に抱かれたい。手だって繋ぎたい。
御山やピアノ商会、ポルカで守ってくれた時のハッシュは格好良かった。それを思い出しても、クグレックの心臓はドキドキするし、悶えたくなる。
『恋』をするということは、こんなにも不安定で苦しくて、でも幸せな気持ちになるのだ、と言いうことをクグレックは身を持って実感した。
ただ、ニタが言う通り、クグレックはハッシュに好きと言われて一時的に舞い上がっているだけなのかもしれない。明日、ハッシュが元に戻った時、この複雑な気持ちが無くなってしまうのであれば、その恋はただの気の迷いであるということになる。
とはいえ、クグレックの目から見たハッシュは格好良い。金髪碧眼で男らしい精悍な顔つき、筋肉が着いた逞しい身体、なんだかんだで優しいところ。今のクグレックがハッシュの良いところをあげたらキリがない。
クグレックは枕に顔を埋めて足をバタバタさせた。
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結局寝る時間になってもニタは戻って来なかった。アニーが解放してくれないのだろう。
風呂に入り、さっぱりした状態で、クグレックはディレィッシュの様子を見に行った。
部屋ではムーとハッシュがディレィッシュに水を飲ませていた。熱で意識はほとんどないのだが、水を呑ませようとすると飲んでくれる。
「あ、クク。大丈夫だ。心配するな。明後日には薬が出来上がる。ディッシュもこうやって塩水をのんでくれるからなんとか脱水症状にならずに済んでいる。」
ハッシュはにこりと緩やかに微笑んだ。相手が愛する人だから見せる笑顔だった。クグレックは思わずときめきそうになったが、目の前の苦しそうなディレィッシュを見たら、雑念は吹き飛んだ。
むしろクグレックはこれまで浮かれた気持でいたことが申し訳なく思えて来た。
ディレィッシュは生死を彷徨っているというのに。
何が恋だ。
クグレックは浮ついていた自分が嫌になり、優しい微笑みを見せるハッシュのことを思わず睨み付けてしまった。本当のハッシュだったら、今は一番がディレィッシュのはずなのだから。
「クク…?」
クグレックは居た堪れない気持ちになって「うん、なら良かったよ。私、寝るね。」と言って部屋を後にした。そして、そのまま自室でクグレックは眠りにつく。いつもなら隣のベッドにいるはずのニタもいない、静かな就寝前。一人で寝るのには慣れていたはずなのに、今のクグレックはなんだかとても寂しかった。
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